レリック

和名:レリック

英名:Relic

1945年生

青毛

父:ウォーレリック

母:ブライダルカラーズ

母父:ブラックトニー

競走馬としてはケンタッキーダービー目前に故障引退したが種牡馬として成功し、日本において一時的にマンノウォー直系を繁栄させる

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績7戦5勝2着2回

誕生からデビュー前まで

20世紀米国最高の繁殖牝馬ラトロワンヌを米国に導入したエドワード・ライリー・ブラッドリー大佐により、彼が所有するケンタッキー州アイドルアワーストックファームにおいて生産された。本馬が1歳時にブラッドリー大佐が死去したために売りに出された本馬は、サークルエムファームのエドワード・S・ムーア氏により購入され、米国ジョージ・P・オドム調教師に預けられた。

競走生活

2歳時にデビュー競走馬デビュー。サラトガスペシャルS(D6F)では、同じくアイドルアワーストックファームの生産馬だった4戦無敗のベターセルフと対戦して2着。ホープフルS(D6.5F)では、後のベルモントフューチュリティS2着馬ワーリングフォックスを2着に、グランドユニオンホテルS・カウディンS・ユナイテッドステーツホテルS・ナショナルスタリオンS・フラッシュSなどを勝つ同世代の2歳馬トップクラスだったマイリクエストを3着に破って勝利した。

3歳時はハイビスカスS(D6F)を勝利。バハマズH(D7F)では、後のチェサピークSで同世代の米国三冠馬サイテーションに同年唯一の黒星をつけるサギーを3着に破って勝利した。そのまま順調に行けばケンタッキーダービーでサイテーションと戦うはずだったのだが、故障を発生したために、サイテーションとは一度も戦う事無く現役引退に追い込まれた。

血統

War Relic Man o'War Fair Play Hastings Spendthrift
Cinderella
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
Mahubah Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Merry Token Merry Hampton
Mizpah
Friar's Carse Friar Rock Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
Problem Superman Commando
Anomaly
Query Voter
Quesal
Bridal Colors Black Toney Peter Pan Commando Domino
Emma C.
Cinderella Hermit
Mazurka
Belgravia Ben Brush Bramble
Roseville
Bonnie Gal Galopin
Bonnie Doon
Vaila Fariman Gallinule Isonomy
Moorhen
Bellinzona Necromancer
Hasty Girl
Padilla Macheath Macaroni
Heather Bell
Padua Thurio
Immortelle

ウォーレリックは当馬の項を参照。

母ブライダルカラーズは不出走馬だが、全姉にミスジェミマ【フラッシュS・イーストビューS・クイックステップH】、半姉にブロッサムタイム(父ノーススター)【ピムリコフューチュリティ】、全姉にビードル【スカイラヴィルS】がいる上に、ミスジェミマの子にファースター【アーリントンフューチュリティS】、ブロッサムタイムの子にブルーラークスパー【ベルモントS・サラトガスペシャルS・ウィザーズS・アーリントンクラシックS・スターズ&ストライプスH】がいるなど、当時の米国競馬における有数の牝系の出身だった。

本馬の半姉ビッグドゥーイングス(父バーグーキング)の子にビッグモー【デラウェアオークス】がいる他、本馬の半姉ブライトブルー(父バーグーキング)の牝系子孫にキャプテンキャンディマンキャン【キングズビショップS(米GⅠ)】がいる。また、ファースターの牝系子孫にはリトルマイク【BCターフ(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)・ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)】、アドマイヤラクティ【コーフィールドC(豪GⅠ)】などが、ブライダルカラーズの全姉ブラインドデートの牝系子孫にはエインシャントタイトル【チャールズHストラブS(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)2回・ハリウッド金杯(米GⅠ)・サンアントニオH(米GⅠ)】、バードタウン【ケンタッキーオークス(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)】、バードストーン【ベルモントS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】などがいる。→牝系:F8号族①

母父ブラックトニーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国で種牡馬入りしたが、僅か1年の供用で1951年に仏国へと輸出された。仏国で6年間種牡馬生活を送った後の1957年に英国に移動して、1970年に25歳で他界するまで彼の地で暮らした。種牡馬としては32頭のステークスウイナーを出して成功。1965年には仏母父首位種牡馬になっている。

後世に与えた影響

本馬は、ビュイソンアルダン、ヴェンチア、ミンシオ、オールデンタイムズなど多くの後継種牡馬を残した。ビュイソンアルダンは、サセックスS・セントジェームズパレスS勝ち馬ロアンロケット、アベイドロンシャン賞・イスパーン賞・ムーランドロンシャン賞の勝ち馬シルバーシャークを出した。ヴェンチアはビュイソンアルダンの全弟で、1961年に仏国で種牡馬入りし、8年後に日本に輸入された。仏国でも活躍馬を出したが、特に日本での活躍が顕著で、東京優駿勝ち馬クライムカイザー、桜花賞馬タカエノカオリの2頭のクラシックホースの他、スワンS・高松宮杯を勝ったイットー、京都大賞典を勝ったパッシングベンチャ、東京四歳S・弥生賞・オールカマーを勝ったトドロキヒホウ、ラジオたんぱ賞を勝ったホクセーミドリ、東海菊花賞を勝ったクリーンファミリーなどを出した。しかし種牡馬引退後の1979年に屠殺され食肉にされている。ミンシオはヴェンチアと同じく1961年に仏国で種牡馬入りし、8年後に日本に輸入された。1972・73年には全日本三歳首位種牡馬となるなど成功を収め、1979年に他界している。主な産駒は、朝日杯三歳Sの勝ち馬ミホランザン、北海道三歳S・ダービー卿チャレンジトロフィー・東京新聞杯を勝ったユウシオ、関屋記念を勝ったファイブワン、CBC賞・中日新聞杯を勝ったリキタイコーなどである。

このように本馬の後継種牡馬は各国で活躍したが、その大半はさらなる後継種牡馬に恵まれず、現在本馬の直系はほぼ途絶えている。しかし本馬の系統は繁殖牝馬の父として優秀であり、自身がレルコマッチ、フォルティノ、リライアンスを出した他、ヴェンチアを母の父に持つハギノトップレディ、ハギノカムイオー、タイテエム、カツラギエース、ソヴィエトスターや、ミンシオを母の父に持つムトト、シルバーシャークを母の父に持つオグリキャップ、オグリローマン、キャロルハウスなどが挙げられ、本馬の血の影響力が無くなったわけではない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1952

Reinata

アランベール賞・セーネワーズ賞・プティクヴェール賞

1952

Tactic

ロシェット賞

1953

Blockhaus

イスパーン賞・パース賞・フォワ賞・エドモンブラン賞

1953

Buisson Ardent

ミドルパークS・仏2000ギニー・ジャックルマロワ賞

1953

El Relicario

クインシー賞

1953

Polic

アランベール賞・ダフニ賞・サンジョルジュ賞

1954

Mystic

セーネワーズ賞・ウエストチェスターH

1955

Edellic

アベイドロンシャン賞・グロシェーヌ賞2回・プティクヴェール賞2回・モートリー賞・セーネワーズ賞

1955

Reluisante

グロット賞

1955

Texana

アベイドロンシャン賞・アランベール賞・サンジョルジュ賞

1956

Gric

ダリュー賞

1956

Iadwiga

ロシェット賞・クロエ賞

1957

Breloque

アスタルテ賞

1957

Jannic

サンジョルジュ賞

1957

Mincio

仏2000ギニー・ムーランドロンシャン賞・フォレ賞・サンロマン賞・セーネワーズ賞

1957

Venture

ミドルパークS・セントジェームズパレスS・サセックスS

1958

Olden Times

メトロポリタンH・マリブS・サンアントニオH・サンフアンカピストラーノ招待H・サンパスカルH2回

1960

Victorian Order

アランベール賞

1961

Texanita

アベイドロンシャン賞2回・アランベール賞・プティクヴェール賞2回・グロシェーヌ賞・セーネワーズ賞

1962

King Log

ゴードンS

1963

Pieces of Eight

エクリプスS・英チャンピオンS

1966

Hecuba

ノネット賞

1966

Rockcress

グロシェーヌ賞・ロンポワン賞

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