パーソロン

和名:パーソロン

英名:Partholon

1960年生

鹿毛

父:マイリージャン

母:パレオ

母父:ファリス

七冠馬シンボリルドルフや天皇賞3代制覇の初代メジロアサマを筆頭に数々の優駿を送り出した日本競馬史上屈指の大種牡馬

競走成績:2・3歳時に愛英で走り通算成績14戦2勝2着5回3着1回

皇帝シンボリルドルフ、天皇賞3代制覇の初代メジロアサマなど数々の名馬を送り出し、1970年代から1980年代にかけて日本競馬をリードした大種牡馬。

誕生からデビュー前まで

愛国産馬で、A・B・ビドル夫人という人物の所有馬となり、T・ショウ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳8月にカラー競馬場で行われたリーS(T6F)でデビューして2着。2戦目のアングルシーS(T6F63Y)では、フィルモンの2馬身差2着だった。ちなみにこのフィルモンは後に愛セントレジャー3着、グッドウッドC3着などの成績を残すと、ネヴァーセイダイ産駒という事もあって後に日本に種牡馬として輸入され、阪神三歳Sなど重賞5勝の名牝ラフォンテースなどを出して成功している。

3戦目は愛国最大の2歳戦である愛ナショナルS(T7F)となった。このレースでは、加国際CSSの勝ち馬マルティーニやカンバーランドロッジS・ジョンポーターSの勝ち馬ホットブランデーの半弟に当たるモリノという馬が本命視されていた。しかし本馬がモリノを2着に、後に米国でマンノウォーSを勝利するレイルウェイSの勝ち馬ターボジェットを3着に下し、この大一番で初勝利を挙げた。

続いて英国に遠征し、タイムフォーム金杯(T8F・現レーシングポストトロフィー)に参戦した。ここでは、この年の英最優秀2歳牝馬に選ばれる後の英オークス馬ノーブレスが勝利を収め、本馬は3馬身差の2着だった。しかしロイヤルロッジSの勝ち馬スターモス(後の英セントレジャーでラグーザの2着している)は3/4馬身差の3着に抑え込んだ。

2歳時は4戦1勝2着3回の成績だったが、戦績を見れば分かるとおり、この年の愛国2歳馬でも上位に位置する存在だった。英タイムフォーム社のレーティングは128ポンドであり、サラマンドル賞を8馬身差、仏グランクリテリウムを4馬身差で圧勝して133ポンドの評価を得た同世代トップのフラダンサー(3歳時に英1000ギニー・ジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞・英チャンピオンSを勝っている)からは5ポンド差で、この年の欧州2歳馬勢では5位タイ、愛国調教馬ではトップの評価を得た。

競走生活(3歳時)

3歳時は、レパーズタウン2000ギニートライアルS(T8F)から始動したが、まさかの着外。愛2000ギニーは断念して目標を愛ダービーに切り替えた。愛ダービーに向けて距離に慣れるために出走したバリモスS(T12F)では、ナルドーの2着。次走のウィルズゴールドフレークS(T12F)では着外。

それでも愛ダービー(T12F)には参戦した。レース直前になって英ダービー・仏2000ギニーの勝ち馬レルコが出走を取り消したため、英ダービー3着馬ラグーザ、ガリニュールSを勝ってきたヴィクモシュロワ、グラッドネスS・チェスターヴァーズの勝ち馬クリスマスアイランドなどが主な対戦相手となった。レースはクリスマスアイランドが逃げて、本馬が先行する展開となった。直線に入ると本馬がいったん先頭に立ったのだが、ここから後続馬に飲み込まれて、後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英セントレジャー・エクリプスSなどを勝って歴史的名馬の称号を得るラグーザの6着に敗れた。

次走のロイヤルホイップS(T12F)では、前年の愛セントレジャー2着馬ノスロイヤリステスの2着に頑張った。英国に移動して出走したエボアH(T14F)では単勝オッズ17.67倍の低評価ながら、106ポンドという軽量を活かして先行し、前年の愛セントレジャー馬アークティックヴェイル(この馬も後に日本で種牡馬入りしているが失敗に終わっている)を頭差の2着に抑えて勝利。元々本馬の血統は早熟の短距離系と思われていただけに、愛セントレジャーと同じこの距離での好走は意外だったと思われる。

そのため本馬は同距離の愛セントレジャー(T14F)に出走した。しかし結果は愛ダービーで着外だったクリスマスアイランドが勝利を収め、愛オークス3着馬アシャヴァンが2着、前述のフィルモンが3着で、本馬は4着に敗れた。愛国クラシック競走が終わった後も休むことなく、さらに距離が長いシザレウィッチH(T18F)に出走したが、ノーザンバーランドプレートの勝ち馬ウトリロ(南アフリカの歴史的名馬ハワイの父ウトリロとは同名の別馬)の着外。トライゴS(T12F)では、愛セントレジャーで本馬に先着する2着だった牝馬アシャヴァンに敗れて2着。セカンドノーベンバーHで着外に終わったのを最後に、3歳時10戦1勝の成績で競走馬を引退した。

英タイムフォーム社のレーティングは119ポンドで、同世代トップのラグーザ(137ポンド)からは遥かに下だった。確かに距離が伸びても健闘はしたが、結果だけ見ると、やはり仕上がり早い短距離馬という評価が妥当なところだった。

血統

Milesian My Babu Djebel Tourbillon Ksar
Durban
Loika Gay Crusader
Coeur a Coeur
Perfume Badruddin Blandford
Mumtaz Mahal
Lavendula Pharos
Sweet Lavender
Oatflake Coup de Lyon Winalot Son-in-Law
Gallenza
Sundry Sunstar
Queen's Company
Avena Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
Paleo Pharis Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Carissima Clarissimus Radium
Quintessence
Casquetts  Captivation
Cassis 
Calonice Abjer Asterus Teddy
Astrella
Zariba Sardanapale
St. Lucre
Coronis Tourbillon Ksar
Durban
Heldifann Durbar
Banshee

父マイリージャンはマイバブーの直子で、現役成績は13戦4勝。主な勝ち鞍はインペリアルプロデュースS・テトラークSという早熟の短距離馬だった。種牡馬としては本馬を含めて23頭のステークスウイナーを出し、1966年の英愛2歳首位種牡馬にもなった。

母パレオは不出走馬だが、生産者は仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏である。パレオは、本馬の1歳年上の全兄ミステリー(愛ナショナルS勝ちなど26戦4勝)、8歳年下の全弟ペール(2戦未勝利。なお正式名は“The Pale”だが、日本では“The”を外して登録されている)、10歳年下の全弟マイフラッシュ(不出走)も産んでいる。なお、ここに挙げた本馬の兄弟3頭は全て後に日本に種牡馬として輸入されている。ペールは公営競馬の活躍馬を複数出したが、他の2頭は鳴かず飛ばずに終わった。

パレオの全兄シェイカーはヴィシー大賞の勝ち馬で、パレオの母キャロニスはミネルヴ賞の勝ち馬。キャロニスの半妹にはサラミス【アスタルテ賞】、半弟にはイロール【トーマブリョン賞】とアンフィス【ヴィシー大賞】がいる。キャロニスの母コロニスは名種牡馬トウルビヨンの娘だが、コロニスの母エルディファンはトウルビヨンの母ダーバンの全妹であるから、コロニスは人間で言えば叔母と甥の間に産まれた子である。ブサック氏がしばしば用いた危険配合(コロネーションの項を参照)であるが、それでもコロニスはキャロニスなど多くの活躍馬を産んだわけだから、血が濃すぎると繁殖能力に弊害が出るという説の反例になっている。本馬の直系先祖もトウルビヨンであるわけだが、この代になると比較的血が薄れており、本馬の5代血統表内にあるトウルビヨンは4×4という比較的穏当なクロスである(もっとも、他にもファロスの3×5やブランドフォードの4×5のクロスもあるのだが)。

コロニスの半姉ジェジマの子にはプリアム【仏グランクリテリウム・ジャックルマロワ賞・イスパーン賞】、ジェダー【エクリプスS・英チャンピオンS】、ファラオ【フォレ賞】、孫にはコレジャダ【仏1000ギニー・愛オークス・チェヴァリーパークS】、曾孫にはマシップ【ロワイヤルオーク賞・アスコット金杯】、アポロニア【仏1000ギニー・仏オークス・モルニ賞・仏グランクリテリウム】、マーシャド【デューハーストS】、玄孫世代以降には、アカマス【仏ダービー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)】、アキーダ【凱旋門賞(仏GⅠ)】、ダルシャーン【仏ダービー(仏GⅠ)】、エバディーラ【愛オークス(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、ダリアプール【コロネーションC(英GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)】、シンダー【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)】、ダーレミ【プリティポリーS(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)】、リワイルディング【ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)】、メアンドレ【パリ大賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・ベルリン大賞(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)】、エスティメイト【アスコット金杯(英GⅠ)】、タグルーダ【英オークス(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)】などがいる。

コロニスの母エルディファンの祖母は根幹繁殖牝馬フリゼットであり、ミスタープロスペクターシアトルスルーも一応は同じ牝系に属する事になる。→牝系:F13号族①

母父ファリスは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、すぐにシンボリ牧場の総裁和田共弘氏とメジロ牧場の代表者北野豊吉氏によって日本に輸入された。和田氏は元々、仏ダービー馬ヴァルドロワールか、英セントレジャー馬ヘザーセットのどちらかを購入する予定だった。しかし両馬とも売却を拒否されてしまい、この馬なら売っても良いという事で見せられた馬が本馬であったという。競走成績は当初購入予定の2頭と比べると明らかに見劣りしたが、その馬体に魅せられた和田氏は購入を決断したという。

そして本馬はシンボリ牧場で種牡馬生活を開始した。当時の日本競馬界はヒンドスタンの全盛期で、本馬の種牡馬人気はそれほど高くなかったが、それでも初年度である1964年は32頭の繁殖牝馬を集めた。産駒の出来が良かったようで、2年目は47頭、3年目は55頭と順調に交配数を伸ばした。4年目の1967年は交配数が44頭に落ちたが、この年にデビューした初年度産駒から京成杯三歳Sなどを勝ったヤマトダケなどが登場して、いきなり全日本三歳首位種牡馬となった(後の1968・71・76年にも獲得)。その後は交配される繁殖牝馬の質量共に向上して、5年目は60頭、6年目は66頭、7年目の1970年は67頭の繁殖牝馬を集めた。しかし自身の競走成績や、初期の産駒の成績から、本馬の産駒は早熟の快速馬という評価が定着しかけていた。

ところが、2年目産駒のメジロアサマが古馬になった1970年に3200mの天皇賞を勝ち、翌1971年に4年目産駒のカネヒムロが優駿牝馬を勝利するとそうした評価は一変し、距離延長も可能な名種牡馬という評価が固まった。この1971年に全日本首位種牡馬を獲得し、この年の交配数は本馬の22年間に及ぶ種牡馬生活の中で最多となる75頭を記録した。翌9年目は71頭、10年目は69頭、11年目も69頭、12年目は67頭、13年目の1976年は52頭の交配数だった。この1976年には2度目の全日本首位種牡馬を獲得した。

この時期に本馬は目の奥に悪性の腫瘍を発症したが、和田氏がつきっきりで看病したため、その後病状が悪化する事は無く、長年に渡り種牡馬生活を続けることが出来た。14年目は57頭、15年目は52頭、16年目は54頭、17年目は51頭、18年目は53頭、19年目は47頭、20年目は49頭、21年目の1984年は47頭の交配数だった。この1984年に最高傑作のシンボリルドルフが史上初の無敗の中央競馬牡馬クラシック三冠を達成した。25歳を迎えた翌1985年も49頭と交配して42頭の産駒を誕生させるほど衰えない種牡馬能力を発揮していたが、同年10月に惜しくも他界した。

本馬の血は直系のシンボリルドルフ~トウカイテイオーのライン、メジロアサマ~メジロティターン~メジロマックイーンのラインに受け継がれた。残念ながら両系統とも直系としては風前の灯であるが、母系に入って現在でも日本競馬の屋台骨を支え続けている。

産駒の特徴

本馬の産駒は確かに2400m前後の距離に強い子が多かったが、基本的にスピードタイプだったのは確かで、むしろ絶対能力の高さや母系のスタミナを活かすことで距離を克服する傾向が強かったようである。本馬とテスコボーイの種牡馬としての成功は日本競馬スピード時代の幕開けと評価されている。なお、休養明けの強さは特筆もので、直系には半年ぶりで菊花賞を優勝したサクラスターオー、10ヶ月ぶりで大阪杯を優勝したメジロマックイーン、1年ぶりで有馬記念を優勝したトウカイテイオーなどがいる。逆に出走間隔が詰まると調子を落としたり、怪我に泣かされたりする産駒も多く、あまり頑丈ではないようである。1970年のメジロアサマの安田記念勝利から、1987年のマティリアルのスプリングS勝利まで、18年連続で産駒が中央競馬の重賞勝利を挙げるという記録も持っている。母父としてはディアマンテ、カネミノブ、ビンゴガルー、シリウスシンボリ、ライトカラー、シンボリクリエンス、ポレール、メジロドーベル、アインブライドなどを出しており、1987年には全日本母父首位種牡馬も獲得した。シンボリ牧場には本馬の銅像が建てられており、現在でもシンボリ牧場や子孫達を見守っている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1965

トキシオ

黒潮賞(紀三井寺)

1965

ヤマトダケ

京成杯三歳S

1966

グローブターフ

愛知盃

1966

メジロアサマ

天皇賞秋・安田記念・函館記念・アルゼンチンジョッキークラブC・ハリウッドターフクラブ賞・アメリカジョッキークラブC

1967

ウエルデイ

東海桜花賞(中京)・くろゆり賞(笠松)・ゴールド争覇(中京)

1967

トウショウピット

関屋記念・クモハタ記念・中山記念

1967

ハーバーゲイム

安田記念・クイーンS・牝馬東京タイムズ杯

1967

マイスタージンガー

名草賞(紀三井寺)・速玉賞(紀三井寺)

1968

カネヒムロ

優駿牝馬

1968

タニノカツヒメ

全日本三歳優駿(川崎)・平和賞(船橋)・浦和桜花賞(浦和)・関東オークス(川崎)

1968

ナスノカオリ

桜花賞・オークストライアル四歳牝馬特別

1968

ミネラルシンボリ

日本短波賞

1968

メジロゲッコウ

弥生賞・スプリングS

1969

タケフブキ

優駿牝馬

1969

トクザクラ

朝日杯三歳S・京成杯三歳S・牝馬東京タイムズ杯・ダービー卿チャレンジトロフィー

1969

ネロ

川崎記念(川崎)・蟠龍湖特別(益田)・日本海賞(益田)

1969

ノボルトウコウ

スプリンターズS・小倉大賞典・関屋記念・福島記念・七夕賞

1969

メジロサンゴ

シルバーC(旭川)・金杯(札幌)・農林大臣賞典(岩見沢)

1970

スピードリッチ

東京四歳S・草雲賞(足利)・織姫賞(足利)

1970

ナスノチグサ

優駿牝馬・新潟記念・京王杯オータムH

1970

ファストリュウエン

新潟グランプリ(新潟)・ゴールド争覇(中京)・金杯(笠松)

1970

マチカネハチロー

マイラーズC

1970

ヤマブキオー

中京記念・ダービー卿チャレンジトロフィー・中山記念・京王杯スプリングH・金鯱賞・函館記念

1970

ロッキード

金杯(浦和)・さつき賞(上山)

1971

カーネルシンボリ

北海道三歳S・京成杯三歳S・東京四歳S・弥生賞・目黒記念

1971

トウコウエルザ

優駿牝馬・ビクトリアC・クイーンS

1973

サカエジョオー

クイーン賞(船橋)

1973

スカッシュソロン

安田記念・桜花賞トライアル四歳牝馬特別

1973

ボールドシンボリ

朝日杯三歳S

1973

マチカネタイテイ

京阪杯

1973

ムサシダケ

報知グランプリC(船橋)

1974

ムツミソロン

建依別特別(高知)

1975

アグネスホープ

毎日杯

1975

サクラショウリ

東京優駿・宝塚記念・東京四歳S・セントライト記念・アメリカジョッキークラブC・目黒記念

1976

テンパーソロン

クイーン賞(船橋)

1977

シンボリフレンド

京王杯スプリングH

1977

スイートネイティブ

安田記念・七夕賞・牝馬東京タイムズ杯

1977

タケノハッピー

クイーンS・ダービー卿チャレンジトロフィー

1978

サンエイソロン

スプリングS・NHK杯・京都新聞杯・大阪杯

1979

サクラシンボリ

エプソムC(GⅢ)

1979

シンボリヨーク

東京新聞杯(GⅢ)

1979

スイートカーソン

オールカマー・福島記念

1980

ウインザーノット

函館記念(GⅢ)2回

1980

サクラガイセン

アメリカジョッキークラブC(GⅡ)

1981

シンボリルドルフ

皐月賞(GⅠ)・東京優駿(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)2回・天皇賞春(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)・弥生賞(GⅡ)・日経賞(GⅡ)・セントライト記念(GⅢ)

1981

ダイアナソロン

桜花賞(GⅠ)・サファイアS(GⅢ)

1982

アサクサスケール

クイーンS(GⅢ)

1982

サクラサニーオー

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)・京成杯(GⅢ)

1984

マティリアル

スプリングS(GⅡ)・京王杯オータムH(GⅢ)

1985

キリパワー

目黒記念(GⅡ)

1986

ロングシンホニー

東海桜花賞(中京)

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