ダイオライト

和名:ダイオライト

英名:Diolite

1927年生

黒鹿

父:ダイオフォン

母:ニードルロック

母父:ロックサンド

下総御料牧場により輸入されて日本史上初の三冠馬セントライトを送り出した英2000ギニー優勝馬

競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績24戦6勝2着2回3着5回

誕生からデビュー前まで

英国産馬で、1歳時のニューマーケットセールに出品された。しかし幼少期は小柄だったためにその評価は低かった。ドイツ生まれの英国の実業家だった初代ハースト男爵ヒューゴ・ハースト卿により購入されたが、その取引価格は480ギニーという安値だった。英国フレッド・テンプルマン調教師に預けられて育成が開始されると、2歳になった頃にはかなり立派な体格の持ち主に成長していた。

競走生活(2歳時)

2歳4月にニューベリー競馬場で行われた賞金200ポンドのマントンプレート(T5F)でデビュー。出走頭数が31頭もおり、結果はブレニムの4馬身半差3着だった。同月にはニューマーケット競馬場で芝5ハロンの2歳馬スウィープSに出走したが、牝馬クッラトゥルアインの2馬身差2着に敗れた。翌5月に前走と同コースで行われたスウィープSでは、2着シルヴィアに2馬身差をつけて勝利した。このシルヴィア、実は後に日本の大種牡馬となるライジングフレームの祖母になる馬だった。

翌6月にアスコット競馬場で行われたコヴェントリーS(T5F)では、2着ロバットスカウトに首差で勝利した。さらに8月にグッドウッド競馬場で出走したモールコームS(T5F)では、スウィープSで本馬を破った後にクイーンメアリーSを勝っていたクッラトゥルアイン(後にコロネーションSを勝ちチェヴァリーパークS・ジュライCで2着している)を1馬身半差の2着に、後にデューハーストSを勝つ牝馬グレースダルリンプルを3着に破って勝利。2歳時は5戦3勝の成績で、ミドルパークSを勝ったプレスギャングを抑えて英最優秀2歳牡馬に選出された。

競走生活(3歳時)

3歳時には前哨戦無しのぶっつけ本番で英2000ギニー(T8F)に出走。この年の英2000ギニーは、現在でも同競走史上最多となっている28頭立てで行われた。ぶっつけ本番だった本馬はやや評価を下げており、単勝オッズ11倍という評価だった。しかし後のサセックスSの勝ち馬パラダインを2馬身差の2着に破って勝利を収めた。

次走の英ダービー(T12F)では1番人気に支持されたが、デビュー戦で屈した相手である単勝オッズ19倍の伏兵ブレニム(英2000ギニーでは本馬の前に4着に終わっていた)に3馬身差をつけられて3着に敗れてしまった。その後は2週間後にアスコット競馬場で行われたファーンヒルS(T5F)に出走したが、スティンゴの1馬身差3着に敗退。

その後はしばらくレースに出ず、秋の英セントレジャー(T14F132Y)に直行した。しかし上がり馬シンガポールが単勝オッズ5倍の1番人気に応えて、2着となったプリンスオブウェールズSの勝ち馬で後にコロネーションCを勝つパレンセシスに1馬身半差、3着となったエクリプスSの勝ち馬ラスタムパシャにはさらに3/4馬身差をつけて勝利を収め、本馬は6着に敗れてしまった。次走の英チャンピオンS(T10F)では、ラスタムパシャ、モールコームSで3着に破ったグレースダルリンプル、英1000ギニー馬フェアアイル(ファロスフェアウェイの全妹)の3頭に屈して、ラスタムパシャの4着に敗れてしまった。3歳時の成績は5戦1勝で、勝ち星は英2000ギニーのみだった。

競走生活(4・5歳時)

4歳時も現役を続け、まずは5月にハーストパーク競馬場で行われたヴィクトリアC(T7F)から始動した。しかしスチュワーズCを勝っていた2歳年上のフリーティングメモリーの3着に敗れた。次走のグレートジュビリーH(T10F)では、前年のケンブリジシャーH2着馬レースデール、前年のセントジェームズパレスSの勝ち馬クリストファーロビンなどに屈して、レースデールの着外に敗退。次走のロイヤルハントC(T7F155Y)でも、グランドサルートの着外に敗退(レースデールが3着だった)。さらにリブルスデールS(T8F)に出走したが、3歳馬ドクタードリトルの着外に敗れた。さらにスチュワーズC(T6F)に出走したが、プアーラッドの着外に敗れた(前年の仏2000ギニーと同月のジュライCの勝ち馬ザンドヴェが3着だった)。次走のナンソープS(T5F)では、ミドルパークS・英シャンペンSを勝っていた3歳馬ポートロウの2馬身半差3着。10月に出走したチャレンジS(T6F)でも、ポートロウの3/4馬身差2着に敗れた。その後に出走したグローヴナーC(T8F)では2着カローラに1馬身半差で勝利を収め、シーズン最終戦で同年の初勝利を挙げた。4歳時の成績は8戦1勝だった。

5歳時も現役を続け、まずは3月のリンカンシャーH(T8F)に出走したが、ジェロームファンドールの着外に敗れた。次走のグレートチェシャーH(T10F)でも、デンビーの着外に敗退。クイーンアンS(T8F)でも、アンライクリーの着外に敗れた。ロウス記念S(T8F)でも、ヘロンスレアの着外に敗退。その後はしばらくレースに出ず、秋のケンブリッジシャーH(T9F)に出走した。しかしレースは単勝オッズ101倍の超人気薄馬プルオーバーが95ポンドという軽量を活かして勝利を収め、118ポンドを課せられていた本馬は11着と惨敗した。その後に出走したグローヴナーC(T8F)では勝利を収め、前年と同じくシーズン最終戦で同年の初勝利を挙げた。そして5歳時6戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Diophon Grand Parade Orby Orme Ormonde
Angelica
Rhoda B. Hanover
Margerine
Grand Geraldine Desmond St. Simon
L'Abbesse de Jouarre
Grand Marnier Friar's Balsam
Galopin Mare
Donnetta Donovan Galopin Vedette
Flying Duchess
Mowerina Scottish Chief
Stockings
Rinovata Wenlock Lord Clifden
Mineral
Traviata Cremorne
The White Lady
Needle Rock Rock Sand Sainfoin Springfield St. Albans
Viridis
Sanda Wenlock
Sandal
Roquebrune St. Simon Galopin
St. Angela
St. Marguerite Hermit
Devotion
Needlepoint Isinglass Isonomy Sterling
Isola Bella
Dead Lock Wenlock
Malpractice
Etui Bread Knife Craig Millar
Slice
Pindi Galopin
Dee

父ダイオフォンは現役成績18戦8勝。距離適性や成長曲線はかなり本馬に似通っており、2歳時にミドルパークS・ジュライSを勝利。3歳時に英2000ギニーを勝ち、サセックスSで2着。4歳時にロウス記念Sで2着、エクリプスSで3着している。本馬は父の初年度産駒。本馬以外の産駒には、ゼアシナ【愛オークス】などがいる。

ダイオフォンの父グランドパレードはオービーの代表産駒で、英ダービー・愛ナショナルS・アングルシーS・セントジェームズパレスSを勝っている。英ダービー馬ではあるが、それ以外の勝ち鞍や産駒の成績を見る限りでは、むしろマイラーに近かったようである。

母ニードルロックの競走馬としての経歴は不明。本馬の半姉レディクルーン(父クルーンスタッド)の子にキディー【ヴェルメイユ賞・ヴァントー賞・ミネルヴ賞】、曾孫に本邦輸入種牡馬ラヴァンダン【英ダービー】、ヌーリア【伊オークス・イタリア大賞】がいる。レディクルーンの牝系子孫は現在ではほぼ残っていないようだが、本馬の半姉アルコーブ(父ベイドール)の牝系子孫は現在でも南米を中心に活躍馬が出ている。しかし本馬の近親にはそれほど活躍馬は多くない。→牝系:F4号族①

母父ロックサンドは当馬の項を参照。ちなみにロックサンドは英国三冠馬でありながら種牡馬としての人気が出ずに米国に輸出され、晩年に米国で反賭博運動が盛んになると仏国に再輸出されたのはロックサンドの項に書いたどおりだが、ニードルロックはロックサンドが他界した翌年に生まれた英国産馬であるため、ロックサンドが欧州に戻ってきた後に出した最終世代の馬ということになる。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は6歳時から英国で種牡馬入りしたが、競走馬生活晩年の成績から、種牡馬としての人気は低かった模様である。種牡馬入り3年目の1935年に、宮内省管轄の下総御料牧場により8500ギニー(約18万円。消費者物価指数の上昇率を掛けると、現在の約30億円に相当する)で購入され、翌年から下総御料牧場で種牡馬生活を送ることになった。英国クラシック競走の勝ち馬が日本に輸入されるのは史上初の事例であり、本馬が横浜税関に到着した際には、政府高官が揃って見物にやってきたという。馬体自体は優れているとして好評だったらしいが、後脚の湾曲を指摘して種牡馬としての活躍を危惧する関係者もいたという。

しかし本馬は、いきなり初年度産駒から中山四歳牝馬特別(現桜花賞)を制したタイレイ、京都農林省賞典四歳呼馬(現菊花賞)を制したテツザクラを輩出するという成功を収めた。特に、競走馬時代の成績や血統などから、本馬の産駒は短距離傾向が強いのではと思われていただけに、テツザクラが長距離戦を勝ったことは関係者にとって嬉しい誤算だったようである。そして2年目産駒からは、横浜農林省賞典四歳呼馬(現皐月賞)・東京優駿・京都農林省賞典四歳呼馬を全て制した日本史上初の三冠馬セントライトが登場。セントライトが三冠を達成した1941年には、トウルヌソルの7連覇を阻んで初の全日本首位種牡馬を獲得した。その後も活躍馬を出し、1943年まで3年連続で全日本首位種牡馬となった。

1944・45年は太平洋戦争の末期であり、競馬は軍馬の能力検定として行われたために馬券発売は無く、賞金も基本的に無かったから、この2年間は本馬も含めてどの馬も全日本種牡馬を獲得しなかった。

1946年になって日本競馬会が主催する競馬が再開されると、本馬は早速この年の全日本首位種牡馬を獲得し、戦後初の首位種牡馬としても名を刻むことになった。翌1947年からは、戦前に既に来日していたセフトが種牡馬としての全盛期を迎えたため、本馬が首位種牡馬を獲得することは無かったが、その後も活躍馬を送り出し、復興に向かう戦後日本の競馬界を支える1頭となった。1951年8月に老衰のため24歳で他界した。本馬が繋養されていた下総御料牧場の所在地千葉県にある船橋競馬場では、本馬の功績を記念したGⅡ競走ダイオライト記念が行われている。

代表産駒セントライトは種牡馬としても活躍したが、繋養されていた小岩井農場を所有していた三菱財閥がGHQにより解体され、小岩井農場が競走馬生産を禁止されるという不運があり、晩年は活躍馬を出せず、本馬の直系を後世に伝えるまでには至らなかった。しかし本馬は母父として、オーハヤブサ、クリヒデ、クリペロ、ケゴン、タカマガハラ、ハクチカラ、ハクリヨウ、ボストニアン、ミツハタなど数々の8大競走優勝馬を送り出した。また、同じく本馬を母父に持つ牝馬シラオキが日本で一大牝系を形成。シラオキの子孫からは、コダマ、スペシャルウィーク、ウオッカなどの歴史的名馬が登場し、本馬の血は現在にも影響力を有している。また、本馬が欧州に残してきた牝駒ニンフディクテは仏1000ギニー馬ディクタウェイを産み、ディクタウェイは日本で種牡馬入りしたワシントンDC国際Sの勝ち馬ダイアトムの母となり、こちら側からも後世に一定の影響力を有している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1937

シーラス

目黒記念

1937

タイレイ

中山四歳牝馬特別(桜花賞)

1937

テツザクラ

京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)

1937

トクムスメ

札幌特別牝馬

1938

カミワカ

中山農商省賞典障碍

1938

セントライト

横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)・東京優駿・京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)・横浜農林省賞典四五歳呼馬

1938

モトクマ

中山農林省賞典障碍

1939

グランドライト

帝室御賞典春

1939

フクイワヰ

中山四歳牝馬特別(桜花賞)

1940

ダイヱレク

横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)

1940

ヒロサクラ

帝室御賞典春

1943

トヨウメ

天皇賞秋・中山記念

1944

ブランドライト

中山大障害秋

1945

ハマカゼ

桜花賞・京都記念

1945

ヒデヒカリ

農林省賞典四歳呼馬・中山記念

1948

クリミノル

クモハタ記念

1948

サチヒカリ

中山大障害秋

1949

ダイコロンブス

クモハタ記念

1950

クリチカラ

目黒記念・安田賞・日本経済賞・中山金杯・スプリングH

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