ボールドイーグル

和名:ボールドイーグル

英名:Bald Eagle

1955年生

鹿毛

父:ナスルーラ

母:シャーマ

母父:タイガー

当初は気性難のため活躍できなかったが、調教師の看病で重病を克服してから馬が変わり、史上唯一のワシントンDC国際S2連覇を果たす

競走成績:2~5歳時に英米で走り通算成績29戦12勝2着5回3着4回

誕生からデビュー前まで

最初は英国や愛国で種牡馬入りしていた父ナスルーラが米国ケンタッキー州クレイボーンファームに移動した後に輩出した産駒である。クレイボーンファームにおいて本馬を生産・所有したのはハリー・フランク・グッゲンハイム大尉という人物だった。グッゲンハイム大尉は、スイス由来のユダヤ系ドイツ人の家系であるグッゲンハイム家の出身であり、スイスから米国に移住して鉱山業で大成功したマイヤー・グッゲンハイム氏の孫に当たる。一族は基本的に鉱山業で活躍したが、彼は第一次世界大戦にパイロットとして従軍した経験からか航空業にも興味を抱いており、鉱山業及び印刷業といった事業だけでなく宇宙飛行用の液体燃料の民間研究においても活躍し、宇宙航空学の発展に大きな功績を残した(現在、NASAの無人探査機等の研究開発及び運用に携わっているジェット推進研究所の前身となったカリフォルニア工科大学グッゲンハイム航空研究所は彼が立ち上げた)。政治家としても働いており、第二次世界大戦前にはキューバ大使も務めた人物だった。

競馬にも興味を抱いており、39歳時の1929年にはカイン・ホイ・ステーブルを設立して馬主となり、1943年からは馬産も本格的に行うようになった。本馬を生産する前に、ブルックリンH・ガルフストリームパークH2回の勝ち馬クラフティアドミラル(アファームドの母父)、シャンペンS・ウィザーズS・ピーターパンSの勝ち馬アルマゲドン(グッゲンハイム大尉の最高傑作となる名馬アクアクの父方の祖父)、ケンタッキーオークス・ベルデイムHの勝ち馬ララン(ネヴァーベンドとボールドリーズン兄弟の母)、ナスルーラの後継種牡馬の1頭レッドゴッドなどを誕生させており、さらにいずれも彼の自家生産馬ではないが、名馬ネイティヴダンサーに唯一の黒星を付けたケンタッキーダービー馬ダークスター、後に名種牡馬となるターントゥなども馬主として所有していた。

米国で産まれた本馬だが、英国セシル・ボイド・ロックフォート調教師に預けられて英国でデビューした。本馬は非常に脚が長くて背が高い馬で、2歳時点で既に体高16.3ハンド、3歳時には優に17ハンドを突破したという。しかしながら、ロックフォート師をして「呪われた馬」と言わしめたほど神経質で気性が激しい馬であり、ロックフォート師を手こずらせた。

競走生活(2・3歳時)

2歳10月にアスコット競馬場で行われたデュークオブエジンバラS(T6F)で、主戦となるW・カー騎手を鞍上にデビューして、1馬身差で勝利した。2歳時はこの1戦のみで終え、3歳時は4月のクレイヴンS(T8F)から始動した。そしてデューハーストS2着馬ナガミ(後に伊ジョッキークラブ大賞・コロネーションCなどに勝利)を1馬身差の2着に、ロイヤルロッジS・シートンデラヴァルSの勝ち馬でリッチモンドS・ジムクラックS2着のピンチドをさらに3馬身差の3着に抑えて勝利した。

2戦2勝で迎えた英2000ギニー(T8F)では、少ないキャリアながらも1番人気の評価を受けたが、過去に対戦したことが無かった同厩のニューSの勝ち馬でジュライS・英シャンペンS2着のポールモールの9馬身差7着に敗れた。ミドルパークS・チェシャムSの勝ち馬で後にセントジェームズパレスS・サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世Sを勝つメジャーポーションが2着に入り、ナガミが3着だった。その後はダンテS(T10F110Y)に出走して、2着カーボンコピーに1馬身半差で勝利。

そして英ダービー(T12F)に駒を進めて、後にロワイヤルオーク賞・アスコット金杯・ジャンプラ賞などに勝つ名長距離馬ワラビーに次ぐ2番人気に推された。しかし、愛2000ギニー馬ハードリドン(後に種牡馬として日本に輸入され、東京優駿の勝ち馬ロングエースや優駿牝馬の勝ち馬リニアクインを輩出)の12着と大敗してしまった。2着には愛2000ギニー3着馬パディーズポイントが入り、3着はまたしてもナガミだった(ナガミは後の英セントレジャーでも3着となり、英国牡馬クラシック競走3戦で全て3着という珍しい記録を残している)。

本馬が英2000ギニーや英ダービーで惨敗した原因は、本馬がレース中に走る気を無くしてしまったからだと言われている。父のナスルーラも全く同じ理由でこの2競走を落としているから、この2頭はやはり似た者父子だったようである。次走のセントジェームズパレスS(T8F)も、英2000ギニー2着馬メジャーポーション、ニューマーケットSの勝ち馬グエルシルスの2頭に屈して、メジャーポーションの3馬身差3着に敗退。本馬はこのレース後に英国を去り、後にダンチヒなどを管理する米国ウッドフォード・C・スティーブンス厩舎に転厩した。英国では前哨戦には強いが本番には弱いという結果に終わった。

3歳10月にベルモントパーク競馬場で行われた芝7ハロンのハンデ競走で米国初戦を迎えた。名手ウィリアム・シューメーカー騎手を鞍上に出走したのだが、フェートンの6馬身差7着に敗退。この年はこれが最後の出走で、3歳時の成績は6戦2勝に終わった。

競走生活(4歳前半)

4歳時は2月にハイアリアパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走から始動したが、ドワイヤーH2着馬リトルハーミットの6馬身差4着に終わった。

このレース後に本馬は重い病気(具体的な病名は不明)に罹ってしまい、1週間ほど生死の境を彷徨った。スティーブンス師は本馬の安楽死も検討したが、思い直して看病に努めた。その結果、本馬は奇跡的に一命を取り留めた。ここで人間に命を救われた経験が本馬の心に何らかの好影響を与えたのか、回復した本馬は以前のように人の言うことを聞かない傾向は影を潜め、調教にも真面目に取り組むようになった。すると、今までは競走成績に悪影響を及ぼしていた本馬の激しい気性は、走る際における闘争心に転化され、肉体的にも精神的にも以前とは別馬のようになっていったのだった。

6月にベルモントパーク競馬場で行われた芝7ハロンのハンデ競走で復帰。このレースから本馬の主戦はマヌエル・イカザ騎手が務める事になった。この新コンビ初戦は、コンバスチョンの1馬身差2着に敗れた。それから僅か11日後には、初めてのダート競走となるマサチューセッツH(D10F)に出走。スタートで失敗した上に道中で進路を失う不利があったが、112ポンドという軽量にも助けられて、エアパイロットの1馬身差3着まで追い上げてきた(正確にはデイコートという馬が1位入線でエアパイロットは2位入線だったのだが、進路妨害で2頭の着順が入れ代わっている)。

次走はサバーバンH(D10F)となった。斤量は119ポンドに増えていたが、直線で大外を追い上げて差し切り、アーリントンクラシックS・ジャージーS2着・アメリカンダービー・メトロポリタンH3着のタレントショーを1馬身半差の2着に、サプリングS・ブルーグラスSの勝ち馬プリオンを3着に破り、ようやく大競走勝ちを収めた。

次走のブルックリンH(D9.5F)では、メトロポリタンH・ベルモントS・モンマスHと3連勝中だったケンタッキーダービー・プリークネスS2着馬ソードダンサーと顔を合わせた。本馬の斤量は123ポンドに増えていたが、3歳馬であるソードダンサーの斤量も123ポンドだったから、古馬の立場としては負けられないレースだった。しかし勝ったのは南米のチリからやってきた単勝オッズ24倍の伏兵バブーで、ゲート入り前に焦れ込んでスタートを遅らせたソードダンサーは3/4馬身差の2着、英国でコヴェントリーSを勝った後に米国に移籍してきたアメリゴ(種牡馬入り後に名馬フォートマーシーなど多くの活躍馬を出す)が3着に入り、道中で進路を失ってしまった本馬はソードダンサーからさらに3馬身差の4着に敗れてしまった。

競走生活(4歳後半)

次走のサラトガH(D10F)では120ポンドの斤量となった。この時点における本馬のハンデとしてはこのくらいが丁度良かったようで、馬群の中団から直線で際どく差し切り、2着となったサラトガスペシャルSの勝ち馬でトラヴァーズS2着・フロリダダービー3着のグレイモナーク(後に日本に種牡馬として輸入される)を首差の2着に、アメリゴを3着に抑えて勝利した。

次走のアケダクトH(D8F)では、サンタアニタマチュリティS・サンカルロスH・ロサンゼルスH・アーゴノートH・カリフォルニアンS・アメリカンH・ハリウッド金杯などこの年に既にステークス競走9勝を挙げていた西海岸の強豪ヒルズデール、グレイラグH・オハイオダービー・サンカルロスH・エクセルシオールH2回・クイーンズカウンティH・イングルウッドH・アメリカンH・サンセットHなどを勝っていた古豪ファインド、ヴォスバーグH・トボガンHなどを勝っていた短距離路線の強豪チックタック、エアパイロット、バブーといった有力馬勢との対戦となった。122ポンドの本馬と132ポンドのヒルズデールがお互いをマークするように中団につけ、先にヒルズデールが抜け出して本馬が追撃する展開となった。しかしヒルズデールがそのまま押し切って勝利してステークス競走7連勝目を達成し、本馬は10ポンドのハンデを貰っていたにも関わらず、3/4馬身差の2着に敗れた。しかし本馬がゴール前で見せた末脚はデイリーレーシングフォーム紙において賞賛されるほど見事なものだった。

続くマンハッタンH(D13F)では、ここには書ききれない程の数のステークス競走を勝っていた歴史的名馬ラウンドテーブルと顔を合わせた。斤量はラウンドテーブルの132ポンドに対して、本馬は前走と同じ122ポンド。それでも結果はラウンドテーブルが勝ち、本馬は追い上げ及ばず1馬身差の2着だった。ラウンドテーブルは次走のジョッキークラブ金杯でソードダンサーの2着に敗れたのを最後に引退したため、本馬と対戦する機会は2度と無かった。

一方の本馬は再び芝路線に目を転じ、新設競走マンノウォーS(T12F)に出走。出走登録馬が多かったために、このマンノウォーSは最初で最後の分割競走となった。しかしこのレースは生憎の重馬場だった。本馬は重馬場をあまり得意としていなかったようで、ここでも本領を発揮できなかった。勝ったのは、デラウェアオークス・ヴァインランドH・ミスアメリカターフHを勝ちアラバマS・レディーズH2回・ジョッキークラブ金杯2着などの実績があったにも関わらず単勝オッズ29倍の伏兵だった牝馬ドッテドラインで、アメリゴが2着、後に障害競走に転向して活躍するプリンスウィリーが3着で、本馬はドッテドラインから2馬身1/4差の4着に敗れた。

それでも次走は同じ芝12ハロンのワシントンDC国際S(T12F)となった。今までは馬群の中団につけて差す競馬が多かった本馬だが、ここでは珍しく早い段階から先頭に立った。残り2ハロン地点では後続馬に5馬身ほどの差をつけた本馬は、直線で少々差を詰められたものの、2着となった仏国調教の3歳馬ミッドナイトサン(リュパン賞の勝ち馬で、凱旋門賞でも1位同位入線したが、進路妨害を取られてセントクレスピンの2着に降着となっていた)に2馬身半差、3着となった分割競走マンノウォーSのもう一方の勝ち馬でハイアリアターフカップH・ロングフェローHも勝っていたテューダーエラ(前年のワシントンDC国際S・ユナイテッドネーションズHで2着していた)にはさらに4馬身半差をつけて完勝した。

その後はいったんダート路線に戻り、ギャラントフォックスH(D13F)に出走。125ポンドの斤量ながらも、サンセットHの勝ち馬フーダニットを1馬身3/4差の2着に、エクセルシオールHの勝ち馬ホワイトリーを3着に破り、2分41秒0のコースレコード勝ちを収め、4歳シーズンを締めくくった。4歳時の成績は11戦4勝だった。ワシントンDC国際Sを勝ったために米最優秀芝馬に選ばれてもおかしくは無かったのだが、芝のステークス競走を5勝していたラウンドテーブルの方がさすがに上位と判断され、タイトルは逃した。

競走生活(5歳前半)

5歳時は2月にハイアリアパーク競馬場で行われたマクレナンH(D9F)から始動した。このレースにはテューダーエラの他に、本馬と同じナスルーラを父に、名牝トゥーリーを母に持つ良血馬で、この年既にトロピカルパークH・オレンジボウルHと2戦2勝だったオンアンドオン(後にケンタッキーダービー・プリークネスSの勝ち馬フォワードパスの父となるが、むしろアリダーの母父と言ったほうが理解は早いかもしれない)も出走してきた。1番人気に支持されたのは本馬だったが、ここでは4ポンドのハンデを与えたオンアンドオンが勝ち、本馬は追い上げが僅かに届かず首差2着に敗れた。

次走のワイドナーH(D10F)には、オンアンドオン、前年のサバーバンHで本馬の2着だったタレントショーに加えて、前年のブルックリンH2着後にトラヴァーズS・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯を3連勝して米年度代表馬・米最優秀ハンデ牡馬・米最優秀3歳牡馬のトリプルタイトルを獲得し、ラウンドテーブルに代わって米国現役最強馬の座に就いていたソードダンサーも出走してきた。斤量はソードダンサーが129ポンドで、本馬が123ポンドと、やはりソードダンサーのほうが強いと見なされていた。しかし結果は本馬が2着オンアンドオンに3/4馬身差をつけて1分59秒6のコースレコードタイムで勝利し、ソードダンサーは本馬から8馬身3/4差の7着に沈んだ。

次走のガルフストリームパークH(D10F)でも、ソードダンサー、オンアンドオンとの顔合わせとなった。斤量はソードダンサーが127ポンドで、本馬が125ポンドと、まだ少しソードダンサーのほうが重かった。しかし本馬が2着アメリゴに3/4馬身差で勝利を収め、オンアンドオンが3着、ソードダンサーは本馬から5馬身3/4差の4着に終わった。

その後は一間隔を空けて、メトロポリタンH(D8F)に出走した。ここには前走グレイラグHを勝ってきたソードダンサー、ワイドナーHで3着だった前年のメトロポリタンH3着馬タレントショーに加えて、グレイラグHで2着だったファーストランディングも参戦してきた。一昨年にグレートアメリカンS・サラトガスペシャルS・ホープフルS・シャンペンS・ガーデンステートSなどを勝って米最優秀2歳牡馬に選ばれていたファーストランディングは、3歳時はケンタッキーダービー3着なと今ひとつであり、大競走制覇を目指して4歳時も現役を続け、サンタアニタマチュリティS・ローレルマチュリティSを勝つなど、まだ一線級の実力を有する事を示していた。今回はソードダンサーではなく本馬がトップハンデの128ポンドで、ソードダンサーが127ポンド、ファーストランディングが123ポンドと、かなり絶妙な設定となった。しかし蓋を開けてみると本馬の1強状態となり、2着ファーストランディングに3馬身半差、4着ソードダンサーにはさらに1馬身差をつけて圧勝。勝ちタイム1分33秒6は、前年のソードダンサーのそれより1秒6も速いもので、ベルモントパーク競馬場ダート1マイルの驚異的なコースレコードとなった。

この勝利のインパクトが強かったのか、次走のサバーバンH(D10F)では前年勝った時より15ポンドも重い134ポンドを課せられることになった。対するソードダンサーは124ポンド、ファーストランディングは122ポンドだった。さすがにこの斤量設定は本馬にとって酷だったようで、2着ファーストランディングを半馬身抑えてコースレコード勝ちを飾ったソードダンサーから6馬身半差の4着に敗れてしまった。

続くブルックリンH(D10F)でも、ソードダンサー、ファーストランディングとの対戦となった。斤量は本馬が130ポンド、ソードダンサーが127ポンド、モンマスHを勝ってきたファーストランディングが123ポンドと、おそらく実力どおりの設定となった。しかしレースは本馬にとって初となる泥んこ不良馬場で行われ、各馬がその実力を存分に発揮できる状況ではなかった。その結果、ここでは単勝オッズ17倍の伏兵だったオンアンドオンが漁夫の利を得て勝ってしまった。2着にシープスヘッドベイH・トレントンHの勝ち馬グリークスター、3着にジャージーS・ドワイヤーHの勝ち馬ワルツが入り、本馬はオンアンドオンから3馬身1/4差の4着、ソードダンサーは本馬からさらに2馬身半差の5着、ファーストランディングはソードダンサーからさらに7馬身1/4差の6着と、3頭総崩れになってしまった。もっとも、ソードダンサーはベルモントSで、ファーストランディングはガーデンステートSでそれぞれ不良馬場を克服して勝っていたから、不良馬場初体験の本馬が3頭中で一番重い斤量ながら最先着したというのは、3頭の中では本馬が実力最上位である事を改めて証明する結果でもあった。

競走生活(5歳後半)

その証拠に、良馬場で行われた次走アケダクトH(D8F)では、やはり130ポンドを背負いながらも、2着インテンショナリー(前年の米最優秀短距離馬。ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティ・ウィザーズS・ジェロームH・トボガンH・エクワポイズマイルHなどの勝ち馬で、マイル戦では非常に強かった。このレースでは斤量124ポンドだった)に頭差、3着となったマンハッタンH・ディスカヴァリーH・ジェロームH・ローマーH・ホイットニーHの勝ち馬ウォーヘッドにはさらに鼻差で勝利。122ポンドの斤量だったファーストランディングは本馬から3馬身差の4着に敗れ、この後に1戦だけして引退していった。

続くウッドワードS(D10F)では、ソードダンサーと7度目の対戦となった。定量戦のため斤量は互角であり、互いに負けられない1戦となったが、結果はコースレコードで走ったソードダンサーが2連覇を達成し、サンセットH・ハリウッド金杯の勝ち馬ドッテッドスイスにも後れを取った本馬は、ソードダンサーから3馬身差の3着。ここでは完敗だった。

その後はいったん芝路線に目を向け、前年は勝てなかったマンノウォーS(T12F)に出走した。このレースにはソードダンサーも出走してきて、本馬との最後の対戦となった。しかし残念ながら馬場はかなり湿っており、2頭の最終決戦の場には相応しくない状態だった。結果は単勝オッズ38倍の伏兵ハーモナイジング(名牝ブッシャーの半弟)が勝利を収め、本馬は2馬身1/4差の2着、ソードダンサーは本馬から4馬身差の3着と共倒れに終わった。それでもソードダンサーに先着したため、対戦成績を5勝3敗と勝ち越すことが出来た。

それから僅か1週間後にはジョッキークラブ金杯(D16F)に出走した。芝競走を挟んできたという点においても、出走間隔においてもかなり厳しいレースだったが、さらに悪い事に馬場状態は不良だった。そして一番悪かったのは対戦相手だった。マンノウォーSを最後に引退したソードダンサーの姿は無かったが、ジェロームH・ディスカヴァリーH・ローレンスリアライゼーションS・ホーソーン金杯など5連勝中の3歳馬ケルソが参戦してきたのである。後にこのジョッキークラブ金杯を5連覇するケルソ相手では分が悪すぎた。レースはケルソが2着となった亜国出身のマンハッタンHの勝ち馬ドンポッジオに3馬身半差をつけてコースレコードで圧勝し、本馬はドンポッジオから9馬身半差をつけられた3着に敗れてしまった。

次走が本馬にとって現役最後のレースとなるワシントンDC国際S(T12F)となった。後にこの競走の制覇に執念を燃やすことになるケルソ(3年連続2着後に4度目の出走で初制覇)の姿はこの年には無く、2連覇が期待された本馬が1番人気に支持された。そして本馬もこの期待に応えて2着ハーモナイジングに2馬身差をつけて快勝。同競走史上最初で最後の2連覇を達成した。5歳時の成績は11戦5勝で、米年度代表馬の座こそ9戦8勝のケルソに譲ったが、ソードダンサーを抑えて米最優秀ハンデ牡馬に選出された(米最優秀芝馬に選ばれてもおかしくなかったが、この年は何故か選考が実施されなかったらしく該当馬無しだった)。

血統

Nasrullah Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
Mumtaz Begum Blenheim Blandford Swynford
Blanche
Malva Charles O'Malley
Wild Arum
Mumtaz Mahal The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Lady Josephine Sundridge
Americus Girl
Siama Tiger Bull Dog Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Starless Moment North Star Sunstar
Angelic
Breathless Moment Black Toney
Princess Palatine
China Face Display Fair Play Hastings
Fairy Gold
Cicuta Nassovian
Hemlock
Sweepilla Sweep Ben Brush
Pink Domino
Camilla S. Ormondale
Dolly Higgins

ナスルーラは当馬の項を参照。

母シアマはエイコーンS・モンマスオークス・カムリーH・プリンセスドリーンS・ジャスミンS勝ちなど29戦9勝を挙げた活躍馬。繁殖牝馬としても優れており、本馬の全兄ワンアイドキング【アーリントンH・ドンH2回・ディキシーH・ロングアイランドH】、半弟デッドアヘッド(父ターントゥ)【ローマーH】なども産んだ。本馬が全盛期を迎えた1960年は、ワンアイドキングが2度目のドンHやアーリントンHに勝つなど活躍した年でもあり、2頭の活躍馬が出たことが評価されたシアマは同年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれた。また、本馬の半妹ホイッスルアチューン(父ダブルジェイ)の孫にはアーススピリット【クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)・ジャンプラ賞(仏GⅡ)】、セラウススカウト【パンアメリカンS(米GⅠ)・ハイアリアターフカップH(米GⅠ)】、ダミスター(トロットスターの父)【ダンテS(英GⅡ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)・サンダウンクラシックトライアル(英GⅢ)】、玄孫にはマジストレッティ【マンノウォーS(米GⅠ)・ダンテS(英GⅡ)】がいる。本馬も含めてダンテSの勝ち馬が3頭もいる牝系だが、それほど繁栄しているとは言い難い。シアマの半妹レッツフェイスイット(父ナスルーラ)の娘ロードマップは日本に繁殖牝馬として輸入され、ノーザンドライバー【デイリー杯三歳S(GⅡ)・ペガサスS(GⅢ)】の祖母となった。レッツフェイスイットの牝系子孫にはシニスターミニスター【ブルーグラスS(米GⅠ)】もいる。→牝系:F4号族③

母父タイガーは、アーカンソーダービー・アーリントンフューチュリティ・ワシントンパークフューチュリティを勝ち、ベルモントフューチュリティS2着など30戦9勝の成績を残した。種牡馬としてはシアマが代表産駒といった程度の活躍だった。タイガーは非常に気性が荒い馬としても有名であり、本馬の気性の悪さは父ナスルーラのみならず、母父タイガーにも起因していると言われている。本馬の祖母の父ディスプレイも気性が激しい馬だったから、本馬の血統表は気性難の血が凝縮されていると言える。そんな馬でも、周囲の人間の接し方によっては気性が良化する可能性があるというのは、馬に接する人であれば知っておくべきであろう。タイガーの父ブルドッグはブルリーの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のクレイボーンファームで種牡馬入りした。種牡馬としてはそれほど成功したとは言えず、輩出したステークスウイナーは12頭と少なかったが、その中から凱旋門賞馬サンサン、1986年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬トゥーボールドが出た。本馬はサンサンが凱旋門賞を勝つ前年の1971年に仏国へ輸出され、1977年に22歳で他界した。母父としては、トゥーボールドの息子であるエクセラーカポウティの兄弟や、後述するサンサンの子ども達を輩出した。

本馬の評価に関しては米国内でも意見が分かれているようで、米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選では第74位にランクインしているが、2015年時点においては米国競馬の殿堂入りを果たせていない。20世紀米国名馬100選にランクインしている100頭のうち、米国競馬の殿堂入りを果たしていないのは本馬とファーラップの2頭のみである。メキシコで1戦だけした後に謎の死を遂げた豪州の歴史的名馬ファーラップ(つまり米国内では1回も走っていない)がランクインしているのは、ファーラップに米国人が砒素を盛って殺害したという疑惑に対する政治的配慮がなされた雰囲気が漂っている(ファーラップの項に記載したが、その死は毒殺ではなく事故だった公算が大きいようである)から、事実上は20世紀米国名馬100選にランクインしている馬の中で殿堂入りしていないのは本馬のみと言っても過言ではない。筆者の個人的見解としては、本馬は殿堂入りしても何ら不思議ではないのだが、既に廃止されたワシントンDC国際Sの2連覇というのではインパクトに欠けるのだろうか。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1964

Too Bald

バーバラフリッチーH2回・ベッドオローゼズH・コロンビアナH

1969

San San

凱旋門賞(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)

代表産駒サンサンについて

さて、話が全く変わるが、本馬の代表産駒サンサンは日本に縁がある馬でもあるし、出来れば単独の項目で紹介したかったのだが、あまりの資料不足で難しかったため、ここで紹介してしまうことにする。サンサンは本馬がクレイボーンファームで種牡馬生活を送っていた時期に産まれた米国産馬で、仏国ボワルセル牧場の所有者だったマルギト・フォン・バッチャーニ伯爵夫人(第2次世界大戦末期にオーストリアで起きたユダヤ系ハンガリー人の虐殺事件「レヒニッツの虐殺」に重要な関わりを持っていたとされる人物。ユダヤ系のグッゲンハイム大尉が生産・所有した本馬の代表産駒を、そのユダヤ系の人達を虐殺した疑いがもたれている人物が所有したわけである)の所有馬として走り、現役成績は22戦5勝。

3歳時にプシケ賞・ヴェルメイユ賞を制し、凱旋門賞では7番人気ながら、1番人気の仏ダービー馬ハードツービート、2番人気の英ダービー馬ロベルトらを蹴散らし、2着の仏オークス馬レスコーセに1馬身半差をつけ、1953年のラソレリーナ以来19年ぶりの牝馬による優勝を果たした(このレースには日本から天皇賞馬メジロムサシも参戦していたが18着に惨敗し、日本の競馬関係者に衝撃を与えた)。その後、ワシントンDC国際Sにも参戦したが、ドロールロールの4着に敗れ、父娘制覇を果たすことは出来なかった。

サンサンは競走馬引退後の1976年、明和牧場により、凱旋門賞を勝った牝馬としては史上初めて日本に繁殖牝馬として輸入され(取引価格は2億円と言われる)、持ち込み馬リキサンサン(父サーアイヴァー・1989年に当時の史上最高価格3億6050万円で落札されたサンゼウスの母)、ウインザーノット(父パーソロン)【函館記念(GⅢ)2回・2着天皇賞秋(GⅠ)】、ポトマックチェリー(父ノーザンテースト・ネイティヴハートの母)、ストームボーイ(父ハードツービート)【3着高松宮杯(GⅡ)】、スプライトパッサー(父メイワパッサー)【関屋記念(GⅢ)】などを産み、1994年に他界した。

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