ハーフアイスト

和名:ハーフアイスト

英名:Half Iced

1979年生

黒鹿

父:ハチェットマン

母:ウインターメモリー

母父:オールデンタイムズ

米国最強馬ジョンヘンリーや後の凱旋門賞馬オールアロングなど超豪華メンバーが揃った第2回ジャパンCを大外一気の豪脚で優勝する

競走成績:2~4歳時に米加日で走り通算成績31戦7勝2着4回

誕生からデビュー前まで

ヘンリー・A・ジェリー夫人により米国ケンタッキー州において生産され、本馬が1歳時の1980年にケンタッキーダービーを勝った女傑ジェニュインリスクの所有者として名を馳せていたバートラム・ファイアストーン夫妻に購入された。管理調教師は当初エヴァン・S・ジャクソン師だったが、後にフロリダ州のトップ調教師スタンレー・M・ホッフ厩舎に転厩している。

競走生活(2・3歳時)

2歳12月にアケダクト競馬場で行われたダート8.5ハロンの未勝利戦でデビューしたが、6着に敗れた。同月大晦日に出走したアケダクト競馬場ダート9ハロンの未勝利戦では8着。2歳時は2戦未勝利だった。

3歳初戦は1月にアケダクト競馬場で行われたダート8ハロン70ヤードの未勝利クレーミング競走だった。ここでは本馬に買い手は付かず、結果は3着だった。次走は3月にアケダクト競馬場で行われたダート9ハロンの未勝利クレーミング競走だった。このレースを1馬身3/4差で制して勝ち上がった。このレースでも買い手は付かず、この後にクレーミング競走に出る事は無かった。

次走は4月にアケダクト競馬場で行われたダート9ハロンの一般競走となり、ここでは2着だった。5月に前走と同コースで出た一般競走では3着。同月にはベルモントパーク競馬場ダート9ハロンの一般競走に出て3着。6月にはベルモントパーク競馬場で行われた芝10ハロンの一般競走で初めて芝競走に出て、頭差の2着。同月にはベルモントパーク競馬場芝12ハロンの一般競走を2馬身3/4差で勝利した。7月に出たベルモントパーク競馬場芝11ハロンの一般競走も2馬身1/4差で勝利。

次走は8月の分割競走レキシントンS(米GⅡ・T10F)となった。主戦となるD・マクベス騎手と初コンビを組んだが、ここではマジェスティーズプリンスの2馬身半差4着に敗れた。その後はサラトガ競馬場芝12ハロンの一般競走に出て、7馬身3/4差で圧勝。翌9月にはセクレタリアトS(米GⅡ・T12F)に出走。本馬が出走しなかったほうの分割競走レキシントンSで1位入線5着降着だったデューラインが強敵だったが、デューラインを3馬身差の2着に切り捨てて勝ち、グレード競走初勝利を挙げた。その後はスーパーダービー(米GⅡ・D10F)に出走したが、レインヴェステッドの7着と完敗。これでダート競走は捨てて芝競走に専念することになった。

そしてマンノウォーS(米GⅠ・T11F)でGⅠ競走に初挑戦。前週のローレンスリアライゼーションSに出走していたマジェスティーズプリンスの姿は無かったが、ユナイテッドネーションズHを勝っていたナスクラズブリーズという実力馬の姿があった。そして結果もナスクラズブリーズが勝ち、本馬は6馬身半差の4着に敗れた。次走のロスマンズ国際S(加GⅠ・T13F)では、マジェスティーズプリンスの5馬身差4着に敗退。次走のニッカーボッカーH(米GⅢ・T11F)は出走登録馬が多くて分割競走となりメンバーが手薄だった事もあって、2着ノーネックに3馬身半差で勝利した。

第2回ジャパンC

それから間もなくして日本で第2回ジャパンC(T2400m)が開催された。米国からの招待馬は2頭だったが、その中の目玉は何と言っても、サンルイレイS2回・サンフアンカピストラーノH・ハリウッド招待H2回・オークツリー招待H2回・サンタアニタH2回・ジョッキークラブ金杯・オークツリー招待HとGⅠ競走11勝を挙げ、第1回アーリントンミリオンも勝っていた当時の米国最強馬ジョンヘンリーだった。残りの1頭はナスクラズブリーズだったが、出走を辞退。その補欠だったマジェスティーズプリンスも出走を辞退したため、代わりに本馬が招待を受け、米国からの参戦馬は本馬とジョンヘンリーの2頭となった。

この第2回ジャパンCには、前回は招待されていなかった欧州やオセアニアの馬も招待されており、ジョンヘンリーに限らず海外からの参戦馬が非常に豪華だった。仏国からは、ヴェルメイユ賞・ターフクラシックS2回・ワシントンDC国際とGⅠ競走4勝を挙げ凱旋門賞でも2年連続好走していたエイプリルランと、ヴェルメイユ賞・モーリスドニュイユ賞勝ち馬オールアロングの2頭の名牝が参戦。愛国からはサンチャリオットS2着馬スタネーラ、オセアニアからは新ダービー・ローズヒルギニーとGⅠ競走2勝のアイルオブマンが参戦。また、加国からは前年のジャパンC2着馬フロストキングが一足先に来日し、前哨戦の富士Sを勝っていた。

対する日本馬は、前年にホウヨウボーイ、モンテプリンスという現役最強級の馬達が、今回より明らかに低レベルだった海外馬勢の前に手も足も出ずに敗れたという現実を受けて、八大競走勝ち馬が全て出走を回避するという情けない状態となっていた。天皇賞秋で2着してきた朝日チャレンジC勝ち馬ヒカリデユール、マイラーズC・高松宮杯・函館記念と重賞3勝のカズシゲ、前年の宝塚記念を勝っていたカツアールの3頭の地方出身馬と、安田記念・七夕賞・牝馬東京タイムズ杯と重賞3連勝中の牝馬スイートネイティブ、東京四歳S・弥生賞・オールカマーと重賞3勝のトドロキヒホウの5頭が日本からの参戦馬だった。

世界的に見れば、米国最強馬ジョンヘンリーと、このレースを最後に引退する旨を表明していた欧州最強名牝エイプリルランの最初で最後の対決という点が注目点だった。メンバー構成からして前年と同じく外国馬が勝つ事は確実視され、上位人気6頭を外国馬が占拠した。1番人気はジョンヘンリーで、2番人気はエイプリルラン、3番人気はオールアロング、4番人気はフロストキング、5番人気はアイルオブマン、本馬が単勝オッズ32.3倍の6番人気で、ほぼ実績どおりの人気順となっていた。

スタートが切られるとカズシゲが逃げを打ったが、前年のサクラシンゲキの玉砕的逃げとは異なりスローペースに持ち込む事に成功。マクベス騎手騎乗の本馬は最後方を追走した。そのまま淡々とレースは進んだが、三角でジョンヘンリーが仕掛けると本馬を含む他馬も一気に加速して、典型的な上がりの競馬となった。それでもカズシゲが先頭を死守したまま直線を向いた。直線に入ってすぐジョンヘンリーが失速し、代わってスタネーラが先頭に立った。それを内側からオールアロングがかわしたところに、直線で大外に持ち出して追い込んできた本馬とエイプリルランの2頭が叩き合いながらやってきた。最後は本馬が2着オールアロングに首差、3着エイプリルランにもさらに首差をつけて優勝を飾った。4着にはスタネーラが入り、5着に日本馬最先着のヒカリデユール、6着に逃げ粘ったカズシゲ、ジョンヘンリーは直線で追うのを止めて13着に終わった。なお、本馬もオールアロングも3歳馬であり、ジャパンCが3歳馬同士で決着したのは2015年現在この回のみである。

このレースの主な参戦馬のその後を記す。ジョンヘンリーは翌年不調に陥ったが、そのまた翌年に復活して9歳にして2度目のエクリプス賞年度代表馬を獲得した。エイプリルランはこの年のエクリプス賞最優秀芝牝馬に選出されて引退・繁殖入りした。オールアロングは翌年に凱旋門賞・ロスマンズ国際S・ターフクラシックS・ワシントンDC国際Sと4連勝してエクリプス賞年度代表馬に選ばれ、世界競馬史上有数の名牝としての名をほしいままにした。フロストキングは翌年に加国と米国で12戦してドミニオンデイH・フェイエットH・エクリプスHなど4勝をマークした。ヒカリデユールは次走の有馬記念を勝って優駿賞年度代表馬・最優秀5歳以上牡馬に選出された。スイートネイティブはこの年の優駿賞最優秀5歳以上牝馬に選出されて引退・繁殖入りした。スタネーラは翌年ジョーマクグラス記念S(現・愛チャンピオンS)・プリンスオブウェールズS・ハードウィックS・ブリガディアジェラードSとグループ競走4勝を挙げ、さらに第3回ジャパンCを優勝した。カズシゲはその後に重賞こそ勝てなかったが宝塚記念で2着した。カツアールとトドロキヒホウはその後に活躍できないまま終わった。上記のように第2回ジャパンCの出走馬はその後に活躍した馬が多いのだが、3歳時を16戦7勝の成績で終えた本馬はどちらかと言えばその後に活躍できなかった部類に入るだろう。

競走生活(4歳時)

4歳時は1月のWLマックナイトH(米GⅡ・T12F)から始動して、ここではカレントブレードの頭差2着と無難な滑り出しを見せた。しかし次走のカナディアンターフH(米GⅢ・T8.5F)では、英国から移籍してきたスーパーサンライズの8着と惨敗。次走のパンアメリカンH(米GⅠ・T12F)でも、フィールドキャットの10着と大敗した。

その後は3か月間の休養を経て、6月にベルモントパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走で復帰したが、結果は3着。次走のユナイテッドネーションズH(米GⅠ・T9.5F)では、マジェスティーズプリンスとロスマンズ国際S以来久々の顔合わせとなった。マジェスティーズプリンスもロスマンズ国際S以来1勝もしていなかったが、ワシントンDC国際S2着など大半のレースで入着していた。そしてここでもマジェスティーズプリンスが3着と好走する一方で、本馬は8着と惨敗。勝ったのは前年の同競走2着馬アカロイドだった。

次走のソードダンサーH(米GⅠ・T12F)では、マジェスティーズプリンスが2位入線のダイアナH・ロングアイランドH・タイダルH勝ち馬ハッシュディアー(進路妨害で4着に降着)、前年のマンノウォーS3着・ロスマンズ国際S2着だったラトガーズH・レッドスミスH勝ち馬サンダーパドレス、カリフォルニアンS・サンセットH・サンルイレイS・サンフアンカピストラーノ招待H・ハリウッドパーク招待ターフHとGⅠ競走5勝のエリンズアイルなどを蹴散らして勝ち、本馬はマジェスティーズプリンスから13馬身差をつけられた7着と惨敗した。

次走のサラトガ競馬場芝9ハロンの一般競走からはマクベス騎手に代わってエディ・メイプル騎手が手綱を握ったが、ここでは4着。しかしやはりメイプル騎手を鞍上に出走した、前走から僅か5日後のセネカH(米GⅢ・T13F)では、2着ナイスパイレーツに7馬身差をつけて、久々の勝ち星を挙げた。

次走のマンハッタンH(米GⅡ・T10F)でも、アカロイドの3馬身1/4差3着と好走したが、続けて出たマンノウォーS(米GⅠ・T11F)では、エリンズアイルやこの年の仏2000ギニー・リュパン賞勝ち馬レミグランを抑えて勝ったマジェスティーズプリンスから大差をつけられて8着に終わった。次走のルイジアダナウンズH(米GⅢ・T11F)でも、レイトアクトの4着と振るわなかった。次走のロスマンズ国際S(加GⅠ・T13F)では、前走の凱旋門賞を勝ってきたオールアロングが前述のとおり勝利を収め、本馬は11馬身差の10着に敗れた。

次走の第3回ジャパンC(T2400m)が現役最後のレースとなった。海外からの参戦馬は前年よりやや手薄であり、ローマ賞・パークヒルS・リブルスデールS・ロワイヤリュー賞の勝ち馬で愛オークス2着のハイホークが1番人気、オイロパ賞勝ち馬で英セントレジャー2着・仏ダービー3着のエスプリデュノールが2番人気、前年4着のスタネーラが3番人気だったが、前年の勝ち馬である本馬は近走の不振が響いて7番人気の評価だった。レースはスタネーラが天皇賞馬キョウエイプロミスとの激しい叩き合いを制して勝利したが、本馬も直線で鋭く追い込み、3着エスプリデュノールから半馬身差(勝ったスタネーラからは3/4馬身差)の4着に突っ込み、日本の馬場に対する適性を改めて示した。4歳時の成績は13戦1勝だった。

血統

Hatchet Man The Axe Mahmoud Blenheim Blandford
Malva
Mah Mahal Gainsborough
Mumtaz Mahal
Blackball Shut Out Equipoise
Goose Egg
Big Event Blue Larkspur
La Troienne
Bebopper Tom Fool Menow Pharamond
Alcibiades
Gaga Bull Dog
Alpoise
Bebop Prince Bio Prince Rose
Biologie
Cappellina Le Capucin
Bellina
Winter Memory Olden Times Relic War Relic Man o'War
Friar's Carse
Bridal Colors Black Toney
Vaila
Djenne Djebel Tourbillon
Loika
Teza Jock
Torissima
Clear And Cold Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Vase Native Dancer Polynesian
Geisha
Vashti Gallant Fox
Vicaress

父ハチェットマンは現役成績32戦10勝。ワイドナーH(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・ドワイヤーS(米GⅡ)を勝っている。種牡馬としての成績は並と言ったところだった。ハチェットマンの父ジアックスはリローンチの項を参照。

母ウインターメモリーはミルリーフの生産・所有者として知られる大富豪ポール・メロン氏の生産馬で、競走馬としては5戦1勝だった。繁殖牝馬としては本馬以外に特に活躍馬を出していない。本馬の全妹である不出走馬マヤッカと、半妹である15戦1勝馬オールドダイアモンド(父ダイヤモンドショール)の2頭が繁殖牝馬として日本に輸入されているが、いずれも成功できなかった。近親の活躍馬は乏しいが、ウインターメモリーの4代母ヴィカレスはレディーズH・デラウェアH・スピナウェイSなどの勝ち馬。ヴィカレスの半妹にはCCAオークスやベルデイムSなどを勝った名牝ヴェイグランシーがおり、この牝系からは日本を含む各国の活躍馬が数多く出ている。→牝系:F13号族①

母父オールデンタイムズはレリック産駒で、現役成績は54戦17勝。マリブS・サンアントニオH・サンフアンカピストラーノ招待H・サンパスカルH2回・メトロポリタンHなどを勝った一流馬。種牡馬としても64頭のステークスウイナーを出して成功した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、新国に輸出されて彼の地で種牡馬となった。産駒は自身と同じく長めの距離で走り、GⅠ競走勝ち馬も2頭輩出するなど成功を収めた。しかし産駒の活躍馬は牝馬や騙馬ばかりであり、後継種牡馬は残せなかった。日本の馬場適性を見せたのだから日本で種牡馬入りすればまた違った結果になったかも知れないが、あくまでも可能性の話である。本馬は2001年に22歳で他界した。

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