リアルディライト

和名:リアルディライト

英名:Real Delight

1949年生

鹿毛

父:ブルリー

母:ブルーディライト

母父:ブルーラークスパー

ケンタッキーオークス・ブラックアイドスーザンS・CCAオークスを制して米国牝馬三冠馬となり繁殖入り後に名門カルメットファームを支える優秀な牝系を構築する

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績15戦12勝2着1回

誕生からデビュー前まで

米国の名門カルメットファームの生産・所有馬で、父はカルメットファームの誇る大種牡馬ブルリー、母はカルメットファームが購入した名牝ブルーディライトであった。母ブルーディライトも体高16ハンドを超える牝馬としては大きな馬だったが、本馬は母以上に大きくて脚が長い馬で、成長すると体高17ハンドにもなった。カルメットファームの期待も大きく、既に老齢だった同牧場の所有者ウォーレン・ライト氏(本馬が1歳時の1950年12月に75歳で死去)に代わって1948年から牧場の経営者も兼ねていた同牧場の専属調教師ベンジャミン・ジョーンズ氏自身が管理調教師となった(もっともジョーンズ氏は牧場経営で忙しかったようで、実際には彼の息子ホレース・ジョーンズ調教師が管理していた)。しかし本馬は大きな身体が災いして脚部不安に悩まされており、2歳時はデビュー戦直前の調教で膝を故障し、結局一戦も出来ないまま終わった。

競走生活(3歳前半)

3歳になってようやくデビューを果たした。主戦は本馬より4歳年上だったカルメットファーム最大の大物サイテーションの主戦として米国三冠を達成したエディ・アーキャロ騎手が務めた。まずは初戦となったオプショナルクレーミング競走を楽勝。次走の一般競走も勝利すると、続いて分割競走アッシュランドS(D6F)に出走して、2着アーヴェイに5馬身差をつけて圧勝した。デビュー4戦目の一般競走では頭差の2着に敗れた。このレースの敗因は、本馬にとって生涯唯一の牡馬混合戦だった事に加えて、ダート6.5ハロンという距離が、脚が長いためにスタート直後の加速力に欠ける本馬には向いていなかったからだと言われている。実際にゴール前で繰り出した末脚は印象的なものであり、距離が伸びれば問題無いと思われた。

そして次走のケンタッキーオークス(D8.5F)では、同じカルメットファームの生産・所有馬だったワーラレア(父がやはりカルメットファーム産の米国三冠馬ワーラウェイで、母系はプリークネスSを勝った名牝ネリーモスの曾孫に当たる良血馬だった。自身も1987年のベルモントS勝ち馬ベットトゥワイスの4代母となっている)を2着に破って勝利。

それから8日後に出走したブラックアイドスーザンS(D9F)は前年までピムリコオークスの名称で施行されていた競走であり、メリーランド州のオークスに相当するレースだった。本馬はこのレースも2着ダインワイズリー以下に勝利した。

その後は今日のニューヨーク牝馬三冠競走第1戦であるエイコーンSには向かわなかった。その理由は簡単で、後にニューヨーク牝馬三冠競走第2戦に位置付けられるマザーグースSの創設が5年後の1957年であり、まだこの段階ではニューヨーク牝馬三冠競走なる路線は存在していなかったためである。ちなみに本馬不在のエイコーンSは、ブラックアイドスーザンSで3着だったパレーディングレディ(後にヴォスバーグHなどを勝っており短距離戦では牡馬に引けをとらない実力の持ち主だった)が勝っている。

一方の本馬はブラックアイドスーザンSから2週間後のCCAオークス(D11F)に出走して、エイコーンSで3着だった後のアラバマS勝ち馬リリーホワイトを2着に破って勝利。これで本馬はケンタッキー州・メリーランド州・ニューヨーク州のオークス3戦全てを制覇した事になったが、上記3州は言うまでもなく米国三冠競走3戦が行われる場所であり、この当時は米国三冠競走と同じ競馬場で施行されるケンタッキーオークス・ブラックアイドスーザンS・CCAオークスの3競走を総称して米国牝馬三冠競走“National Triple Tiara”と呼称していた。この3競走を全て制覇したのは、1949年のウィストフル(ちなみにこの馬もカルメットファームの生産・所有馬だった)に次いで3年ぶり史上2頭目の快挙だった。

競走生活(3歳後半)

その後はアーリントンパーク競馬場に向かい、6月のクレオパトラS(D6F)に出走。このレースは基本的にマイル戦だったが、前年とこの年だけは6ハロン戦だった。本馬にとってあまり得意とは言えない距離だったが、それでも2着リカバー以下に勝利を収めた。翌月のアーリントンメイトロンH(D8F)では距離面の不安も無くなり、クレオパトラSで3着だったベラフィギュラを2着に、ワーラレアを3着に蹴散らして勝利した。さらに11日後にはモデスティH(D8F)に出走。前年の同競走勝ち馬でハリウッドラッシーS・アッシュランドS・アーリントンメイトロンHも勝っていたシックルズイメージという1歳年上の強敵が出現したが、本馬がシックルズイメージを2着に破って勝利した。次走のビヴァリーH(D8F)でもシックルズイメージとの対戦となったが、本馬が2着エステート以下に勝利を収めた。勝ちタイム1分34秒8はレースレコードだった。

3歳最後のレースとなったベルデイムS(D9F)では、本馬より2歳年上でメイトロンS・セリマS・デモワゼルS・ローレンスリアライゼーションS・ヴァインランドH・サンタマルガリータ招待Hなどを勝っていた前年の米最優秀ハンデ牝馬ベッドオローゼズ、やはり本馬より2歳年上でプライオレスS・CCAオークス・ガゼルH・ベルデイムH・レディーズH・ヴァニティH・ラスフローレスH・フィレンツェHを勝っていた一昨年の米最優秀3歳牝馬ネクストムーヴ、本馬と同世代のカルメットファーム産馬でミレイディH・シネマH・ハリウッドオークス・ウェスターナーSを勝っていたアグリーム、米国顕彰馬ブラックヘレンの孫で1947年の米最優秀3歳牝馬バットホワイノットの全妹に当たる後のトップフライトH勝ち馬リニュー、モリーピッチャーH・レディーズH・ヴェイグランシーHを勝っていたマータ、モンマスオークスの勝ち馬ラコレドラといった当時の米国を代表する名牝達が揃って出走登録しており、名勝負が期待された。しかしこの年のベルデイムSは出走馬が多すぎて分割競走となり、本馬とアグリームが同じ競走、ベッドオローゼズとネクストムーヴは別の競走に割り振られてしまった。本馬とアグリームは同じカルメットファーム所有馬だったが、ベッドオローゼズとネクストムーヴの2頭も同じアルフレッド・ヴァンダービルト・ジュニア氏の所有馬であり、米国競馬ファンにとっては何とも興を削がれる割り振りだった(馬主がどのように思っていたかは定かではない)。先に行われたレースでは、ネクストムーヴがベッドオローゼズを破って勝利。次に行われたレースでは、本馬がアグリームを破って勝利した。本馬はこの年12戦11勝の成績で、米最優秀3歳牝馬に加えて、ネクストムーヴと並んで米最優秀ハンデ牝馬にも選出された。

競走生活(4歳時)

翌4歳時も現役を続けたが、どのレースでもトップハンデが課せられるようになり、苦戦を強いられることが増えた。まずは初戦でいきなり生涯初の着外に敗れて連勝が8で止まってしまった。次走のアーリントンメイトロンH(D8F)では、アーリントンラッシーS勝ち馬フルバスを2着に、前年の同競走2着馬ベラフィギュラを3着に破って2連覇を達成。しかし次走では2度目の着外を喫し、4歳時3戦1勝の成績で引退した。

血統

Bull Lea Bull Dog Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
Rose Leaves Ballot Voter Friar's Balsam
Mavourneen
Cerito Lowland Chief
Merry Dance
Colonial Trenton Musket
Frailty
Thankful Blossom Paradox
The Apple
Blue Delight Blue Larkspur Black Servant Black Toney Peter Pan
Belgravia
Padula Laveno
Padua
Blossom Time North Star Sunstar
Angelic
Vaila Fariman
Padilla
Chicleight Chicle Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Lady Hamburg Hamburg
Lady Frivoles
Ruddy Light Honeywood Polymelus
Honey Bird
Washoe Belle Sweep
Grace Commoner

ブルリーは当馬の項を参照。

母ブルーディライトは現役成績24戦10勝。ケンタッキー州の馬産家ジョン・マーシュ氏の生産・所有馬だった。前述のとおり牝馬としては大柄な馬で、跳びは大きく、また青鹿毛の端整な馬体を有し、全脚にストッキングを履いた美しい馬だったという。2歳時にジュリエットS・アーリントンワシントンラッシーSを勝ったが、脚首の故障により長期休養を強いられ、復帰後の3歳時も満足な成績を挙げられなかった。しかし4歳になり復活し、アーリントンメイトロンH・シンデレラH・クレオパトラH・プリンセスパットHを勝利した。その後屈腱炎を発症したため競走馬を引退、マーシュ氏の元で繁殖入りしたが、マーシュ氏が間もなく馬産から手を引いたため、最終的にカルメットファームにやって来た。

ブルーディライトは繁殖牝馬としても非常に優秀な成績を収め、半馬の全兄オールブルー【サンアントニオH】、本馬の1歳下の全妹バブリー【ケンタッキーオークス・ヴァニティH】、半妹プリンセスタリア(父ヘリオポリス)【ケンタッキーオークス・エイコーンS・デラウェアH・ブラックアイドスーザンS】、全弟ケンタッキープライド【ロイヤルポインセチアH】などを産んだ。こうして実に3頭のケンタッキーオークス馬の母となったブルーディライトは、1966年に28歳で他界した。

プリンセスタリアの子には、1968年の米最優秀3歳牡馬フォワードパス【ケンタッキーダービー・プリークネスS・エヴァーグレイズS・フロリダダービー・ブルーグラスS・アメリカンダービー】がいる。また、ブルーディライトの半姉ワーリングラーク(父ワーラウェイ)の曾孫には、エルセニョール【ハイアリアターフカップH(米GⅠ)・ボーリンググリーンH(米GⅠ)・ソードダンサーH(米GⅠ)2回】がいる。→牝系:F9号族③

母父ブルーラークスパーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のカルメットファームで繁殖入りした。生涯で10頭の産駒を産み、そのうち9頭が勝ち上がった。そのうち、牝駒プラムケーキ(父ポンダー)【ジャスミンS】、牡駒ノーフーリング(父トムフール)【サンランドパークH】、牝駒スプリングサンシャイン(父ナシュア)【ゴールデンロッドS】の3頭がステークスウイナーとなったが、本馬自身の競走成績を超える馬は直子からは出なかった。しかし、本馬の牝系からは活躍馬が続出し、米国有数の名門牝系としてカルメットファームを支え続けた。

最も牝系の繁栄に貢献したのはプラムケーキである。プラムケーキの子には、シュガープラムタイム【マスケットH(米GⅡ)・フィレンツェ(米GⅡ)】が、孫にはアワーミムズ【CCAオークス(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)】、アリダー【サプリングS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・フラミンゴS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、シュガーアンドスパイス【マザーグースS(米GⅠ)】、クリスマスパスト【CCAオークス(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)】が、玄孫世代以降には、エルムハースト【BCスプリント(米GⅠ)】、グランドスラム【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、コンティニュアスリー【ハリウッドターフカップS(米GⅠ)】、クリスマスキッド【アッシュランドS(米GⅠ)】などが出ている。

また、競走馬としては30戦4勝とあまり活躍できなかった本馬の牝駒ヘリオライト(父ヘリオスコープ)の曾孫にはコーデックス【プリークネスS(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)・ハリウッドダービー(米GⅠ)】が、玄孫世代以降には、オラトリオ【ジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、日本で活躍したスティンガー【阪神三歳牝馬S(GⅠ)】が出ている。

スプリングサンシャインの牝系子孫からも、ピーティーズグレイイーグル【エインシェントタイトルBCH(米GⅠ)】、リエゾン【キャッシュコールフューチュリティ(米GⅠ)】が出ている。

また、本馬の牡駒ボールドアンドエイブル(父ボールドラッド)は競走馬としては10戦5勝でステークス競走も無かったが、血統が評価されて日本に種牡馬として輸入され、セーヌスポート、ニチドウアラシ、カズシゲなどの中央競馬重賞勝ち馬を出した。

本馬は1969年にカルメットファームにおいて20歳で他界したが、1987年に米国競馬の殿堂入りを果たした。この2年後の1989年には曾孫のアリダーも米国競馬の殿堂入りを果たしたが、その翌年にアリダーは謎の死を遂げ、その後間もなくカルメットファームは破産した。

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