マーシャス

和名:マーシャス

英名:Marsyas

1940年生

栗毛

父:トリムドン

母:アストロノミー

母父:アステリュー

カドラン賞の4連覇を果たし英国でも活躍した第二次世界大戦中の仏国が誇る歴史的超長距離馬

競走成績:3~7歳時に仏英で走り通算成績27戦17勝2着4回3着5回

誕生からデビュー前まで

仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏がノルマンディー地方に所有していたフレネー・ル・ビュファール牧場において生産・所有した馬である。本馬が産まれたのは第二次世界大戦の最中で、ちょうど独軍が仏国を占領した時期であった。この大戦では仏国にいた数多くの馬が独国に連れ去られたり、戦火の巻き添えになって命を落としたりしているが、本馬は不幸中の幸いと言うべきか、そうした憂き目には遭わずには済んだ。しかし仏国シャルル・サンブラ調教師に預けられた本馬がデビューした頃にはロンシャン競馬場は既に閉鎖されており、ロンシャン競馬場で行われていた多くの大レースは別の競馬場で代替競走として行われた。

競走生活(3~5歳時)

本馬の3歳時における主な勝ち鞍はメゾンラフィット競馬場で行われたベルトゥー賞(T3000m)で、前年のレゼルヴォワ賞とこの年のヴェルメイユ賞・ペネロープ賞・ポモーヌ賞の勝ち馬フォルレニュイを2着に、後の名種牡馬ワイルドリスクを3着に破っている。ルトロンブレ競馬場で行われたパリ大賞(T3000m)では、リュパン賞・クリテリウムドメゾンラフィット・グレフュール賞の勝ち馬ペンスブリー、仏ダービー・コンデ賞・オカール賞・ケルゴルレイ賞の勝ち馬ヴェルソに続く3着。やはりルトロンブレ競馬場で行われたロワイヤルオーク賞(T3000m)では、この年の凱旋門賞も勝つヴェルソの2着に入り、ロベールパパン賞・ノアイユ賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬でこの年の凱旋門賞で3着するノーズマン(日本に種牡馬として輸入されたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬モンタヴァルの父)を3着に抑えている。

翌4歳時には、4月にメゾンラフィット競馬場で行われたジャンプラ賞(T3000m)を勝利した。このレースは現GⅠ競走のジャンプラ賞と同じではなく、現GⅡ競走のヴィコンテスヴィジェ賞の前身である。5月にはルトロンブレ競馬場で行われたカドラン賞(T4000m)で、前年のコンセイユミュニシパル賞を勝っていたロワイヤルハンテールを2着に破って勝利。8月にルトロンブレ競馬場で行われたケルゴルレイ賞(T3000m)も勝利を収めた。さらに9月にルトロンブレ競馬場で行われたグラディアトゥール賞(T6200m)も勝ち、仏国の主要長距離競走を総なめにした。

凱旋門賞(T2400m)では、仏ダービー・リュパン賞・ロベールパパン賞・ギシュ賞・グレフュール賞・オカール賞を勝っていたアルダン、仏1000ギニー・モルニ賞・フォレ賞・ロシェット賞・ペネロープ賞を勝っていたエスメラルダ(凱旋門賞馬コロネーションの母)、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたサマリタンといった同馬主同厩の馬達に敗れて、アルダンの着外に敗れているが、これが本馬のレースキャリアにおける唯一の着外である。

5歳時には前年に引き続きジャンプラ賞(T3000m)とカドラン賞(T4000m)を勝利した。そしてこの年に第二次世界大戦は終結した。

競走生活(6・7歳時)

6歳時にはジャンプラ賞(T3000m)で、フォンテーヌブロー賞・オカール賞の勝ち馬でパリ大賞2着・ロワイヤルオーク賞・凱旋門賞3着のシャントゥール、コンセイユミュニシパル賞・ドーヴィル大賞・コンデ賞の勝ち馬で仏ダービー・ロワイヤルオーク賞2着のバジルといった2歳年下の馬達を迎え撃った。しかしここではシャントゥールが勝利を収めて本馬は2着に敗れ、3連覇は果たせなかった。しかし次走のカドラン賞(T4000m)では、ジャンプラ賞で3着だったバジルを2着に、シャントゥールを3着に撃破して3連覇を達成した。

この年の5月、本馬は初めて仏国外に遠征。英国ハーストパーク競馬場でホワイトローズS(T12F)に出走して、前年のヨークシャーCの勝ち馬キングストーンを2着に破って勝利した。翌6月には本馬、シャントゥール、バジル、そして本馬の半弟カラカラといった仏国の誇る超長距離馬軍団は大挙して英国アスコット競馬場に押し寄せた。目標はもちろん英国伝統の長距離戦アスコット金杯だったが、本馬は結局このレースは回避。本馬不在のアスコット金杯は、カラカラがシャントゥールを2着に、バジルを3着に下して勝利を収め、仏国調教馬でアスコット金杯の上位3頭を独占した。一方、アスコット金杯を回避した本馬は同じくアスコット競馬場で行われるクイーンアレクサンドラS(T22F)に出走した。当時の英国王ジョージⅥ世の所有馬で、ニューマーケットセントレジャーを勝ち前年の英セントレジャーと直前のコロネーションCで2着していたライジングライトが本馬を迎え撃ってきたが、本馬がやはり仏国調教馬のアーガイを2着に引き連れて勝ち、ライジングライトは3着に終わった。

その後は第二次世界大戦中に中止されていたため7年ぶりの開催となったグッドウッドC(T21F)に出走。単勝オッズ1.33倍という断然の1番人気に応えて、キングストーンを2着に破って勝利した。その後はこれまた第二次世界大戦中に中止されていたため8年ぶりの開催となったドンカスターC(T18F)に出走。単勝オッズ1.14倍という圧倒的な1番人気に応えて、翌年のドンカスターCを勝つ同父馬トリムブッシュを2着に、ノーザンバーランドプレートの勝ち馬ガスティを3着に破って勝利。これでアスコット金杯を勝った半弟カラカラと合わせて、兄弟で英国長距離カップ三冠レースを同一年に全て制覇した。

10月にはニューマーケット競馬場でロウザーS(T10F)に出走。距離が不足しているのではと思われたが、クイーンアレクサンドラS3着後にジョッキークラブSを勝っていたライジングライトを破って勝利した。翌週にはジョッキークラブC(T18F)に出走したが、単勝オッズ15.29倍の伏兵フェリックスの3着に敗れ、ここで英国遠征は終了した。なお、英国には過去に同名の競走馬(19世紀英国最強の短距離馬と言われるスプリングフィールドの母父)がいたため、本馬は“Marsyas Ⅱ”と記載された。

翌7歳時には競馬開催が再開されたロンシャン競馬場で行われたカドラン賞(T4000m)に出走。強敵は前年にジャンプラ賞・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞を制した4歳馬スーヴレンだったが、本馬が2着スーヴレンに4馬身差をつけて圧勝し、同競走4連覇を飾った。カドラン賞を2連覇した馬は、1839・40年に連覇したノーチラス(1842年にも勝って3勝目を挙げている)、後の1962・63年に連覇したテーヌ、1977・78年に連覇したバックスキン、2003・04年に連覇したウェスターナーの例があるが、4連覇どころか3連覇した馬も本馬以外には存在しない。本馬はこの7歳時を最後に競走馬を引退した。

競走馬としての評価

なお、本馬が競走馬を引退した翌年1948年に創設された英タイムフォーム社は、前年の1947年に走った馬からレーティング作成を開始したが、本馬はこの年に英国や愛国における出走が無かったので、評価の対象外であった。なお、カドラン賞で本馬に敗れたスーヴレンはその後にアスコット金杯を勝利して135ポンドの評価を受け、この年における古馬の中では最高点を与えられている。後の1999年になって英タイムフォーム社の記者だったトニー・モリス氏とジョン・ランドール氏が出版した “A Century of Champions”の中ではタイムフォーム社のシステム修正に基づいて再評価が実施されており、本馬に対してはスーヴレンを1ポンド上回る136ポンドが与えられている。タイムフォーム社のハンデキャッパーを務めたフィル・ブル氏は「永久にレースを走る事が出来る馬がいるとしたら、それはマーシャスです」と本馬の底なしとも言えるスタミナ能力を評価している。

血統

Trimdon Son-in-Law Dark Ronald Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Darkie Thurio
Insignia
Mother in Law Matchmaker Donovan
Match Girl
Be Cannie Jock of Oran
Reticence
Trimestral William the Third St. Simon Galopin
St. Angela
Gravity Wisdom
Enigma
Mistrella Cyllene Bona Vista
Arcadia
Ark Royal Royal Hampton
War Sprite
Astronomie Asterus Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Astrella Verdun Rabelais
Vellena
Saint Astra Ladas
Saint Celestra
Likka Sardanapale Prestige Le Pompon
Orgueilleuse
Gemma Florizel
Agnostic
Diane Mallory Nimbus Elf
Nephte
Ferula St. Serf
Ferelith

父トリムドンはサンインロー産駒で、現役時代はアスコット金杯2連覇・ヨークシャーC・ゴールドヴァーズなど5勝を挙げている。

母アストロノミーはクロエ賞の勝ち馬。素晴らしい繁殖成績の持ち主で、生涯無敗の戦績を誇った本馬の半弟カラカラ(父トウルビヨン)【パリ大賞・ロワイヤルオーク賞・アスコット金杯・凱旋門賞】、半弟アルバール(父ジェベル)【ジャンプラ賞・カドラン賞・アスコット金杯】、半妹アスメナ(父ゴヤ)【英オークス】、半弟ファラス(父ファリス)【リス賞】、半妹アルベル(父ジェベル)【ジャックルマロワ賞・イスパーン賞・ペネロープ賞】、半弟フロリアドス(父ジェベル)【オカール賞】と活躍馬を続出させた。アスメナの子にはクルン【ダリュー賞・ジョッキークラブS】が、アルベルの子にはアルベラ【フィユドレール賞】がいる。また、本馬の半妹ホワイトローズ(父ゴヤ)の牝系子孫は現在も残っており、トイショウ【AJCサイアーズプロデュースS・ゴールデンスリッパー・アスコットヴェイルS・MRC1000ギニー・ニューマーケットH・ウィリアムレイドS】、バゼル【オークランドC(新GⅠ)・ザビールクラシック(新GⅠ)】、ガッコ【米グランドナショナル・アランデュブレイユ賞・ルノーデュヴィヴィエ賞】などが出ている。アストロノミーの4代母フェレリスの半姉フェアリーゴールドの子には、マンノウォーの父フェアプレイ【ブルックリンダービー・ジェロームH・ローレンスリアライゼーションS】がいる。→牝系:F9号族②

母父アステリューはテディ産駒で現役成績16戦7勝。仏2000ギニー・英チャンピオンS・グレフュール賞・ロイヤルハントC・エクリプス賞などを制している。種牡馬としても1934年の仏首位種牡馬になっている。また、母父としても本馬とその弟妹やアルダンなどの活躍により、1943年から48年まで6年連続で仏母父首位種牡馬になる成功を収めている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はブサック氏がノルマンディー地方に所有していた牧場で種牡馬入りした。種牡馬としては全く失敗だったというわけではないが、やはり長距離色が強かったのが影響してか、あまり成功したとは言えず、系統を繋ぐ後継種牡馬にも恵まれなかった。1964年5月に24歳で他界した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1949

Childe Harold

グレートヴォルティジュールS・ヨークシャーC

1949

Marsyad

デューハーストS

1950

Joshua

グロシェーヌ賞

1952

Macip

ロワイヤルオーク賞・アスコット金杯・モーリスドニュイユ賞・ケルゴルレイ賞

1952

Mahina

クレオパトル賞

1957

Kirkes

ギシュ賞

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