ブルリー

和名:ブルリー

英名:Bull Lea

1935年生

青鹿

父:ブルドッグ

母:ローズリーヴス

母父:バロット

競走馬としては一流とは言えなかったが5度の北米首位種牡馬に輝き、名門カルメットファームの全盛時代を支えた大種牡馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績27戦10勝2着7回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州コールドストリームファームにおいて、同牧場の所有者E・デール・シェーファー氏により生産された。1歳時のサラトガセールにおいて、米国ケンタッキー州カルメットファームの経営者ウォーレン・ライト氏により1万4千ドルで購入され、フランク・J・キーンズ調教師の管理馬となった。馬格は平均的だが、肩、胴回り、腰などの筋肉がよく発達しており、頑丈で優れた骨格を有し、力強さと優秀なスピードを兼備していた。デイリーレーシングフォーム社の競馬記者チャールズ・ハットン氏は本馬を評して「サラブレッドよりもトロッターに似ています」と書いている(カルメットファーム自体が元々はスタンダードブレッドの生産に力を入れていた)。

競走生活

2歳時に競走馬デビューしたが、サラトガスペシャルS(D6F)では、パンプキンの3着。ホープフルS(D6.5F)では、スカイラーキングの2着(米国三冠馬ギャラントフォックスの8歳年下の全弟ファイティングフォックスが3着)。シャンペンS(D6.5F)では、メノウの4馬身差2着(ファイティングフォックスが3着)と惜敗続き。メノウが圧勝したベルモントフューチュリティSには不出走で、2歳時はステークス競走未勝利に終わった。2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)では121ポンドの評価で、同世代トップのメノウより5ポンド下だった。

3歳時は4月にキーンランド競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走で、前年の米最優秀2歳牡馬に選ばれていたメノウと対戦。結果は本馬が1分44秒0のコースレコードを計時して勝ち、メノウは3着に終わった。翌週のブルーグラスS(D9F)でも2着メノウを首差抑えて1分49秒6のコースレコードを樹立して、ステークス競走初勝利を挙げた。

ケンタッキーダービー(D10F)では、ウッドメモリアルSを勝ってきたファイティングフォックスが1番人気で、本馬が単勝オッズ4倍の2番人気、メノウが3番人気となった。しかしこの上位人気3頭は揃って凡走。レースはフラミンゴS勝ち馬ロウリンが2着となったサンタアニタダービー2着馬ドーバーに1馬身差で勝利し、さらに5馬身差の3着にウッドメモリアルS2着馬キャントウェイトが入った。メノウはキャントウェイトに鼻差届かず4着、ファイティングフォックスはさらに6馬身差の6着、本馬はさらに5馬身差の8着と惨敗した。

その翌週のプリークネスS(D9.5F)にも参戦したが、ケンタッキーダービー2着のドーバーが2着クラヴァト(後にジェロームH・サンフアンカピストラーノ招待H・ブルックリンH・サバーバンH・ジョッキークラブ金杯を制して米国トップクラスの馬へと成長する)と3着メノウに7馬身差をつけて圧勝し、本馬はまたしても勝ち馬から大きく離された6着に終わった。その後はベルモントS(D12F)に参戦したという説もあるが定かではない(参戦していたとしても、このレースはパスチャライズトが勝ち、ドーバーが2着、クラヴァトが3着しているので、本馬が好走していない事は確かである)。

その後は7月のアーリントンクラシックS(D10F)に向かい、ピムリコフューチュリティ勝ち馬ネダイヤーの2着に入った(クラヴァトが3着、この年のサンタアニタHでシービスケットを鼻差2着に破っていたサンタアニタダービー馬ステージハンドが4着、プリークネスS3着後にウィザーズS・マサチューセッツHを勝っていたメノウが5着だった)。さらにケナーS(D8.5F)では、ファイティングフォックスを2着に破って勝利した。しかしトラヴァーズS(D10F)では、サンクスギビングの6着に敗退した(ファイティングフォックスが3着で、ステージハンドが4着だった)。その後はジェームズCソーントン記念H(D9F)でステージハンドを3着に破って勝利したが、本馬の斤量は2着パープルキングより12ポンド重かったけれどもステージハンドよりは10ポンド軽かったから、今ひとつ自慢にはならなかった。翌週のナラガンセットスペシャルH(D9.5F)では、ステージハンドの1馬身差2着(クラヴァトが3着)だった。さらに翌週のポトマックH(D8.5F)では、メノウの1馬身差2着だった(サンパスカルH・サンヴィンセントSを勝ちサンタアニタダービーで3着だったサンイグレットが3着)。この年は他にもナラガンセットオータムH(D8.5F)で2着ワイズプリンスに5馬身差で勝利を収め、ピムリコH(D8F70Y)にも勝利。コンチネンタルH(D8.5F)では牝馬ロギッシュガールの2着、アクイドネックH(D8.5F)では3着だった。なお、この年の米最優秀3歳牡馬はステージハンドが受賞している。

4歳時は2月のマクレナン記念H(D9F)で、レコードタイムで走ったステージハンドの首差2着と好走。3月のワイドナーH(D10F)では、当時の最強馬ウォーアドミラルとシービスケットの両雄も出走してくるはずだったが、2頭とも回避してしまい盛り上がりに欠ける状況となった。そんな中で本馬は2着サーダミオンに2馬身半差、3着ステージハンドにはさらに首差をつけて勝利を収めている。なお、本馬の斤量は119ポンド、ステージハンドの斤量は125ポンドだったが、ウォーアドミラルとシービスケットの2頭にはいずれも130ポンド以上の斤量が課せられる予定だったから、競走馬としての評価には大きな差があった。本馬は4歳時を最後に競走馬生活から退いている。

血統

Bull Dog Teddy Ajax Flying Fox Orme
Vampire
Amie Clamart
Alice
Rondeau Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Doremi Bend Or
Lady Emily 
Plucky Liege Spearmint Carbine Musket
Mersey
Maid of the Mint Minting
Warble
Concertina St. Simon Galopin
St. Angela
Comic Song Petrarch
Frivolity
Rose Leaves Ballot Voter Friar's Balsam Hermit
Flower of Dorset
Mavourneen Barcaldine
Gaydene
Cerito Lowland Chief Lowlander
Bathilde
Merry Dance Doncaster
Highland Fling
Colonial Trenton Musket Toxophilite
West Australian Mare
Frailty Goldsbrough
Flora Mcivor
Thankful Blossom Paradox Sterling
Casuistry
The Apple Hermit
Black Star

父ブルドッグは名種牡馬テディと名牝プラッキーリエージュの間に産まれた子で、名馬サーギャラハッドの全弟に当たる良血馬。サーギャラハッドの競走馬としての活躍により大きな期待が掛けられたが、競走馬としては8戦2勝2着1回、2歳時にラフレッシュ賞を勝ちロベールパパン賞で2着、3歳時にダフニ賞を勝った程度という期待外れの成績に終わった。しかし競走馬引退時には既に全兄サーギャラハッドが米国で種牡馬として成功していたため、その血統が買われてブルドッグも米国に種牡馬として輸入され、本馬の生誕地であるコールドストリームファームで種牡馬生活を開始した。種牡馬としては競走馬時代とは比較にならない成功を収め、52頭のステークスウイナーを出した。1943年には北米首位種牡馬を獲得し、サーギャラハッド共々テディの血の繁栄に大きな役割を果たした。母父としてもトムフールやラフンタンブル(ドクターファーガーの父)を出すなど成功。1953年にはサーギャラハッドの11年連続を阻止して北米母父首位種牡馬に輝き、1954・56年にもタイトルを獲得した。1955年の北米母父首位種牡馬はサーギャラハッドなので、この兄弟で14年連続で北米母父首位種牡馬を獲っている。本馬が種牡馬として猛威を振るう最中の1954年にコールドストリームファームにおいて27歳で他界した。

母ローズリーヴスは現役成績6戦未勝利。本馬の半兄エスピノ(父ネゴフォル)【ローレンスリアライゼーションS・サラトガC】、全姉ネクタリン【マイアミビーチH】、全弟ドッグパッチ【シェヴリンS】などを産んでいる。ネクタリンの牝系子孫には、北米首位種牡馬ディストーテッドユーモア、サーハリールイス【愛ダービー(愛GⅠ)】、ウェイトアホワイル【アメリカンオークス(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)2回】、ルッキンアットラッキー【プリークネスS(米GⅠ)・デルマーフューチュリティ(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅠ)・キャッシュコールフューチュリティ(米GⅠ)・ハスケル招待S(米GⅠ)】、日本で走ったチョウカイキャロル【優駿牝馬(GⅠ)】などがいる。また、本馬の全妹サマータイムの牝系子孫には、オイルロイヤリティ【ベルデイムS・サンタバーバラH・トップフライトH】、アルファベイティム【ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)・ハリウッドターフカップS(米GⅠ)2回】などがいる。

ローズリーヴスの半姉ラヴェンガンザ(父アバーコーン)の子にはネリーモス【プリークネスS・ピムリコオークス】がおり、その牝系子孫には多くの活躍馬がいるが、その詳細はネリーモスの項を参照してほしい。→牝系:F9号族②

母父バロットは現役成績38戦20勝(異説あり)。メイトロンS・サバーバンHなどを勝ち、1908・10年の2度にわたり米最優秀ハンデ牡馬に選ばれた。バロットの父ヴォーターは現役成績49戦26勝。3歳まで米で走ったが4歳時に英国に移籍、しかし結果が出ずに5歳時に米国に戻り8歳まで走った。主な勝ち鞍はメトロポリタンH・トボガンH・オーシャンSで、1899年には米最優秀ハンデ牡馬に選ばれた。ヴォーターの父フライアーズバルサムはハーミット直子で、2歳時にニューS・リッチモンドS・ジュライS・デューハーストプレート・ミドルパークプレートなど7戦全勝。しかし3歳時に口内に膿が溜まる症状に襲われ、1番人気の英2000ギニーでは惨敗。その後は英チャンピオンSを勝ったが、2歳時の圧倒的な強さが戻る事は無かった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は5歳時からカルメットファームで種牡馬入りした。本馬が種牡馬入りした数年後にカルメットファームの生産・所有馬だった米国三冠馬ワーラウェイもカルメットファームで種牡馬入りする事になった。ライト氏はワーラウェイに優秀な繁殖牝馬を集めようとしたが、当のワーラウェイを管理していたベン・ジョーンズ調教師(本馬の競走馬引退と入れ代わるようにカルメットファームの専属調教師となったため、競走馬時代の本馬には直接関与していない)が「ブルリーに優秀な繁殖牝馬を集めるべきです」と主張して譲らなかったため、ライト氏はそれに従った。

そしてジョーンズ師の眼力が正しかった事を本馬はすぐさま証明した。競走馬としての本馬は一流半といった程度だったが、種牡馬としては同世代を生きた一流馬達を遥かに凌駕する大成功を収めたのである。初年度産駒のトワイライトティアーが1943年の米最優秀2歳牝馬になり、翌1944年には3歳牝馬ながら米年度代表馬に輝く大活躍を示した。トワイライトティアーが引退すると、入れ代わりに初年度産駒のアームドが頭角を現し、1946・47年の米最優秀ハンデ牡馬騙馬と1947年の米年度代表馬を獲得。アームドの競走能力が衰え始めると、今度は5年目産駒が大爆発。この中から米国史上最強馬の1頭とされる1948年の米国三冠馬サイテーション、1949年の米年度代表馬コールタウン、1947年の米最優秀2歳牝馬及び1949年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれたビウィッチの3頭が出現。本馬のこの5年目産駒は単独の種牡馬の産駒としては米国競馬史上最強世代とも呼ばれている。その後も1949年の米最優秀3歳牝馬及び1950年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれたトゥーリー、1952年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれたリアルディライトという名牝2頭を輩出。ここまでで名前が挙がった産駒7頭は全て後に米国競馬の殿堂入りを果たした名馬ばかりである。それ以外にも数多くの活躍馬を出した本馬は、1947・48・49・51・52年と合計5回の北米首位種牡馬に輝き、米国有数の名門牧場カルメットファームの発展に最大級の貢献を果たした。377頭(376頭とも)の産駒のうち勝ち上がり馬は279頭で、勝ち上がり率は約74%。ステークスウイナーは58頭で、ステークスウイナー率は15.4%という高率だった。

本馬の産駒は自身と同じく骨格が頑丈で連戦にもよく耐え、気性面でも(アームドなど一部の例外を除いて)優れていた。しかし自身が有していた脚の湾曲を受け継いだ産駒も多く、いったん故障すると復活が困難という傾向があった。また、内臓面はあまり強くなかったようで、しばしば肺出血の症状を起こす産駒も少なくなかったという。繁殖牝馬の父としても優秀で、1958年のケンタッキーダービーとプリークネスSを制した米国顕彰馬ティムタム、1957年の米最優秀2歳牝馬及び1958年の米最優秀3歳牝馬に選ばれたイドゥンなどを出し、1958~61年に4年連続で北米母父首位種牡馬に輝いた。1964年6月に29歳で他界し、遺体はカルメットファームに埋葬された。本馬が埋められている場所には本馬の等身大の石像が建てられている。ケンタッキー州レキシントンにある馬の国際博物館においては、「サラブレッドの歴史上において最も偉大な種牡馬の1頭」として本馬を紹介している。

種牡馬として大きな成功を収めた本馬だが、サイテーションを筆頭とする後継種牡馬はことごとく失敗に終わり、直系を伸ばす事は出来なかった。しかし、本馬の血は牝駒トゥーリー、リアルディライト、ビウィッチを経由する牝系が発展した他、牡駒のブルページからフレーミングページ(ニジンスキーの母)が出た事などにより、現在にも絶大な影響を及ぼしている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1941

Armed

ピムリコスペシャル・サバーバンH・ワイドナーH2回・ディキシーH・ワシントンパークH2回・ガルフストリームパークH・スターズ&ストライプスH・アーリントンH

1941

Durazna

ブリーダーズフューチュリティS

1941

Harriet Sue

アッシュランドS・アーリントンメイトロンH

1941

Twilight Tear

アーリントンラッシーS・エイコーンS・ピムリコオークス・CCAオークス・アーリントンクラシックS・ピムリコスペシャル

1942

Bull Play

ベンアリH

1942

Good Blood

アーリントンメイトロンH・ヴァインランドH

1944

Faultless

プリークネスS・フラミンゴS・ブルーグラスS・ウィザーズS・ギャラントフォックスH

1945

Beau Dandy

加国際CSS

1945

Bewitch

アーリントンラッシーS・アッシュランドS・モデスティH・ヴァインランドH・ブラックヘレンH・ヴァニティH

1945

Citation

ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS・ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティ・アメリカンダービー・ジョッキークラブ金杯・ピムリコスペシャル・アメリカンH・ハリウッド金杯・セミノールH・エヴァーグレイズS・フラミンゴS・ジャージーS・スターズ&ストライプスH

1945

Coaltown

ブルーグラスS・ジェロームH・ガルフストリームパークH・ワイドナーH・アーリントンH・スターズ&ストライプスH・ワシントンパークH・ギャラントフォックスH

1946

Prophets Thumb

ディスカヴァリーH

1946

Two Lea

サンタマルガリータ招待H・ヴァニティH・ハリウッド金杯

1947

All Blue

サンアントニオH

1947

Bull Page

加国際CSS

1947

Next Move

CCAオークス・ガゼルH・ベルデイムH2回・レディーズH・ヴァニティH・プライオレスS・ラスフローレスH・フィレンツェH

1947

Picador

ブーゲンヴィリアH・ハイアリアターフCH

1948

Alerted

ファウンテンオブユースS・ジェロームH・ディスカヴァリーH・ディキシーH・サラトガC

1949

Fleet Bird

ゴールデンゲートH・アーゴノートH・サンセットH

1949

Hill Gail

ケンタッキーダービー・サンタアニタダービー・サンヴィンセントS

1949

Mark-Ye-Well

サンタアニタH・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー・ローレンスリアライゼーションS・サンタアニタマチュリティS・サンフェルナンドS・サンマルコスH・サンアントニオH・スターズ&ストライプスH

1949

Real Delight

ケンタッキーオークス・CCAオークス・ベルデイムH・アッシュランドS・ブラックアイドスーザンS・モデスティH・アーリントンメイトロンH2回

1950

Bubbley

ケンタッキーオークス・ヴァニティH

1950

Chanlea

サンタアニタダービー・サンヴィンセントS

1950

Lap Full

デルマーデビュータントS・サンタイネスS

1950

Level Lea

ジョッキークラブ金杯・ディスカヴァリーH

1950

Spinning Top

ブラックアイドスーザンS・ヴァインランドH

1951

Miz Clementine

カリフォルニアダービー・シネマH・ハネムーンH・ハリウッドオークス・ラスフローレスH・ヴェイグランシーH

1952

Amoret

ブラックヘレンH

1954

Gen. Duke

エヴァーグレイズS・ファウンテンオブユースS・フロリダダービー

1954

Iron Liege

ケンタッキーダービー・ジャージーS

1954

Rosewood

スワニーリヴァーH・ブラックヘレンH

1957

Yorky

ワイドナーH2回

1958

Beau Prince

トラヴァーズS・ファウンテンオブユースS・アメリカンダービー・ランプライターH・ナッソーカウンティH・ミシガンマイル&ワンエイスH

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