ライトボーイ

和名:ライトボーイ

英名:Right Boy

1954年生

芦毛

父:インペカブル

母:ハッピーオーガン

母父:バリオーガン

ナンソープS・ジュライCなど英国の主要短距離戦を次々に連覇した1950年代英国屈指の名短距離馬

競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績29戦16勝2着8回3着1回

英国競馬史上有数の名短距離馬とされているが、資料が少ないため、あまり詳細な経歴は分からない。

誕生からデビュー前まで

W・J・バーン氏という人物により生産された英国産馬で、1歳時のセリにおいて、ジェフリー・ギルバート氏という人物により575ギニーで取引された。本馬を預けられたのは、やはり英国競馬史上有数の名短距離馬とされる2歳年上のパッパフォーウェイを管理した、ウィリアム・パーカー・“ビル”・ダットン調教師だった。パッパフォーウェイは3歳限りで競走馬を引退しており、厩舎においては本馬とほぼ入れ違いであった。ダットン師が厩舎を構えていたのは英国競馬の中心地であるイングランド中東部のサフォーク州ニューマーケットではなく、イングランド北部のノースヨークシャー州だった。そのために本馬は基本的に地元ノースヨークシャー州の下級競走で走り、時々他の地域に遠征して著名な競走に出ていた様子である(これはパッパフォーウェイの現役当初も同じ)。

競走生活(2~4歳時)

2歳時に競走馬デビューして、下級競走を4連勝した。そして8月には地元のヨーク競馬場で行われるジムクラックS(T6F)に出走したのだが、ユデイモンの着外に敗れた。

3歳時には6月にアスコット競馬場で行われたキングズスタンドS(T5F)に出走して、ジュライSの勝ち馬でミドルパークS・ジュライC2着・キングズスタンドS・ナンソープS3着のエドムンドを2着に破って勝利している。8月にヨーク競馬場で出走したナンソープS(T5F)では、ニューSの勝ち馬でジュライSではエドムンドの2着だったグラチチュードに敗れて2着。3歳時における名のあるレースの出走はこれくらいであり、この年は本格化前だったようである。その点では3歳時に無類の強さを誇ったパッパフォーウェイより仕上がりが遅かったと言える。

本馬の全盛期は4歳になり、レスター・ピゴット騎手を主戦に迎えてからだった。まずは6月にアスコット競馬場で出走したコーク&オラリーS(T6F)を勝利。翌月にニューマーケット競馬場で出走したジュライC(T6F)では単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて勝利した。同月にはグッドウッド競馬場でキングジョージS(T5F)に出走して、後に種牡馬として活躍するハードタックを2着に破って勝利した。さらに8月には前年に勝てなかったナンソープS(T5F)に出走して勝利を収めた。この年はコーク&オラリーS・ジュライC・キングジョージS・ナンソープSを含む6連勝を記録している。

競走生活(5歳時)

ナンソープSの後に本馬を管理していたダットン師が死去したため、本馬はダットン師の義理の息子で厩舎を受け継いだパット・ロハン調教師の管理馬となり、引き続き5歳時も走ることになった。まずは6月にコーク&オラリーS(T6F)に出走。管理調教師が変わった事に加えて、他馬勢より13ポンド以上も重い137ポンドのトップハンデが嫌われたのか、このレースの単勝オッズは3.75倍と断然ではなかった。レースでもやや苦戦を強いられたが、24ポンドのハンデを与えた2着レッドソヴリンに3/4馬身差で勝利を収め、同競走の2連覇を達成した。

翌7月のジュライC(T6F)では、前月のキングズスタンドSで2着してきたチャレンジSの勝ち馬ウェルシュアボット(快速馬アバーナントの息子で、ニアークティックの叔父に当たる)、コーンウォリスS・フレッドダーリンS・コロネーションSの勝ち馬でチェヴァリーパークS・英1000ギニー2着のロザルバが本馬に挑んできた。しかし単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された本馬が、2着ウェルシュアボットに2馬身差、3着ロザルバにはさらに3馬身差をつけて、これまた2連覇を達成した。

同月のキングジョージS(T5F)でもウェルシュアボットを2着に破って2連覇を達成。このレース後に本馬はデヴィッド・ウィルズ氏という人物により購入された。そして3年連続でナンソープS(T5F)に出走。ここでもウェルシュアボットが本馬に挑んできたが、本馬が勝利を収めて2連覇を達成した。その後はドンカスター競馬場でポートランドH(T5.5F)に出走したが、32ポンドのハンデを与えた格下馬の2着に敗れ、このレースを最後に競走馬を引退した。

英タイムフォーム社のレーティングでは137ポンドの評価が与えられ、1950年代の英国短距離路線では139ポンドのパッパフォーウェイに次ぐ高評価となっている。

血統

Impeccable His Highness Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Moti Ranee Spion Kop Spearmint
Hammerkop
Moti Mahal The Tetrarch
Maglona
Mairi Bhan Mieuxce Massine Consols
Mauri
L'Olivete Opott
Jonicole
Marie Dhu Blandford Swynford
Blanche
Double Dutch Bachelor's Double
Marvel of Peru
Happy Ogan Ballyogan Fair Trial Fairway Phalaris
Scapa Flow
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
Serial Solario Gainsborough
Sun Worship
Booktalk Buchan
Tete-a-Tete
Content Sir Walter Raleigh Prince Galahad Prince Palatine
Decagone
Smoke Lass Black Jester
Simon Lass
River Saint Upsalquitch Gainsborough
Glaciale
Saint's Way Milesius
Pilgrim's Progress

父インペカブルは現役成績40戦15勝。チェスターフィールドC・シティ&サバーバンH・ヘッドレーH・デュークオブケンブリッジHなどを制した中級競走馬だった。27歳で他界したとあり、当時の英国としてはかなり長生きした馬であるが、種牡馬として本馬以外に特筆できる活躍馬は出していない。インペカブルの父ヒズハイネスはハイペリオン産駒で、プレンダーガストSなど4勝を挙げ、ジムクラックSで2着している。種牡馬としては愛2000ギニー・愛セントレジャー・コロネーションCの勝ち馬ビュサブリューなどを出して一定の成績を残している。

母ハッピーオーガンの競走馬としての経歴は不明であり、近親にも活躍馬はほぼ見当たらない。ハッピーオーガンの曾祖母セインツウェイの半妹セレスティアルシティの曾孫には、レデスウッド【フライトS】、プリンスデルヴィル【AJCダービー・ドゥーンベンC】、シーザー【チッピングノートンS・クイーンエリザベスS】、ヴァレリウス【チッピングノートンS】、玄孫にはニラルコ【クイーンエリザベスS】といった豪州の活躍馬がいるが、近親と言うには遠い。セインツウェイの4代母は、チョーサースウィンフォードの母である英オークス馬カンタベリーピルグリムであるが、カンタベリーピルグリムの牝系子孫はそれほど繁栄しておらず、名牝系であるとは言えない。→牝系:F1号族⑥

母父バリーオーガンはフェアトライアル産駒で、ステークス競走の勝ち馬らしいが、具体的なレース名は資料に無い。5勝を挙げているようだが全て5ハロン戦という短距離馬だったようである。種牡馬としては英2000ギニー馬キミングなどを出してそれなりに成功している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りした。しかし種牡馬としてはあまり成功せず、1977年に23歳で他界した。数少ない活躍馬の主な勝ち鞍を見ると、産駒はやはり短距離傾向が強いようである。本馬の名を血統表に有する馬として日本で最も著名なのは、1987年のスプリングSを豪脚で制したマティリアルだろう(マティリアルの祖母ライトゲイムの父が本馬)。マティリアルが同じ父と母父の組み合わせであるシンボリルドルフと異なり距離適性が短めに出たのは、本質的に短距離向き種牡馬だった父パーソロンの本来の血を強く受けたためだと言われる(シンボリルドルフも本当はマイラーだったと野平祐二調教師は言っていたが)が、本馬の血の影響もあったのかも知れない。ライトゲイムの牝系子孫は現在でも残っており、いちおう本馬の血が途絶えたわけではないようである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1961

Right Strath

愛フェニックスS・キングジョージS

1963

Reet Lass

モールコームS・ロウザーS

1967

Village Boy

リッチモンドS

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