ベラパオラ
和名:ベラパオラ |
英名:Bella Paola |
1955年生 |
牝 |
黒鹿 |
父:ティチノ |
母:リア |
母父:ガンドマール |
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英2000ギニー・英オークスなどを制し、その血統背景から第二次世界大戦という混沌の中から生まれた仏独混血の名牝と呼ばれる |
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競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績11戦8勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
仏国競馬史上に名を残す名馬産家フランソワ・デュプレ氏により生産・所有され、仏国フランソワ・マテ調教師に預けられた。成長すると体高16.3ハンドに達したという牝馬としてはかなり大柄な馬であり、しかも非常に筋肉質で力強い馬だった。
競走生活
2歳8月にドーヴィル競馬場で行われたヤコウレフ賞(T1000m)でデビューしたが、ここでは3着に敗れた。次走のジョルジュドケルハレー賞で勝ち上がった。3戦目のクリテリウムドメゾンラフィット(T1400m)では、フリヴォラ賞やヴィリエ賞に勝ってきたターキン(後の本邦輸入種牡馬)を2着に抑えて勝利。次走の仏グランクリテリウム(T1600m)ではターキンが逃げ切りを図ったが、ゴール直前で本馬が差し切って鼻差で勝利を収め、2歳時の成績を4戦3勝とした。2歳馬フリーハンデでは、2歳にしてアベイドロンシャン賞を勝利した同厩の牝馬テクサナに次ぐ第2位の評価を受けた。
3歳時は、4月にメゾンラフィット競馬場で行われたインプルーデンス賞(T1400m)から始動して軽く勝利した。次の目標は普通であれば仏1000ギニーになるところだったが、既に1954年の仏1000ギニーをヴィルギュルで勝利していたデュプレ氏とマテ師は、本馬を英1000ギニー(T8F)に向かわせることにした。セルジュ・ブーランジェ騎手が騎乗した本馬は単勝オッズ7倍の評価だったが、中団から抜け出して、2着となった後の愛オークス馬アマンテに1馬身半差、3着となったチェリーヒントンS・フレッドダーリンS2着のアルパインブルームにはさらに5馬身差をつけて勝利を収めた。
続いて英オークス(T12F)に参戦。ブーランジェ騎手が兵役のために騎乗できなかったため、今回はマックス・ガルシア騎手が騎乗した。単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された本馬は、序盤で最後方につけると徐々に前方に進出。6番手で直線を向くと瞬く間に抜け出して、2着マザーグースに3馬身差、3着となった後のパークヒルS・ジョンポーターS・ヨークシャーCの勝ち馬カッターにもさらに3馬身差をつけて快勝した。
その後は仏国に戻り、牡馬相手の仏ダービー(T2400m)に果敢に挑戦。後の本邦輸入種牡馬タマナーの3馬身差2着に入り、15頭の牡馬に先着する好走を見せた。
秋はヴェルメイユ賞(T2400m)から始動し、力を温存する走りで、2着となったユジェーヌアダム賞2着馬ビップに3/4馬身差、3着となったノネット賞の勝ち馬で仏オークス3着のジェルーバにはさらに4馬身差をつけて勝利した。
次走の凱旋門賞(T2400m)では、リュパン賞・ガネー賞2回・サンクルー大賞2回などを勝っていた同馬主同厩の5歳牡馬タネルコとのカップリングで1番人気に支持された。しかし直線で伸びを欠いて、バリモスの8着に敗退。愛ダービー・英セントレジャー・コロネーションC・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなどに勝っていた名馬バリモスに敗れたのは致し方ないにしても、クリテリウムドメゾンラフィットと仏グランクリテリウムでいずれも3着に破っていたケラスコ(3着)や、前走で負かしたビップ(4着)にも後れを取ったというのは、タネルコ(5着)共々やや不甲斐ない結果だった。
しかし再び渡英して出走した英チャンピオンS(T10F)では、愛ダービーを勝ち愛2000ギニーと愛セントレジャーで2着していた同世代馬シンドン、ミドルパークS・セントジェームズパレスS・サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世Sに勝ち英2000ギニーで2着していた同世代最強マイラーのメジャーポーションといった有力牡馬勢を蹴散らして、2着シンドンに1馬身1/4差、3着メジャーポーションにはさらに2馬身差をつけて優勝。同世代馬では牡馬を含めてもトップクラスの実力を有する事を証明して、引退レースの花道を飾った。3歳時の成績は7戦5勝だった。英タイムフォーム社の3歳馬レーティングでは131ポンドで、英セントレジャー馬アルサイドに次ぐ2位で、英ダービー馬ハードリドンと同値だった。
血統
Ticino | Athanasius | Ferro | Landgraf | Louviers |
Ladora | ||||
Frauenlob | Caius | |||
Farandole | ||||
Athanasie | Laland | Fels | ||
Ladyland | ||||
Athene | Ariel | |||
Salamis | ||||
Terra | Aditi | Dark Ronald | Bay Ronald | |
Darkie | ||||
Aversion | Nuage | |||
Antwort | ||||
Teufelsrose AUT | Robert le Diable | Ayrshire | ||
Rose Bay | ||||
Rosanna AUT | St. Maclou | |||
Rose of Jeddah | ||||
Rhea | Gundomar | Alchimist | Herold | Dark Ronald |
Hornisse | ||||
Aversion | Nuage | |||
Antwort | ||||
Grossularia | Aurelius | Pergolese | ||
Augusta Charlotte | ||||
Grolle Nicht | Fervor | |||
Grave and Gay | ||||
Regina | Indus | Alcantara | Perth | |
Toison d'or | ||||
Himalaya | Sardanapale | |||
Mountain Lass | ||||
Reine d'Ouilly | Pharos | Phalaris | ||
Scapa Flow | ||||
Hesione | Alcantara | |||
Hesperia |
父ティチノは当馬の項を参照。
母リアは独国産馬で、競走馬としても独国で走り6戦1勝の成績だった。リアの祖母レーヌドウイリーは仏国産馬で、最初に繁殖入りしていたのも仏国であるが、第二次世界大戦で独国が仏国を占領すると独国に移されて、彼の地でリアの母レジーナを産んだ。レジーナが産まれたのは第二次世界大戦終戦の年だったが、レジーナはそのまま独国に留まってリアを産んだ。リアも最初は独国で繁殖入りしていたが、独国の名種牡馬ティチノと交配されて受胎した後に、祖母レーヌドウイリーの生誕の地である仏国に移動して、そして本馬を産み落としたのだった。こうした経緯から、本馬は「第二次世界大戦という混沌の中から生まれた仏独混血の名牝」と言われた。リアは本馬を産んだ後も、半弟レジャン(父タンティエーム)【トーマブリョン賞・アルクール賞】を産む活躍を見せた。さらに本馬の半妹レナン(父タネルコ)の子には、レフィック【仏ダービー(仏GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・グレフュール賞(仏GⅡ)・クリテリウムドサンクルー】が、孫にはアンリルバラフル【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)】がいる。レジーナの半弟にはプランスドウィリー【バーデン大賞・ゴードンS】がいる。→牝系:F4号族④
母父ガンドマールは独国産馬で、ヴァインベルクエアインネルングレネン・ミュンヘン4歳賞の勝ち馬。ガンドマールの父アルヒミストはビルクハーンの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はデュプレ氏所有のもと、仏国で繁殖入りした。本馬は繁殖としても成功を収め、初子の牡駒ボーペルシャン(父パーシャンガルフ)【ダリュー賞】、2番子の牝駒パオリナ(父タネルコ)【トーマブリョン賞】、3番子の牝駒ポリーガール(父プリンスビオ)【ラフレッチェ賞・カマルゴ賞】、4番子の牝駒ビュビュニア(父ワイルドリスク)【ロワイヨモン賞・クロエ賞・ノネット賞】といった活躍馬を次々に産んだ。そして6番子の牝駒ポーラベラ(父ダリウス)が、仏1000ギニー・ムーランドロンシャン賞・クリテリウムドメゾンラフィット・グロット賞・ノネット賞に勝利する活躍を示し、本馬の名声を不動のものとした。名前が付けられている本馬の産駒は8頭おり、そのうち7頭が勝ち上がっている。本馬の没年は定かではないが、最後の子である牝駒ブロンダ(父エクスビュリ)の生年が1969年なので、この年までは生きていたはずである。
後世に与えた影響
本馬が産んだ牝駒達は繁殖牝馬としても活躍し、本馬の牝系子孫は日本を含む世界各国に広がっている。世界有数の名牝系と呼べるほどの繁栄ぶりではないが、今世紀に入ってからも活躍中である。
本馬の牝系子孫から出た主な活躍馬は、ポリーガールの子であるトップコマンド【オークツリー招待H(米GⅠ)・カールトンFバークH(米GⅡ)】、孫であるコクラン【ヴィットリオディカプア賞(伊GⅡ)・リス賞(仏GⅢ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)】、ビュビュニアの子であるラマヌーシュ【エクリプス賞(仏GⅢ)】、孫であるレインボーダンサー【ハリウッドパークターフH(米GⅠ)・オークツリーターフCS(米GⅠ)・デルマーH(米GⅡ)】、曾孫であるトーファンズメロディ【コーフィールドC(豪GⅠ)】、ポーラベラの孫であるヴァイラン【英チャンピオンS(英GⅠ)・ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)】、ヴァリヤー【クイーンアンS(英GⅢ)】、ヤシュガン【オークツリー招待H(米GⅠ)・ドラール賞(仏GⅡ)・ギシュ賞(仏GⅢ)・サンガブリエルH(米GⅢ)】、ヴァラダヴール【カールトンFバークH(米GⅡ)】の4兄弟、同じく孫であるペルセポリス【リュパン賞(仏GⅠ)・ノアイユ賞(仏GⅡ)・ロシェット賞(仏GⅢ)】、曾孫であるナトルーン【仏ダービー(仏GⅠ)】、ヴァラヌール【パリ大賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)・アルクール賞(仏GⅡ)・ギシュ賞(仏GⅢ)】とヴェレヴァ【仏オークス(仏GⅠ)】の兄妹などである。
ヴァイランは生涯1度も英国から出なかった英国最強馬ブリガディアジェラードの代表産駒であり、英仏独3か国の混血から出た馬であると言える。また、トップコマンドはニューヨーク牝馬三冠馬モムズコマンドの父となっている。本馬の牝系子孫は前述のとおり日本にもいるが、日本ではこれといった活躍馬が出ておらず、ビュビュニアの曾孫である福島ジャンプS・牛若丸ジャンプSの勝ち馬ロングランニングが一番の出世頭である。