ディクタス
和名:ディクタス |
英名:Dictus |
1967年生 |
牡 |
栗毛 |
父:サンクタス |
母:ドロニク |
母父:ワードン |
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長距離血統ながら気性の問題で名マイラーとなった自身の特徴をそのまま産駒にも伝えた本邦輸入種牡馬 |
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競走成績:2~4歳時に仏英で走り通算成績17戦6勝2着3回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
R・ワッティヌ氏により生産された仏国産馬で、ホセ・M・ソリアーノ氏により6万4千フラン(当時の為替レートで約467万円)で購入され、R・ド・モニーパジョル調教師に預けられた。
競走生活(2・3歳時)
2歳時にサンクルー競馬場で行われたダリア賞でデビューして3着。フォンテーヌブロー競馬場で出走したブーケデュロワ賞(T1700m)で勝ち上がって、2歳時は2戦1勝の成績となった。
3歳初戦は4月にサンクルー競馬場で行われたジュドランジュ賞(T2000m)となり、3/4馬身差で勝利。続いて仏ダービーを目指してフォルス賞(T2000m)に出走するも、7着最下位(勝ち馬は後の仏ダービー・凱旋門賞馬ササフラ)。気を取り直してラク賞(T2400m)に出走して勝利した。しかし続くリス賞(T2400m)では、ハイゲームの3馬身差4着に敗退。次走のパリ大賞(T3100m)では、勝った仏ダービー2着馬ロールオブオナーに大差をつけられて12着に惨敗してしまった。
8月にドーヴィル競馬場で出走したコートノルマンディ賞(T2000m)では、グリーナムSの勝ち馬でセントジェームズパレスS・サセックスS2着のゴールドロッド(後にこの年のムーランドロンシャン賞を勝ち、この年のクイーンエリザベスⅡ世S、翌年のムーランドロンシャン賞、翌々年のエクリプスSでいずれも2着している)の1馬身半差2着に入り、ようやく格好をつけた。9月に出走したロシェット賞(T1850m)では、後に凱旋門賞馬キャロルハウスの父となるウィリアムヒル金杯の勝ち馬ロードゲイルや、後にコンセイユミュニシパル賞を勝つエクスリブリスが対戦相手となったが、本馬が2着エクスリブリスに3/4馬身差で勝利を収めた。しかしアンリデラマール賞(T2400m)では。ディーSの勝ち馬ゴールデンモナド、後にコンセイユミュニシパル賞・ジャンドショードネイ賞を勝つアルモ、ハイゲームの3頭に屈して、勝ったゴールデンモナドから1馬身1/4差の4着に敗れた。
英国遠征して出走した英チャンピオンS(T10F)には、前走凱旋門賞でササフラに敗れて初黒星を喫してしまった英国三冠馬ニジンスキーも参戦していた。結果はジュライS・ジャンプラ賞・クインシー賞・フォワ賞の勝ち馬で前年の同競走3着馬ロレンザッチオが勝利を収め、ニジンスキーが1馬身半差の2着、コロネーションS(現ブリガディアジェラードS)の勝ち馬で愛2000ギニー・プリンスオブウェールズS2着のホットフットがさらに首差の3着、本馬はさらに1馬身差の4着だった。本馬は5着馬には10馬身差をつけており、相手関係を考えると健闘したと言える。3歳時の成績は9戦3勝だった。
競走生活(4歳時)
4歳時は4月にメゾンラフィット競馬場で行われたエヴリ賞(仏GⅢ・T1600m)から始動して首差で勝利。着差は僅差だったが、2着馬のファラウェイサンはクリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬で、前年のムーランドロンシャン賞ではゴールドロッドの首差2着していた馬であり、さらには後にムーランドロンシャン賞・ロンポワン賞・フォレ賞を勝つ強豪馬だった。そして本馬の勝ちタイム1分36秒5はコースレコードだった。
しかし次走のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では、仏2000ギニー・イスパーン賞・アルクール賞の勝ち馬カロ、クリテリウムドサンクルー・ギシュ賞・リュパン賞・シャンティ賞の勝ち馬スティンティノといった同世代馬達に叩きのめされ、勝ったカロから6馬身以上の差をつけられた9着に敗れた。続くモーリスドネクソン賞(T2400m)でも、前年のロシェット賞で2着に破ったエクスリブリスの4着と完敗した。
本馬はその長距離向きの血統背景から、デビュー以来大半のレースで2000m以上のレースを走ってきたのだが、マイル戦のエヴリ賞を勝っていた事を鑑みた陣営は、本馬をマイル路線に転向させてみた。するとこれがが吉と出た。まずはメシドール賞(仏GⅢ・T1600m)に出走して、前年のロッキンジS2着馬ジョシュアの首差2着。
次走のジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)では、3か月前のクイーンアンSでゴールドロッド以下に完勝していたロワソレイユ、2か月前のセントジェームズパレスSで世紀の名馬ブリガディアジェラードに頭差まで迫った愛2000ギニー2着馬スパークラー(古馬になってムーランドロンシャン賞・ロッキンジS・クイーンアンSなどを勝っている)などが対戦相手となった。しかし素晴らしい追い込みを見せた本馬が鮮やかに差し切り、2着スパークラーに半馬身差、3着ロワソレイユにさらに首差をつけて勝利した。
続いて出走したのは英国伝統のマイル戦クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ・T8F)だった。結果は2着だったが、3頭立てであり、しかも勝ち馬からは8馬身の差をつけられていた。しかしその勝ち馬とは無敵の最強馬ブリガディアジェラードだったから、これは相手が悪かったと言える。このレースを最後に、4歳時6戦2勝の成績で競走馬を引退した。
血統
Sanctus | Fine Top | Fine Art | Artist's Proof | Gainsborough |
Clear Evidence | ||||
Finnoise | Finglas | |||
Unfortunate | ||||
Toupie | Vatellor | Vatout | ||
Lady Elinor | ||||
Tarentella | Blenheim | |||
Andalusia | ||||
Sanelta | Tourment | Tourbillon | Ksar | |
Durban | ||||
Fragment | Shred | |||
Pearl Drop | ||||
Satanella | Mahmoud | Blenheim | ||
Mah Mahal | ||||
Avella | Epinard | |||
Noor Jahan | ||||
Doronic | Worden | Wild Risk | Rialto | Rabelais |
La Grelee | ||||
Wild Violet | Blandford | |||
Wood Violet | ||||
Sans Tares | Sind | Solario | ||
Mirawala | ||||
Tara | Teddy | |||
Jean Gow | ||||
Dulzetta | Bozzetto | Pharos | Phalaris | |
Scapa Flow | ||||
Bunworry | Great Sport | |||
Waffles | ||||
Dulcimer | Donatello | Blenheim | ||
Delleana | ||||
Dulce | Asterus | |||
Dorina |
父サンクタスは現役成績12戦6勝。気性が荒い馬だったらしいが、その実力は確かで、仏ダービー・パリ大賞を勝ち、クリテリウムドサンクルーで2着、リュパン賞で3着している。種牡馬としても成功し、1972年に仏首位種牡馬になっている。サンクタスの父ファイントップは、現役成績36戦16勝。フォレ賞2連覇の他、ギシュ賞・ユジェーヌアダム賞・ボイアール賞・ロンポワン賞・エドモンブラン賞・シュマンドフェルデュノール賞を勝っている。2000mの距離でも活躍したが、その本領は短距離路線で発揮された。血統的には中長距離馬だが、気性の問題で短距離馬になったようである。その証拠に、代表産駒はサンクタス、凱旋門賞馬トピオ、仏オークス馬ファインパールなど中長距離馬が多かった。ファイントップの父ファインアートは、主な勝ち鞍の全てを距離1400m以下の短距離戦で挙げた典型的な短距離馬だった。仏国の名物短距離競走グロシェーヌ賞を3歳から7歳まで5連覇、同じくプティクヴェール賞を5歳から7歳まで3連覇した他、セーネワーズ賞3回・サンジョルジュ賞・シュマンドフェルデュノール賞・モートリー賞なども勝っている。ファインアートの父アーティスツプルーフは英国三冠馬ゲインズボローの直子で、現役時代は8勝を挙げたが、特に目立つ競走馬ではなかった。
母ドロニックは現役成績4戦3勝、クレオパトル賞・クリュニー賞を勝っている。ドロニックの半妹ダンネ(父モーン)の曾孫にドンポリ【RSAチェイス(英GⅠ)・レクサスチェイス(愛GⅠ)】が、ドロニックの母デュルゼッタの半妹デュルシンの牝系子孫に2007年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬ジンジャーパンチ【BCディスタフ(米GⅠ)・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)2回・ラフィアンH(米GⅠ)・オグデンフィップスH(米GⅠ)・パーソナルエンスンS(米GⅠ)】が、デュルゼッタの母ドゥルシメールの半姉レッドサンセットの孫にハニーライト【英1000ギニー】、クレペロ【英2000ギニー・英ダービー・デューハーストS】、トワイライトアレイ【アスコット金杯】の3姉弟が、ドゥルシメールの半姉メーメニーの牝系子孫に日本で走ったタイテエム【天皇賞春】、カルタジャナ【ガネー賞(仏GⅠ)・メルセデスベンツ大賞(独GⅠ)】、カラジ【中山グランドジャンプ(JGⅠ)3回】などがいる。ドゥルシメールの祖母ドリーナは、サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・仏オークス・ヴェルメイユ賞を勝った名牝。→牝系:F16号族①
母父ワードンはワイルドリスクの直子で、現役時代は仏英伊米で走り通算成績21戦6勝。3歳時は英仏のクラシック戦線で惨敗続きだったが、3歳夏から急上昇し、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで3着と健闘。4歳時もコロネーションC・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・凱旋門賞でいずれも3着するなど活躍し、同年暮れに出走したワシントンDC国際Sを6馬身差で圧勝した。他の主な勝ち鞍は、ローマ賞・コンセイユミニュシパル賞・プランスドランジュ賞など。種牡馬としても凱旋門賞馬ボンモーなどを出し、1959年の仏種牡馬ランキングで2位、1960・61年には3位に入る活躍を示した。
本馬は父サンクタス、母父ワードンとも典型的な長距離馬であり、本馬が当初は長距離路線を進んでいたのも無理もないところである。しかし本馬は非常に気性が激しい馬だったようで、長距離競走をゆったりと走るのには性格的に向いていなかったようである。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は仏国で種牡馬入りした。1981年には仏種牡馬ランキングで2位に入るなど好成績を収めた。この1981年に社台グループに購入されて日本に輸入され、同年から社台ファームで種牡馬生活を開始した。初年度は72頭、2年目は78頭、3年目は68頭、4年目の1984年は70頭の交配数だった。この1984年にデビューした日本における初年度産駒の中から、朝日杯三歳Sを勝ったスクラムダイナが出た。そのために翌1985年は75頭の繁殖牝馬を集めた。その後は年齢の関係もあって交配数は抑え気味となり、6年目は38頭、サッカーボーイが阪神三歳Sを勝った7年目の1987年は49頭、8年目は45頭、9年目の1989年は24頭の交配数だった。そしてこの1989年に22歳で他界した。全日本種牡馬ランキングは1987年の5位が最高で、翌1988年には6位、翌1989年には10位に入っており、合計で3度のベストテン入りを果たした。
本馬が欧州繋養時代に出した産駒は気性難を受け継がなかったのか長距離馬が多かったが、日本で出した産駒はサッカーボーイに代表されるように気性が激しい馬が多く、結果として短中距離馬が多かった。これは本馬に限らず、本馬が属するファイントップ系の特徴(本質的にスタミナ型だが、気性が激しいため、長距離をゆったり走るのが不向きな馬が多い)であるとされている。この特徴は本馬の代表産駒サッカーボーイも同様で、自身はマイル~中距離路線で活躍したが、産駒は中長距離で活躍した馬が多かった。
なお、本馬はノーザンテースト牝駒との相性が良く、一般的にニックス関係だとされている。実際に、本馬が日本で出した産駒が獲得した賞金総額約56億2600万円のうち、51%に相当する約28億6800万円を、ノーザンテースト牝駒との間に産まれた子が稼いでいる(本馬が日本で出した産駒350頭の内、ノーザンテーストを母の父に持つ馬は、ちょうど25%に当たる87頭)。ノーザンテースト以外の種牡馬を父に持つ牝駒との間に産まれた子は1頭当たり平均1000万円強の獲得賞金であるのに対し、ノーザンテースト牝駒との間に産まれた子は1頭当たり平均3300万円を稼いでおり、確かに明らかな差が見られる。しかし本馬はノーザンテーストが繋養されていた社台スタリオンステーションと同系列の社台ファームにいたので、ノーザンテースト牝駒と交配される機会は他の種牡馬より多く、ノーザンテーストが繁殖牝馬の父として非常に優秀だったことも考えれば、活躍馬が母父ノーザンテーストに偏るのは当然のような気もする。
本馬の直系は、サッカーボーイが後継種牡馬として大きな成功を収めたが、そのサッカーボーイの後継種牡馬が現在のところ全て失敗に終わっており、直系の存続は難しい状況である。だが、サッカーボーイの全妹ゴールデンサッシュを母に持つステイゴールドが種牡馬として大活躍したため、本馬の血の影響力はまだまだ健在となっている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1975 |
Laostic |
フェデリコテシオ賞(伊GⅡ) |
1977 |
Daeltown |
コリーダ賞(仏GⅢ)・ロンポワン賞(仏GⅢ) |
1978 |
Palikaraki |
アーリントンH(米GⅠ) |
1979 |
Magwal |
ジャンプラ賞(仏GⅡ)・エヴリ大賞(仏GⅡ) |
1979 |
Zalataia |
オークツリー招待H(米GⅠ)・ポモーヌ賞(仏GⅡ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・ポモーヌ賞(仏GⅢ)・ラクープ(仏GⅢ) |
1980 |
Marie de Litz |
ポモーヌ賞(仏GⅡ)・ロワイヨモン賞(仏GⅢ) |
1981 |
Diamada |
エクリプス賞(仏GⅢ) |
1981 |
Dictina |
パッカーアップS(米GⅢ) |
1982 |
スクラムダイナ |
朝日杯三歳S(GⅠ) |
1982 |
ミスターブランディ |
福島記念(GⅢ)2回・関屋記念(GⅢ) |
1984 |
クールハート |
新潟三歳S(GⅢ)・関屋記念(GⅢ) |
1984 |
クリロータリー |
アルゼンチン共和国杯(GⅡ) |
1984 |
ダイナチョイス |
京都四歳特別(GⅢ) |
1985 |
サッカーボーイ |
阪神三歳S(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)・中日スポーツ賞四歳S(GⅢ)・函館記念(GⅢ) |
1985 |
ディクターランド |
函館三歳S(GⅢ) |
1986 |
ディクターガール |
スワンS(GⅡ) |
1986 |
ムービースター |
中山記念(GⅡ)・金鯱賞(GⅢ)・北九州記念(GⅢ)・中京記念(GⅢ) |
1987 |
イクノディクタス |
京阪杯(GⅢ)・金鯱賞(GⅢ)2回・小倉記念(GⅢ)・オールカマー(GⅢ) |