カロ

和名:カロ

英名:Caro

1967年生

芦毛

父:フォルティノ

母:チャンボード

母父:チャモセア

競走馬としては1歳年下のミルリーフの影に隠れたが種牡馬としては互角の成績を残しグレイソヴリン直系の繁栄に大きく貢献する

競走成績:2~4歳時に仏英で走り通算成績19戦6勝2着6回3着3回

誕生からデビュー前まで

独国出身の貴族マルギト・フォン・バッチャーニ伯爵夫人により生産・所有された仏国産馬である。バッチャーニ伯爵夫人は独国の財閥ティッセン家の出身で、ハンガリーの貴族バッチャーニ伯爵に嫁ぎ、夫と共に自分の出生地でもあるレヒニッツ城で暮らしていた。しかしナチスドイツに協力的だったために第二次世界大戦末期にスイスに亡命した。亡命直前にレヒニッツ城において発生したユダヤ系ハンガリー人の大量虐殺事件「レヒニッツの虐殺」に関与した疑いが強いと言われているが、結局刑事告訴はされなかったため推測の域を出ない。亡命後は基本的にスイスで暮らしたが、仏国にあった名門牧場ボワルセル牧場(英ダービー馬にして名種牡馬のボワルセルが誕生したところである)の所有権を確保しており、そこで馬産活動も行っていたのだった。後に名牝アレフランスを管理するアルベルト・クリムシャ調教師に預けられた本馬は、体高は16.3ハンドと比較的大柄でバランスが取れた身体を持つ馬で、長くて強靭な下肢を有していた。

競走生活(2・3歳時)

2歳5月にサンクルー競馬場でデビューして、初戦で初勝利を挙げた。次走は7月のロベールパパン賞(T1100m)となったが、ここでは後にモルニ賞やキングズスタンドSを勝ち英最優秀短距離馬にも選ばれる快速馬アンバーラマの4着に敗れた。次走は9月にロンシャン競馬場で行われたエクリプス賞(T1200m)となり、ここではベルモントの2着だった。次走のアランベール賞(T1100m)では、後にアベイドロンシャン賞やナンソープSなどを勝つ快速馬ディープダイバーの2着。トーマブリョン賞(T1500m)では、アーミーコートや英オークス馬ノーブレスの娘フゼッタといった牝馬勢に敗れて、アーミーコートの6着に終わった。結局2歳時は5戦して1勝のみの成績だった。

3歳時は1戦して2着した後に仏2000ギニー(T1600m)に出走。結果はクリテリウムドメゾンラフィット勝ち馬ファラウェイサンが1位入線し、本馬が2位、サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・フォンテーヌブロー賞勝ち馬ブルトンが3位で入線したが、ファラウェイサンがブルトンの進路を妨害したとして3着に降着となったため、本馬が繰り上がって棚ぼたの勝利を収めた。

次走のリュパン賞(T2100m)ではスティンティノの4着に敗退。続く仏ダービー(T2400m)ではリュパン賞で3着だった後の凱旋門賞馬ササフラ、後のパリ大賞勝ち馬ロールオブオナーの2頭に後れを取り、ササフラの3着に敗れた。

しかしイスパーン賞(T1850m)では、1歳年上の仏オークス馬クレペラナやスティンティノを蹴散らして勝利を収めた。次走のユジェーヌアダム賞(T2000m)では、仏オークス2着馬で後にヴェルメイユ賞を勝つ同世代の牝馬ハイエストホープスの2着だった。次走のコートノルマンディ賞(T2000m)では、後にムーランドロンシャン賞に勝つなどして欧州マイル路線の有力馬の1頭として名を馳せるゴールドロッドの6着に完敗した。なお、後に日本で種牡馬として活躍するディクタスが2着、クリテリウムデプーリッシュ(現マルセルブサック賞)勝ち馬ヴェラが3着だった。さらにプランスドランジュ賞(T2200m)でもアチャラの6着に敗れ去り、3歳時を8戦2勝の成績で終えた。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月のアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)から始動して勝利。次走のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では2分08秒6のコースレコードを計時して、スティンティノ達を一蹴した。続くドラール賞(仏GⅡ・T1950m)ではこの年のイスパーン賞を勝つミスターシックトップを2着に破って3連勝とした。

次走は英国のエクリプスS(英GⅠ・T10F)となった。このレースにおける強敵は2頭。1頭はロッキンジS2回・クイーンアンS・クイーンエリザベスⅡ世Sを勝っていたウェルシュページェント。そしてもう1頭は英ダービーを完勝してきたばかりのミルリーフだった。レースで本馬は後方待機策を採り、直線に入ると先に抜け出したミルリーフに追いすがった。しかし残り1ハロン半地点から引き離され、4馬身差をつけられて2着に敗れた(ウェルシュページェントは3着だった)。

その後は9月のフォワ賞(T2400m)に向かい、プロミネントの2着。そして前年は出走しなかった凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。サンタラリ賞・仏オークス・ヴェルメイユ賞などを勝ってきたピストルパッカー、愛ダービー馬アイリッシュボール、伊ダービー馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着のオーティス、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたブルボン、カドラン賞・サンクルー大賞などの勝ち馬ラムシン、ジャンプラ賞・プランスドランジュ賞を勝ってきたアレツ、イスパーン賞を勝ってきたミスターシックトップ、加国際CSS・サンセットHの勝ち馬ワンフォーオールなども強敵だったが、最大の強敵はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを2着オーティスに6馬身差で圧勝してきたミルリーフだった。結果はミルリーフの4馬身3/4差4着。先着されたのは他にピストルパッカー(2着)とミネルヴ賞勝ち馬カンブリッチア(3着)の2頭だけであり、健闘したとは言えるだろう。なお、本馬の所有者バッチャーニ伯爵夫人は、この翌年の凱旋門賞をサンサンで勝利する事になる。

このレースを最後に4歳時6戦3勝の成績で引退。この年の仏最優秀古馬に選出された。英タイムフォーム社のレーティングは133ポンドであり、これはこの年の欧州古馬勢では単独1位の評価だった。しかしこの年の3歳馬にはいずれも141ポンドの評価を受けたミルリーフとブリガディアジェラード(本馬とは対戦機会なし)という名馬中の名馬が2頭おり、本馬の影は薄くなってしまった。

馬名の“Caro”はイタリア語で「親愛な、親愛な人」の意味(英語だと“dear”又は“darling”に相当する)である。

血統

フォルティノ Grey Sovereign Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Kong Baytown Achtoi
Princess Herodias
Clang Hainault
Vibration
Ranavalo Relic War Relic Man o'War
Friar's Carse
Bridal Colors Black Toney
Vaila
Navarra Orsenigo Oleander
Ostana
Nervesa Ortello
Nogara
Chambord Chamossaire Precipitation Hurry On Marcovil
Tout Suite
Double Life Bachelor's Double
Saint Joan
Snowberry Cameronian Pharos
Una Cameron
Myrobella Tetratema
Dolabella
Life Hill Solario Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Sun Worship Sundridge
Doctrine
Lady of the Snows Manna Phalaris
Waffles
Arctic Night White Eagle
Jean's Folly

父フォルティノはグレイソヴリンの直子で、現役成績は17戦8勝。アベイドロンシャン賞・サンジョルジュ賞・モートリー賞に勝利した典型的な短距離馬だった。種牡馬としては本馬の他に、ピジェット【愛1000ギニー(愛GⅠ)・愛セントレジャー(愛GⅠ)】、シャムサン【共和国大統領賞(伊GⅠ)】、ノックロー【ヨークシャーC(英GⅡ)】、ノーマーシー【モートリー賞(仏GⅢ)】などを出してまずまずの活躍を示した後、1970年に日本に輸入された。日本でも、シービークロス【中山金杯・毎日王冠・目黒記念秋】、ロングファスト【スワンS・2着東京優駿・2着菊花賞】、シルバーネロ【阪急杯】、ミヤジマレンゴ【小倉大賞典・小倉記念・北九州記念】、キョウエイアセント【京都記念(GⅡ)・鳴尾記念】、テキサスワイポン【中山大障害秋・京都大障害春・中京障害S・阪神障害S秋】などを出して活躍し1980年に他界した。シービークロスが父として名馬タマモクロスを出したことで日本でもサイヤーラインが伸びたが、現在ではほぼ途絶している。

母チャンボードは英で走り現役成績11戦4勝、ニューマーケットオークス・ロイヤルスタンダードSの勝ち馬。本馬の半姉コカルド(父レッドゴッド)の牝系子孫にサナム【伊グランクリテリウム(伊GⅠ)】、メディシアン【ロッキンジS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、キャッチミー【ハットンズグレイスハードル(愛GⅠ)】、アルメリタ【独オークス(独GⅠ)】が、本馬の半妹で日本に繁殖牝馬として輸入されたコンサーテイスト(父シュプリームソヴリン)の孫に地方競馬の名馬コンサートボーイ【帝王賞(GⅠ)・マイルグランプリ2回】がいる。

チャンボードの半兄にクラカタオ(父ネアルコ)【サセックスS】が、チャンボードの半姉サミニアト(父ダンテ)の子にシャーラック【ベルモントS・ブルーグラスS・ローレンスリアライゼーションS】がいる。→牝系:F3号族②

母父チャモセアはサンタクロースの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はバッチャーニ伯爵夫人が所有する仏国ボワルセル牧場で種牡馬入りした。1977年にクリスタルパレスが仏ダービーを、マデリアが仏1000ギニーと仏オークスを勝つなど2年目産駒が仏国クラシック路線を席巻すると、それを評価した米国の馬産家達は460万ドルの種牡馬シンジケートを組んでバッチャーニ伯爵夫人から本馬を購入。そしてちょうどこの時期に欧州で馬伝染性子宮炎という感染症が流行した影響で欧州馬の渡米禁止措置が講じられることが決定したために、取引が成立してすぐに本馬はブラッシンググルームザミンストレルなどと共に渡米(ただし種牡馬入り先の牧場は3頭とも別)して、米国ケンタッキー州スペンドスリフトファームに移り住んだ。この1977年には仏首位種牡馬を獲得。米国でも本馬は多くの活躍馬を出して成功した。産駒のステークスウイナーは77頭又は78頭で、ステークスウイナー率は約12.5%となっている。

自身と同様にバランスが取れた馬体の産駒を多く出したが、気性面に問題がある産駒も多かった。なお、競馬シミュレーションゲーム「ダービースタリオン」シリーズでは本馬のインブリード効果が早熟となっていたが、確かに仕上がり早い産駒も少なくなかったけれども、本格化までに時間がかかる晩成馬のほうがむしろ多かったと海外の資料では評されている。1989年にスペンドスリフトファームにおいて心臓発作のため22歳で他界した。

本馬はクリスタルパレス、コジーン、カルドゥンなど後継種牡馬にも恵まれた。現在はやや衰退しているが、それでも欧州、米国、日本など各国で残っている。また母の父としても優秀で、東京優駿勝ち馬タヤスツヨシ、プリークネスS勝ち馬レッドビュレット、いずれも種牡馬として成功したアンブライドルズソングマライアズモンなど134頭ものステークスウイナーを出した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1973

Cheraw

エクスビュリ賞(仏GⅢ)

1973

Pappagallo

エクスビュリ賞(仏GⅢ)

1973

Theia

クリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ)・ヴァントー賞(仏GⅢ)・ノネット賞(仏GⅢ)

1974

Carwhite

イスパーン賞(仏GⅠ)・ダリュー賞(仏GⅡ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)

1974

Crystal Palace

仏ダービー(仏GⅠ)・ニエル賞(仏GⅢ)

1974

Madelia

仏1000ギニー(仏GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)

1975

Croda Alta

キウスーラ賞(伊GⅡ)

1975

Miss Carina

ドルメロ賞(伊GⅡ)・クリテリウムフェミニーレ(伊GⅢ)

1975

Rusticaro

ダフニ賞(仏GⅢ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)・ゴントービロン賞(仏GⅢ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)

1976

Cenerentola

サンドランガン賞(仏GⅢ)

1976

Costly Wave

リボー賞(伊GⅡ)

1976

Nebos

ベルリン大賞(独GⅠ)2回・オイロパ賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・ウニオンレネン(独GⅡ)・デュッセルドルフ大賞(独GⅡ)・ドルトムント大賞(独GⅢ)2回

1977

Exactly So

ギャロレットH(米GⅢ)

1978

Bernica

カルヴァドス賞(仏GⅢ)・ヴァントー賞(仏GⅢ)

1978

Tropicaro

マルセルブサック賞(仏GⅠ)・グロット賞(仏GⅢ)

1980

Cast Party

ローレルフューチュリティ(米GⅠ)

1980

Cozzene

BCマイル(米GⅠ)・ロングフェローH(米GⅡ)・オーシャンポートS(米GⅢ)

1980

Harlow

パレロワイヤル賞(仏GⅢ)

1980

Smuggly

サンタラリ賞(仏GⅠ)・ペネロープ賞(仏GⅢ)

1981

Dr. Carter

レムセンS(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・トレントンH(米GⅢ)

1981

Siberian Express

モルニ賞(仏GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)

1981

Trial by Error

ディーS(英GⅢ)

1982

Padua

スワップスS(米GⅠ)

1983

Sharrood

スターズ&ストライプスH(米GⅡ)・エディリードH(米GⅡ)

1984

Canango

プティクヴェール賞(仏GⅢ)・ウンブリア賞(伊GⅢ)

1984

Devil's Bride

カムリーS(米GⅢ)

1984

Iron Courage

レッドバンクH(米GⅢ)・ロバートFケアリー記念H(米GⅢ)

1985

Gabina

フォレ賞(仏GⅠ)・アスタルテ賞(仏GⅡ)・ミュゲ賞(仏GⅢ)・ポルトマイヨ賞(仏GⅢ)

1985

Tejano

アーリントンワシントンフューチュリティ(米GⅠ)・カウディンS(米GⅠ)・ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・サプリングS(米GⅡ)

1985

Winning Colors

ケンタッキーダービー(米GⅠ)・サンタアニタオークス(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)

1986

Galetto

リュパン賞(仏GⅠ)

1986

Golden Pheasant

ジャパンC(日GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ニエル賞(仏GⅡ)・ジョンヘンリーH(米GⅡ)・イングルウッドH(米GⅡ)

1986

Turgeon

愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・エスペランス賞(仏GⅡ)・ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)2回・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)

1986

With Approval

クイーンズプレート・加プリンスオブウェールズS・加ブリーダーズS・ボーリンググリーンH(米GⅡ)・タイダルH(米GⅡ)

1987

Grand Flotilla

ハリウッドパークターフH(米GⅠ)・サンセットH(米GⅡ)

1988

Futurist

ランプライターH(米GⅢ)・ロングフェローH(米GⅢ)

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