スターキングダム

和名:スターキングダム

英名:Star Kingdom

1946年生

栗毛

父:スターダスト

母:インプロンプチュ

母父:コンチェルト

競走馬としては一流になれなかったが南十字星の下で一大王国を築き上げ豪州競馬史上に偉大な足跡を残した大種牡馬となる

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績16戦9勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

愛国の首都ダブリンにあるクロランスタッドの牧場主で、名障害競走馬レイノルズタウンの生産者として著名だったリチャード・ボール氏により生産された愛国産馬である。成長しても体高は15.1ハンドにしかならなかったという小柄な馬で、まるでポニーのように小さいと評された。祖父ハイペリオンも体高15.2ハンドで、同じくポニーのように小さいと評された馬であり、父スターダストも体高15.3ハンドだったというから、本馬のこの体格は祖父と父から譲り受けたものだろうと推察されている。

生後すぐの本馬を見たボール氏は「私がかつて見た中で最も脆弱な脚を備えた、小さくて弱い子馬でした」と述懐している。ボール氏は本馬の処分を検討したが、クロランスタッドの古参厩務員マッケナ氏が「(馬屋の)扉を閉じて、1週間ほど彼を見ないでください」と言ったために、それに従って待つことにした。ボール氏が次に本馬を見たときには、小柄ながらも力強い脚で元気に動き回るようになっていた。特に後脚の筋肉が強靭であり、いかにも短距離馬という体格をしていたという。

1歳9月のドンカスターセールに出品され、出版業者ウィルフレッド・ハーヴェイ氏により3100ギニーで落札された。ハーヴェイ氏は本馬を“Star King(スターキング)”と命名し、J・C・ウォー調教師に預けた。

競走生活(2歳時)

2歳4月にソールズベリー競馬場で行われたマントンS(T5F)でS・ラッグ騎手を鞍上にデビュー。4月30日の誕生日より3週間以上も前のレースだったが、後続に10馬身差をつける鮮烈なデビューを飾った。同月に出たサンダウンスタッドプロデュースS(T5F)では131ポンドが課せられたが、1番人気に応えて5馬身差で圧勝。次走は当時の2歳戦の重要競走の一つだったハーストパークソレルS(T5F)となった。ここでも130ポンドが課せられたが、他の出走馬21頭を蹴散らして、2着デコラムに5馬身差をつけて勝利を収めた。

続くナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)では、後に英国競馬史上最高の短距離馬と評される歴史的快速馬アバーナントとの初対決となった。斤量は2頭とも131ポンドと厳しいものだったが、アバーナントが単勝オッズ1.5倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.25倍の2番人気となった。スタートから本馬が先手を取り、3馬身ほど後方をアバーナントが追走。やがてアバーナントが本馬との差を縮め始め、最後は2頭がほとんど同時にゴールインした。2頭の位置取りは内外で大きく離れていたため、どちらが勝ったのかはよく分からなかった。本馬鞍上のラッグ騎手は勝利を確信したらしいが、裁決はアバーナントの鼻差勝利だった。しかしこの当時は写真判定が無く(導入されたのは翌年から)、この裁決に疑問を抱く人は少なからずいたという。

10日後のリッチモンドS(T6F)では1番人気に応えて2着ボボに1馬身差で勝利したが、今までのレースと比べると地味な勝ち方だった。そのために次走のジムクラックS(T6F)では、単勝オッズ8.5倍とやや評価を落とした。しかしレースではニューSの勝ち馬で後に豪州で種牡馬入りするマカープラを3馬身差の2着に退けて勝利。

2歳時は6戦5勝の好成績を残し、英タイムフォーム社のレーティングでは、英シャンペンS・ミドルパークSを制したアバーナントの133ポンド、フェアトライアル産駒の期待馬ルミナリーの132ポンドに次いで2歳馬3位となる131ポンドの評価が与えられた(しかしアバーナントはともかく、ルミナリーはジムクラックSで本馬の3着に敗れており、本馬より上位評価というのはやや疑問である)。

競走生活(3歳時)

3歳時は英2000ギニーを目指して4月のグリーナムS(T7F166Y)から始動した。130ポンドが課せられたが、ラッグ騎手に代わって主戦となったD・スミス騎手を鞍上に楽勝した。そして英2000ギニー(T8F)に駒を進め、再度アバーナントと対決した。アバーナントが単勝オッズ1.56倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気だった。陣営は本馬が逃げを打つ事を確信していたらしいが、いざレースが始まると予想外に本馬は先手を取ることが出来ず、そのままニンバスの10着と大敗してしまった(アバーナントは2着)。

この結果を受けて英ダービーは断念して、短距離路線に進んだ。まずは6月のジャージーS(T7F155Y)に出走した。クレイヴンS・ダイオメドSの勝ち馬ムーンダスト、後のサセックスSの勝ち馬クラカタオが対戦相手となったが、本馬が132ポンドを背負いながらも、2着ムーンダストに鼻差で勝利した(クラカタオは3着)。

次走のジュライC(T6F)では、本馬と同じく英ダービーを諦めて短距離路線に進んできてキングズスタンドSを勝っていたアバーナントと激突。しかし結果は、勝ったアバーナントから11馬身離され、2着に入ったダイアデムSの勝ち馬コンバインドオペレ-ションズからも8馬身離された3着最下位に終わった。続くハンガーフォードS(T7F60Y)で唯一の対戦相手アルカンシエルを1馬身半差で破った後に休養入りして、3歳時の成績は5戦3勝となった。

競走生活(4歳時)

この休養中に、ハーヴェイ氏は本馬を引退させ種牡馬にする事を検討したが、クロード・レイ氏という人物から本馬を購入したいという申し出があったため売却した。レイ氏の所有のもと、フレッド・テンプルメン調教師の管理下で現役を続行する事になった本馬は、翌4歳5月にチェスター競馬場で行われたコロネーションS(T6F8Y・現在のコロネーションSとは別競走)から始動。132ポンドを背負いながらも、前年のジュライC2着後にチャレンジSを勝っていたコンバインドオペレーションズを3馬身差の2着に破って勝利した。しかし次走ロウス記念S(T8F)は距離が長かったか、クラカタオ、後の名種牡馬モスボロー、ノアイユ賞の勝ち馬でパリ大賞3着のフラッシュロイヤルの3頭に後れを取り、クラカタオの4着に敗れた。

続くジュライC(T6F)では、前年のジュライC勝利後にキングジョージS・ナンソープSなどを勝っていたアバーナントと最後の対戦となった。しかし結果は圧倒的な速さを見せたアバーナントの前に5着に敗れ、結局アバーナントとの対戦成績は本馬の4戦全敗に終わった。次走のハンガーフォードS(T7F60Y)では135ポンドを背負いながらも、ジャージーS・ロイヤルハントCの勝ち馬ハイパーボールの2着と頑張った。しかし続くユニオンS(T6F)では、愛フェニックスS・コーク&オラリーSの勝ち馬で愛2000ギニー2着のアバダンの6着最下位に大敗。このレースを最後に、4歳時5戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Stardust Hyperion Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Selene Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Serenissima Minoru
Gondolette
Sister Stella Friar Marcus Cicero Cyllene
Gas
Prim Nun Persimmon
Nunsuch
Etoile Sunstar Sundridge
Doris
Princesse de Galles Gallinule
Ecila
Impromptu Concerto Orpheus Orby Orme
Rhoda B.
Electra Eager
Sirenia
Constellation Sunstar Sundridge
Doris
Stop Her Carbine
Catcher
Thoughtless Papyrus Tracery Rock Sand
Topiary
Miss Matty Marcovil
Simonath
Virgin's Folly Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Widow Bird White Eagle
Entebbe

父スターダストはハイペリオンの直子で、現役成績は11戦3勝。ナショナルブリーダーズプロデュースS・ガーンジースタッドプロデュースSなどを勝っている。勝ち星3つは全て2歳時に挙げているため、一見したところ早熟の短距離馬であるが、英2000ギニーで歴史的名馬ジェベルの2馬身差2着、英チャンピオンSでは1位入線しながらも失格など、3歳時以降は運に恵まれずに勝ち星を伸ばせなかった面がある。英セントレジャーで愛ダービー馬ターカンの3/4馬身差2着した実績もあり、単なる早熟の短距離馬と言い切ることは難しい。種牡馬としては本馬以外にも愛2000ギニー馬スタリノ、愛ダービー馬ブライトニュース、愛1000ギニー・愛オークス馬パントマイムクイーンなどを出して成功した。

母インプロンプチュは不出走馬。繁殖牝馬としても本馬を含めて3頭の子しか残せず、9歳の若さで他界している。本馬の兄妹は騙馬として障害競走を走った半兄ダークストレンジャー(父マザリン)と、不出走の半妹ミニットワルツ(父オレステス)であり、繁殖牝馬として際立って優秀だったというわけでもない。近親にはこれといった活躍馬は見当たらないのだが、インプロンプチュの6代母は英オークス馬カンタベリーピルグリムであり、カンタベリーピルグリムの息子であるチョーサースウィンフォードは本馬の遠縁に当たる。また、ミニットワルツの牝系子孫は豪州で細々と続き、末裔から豪州GⅠ競走ザTJスミスクラシックの勝ち馬ピカデイが出るなど、今世紀も残っている。→牝系:F1号族⑥

母父コンチェルトは現役成績16戦7勝で、ジュライC・ナンソープSを勝っている。コンチェルトの父オーフュースはオービー産駒で、英チャンピオンS2連覇のほか、ニューS・プリンセスオブウェールズSを勝っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は当初英国の馬産家グループによって購入されて英国で種牡馬入りする予定であり、所有者レイ氏もそのつもりだった。しかしこの取引は不成立になってしまった。その後、本馬はバラミュールスタッドの所有者スタンリー・ウットン氏、フェアウェイスタッドの所有者レッグ・モーゼズ氏、バラムルスタッドの所有者アルフ・エリソン氏などから成る豪州の馬産グループによって4千ポンド(6千ポンドとする資料もある)で購入された。そして本馬は豪州に移動し、ニューサウスウェールズ州バラムルスタッドで種牡馬入りした。この際、豪州に既にスターキングという同名の馬がいたため、当時の規則に従って本馬の名前は「スターキングダム」に変更された(現在において同じ事例が発生した場合には、馬名の後ろに原産国名を付して混同を防ぐようになっている)。

さて、本馬が英国からの長い船旅を経て豪州に到着したとき、船旅で疲れた本馬は極端に痩せ細っていた。元々本馬は小柄だったため、痩せるとさらにみすぼらしく見え、本馬を購入したウットン氏のグループや、本馬の元に繁殖牝馬を連れてきた馬産家達を大いに失望させたという。

初年度の種付け料は300ギニーに設定され、37頭の牝馬と交配して25頭の産駒が誕生した。2年目は42頭の牝馬と交配して25頭の産駒が誕生した。3年目は39頭の牝馬と交配して24頭の産駒が誕生した。種牡馬入り4年目の1954年には37頭の牝馬と交配して24頭の産駒が誕生した。

初年度産駒はこの1954年にデビュー。25頭の初年度産駒のうちサイアーズプロデュースS勝ち馬キングスターを含む16頭が勝ち上がり、1954/55シーズンの豪州2歳首位種牡馬に輝くという好スタートを切った。このキングスターが後にコックスプレートなど豪州の大競走を勝ちまくったこともあって、本馬の種牡馬としての評価は上昇した。

2年目産駒25頭からは17頭の勝ち上がり馬が登場。そのうちサイアーズプロデュースSを勝ったスターオーバーが活躍し、2年連続で豪州2歳首位種牡馬に輝き、豪州種牡馬ランキング全体でも3位に入った。

3年目産駒24頭からは19頭の勝ち上がり馬が登場。この中から大物トドマンが出現した。トドマンはカンタベリーギニー・ゴールデンスリッパーS勝ちなど12戦10勝の成績を残し、後に本馬の後継種牡馬としても30頭以上のステークスウイナーを出して活躍した。そして本馬は3年連続で豪州2歳首位種牡馬に輝き、豪州種牡馬ランキング全体でも2位に入った。

4年目産駒24頭からは16頭の勝ち上がり馬が登場。この中からAJCダービー・ゴールデンスリッパーSを勝ったスカイラインなどが出て、本馬は4年連続で豪州2歳首位種牡馬に輝いた。

本馬の種牡馬入り5年目は42頭の牝馬と交配して28頭の産駒が誕生した。この5年目産駒は、本馬が種牡馬として実績を出し始めた後に集まった牝馬の子達であるため、質量ともに過去最高であり、ゴールデンスリッパーS勝ちのファインアンドダンディ、コックスプレートを勝って豪州年度代表馬に選ばれたノホーム、13勝を挙げたロイヤルアーティスト、15勝を挙げたモーニングスターなど20頭の勝ち上がり馬が出て、産駒世代の中で最高クラスの競走成績を残した。そしてこの1958/59シーズンには5年連続の豪州2歳首位種牡馬だけでなく、初の豪州首位種牡馬も獲得したのである。

その後も毎年のように本馬の元には優良な繁殖牝馬が集まり、本馬自身も毎年のように活躍馬を出し続けた。6年目産駒からはゴールデンスリッパーS・ヴィクトリアダービー・コーフィールドS2回など29勝を挙げたスカイハイ、9年目産駒からはコーフィールドギニー・サイアーズプロデュースS勝ちのタイムアンドタイド、11年目産駒からはコックスプレート・コーフィールドギニー勝ちのスターアッフェアーといった大物が登場している。本馬は1958/59シーズンを皮切りに、59/60、60/61、61/62、64/65シーズンと5度の豪州首位種牡馬に輝いた。豪州2歳首位種牡馬には7度、豪州母父首位種牡馬にも67/68、68/69、69/70シーズンと3度輝いている。

1957年に、現在豪州最大の2歳競走となっているゴールデンスリッパーSが創設されているが、創設初年度のトドマンを皮切りに、本馬の産駒が5連覇しており、これが本馬の種牡馬実績の中で最も驚くべき業績であると評されている。このことから判るとおり、本馬産駒の特徴は仕上がり早い快速馬が多いことである。産駒のステークスウイナー数は資料によって差があるが、52頭とも65頭とも言われている。産駒の勝ち上がり馬は260頭で、2歳戦における勝ち星は136に達した。

1967年4月、腸閉塞を発症した本馬は、長年の担当厩務員ノエル・ヘネシー氏の腕に抱かれながら21歳で他界した。遺体はバラムルスタッドに埋葬され、現在は息子トドマンと並んで墓碑が建てられている。

後世に与えた影響

本馬の産駒は、少なくとも42頭が種牡馬入りしたという。さらに孫世代には100頭以上の種牡馬がいたという。その中から多くの活躍種牡馬が登場し、豪州においてはノーザンダンサーに匹敵すると言われたほど、本馬の直系は繁栄した。本馬産駒で繁殖として最も活躍したのは1965年に誕生した世代であり、69頭のステークスウイナーを出したカオルスター、40頭のステークスウイナーを出し、名馬キングストンタウンの祖父となったビスケイなどが成功し、1頭の種牡馬によって送り出された豪州競馬史上最も影響力を有する世代とまで評されている。

本馬の直系は、トドマン、ノホーム、ビスケイ、カオルスターの4系統を柱として現在も残っているが、近年はデインヒルの系統などの新興勢力に押されて衰退気味である。今のところ辛うじて奮戦しているのはビスケイの系統のみとなっている。米国で種牡馬入りしたノホームを除くと大半が豪州内における種牡馬入りであり、血の袋小路に陥った事、牡馬の多くが去勢される豪州競馬の特徴なども、直系の衰退に影響していると言われる。豪州以外に与えた影響力では、米国で種牡馬入りしたノホームが米最優秀ハンデ牡馬に2回、北米首位種牡馬に1回輝いたノーダブル(第1回ジャパンC勝ち馬メアジードーツの父)を出している他、スターアッフェアーも日本で供用されてまずまずの成績を収めた。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1952

Kingster

コックスプレート・サイアーズプロデュースS・VRCニューマーケットH・ジョージメインS・AJCオールエイジドS・QTCストラドブロークH

1953

Starover

VRCサイアーズプロデュースS

1954

Gold Stakes

MRCオークレイプレート・VRCニューマーケットH

1954

Todman

AJCシャンペンS・ゴールデンスリッパー・カンタベリーギニー・VRCライトニングS・MRCフューチュリティS

1955

Skyline

ゴールデンスリッパー・AJCダービー

1956

Fine and Dandy

ゴールデンスリッパー・サイアーズプロデュースS・ドンカスターマイル2回

1956

Noholme

コックスプレート・AJCシャンペンS・AJCエプソムH・AJCオールエイジドS・VRCライトニングS

1957

Sky High

AJCシャンペンS・ゴールデンスリッパー・ヴィクトリアダービー・VRCライトニングS2回・MRCフューチュリティS・AJCオールエイジドS・AJCエプソムH・VATCコーフィールドS2回・VRCマッキノンS・AJCチッピングノートンS・STCローソンS2回

1958

Columbia Star

AJCシャンペンS

1958

Magic Night

ゴールデンスリッパー

1959

King Roto

HEタンクレッドC

1960

Slepsie

AJCフライトS

1960

Time and Tide

AJCシャンペンS・サイアーズプロデュースS・MRCコーフィールドギニー・STCレイルウェイクオリティH2回・MRCオークレイプレート・STCローソンS・ドンカスターマイル

1961

Reveille

AJCフライトS・MRC1000ギニー

1961

Star of Heaven

VRCクレーブンAS

1962

Citius

VRCサイアーズプロデュースS・MRCオークレイプレート・VRCライトニングS・ドンカスターマイル

1962

Star Affair

コックスプレート・VRCアスコットヴェイルS・MRCコーフィールドギニー・MVRCウィリアムレイドS・MRCフューチュリティS

1964

Guilia

AJCシャンペンS

1965

Rajah

AJCシャンペンS

1966

Crown

VRCニューマーケットH

TOP