ゲイクルセイダー
和名:ゲイクルセイダー |
英名:Gay Crusader |
1914年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ベイヤード |
母:ゲイローラ |
母父:ベッポ |
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第一次世界大戦中にニューマーケット競馬場のみで走り圧倒的な強さで史上12頭目の英国三冠馬に輝く |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績10戦8勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
史上12頭目の英国三冠馬。父ベイヤードの生産・所有者でもあったアルフレッド・W・コックス氏(馬主としては「ミスター・フェアリー」の偽名で活動していた)により生産・所有され、父ベイヤードも手掛けたアレック・テイラー・ジュニア調教師に預けられた。美しい馬格の持ち主だったが、幼少期は小柄で病弱な馬だった。2歳時に管骨の骨膜炎を患ったためにデビューは少々遅れた。
競走生活(3歳初期まで)
ニューマーケット競馬場で行われたクリアウェルS(T6F)でデビューしたのは2歳秋の話だった。本馬の全レースに騎乗するスティーヴ・ドノヒュー騎手を鞍上に競走馬としてのスタートを切ったが、12頭立ての6着に終わった。しかし次走のクリテリオンS(T6F)では、単勝オッズ17.67倍の人気薄ながらも、2着モリーデズモンド(プリティポリーの娘で後のチェヴァリーパークSの勝ち馬)に頭差で勝利し、2歳時の成績は2戦1勝となった。
3歳になった本馬は、気性が大人になって調教が容易となった事もあり、急激に力をつけた。また、小柄だった体格も牡馬らしい堂々としたものになったという。まずは4月のコラムプロデュースSから始動。他馬より11ポンドも重い136ポンドという酷量を背負わされた上に、不良馬場の中でのレースとなり、コックドールの3/4馬身差2着に敗れた。
しかしレース内容が評価され、次走の英2000ギニー(T8F)では単勝オッズ3.25倍の1番人気を背負うことになった。この時期、本馬が所属するテイラー厩舎にはマグパイという有力馬がおり、テイラー・ジュニア師は本馬とマグパイの2頭を調教で一緒に走らせる事をしなかったため、2頭の優劣は明らかではなかった。レースではドノヒュー騎手騎乗の本馬とオットー・マッデン騎手騎乗のマグパイの一騎打ちとなり、本馬が叩き合いを頭差で制して栄冠を掴んだ。
この時期、欧州は第一次世界大戦の真只中だった。既に2年前の1915年からエプソム競馬場、アスコット競馬場、ドンカスター競馬場などの英国の主要競馬場は軍に接収されるか、物資節約の為に閉鎖されるかしており、英国内でまともに競馬が実施されているのはニューマーケット競馬場くらいだった。英ダービーや英セントレジャーは1915年からニューマーケット競馬場における代替開催となっていたが、この1917年に大戦の戦況が悪化したため、英2000ギニーの直後、食料不足を懸念した英国政府は競馬の開催を全面中止する方針を打ち出した。英国ジョッキークラブや馬産家達の猛反発を受けて、最終的には全面中止ではなくニューマーケット競馬場のみ開催が認められたが、この影響で本馬の同厩マグパイが豪州に移籍(コーフィールドSやマッキノンSを勝利した後に豪州で種牡馬入りして首位種牡馬になっている)するなど、多くの名馬が海外に流出した。
競走生活(3歳中期以降)
その後、宙に浮いていた英ダービーが、代替競走のニューダービーとして通常より2か月遅れの7月31日に実施されることが決定された。そして本馬はニューダービー(T12F)が行われるニューマーケット競馬場に姿を現した。戦争のみならず雨天の影響もあって、ニューマーケット競馬場に詰め掛けた観衆は例年の英ダービーより少なかった。それでも単勝オッズ2.75倍の1番人気に推された本馬は、「パーティーに参列している貴族のようだ」と評されたほど堂々とした佇まいを見せていたという。レースはインヴィンシブルが逃げてダークレジェンドがそれを追走、本馬は好位につけた。道中で進路を塞がれる不利を受ける場面もあったが、直線で進路を見出すと、後は楽々と抜け出し、2着となったクレイヴンSの勝ち馬ダンセロンに4馬身差、3着ダークレジェンドにはさらに頭差をつける完勝を収めた。
次走はアスコット金杯の代替競走として実施されたニューマーケット金杯(T20F24Y)となり、ここで初めて古馬と対戦した。しかし古馬にも本馬に敵う馬は存在せず、単勝オッズ1.08倍という圧倒的な1番人気に支持された本馬が、2着フェロックスに15馬身差をつけて大圧勝した。
その後は英国三冠を目標とした。ただし、ドンカスター競馬場は他の競馬場がセントレジャーの名称で代替競走を行う事を認めなかったため、ニューマーケット競馬場において行われた英セントレジャーの代替競走はセプテンバーS(T14F)という名称だった。本馬の強さに恐れをなした他馬陣営が揃って出走を回避し、僅か3頭立てのレースとなった。ニューダービーで本馬の2着だったダンセロンも出走していたが、単勝オッズ1.18倍の1番人気に支持された本馬が馬なりのまま、2着キングストンブラックに6馬身差、3着ダンセロンはさらに遥か後方に退ける完勝を収め、1915年のポマーン以来2年ぶり史上12頭目の英国三冠馬となった。
あまりに楽な勝ち方で本馬に疲労が少しも見られないのを確認した陣営は、その2日後のロウザーS(T14F)にも本馬を出走させたところ、4馬身差で楽勝した。さらに英チャンピオンS(T10F)に出走して、これも楽勝。ライムキルンS(T10F)も2着クウォーリーマンに1馬身半差で勝利を収め、3歳シーズンを8戦7勝で終えた。本馬の活躍により、コックス氏はこの年の英愛首位馬主及び首位生産者のタイトルを獲得した。
翌4歳時もアスコット金杯2連覇を目指して現役を続行。コックス氏はまず本馬を非公式の個人競走に出走させたが、まだ馬体を絞りきれていないとするテイラー・ジュニア師の反対を押し切ってのものだった。本馬はこの個人競走をあっさりと勝利したが、その翌日に脚の腱を故障していることが判明。そのまま現役引退に追い込まれてしまった。
ちなみに、本馬が出走した公式戦は10戦全てニューマーケット競馬場でのレースである。なお、本馬の英国三冠は大戦中に代替開催により実施されたレースで達成したものであるため、正式なものとは認めない人もいたようである(現在ではそうした意見は見受けられず、本馬は正式な英国三冠馬として万人に認められているようである)。しかし本馬の評価が低かったわけでは決してなく、“A Century of Champions”では本馬にかなり高い評価を与えている。主戦のドノヒュー騎手は本馬をかつて騎乗した中で最良の馬と評価しているし、“ザ・フィールド”の競馬作家は本馬を「偉大な馬であり、史上最も容易に英国三冠を達成した馬の1頭」と評している。
血統
Bayardo | Bay Ronald | Hampton | Lord Clifden | Newminster |
The Slave | ||||
Lady Langden | Kettledrum | |||
Haricot | ||||
Black Duchess | Galliard | Galopin | ||
Mavis | ||||
Black Corrie | Sterling | |||
Wild Dayrell Mare | ||||
Galicia | Galopin | Vedette | Voltigeur | |
Mrs. Ridgway | ||||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | |||
Merope | ||||
Isoletta | Isonomy | Sterling | ||
Isola Bella | ||||
Lady Muncaster | Muncaster | |||
Blue Light | ||||
Gay Laura | Beppo | Marco | Barcaldine | Solon |
Ballyroe | ||||
Novitiate | Hermit | |||
Retty | ||||
Pitti | St. Frusquin | St. Simon | ||
Isabel | ||||
Florence | Wisdom | |||
Enigma | ||||
Galeottia | Galopin | Vedette | Voltigeur | |
Mrs. Ridgway | ||||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | |||
Merope | ||||
Agave | Springfield | St. Albans | ||
Viridis | ||||
Wood Anemone | King of the Forest | |||
Crocus |
父ベイヤードは当馬の項を参照。
母ゲイローラは6戦1勝と平凡な競走成績だったが、その母ガレオッチアはコックス氏の所有馬として英1000ギニーを勝った名牝。本馬はゲイローラの初子である。ゲイローラは本馬以外に5頭の勝ち上がり馬を産んでおり、そのうちの1頭である本馬の全弟マニラードはコロネーションCを勝利している。ゲイローラの牝系子孫は今世紀も残っているが、特筆できるほどの活躍馬は出ていない。→牝系:F1号族⑥
母父ベッポは現役成績20戦6勝、ハードウィックS・ジョッキークラブS・マンチェスターCなどを勝った中堅競走馬だった。種牡馬としては悲運の名馬ピカルーンなどを出して成功。ベッポの父マルコはバーカルディン産駒で、ケンブリッジシャーHなどの勝ち馬。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はコックス氏の所有のもと、英国で種牡馬入りした(本馬の引退直後、コックス氏は10万ポンドで本馬を売ってほしいというジャック・ジョエル氏からの提示を断ったという)。本馬の産駒は勝ち上がり率こそ悪くなかったが、大物が少なく、種牡馬としては期待どおりの成功を収めることは出来なかった。1932年9月に18歳で他界した。繁殖牝馬の父としては優秀で、1940年にはジェベルの活躍により仏母父首位種牡馬となっている。後継種牡馬としてはゲイロザリオが豪州で活躍したが、現在直系は途絶えている。しかし繁殖牝馬の父としては、プリンスローズ、ジェベル、エルグレコ(リボーの母父)を出して後世に少なからず影響を残している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1921 |
Hurstwood |
ハードウィックS |
1922 |
Cross Bow |
ロイヤルハントC |
1923 |
Caissot |
プリンスオブウェールズS |
1924 |
Kincardine |
セントジェームズパレスS |
1925 |
Ranjit Singh |
ディーS |
1928 |
Inglesant |
サセックスS |
1931 |
Medieval Knight |
ミドルパークS・コヴェントリーS・リングフィールドダービートライアルS |