トウルヌソル

和名:トウルヌソル

英名:Tournesol

1922年生

鹿毛

父:ゲインズボロー

母:ソリスト

母父:プリンスウイリアム

昭和初期に活躍して日本ダービー馬を史上最多の6頭輩出、日本競馬の黎明期に偉大なる足跡を残した大種牡馬

競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績24戦6勝2着5回3着2回

誕生からデビュー前まで

M・M・カルマン氏という人物により生産・所有された英国産馬である。

競走生活(2・3歳時)

2歳10月にニューマーケット競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利プレートでデビューしたが、後の英2000ギニー2着馬セントビーキャンの着外に敗れた。翌月にダービー競馬場で出走した芝5ハロンの未勝利プレートも着外に敗れ、2歳時は2戦未勝利の成績に終わった。

3歳時は4月にサンダウンパーク競馬場で行われたテューダーS(T8F)から始動したが、着外に敗退。翌5月にはウィンザー競馬場で芝10ハロンのハンデ競走に出走して2着。翌6月にはバーミンガム競馬場でミドランドブリーダーズフォールS(T10F)に出走してこれも2着。

引き続きアスコット競馬場でハードウィックS(T12F)に出走。前年の英1000ギニー・ジョッキークラブCの勝ち馬でミドルパークS・英オークス2着のプラック、前年のニューマーケットSの勝ち馬でデューハーストS2着・英ダービー3着のハーストウッドなど、未勝利馬である本馬では太刀打ちできそうにない馬が参戦していた。しかし結果はハーストウッドの半馬身差2着に突っ込み、3着プラックに先着するという好走を見せた。引き続きサンダウンパーク競馬場で出走したサンドリンガムフォールS(T10F)では3着に敗退。

次走のエクリプスS(T10F)では、前年のエクリプスS・アスコットダービーの勝ち馬で英セントレジャー3着のポリフォンテス、前年の英2000ギニーと一昨年のミドルパークSを勝っていたダイオフォン(後に日本で種牡馬として大活躍するダイオライトの父)、セントジェームズパレスSを勝ってきたザンボなど、これまた当時の本馬では太刀打ちできそうにない馬が参戦していた。そしてここでは、勝ったポリフォンテスから5馬身以上の差をつけられた着外に敗れた。

その後はハーストパーク競馬場に向かい、ダッチェスオブヨークS(T10F)に出走。ファルマスSで2着してきたセラデラを2馬身差の2着に破り、ここでようやく初勝利を収めた。翌8月にノッティンガム競馬場で出走したエルヴァーソンキャッスルS(T11F)も勝利。同月にストックトン競馬場で出走したゼトランドS(T12F)も勝利した。

そして3連勝の勢いを駆って英セントレジャー(T14F132Y)に出走した。このレースには、英国三冠馬を目指す英2000ギニー・英ダービー・リッチモンドSの勝ち馬マンナ、アスコットダービー・プリンセスオブウェールズSを連勝してきたミドルパークS2着馬ソラリオ、ミドルパークS・インペリアルプロデュースS・クレイヴンSの勝ち馬ピカルーンと、同世代を代表する強豪馬が参戦していた。結果は本馬と同父のソラリオが勝利を収め、本馬は11着に惨敗した。

その後は英国ハンデ競走の最高峰レースの1つであるシザレウィッチH(T18F)に出走。斤量は103ポンドと恵まれていたが、結果はフォルセティの着外だった。翌11月にはウィンザー競馬場でガイフォークスH(T13F)に出走したが2着に敗れ、3歳時の成績は12戦3勝となった。

競走生活(4・5歳時)

4歳時は5月にマンチェスター競馬場で行われたマンチェスターC(T12F)から始動したが、チェスターヴァーズの勝ち馬ヴァーミリオンペンシル、後にアスコット金杯を2連覇するインヴァーシン、ニューマーケットS・ニューマーケットセントレジャーの勝ち馬クロスボウなどに歯が立たず、勝ったヴァーミリオンペンシルから7馬身以上の差をつけられた着外に敗れた。翌6月にアスコット競馬場で出走したアスコットS(T16F)では、牝馬ミススポーツの1馬身差3着と健闘。同月にニューカッスル競馬場で出走したノーザンバーランドプレート(T16F)では、ジョッキークラブC2着馬フォックスローの短頭差2着に惜敗したが、後のヨークシャーCの勝ち馬テンプレストーには3馬身先着した。

翌7月にはニューマーケット競馬場でプリンセスオブウェールズS(T12F)に出走。ハードウィックSを勝ってきた同年の英ダービー2着馬ランスゲイ(米国顕彰馬カヴァルケイドの父)を半馬身差の2着に抑えて勝利した。翌8月にはヨーク競馬場でエボアH(T14F)に出走。しかしアスコット金杯でソラリオの3着してきたニューベリーサマーCの勝ち馬ポンズアシノラム、前年のダッチェスオブヨークSで本馬に敗れた後にニューベリーオータムCを勝っていたセラデラ達に敗れて、ポンズアシノラムの着外に終わった。翌9月にドンカスター競馬場で出走したグレートヨークシャーH(T14F132Y)でも、セラデラの着外に敗れた。11月にニューベリー競馬場で出走したニューベリーオータムH(T12F)ではハイブローの着外に終わり、4歳時の成績は7戦1勝となった。

5歳時は4月にケンプトンパーク競走場で行われたクイーンズプライズH(T16F)から始動して勝利を収めた。翌5月にヨーク競馬場で出走したグレートノーザンH(T12F)も勝利。そして翌6月のアスコット金杯(T20F)に駒を進めた。しかし結果は前年のノーザンバーランドプレートで本馬を破った後にジョッキークラブSを勝っていたフォックスローが勝利を収め、本馬は着外(4着とも6着ともされる)に敗退。このレース後に脚を故障したために、5歳時3戦2勝の成績で競走馬を引退した。馬名は仏語で「向日葵」を意味する。

血統

Gainsborough Bayardo Bay Ronald Hampton Lord Clifden
Lady Langden
Black Duchess Galliard
Black Corrie
Galicia Galopin Vedette
Flying Duchess
Isoletta Isonomy
Lady Muncaster
Rosedrop St. Frusquin St. Simon Galopin
St. Angela
Isabel Plebeian
Parma
Rosaline Trenton Musket
Frailty
Rosalys Bend Or
Rosa May
Soliste Prince William Bill of Portland St. Simon Galopin
St. Angela
Electric Light Sterling
Beachy Head
La Vierge Hampton Lord Clifden
Lady Langden
Elizabeth Statesman
Fair Rosamond
Sees Chesterfield Wisdom Blinkhoolie
Aline
Bramble See Saw
Sylva
La Goulue Prism Uncas
Rainbow
Rosary Knight of the Garter
La Roseraie

ゲインズボローは当馬の項を参照。

母ソリストは不出走馬。繁殖牝馬としては本馬の半妹ラソローニュ(父プリンスチメイ)【ナッソーS】も産んでいる。ソリストの母シーズの半妹にはマーテル【ヴェルメイユ賞】が、シーズの母ラグーリュの半姉ローズウッドの孫にはロゼヴェール【仏オークス】、曾孫にはヴィタミン【ジャックルマロワ賞】、玄孫には仏国の歴史的名馬ブラントーム【凱旋門賞・ロベールパパン賞・モルニ賞・仏グランクリテリウム・仏2000ギニー・リュパン賞・ロワイヤルオーク賞・カドラン賞】、クルディテ【パリ大賞】がいるが、現在ではあまり繁栄している牝系ではない。→牝系:F27号族

母父プリンスウイリアムは1906年の英セントレジャーで2着しているが、それ以外に特筆できる競走成績はなく、種牡馬としても活躍していない。プリンスウイリアムの父ビルオブポートランドはセントサイモン産駒だが、名競走馬が多いセントサイモン産駒の中では目立たない馬だったようで、競走馬としてのキャリアは伝わっていない。種牡馬としては数年間英国で供用された後豪州に渡り、そこで数多くの名馬を出した。後に英国に買い戻され、さらにベルギーに移動したと言われている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はすぐに日本に輸入され、千葉県にあった宮内省管轄の下総御料牧場で種牡馬入りした。本馬が競走馬を引退した時期は、父ゲインズボローが種牡馬として猛威を振るい始めた直後であり、輸入に要した費用は8100ポンドという結構な高額だった(ちなみに同世代トップクラスのソラリオやマンナの競走馬としての獲得賞金総額はいずれも2万ポンド強)。そのために下総御料牧場に到着した本馬を一目見ようと大勢の見物人がやってきたという。そして本馬は種牡馬としてその金額に見合うかそれ以上の活躍を見せた。現在の天皇賞の前身に当たる帝室御賞典の勝ち馬を16頭も輩出(23頭を出したイボア、21頭を出したガロン、17頭を出したチャペルブラムプトンに次ぐ史上4位。ちなみに5位が15頭を出したシアンモア)。そして東京優駿の勝ち馬は、記念すべき第1回の勝ち馬ワカタカ、史上最強牝馬とも言われるクリフジを含めて計6頭登場させた。東京優駿の勝ち馬6頭輩出は、サンデーサイレンスと並んで日本競馬史上最多記録となっている。1935年から1940年にかけて6年連続で全日本首位種牡馬に輝いた(1940年の全日本首位種牡馬はレヴューオーダーであるとする資料もある)。

下総御料牧場の黄金時代を築いた本馬は、岩手県の小岩井農場で繋用されていたシアンモアと種牡馬成績で凌ぎを削り、当時の2大種牡馬と言われた。1944年に種牡馬を引退した後も下総御料牧場で余生を過ごし、翌年に終わった太平洋戦争も生き抜いた。そして1946年8月に24歳で他界した。本馬の死後に建立された記念碑が、下総御料牧場の跡地である三里塚記念公園内に現在も残っている。また、馬の彫刻家として有名だった池田勇八氏により本馬の銅像が作成されており、1983年に第50回東京優駿が施行されたのを機に、かつて目黒競馬場(第1回東京優駿が施行された競馬場だが、その翌年に閉場され、その役割は府中市に新しく出来た東京競馬場が受け継いだ)が存在していた場所の近くに移設され、現在でもそれを見ることが出来る。産駒のクモハタが名馬メイヂヒカリを出すなど種牡馬として大成功し、直系子孫は長期間に渡って残った。直系は現在途絶えているが、牝系に本馬の血を受け継いでいる馬は今も数多い。母の父としては、天皇賞春・菊花賞を勝ったキタノオー、桜花賞・優駿牝馬を勝ったヤマイチなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1929

アサハギ

阪神四歳牝馬2回・牝馬連合競走

1929

アサヤス

帝室御賞典(阪神)

1929

イサヲ

帝室御賞典(阪神)

1929

ワカタカ

東京優駿・帝室御賞典(東京)・横浜特別農林省賞典競走(東京)

1930

イワタダ

呼馬(五歳馬)競走

1930

ハッピーランド

農林省賞典競走(東京)・横浜特別

1930

ワカミチ

中山春季五歳馬特別・五歳馬特別(東京)・農林省賞典競走(東京)・呼馬(五歳馬)競走

1931

アトランタ

帝室御賞典(東京)・呼馬(四歳馬)競走・中山記念

1931

オーシス

帝室御賞典(横浜)・農林省賞典障碍

1931

キンチャン

帝室御賞典(阪神)

1931

スパーション

農林省賞典競走(阪神)・五歳馬特別(東京)

1931

トーチ

中山秋季五歳馬特別

1931

ユキオミ

中山春季五歳馬特別

1932

クヰンアスパー

農林省賞典競走(阪神)

1932

ジャンダークトマス

明四五歳特別(函館)・農林省賞典牝馬競走

1932

スモールジャック

帝室御賞典(阪神)・農林省賞典競走(阪神)

1932

ツキタカ

帝室御賞典(札幌)

1932

ツキヤス

横浜特別・目黒記念

1932

トーナメント

農林省賞典障碍

1932

ナスタマ

中山四歳馬特別

1932

フソウ

中山春季五歳馬特別・五歳馬特別(東京)・農林省賞典障碍

1932

モアーザン

中山記念3回

1933

イワヰカブト

帝室御賞典(横浜)・横浜特別

1933

サンタアニタ

牝馬特別(横浜)

1933

ダイナモ

帝室御賞典(阪神)

1933

トクマサ

東京優駿・帝室御賞典(横浜)・目黒記念・中山記念

1933

ピュアソール

農林省賞典競走(東京)

1933

リプルス

五歳馬特別(東京)

1933

リョウゴク

帝室御賞典(東京)

1934

アヅマダケ

横浜特別・目黒記念

1934

キョクジツ

帝室御賞典(福島)・中山農林省賞典障碍

1934

サンダーランド

阪神四歳牝馬

1934

ハッピーマイト

帝室御賞典秋・農林省賞典競走(東京)

1934

ヒサトモ

東京優駿・帝室御賞典秋・五歳古呼馬特別・横浜農林省賞典四五歳呼馬

1934

ヒサニシキ

農林省賞典牝馬競走

1934

ホウネン

目黒記念

1935

スタミナ

中山農林省賞典障碍

1935

ナンレイ

明四五歳特別(函館)

1936

クモハタ

東京優駿・五歳古呼馬特別

1936

ソールレディ

中山四歳牝馬特別(桜花賞)

1936

トキノチカラ

帝室御賞典春

1937

イエリュウ

東京優駿

1938

テツバンザイ

優駿牝馬・横浜記念

1939

クレタケ

中山記念

1940

クリフジ

東京優駿・優駿牝馬・京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)・横浜記念

1941

クリヤマト

農商省賞典四歳能力検定

TOP