スプリングフィールド

和名:スプリングフィールド

英名:Springfield

1873年生

鹿毛

父:セントオールバンズ

母:ヴィリッツ

母父:マーシャス

19世紀英国最強の短距離馬としてその名を残すが後世のサラブレッド血統界に残した影響も大きい

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績19戦17勝2着2回

誕生からデビュー前まで

英国王室所有のハンプトンコート宮殿のブッシーパーク牧場において誕生した。母ヴィリッツの所有者は英国ヴィクトリア女王であり、本馬は女王の生産馬であった。1歳時に320ギニーでJ・H・ハウルズワース氏に購入され、ジェームズ・ライアン調教師に預けられた。ハウルズワース氏に購入されて間もなく、本馬は骨盤を故障したが、適切な治療で快癒したという。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月にヨーク競馬場で行われたプリンスオブウェールズプレートでデビューして、他の14頭を一蹴して勝利した。この翌日にはジムクラックS(T6F)に出走して3馬身差で快勝。10月にはニューマーケット競馬場で行われた距離4ハロンの2歳馬スウィープSに出走して、132ポンドを背負いながらも勝利した。しかし引き続きニューマーケット競馬場で出走したクリテリオンS(T7F)では、クランロナルドの頭差2着に敗退。記念すべき第1回デューハーストプレート(T7F)では、後の英ダービー・パリ大賞の勝ち馬キシュベルの2着に敗れた。2歳時の成績は5戦3勝だった。

3歳時は英国クラシック路線には向かわずに短距離路線を進んだ。まずはアスコット競馬場で行われたファーンヒルS(T5F)に出走。このレースは2歳馬から古馬まで幅広い世代の馬が出走してくる当時の英国の重要な短距離競走で、一昨年と前年にはガロピンが2連覇していた。このレースを勝利した本馬は、続いて翌日にアスコット競馬場で行われたニューバイエニアルSに出走してこれも勝利した。続いてストックブリッジ競馬場に向かい、ストックブリッジC(T6F)を勝利した。さらにニューマーケット競馬場に向かい、ジュライC(T6F)を勝利した。さらにはグッドウッド競馬場で行われたバグノーSを勝利。ドンカスター競馬場で行われたブラッドゲートSにも勝利した。その後はドンカスター競馬場で行われたエグリントンSを単走で勝利。10月にニューマーケット競馬場で行われたセレクトSも単走で勝利した。これで8連勝とした本馬は、引き続きニューマーケット競馬場で行われたニューマーケットフリーH(T10F)に出走。10ハロンという過去最長の距離に加えてトップハンデが課されたが、3/4馬身差で勝利を収めた。3歳時の成績は9戦全勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時はクイーンズスタンドプレート(T5F・現キングズスタンドS)から始動して、ジュライS・オールエイジドS(現ダイヤモンドジュビリーS)を勝ち英2000ギニーで3着していたエコサイズを4馬身差の2着に破って完勝。次走のジュライC(T6F)では133ポンドを課せられたが、翌年のクイーンズスタンドプレートを勝つことになるロリポップを3馬身差の2着に、スチュワーズCの勝ち馬で翌年のジュライC・オールエイジドSを勝つことになるトラピストを3着に破って2連覇を達成。さらにはアスコット競馬場で行われたニューバイエニアルSを勝利。そして英チャンピオンS(T10F)に参戦した。このレースには、この年の英ダービー・英セントレジャー・アスコットダービーを勝ち英2000ギニーで3着していたシルヴィオや、前年のセントジェームズパレスSを勝っていたグレートトムも参戦していた。しかもシルヴィオの斤量が118ポンドだったのに対して、本馬の斤量は130ポンドで、その差12ポンドもあった。レースではグレートトムが先頭を引っ張り、それをかわしたシルヴィオが先頭に立ってそのまま勝利を収めるかに見えた。しかし後方から満を持してスパートをかけた本馬が、シルヴィオがまるで止まっているように見える素晴らしい末脚を繰り出してシルヴィオを差し切り勝利した。

その後ニューマーケット競馬場で行われたオールエイジドS(T6F)に出走し、唯一の対戦相手となったエコサイズに15馬身差をつけて圧勝したと“Thoroughbred Heritage”にあるが、この年のオールエイジドSの勝ち馬は当のエコサイズであると他の複数の資料に明記されており、実際にオールエイジドSの勝ち馬一覧には本馬の名前は無い事から、別のレースでオールエイジドSの勝ち馬エコサイズを破って勝ったというのが正しいようである。また、“Thoroughbred Heritage”にはエコサイズを下したレースが現役最後のレースだったともあるが、英チャンピオンSが現役最後のレースだったとする資料もあり、この辺りの本馬の戦績は不明瞭である。ただ、いずれにしても4歳時は5戦全勝の成績を残して競走馬を引退し、3歳以降は14戦全勝の成績を誇った事は確かなようである。

本馬は19世紀英国最強の短距離馬と言われているが、10ハロン戦でも勝利を挙げている事から、一介の短距離馬とは一線を画している。1886年6月に英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、第22位にランクインした。

血統

St. Albans Stockwell The Baron Birdcatcher Sir Hercules
Guiccioli
Echidna Economist
Miss Pratt
Pocahontas Glencoe Sultan
Trampoline
Marpessa Muley
Clare
Bribery The Libel Pantaloon Castrel
Idalia
Pasquinade Camel
Banter
Splitvote St. Luke Bedlamite
Eliza Leeds
Electress Election
Stamford Mare
Viridis Marsyas Orlando Touchstone Camel
Banter
Vulture Langar
Kite
Malibran Whisker Waxy
Penelope
Garcia Octavian
Shuttle Mare
Maid of Palmyra Pyrrhus the First Epirus Langar
Olympia
Fortress Defence
Jewess 
Palmyra Sultan Selim
Bacchante
Hester Camel
Monimia

父セントオールバンズは1860年の英セントレジャーを優勝し、種牡馬の皇帝の異名で呼ばれたストックウェル産駒最初の英国クラシック競走の勝ち馬となった。他にはグレートメトロポリタンS・チェスターC・ニューマーケットSを勝っている。

母ヴィリッツは前述のとおりヴィクトリア女王の所有馬だが、競走馬としての経歴は不明である。本馬以外に特筆できる産駒はいないようである。

ヴィリッツの全兄にはヴァーダント【エボアH】がいる。また、ヴィリッツの半姉エルサムラス(父キングストン)は米国に輸入され、子にキングフィッシャー【ベルモントS・トラヴァーズS・ジェロームH】、牝系子孫にシャルドン【プリークネスS・ピムリコフューチュリティ・アーリントンクラシックS・ピムリコスペシャル2回・ハリウッド金杯・ホイットニーS】、ベッドオローゼズ【メイトロンS・セリマS・デモワゼルS・ローレンスリアライゼーションS・サンタマルガリータ招待H】の2頭の米国顕彰馬が出て、21世紀も牝系子孫が残っているが、上記3頭以外にはこれといった馬が出ておらず牝系としては発展していない。

現在繁栄しているのはヴィリッツの全妹シベールの牝系子孫である。シベールの孫にはベストマン【クイーンズスタンドプレート・ジュライC】、日本競馬黎明期の名種牡馬ダイヤモンドウェッディング、牝系子孫には、プルバン【パリ大賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、グローリアスソング【ラカナダS(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・トップフライトH(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、デヴィルズバッグ【シャンペンS(米GⅠ)・ローレルフューチュリティ(米GⅠ)】、名種牡馬ラーイシングスピール【ジャパンC(日GⅠ)・ドバイワールドC・加国際S(加GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】、ソアリングソフトリー【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)・フラワーボウル招待H(米GⅠ)】、カラニシ【BCターフ(米GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)】、サプレザ【サンチャリオットS(英GⅠ)3回】、カンパノロジスト【ドイツ賞(独GⅠ)・ラインラントポカル(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】、日本で走ったハクズイコウ【天皇賞春】、ノースフライト【安田記念(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)】、グラスワンダー【朝日杯三歳S(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)2回・宝塚記念(GⅠ)】、ダノンシャンティ【NHKマイルC(GⅠ)】、ヴィルシーナ【ヴィクトリアマイル(GⅠ)2回】、ホワイトフーガ【JBCレディスクラシック(GⅠ)】など、お馴染みの馬が結構いる。→牝系:F12号族①

母父マーシャスはオーランド産駒で、ジュライSを勝っている。本馬は父方が長距離血統で母方が短距離血統であるが、血統論的には母方の血が強く出ているようである。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はハウルズワース氏所有のもと、ハンプトンコート宮殿のブッシースタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は100ギニーだったが、後に200ギニーに値上がりした(これは当時ベンドアと同額の料金だった)。本馬の産駒は父同様の短距離馬ばかりではなく、10ハロン以上の距離で活躍する産駒も少なくなかった。ハンプトンコート宮殿における馬産が終了すると、本馬はニューマーケットにあるハウルズワース氏所有の牧場に移動し、1898年3月に25歳で他界した。

本馬の直系は代表産駒のセインフォインが英国三冠馬ロックサンドを出し、ネアポリスが亜国で名種牡馬として活躍したが、いずれもその後は伸びなかった。しかし本馬の直系は繁殖牝馬の父としての活躍が目立っている。本馬自身も母父としてガルティモアアードパトリック兄弟、サンドリッジコリンといった歴史的名馬を出し、セインフォインはファラリスハリーオンを、ロックサンドはマンノウォーなどを出しており、本馬や本馬の直系子孫達が後世に与えた影響はとても大きい。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1879

Battlefield

セントジェームズパレスS

1882

Langwell

英シャンペンS

1882

Sheraton

セントジェームズパレスS

1883

Sunrise

リッチモンドS

1885

Briar-Root

英1000ギニー・ヨークシャーオークス

1887

Alloway

プリンスオブウェールズS

1887

Ponza

ヨークシャーオークス・パークヒルS

1887

Sainfoin

英ダービー

1889

Watercress

プリンスオブウェールズS・ハードウィックS

1890

Inverdon

リッチモンドS

1891

Spring Ray

ヨークシャーオークス

1892

Bonniefield

クイーンズプレート・加ブリーダーズS

1892

Speedwell

ミドルパークS

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