グレイソヴリン
和名:グレイソヴリン |
英名:Grey Sovereign |
1948年生 |
牡 |
芦毛 |
父:ナスルーラ |
母:コング |
母父:ベイタウン |
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気性の激しさが災いして競走馬としては高い素質を十分に発揮できなかったが、種牡馬としては父ナスルーラ最初の大物後継種牡馬して活躍する |
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競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績22戦8勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
1934年に創業された英国最大手のブックメーカーであるウィリアムヒル社の創立者ウィリアム・ヒル氏により生産された英国産馬である。彼は1943年頃から馬産も開始しており、1949年の英2000ギニーと英ダービーを制覇したニンバスも彼の生産馬だった。本馬はそのニンバスの2歳年下の半弟であり、1歳時のセリに出されたのはまさにニンバスが英国クラシック路線で活躍していた同じ時期だった。そのためにニンバスを管理していたジョージ・コーリング調教師は本馬も手に入れるつもりでこのセリに参加した。ところが本馬は父ナスルーラに似たのか、ひどく気性が悪い馬であり、セリにおいても暴れまわっていた。その様子を見たコーリング師は本馬の購入を断念してしまった。結局本馬を勝ったのはJ・K・メージャーズ氏という人物で、購入価格は6700ギニーだった(兄ニンバスの1歳時における取引価格5千ギニーよりは高いが、兄が活躍した真っ最中である事を考慮するとそれほど高値とは言えない)。ジョージ・ビーバイ調教師に預けられて競走馬となった本馬は、自身が4×5のインブリードを有する快速馬ザテトラークを髣髴とさせる(ちなみに本馬は芦毛馬だが、この毛色もザテトラーク由来である)ほど優れたスピード能力を披露するようになったが、気性の悪さは相変わらずだった。
競走生活
2歳時に出走したコヴェントリーS(T6F)では1番人気に支持されたが、後にミドルパークS・ジュライS・英シャンペンSを勝つビッグディッパーの2着に敗れた。また、ナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)では、スタートで大きく出遅れながらも3着まで追い上げてきた。このレースの勝ち馬は後の英1000ギニー・チェヴァリーパークS・コロネーションS勝ち馬ベルオブオールで、2着馬は後にナンソープS2回・コーク&オラリーS・キングジョージSを勝ち、さらに米国に移籍してハリウッド金杯などを勝つロイヤルセレナーデだった。その後はリッチモンドS(T6F)を勝ち、ようやくその能力通りの結果を挙げた。
しかし3歳になるとろくな結果を残せず、秋のチャレンジS(T6F)でジュライC勝ち馬ハードソースの2着に入ったのが唯一目立つ戦績だった。
4歳時も走っており、6月にバーミンガム競馬場で行われたフェルティヴァルSではロイヤルセレナーデを頭差の2着に破って勝利。しかしナンソープS(T5F)ではロイヤルセレナーデの2連覇を許し、2着に敗れた。9月にバーミンガム競馬場でユニオンSを勝利したが、結局2線級の短距離馬の域を脱しないまま4歳限りで競走生活に終止符を打った。
「輝かしい実力の持ち主だが、気性が悪すぎる」と評されたその性格が競走成績に多大な悪影響を与えたと言われている。
血統
Nasrullah | Nearco | Pharos | Phalaris | Polymelus |
Bromus | ||||
Scapa Flow | Chaucer | |||
Anchora | ||||
Nogara | Havresac | Rabelais | ||
Hors Concours | ||||
Catnip | Spearmint | |||
Sibola | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | Blandford | Swynford | |
Blanche | ||||
Malva | Charles O'Malley | |||
Wild Arum | ||||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | Roi Herode | ||
Vahren | ||||
Lady Josephine | Sundridge | |||
Americus Girl | ||||
Kong | Baytown | Achtoi | Santoi | Queen's Birthday |
Merry Wife | ||||
Achray | Martini Henry | |||
Acme | ||||
Princess Herodias | Poor Boy | Perth | ||
Philae | ||||
Queen Herodias | The Tetrarch | |||
Break of Dawn | ||||
Clang | Hainault | Swynford | John o'Gaunt | |
Canterbury Pilgrim | ||||
Bromus | Sainfoin | |||
Cheery | ||||
Vibration | Black Jester | Polymelus | ||
Absurdity | ||||
Radiancy | Sundridge | |||
Queen Elizabeth |
父ナスルーラは当馬の項を参照。
母コングは現役成績19戦4勝、アスコットウォーキンガムSの勝ち馬。繁殖牝馬としては、本馬の半兄ニンバス(父ネアルコ)【英2000ギニー・英ダービー・ジュライS】も産んでいる。ニンバスは距離6ハロンの英シャンペンSでは稀代の快速馬アバーナントに6馬身差をつけられて2着に敗れたが、英2000ギニーではアバーナントを大接戦の末に退けて優勝し、距離不安が囁かれていた英ダービーではスタートから積極的に先行して押し切り勝ちを収めるなど、マイル~12ハロンの距離で実力を発揮しており、本馬とは競走馬のタイプはまるで異なっていた。ちなみに本馬は芦毛馬だがニンバスは栗毛馬であり、全てにおいて全然似ていない兄弟だった。母系からは本馬とニンバス以外に目立つ馬は出ておらず、優秀な牝系とは言い難い。→牝系:F6号族①
母父ベイタウンは愛2000ギニー・愛ダービー勝ちなど32戦10勝。ベイタウンの父アクトイはニューマーケットセントレジャー・ディーSの勝ち馬で、さらに系統を遡ると、アスコット金杯勝ち馬サントイ、ドンカスターC勝ち馬クイーンズバースデイ、ハギオスコープ、グッドウッドC勝ち馬スペキュラムを経てヴェデットに至る。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はメージャーズ氏所有のもと、英国ニューマーケットのデリスレイウッドスタッドで種牡馬になった。これは本馬の競走成績が評価されたというよりも、ニンバスの半弟という血統が買われた点が大きいと一般的に言われている。しかし種牡馬入りしてすぐに本馬の種付け予約は満杯になったと海外の資料にあり、単なる兄の代替種牡馬であればこのような事にはならないだろう。本馬が種牡馬入りできた理由はニンバスの半弟だからというだけでなく、本馬自身が垣間見せていた快速に魅せられた人が少なくなかった事、そして既に米国に放出されていた父ナスルーラ(本馬が3歳時の1951年に英愛首位種牡馬を獲得)が英国に残した後継としての期待があったのではないかと推察される。
そして本馬は競走馬としては応えられなかったメージャーズ氏達の期待に対して種牡馬として応えてみせた。兄ニンバスは平均程度の種牡馬成績(現在GⅠ競走に位置付けられているレースを勝った産駒が5頭いるから失敗とは言い難い)だったのに対して、本馬のほうは平均を大きく上回る成功を収めるという、競走馬時代とは真逆の結果となった。産駒数が少なかった(20年間に及ぶ種牡馬生活で送り出した産駒は418頭。受精率が悪かったのか、ザテトラークのように交配意欲が低かったのかは調べてもよく分からなかった)影響もあり、英愛種牡馬ランキングで首位になることは出来なかった(2位が最高)が、1958・61年の英愛2歳首位種牡馬、及び1967年の仏2歳首位種牡馬を獲得した。産駒のステークスウイナーは48頭で、ステークスウイナー率は約11.5%だった。自身と同様に仕上がり早い短距離馬が殆どであり、距離の上限はせいぜいマイルまでであった。また、母の父としては75頭のステークスウイナーを出している。1972年に種牡馬を引退し、1976年に28歳で他界した。
後世に与えた影響
本馬は後継種牡馬にも恵まれ、父ナスルーラの直系を繁栄させた最大の功労馬の1頭となっている。自身の芦毛を産駒の多くに受け継がせており、近代競馬において芦毛馬の活躍が以前より目立つ理由の1つともなっている。現在でもフォルティノ・カロ親子からの系統と、ゼダーンからの系統の2つの流れが残っている。日本にもグレイモナーク、グスタフ、ソヴリンロード、フォルティノ、ラナーク、ゼダーン、メイジシロー、ラフィンゴラ、ドン、ウィロウィックなど多くの直子が輸入されているが、本馬の直系のうち日本で特に種牡馬として成功したのは、アローエクスプレスとトニービンである。特にトニービンの血は現在でも日本競馬に欠かせない存在となっている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1955 |
Algaiola |
伊1000ギニー |
1955 |
Grey Monarch |
サラトガスペシャルS |
1956 |
Greek Sovereign |
ジュライS |
1956 |
Sovereign Path |
ロッキンジS・クイーンエリザベスⅡ世S |
1957 |
Be Cautious |
テストS・ブラックヘレンH |
1957 |
Queensberry |
チェヴァリーパークS・モールコームS・ロウザーS |
1958 |
Cynara |
クイーンメアリーS・モールコームS |
1958 |
Merry Ruler |
カーターH・ベイショアH・トボガンH |
1958 |
Silver Tor |
キングズスタンドS |
1959 |
Fortino |
アベイドロンシャン賞・サンジョルジュ賞・モートリー賞 |
1959 |
Gustav |
ミドルパークS |
1959 |
La Tendresse |
モールコームS・ロウザーS・キングジョージS |
1959 |
Sovereign Lord |
リッチモンドS・ジムクラックS |
1960 |
Matatina |
ナンソープS・キングジョージS |
1961 |
Round Trip |
チェリーヒントンS |
1962 |
Gently |
ネルグウィンS |
1962 |
Merry Madcap |
ジュライC |
1963 |
Young Emperor |
コヴェントリーS・ジムクラックS |
1965 |
Raffingora |
テンプルS(英GⅢ)・キングジョージS(英GⅢ) |
1965 |
ロベールパパン賞・仏2000ギニー・イスパーン賞・アランベール賞・セーネワーズ賞 |
|
1965 |
メイジシロー |
中山記念 |
1966 |
Don |
仏2000ギニー・アランベール賞 |
1966 |
Grizel |
クイーンメアリーS |
1967 |
Fluke |
デュークオブヨークS |
1967 |
Negus |
ケンブリッジシャーH |
1967 |
Willowick |
サンフランシスコH・サンフェルナンドS |
1970 |
Regardia |
ロウザーS(英GⅢ) |