エラマナムー

和名:エラマナムー

英名:Ela-Mana-Mou

1976年生

鹿毛

父:ピットカーン

母:ローズベルティン

母父:ハイハット

4歳時にエクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを連勝して日本に輸入された父ピットカーンに英愛首位種牡馬を獲得させる

競走成績:2~4歳時に英仏で走り通算成績16戦10勝2着2回3着2回

誕生からデビュー前まで

パトリック・クラーク氏により生産された英国産馬で、1歳時のセリにおいてマックス・ムイノス氏とオードリー・ムイノス氏により4500ギニーで購入され、英国ガイ・ハーウッド調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にニューベリー競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスでデビューし、3馬身差の快勝で勝ち上がった。ケンプトンパーク競走場に場所を移して出た翌月のウィローS(T6F)も勝って2連勝とした。続いて同月末にグッドウッド競馬場で行われたヴィンテージS(英GⅢ・T7F)に駒を進めたが、先行して押し切った後の好敵手トロイに2馬身半差をつけられて2着に敗れた。その後は9月にリングフィールド競馬場で行われたナーサリーH(T6F)に出走して勝利。

引き続いてアスコット競馬場で行われたロイヤルロッジS(英GⅡ・T8F)に駒を進めた。ここにはヴィンテージS以来のレースとなったトロイや、ソラリオSを勝ってきたリファーズウィッシュも出走しており、本馬の前評判は低かった。レースは逃げるリファーズウィッシュをトロイが追いかける展開となり、残り1ハロン地点でトロイがリファーズウィッシュを捕らえて先頭に立った。しかしそこへさらに後方から本馬が強襲してきて、前の2頭を抜き去った。最後は2着トロイに3/4馬身差、3着リファーズウィッシュにはさらに首差をつけて勝利。2歳時の成績は5戦4勝となった。

競走生活(3歳時)

3歳時はこの年記念すべき200回目を迎える英ダービーを当初から最大の目標とした。ハーウッド師は本馬の厩舎にカメラを設置して24時間体制で本馬の状態をチェックする念の入れようであった。まずは4月にニューマーケット競馬場で行われたヒースS(T9F)から始動して、デューハーストSと英シャンペンSでいずれも2着の実績があったモアライトを4馬身差の2着に破って圧勝。

それから17日後に行われた英2000ギニーは見送り、6月の英ダービー(英GⅠ・T12F)に直行した。このレースには、やはり英2000ギニーに参加せずにサンダウンクラシックトライアルS・プレドミネートSと前哨戦を連勝してきたトロイ、英2000ギニー・愛ナショナルSの勝ち馬タップオンウッド、愛2000ギニー・バリモスSの勝ち馬で愛ナショナルS2着のディキンズヒル、英国女王エリザベスⅡ世陛下の生産・所有馬だったホワイトローズS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬ミルフォード、ロイヤルロッジS3着後にウィリアムヒルフューチュリティSでも3着してクレイヴンS・ダンテSを勝っていたリファーズウィッシュ、ニジンスキーSの勝ち馬ノエリーノ、チェスターヴァーズを勝ってきたクラカヴァル、ダンテSで2着してきたハードグリーン、後の英セントレジャー馬サンオブラヴ、後の愛セントレジャー・ロワイヤルオーク賞の勝ち馬ニニスキなども参戦していた。特にトロイのプレドミネートSの勝ち方は素晴らしかったのだが、ハーウッド師の念の入れ方が知れ渡っていた本馬が単勝オッズ5.5倍で23頭立て1番人気の支持を受け、トロイは単勝オッズ7倍の2番人気だった。グレヴィル・スターキー騎手鞍上の本馬は後方待機策を採り、直線で末脚を伸ばした。しかし馬群の中団後方から直線で爆発的な末脚を繰り出したトロイに瞬く間に置き去りにされてしまった。結局はトロイが2着ディキンズヒルに7馬身差の圧勝を飾った一方で、本馬は人気薄のノーザンベイビーにも遅れを取り、トロイから11馬身差の4着でゴールインする事になった(ただし後にディキンズヒルはエクリプスSを、ノーザンベイビーは英チャンピオンSを勝っており、いずれも決して弱い馬ではない)。

その後はキングエドワードⅦ世S(英GⅡ・T12F)に出走して、2着マンオブビィジョンに2馬身半差、3着ハードグリーンにはさらに4馬身差をつけて完勝した。その9日後の愛ダービーには向かわず、渡仏してサンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)に参戦。しかしユジェーヌアダム賞・ニエル賞を勝っていた仏国調教の4歳馬ゲイメセンに4馬身差をつけられて2着に敗れた。

英国に戻ってきた本馬は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に出走。このレースにはゲイメセンに加えて、愛ダービーを4馬身差で快勝してきたトロイも出走しており、本馬と4度目の対戦となった。レースでは本馬が好位につけ、単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に推されていたトロイが本馬の少し後方4番手につけた。そのままの態勢で直線に入ると、本馬はトロイに一気に抜き去られてしまった。さらに後方から来たゲイメセンにも差された本馬は、勝ったトロイから4馬身半差、2着ゲイメセンから3馬身差の3着に終わった。本馬とトロイの対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の1勝3敗となった。

その後は怪我のためしばらくレースに出られず、秋の英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)で復帰した。しかし結果はノーザンベイビーの3馬身半差6着に敗退。結局3歳時は6戦2勝、GⅠ競走には4回出走して全敗という不本意な成績に終わった。

3歳シーズンの末に、本馬は競馬エージェンシーのピーター・ラグ氏の仲介により50万ギニーでトレードされて、サイモン・ウェインストック氏(トロイの生産・所有者アーノルド・ウェインストック卿の息子で、父と共同で馬産に取り組んでいた)の所有馬となり、トロイを手掛けていた英国ディック・ハーン厩舎に転厩となった。これに伴い、主戦もスターキー騎手からトロイの主戦だったウィリー・カーソン騎手に変更された。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月のアールオブセフトンS(英GⅢ・T9F)から始動した。前年の英チャンピオンSで本馬に先着する2着だったハウルナイトや、前年の英ダービーでは着外に終わるも秋のセプテンバーSを勝っていたクラカヴァルの姿もあったが、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された本馬がゴール前の4頭横一線の大激戦を制して、2着ハウルナイトに首差で勝利した。しかしこのレース後に本馬は首から肩にかけて重度の筋肉痛を発症してしまった。ハーン師は理学療法士のパム・リードハム女史を任用し、本馬の治療に当たってもらった。症状は改善したが、あまり堅い馬場状態のレースには出走できない状態となってしまった。

次走のプリンスオブウェールズS(英GⅡ・T10F)では、同年のチェスターヴァーズでヘンビットの2着して英ダービーに駒を進めたがヘンビットの着外に終わっていたムーンバマスカレード、前年の英オークス2着馬ボニーアイルなどとの対戦となった。本馬は単勝オッズ4.33倍の評価だったが、2着ムーンバマスカレードに2馬身差で完勝した。

次走のエクリプスS(英GⅠ・T10F)では、シティ&サバーバンH・コロネーションCを勝ってきたシーチャイムス、ウィリアムヒルフューチュリティS・ロイヤルロッジS・ダンテSを勝っていた3歳馬ハローゴージャス、ゴードンリチャーズS・ブリガディアジェラードSを勝ってきたグレゴリアンなどとの対戦となった。単勝オッズ3.125倍の1番人気に支持された本馬は、後方待機策から直線で差し切り、2着ハローゴージャスに3/4馬身差で勝利。実力の割には遅いGⅠ競走初勝利となった。

次走は前年敗れたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)となった。トロイは前年の凱旋門賞3着を最後に既に引退しており、前年の仏ダービーでトップヴィルの2着、凱旋門賞でスリートロイカスの2着に入っていたガネー賞・グレフュール賞・オカール賞・ニエル賞などの勝ち馬ルマルモ、仏オークス・チェヴァリーパークS・ロウザーSなどの勝ち馬で英1000ギニー・愛1000ギニー3着のミセスペニー、前走で本馬から2馬身1/4差の3着だったグレゴリアンなどが主な対戦相手だった。ルマルモが1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ3.75倍の2番人気での出走となった。前走と異なり今回は早めに進出し、残り4ハロン地点で先頭に立つと、ロングスパートによる押し切りを狙った。直線では外側からミセスペニーが着実に迫ってきて、残り1ハロン地点では今にもかわされそうになった。しかしここから本馬が粘りを見せて、ミセスペニーに1度たりとも並ばせることは無く、3/4馬身差をつけて勝利。欧州古馬の頂点に立った。

その後は怪我のためしばらくレースには出られず、秋はぶっつけ本番で凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走。前年の覇者スリートロイカスなどを抑えて単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。例年のロンシャン競馬場よりも馬場が堅かったため、ハーン師は本馬の身体にかかる負担を軽減するためにゴム製の蹄鉄を装着させていた。レースではやはり早めに先頭に立って直線で押し切りを図ったが、ヴェルメイユ賞で3着してきたデトロワと、リュパン賞2着があったアーギュメントの3歳馬2頭に残り100m地点で差されて、勝ったデトロワから半馬身差の3着に惜敗した。本馬が装着していたゴム製の蹄鉄は確かに身体の負担軽減にはなったが、走るという面においては少々不向きだったと評されている。

このレースを最後に4歳時5戦4勝の成績で競走馬を引退した。国際クラシフィケーションでは130ポンドの評価を受け、この年の古馬勢では最高の評価を得た(英タイムフォーム社のレーティングはアルドロスと同値の132ポンドで、同年の古馬勢では135ポンドのルモス、134ポンドのクリスに次いで3位タイ)。馬名はギリシア語で“来てください、私の愛しい人”という意味である。

血統

ピットカーン Petingo Petition Fair Trial Fairway
Lady Juror
Art Paper Artist's Proof
Quire
Alcazar Alycidon Donatello
Aurora
Quarterdeck Nearco
Poker Chip
Border Bounty バウンティアス Rockefella Hyperion
Rockfel
Marie Elizabeth Mazarin
Miss Honor
B Flat Chanteur Chateau Bouscaut
La Diva
Ardeen Ardan
Peradventure
Rose Bertin ハイハット Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Madonna Donatello Blenheim
Delleana
Women's Legion Coronach
Victress
Wide Awake Major Portion Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Better Half Mieuxce
Malay Bride
Wake Island Relic War Relic
Bridal Colors
Alor Star Alycidon
Belle of All

父ピットカーンは本馬の好敵手であるトロイと同じくペティンゴ産駒で、現役成績15戦5勝。ブルーリバンドトライアルS(英GⅢ)・ハンガーフォードS(英GⅢ)・グッドウッドマイル(英GⅢ)を勝ち、ミドルパークS(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)で2着、英チャンピオンS(英GⅠ)で3着している。当初は愛国で種牡馬入りし、初年度産駒から本馬、2年目産駒から愛1000ギニー・コロネーションS・英チャンピオンSを勝ったカーンルージュを送り出し、1980年の英愛首位種牡馬に輝いた。本馬が活躍する前の1978年に日本中央競馬会に購入されて日本に輸入されており、(結果的にではあるが)史上初めて日本で種牡馬入りした英愛首位種牡馬という事で大きく期待された。しかし日本ではあまり成功できないまま、2004年に日本軽種馬協会那須種馬場において33歳で他界した。ペティンゴの父ペティションはプティトエトワールの項を参照。

母ローズベルティンは現役成績5戦1勝。ローズベルティンの4代母ベルオブオールは英1000ギニー・コロネーションSの勝ち馬。ローズベルティンのはとこの子にはシュアンス【ジャンプラ賞(仏GⅠ)】が、ローズベルティンの祖母の従兄弟には日本で走ったダテハクタカ【阪神大賞典】がいるが、ローズベルティン自身の近親や子孫には特筆できる活躍馬がおらず、あまり優秀な牝系とは言い難い。→牝系:F3号族③

母父ハイハットはハイペリオン産駒。現役成績は11戦4勝で、オックスフォードシャーSを勝っている。種牡馬として欧州で一定の成績を挙げ、後に日本に輸入されて、日本でも一定の成績を挙げている。本馬の活躍により、1980年の英愛母父首位種牡馬になっている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国サイモンスタウンスタッド(エアリースタッド)で種牡馬入りした。本馬の8代父サイリーンからポリメラスファラリスフェアウェイフェアトライアル、ペティション、ペティンゴを経て父ピットカーンまで8世代連続で英愛首位種牡馬に輝いているが、本馬は英愛首位種牡馬になる事は出来なかった。それでも本馬の種牡馬成績は優秀と言って良いものである。しかしスタミナ色が強すぎたためか、後継種牡馬は成功せず、直系は衰退している。所有者のウェインストック氏が1996年に44歳で死去し、その父ウェインストック卿も2002年に77歳で死去した後にも本馬はエアリースタッドにおいて暮らした。種牡馬生活からは2000年に退いており、その後は悠々自適の余生を送った模様である。2008年8月に老衰のためエアリースタッドにおいて安楽死の措置が執られた。享年32歳で、父ピットカーンと同じくサラブレッドとしては相当な高齢だった。繁殖牝馬の父としてはホワイトマズルを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1982

Fair of the Furze

ロジャーズ金杯(愛GⅡ)

1982

Gay Hellene

フロール賞(仏GⅢ)

1982

Sumayr

パリ大賞(仏GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)

1983

Almaarad

アラルポカル(独GⅠ)・コックスプレート(豪GⅠ)・VATCアンダーウッドS(豪GⅠ)・VATCコーフィールドS(豪GⅠ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・ジョッキークラブS(英GⅡ)・ハードウィックS(英GⅡ)

1983

Gesedeh

フロール賞(仏GⅢ)

1983

Only a Rumour

フロール賞(仏GⅢ)

1983

Tongan

仏チャンピオンハードル

1984

Eurobird

愛セントレジャー(愛GⅠ)・ブランドフォードS(愛GⅡ)

1984

Grecian Urn

クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)

1984

Natski

AJCザメトロポリタン(豪GⅠ)

1985

Ela Romara

ロウザーS(英GⅡ)・ナッソーS(英GⅡ)

1985

Emmson

ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)・ゴントービロン賞(仏GⅢ)

1985

Heavenly Manna

ロイヤルホイップS(愛GⅢ)

1987

Snurge

英セントレジャー(英GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・ロスマンズ国際S(加GⅠ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)2回

1989

Anna of Saxony

パークヒルS(英GⅢ)

1990

Old Red

シザレウィッチH

1991

Double Trigger

アスコット金杯(英GⅠ)・グッドウッドC(英GⅡ)3回・ドンカスターC(英GⅢ)3回・伊セントレジャー(伊GⅢ)・サガロS(英GⅢ)2回・ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)2回

1991

The Little Thief

ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)・リューテス賞(仏GⅢ)

1992

Double Eclipse

ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)・バルブヴィル賞(仏GⅢ)

1992

O'Connor

ドイツ大賞(独GⅡ)

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