バーカルディン
和名:バーカルディン |
英名:Barcaldine |
1878年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ソロン |
母:バリロエ |
母父:ベラドルム |
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愛国出身ながら19世紀英国有数の名馬と評された生涯不敗の欠点無しの名馬は、種牡馬としてもウエストオーストラリアンからハリーオンへの系統を繋ぐ中継ぎを担う |
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競走成績:2~5歳時に愛英で走り通算成績12戦12勝 |
誕生からデビュー前まで
愛国キルデア郡バータウンにおいて、スコットランド出身の馬産家ジョージ・ロウ氏により生産・所有された。本馬が誕生した牧場の所有者は、愛国出身の英国の政治家だった第3代レンスター公爵兼初代キルデア侯爵アウグストゥス・フィッツジェラルド卿であり、ロウ氏はフィッツジェラルド卿から牧場を借りて馬産を実施していた。
幼少期はそれほど一目を引く馬では無かったが、比較的早い段階から優れたスピード能力を示していた。身体もやがて大きくなり、最終的には体高16.1ハンドまで達した。成長後は、実に美しい輪郭の持ち主と評される見栄えが良い馬になっていた。気性面においては、最初に本馬を管理したコネリー氏という調教師が「不機嫌さを見せたり、性格の悪さを見せたりする気配は、微塵もありませんでした」と語っている。健康面では、父も母父も喘鳴症を患っていた事からそれが懸念されたと思われるが、本馬にはどうやら発現しなかった。また、後述するように連戦を平気でこなす頑健な馬でもあり、長距離戦も勝てるスタミナも持っていた。要するに欠点がまるで見当たらない馬だった。
競走生活(愛国時代)
2歳時に公式戦デビューする前に、距離6ハロンの試走を走っている。対戦相手は、ベルファストHというレースを勝っていた、本馬の母バリロエの半妹である3歳牝馬ベレンガリアだった。斤量は本馬のほうが9ポンド重かったのだが、本馬が叔母を容易に破った。
公式戦デビューは、9月にカラー競馬場で行われたレイルウェイS(T6F)だった。レースでは本馬が馬なりのまま走り続けて勝利を収めた。次走のナショナルプロデュースS(T7F・現愛ナショナルS)では、126ポンドを背負いながらも、4馬身差で勝利。さらにベレスフォードS(T8F)に出走した本馬には、133ポンドが課せられたが、それでも勝利を収めた。2歳最後のレースとなったパジェットS(T6F)でも130ポンドを克服して勝利を収めた。ナショナルプロデュースSからパジェットSまでの3戦は3日間でこなしており、現在では考えられない強行日程だったが、本馬は頑健な馬だったようで、平気でそれらの競走を勝ち続けた。2歳時の成績は4戦全勝だった。
ロウ氏は3歳になった本馬を、英国の主要ハンデ競走に出走させたい(英国クラシック登録は無かったと推察される。愛国クラシック競走は愛ダービーのみ創設されていたが当時は英国の競走よりはるかに格下だった)と考え、コネリー師に相談を持ち掛けた。その結果、6月のマンチェスターCとノーザンバーランドプレートの2競走を目標とすることになった。しかしロウ氏はその前に地元愛国で5月に行われたバルドイルダービー(T12F)に本馬を出走させることにした。この出走は割と急に決まったらしく、コネリー師は本馬を十分に仕上げる期間を確保できなかった。その結果として本馬は太め残りだったらしいが、1馬身差で勝利を収めた。
その後はロウ氏の方針転換により、マンチェスターCへの参戦を取り止めて、6月にカラー競馬場でクイーンズプレートに3日連続出走することになった。ロウ氏が計画を変更した理由はよく分からない。このクイーンズプレートは最初の1戦が距離2マイルで、残りの2戦は距離3マイルだった。本馬は1戦目も2戦目も勝利。3戦目では対戦相手がいなかったために単走で勝利した。
その後はノーザンバーランドプレートに出走する計画だった。しかしこのノーザンバーランドプレートに出走する本馬の単勝オッズが怪しい動きを見せたため、八百長の疑惑を抱いた英国ジョッキークラブはロウ氏に対して聞き取り調査を実施。こうしたごたごたの影響のため、本馬のノーザンバーランドプレート出走はお流れになってしまった。
この後にロウ氏は本馬を売却したと発表し、管理調教師もジョージ・ラムトン師(第16代ダービー伯爵フレデリック・スタンリー卿や第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿の専属調教師として有名なジョージ・ラムトン調教師はこの当時まだ調教師になっておらず、彼とは全く無関係)に変更されたと発表した。ところがロウ氏は本馬を誰に売ったのかを公にせず、さらに本馬はコネリー師の厩舎に居残ったままだった。こうしたロウ氏の怪しい行動は、英国ジョッキークラブの疑念をますます増幅させた。そして本馬の本当の所有者が誰なのかに関する調査が実施されることになり、そのごたごたの影響で、本馬の3歳時はクイーンズプレート3日連続勝利を最後に終わってしまった。3歳時の成績は4戦全勝だった。
4歳時も前年からの騒動の影響でなかなかレースに出られなかった。ロウ氏は本馬を4歳暮れには復帰させて、シザレウィッチH・ケンブリッジシャーHに出走させる腹積もりだった。しかしシザレウィッチHの出走登録は拒否されてしまった。ケンブリッジシャーHには登録することが出来、実際に斤量も119ポンドに設定されることが決まったのだが、レース直前になって、ロウ氏が本馬を売却したという話は虚偽であるという英国ジョッキークラブの裁定が出てしまい、ケンブリッジシャーHも出走除外。結局4歳時は1回もレースに出ることなく終わってしまった。この年の暮れに本馬はロバート・ペック調教師に疑いなく購入され、彼の所有・管理馬となった。
競走生活(英国時代)
ペック師は1年半も実戦から離れていた本馬の実戦感覚を取り戻す必要があったが、急がば回れの精神で、ゆったりと調教を開始した。そして5歳春のウェストミンスターC(T12F)で実戦に復帰した。このレースには、アスコットゴールドヴァーズ・ハードウィックS・エプソム金杯・ジュライC・ドーヴィル大賞・英チャンピオンSなどを勝って当時英国最強の古馬と言われていたトリスタンも出走してきた。しかし本馬が同斤量のトリスタンを破って勝利した。引き続き出走したエプソムS(T12F)も、130ポンドを背負いながら勝利を収めた。その後はアスコット競馬場に向かい、オレンジC(T24F)に出走。同月のクイーンアレクサンドラプレートの勝ち馬で前年のアスコット金杯2着のフォーアバラー(バードキャッチャーの全弟でリーミントンの父である英セントレジャー馬フォーアバラーとは同名の別馬)が主な対戦相手となった。しかし133ポンドを課せられながらも単勝オッズ1.29倍の1番人気に支持された本馬が、9ポンドのハンデを与えたフォーアバラーを3馬身差の2着に下して快勝した。
その後はニューカッスル競馬場で、2年越しの目標だったノーザンバーランドプレート(T16F19Y)に出走。今回は136ポンドが課せられたが、8頭の対戦相手を蹴散らして、2馬身差で勝利した。しかしこれが本馬の現役最後のレースとなってしまった。その理由については色々と言われており、ノーザンバーランドプレートのレース前に痛めていた脚の状態が悪化したとか、ノーザンバーランドプレート出走時点では健康体だったが出走後に脚を痛めたとか言われている。実際にレース後に脚を痛めたのは確からしいが、その後もしばらく競走馬登録は残っており、秋のケンブリッジシャーHに出走する計画があったようである。しかし脚の状態が改善しなかったようで、結局出走せずに5歳限りで競走馬を引退。5歳時の成績は4戦全勝で、生涯で1度も他馬に後れを取ることは無かった。
本馬は無敗馬ではあるが当時最高レベルの主要競走を勝っていない事から、どの程度の実力だったのかは今日の感覚では計りにくい。しかし競走馬引退の4年後の1886年6月に、英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいて第16位にランクインしているところを見ると、当時の英国関係者は本馬を英国競馬史上有数の名馬として評価していたようである。
血統
Solon | West Australian | Melbourne | Humphrey Clinker | Comus |
Clinkerina | ||||
Cervantes Mare | Cervantes | |||
Golumpus Mare | ||||
Mowerina | Touchstone | Camel | ||
Banter | ||||
Emma | Whisker | |||
Gibside Fairy | ||||
Birdcatcher Mare | Birdcatcher | Sir Hercules | Whalebone | |
Peri | ||||
Guiccioli | Bob Booty | |||
Flight | ||||
Hetman Platoff Mare | Hetman Platoff | Brutandorf | ||
Comus Mare | ||||
Whim | Drone | |||
Kiss | ||||
Ballyroe | Belladrum | Stockwell | The Baron | Birdcatcher |
Echidna | ||||
Pocahontas | Glencoe | |||
Marpessa | ||||
Catherine Hayes | Lanercost | Liverpool | ||
Otis | ||||
Constance | Partisan | |||
Quadrille | ||||
Bon Accord | Adventurer | Newminster | Touchstone | |
Beeswing | ||||
Palma | Emilius | |||
Francesca | ||||
Birdcatcher Mare | Birdcatcher | Sir Hercules | ||
Guiccioli | ||||
Hetman Platoff Mare | Hetman Platoff | |||
Whim |
父ソロンは史上初の英国三冠馬ウエストオーストラリアン産駒の愛国産馬。かなり大柄な馬だったらしく、その分だけ仕上がりが遅れて3歳デビューとなった。現役成績は17戦9勝で、本馬と同じく愛国を中心に走り、たまに英国でも走った。勝ち星のうち8勝は愛国におけるもので、英国で挙げた勝ち星は1つのみだった。本馬と異なり英国で通用するような一流の競走馬では無かったが、3日間で4戦して3勝を挙げるなど、本馬と同じく身体的には頑健な馬だったようである。しかしその一方で喘鳴症の持病があり、それが競走能力にある程度の悪影響を与えたと思われる。
種牡馬としては生国の愛国で供用され、平地だけでなく障害の活躍馬も出して一定の成功を収めた。本馬以外の後継種牡馬としてはアービットレーターが挙げられ、それから、英セントレジャーを100~150ヤード出遅れて勝ったキルワーリン、ベルモントフューチュリティSの勝ち馬オグデン、ベルモントSなどの勝ち馬ザフィン、ケンタッキーダービー・ベルモントSの勝ち馬ゼヴと直系が繋がったが、その後は衰退した。
母バリロエは競走馬としては2歳時のみ走り4戦未勝利2着1回だった。本馬の半妹ミスオーガスタ(父ミスターウィンクル)の子にロイヤルアーチ【愛ダービー】がいる。ミスオーガスタの牝系子孫は細々とではあるが21世紀も残っており、フォートレーニー【チェルトナム金杯】、リトルブリッジ【キングズスタンドS(英GⅠ)】などが出ている。本馬がデビュー前に走った試走の対戦相手でもあったバリロエの半妹ベレンガリア(父ジョージフレデリック)の玄孫にはダブルスコッチ【愛セントレジャー】、牝系子孫にはレウスオワ【仏チャンピオンハードル2回】などが出ている。
バリロエの祖母バードキャッチャーメアは本馬の父ソロンの母でもあり、本馬は人間で言うと伯父と姪の間に産まれた子ということになる。バードキャッチャーメアの半妹コンフィデンスの牝系子孫には米国顕彰馬にも選ばれている名障害競走馬フェアマウントが、バードキャッチャーメアの半妹アンテロープの孫にはマスターネッド【愛ダービー】、玄孫にはシヴィリティ【愛ダービー】が、バードキャッチャーメアの半妹ミネルヴァの孫にはマダムドゥバリー【愛ダービー】、玄孫世代以降にはカンブラマー【英セントレジャー・カドラン賞】、アルドロス【アスコット金杯(英GⅠ)2回・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、キャッスルタウン【新ダービー(新GⅠ)・オークランドC(新GⅠ)・コーフィールドS(豪GⅠ)】、マジックナイト【ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、エレクトロキューショニスト【ドバイワールドC(首GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】、スコーピオン【パリ大賞(仏GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)】などがいる。バードキャッチャーメアの母ヘットマンプラットオフメアの半妹シスタートゥシャンティクリアの牝系子孫には、ポンダー【ケンタッキーダービー・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー・ローレンスリアライゼーションS・ジョッキークラブ金杯・サンタアニタマチュリティS・サンアントニオH】、ジュエルプリンセス【BCディスタフ(米GⅠ)・ヴァニティH(米GⅠ)・サンタマリアH(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)】などもいる。→牝系:F23号族①
母父ベラドルムはストックウェル産駒で、ニューS・ウッドコートS・モールコームSを勝ち、英2000ギニーではプリテンダーの半馬身差2着だった。ソロンと同じく喘鳴症の持病があり、それが3歳以降の大成を妨げたようである。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は第7代スタンフォード伯爵ジョージ・グレイ卿のキャサリン未亡人により8千ポンドで購入され、6歳時の1884年からニューマーケットのパドックパークで種牡馬入りした。初年度の種付け料は50ギニーに設定された。本馬は種牡馬としても成功を収め、多くの活躍馬を出した。産駒は英国内だけで305勝を挙げており、他に仏国や独国で活躍した馬もいた。正確な没年は不明だが、パドックパークで9年間種牡馬生活を送った後に他界したと書かれている資料がある事や、1893年産が最終世代であることから、1892年後半から1893年初頭の時期にパドックパークにおいて14歳又は15歳で他界したようである。
本馬の直系は後継種牡馬として成功を収めた直子マルコからマルコヴィルを経てハリーオンに受け継がれ、マンノウォーの系統と並ぶ貴重なマッチェム直系として後世に伝えられたが、現在ではかなり衰退している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1886 |
Barmecide |
グッドウッドC |
1887 |
Liliane |
ヴァントー賞 |
1887 |
Morion |
アスコット金杯・クレイヴンS・ロイヤルハントC |
1888 |
Mimi |
英1000ギニー・英オークス |
1889 |
Espoir |
独ダービー |
1890 |
Dame President |
チャレンジS |
1891 |
Barbary |
ハードウィックS |
1892 |
Marco |
ケンブリッジシャーH |
1892 |
Sir Visto |
英ダービー・英セントレジャー |
1892 |
The Rush |
ゴールドヴァーズ |