トゥーリー

和名:トゥーリー

英名:Two Lea

1946年生

鹿毛

父:ブルリー

母:トゥーボブ

母父:ザポーター

慢性的な脚部不安と戦いながら牡馬相手のハリウッド金杯などを勝った名牝は繁殖牝馬としても一流の成績を残す

競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績26戦15勝2着6回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州の名門牧場カルメットファームの生産・所有馬。カルメットファームの専属調教師ホレース・A・“ジミー”・ジョーンズ師に預けられたが、1歳時に蹄の近くに大きな骨瘤ができていたために歩様が不安定であり、調教開始は遅れてしまい、調教自体もあまり上手く進まなかったようである。

競走生活(3歳前半まで)

カルメットファームの所有馬としてはデビューが遅めで、2歳8月にワシントンパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦が初戦となったが、トップホープの1馬身差3着に敗退。翌月のベルモントパーク競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦も3/4馬身差の3着に敗れた。それから4日後に出走したベルモントパーク競馬場ダート6ハロンの未勝利戦では2着オチタに4馬身差をつけて勝ち上がった。しかしこの後に脚部不安が悪化したために、残りの2歳シーズンは全て棒に振ってしまい、2歳時の成績は3戦1勝に終わった。

3歳時は4月にハヴァードグレイス競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走で、主戦となるスティーヴ・ブルックス騎手を鞍上に復帰した。牡馬相手のレースだったが、直線で鋭い伸びを見せて、2着ギャンブラーを鼻差で差し切った。

通常ならばこの後はケンタッキーオークスやCCAオークスなどが目標になるのだが、本馬の同世代同厩馬には、やはりカルメットファームの生産・所有馬だったウィストフルという有力牝馬がいた。そこで陣営はウィストフルを表舞台に向かわせることにして、本馬は裏街道を進む事になった。

その後は、ウィストフルが勝ったCCAオークスと同じ5月28日に同じベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出て、ケンタッキーオークスでウィストフルの3着してきた後のテストSの勝ち馬レディドリマーを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。翌6月にはアーリントンパーク競馬場に向かい、初のステークス競走となるプリンセスドリーンS(D6F)に出走した。ここでは2番手で直線を向くと、2着ノーストリングスに1馬身1/4差、3着となったアーリントンラッシーS2着馬アルサブズデイにはさらに8馬身差をつけて勝利した。引き続きアーリントンパーク競馬場に留まり、翌7月上旬のモデスティH(D6F)に出走した。これは古馬牝馬相手のレースだった。しかしここで本馬の前に立ち塞がったのは古馬ではなく、前走で本馬に敗れたノーストリングスであり、ノーストリングスに雪辱された本馬は半馬身差の2着に敗れた。ただし、斤量は本馬よりノーストリングスのほうが10ポンドも軽く、実力による結果というわけではなかった。

競走生活(3歳後半)

同月下旬にアーリントンパーク競馬場で出走したクレオパトラS(D8F)には、デモワゼルSの勝ち馬ライズに加えて、ケンタッキーオークス・ピムリコオークス・CCAオークスを勝ってきたウィストフルも参戦してきて、実戦における2頭の初対戦となった(調教では何度か一緒に走っていたはずである)。しかし直線入り口で後続に5馬身差をつけた本馬が、ゴール前では流して走り、2着ライズに2馬身差、3着ウィストフルにはさらに首差をつけて勝利を収め、その実力はウィストフルと互角かそれ以上である事を示した。

翌8月にワシントンパーク競馬場で出走したアートフルS(D7F)では馬群の最後方に陣取り、レース終盤で怒涛の追い込みを見せて差し切り、2着となったワールズプレイグラウンンドSの勝ち馬でピムリコオークス2着のイマコミンに1馬身半差をつけて勝利した。勝ちタイム1分21秒8はコースレコードであり、世界レコードより0秒4遅いだけという優秀なものだった。しかしその後に骨瘤の状態が悪化したため、秋シーズンは全休となった。

復帰は12月末に米国西海岸のサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走となった。このレースでは、アーリントンクラシックS・エイコーンS・ピムリコオークス・アラバマS・アーリントンメイトロンH・ベルデイムH・トップフライトH・フィレンツェHを勝ちこの年のサバーバンHでも2着していた一昨年の米最優秀3歳牝馬及び米最優秀ハンデ牝馬バットホワイノット、前年のガゼルHを勝っていたスウィートドリームという強敵2頭が対戦相手となった。しかし本馬がスウィートドリームを頭差の2着に、バットホワイノットを3着に退けて勝利した。3歳時の成績は7戦6勝2着1回で、裏路線を進んだにも関わらず、ウィストフルとこの年の米最優秀3歳牝馬の座を分け合った。

競走生活(4歳時)

4歳時はそのままサンタアニタパーク競馬場に留まり、前走から1週間後のダート7ハロンのハンデ競走に出走。このレースにはスカイラヴィルS・セリマS・レディーズHの勝ち馬でエイコーンS2着のギャフェリーも出走しており、しかも斤量は本馬がギャフェリーより6ポンド重かったが、本馬がギャフェリーを首差の2着に抑えて勝利した。それから9日後のサンタマルガリータH(D9F)では、126ポンドのトップハンデとなった。しかも馬場状態は不良であり、厳しい戦いが予想されたが、2着ギャフェリーと3着バットホワイノットに2馬身差をつけて勝利した。

それから2週間後のサンタアニタマチュリティS(D10F)では、初めて牡馬と対戦した。最大の強敵は本馬とは同馬主同厩で、前年のケンタッキーダービー・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー・ジョッキークラブ金杯を勝ちベルモントSで2着していた同世代トップクラスの牡馬ポンダーだった。ブルックス騎手がポンダーに騎乗したために最初で最後の騎乗となるエディ・アーキャロ騎手とコンビを組んだ本馬は、僅かにリードした状態で直線に入ってきたが、ポンダーに差されて1馬身差の2着に敗れた。しかし牡馬相手でも好走できる実力を有する事を証明した。ちなみにこのサンタアニタマチュリティSはストラブSと名称と変えて現在も続いているが、牝馬が勝った事はなく、本馬の2着が牝馬最高成績のままである(5年後の1955年にも本馬の5歳年下の全妹ミズクレメンティーンが2着している)。

次走のサンタアニタH(D10F)ではポンダーに加えて、本馬より1歳年上で同馬主同厩の米国三冠馬サイテーションと戦う事になった。結果はこの時点では無名だったこの年の米最優秀ハンデ牡馬ヌーアが勝ち、サイテーションが1馬身1/4差の2着、本馬はサイテーションに1馬身差まで迫る3着と健闘した(ポンダーは4着)。斤量的には、サイテーションの132ポンドに対して本馬は113ポンド(ちなみにヌーアは110ポンド)であり、かなり恵まれてはいたが、それでもこの年に数々の激闘を演じる事になるヌーアとサイテーションの2頭相手にこの着差なら褒められるべきであろう。しかしこの激走が祟ったのか骨瘤の状態が悪化し、しばらく休養となった。

7月にアーリントンパーク競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走で復帰したが、7ポンドのハンデを与えたポーターズブルームの半馬身差2着に敗退。その後に再び骨瘤の状態が悪化し、この年の出走はこれが最後となった。4歳時は5戦2勝の成績に留まったが、強豪牡馬相手の健闘も評価されて、この年の米最優秀ハンデ牝馬に選出された。

競走生活(5・6歳時)

しかし骨瘤の状態はなかなか治らず、5歳になってもレースに復帰できなかった。結局本馬が再度競馬場に姿を現したのは6歳5月のことで、前走から1年9か月も経過していた。この年からは本馬の主戦はH・モレノ騎手が務めることになった。復帰戦は西海岸のゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走となったが、ここではモハメダンの5馬身1/4差5着に敗れた。しかし12日後に出走したハリウッドパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走では2着ラフランザに1馬身1/4差で勝利を収め、サンタマルガリータH以来2年4か月ぶりの勝ち星を挙げた。それから10日後に出走した同コースの一般競走では、2歳年下の同馬主同厩馬ジェニーリー(ケンタッキーオークス・エイコーンSを勝った名牝ネリーエルの娘)の首差2着だった。その1週間後に出走した新設競走ミレイディH(D7F)では、1944年の米年度代表馬に選ばれたカルメットファーム自慢の名牝トワイライトティアーの娘アグリーム、翌年のサンタマリアH・サンタマルガリータ招待Hを勝つスパニッシュクリーム、久々の顔合わせとなるウィストフルとの対戦となった。結果はアグリームが勝利を収め、本馬は2馬身半差の2着だった。

翌6月に出走したヴァニティH(D8.5F)では、ジェニーリー、ミレイディHで5着だったウィストフルとの同馬主同厩馬決戦となった。斤量はウィストフルより本馬のほうが10ポンドも重かったのだが、2着ウィストフルと3着ジェニーリーに1馬身1/4差をつけて勝利した。2週間後のイングルウッドH(D8.5F)では、前年の同競走を勝っていたサンタアニタダービー2着馬スターディーワン、ストーミークラウド、アドミラルドレイクの3頭の牡馬に屈して、勝ったスターディーワンから3馬身1/4差の4着に敗れた。翌7月のラモナH(D6F)では、アーリントンラッシーSの勝ち馬でハリウッドオークス2着のプリンセスリギア、ハリウッドオークス・サンタスサナSの勝ち馬ルースリリーとのゴール前の接戦を制して、2着同着となった他2頭に1馬身差をつけて勝利した。

1週間後のハリウッド金杯(D10F)では、13ポンドのハンデを貰った同馬主同厩の牡馬サイクロトロンと直線で大激戦を演じた末に、2分00秒2の好タイムを計時して、サイクロトロンを半馬身差の2着に、スターディーワンを3着に破って勝利した。

その後は少し間隔を空けて、10月にベイメドウズ競馬場で行われたサンマテオH(D8F)に出走。127ポンドのトップハンデだったが、2着ダナエに半馬身差、3着ウィストフルにはさらに首差をつけて勝利した。続くチルドレンズホスピタルH(D8.5F)では、前年のサンタアニタHを筆頭にベイメドウズH2回・サンタカタリナH・サンパスカルH・サンディエゴHを勝っていたムーンラッシュ、ウェスターナーS・デルマーダービーを勝っていたグラントールといった牡馬騙馬勢との対戦となったが、122ポンドのトップハンデが課せられたのは本馬だった。しかし2着ムーンラッシュに半馬身差をつけて、1分41秒6のコースレコードで勝利した。

しかし次走ベイメドウズH(D10F)では、同競走を既に2勝していたムーンラッシュに11ポンドのハンデを与える羽目になってしまい、半馬身差をつけられて2着に敗退。これが現役最後のレースとなった。6歳時11戦6勝の好成績を残した本馬だが、ベルデイムS・フィレンツェH・ベイショアHを勝ちサンタマリアH・サンタマルガリータHで2着したネクストムーヴに米最優秀ハンデ牝馬の座は譲った。

慢性的脚部不安を抱えており、現役中に何度も長期休養を余儀なくされた本馬だが、レースに出る時期は比較的厳しい日程で走っている。ジョーンズ師のこのやり方は、今日のトップクラスの調教師とは異なっているが、それに耐えられたからこそ本馬は一流馬になれたのだとする論調もある。

血統

Bull Lea Bull Dog Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
Rose Leaves Ballot Voter Friar's Balsam
Mavourneen
Cerito Lowland Chief
Merry Dance
Colonial Trenton Musket
Frailty
Thankful Blossom Paradox
The Apple
Two Bob The Porter Sweep Ben Brush Bramble
Roseville
Pink Domino Domino
Belle Rose
Ballet Girl St. Leonards St. Blaise
Belladonna
Cerito Lowland Chief
Merry Dance
Blessings Chicle Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Lady Hamburg Hamburg
Lady Frivoles
Mission Bells Friar Rock Rock Sand
Fairy Gold
Sanctuary Broomstick
Vespers

ブルリーは当馬の項を参照。

母トゥーボブは1936年のケンタッキーオークス勝ち馬だが、その後も6歳時まで頑健に走り通算94戦12勝という成績を残した。その産駒には本馬の全姉トゥーズィー【サガモアS・キャロルH・コロニアルH】、全妹ミズクレメンティーン【カリフォルニアダービー・シネマH・ハネムーンH・ハリウッドオークス・ラスフローレスH・ヴェイグランシーH】もいる。

後述するとおりに本馬もトゥーボブの牝系子孫を発展させる活躍を見せるが、トゥーズィーやミズクレメンティーンもトゥーボブの牝系子孫を発展させている。

トゥーズィーの曾孫には1974年のニューヨーク牝馬三冠馬クリスエヴァート【エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】がおり、そのクリスエヴァートの孫にはチーフズクラウン【トラヴァーズS(米GⅠ)・BCジュヴェナイル(米GⅠ)・ホープフルS(米GⅠ)・カウディンS(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・マールボロC招待H(米GⅠ)】とクラシッククラウン【フリゼットS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)】が、曾孫にはテーツクリーク【ゲイムリーS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】、サイトシーク【ベルデイムS(米GⅠ)2回・ヒューマナディスタフH(米GⅠ)・オグデンフィップスH(米GⅠ)2回・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】などが、玄孫にはスペシャルデューティ【英1000ギニー(英GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)】がいる。クリスエヴァートとその子孫以外のトゥーズィーの牝系子孫出身馬には、ウイニングカラーズ【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・サンタアニタオークス(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)】、日本で走ったタップダンスシチー【ジャパンC(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)】、ディープスカイ【東京優駿(GⅠ)・NHKマイルC(GⅠ)】などがいる。

ミズクレメンティーンの孫にはベストターン(ニューヨーク牝馬三冠馬ダヴォナデイルの父)【ヴォスバーグS】が、牝系子孫には日本で走ったユートピア【全日本2歳優駿(GⅠ)・ダービーグランプリ(GⅠ)・マイルCS南部杯(GⅠ)2回】などがいる。→牝系:F23号族②

母父ザポーターはスウィープ産駒で、アーヴルドグレイスH・インオーギュラルH・ハーフォードカウンティH・ローレルH・アナポリスH・ブルーアンドグレイハイウェイトHなどを制した中堅ハンデキャップホース。種牡馬としてはサンタアニタHの勝ち馬ローズモントなどを出している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のカルメットファームに戻って繁殖入りした。本馬は繁殖牝馬としても優秀な成績を収め、米国顕彰馬に選ばれた2番子の牡駒ティムタム(父トムフール)【ケンタッキーダービー・プリークネスS・フラミンゴS・フロリダダービー・エヴァーグレイスS・ファウンテンオブユースS】、3番子の牡駒オンアンドオン(父ナスルーラ)【ブルックリンH・オハイオダービー・シェリダンS・アーチワード記念H・オレンジボウルH・マクレナンH・トロピカルパークH】、4番子の牡駒ピエドール(父ナスルーラ)【カムデンS・ポーモノクH・プリンストンH】などを産んだ。

ティムタムは父として米国顕彰馬トスマー、母父としてニューヨーク牝馬三冠馬ダヴォナデイル、英2000ギニー馬ノウンファクトなどを出し、オンアンドオンも父としてケンタッキーダービー・プリークネスSの勝ち馬フォワードパス、母父としてアリダーを出し、本馬の血を後世に伝えている(ダヴォナデイルの父ベストターンは本馬の全妹ミズクレメンティーンの孫であるから、ダヴォナデイルの血統表には、本馬とミズクレメンティーンの全姉妹クロスがある)。

それ以外に日本において忘れてはいけないのは、8番子の牝駒モンアング(父トムフール)の曾孫である1982年の優駿賞最優秀五歳以上牝馬スイートネイティブ【安田記念・七夕賞・牝馬東京タイムズ杯】、玄孫であるスイートミトゥーナ【クイーンC(GⅢ)】、そしてモンアングから6代目に登場した二冠馬セイウンスカイ【皐月賞(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・京都大賞典(GⅡ)・日経賞(GⅡ)・札幌記念(GⅡ)】であろう。こうしてみると、本馬の血を引く馬は日本でも結構走っていることが分かる。

本馬は1973年に27歳で他界して、遺体はカルメットファームに埋葬された。その後の1982年に、本馬は競走成績と繁殖成績の両方が評価されて、米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第77位。

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