マークオブディスティンクション

和名:マークオブディスティンクション

英名:Markofdistinction

1986年生

青毛

父:ノウンファクト

母:ギスレイン

母父:アイスカペイド

名手ランフランコ・デットーリ騎手に初のGⅠ競走勝ちをプレゼントし、日本で種牡馬入り後は九州馬産界の救世主として活躍するも惜しくも早世した名マイラー

競走成績:2~4歳時に英米で走り通算成績12戦5勝2着1回3着2回

誕生からデビュー前まで

英国の実業家兼馬産家だったジェラルド・ウォルター・リー氏により、彼が英国ノーサンプトンシャー州に所有していたエイドンホールファームにおいて生産された。1930年にロンドンで産まれたリー氏は、南アフリカのケープタウンにあるモルバーン大学で建築学を学び、1961年に父親が経営していた不動産会社を引き継いだ。彼が引き継いだ会社自体は1964年に法人税の課税に絡んで自主倒産したが、それと前後して不動産投資業に参入して成功を収めていた。

さらにほぼ同時期に、英国エリザベスⅡ世女王陛下の専属騎手だったハリー・カー氏の援助を受けて馬産を開始。彼が所有していた牧場の規模は小さく、繁殖牝馬の数もそれほど多くは無かったが、本馬を皮切りに、バラシアボスラシャム、愛1000ギニー馬ゴッサマーといった活躍馬を送り出すことに成功した。彼は自身の所有馬が獲得した賞金を小児病院などに殆ど寄付していたらしく、リー氏に接した経験がある人は口を揃えてその人間的な温かみと寛大さを賞賛したという。彼は競走馬の健康についても気を配っており、英国の慈善団体アニマル・ヘルス・トラストとサラブレッド生産者協会の橋渡し役を務めた。彼は率直な意見が言えなくなる事を懸念して英国ジョッキークラブの名誉会員になる事を拒否したため、英国競馬公社から睨まれた事もあるそうである。

競走生活(2・3歳時)

そんなリー氏の所有馬として英国ルカ・クマーニ調教師に預けられた本馬は、2歳10月にニューマーケット競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスで、レイ・コクレーン騎手を鞍上にデビューした。既にその素質は評価されており、単勝オッズ1.91倍で19頭立て1番人気に支持された。レースでは馬群の中団後方を進み、残り2ハロン地点でスパート。残り1ハロン地点で先頭に立つと、先行して2着に粘った単勝オッズ3.25倍の2番人気馬シャルフリートに3馬身差をつけて快勝した。

2歳時はこの1戦のみで終え、3歳時はいきなり英2000ギニー(英GⅠ・T8F)に参戦した。対戦相手は、2戦2勝のナシュワン、テトラークSを勝ってきたサラトガン、クレイヴンSなど3戦無敗のシャーディー、ヨーロピアンフリーHを勝ってきたデインヒル、グリーナムSを勝ってきたザヤーニ、クレイヴンS2着のエクスボーン、ミドルパークS2着馬ピュアジーニアス、ミドルパークS・モエエシャンドンレネンの勝ち馬モントレゾールなどだった。素質が評価されていたと言っても、さすがに1戦1勝馬である本馬の注目度はそれほど高くなく、単勝オッズ15倍の7番人気だった。直前調教の動きが抜群だったナシュワンが単勝オッズ4倍の1番人気、サラトガンが単勝オッズ4.5倍の2番人気、シャーディーが単勝オッズ6倍の3番人気、デインヒルとザヤーニが並んで単勝オッズ10倍の4番人気、エクスボーンが単勝オッズ11倍の6番人気となっていた。スタートが切られると単勝オッズ101倍の12番人気馬グリーンスミスが先頭に立ち、1番人気のナシュワンは先行。コクレーン騎手が手綱を取る本馬は馬群の中団後方を追走した。そして残り2ハロン地点でスパートすると、残り1ハロン地点でナシュワンに並びかけた。しかしここから逆に差を広げられ、やはり先行したデインヒルや追い込んだエクスボーンにも後れを取り、勝ったナシュワンから1馬身3/4差の4着に敗れた。

その後は少し休養を取り、7月にリングフィールド競馬場で行われたリステッド競走シルヴァートロフィー(T7F140Y)で復帰した。僅か3頭立てのレースだった事もあり、本馬が単勝オッズ1.25倍という圧倒的な1番人気に支持された。ここで本馬に騎乗したのは当時19歳の若手騎手ランフランコ・“フランキー”・デットーリ騎手だった。

彼は1975年の英2000ギニーをボルコンスキーで、同年のデューハーストSと翌年の英2000ギニー・エクリプスS・サセックスS・ベンソン&ヘッジズ金杯をウォローで勝っていた伊国出身のジャンフランコ・デットーリ騎手の息子として、伊国のミラノに産まれた。12歳時に父親に買って貰ったポニーに乗ったのを契機に騎手を志すようになり、翌年に学校を中退して英国に武者修行に出た。そして15歳でクマーニ厩舎の見習い騎手となっていた。後にゴドルフィンの専属騎手として日本を含む世界各国の大競走を勝ちまくり(彼が勝っていない大競走を挙げるほうが難しい。欧州においては英国の英チャンピオンS・ジュライC・コロネーションS、仏国の仏1000ギニー・パリ大賞、愛国の愛1000ギニーくらいか。米国三冠競走は勝っていないがブリーダーズカップの主要3競走、BCクラシック・BCマイル・BCターフは全て勝っているし、ドバイ・香港・日本でも歴史と知名度がある国際競走は香港スプリントを除いて軒並み勝っている)、天才としての評価をほしいままにするデットーリ騎手も、前年まではこれといった実績が無い駆け出しの騎手だった。

さて、3頭立ての最後方を進んだ本馬は早めに仕掛けて残り2ハロン地点では既に先頭に立つと、そのまま後続との差を広げて、2着となった単勝オッズ4.5倍の2番人気馬タツフィールドに6馬身差をつけて圧勝した。

それから11日後にはコクレーン騎手とコンビを組んで、サセックスS(英GⅠ・T8F)に出走した。このレースは、サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世S・リッチモンドS・英シャンペンS・クイーンアンSを勝ちジャックルマロワ賞で2着していた欧州マイル王者ウォーニングを筆頭に、ジャージーS・クリテリオンSなど3戦無敗の上がり馬ジルザル、英2000ギニーでは11着に終わっていたがその後に愛2000ギニーとセントジェームズパレスSを連勝してきたシャーディー、英ダービー・英チャンピオンS2着の実績もあったロッキンジS・セレクトSの勝ち馬モストウェルカム、前走エクリプスSで人気薄を覆してナシュワンの2着に逃げ粘っていた後のBCマイルの勝ち馬オープニングヴァーズといった強敵相手の戦いになった。ウォーニングが単勝オッズ2.75倍の1番人気、ジルザルが単勝オッズ3.5倍の2番人気、本馬が単勝オッズ4倍の3番人気、シャーディーが単勝オッズ8倍の4番人気となった。

スタートが切られるとエクリプスSの再現を狙うオープニングヴァーズが逃げを打ち、シャーディーやジルザルなどがそれを追って先行。本馬は馬群の後方につけ、ウォーニングは最後方を追走した。そのまま直線に入るとジルザルが抜け出し、本馬も残り2ハロン地点で伸びを欠くウォーニングを置き去りにしてスパート。しかしジルザルだけでなく、先行して粘った単勝オッズ101倍の7番人気馬グリーンラインエクスプレスを捕らえるのにも失敗。やはり馬群の中団から伸びてきたモストウェルカムを短頭差抑えるのが精一杯で、勝ったジルザルから4馬身半差の3着に敗れた。

次走は9月のキヴトンパークS(英GⅢ・T7F)となった。あまり目立つ対戦相手はおらず、デットーリ騎手が騎乗した本馬が単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の中団好位につけて残り2ハロン地点で早めに抜け出す王道的な走りを見せた。しかしどうもこういった走り方は本馬には合わなかったようで、ゴール前で失速。単勝オッズ3.25倍の2番人気馬ゴールドシームに差し返されて2馬身差の2着に敗れた。

次走は10月のスプリームS(英GⅢ・T7F)となった。今回はコクレーン騎手とコンビを組んで必勝態勢を取った。ここにも目立つ対戦相手はおらず、あえて挙げるとすれば前走キヴトンパークSで本馬から2馬身差の3着だったケリタがいるくらいであり、本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。前走で前に行って失速した事から、今回はいつもの後方待機策に戻した。そして直線では大外に持ち出して残り2ハロン地点から一気に追い上げてきた。しかし早めに抜け出していた単勝オッズ10倍の3番人気馬ミラーブラックと、外側を追い込んだ単勝オッズ8倍の2番人気馬ケリタの頭差接戦に参加することが出来ず、勝ったケリタから1馬身半差の3着に終わった。3歳時の成績は5戦1勝止まりとなってしまった。

競走生活(4歳前半)

4歳時は4月のトラストハウスフォルテマイル(英GⅡ・T8F)から始動した。このレースから本馬の主戦には、前年に75勝を挙げて英最優秀見習い騎手を受賞してようやく頭角を現してきたデットーリ騎手が固定されることになった。愛チャンピオンS・アールオブセフトンSで2着していたバリーマコイSの勝ち馬シティダンサー、チャイルドSの勝ち馬でコロネーションS2着・ジャックルマロワ賞3着のマジックグリーム、ドンカスターマイルを勝ってきたルナムーヴァーなどが対戦相手となった。シティダンサーが単勝オッズ2.5倍の1番人気、マジックグリームが単勝オッズ5倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ5.5倍の3番人気だった。スタートが切られるとマジックグリームが逃げて、シティダンサーが先行と、上位人気馬2頭はいずれも前のほうに行った。しかし下手に前に行くと駄目である事を理解していたデットーリ騎手は焦らずに後方で我慢していた。そして7頭立ての5番手で直線に入ってから満を持して仕掛けると一気に伸び、残り1ハロン地点で先頭に立つと、2着シティダンサーに2馬身差、3着マジックグリームにはさらに4馬身差をつけて快勝した。

次走は翌月のロッキンジS(英GⅡ・T8F)となった。前年の愛2000ギニーでシャーディーの3着・クイーンエリザベスⅡ世Sでジルザルの3着だった愛国際S・セレブレーションマイル・チャレンジSの勝ち馬ディスタントリラティヴ、人気薄だったトラストハウスフォルテマイルでは本馬の11馬身差5着に敗れ去っていたがその次に出走したリステッド競走スプリングトロフィーを4馬身差で圧勝して注目を集めていたサファワン、リステッド競走レスターシャーSを勝ってきたモンサジェム、前年のサセックスS2着以降は今ひとつの成績だったグリーンラインエクスプレス、マジックグリームの合計5頭が対戦相手となった。実績ではディスタントリラティヴが最上位だったがシーズン初戦だったために割り引かれ、本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、ディスタントリラティヴが単勝オッズ5.5倍の2番人気、サファワンが単勝オッズ6倍の3番人気、これまたシーズン初戦のグリーンラインエクスプレスが単勝オッズ7倍の4番人気となった。ここでも後方待機策を採った本馬は残り2ハロン地点で仕掛けて、残り1ハロン地点では先頭に並びかける勢いだった。しかしここから失速してしまい、3馬身3/4差の4着に敗退。最後方待機策から突き抜けて2着ディスタントリラティヴに2馬身差で勝ったのは、トラストハウスフォルテマイルでは本馬に歯が立たなかったサファワンだった。

次走のクイーンアンS(英GⅡ・T8F)では、サファワン、ディスタントリラティヴ、ロッキンジSで3着だったモンサジェム、同5着だったマジックグリームが出走してきて、グリーンラインエクスプレスを除くロッキンジS出走馬が全て参戦していた。しかし人気順には変動があり、サファワンが単勝オッズ2.75倍の1番人気、ディスタントリラティヴが単勝オッズ3.25倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ8倍の3番人気と、上位人気2頭からは水を空けられていた。

スタートが切られると単勝オッズ12倍の4番人気馬マジックグリームが先頭に立ち、ディスタントリラティヴやモンサジェムは先行、サファワンは中団、本馬は最後方に陣取った。サファワンとモンサジェムには全く伸びが無く、マジックグリームとディスタントリラティヴも直線で伸びを欠く中で先頭に踊り出たのは、今回は単勝オッズ21倍の7番人気だった前年のスプリームS2着馬ミラーブラックだった。そこへ残り2ハロン地点で仕掛けた本馬が襲い掛かり、残り1ハロン地点では2頭の一騎打ちとなった。最後は本馬が2着ミラーブラックを首差抑えて勝利した。ディスタントリラティヴはさらに5馬身差の3着、マジックグリームはさらに3/4馬身差の4着、サファワンはさらに20馬身も離された5着、モンサジェムは9着最下位と、本馬以外のロッキンジS出走組は揃って振るわなかった。

競走生活(4歳後半)

翌7月には米国に遠征して、シーザーズ国際H(米GⅡ・T9.5F)に出走した。対戦相手筆頭格は、前年のBCマイル・アーリントンミリオンに加えてバーナードバルークH・ハリウッドターフH・イングルウッドH2回・エルリンコンH・プレミエールH・バドワイザーBCH・ダリルズジョイS・バドワイザーBCSを勝っていた現役米国芝路線最強馬ステインレンだった。ステインレンが勝ったBCマイルでは1番人気のジルザルが6着に敗れており、本馬にとってこのレースを勝てば間接的にサセックスSの借りを返せる状況だった。強敵はステインレンだけでなく、前年にユナイテッドネーションズH・マンノウォーS・ターフクラシックとGⅠ競走3勝を挙げてバドワイザー国際S・ハリウッドターフカップS2着・アーリントンミリオン3着などブレイクしていたレッドスミスH・ローレルターフカップS・アップルトンH・エルクホーンS・キングエドワード金杯・オーシャンポートSの勝ち馬ヤンキーアフェアー、セリマS・ニューヨークH・マッチメイカーS・カンタベリーオークス・ニジャナS・アシーニアHの勝ち馬でフラワーボウルH2着のキャパデス、伊共和国大統領賞・ミラノ大賞・カールトンFバークHの勝ち馬でアラルポカル2着・マンノウォーS3着のアルワウーシュ、ルイジアナダウンズHの勝ち馬でサンフアンカピストラーノ招待H2着・サンセットH・ハリウッドターフカップS3着のプレザントバラエティ、後にマーヴィンルロイHを勝つルイシプルなども出走していた。しかしやはり一番強かったのはステインレンであり、2着キャパデスに4馬身差をつけて圧勝。本馬はアルワウーシュにも後れを取り、ステインレンから6馬身1/4差の4着に敗退した。

帰国後は2か月ほど休養して、9月のクイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ・T8F)に向かった。英2000ギニー・愛2000ギニー・ホーリスヒルS・クレイヴンSの勝ち馬でパリ大賞3着のチロル、セントジェームズパレスS・セレブレーションマイルの勝ち馬でサセックスS3着のシェイヴィアン、クイーンアンS3着後にサセックスS・ムーランドロンシャン賞を勝ちジャックルマロワ賞で3着していたディスタントリラティヴ、仏2000ギニー・ロシェット賞・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム・ジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞2着のリナミックス、ロッキンジSこそ6着最下位だったがその後にサセックスS2着・キヴトンパークS勝利と巻き返してきたグリーンラインエクスプレス、トラストハウスフォルテマイル2着後にイスパーン賞3着・グレンカーンS勝利と活躍していたシティダンサー、セレブレーションマイルで2着してきた伊グランクリテリウム・伊2000ギニー・ダフニ賞の勝ち馬キャンディグレンなどの強力メンバーが対戦相手となった。チロルが単勝オッズ4.5倍の1番人気、シェイヴィアンが単勝オッズ5倍の2番人気、ディスタントリラティヴが単勝オッズ5.5倍の3番人気、リナミックスが単勝オッズ6倍の4番人気、本馬が単勝オッズ7倍の5番人気と、非常に混戦模様となっていた。

スタートが切られるとシェイヴィアンが先頭に立ち、チロルは中団好位、ディスタントリラティヴ、リナミックス、本馬は馬群の後方につけた。勝負どころの残り2ハロン地点では有力各馬の脚色がはっきりと分かれた。シェイヴィアンは失速し、リナミックスとチロルも全く伸びてこなかった。そして有力3歳馬勢を尻目に抜け出してきたのはディスタントリラティヴと本馬の4歳馬2頭だった。残り1ハロン地点ではこの2頭が横並びとなって一騎打ちとなったが、本馬がゴール前で右側によれながらも一伸びして、2着ディスタントリラティヴに1馬身差で勝利。3着に粘ったグリーンラインエクスプレスはさらに8馬身後方で、人気を集めていた3歳馬勢は悉く惨敗した。本馬鞍上のデットーリ騎手は後に世界各国でGⅠ競走を200勝近く挙げる事になるのだが、その記念すべきGⅠ競走初勝利がこのレースだった。

その後は再度米国に向かい、ベルモントパーク競馬場で行われたBCマイル(米GⅠ・T8F)に参戦した。対戦相手は、ジュライC・テトラークSの勝ち馬で愛2000ギニー・スプリントC2着のロイヤルアカデミー、バーナードバルークH・サラトガバドワイザーBCHの勝ち馬フーズトゥペイ、ジャンプラ賞・ジャックルマロワ賞の勝ち馬でパリ大賞2着・ムーランドロンシャン賞3着のプリオロ、シーザーズ国際H勝利後にアーリントンミリオンで3着していたステインレン、アスタルテ賞・クリサンセマムHの勝ち馬レディウイナー、サラナクS・ランプライターH・チョイスH・ケルソHの勝ち馬クスペンシヴディシジョン、メドウランズCH・ロングフェローHの勝ち馬グレートノルマンド、ファウンテンオブユースSの勝ち馬でトラヴァーズS2着のショットガンスコット、ウィルロジャーズS・アスコットHの勝ち馬イッツオールグリークトゥミーなどだった。この年のBCマイルはかなりの混戦模様で、7ハロン以下の距離しか勝ち星が無かったロイヤルアカデミーが、54歳にして現役復帰したばかりの名手レスター・ピゴット騎手効果もあって単勝オッズ3.8倍の1番人気に押し出され、フーズトゥペイが単勝オッズ4.7倍の2番人気、プリオロが単勝オッズ5.7倍の3番人気、連覇を目指すステインレンが単勝オッズ5.9倍の4番人気、本馬が単勝オッズ8.1倍の5番人気となった。

明らかに追い込み戦法を得意としていた本馬だったが、平坦小回りコースで行われるBCマイルで後方から行く自信はデットーリ騎手にはまだ無かったのか、ここでは馬群の中団好位につけた。そして三角から四角にかけて各馬が一斉に仕掛けると、デットーリ騎手も仕掛けた。そして3番手で直線に入ってくると、前を行くイッツオールグリークトゥミーとイクスペンシヴディシジョンの伏兵2頭を追撃。しかしやはりいつもの鋭い切れ味は発揮できず、後方から来たロイヤルアカデミー、プリオロ、ステインレン、フーズトゥペイなどに次々とかわされた。結局は前の2頭を捕らえる事も出来ず、勝ったロイヤルアカデミーから2馬身3/4差の7着に敗退。

こうしてデットーリ騎手のブリーダーズカップ初参戦は、35歳年上のピゴット騎手の前に完敗という結果に終わった。デットーリ騎手はこの年に英国ではピゴット騎手以来となる10代での年間100勝達成という快挙を成し遂げ、ピゴット騎手以来の天才と言われるのだが、この時点ではピゴット騎手の手腕には遠く及ばなかったようである。ちなみにデットーリ騎手がブリーダーズカップを初めて勝つのはこれから4年後のBCマイルで、そのときの騎乗馬は、本馬と同じくリー氏の生産・所有馬(所有権の75%はドバイのシェイク・モハメド殿下が有していた)でやはりクマーニ師が管理していたバラシアだった。本馬はこのBCマイルを最後に4歳時6戦3勝の成績で引退した。

競走馬としての特徴、評価、馬名に関して

本馬の現役成績を振り返ると、勝ち馬から5馬身以上離されたのはシーザーズ国際Hのみであった。典型的な追い込み脚質(前に行ったレースでは多くの場合振るわなかった)だったためか、やや勝ち切れない部分はあったが、マイル以下のレースでは概ね安定して走っていた。

また、本馬の現役時代は欧州マイル路線が結構レベルが高く、本馬と一緒に走ったジルザルなどはかなり高い評価が与えられている。本馬もそれらの馬には一歩及ばぬとは言え、かなりの実力を持っていたのは確かであろう。4歳時の1990年における国際クラシフィケーションの古馬部門においては128ポンドで第2位(1位は130ポンドのオールドヴィック)、英タイムフォーム社のレーティングでは130ポンドでオールドヴィックと並んで古馬1位タイの評価を受けた。

馬名の“Mark of distinction”を直訳すると「特徴(栄誉・区別・優秀性といった意味もある)がある印」の意味であるが、馬名の中に空白を入れると馬名制限(空白を含めて18文字まで)に引っ掛かるため、空白無しにしたものであるらしい。なお命名理由は、脚のどこかに目立つ模様があったからだと言われている。

血統

Known Fact In Reality Intentionally Intent War Relic
Liz F.
My Recipe Discovery
Perlette
My Dear Girl Rough'n Tumble Free for All
Roused
Iltis War Relic
We Hail
Tamerett Tim Tam Tom Fool Menow
Gaga
Two Lea Bull Lea
Two Bob
Mixed Marriage Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Persian Maid Tehran
Aroma
Ghislaine Icecapade Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Shenanigans Native Dancer Polynesian
Geisha
Bold Irish Fighting Fox
Erin
Cambretta Roberto Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Cambrienne Sicambre Prince Bio
Sif
Torbella Tornado
Djebellica

ノウンファクトは当馬の項を参照。

母ギスレインは本馬と同じくリー氏の生産・所有馬だが、誕生したのは米国ケンタッキー州だった。競走馬としては英国で走り2戦1勝の成績だった。直子における目立つ活躍馬は本馬くらいだが、牝系子孫はなかなか発展している。本馬の半妹アヘッド(父シャーリーハイツ)の子にホラティア【マッチメイカーS(米GⅢ)】、オピニオンポール【ロンズデールC(英GⅡ)2回・グッドウッドC(英GⅡ)・ドバイ金杯(首GⅢ)】が、本馬の半妹クリケット(父シャーリーハイツ)の子にフライングクラウド【リブルスデールS(英GⅡ)・クレオパトル賞(仏GⅢ)】、孫にレイヴロック【イスパーン賞(仏GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】、曾孫にピエロ【ゴールデンスリッパー(豪GⅠ)・AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・カンタベリーS(豪GⅠ)・ジョージライダーS(豪GⅠ)】が、本馬の半妹ヘッディ(父ルション)の子にサルスロン【キウスーラ賞(伊GⅢ)3回・エドモンブラン賞(仏GⅢ)】がいる。ギスレインの半兄に本邦輸入種牡馬プルラリズム(父ザミンストレル)【シェーヌ賞(仏GⅢ)・ギシュ賞(仏GⅢ)・シュマンドフェルデュノール賞(仏GⅢ)】、半妹にシングレッタ(父ノーダブル)【ヘルプスト牝馬賞(独GⅢ)】がいる。

ギスレインの母カンブレッタの全弟にクリティク【ハードウィックS(英GⅡ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)・セプテンバーS(英GⅢ)】が、カンブレッタの半妹ローズレッドの孫にドクターデヴィアス【英ダービー(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】と日本で走ったシンコウキング【高松宮記念(GⅠ)】の兄弟、曾孫にスズカフェニックス【高松宮記念(GⅠ)・阪神C(GⅡ)・東京新聞杯(GⅢ)】とダンシングレイン【英オークス(英GⅠ)・独オークス(独GⅠ)】、玄孫にメイビー【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)】がいる。カンブレッタの祖母トルベラはデューハーストSの勝ち馬で、トルベラの母ジェベリカは愛オークス馬。ジェベリカの牝系子孫からは、カールモント【サセックスS】、プリンセスリダ【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)】、ヴィンチェンツォ【ダルマイヤー大賞(独GⅠ)】、ルバラフル【ジャンプラ賞(仏GⅠ)】、コールカミノ【ガネー賞(仏GⅠ)】、リサイタル【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)】などが出ており、凱旋門賞馬ボンモー、英2000ギニー馬ミスティコなども同じ牝系である。→牝系:F1号族③

母父アイスカペイドは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は日本中央競馬会によって購入され、1991年から日本軽種馬協会静内種馬場で種牡馬入りした。初年度は49頭、2年目は63頭、3年目の1993年は59頭の繁殖牝馬を集めるなかなかの人気種牡馬だった。この1993年の繁殖シーズン終了後に鹿児島県にある日本軽種馬協会九州種馬場に移動した。九州はサラブレッドの馬産規模が北海道とは比較にならないほど小さく、本馬も九州移動後最初の繁殖シーズンとなった1994年の交配数は20頭に留まった。しかしこの年にデビューした初年度産駒の出来が良く、ホッカイルソーやトドロキダービーが三歳戦から活躍した。そのために本馬は九州において評判の種牡馬となり、翌5年目は68頭、6年目の1996年は55頭と、九州繋養種牡馬としては異例の数の繁殖牝馬を集めた。しかしこの1996年9月に疝痛のため10歳で早世してしまった。

本馬の死後も産駒は活躍を続け、九州産馬として17年ぶりの中央競馬重賞勝ち馬となったコウエイロマンの他にも地方競馬の重賞勝ち馬を複数送り出した。全日本種牡馬ランキングでは1998年の35位が最高だが、この年は代表産駒ホッカイルソーが1戦もしておらず、他の産駒達が地道に走り続けた結果である。特に九州産馬限定競走では、出走馬の大半が本馬の産駒だった事もあり、産駒が上位を独占する事も珍しくなかった。供用期間が短かったにも関わらず「九州のサンデーサイレンス」「九州の奇跡」とも呼ばれ、決して質が高いとは言えない九州の馬産地のエース種牡馬として評価された。そのために余命がもっとあればと九州の馬産家達からは大変に惜しまれた。

九州種馬場にある馬頭観音には、本馬とグランディの2頭の名が刻まれている。絶大な期待を受けながら種牡馬として不振を極めて九州に流れてきたグランディと、それほど期待されなかったにも関わらず九州馬産界の救世主と言われた本馬の名前が並んでいるのは競馬が有する一種残酷な皮肉性とでも言うべきであろうか。

既に本馬の産駒は現役競走馬にいないため産駒傾向などをここに書いても仕方が無い気はするが、産駒の走りをリアルタイムで見た(殆どホッカイルソーのレースばかりだが)筆者の感想としては、本馬同様に一瞬の切れ味はあるが長い脚を使うことが出来ないために勝ち切れない傾向が強かったような気がする。これまたホッカイルソーから受けた印象だが、パワーはあったようで重馬場やダート競走は苦にしなかったようである。ホッカイルソーは長距離馬だったが、それはどうやら母系のスタミナ色が強く出たためだったらしく、基本的にはマイル前後の距離がベストだったようである。ホッカイルソーが後継種牡馬入りしたが成功する事は出来ず、今後は母系にその名を残すことになりそうである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1992

トドロキダービー

三歳優駿(高崎)・高崎皐月賞(高崎)

1992

ホッカイルソー

日経賞(GⅡ)・オールカマー(GⅡ)

1992

ラックチケット

花吹雪賞(佐賀)

1993

バクシンマーチ

青雲賞(大井)

1993

マジックリボン

名古屋記念(SPⅠ)2回・くろゆり賞(SPⅠ)・全日本サラブレッドC(GⅢ)・読売レディス杯(金沢)

1994

イージースマイル

金の鞍賞(高知)・花吹雪賞(佐賀)・黒潮皐月賞(高知)・高知優駿(高知)・RKC杯(高知)

1994

セイントサブリナ

東京三歳優駿牝馬(南関GⅠ)・青雲賞(南関GⅡ)

1995

シンセイマーク

霧島賞(佐賀)

1996

コウエイロマン

小倉三歳S(GⅢ)

1997

アイティースワロー

霧島賞(佐賀)

1997

マークオー

霧島賞(佐賀)

1997

マークオブハート

北斗盃(札幌)・エトワール賞(H3)

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