クレペロ

和名:クレペロ

英名:Crepello

1954年生

栗毛

父:ドナテロ

母:クレパスキュール

母父:ミクセ

慢性の脚部不安を抱えながら英2000ギニー・英ダービーを制したがその後は一走も出来なかった未完の強豪馬

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績5戦3勝2着1回

誕生からデビュー前まで

中国・香港や東南アジアにおけるホテル業で成功した第3代准男爵エリス・ヴィクター・サスーン卿が英国ニューマーケットに設立したイヴスタッド(旧名ウッドディットンスタッド。サスーン卿が自身のイニシャルをとって改名した)において生産・所有した馬で、英国ノエル・マーレス調教師に預けられた。主戦はレスター・ピゴット騎手で、本馬の全レースに騎乗した。本馬はデビュー前から前脚の腱に慢性的な不安を抱えており、いつ脚の爆弾が弾けてもおかしくない状態だった。そのため、マーレス師は本馬の前脚に常時サポーターを巻きつけて保護する必要があった。調教も朝に流す程度しか行えなかったが、それでもデビュー前から優秀なスピード能力を披露していた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にアスコット競馬場で行われたウインザーキャッスルS(T5F)でデビューして、フルファーの頭差2着(ナショナルブリーダーズプロデュースSの勝ち馬ミリタリーロウが本馬から3/4馬身差の3着だった)。このレースでは、後に出走予定だった重要なレースのために余力を残す必要があると考えたマーレス師の指示により、ピゴット騎手はあまり熱心に本馬を追うことはしなかったという。

その後はしばらくレースに出ず、9月のミドルパークS(T6F)で復帰したが、パイプオブピース、ミリタリーロウなどに後れを取り、パイプオブピースの2馬身3/4差4着に敗れた。11月のデューハーストS(T7F)では、英国エリザベスⅡ世女王陛下の所有馬で後のリングフィールドダービートライアルS・カンバーランドロッジS・ジョンポーターS・オーモンドSの勝ち馬ドーテルなどを抑えて、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。そして2着ドーテルに3/4馬身差をつけて勝利を収め、大一番で初勝利を挙げた。2歳時の成績は3戦1勝だった。

競走生活(3歳時)

マーレス師は、冬場には本馬の脚の状態を維持する事だけに専念し、3歳春になると、本馬の脚に負担がかからないよう小草木が茂った地面で慎重な調教を行った。しかし調教相手は後のエクリプスS・キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬アークティックエクスプローラーだったため、本馬の素質を引き出すには十分だったようである。

その後はステップレースなど一切使わずに英2000ギニー(T8F)に直行した。前哨戦のグリーナムSを勝ってきたパイプオブピースが人気を集めていたが、本馬も単勝オッズ4.5倍の2番人気に推された。しかし本馬は大外枠発走となってしまった。英2000ギニーは直線のローリーマイルコースで行われる。スタートからゴールまで全馬が真っ直ぐ走るのであれば枠順はあまり関係ないが、実際にはそんな事にはならず、通常は内埒沿いに出走全馬が寄って固まって走る(出走馬が多い場合は馬群が2~3つに分かれる事もあるけれども)。そのため、直線コースという字面から受ける印象以上に大外枠発走というのは距離のロスが大きくて不利なのである。1頭の馬が放馬して逃げ出したり、スターティングテープに引っ掛かった3人の騎手が落馬したりと、スタート前からアクシデントが相次いで発走は遅れた。

ようやく正規のスタートが切られると、ピゴット騎手はあえて出遅れ気味のスタートからすぐに内側に寄せる作戦を採った。そして残り1ハロン地点で仕掛けると、瞬く間に他馬を差し切って先頭に立った。先頭に立つとやや気を抜く素振りを見せたが、2着クオラム(後のサセックスS・ジャージーSの勝ち馬だが、それよりも障害競走の名馬中の名馬レッドラムの父として有名)に半馬身差、3着パイプオブピースにはさらに短頭差をつけて勝利した。

次走の英ダービー(T12F)では、パイプオブピース、ドーテルなどを抑えて、単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。道中は出走22頭中の8番手と好位を進み、タッテナムコーナーに入ると馬群の中に突っ込んだ。そして直線に入ると残り2ハロン地点で先頭に立ち、2着バリモスに1馬身半差をつけて快勝。その力強く凄まじい加速力は特筆物だったという。勝ちタイム2分35秒4はエプソム競馬場芝12ハロンで行われた英ダービー史上当時2番目の好タイム(当時の1位はマームードが1936年に計時した2分33秒8)となった。

その後はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを使って、秋の英セントレジャーで英国三冠を狙う予定であった。しかし直前まで1番人気に推されていたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSは、豪雨で馬場状態が急激に悪化したために、故障の危険性を考慮したマーレス師の判断により寸前で回避した(本馬不在のレースは単勝オッズ21倍の伏兵モンタヴァルが勝利している)。そして英セントレジャーを目指した調教中に、本馬が脚に抱えていた爆弾が遂に弾けた。脚部腱断裂の一歩手前と診断され、それ以上走ると腱が完全に断裂してしまう事が確実となったため、そのまま3歳時2戦2勝の成績で競走馬引退となった。

競走馬としての評価

本馬は競走馬としてのキャリアが少なすぎて、単純にレース内容だけで実力を測ることは難しい。しかし英ダービーで本馬に敗れたバリモスが当年の愛ダービー・英セントレジャーと、翌年のコロネーションC・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・凱旋門賞を制覇する大活躍を見せており、間接的に本馬の実力の高さを示している。ピゴット騎手は「先頭に立つと気を抜く怠惰な面がありましたが、私が騎乗した中では5本の指に入る馬でした。英ダービー以降も走っていれば無敵だったでしょう」と高い評価をしている。脚部不安さえ無ければ、本馬はニジンスキーミルリーフ級の活躍を見せていただろうと海外の資料でも評価されている。

血統

Donatello Blenheim Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Malva Charles O'Malley Desmond
Goody Two-Shoes
Wild Arum Robert le Diable
Marliacea
Delleana Clarissimus Radium Bend Or
Taia
Quintessence St. Frusquin
Margarine
Duccia di Buoninsegna Bridge of Earn Cyllene
Santa Brigida
Dutch Mary William the Third
Pretty Polly
Crepuscule Mieuxce Massine Consols Doricles
Console
Mauri Ajax
La Camargo
L'Olivete Opott Maximum
Oussouri
Jonicole Saint Just
Sainte Fiole
Red Sunset Solario Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Sun Worship Sundridge
Doctrine
Dulce Asterus Teddy
Astrella
Dorina La Farina
Dora Agnes

父ドナテロはアリシドンの項を参照。

母クレパスキュールは競走馬としては4戦1勝、ハーストパークヴァージニアプレートというレースを勝っただけの平凡な成績だった。しかし繁殖牝馬としては一流で、本馬の半姉ハニーライト(父ハニーウェイ)【英1000ギニー】、半弟トワイライトアレイ(父アリシドン)【アスコット金杯】も産んでいる。クレパスキュールにとってはハニーライトは初子で本馬は2番子だが、初子と2番子がいずれも英国クラシック競走の勝ち馬となったというのは、どうやら英国競馬史上に残る大記録のようである。

ハニーライトの牝系子孫からは、アッティカメリ【ヨークシャーオークス(英GⅠ)】、アルベルトジアコメッティ【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)】、フェランレディ【ゴールデンスリッパーS(豪GⅠ)】、日本で走ったレジェンドテイオー【アルゼンチン共和国杯(GⅡ)・セントライト記念(GⅢ)・2着天皇賞秋(GⅠ)】などが出ている。クレパスキュールの曾祖母ドリーナはサラマンドル賞・仏グランクリテリウム・仏オークス・ヴェルメイユ賞を勝った名牝。→牝系:F16号族①

母父ミクセは現役成績9戦5勝、仏ダービー・パリ大賞・リュパン賞・オカール賞の勝ち馬。遡ると、アスコット金杯・凱旋門賞・リュパン賞・オカール賞の勝ち馬マッシーン、セントサイモン賞の勝ち馬コンソルス、英セントレジャー馬ドリクレス、グッドウッドC・ジョッキークラブCの勝ち馬フロリゼルを経てセントサイモンに行きつく血統。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のイヴスタッド(ビーチハウススタッド)で種牡馬入りした。脚部不安を受け継いだ産駒が多く、それが種牡馬成績に悪影響を及ぼした一面もあったようであるが、それでも、1969年の英愛首位種牡馬、1974年の英愛母父首位種牡馬に輝くなど成功を収めた。1974年に20歳で他界した。本馬の名はイギリス国鉄のディーゼル機関車D9012号の名称として、1961年から1981年まで使用された。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1959

Crepello's Daughter

チェリーヒントンS

1960

Crevette

チャイルドS

1960

The Creditor

クイーンエリザベスⅡ世S・ロッキンジS

1961

Atbara

ホーリスヒルS

1961

Cursorial

パークヒルS

1961

Soderini

ジョンポーターS・ハードウィックS

1962

Look Sharp

ディーS

1963

Busted

エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ガリニュールS・フォワ賞

1963

Soft Angels

ロイヤルロッジS

1964

Cranberry Sauce

プリティポリーS・サンチャリオットS・ネルグウィンS・フィユドレール賞

1964

Pink Gem

チェシャーオークス・パークヒルS

1965

Caergwrle

英1000ギニー

1965

Candy Cane

バリモスS・ロイヤルホイップS

1965

Celina

愛オークス

1965

Crucible

モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)

1966

Barrons Court

ブランドフォードS

1966

Crepellana

仏オークス

1966

Lucyrowe

コロネーションS・ナッソーS・サンチャリオットS

1966

Vervain

キングエドワードⅦ世S

1967

Cry Baby

ロイヤルS

1967

Great Wall

キングエドワードⅦ世S

1968

Linden Tree

オブザーヴァー金杯・チェスターヴァーズ(英GⅢ)

1968

Yelda

チェシャーオークス(英GⅢ)

1969

Pentland Firth

サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)

1970

Milly Moss

チェシャーオークス(英GⅢ)

1970

Mysterious

英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)・チェリーヒントンS(英GⅢ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)

1971

Mil's Bomb

パークヒルS(英GⅡ)・ナッソーS(英GⅡ)・ランカシャーオークス(英GⅢ)

1972

Red Cross

ミルリーフS(英GⅡ)

1973

Trusted

クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ)

1974

Caporello

リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ)

1974

Perello

クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)

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