ヴェイグリーノーブル

和名:ヴェイグリーノーブル

英名:Vaguely Noble

1965年生

鹿毛

父:ヴィエナ

母:ノーブルラッシー

母父:ネアルコ

英仏クラシック競走未登録のため凱旋門賞に狙いを絞って完勝を収めたハイペリオン直系を代表する名競走馬にして名種牡馬

競走成績:2・3歳時に英仏で走り通算成績9戦6勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

ライオネル・B・ホリデー少佐が愛国に所有していたクリーボーイスタッドで誕生した。ホリデー少佐は染料・織物業の会社を経営する傍らで馬産にも勤しんでおり、優秀な競走馬を何頭も生産・所有していた。彼は英ダービー制覇を夢見ていたが、結局その夢は果たされる事なく、本馬が誕生した1965年の12月に死去した。彼が所有していた馬や牧場は彼の息子ブルック・ホリデー氏にいったん相続され、2年後の1967年12月に売却される事になった。

本馬もまたホリデー氏の所有馬となり、ホリデー少佐の専属調教師だった英国ウォルター・ウォートン師に預けられた。なお、本馬は英国クラシック登録がされなかったが、筆者が調べた範囲における海外の資料にはその理由は明記されていない。原田俊治氏の「新・世界の名馬」によると、その理由は遺産相続のごたごたの他に、母系から活躍馬が出ていなかった事と、5月の遅生まれだった影響で発育が遅く、離乳の時期でも臆病な性格が目立ったためとされている。

競走生活(2歳時)

2歳8月にニューカッスル競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスでデビュー。13頭立て4番人気でスイートサンクスの首差2着という結果だった。次走は9月にドンカスター競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利戦となった。前走2着とは言え、ニューカッスル競馬場は有力馬があまり出ない場所だったため、今回は16頭立て8番人気の低評価だった。しかし初コンビを組んだ豪州出身のビル・ウィリアムソン騎手を鞍上に、勝ったサラセーノから3/4馬身差の2着と好走した。次走はアスコット競馬場で行われたサンドウィッチS(T7F)となった。ここでは18頭立ての3番人気まで評価を上げていた。そして2着ザモーリングスに12馬身差をつける大圧勝劇を演じた。

そしてその2週間後に行われたオブザーヴァー金杯(T8F・現レーシングポストトロフィー)に駒を進めた。このレースには、英シャンペンS勝ち馬シェブズラッド、ベレスフォードS勝ち馬ハイバーニアン、ロイヤルロッジS2着馬リボケア、モルニ賞と英シャンペンSで2着したロレンザッチオ(後に英チャンピオンSでニジンスキーに勝った事で知られる)、後にエクリプスSをレコードタイムで勝ち英ダービーで2着するコンノート、プリンスオブウェールズナーサリーH勝ち馬ドゥーンなど有力馬が勢揃いしており、本馬は単勝オッズ9倍で8頭立て5番人気の評価だった。レースでは後方3番手で直線に入ったが、残り2ハロン地点で進路が塞がってしまった。しかし残り1ハロン地点で馬群から抜け出すと後続を瞬く間にちぎり捨てて、2着ドゥーンに7馬身差をつける圧勝劇を演じた。今日でも同競走史上最高のパフォーマンスと言われるこの勝ち方により、本馬の実力はようやく認められることになったが、年末に売却される予定が変わる事は無かった。2歳時の成績は4戦2勝だった。

そして予定どおり2歳12月に売りに出された本馬のセリは、8万ギニーのお台から始まった。そして、米国の富豪ネルソン・バンカー・ハント氏と、米国の医師ウィルマ・フランクリン博士の代理人アルバート・ヤンク氏の2人が競り合った結果、13万6000ギニー(当時の為替レートで約1億5000万円)という現役競走馬としては当時史上最高額でヤンク氏に購買された。本馬はひとまずフランクリン博士の所有馬となり、愛国パディ・プレンダーガスト調教師に預けられた。その後、セリに負けたハント氏がフランクリン博士に交渉を持ち掛け、その結果として2人で本馬を共同所有することになった。ハント氏が英国クラシック登録のない本馬のために最大目標を凱旋門賞に定めたため、本馬はかつてシーバードを手掛けた仏国エチエンヌ・ポレ厩舎に転厩した。英国だけでなく仏国のクラシック競走出走権もなかったため、裏街道を進むことになった。

競走生活(3歳時)

3歳4月にロンシャン競馬場で行われたギシュ賞(T1850m)を2着セミラントに3馬身差で勝って仏国におけるデビュー戦を飾った。次走のリス賞(T2400m)では、2着ナイトシェイドに8馬身差をつけて圧勝。しかしサンクルー大賞(T2500m)では道中の位置取りがあまりにも後ろ過ぎて、直線で猛然と追い込むも仏1000ギニー馬ポーラベラを首差かわすのが精一杯で、英国女王エリザベスⅡ世の持ち馬で前年の英セントレジャー2着馬ホープフルベンチャーと仏ダービー2着馬ミナモトの首差接戦に届かず、勝ったホープフルベンチャーから2馬身1/4差の3着に敗れてしまった。位置取りが後方になった理由は、本馬が左回りを不得手としており、コーナーを回るのに手間取ったためであるとされているが、前年に圧勝したオブザーヴァー金杯が行われるドンカスター競馬場も左回りであるため、その理由は誤りだと主張する意見もある。

この結果を受けて、陣営は本馬の主戦をJ・デフォルジュ騎手から、2歳時に本馬に騎乗していたウィリアムソン騎手に交替させる事にした。この結果、本馬は愛国出身、馬主は米国出身、調教師は仏国出身、騎手は豪州出身という国際色豊かな陣営構成になった。

9月のシャンティ賞(T2200m)では、仏2000ギニー・イスパーン賞を勝ってきたゼダーン、リュパン賞でリュティエの1馬身半差2着、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでロイヤルパレスの半馬身差2着だった翌年のサンクルー大賞勝ち馬フェリシオ、コートノルマンディ賞でプリンスサオ(アンリデラマール賞で英2000ギニー・英ダービー勝ち馬サーアイヴァーを2着に下して勝っている)を破ったセミラントなどの強敵が対戦相手となった。逃げたプリンスジェットが作ったスローペースの中、本馬は3番手を追走した。そして直線に入るとあっさり抜け出して、2着フェリシオに4馬身差をつけて完勝した。

そして本馬は最大目標としていた凱旋門賞(T2400m)に駒を進めた。この年の凱旋門賞には、英2000ギニー・英ダービー・仏グランクリテリウムなどの勝ち馬サーアイヴァーを筆頭に、仏オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬ロゼリエール、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞の勝ち馬ダウデヴィ、英オークス馬ララギュヌ、愛ダービー・英セントレジャーを勝ってきたリベロ、独ダービー・独セントレジャー・アラルポカル2回・ベルリン大賞・バーデン大賞の勝ち馬ルチアノ、前年のロワイヤルオーク賞勝ち馬でアスコット金杯2着のサモス、リュパン賞・ジャックルマロワ賞・ノアイユ賞を制していたリュティエ、フェリシオ、ダリュー賞・プランスドランジュ賞・アルクール賞の勝ち馬カーマーゼン、ドーヴィル大賞を勝ってきたソワイユ、オイロパ賞を勝ってきた独ダービー2着馬アリヨン、フォワ賞・プランスドランジュ賞を連勝してきた前年のパリ大賞2着馬ペトローヌ、ソビエト連邦からの参戦馬ズボールなど、かつてシーバードが勝った時に匹敵する国際色豊かな強豪馬が顔を揃えた。この中で単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持されたのは本馬であり、続いてフェリシオとペトローネのカップリングが2番人気、ロゼリエールが3番人気で、3連敗中のサーアイヴァーはダウデヴィと並んで4番人気、ルチアノが6番人気、リュティエが7番人気、ララギュヌが8番人気、リベロが9番人気という順番だった。

レースはリュティエがロゼリエールやズボールとの先陣争いを制して先頭に立ち、ウィリアムソン騎手が手綱を取る本馬はサーアイヴァーなどと共に先行集団につけ、有力馬勢は先頭のリュティエから5馬身以内に固まっていた。そして直線に入ると本馬が真っ先に先頭を奪った。そこへ本馬の直後から飛び出したサーアイヴァーが追撃してきたが、その差はゴールまで全く縮まる事は無かった。結局、本馬がサーアイヴァーを3馬身差の2着に退けて完勝した。サーアイヴァーも3着カーマーゼンに4馬身差をつけており、サーアイヴァーを自身が騎乗した最高の馬と評価していた鞍上のレスター・ピゴット騎手も本馬の強さには脱帽するしかなかった。

その後ワシントンDC国際Sへの招待を受けたが、陣営が海外遠征と小回りを懸念した事と、既に500万ドルという当時世界最高額の種牡馬シンジケートが組まれていた事もあり、辞退してそのまま3歳時5戦4勝の成績で現役引退となった。リボーのように凱旋門賞連覇を狙うべきだったのに早くも引退とは悲しむべき事だという意見もあったようである。

競走馬としての評価

本馬の凱旋門賞の勝ち方は「まるで皇帝のようだった」と評され、凱旋門賞優勝馬の中ではリボー、シーバードに匹敵すると言われた。英タイムフォーム社のレーティングでは140ポンドが与えられており、これは歴代凱旋門賞優勝馬としては、シーバード、リボー、ミルリーフに次ぐ史上第4位(ダンシングブレーヴシーザスターズと同値)である。本馬を管理したポレ師は、かつて自身が手掛けたシーバードに匹敵する馬と本馬を評している。ただし、凱旋門賞以外の大競走も目標として走った他の名馬達と、最初から凱旋門賞のみを目標としていた本馬を同列に論ずるのには抵抗があるとする意見もあり、筆者も概ね同感である。

血統

ヴィエナ Aureole Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Angelola Donatello Blenheim
Delleana
Feola Friar Marcus
Aloe
Turkish Blood Turkhan Bahram Blandford
Friar's Daughter
Theresina Diophon
Teresina
Rusk Manna Phalaris
Waffles
Baby Polly Spearmint
Pretty Polly
Noble Lassie Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
Belle Sauvage Big Game Bahram Blandford
Friar's Daughter
Myrobella Tetratema
Dolabella
Tropical Sun Hyperion Gainsborough
Selene
Brulette Bruleur
Seaweed

父ヴィエナはオリオール産駒。ウィンストン・チャーチル英国元首相の生産・所有馬で、大競走を勝つことは出来なかったが、彼が所有した馬の中では最も活躍した部類に入る。現役成績は22戦7勝。3歳時にレッドディアーS・ブルーリバンドトライアルSを勝ち、英セントレジャーで3着。4歳時にリオンズメイドSを勝ち、シティ&サバーバンH・コロネーションC・ハードウィックSでそれぞれ2着。5歳時にリオンズメイドS・アルクール賞を勝ち、コロネーションC・ガネー賞で2着、英チャンピオンSで3着している。競走馬引退後は英国で種牡馬入りした。種牡馬としては1967年に本馬の活躍で英愛2歳首位種牡馬となっている。翌1968年からは仏国で供用され、1973年に日本に輸入された。しかし日本での種牡馬生活は短く、1976年に19歳で他界した。本馬以外にはモーリスドニュイユ賞を勝ったバトルソングを出した程度であり、種牡馬としてはほぼ一発屋だった。母父としては安田記念馬ハッピープログレスを出している。

母ノーブルラッシーは現役成績14戦2勝、ランカシャーオークスを勝っている。原田俊治氏の「新・世界の名馬」には、ホリデー少佐はヴィエナと交配させた他の繁殖牝馬が頭の無い奇形の子馬を産んだことに激怒し、自身が所有する繁殖牝馬には二度とヴィエナを交配させないと息まいたが、その時すでにノーブルラッシーが身篭っていたのが本馬であるという逸話が紹介されている。本馬の活躍を受けて、その後もノーブルラッシーは何度かヴィエナと交配されて子を産んでいるが、活躍馬は出なかった。本馬の半姉グリッターゴールド(父グラティチュード)は後に繁殖牝馬として日本に輸入され、孫世代にマイノーブル【中日スポーツ杯】が出た他に、末裔にペルーのGⅠ競走ペルージョッキークラブ賞を勝ったインヴィンシブルダッドが出ている。本馬の全妹ヴィヴラレーヌの牝系子孫からは、パディズリターン【ワールドシリーズハードル(愛GⅠ)・ロングウォークハードル(英GⅠ)】、リリーラントリー【コロネーションS(英GⅠ)・愛メイトロンS(愛GⅠ)】、マインディング【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・フィリーズマイル(英GⅠ)】などが、本馬の半妹リーガルレディ(父レルコ)の牝系子孫からは、ハートオブドリームズ【オーストラリアンギニー(豪GⅠ)・アンダーウッドS(豪GⅠ)】、トロナード【サセックスS(英GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)】などが出ているなど、ノーブルラッシーの牝系子孫からは複数のGⅠ競走勝ち馬が出ており、今世紀に入ってからの活躍も結構目立っている。

ノーブルラッシーの母ベルサヴェイジの産駒には、ノーブルラッシーの半兄パンドゥール(父ペティション)【ディーS】がいる他に、ノーブルラッシーの半妹プロミストレディ(父プリンスシュヴァリエ)の子には、凱旋門賞馬アーバンシーの母父となった独国の歴史的名馬ロンバルト【独2000ギニー・フュルシュテンベルクレネン・独セントレジャー・ゲルリング賞・デュッセルドルフ大賞・ベルリン大賞・オイロパ賞・デュッセルドルフ大賞(独GⅡ)2回・ハンザ賞(独GⅡ)・ベルリン大賞(独GⅡ)・ゲルリング賞(独GⅢ)】、牝系子孫にはスマートバンカー【ホースチェスナットS(南GⅠ)2回・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)】が、ノーブルラッシーの半妹フォレストフレンド(父リナクル)の子には、ジャパンC勝ち馬ホーリックスの母父であるモストゥルーパー【ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)】がいる。ベルサヴェイジの祖母ブルレットは、英オークス・カドラン賞・グッドウッドCなどを勝ったスタミナ自慢の名牝で、ブルレットの牝系子孫からは20世紀有数の世界的名牝オールアロング【凱旋門賞(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ロスマンズ国際S(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)】や、ディミニュエンド【英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)】などが出ている。→牝系:F1号族①

母父ネアルコは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、シンジケート額500万ドルの25%に当たる125万ドルの権利を有していたジョン・R・ゲイン氏が所有する米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームで種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても大きな成功を収め、産駒のステークスウイナーは165頭、うちグレード及びグループ競走の勝ち馬が70頭という結果を残した。1973・74年には初年度産駒のダリアの大活躍により、2年連続で英愛首位種牡馬に輝いた。1982年には英ダービー馬ゴールデンフリースなどの活躍により英愛母父首位種牡馬になっている。自身と同様に12ハロン前後の距離に強い産駒が多い。1989年4月に心臓麻痺のため24歳で他界し、遺体はゲインズウェイファームに埋葬された。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1970

Ace of Aces

サセックスS(英GⅠ)・シュマンドフェルデュノール賞(仏GⅢ)・エッティンゲンレネン(独GⅢ)

1970

Dahlia

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)2回・サンタラリ賞(仏GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)2回・マンノウォーS(米GⅠ)・ハリウッドパーク招待ターフH(米GⅠ)・加国際CSS(加GⅡ)・グロット賞(仏GⅢ)・ニエル賞(仏GⅢ)

1970

Mandera

プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1970

Noble Decree

オブザーヴァー金杯(英GⅠ)

1970

Royal and Regal

フロリダダービー(米GⅠ)

1971

Duke of Marmalade

ローマ賞(伊GⅠ)・ローマ賞(伊GⅡ)

1971

Mississipian

仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・ニエル賞(仏GⅢ)

1971

Passionate Pirate

スターズ&ストライプスH(米GⅡ)

1972

Nobiliary

サンタラリ賞(仏GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)・グロット賞(仏GⅢ)

1973

Empery

英ダービー(英GⅠ)

1973

Exceller

パリ大賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・加国際CSS(加GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・ハリウッドパーク招待ターフH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)・リス賞(仏GⅢ)・アーケイディアH(米GⅢ)

1973

Paint the Town

エヴリ大賞(仏GⅡ)・ロワイヤリュー賞(仏GⅢ)

1974

Hartebeest

グロット賞(仏GⅢ)

1974

Sporting Yankee

ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)

1974

Vagaries

エヴリ大賞(仏GⅡ)

1975

Amazer

ロワイヤリュー賞(仏GⅢ)・イエローリボンS

1975

Gay Mecene

サンクルー大賞(仏GⅠ)・ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・ギシュ賞(仏GⅢ)・ニエル賞(仏GⅢ)

1975

Inkerman

ジョーマクグラス記念S(愛GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)・ガリニュールS(愛GⅡ)

1975

Regal and Royal

ジャマイカH(米GⅢ)

1975

Trillionaire

プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1975

Valour

バーデン大賞(独GⅠ)・ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)

1976

Noble Saint

ローマ賞(伊GⅠ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)・ヨークシャーC(英GⅡ)

1976

Quadrupler

プリンチペアメデオ賞(伊GⅡ)・伊セントレジャー(伊GⅡ)・レニャーノ賞(伊GⅢ)

1977

Corvaro

ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・コンデ賞(仏GⅢ)・サンロマン賞(仏GⅢ)

1977

Gonzales

愛セントレジャー(愛GⅠ)・ガリニュールS(愛GⅡ)・ブランドフォードS(愛GⅡ)

1978

Eminency

オークローンH(米GⅡ)・レイザーバックH(米GⅢ)2回・クリスマスデイH(米GⅢ)・クラークH(米GⅢ)

1978

Lemhi Gold

サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・マールボロC招待H(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・ソードダンサーH(米GⅡ)

1978

Noble Damsel

ニューヨークH(米GⅢ)

1978

Terreno

ミラノ大賞(伊GⅠ)・ラクープ(仏GⅢ)・ヴィシー大賞(仏GⅢ)

1979

Friendswood

伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・リディアテシオ賞(伊GⅠ)

1979

Last Feather

ムシドラS(英GⅢ)

1979

Vidor

EPテイラーS(加GⅡ)・ロワイヨモン賞(仏GⅢ)

1980

Estrapade

バドワイザーミリオン(米GⅠ)・サンタアナH(米GⅠ)・ゲイムリーH(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)・ラスパルマスH(米GⅡ)・ビヴァリーヒルズH(米GⅡ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)

1980

Talakeno

サンルイオビスポH(米GⅡ)・バーナードバルークH(米GⅡ)・セネカH(米GⅢ)

1981

Reine Mathilde

マルレ賞(仏GⅡ)・オペラ賞(仏GⅡ)・EPテイラーS(加GⅡ)

1982

Noble Fighter

ターフクラシックS(米GⅠ)

1983

El Cuite

イタリア大賞(伊GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)

1983

Rosedale

サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・プリンチペアメデオ賞(伊GⅡ)

1985

Vaguely Hidden

ニュージャージーターフクラシックS(米GⅢ)

1985

Welkin

フォルス賞(仏GⅢ)

1988

Jet Ski Lady

英オークス(英GⅠ)

1988

Val d'Arno

アヴォンデールC(新GⅠ)

1989

Sporades

フロール賞(仏GⅢ)

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