コロネーション
和名:コロネーション |
英名:Coronation |
1946年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:ジェベル |
母:エスメラルダ |
母父:トウルビヨン |
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強すぎる近親交配によって生み出され数奇な運命を辿った新生凱旋門賞の初代女王 |
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競走成績:2~4歳時に仏英愛で走り通算成績13戦6勝2着4回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏により、フレネー・ル・ビュファール牧場において生産・所有され、仏国シャルル・サンブラ調教師に預けられた。父ジェベルと母エスメラルダは共にトウルビヨン産駒だったため、本馬はトウルビヨンの2×2という極めて強いインブリードの持ち主であった。その強いインブリードの弊害なのか、極端に神経質な性格で、体もあまり丈夫ではなかったが、堂々とした馬体の素晴らしさは特筆ものだったと言われている。
競走生活(2歳時)
2歳6月にシャンティ競馬場で行われたシャトゥ賞(T1000m)で、C・エリオット騎手を鞍上にデビュー。焦れ込みが激しかったが、1馬身差で勝利した。その後は英国に遠征して、前走から10日後のクイーンメアリーS(T5F)に出走。単勝オッズ4.5倍と人気を集めると、2着ヴァルキリーに頭差で勝った。なお、英国では1841年の英ダービー馬コロネーションを筆頭に同名馬が既に4頭いたため、本馬は“Coronation V”の名前で登録された。
仏国に戻って出走したロベールパパン賞(T1200m)では、ロジャー・ポワンスレ騎手とコンビを組んだ。そして1933年にブラントームが樹立したコースレコード1分15秒2を2秒4も更新する1分12秒8の好タイムで走破し、同年のフォレ賞を勝つフォンテネーを2馬身半差の2着に下して完勝した。しかしモルニ賞(T1400m)では、1番人気に推されながらも、アムアードレイクとミュゼットの2頭に屈して、アムアードレイクの3馬身1/4差3着に敗退。再度英国に遠征したチェヴァリーパークS(T6F)では、パンビディアン、後のコロネーションSの勝ち馬アビラなど3頭に屈して、パンビディアンの4馬身3/4差4着に敗退。この2戦はいずれも集中力を欠いての敗戦だった。2歳時は5戦3勝の成績となった。
競走生活(3歳前半)
3歳時は仏1000ギニー(T1600m)から始動した。相変わらず集中力を欠いたレースぶりで、鞍上のポワンスレ騎手も苦労したようだが、何とか同馬主同厩のガルガラと1着同着に持ち込んだ。
その後は3度目の英国遠征に向かい、英オークス(T12F)に参戦。単勝オッズ7倍の3番人気での出走となった。スタートからエリオット騎手は本馬を抑えきれずに、暴走して序盤で先頭に立ってしまった。それでも先頭で直線に突入してそのまま逃げ切る勢いだったが、ゴール直前で単勝オッズ5倍の1番人気に推されていた英1000ギニー馬ムシドラに差されて、首差の2着に敗退した。次走の愛オークス(T12F)では、無茶苦茶な走りながら首差2着に入った英オークスのレース内容から、かなり高い確率で勝てると目されたが、勝ったサーカスレディから4馬身差をつけられた2着に敗れた。
凱旋門賞
その後、夏場は休養して秋シーズンに備えた。本馬の実力を高く評価していたブサック氏は本馬にもっと大競走を勝たせたかったらしく、自分で世界最大のレースを作ってしまおうと考え、各方面に働きかけて、当時まだパリ大賞より格下だった凱旋門賞の優勝賞金を一気に5倍以上(日本の資料では500万フランから2500万フランに増えたとされているが、海外の資料には、520万フランから2900万フランに増えたとか、700万フランから5000万フランに増えたなど、異なる数値が書かれており一定していない。2500万フランと2900万フランの相違は付加賞金などが存在するのが理由であり、5000万フランは2着以下の馬に対する賞金も含んだ額であろうか。当時のサンデーインディアンエクスプレス紙には優勝賞金3万ポンドとあり、これは1440万フランに相当する。米国ドルで12万ドルであり、日本円にして4300万円ほどである)に増額させた。
欧州最高賞金レースとして欧州最強馬決定戦の地位を得たこの年の凱旋門賞(T2400m)には、この年のパリ大賞・仏オークス・ヴェルメイユ賞を勝った名牝バゲーラ、本馬をモルニ賞で破った後に仏2000ギニー・ジャックルマロワ賞を勝ち英ダービーで2着していたアムアードレイク、愛2000ギニー・愛セントレジャー・コロネーションC・テトラークSの勝ち馬ボーサブリュー、仏ダービーの勝ち馬でリュパン賞2着のグッドラック、サンクルー大賞の勝ち馬ミディアム、フォレ賞・イスパーン賞・エドモンブラン賞・ジョンシェール賞2回・シュマンドフェルデュノール賞2回・セーネワーズ賞の勝ち馬メネトリア、仏グランクリテリウム・仏2000ギニー・リュパン賞・サンロマン賞・グレフュール賞の勝ち馬リゴロ、ジョッキークラブC2回・キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬ヴィックデイ、ノアイユ賞の勝ち馬でパリ大賞2着・仏ダービー3着のフラッシュロワイヤル、ロワイヤルオーク賞で2着してきたランツァウ、ロワイヤルオーク賞で3着してきたオカール賞の勝ち馬ヴァルドレイク、パリ大賞でバゲーラの1馬身差2着だったロワイヤルアンピール、サンロマン賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム2着のコーストガード、前年の仏ダービー2着馬タナグレイヨ、女優リタ・ヘイワースの所有馬だったヴァントー賞の勝ち馬ダブルローズ、ダフニ賞の勝ち馬オジオ、ヴィシー大賞の勝ち馬アストラムグラムといった、各国の有力馬が集結した。ブサック氏も本馬に加えて、エクリプスS・クリテリウムドメゾンラフィット・エドヴィル賞の勝ち馬で後に英チャンピオンSも勝つジェダー、ギシュ賞の勝ち馬でペースメーカー役のノーベルの3頭出しで臨んでおり、出走馬は前年の14頭の2倍に当たる28頭となった(それまでの凱旋門賞出走馬の最多記録は1926年の16頭。この1949年を超える頭数が集まったのは、30頭が出走した1967年の1度しかない。いかにこの年の賞金増額の衝撃度が大きかったかを物語っている)。
アムアードレイクとヴァルドレイクのカップリングと、バゲーラが並んで1番人気に支持され、本馬、ジェダー、ノーベルのカップリングが単勝オッズ4.7倍の3番人気となった。エリオット騎手は本馬より前評判が高かったジェダーに騎乗し、本馬にはポワンスレ騎手が騎乗した。いつも焦れ込みが激しい本馬だったが、この日は珍しく落ち着いていた。15万人もの大観衆が詰め掛けたレースでは、本馬は中団好位の10番手辺りを追走した。そして直線に入ると一気に抜け出して残り300m地点で先頭に立ち、最後はポワンスレ騎手が手綱を抑える余裕を見せながら、2着ダブルローズに4馬身差、3着アムアードレイクにはさらに1馬身差をつけて圧勝。ブサック氏の目論見は成功した。この強豪メンバーが揃った凱旋門賞を制した本馬は、20世紀欧州有数の名牝としての名声を獲得した(英タイムフォーム社のレーティングでは135ポンドの評価であり、これは1983年にハビブティが136ポンドを獲得するまで3歳牝馬としての史上最高値だった。参考までにプティトエトワールの3歳時は134ポンド、アレフランスとダリアの3歳時は共に132ポンドである)。3歳時の成績は4戦2勝だった。
競走生活(4歳時)
翌4歳時も現役を続け、6月のエドヴィル賞(T2000m)から始動。アルクール賞の勝ち馬で仏ダービー3着のヴァイオロンセルの1馬身半差2着と、シーズン初戦としてはまずまずの走りを見せた。次走のクイーンエリザベスS(T8F)でも、仏グランクリテリム・仏2000ギニー・リュパン賞の勝ち馬タンティエームの頭差2着と好走し、3着馬ロワイヤルドレイク(ギシュ賞の勝ち馬で英ダービー・コロネーションC2着の実績もあった)には6馬身差をつけた。
夏場は休養に充て、秋初戦のヴェルムー賞を勝利。そして凱旋門賞(T2400m)で連覇を狙った。仏ダービー・英セントレジャーを制したスクラッチとのカップリングではあったが1番人気に支持された。しかし結果はタンティエームの11着に敗れてしまい、4歳時4戦1勝の成績で引退した。
馬名は「戴冠」という意味で、仏語では「コロナティオン」と発音するが、日本では英語読みの「コロネーション」の方が一般的である。そのため、英国のコロネーションCやコロネーションSのレース名は本馬に由来すると勘違いしている人が時々いるようである(筆者も競馬初心者の頃は勘違いしていた)。なお、仏国には本馬の名を冠したコロナティオン賞というレースがちゃんと存在している。
血統
Djebel | Tourbillon | Ksar | Bruleur | Chouberski |
Basse Terre | ||||
Kizil Kourgan | Omnium | |||
Kasbah | ||||
Durban | Durbar | Rabelais | ||
Armenia | ||||
Banshee | Irish Lad | |||
Frizette | ||||
Loika | Gay Crusader | Bayardo | Bay Ronald | |
Galicia | ||||
Gay Laura | Beppo | |||
Galeottia | ||||
Coeur a Coeur | Teddy | Ajax | ||
Rondeau | ||||
Ballantrae | Ayrshire | |||
Abeyance | ||||
Esmeralda | Tourbillon | Ksar | Bruleur | Chouberski |
Basse Terre | ||||
Kizil Kourgan | Omnium | |||
Kasbah | ||||
Durban | Durbar | Rabelais | ||
Armenia | ||||
Banshee | Irish Lad | |||
Frizette | ||||
Sanaa | Asterus | Teddy | Ajax | |
Rondeau | ||||
Astrella | Verdun | |||
Saint Astra | ||||
Deasy | Alcantara | Perth | ||
Toison d'or | ||||
Diana Vernon | Hebron | |||
Gretna Green |
父ジェベルは当馬の項を参照。
母エスメラルダは、仏1000ギニー・モルニ賞・フォレ賞・ロシェット賞・ペネロープ賞を制した一流馬で、本馬が初子である。エスメラルダもジェベルと同じくトウルビヨンの産駒であり、本馬は人間で言うと異母兄妹同士の間に産まれた子ということになる。エスメラルダの他の産駒には、本馬の半弟アラム(父ファリス)【フォルス賞】、半弟エメラルド(父オウリバン)【モーリスドニュイユ賞】、全妹ジェラルダ、全妹オルマラなどがいる。オルマラの息子ロクリスはジャンプラ賞・ラクープドメゾンラフィットを勝ち、南米で種牡馬として成功している。また、オルマラの曾孫にはエルデリスタン【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】がいる。
エスメラルダの母サナーもサラマンドル賞を制した活躍馬。サナーの他の産駒には、エスメラルダの半弟ナルセス(父ブルーピーター)【エドヴィル賞】、半妹アビス(父ウミッドウォー)【モートリー賞】などがいる。また、エスメラルダの全姉タニの子にはエストック【ゴールドヴァーズ】、スティンファーレ【ロワイヤルオーク賞・エスペランス賞】が、牝系子孫には日本の公営競馬の強豪アマゾンオペラ【川崎記念】がいる。さらに、エスメラルダの半妹ゼラニウム(父マームード)の牝系子孫には、ジェントゥー【カドラン賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、デインドリーム【凱旋門賞(仏GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・ベルリン大賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)2回】、日本で走ったサクラローレル【天皇賞春(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、タイムパラドックス【ジャパンCダート(GⅠ)・川崎記念(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)・JBCクラシック(GⅠ)2回】、キンシャサノキセキ【高松宮記念(GⅠ)2回】など多くの活躍馬が出ている。→牝系:F14号族②
母父トウルビヨンは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、10年以上繁殖牝馬として供用され、ファリスと4回交配された他に、オウリバン、オーエンテューダー、マーシャス、アイアンリージといった種牡馬達とも交配された。ところが、死産や不受胎が相次ぎ、ついに一頭の産駒も残せなかった。この原因は一般的には、本馬の強すぎる近親交配が理由だとされている。
サラブレッドのインブリードは良質な劣性遺伝子を活性化させる可能性が高くなり、競走能力の向上に繋がる一方で、悪質な劣性遺伝子が活性化してしまう危険性も同じように上がるため、気性難や体質弱などの弊害が発生するとされている。筆者自身はインブリードの長所について懐疑的(机上の血統論者の多くは、優秀な競走成績を残した馬がインブリードを有していた場合、それはインブリードの効用だと主張するが、同様のインブリードを有しながら平凡な競走成績に終わった他の多くの馬の存在を無視している。現代の馬産家達の多くは意図的にインブリードを狙って配合を決めたりはしていないはずである)であるのだが、インブリードの短所である奇形や死産などの危険性が大きくなる事については、おそらく間違いないと考えている。サラブレッドの黎明期である18世紀においては、本馬と同等かそれ以上の近親交配が試みられることもあったが、19世紀以降は一般的ではなくなり、たまに試みられた場合はあっても、本馬以外に優秀な競走成績を収めた馬はほぼ見当たらないとされる。世界的には1992年にレイモンド・ロンカリという人物がミスタープロスペクターの娘であるアワーミリーにミスタープロスペクターを意図的に交配させ、ウィンロックズミリーという名前の牝馬を誕生させた例があるが、ウィンロックズミリーは4戦して全敗、勝ち馬からの着差合計は実に112馬身差もあった(ただし、アワーミリー自身も未勝利馬であった)。日本では1993年にトドロキキホウの娘リトルジャスミンに手違いでトドロキキホウを交配させてしまい牝馬が誕生したが、競走馬になるどころか名前が付けられることもなく終わっている。このような配合により誕生しながら優れた競走成績を残した本馬は例外的な存在であるといえる。しかし例外的存在の本馬であっても、高い競走能力と引き替えに、神経質な気性・虚弱体質・子どもが産めない等の様々な弊害が発生していたとされている(ただし、これらの長所や短所が濃いインブリードに起因していたかどうかは実際には断定できない)。
本馬の生産者ブサック氏はトウルビヨン系を中心に様々な近親交配を行った。本馬のように成功した例もあったが多くは失敗に終わり、結局ブサック氏の牧場とトウルビヨン系ともに衰退への道を辿る事になったのである。もっとも、本馬の全妹ジェラルダ、オルマラは子を生んでおり、必ず異常が出るというわけではないようである。前述のウィンロックズミリーも母として7頭の子を産んでいる(ただし、活躍馬はいない)。本馬は繁殖牝馬失格の烙印を押された後、ブサック氏に手放されて行方不明となった。人間の身勝手により産み出された悲劇の名牝であった。