マンナ
和名:マンナ |
英名:Manna |
1922年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ファラリス |
母:ワッフルズ |
母父:バックウィート |
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英2000ギニーに続いて英ダービーを当時同競走史上最大の8馬身差で圧勝した大種牡馬ファラリス産駒唯一の英ダービー馬 |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績9戦4勝2着1回3着3回 |
誕生からデビュー前まで
愛国ダブリン郊外にあるコンフェイスタッドにおいてジェームズ・J・マーヘル氏により生産された。幼少期から「欠点を探す事が不可能な馬」「素晴らしい創造物」と評される期待馬で、1歳時のドンカスターセールにおいて、不動産業者ヘンリー・E・モーリス氏から最も優秀な1歳馬を購入するように依頼されていたフレッド・ダーリン師により6300ギニーで購入され、モーリス氏の所有馬となった。
競走生活(2歳時)
ダーリン師の調教を受けた本馬は、2歳7月にサンダウンパーク競馬場で行われたナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)でデビューした。ナショナルブリーダーズプロデュースSは当時の英国における重要な2歳戦であり、デビュー戦がいきなりこのレースというところに陣営の期待の程が現れている。前評判が高かったために1番人気に支持されたものの、結果は勝った牝馬ガーデンオブアラーから1馬身1/4差の3着だった。同月にグッドウッド競馬場で出走した次走のリッチモンドS(T6F)では6馬身差で圧勝して初勝利を飾った。3戦目は9月にケンプトンパーク競馬場で行われたインペリアルプロデュースS(T6F)となった。ここでは実力馬ピカルーンと対戦。しかし結果は勝ったピカルーンから1馬身差の2着だった。翌月に出走したミドルパークプレート(T6F)では、ピカルーンだけでなく、ソラリオという強敵も出現した。本馬は最後の直線でいったん先頭に立ったものの、ピカルーンとソラリオの2頭に差されて、勝ったピカルーンから2馬身1/4差、2着ソラリオからは3/4馬身差の3着に終わった。その後は同じニューマーケット競馬場でムールトンS(T5F)に出走。このレースにはクロスボウという実力馬が出走していたが、本馬が勝利を収め、2歳時の成績は5戦2勝となった。
競走生活(3歳時)
3歳時は本馬の調教場所であったベックハンプトンの天候が良くなく、馬場が湿った状態が続いた。そのためダーリン師は本馬に十分な調教を施すことが出来なかったが、それでもぶっつけ本番で英2000ギニー(T8F)に出走。本調子ではないと思われた本馬は、英国平地騎手に輝くこと10回という名手スティーヴ・ドノヒュー騎手が鞍上だったにも関わらず、単勝オッズ13.5倍の人気に留まった。しかしレースではスタートから先手を奪うと、そのまま2着セントベカンに2馬身差をつけて優勝した。
その後は英ダービー(T12F)に参戦する事になったが、本馬の父ファラリスが現役時代に主に短距離路線を走っていた事から、距離不安が囁かれていた。そのため、1番人気は前哨戦のニューマーケットSを勝ったクロスボウ(単勝オッズ5.5倍)に譲り、単勝オッズ10倍の2番人気での出走となった。冷たい雨が降る中でスタートが切られると、ドノヒュー騎手騎乗の本馬は逃げ馬の後方を追走し、レース中盤で先頭に立った。そして直線を向くと後続をどんどん引き離し、最後は2着ジオニスト(デューハーストプレートの勝ち馬で、後に愛ダービーを勝っている)に、当時の英ダービー史上最大着差となる8馬身差をつけて圧勝した(この記録を破ったのは56年後の1981年に10馬身差で勝ったシャーガーである)。このレースにおいてドノヒュー騎手が鞭を使用する場面は一度も無かったという。最終的に英ダービーを7勝するダーリン師にとっては、1922年のキャプテンカトルに次ぐ2度目の勝利だったが、ドノヒュー騎手にとっては、1915年のポマーン、1917年のゲイクルセイダー、1921年のユーモリスト、1922年のキャプテンカトル、1923年のパパイラスに続く6度目にして最後の英ダービー制覇だった。
その後はアスコットダービー(T12F・現キングエドワードⅦ世S)に出走したが、10ポンドのハンデを与えたソラリオに敗れて3着に終わった。ソラリオは英2000ギニーと英ダービーのいずれでも本馬の4着に破れていたのだが、2頭の評価はこの時点で拮抗しており、どちらが強いのかについて盛んに議論がされたようである。
その後本馬は前哨戦を使わずに英セントレジャー(T14F132Y)に直行して、英国三冠馬のタイトルを獲りに行った。英1000ギニー・コロネーションS・英オークス・ナッソーSを勝っていた当時無敗の名牝ソーシーシューが直前になって回避したため、強敵はプリンセスオブウェールズSを勝ってきたソラリオのみと目され、本馬はソラリオと並んで単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持された。レースでは序盤から先行したものの、スタート後1マイルを通過した頃から脚を引き摺るように後退していき、ソラリオの10着に惨敗してしまった。レース後に右前脚を故障している事が判明したため、このレースを最後に3歳時4戦2勝の成績で競走馬を引退した。
馬名は旧約聖書に登場するモーゼに率いられてエジプトを脱出したイスラエル民族が、アラビアの荒野を放浪中に、神から奇跡的に与えられた食物(「マナ」という発音の方が日本では一般的である)に由来しており、本馬の事を「神からの贈り物」として高く評価したマーヘル氏が、母ワッフルズの名前が食べ物である事から連想したものであるらしい。
血統
Phalaris | Polymelus | Cyllene | Bona Vista | Bend Or |
Vista | ||||
Arcadia | Isonomy | |||
Distant Shore | ||||
Maid Marian | Hampton | Lord Clifden | ||
Lady Langden | ||||
Quiver | Toxophilite | |||
Young Melbourne Mare | ||||
Bromus | Sainfoin | Springfield | St. Albans | |
Viridis | ||||
Sanda | Wenlock | |||
Sandal | ||||
Cheery | St. Simon | Galopin | ||
St. Angela | ||||
Sunrise | Springfield | |||
Sunray | ||||
Waffles | Buckwheat | Martagon | Bend Or | Doncaster |
Rouge Rose | ||||
Tiger Lily | Macaroni | |||
Polly Agnes | ||||
Sesame | St. Simon | Galopin | ||
St. Angela | ||||
Maize | Hampton | |||
Palmflower | ||||
Lady Mischief | St. Simon | Galopin | Vedette | |
Flying Duchess | ||||
St. Angela | King Tom | |||
Adeline | ||||
Vain Duchess | Isinglass | Isonomy | ||
Dead Lock | ||||
Sweet Duchess | Hagioscope | |||
Grand Duchess |
父ファラリスは当馬の項を参照。本馬は父の3年目産駒で、父が出した唯一の英ダービー馬である。
母ワッフルズは不出走馬だが、繁殖牝馬としては本馬の半弟サンドウィッチ(父サンソヴァーノ)も産んでいる。サンドウィッチは2歳時に未勝利、3歳時も英2000ギニーは着外、英ダービーは3着だったが、本馬が勝てなかった英セントレジャー・キングエドワードⅦ世Sを勝利したという、本馬とは正反対の長距離馬であり、本馬と合わせて食べ物に由来する名前の兄弟で英国クラシック三冠を制している。
本馬の半姉バンウォリー(父グレートスポート)の牝系子孫からは、ベルニーナ【伊1000ギニー・伊2000ギニー・伊オークス】、バレストリーナ【伊ジョッキークラブ大賞】、ボッティチェリ【アスコット金杯・伊2000ギニー・伊ダービー・イタリア大賞・ミラノ大賞・エミリオトゥラティ賞2回】、バーバラシラニ【エミリオトゥラティ賞】、ブラック【伊ダービー・イタリア大賞・ミラノ大賞】、ベアトリスアダムス【伊オークス】、ブギア【伊1000ギニー(伊GⅡ)】といった伊国の名馬達や、ロワノルマン【サンセットH(米GⅠ)】、コケレール【サンタラリ賞(仏GⅠ)】などが出ている。また、本馬の半妹ウェハー(父サンソヴァーノ)の曾孫にはガスパチョ【愛1000ギニー】、玄孫にはバンラティキャッスル【コーフィールドC】がいる。→牝系:F22号族②
母父バックウィートはデュークオブヨークSの勝ち馬で、ベンドア産駒のグッドウッドC勝ち馬マータゴンの直子。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はマーヘル氏によって組まれたシンジケートの元、英国バンステッドマナースタッドで種牡馬入りした。英2000ギニー馬コロンボを出すなど種牡馬としてまずまずの成功を収め、1933年には英愛種牡馬ランキングで3位に入った。1939年10月に血管破裂のために17歳で他界した。遺体はバンステッドマナースタッドに埋葬され、この場所は「マンナコテージ」と呼ばれている。直系はミラクルの産駒である不出走馬ミルトンが日本で種牡馬入りして、その息子カネリューが天皇賞春・有馬記念を勝ったオンスロートや桜花賞・優駿牝馬を勝ったカネケヤキを出したが、その後は続かず日本では断絶。コロンボの直系からは米国三冠馬セクレタリアトと同世代に生まれたのが不運だった快速馬シャムが出て、20世紀末頃までは勢力を維持していたが、今世紀に入ってからの活躍は聞かない。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1928 |
Mangosteen |
ディーS |
1929 |
Miracle |
エクリプスS・ジムクラックS |
1930 |
Manitoba |
コヴェントリーS |
1931 |
英2000ギニー・ニューS・リッチモンドS・クレイヴンS |
|
1933 |
Archidamia |
伊グランクリテリウム・伊1000ギニー・伊2000ギニー・伊オークス・伊ダービー・ミラノ大賞 |
1935 |
Manorite |
デューハーストS |
1936 |
Dagherotipia |
伊1000ギニー |