モンジュー

和名:モンジュー

英名:Montjeu

1996年生

鹿毛

父:サドラーズウェルズ

母:フロリペーデ

母父:トップヴィル

エルコンドルパサーを激闘の末に破って日本でも有名になった凱旋門賞馬は種牡馬としても英ダービー馬を4頭も輩出する活躍を見せる

競走成績:2~4歳時に仏愛日英米で走り通算成績16戦11勝2着2回

誕生からデビュー前まで

世界的に有名な投資家兼政治家だったジェームズ・マイケル・“ジミー”・ゴールドスミス卿により生産された愛国産馬である。ゴールドスミス卿は非常に波乱万丈な人生を送った人物で、彼の生涯を振り返るだけで一冊の本を書けるほどだが、ここでは簡潔に経歴を記す。彼は1933年に仏国の首都パリにおいて誕生した。父のフランシス・ベネディクト・ハイヤム・ゴールドスミス氏は英国や仏国でホテル王として知られた政治家だったが、ユダヤ系だったために第二次世界大戦が勃発してナチスドイツが仏国に侵攻してくると財産を放棄して欧州外に逃亡せざるを得なくなり、そのためいったん財産の大半を失った。そのためゴールドスミス卿は父の財産ではなく自分の才覚を元手にして財産を増やしていった。彼の仕事は良く言えば投資家、悪く言えば企業乗っ取り屋だった。最初は仏国で怪しい関節炎治療薬を販売していた小企業を乗っ取るところから始め、ダイエット業、製薬業、食品業、出版業と次々に企業を買収して事業を拡大していき、想像もつかないような莫大な財産を築き上げ、世界金融界における裏の帝王となった。彼の敵対的買収は欧米の事業家の間で恐れられており、競馬に興味が無い日本人の中にも彼の名を知る人は多いはずである。かなり悪名高い人物だが、駆け落ち(理由は彼がユダヤ系だったために結婚に反対されたから)して結ばれた最初の妻が新婚4か月のときに妊娠7か月で脳内出血のため倒れ、妻と胎児のいずれしか救命できなくなった際に悩んだ末に胎児を選択した(彼は生まれた娘に死んだ妻の名をつけた)という辛い経験が彼の人生観に影響を与えたそうである。

各方面に事業を展開していた彼がいつ頃から競馬に興味を抱いていたのかは不明だが、最初に乗っ取りに成功した関節炎治療薬販売会社が競走馬用の薬も手掛けていた事と無関係ではなさそうである。ゴールドスミス卿は仏国ブルゴーニュ地方ソーヌ・エ・ロワール県にある都市オータンの郊外にある“Château de Montjeu(シャトー・ド・モンジュー)”という1622年完成の歴史的建造物(日本では城と紹介される場合が多いが、城というよりも邸宅である)を当時所有しており、それにちなんで本馬を命名した。

本来であればゴールドスミス卿にとっての最高傑作として彼の所有馬として走るはずだった本馬だが、本馬が1歳7月のときにゴールドスミス卿は膵臓癌のため64歳で死去してしまった。そのために本馬は、ゴールドスミス卿の愛人(と言っても事実上は妻として扱われていた)だった仏国貴族ロール・ブレイ女史が所有していた会社の名義となり、仏国シャンティに厩舎を構えていたジョン・エドワード・ハモンド調教師に預けられた。

体高は成長後で16.1ハンドと平均より少し高いくらいだったが、その凄まじいまでの筋肉は、後に本馬と対戦したエルコンドルパサー陣営をして「何でこんな化け物に3.5kgもハンデを与えなければいけないのか」とぼやかせたほどだった。

競走生活(2歳時)

2歳9月にシャンティ競馬場で行われたマニゲット賞(T1600m)で、キャッシュ・アスムッセン騎手を鞍上にデビューした。道中は中団につけると、残り200m地点から爆発的な末脚を繰り出し、2着カミカリルに1馬身半差で勝利した。

次走は10月にロンシャン競馬場で行われたリステッド競走アイソノミー賞(T1800m)となった。対戦相手は僅か3頭だった。道中は逃げるスパドゥンを見るように走ると、残り200m地点でスパドゥンに並びかけて突き抜け、3/4馬身差で勝利した。着差はそれほど大きくなかったが内容的には楽勝だった。2歳時はこれが最後のレースだったが、ここで2着に敗れたスパドゥンが2週間後のクリテリウムドサンクルーを6馬身差で圧勝したため、本馬の評価も上がることになった。

そんな本馬に目をつけたのは、マイケル・テイバー氏だった。ブックメーカー業で大成功を収めていたテイバー氏は1994年頃から馬主にもなり、既にサンダーガルチでケンタッキーダービーとベルモントS制覇も成し遂げていた。この頃にはクールモアグループの活動にも積極的に参加していた新進気鋭の馬主だった。

競走生活(3歳初期と中期)

2歳暮れにテイバー氏に購入された本馬は、3歳初戦を4月のグレフュール賞(仏GⅡ・T2100m)で迎えた。このレースには、アガ・カーンⅣ世殿下所有のセンダワール、ダニエル・ウィルデンシュタイン氏所有のファーストマグニテュード、シェイク・モハメド殿下所有のグラシオーゾといった世界的名馬主達が送り込んできた期待馬達や、本馬とは2度目の対戦となるスパドゥンなどが出走していた。本馬とセンダワールが並んで単勝オッズ2.5倍の1番人気で、スパドゥンが単勝オッズ7.2倍の3番人気となった。スタートが切られるとまずはスパドゥンが先頭に立ち、センダワールは3番手、本馬は馬群の後方につけた。直線に入るとセンダワールが先頭に立って抜け出したが、6番手で直線に入ってきた本馬が残り200m地点からセンダワールを強襲。ゴール前できっちりとかわして1馬身差で勝利した。負けたセンダワールはこの後にマイル路線に進み、仏2000ギニー・セントジェームズパレスS・ムーランドロンシャン賞・イスパーン賞とGⅠ競走で4勝を挙げる活躍を見せる事になる。

一方の本馬はリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)に駒を進めた。対戦相手は、前走で本馬から5馬身差の3着だったグラシオーゾ、伊グランクリテリウム3着馬アルワフィ、本馬と同厩のペースメーカー役オブヴィアスリーファンの3頭だけだった。本馬とオブヴィアスリーファンはカップリングされ、さらにグラシオーゾとゴドルフィン所属馬アルワフィもカップリングされたため、前者が単勝オッズ1.1倍の1番人気、後者が単勝オッズ2.5倍の2番人気(最低人気)という馬券的にはかなり面白くないレースとなった。スタートが切られるとオブヴィアスリーファンが先頭に立ち、グラシオーゾがすぐ後方の2番手を追走。本馬は最後方からレースを進めた。しかしオブヴィアスリーファンが刻んだペースはかなり遅く、直線に入ってもまだオブヴィアスリーファンには余力があり、先頭を維持し続けた。それを2番手で追いかけたグラシオーゾにはさらに余力が十分あり、残り200m地点で先頭に立って押し切りを図った。直線入り口でも最後方だった本馬は、残り400m地点で仕掛けると、グラシオーゾを猛然と追いかけた。しかし残り200m地点で右側によれてしまい、追い込みきれずにグラシオーゾの1馬身差2着に敗れてしまった。

その後は英ダービー挑戦プランもあったが、結局本国の仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)に出走した。前走で本馬に初黒星を付けたグラシオーゾ、ノアイユ賞・ロシェット賞など3戦全勝のスリックリー、フォルス賞など4連勝中のノーウェアトゥイグジット、オカール賞を勝ってきたファルコンフライト、ヴェルメイユ賞の勝ち馬ダララの息子である期待馬ラガース、デリンズタウンスタッドダービートライアルS2着馬チャイコフスキー、リングフィールドダービートライアルS3着馬ロイヤルレベル(後にアスコット金杯を2連覇)の計7頭が対戦相手となった。本馬とクールモア所有のチャイコフスキーは事実上同一馬主の所有とみなされ、カップリングされて単勝オッズ2.4倍の1番人気、スリックリーが単勝オッズ2.8倍の2番人気、グラシオーゾとゴドルフィン所属馬ラガースのカップリングが単勝オッズ5.8倍の3番人気、ノーウェアトゥイグジットが単勝オッズ6倍の4番人気と、人気は少々割れていた。

雨天のため馬場状態が悪化する中でスタートが切られると、ノーウェアトゥイグジットが先頭に立ち、ロイヤルレベルが2番手、グラシオーゾが好位、スリックリーは馬群の中団後方、本馬は最後方につけた。前走で追い込みきれなかった反省からか、今回は直線に入る前に仕掛けて、5番手で直線に入ってきた。そして残り400m地点で早くも先頭に立った。そしてそのまま後続を引き離し、2着ノーウェアトゥイグジットに4馬身差をつけて圧勝した。

次走は愛ダービー(愛GⅠ・T12F)となった。当初は参戦予定だった英ダービー馬オースが直前調教の状態が悪かったために回避しており、対戦相手は英ダービー2着馬ダリアプール、英ダービー3着馬ビートオール、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきたムタファーウエク、デリンズタウンスタッドダービートライアルSを勝ってきたポートバイユー、前走で本馬から11馬身半差の5着だったチャイコフスキー、8年前の同競走を完勝した名馬ジェネラスの半弟で未勝利戦を10馬身差で圧勝してきたジンギスカン、凱旋門賞馬アーバンシーの息子であるガリニュールSの勝ち馬アーバンオーシャンなど9頭だった。前走ではチャイコフスキーとカップリングされた本馬だが、愛ダービーではカップリングというシステムが無いため馬券は別だった。本馬が単勝オッズ2.625倍の1番人気、ダリアプールとビートオールが並んで単勝オッズ5倍の2番人気、ムタファーウエクが単勝オッズ5.5倍の4番人気、チャイコフスキーが単勝オッズ17倍の5番人気で、人気的には4強対決だった。しかし結果的には4強ではなく1強だった。

良馬場発表ながら雨で馬場が湿る中でスタートが切られると単勝オッズ26倍の8番人気馬アーバンオーシャンが先頭に立ち、ダリアプールが2番手、ビートオール、チャイコフスキー、ムタファーウエクが3~5番手につける中、有力馬の中で本馬のみが後方に陣取っていた。三角から四角にかけて加速しながら直線に入ってくると、次々に他馬を抜き去り、先頭に立っていたダリアプールも残り1ハロン地点でかわして先頭に立った。そして後続を瞬く間に引き離し、2着ダリアプールに5馬身差、3着チャイコフスキーにはさらに5馬身半差をつけて圧勝。英ダービーで勝ったオースから1馬身3/4差だったダリアプールに5馬身差をつけたため、これで本馬が同世代最強馬である事がほぼ確定した。

夏場は休養に充て、秋はニエル賞(仏GⅡ・T2400m)から始動した。このレースから本馬の主戦は、アスムッセン騎手からマイケル・キネーン騎手に交代した。対戦相手は、グレフュール賞で本馬から5馬身半差の4着だったフォルス賞2着馬ファーストマグニテュード、2戦2勝で挑んできたエスピオネイジ、コンデ賞の勝ち馬でクリテリウムドサンクルー・グレートヴォルティジュールS2着のビエナマドの3頭だけだった。本馬が単勝オッズ1.1倍という圧倒的な1番人気に支持され、ファーストマグニテュードが単勝オッズ6.1倍の2番人気、エスピオネイジが単勝オッズ8.6倍の3番人気、ビエナマドが単勝オッズ11.4倍の最低人気となった。スタートが切られるとファーストマグニテュードが先頭に立ち、ビエナマドが2番手、エスピオネイジが3番手で、本馬はお決まりの最後方待機策を採った。道中で早めに先頭に立ったビエナマドがそのまま直線に入って押し切ろうとした。そこへ後方から本馬がやって来て、残り200m地点でビエナマドに並びかけた。そしてゴール前の接戦を頭差で制して勝利した。負けたビエナマドは後に米国に移籍してハリウッドターフカップS・サンフアンカピストラーノ招待H・チャールズウィッティンガムHとGⅠ競走を3勝することになる。

凱旋門賞(3歳時)

次走は秋の最大目標だった凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。この年の凱旋門賞は、かつてシーバードダンシングブレーヴが優勝した時に引けを取らない世界中の強豪が揃っていた。その中でも特に有力と目されていたのは3頭だった。1頭はもちろん本馬。1頭は、仏2000ギニー・エクリプスS・マンノウォーS・コロネーションC・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・愛チャンピオンS・タタソールズ金杯・フォンテーヌブロー賞を勝ち、クリテリウムドサンクルー・ジャックルマロワ賞・タタソールズ金杯で2着、セントジェームズパレスS・ムーランドロンシャン賞・英チャンピオンSで3着していた現役欧州最強古馬デイラミ。そしてもう1頭は、日本でNHKマイルC・ジャパンC・ニュージーランドトロフィー四歳S・共同通信杯四歳Sを勝ち毎日王冠で2着などの成績を挙げた後に、欧州に長期遠征してきてサンクルー大賞・フォワ賞を勝ちイスパーン賞で2着していたエルコンドルパサーだった。

他にも、仏オークス・ヴェルメイユ賞など3連勝中のダルヤバ、この年のイスパーン賞でエルコンドルパサーを2着に破っていたリュパン賞・グレフュール賞の勝ち馬で仏ダービー2着・パリ大賞・ガネー賞3着のクロコルージュ、一昨年の独ダービー・バーデン大賞の勝ち馬でBCターフ2着・凱旋門賞3着などの実績もあった独国の女傑ボルジア、バーデン大賞2回・ダルマイヤー大賞・独2000ギニー・ミューラーブロート大賞・ゲルリング賞の勝ち馬でこの年のサンクルー大賞ではエルコンドルパサーの2着だった前年の凱旋門賞3着馬タイガーヒル、前年のヴェルメイユ賞・ポモーヌ賞の勝ち馬で凱旋門賞2着のレッジェーラ、2年後にカルティエ賞年度代表馬に選ばれるグレートヴォルティジュールS・サンダウンクラシックトライアルS・アークトライアルの勝ち馬でエクリプスS3着のファンタスティックライト、英国際Sで2着してきたローズオブランカスターSの勝ち馬グリークダンス、独オークスの勝ち馬でバーデン大賞2着・独ダービー・バイエルン大賞3着ののフラミンゴロード、サンタラリ賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞3着のセルリアンスカイ、スウェーデンの大競走ストックホルムカップ国際を勝ってきたアルバランが出走しており、本馬のペースメーカー役だったジンギスカンを含めて合計13頭が対戦相手となった。

本馬とジンギスカンのカップリングが単勝オッズ2.5倍の1番人気、エルコンドルパサーが単勝オッズ4.6倍の2番人気、デイラミが単勝オッズ5倍の3番人気、ダルヤバが単勝オッズ8.6倍の4番人気、クロコルージュが単勝オッズ15倍の5番人気となった。この人気順には当日の馬場状態も影響していた。この日のロンシャン競馬場は、1972年に開始されたペネトロメーター(地盤の強さを調査する計器。これで馬場の水分含有量を判定できる)測定において5.1という史上最も高い水分含有量を示しており、まるで洪水のようだと評されたほどの同競走史上稀に見る極悪不良馬場となっていた。明らかに重馬場が得意な本馬、得意とも不得意とも言い難いエルコンドルパサー(得意だと主張する人と、得意ではないと主張する人がいる)、明らかに重馬場が不得手なデイラミという人気順となったのは当然と言える。

スタートが切られると、ペースメーカー役のジンギスカンが先頭に立つ、はずだったのだが、あまりの馬場状態の悪さに脚を取られたのかジンギスカンのスタートダッシュは悪かった。他に特に行く馬もいない中で、先頭に押し出されたのは好スタートを切った蛯名正義騎手騎乗のエルコンドルパサーだった。過去にフォワ賞の1度しか逃げを打った事が無いエルコンドルパサーがそのまま単騎逃げを打ち、ジンギスカンやタイガーヒルなどが先行、デイラミは馬群の中団やや後方につけた。本馬は普通なら最後方待機策を採るのだが、重馬場を苦にしなかった故か通常よりやや前目でレースを進めており、デイラミより前、馬群の中団内側の位置取りだった。エルコンドルパサーの逃げはフォルスストレートを通過して直線に入っても衰えず、直線ではむしろ後続との差を広げにかかった。このレースに注目していた日本中の競馬ファンの脳裏にエルコンドルパサーの勝利がよぎったとき、後方馬群の中から1頭の馬が飛び出してきて、エルコンドルパサーとの差を詰めにかかった。直線に5番手で入ってきてしばらくは馬群の中に閉じ込められていた本馬だった。みるみるうちにエルコンドルパサーと本馬の差が縮まり、残り100m地点で遂に並び、そして本馬が前に出た。するとエルコンドルパサーも蛯名騎手の檄に応えて差し返そうとしてきた。しかし本馬が半馬身リードした状態でゴールラインを通過し、日本調教馬による凱旋門賞制覇の夢はお預けになった。3着クロコルージュはエルコンドルパサーからさらに6馬身後方、4着レッジェーラはさらに5馬身後方であり、本馬とエルコンドルパサーの強さが際立つ結果となった。

勝った本馬に関しては、キネーン騎手が「直線における加速は信じられないほどでした。私が騎乗してきた馬の中で距離1マイル半では最強だと思います」と、ハモンド師が「これは2着だと思いましたが、実に素晴らしい直線のパフォーマンスでした。彼が搭載しているエンジンは凄まじいです」と評価した(いずれもデイリー・テレグラフ紙の記事による)し、エルコンドルパサーに関しても「この年の凱旋門賞にはチャンピオンが2頭いました」と賞賛された。

私事になるが、筆者はこのレースをリアルタイムで見ていない。両親と一緒に登山に行っていたためで、結果を知ったのはレース翌日だった。着順と着差だけを聞いた際には悔しいと思ったが、現在では悔しいという気持ちはほぼ消滅している(2012年にオルフェーヴルがソレミアの2着に敗れた瞬間の悔しさは未だに残っている)。この名馬列伝集を読み込んでくれた人は知っていると思うが、筆者は重い斤量を背負う古馬になって活躍してこそ最強馬であるという考え方の持ち主であり、これは本馬の紹介文で書くべき内容ではないかもしれないが、着差が半馬身なら3.5kg斤量が重かったエルコンドルパサーのほうが本馬より強いという認識に至ったからである。そして本馬の後の活躍により、この馬に負けたのなら仕方が無いと感じたからでもある。エルコンドルパサーは結構好き嫌いが分かれる馬であるらしい(古馬になって1度も日本で走らなかったのが、一部の人には絶不評であるため)が、海外において日本最強馬として認知されているのはディープインパクトでもオルフェーヴルでもなくエルコンドルパサーであるのは紛れも無い事実である。それは、激戦を演じた相手が本馬であったからこそでもある。

ジャパンC

エルコンドルパサーはこの凱旋門賞2着を最後に引退したが、本馬は凱旋門賞2連覇を最大の目標としてその後も現役を続行。普通なら英チャンピオンSやBCターフに向かうか、翌年に備えて休養入りするかのいずれかなのだが、陣営が選択したのはジャパンC(日GⅠ・T2400m)参戦だった。エルコンドルパサーを凱旋門賞で破った欧州最強馬が来日するということで日本の競馬ファンの盛り上がりは大変なものだった。

対戦相手は、東京優駿・天皇賞春・天皇賞秋・弥生賞・京都新聞杯・アメリカジョッキークラブC・阪神大賞典・きさらぎ賞の勝ち馬で前年のジャパンCではエルコンドルパサーの3着だったスペシャルウィーク、エルコンドルパサーを日本国内で唯一破った亡きサイレンススズカの半弟で前走菊花賞3着の上がり馬ラスカルスズカ、天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋2回とGⅠ競走2着4回のステイゴールド、東京競馬場では当時無敗だった優駿牝馬・京王杯三歳S・クイーンCの勝ち馬ウメノファイバー、阪神三歳牝馬S・オークストライアル四歳牝馬特別の勝ち馬スティンガー、神戸新聞杯の勝ち馬で皐月賞2着のオースミブライト、鳴尾記念・小倉大賞典の勝ち馬スエヒロコマンダー、小倉記念の勝ち馬アンブラスモアの日本馬8頭と、凱旋門賞で5着だったタイガーヒル、同7着だったボルジア、前年の英ダービー・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のハイライズ、プリンセスオブウェールズS・ドバイシーマクラシック・ハードウィックSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着のフルーツオブラヴ、香港国際ヴァーズ・香港チャンピオンズ&チャターC2回・香港金杯2回の勝ち馬インディジェナスの海外馬5頭だった。

本馬が果たして日本の馬場に適合できるかという議論が盛んに成されたが、それでも凱旋門賞の衝撃は大きく、本馬が単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、スペシャルウィークが単勝オッズ3.4倍の2番人気、タイガーヒルが単勝オッズ7.1倍の3番人気、ラスカルスズカが単勝オッズ10.6倍の4番人気、ステイゴールドが単勝オッズ13.9倍の5番人気と続いた。

スタートが切られるとアンブラスモアが先頭に立ち、スティンガー、インディジェナスなども先行。スペシャルウィークは馬群の中団後方につけ、本馬はさらにその後方を追走した。単騎で逃げたアンブラスモアだったが、その刻むペースは最初の1000m通過が60秒2とやや遅かった。三角手前でスペシャルウィークが進出を開始し、ほぼ同時に本馬も仕掛けた。そして2頭とも後方の位置取りで直線に入ってきたが、ここからスペシャルウィークが本馬を上回る末脚を披露し、2頭の差が瞬間的に開いた。本馬もスペシャルウィークに次ぐ出走馬中第2位の末脚を繰り出したものの、先行したインディジェナスや中団から差したハイライズにも届かず、勝ったスペシャルウィークから2馬身1/4差の4着に敗れた。

敗因については色々と取り沙汰されており、遠征による疲労が取り切れていなかった説や、当日の良馬場が本馬には合わなかった説、そもそも日本の馬場が本馬には合わなかった説などが噴出したが、正確なところは不明である。しかし本馬のこの敗戦が、サドラーズウェルズ産駒は日本には合わない説を決定的なものにしたのは確かだろう。

3歳時の成績は7戦5勝(うちGⅠ競走3勝)で、カルティエ賞最優秀3歳牡馬のタイトルを受賞したが、カルティエ賞年度代表馬の座は凱旋門賞9着後にBCターフを勝ったデイラミ(この年の成績は7戦4勝だが、勝ち星は全てGⅠ競走)に譲ることになった。

競走生活(4歳前半)

4歳時は5月のタタソールズ金杯(愛GⅠ・T10F110Y)から始動した。対戦相手は、前走ガネー賞で2着してきた前年の凱旋門賞6着馬グリークダンス、愛ダービーで本馬の5着に敗れた後に英セントレジャーを勝っていたムタファーウエク、愛ダービーで本馬の6着に敗れていたアーバンオーシャン、前年のジャンプラ賞の勝ち馬ゴールデンスネイクの4頭だった。このメンバー構成で本馬が敗れることは考えにくく、単勝オッズ1.33倍という断然の1番人気に支持され、グリークダンスが単勝オッズ6倍の2番人気、ムタファーウエクが単勝オッズ9倍の3番人気、アーバンオーシャンが単勝オッズ13倍の4番人気、ゴールデンスネイクが単勝オッズ21倍の最低人気となった。

スタートが切られるとアーバンオーシャンが先頭に立ち、ゴールデンスネイクが2番手、他3頭が後方からレースを進めた。直線に入るとムタファーウエクが先頭に立ち、本馬も馬群の間を突いて追い上げていった。ところが残り1ハロン地点で本馬の左前を走っていたグリークダンスが右側によれて本馬の進路を塞ぐ格好になった。しかしここから馬の壁をこじ開けて突破し、2着グリークダンスに1馬身半差で勝利した。壁を突破した件については審議対象になったが、元々はグリークダンスが斜行したのが原因であり、着順に変更は無かった。

続くサンクルー大賞(仏GⅠ・T2400m)では、キネーン騎手が負傷のため騎乗できなかったため、久々にアスムッセン騎手とのコンビで出走した。本馬が出てくるということで出走を見合わせる他馬陣営が多く、本馬が勝つ前年に凱旋門賞・ニエル賞を勝っていたサガミックス、シャンティ大賞を勝ってきたダーリングミス、本馬のペースメーカー役としての出走だった同厩馬ストップバイの3頭だけが対戦相手となった。本馬とストップバイのカップリングが単勝オッズ1.2倍の1番人気、ダーリングミスが単勝オッズ3.6倍の2番人気、凱旋門賞以降勝ち星が無かったサガミックスは単勝オッズ4.8倍の最低人気だった。

スタートが切られるとストップバイが先頭に立ち、サガミックス、ダーリングミス、本馬の順で走っていった。そのままの態勢で直線に入ると、今度は進路を塞がれないように外側からスパート。残り200m地点で先頭に立つとそのまま突き抜け、2着ダーリングミスに5馬身差をつけて圧勝した。騎乗したアスムッセン騎手は「ゴール前の尋常ならざる速さは、まるで私をコンコルドに乗っているかのように錯覚させました」と賞賛した。

次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、3日前に負傷から復帰したばかりのキネーン騎手が鞍上に戻ってきた。対戦相手は、オーモンドS・コロネーションCを連勝してきた前年の愛ダービー2着馬ダリアプール、前年の凱旋門賞では11着だったがこの年のドバイシーマクラシックを勝ちコロネーションCで2着していたファンタスティックライト、タタソールズ金杯・アールオブセフトンS・ブリガディアジェラードSの勝ち馬で英チャンピオンS2着・エクリプスS3着の日本産馬シーヴァ、前年の愛ダービーで本馬の4着だったプリンスオブウェールズS3着馬ビートオール、この年の愛ダービー4着馬レイプール、そして皐月賞を勝ち東京優駿で鼻差2着という実績を持って日本から遠征してきたエアシャカールの計6頭だった。本馬が同競走史上2番目に低い単勝オッズ1.33倍の1番人気(史上1位は1989年の勝ち馬ナシュワンの1.22倍)に支持され、ダリアプールが単勝オッズ7.5倍の2番人気、エアシャカールが単勝オッズ11倍の3番人気、ファンタスティックライトが単勝オッズ13倍の4番人気、シーヴァが単勝オッズ15倍の5番人気と、本馬の1強独裁体制だった。

しかしこのレース前に本馬の頑固な気性が顔を出し、パドックに移動する事を頑なに拒否。他の出走全馬がパドックに行ってしまったのに、本馬は耳を立てて歯を剥き出し、てこでも動こうとしなかった。仕方が無いので、陣営は本馬に最も多く乗っていた調教助手のディディエ・フォロッペ氏を急遽呼び寄せた。フォロッペ氏が背中に乗ると本馬はようやくパドックに向かったのだった。

スタートが切られると単勝オッズ101倍の最低人気馬レイプールが後続を大きく引き離して先頭に立ち、ダリアプールが離れた2番手、シーヴァが3番手、その後方にエアシャカールがつけた。本馬はファンタスティックライトと共に最後方待機策を採った。直線に入る前にファンタスティックライトと共に加速した本馬は、直線に入るとファンタスティックライトとの差を少しずつ広げていった。しかしこの段階でも本馬鞍上のキネーン騎手はまるで本馬を追っておらず、完全に馬なりのままだった。既に先頭に立っていたダリアプールに残り1ハロン地点で並びかけた時点でもまだ馬なりだった。ここでようやくキネーン騎手が本馬に少しだけ合図を送るとダリアプールを置き去りにして突き抜けた。その後も馬なりのまま走り続けた本馬は、2着ファンタスティックライトに1馬身3/4差で勝利した(エアシャカールは5着だった)。

凱旋門賞とキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを両方勝ったのは、リボーバリモスミルリーフ、ダンシングブレーヴ、ラムタラに続く史上6頭目の快挙だった。また、仏国調教馬の優勝も、1976年のポーニーズ以来24年ぶりの事だった。

このレースにおける本馬の勝ち方はレーシングポスト紙の資料で“most impressive”と表現されているほど素晴らしく、文章では上手く表現できないが、とにかく徹頭徹尾、馬なりで走って勝ったという事だけは認識しておいてほしい。この常識破りの楽勝ぶりにより本馬の評価は「古馬としてはリボー以来の名馬」「不朽の存在の域に達しつつある」というものになった。

なお、日本では本馬を「重馬場では強いが良馬場ではそれほどでもない」と評する人が少なくないが、この日のアスコット競馬場は堅良馬場だったから、そうした評価が誤っている事は明らかである。

競走生活(4歳後半)

この頃、ドバイワールドCを圧勝したドバイミレニアムと本馬のマッチレースが取り沙汰されていた。ドバイミレニアムを所有するゴドルフィン側は、本馬の所有者テイバー氏に対して600万ドルを提示してマッチレースを申し込んでいたと言われている。しかし肝心のドバイミレニアムがキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの1週間後に故障引退してしまったため、結局実現はしなかった。

一方の本馬もこの後の調教中に軽い脚部不安を発症したため、予定していた愛チャンピオンSを回避してフォワ賞(仏GⅢ・T2400m)に回った。対戦相手は、レーシングポストトロフィーの勝ち馬コマンダーコリンズ、ジャンドショードネイ賞2着馬クリヨン、ペースメーカー役のストップバイの3頭だけだった。本馬とストップバイのカップリングが単勝オッズ1.1倍の1番人気、コマンダーコリンズが単勝オッズ9倍の2番人気、クリヨンが単勝オッズ9.4倍の最低人気となった。レースはストップバイが快調に先頭を引っ張り、本馬が最後方を進むという予想どおりの展開となった。そして結果も予想どおりであり、残り300m地点でスパートした本馬が残り200m地点で先頭に立ち、2着クリヨンに1馬身半差で楽勝した。

そして1978年のアレッジド以来22年ぶり史上6頭目の連覇を目指して凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に参戦。対戦相手は、英ダービー・愛ダービー・愛ナショナルS・ニエル賞・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬シンダー、独ダービー・バーデン大賞・ミュラーブロート大賞など6戦全勝の独国調教馬ザムム、ヴェルメイユ賞・レゼルヴォワール賞・ペネロープ賞の勝ち馬で仏オークス2着のヴォルヴォレッタ、仏オークスの勝ち馬でヴェルメイユ賞3着のエジプトバンド、ドーヴィル大賞・リューテス賞・エクスビュリ賞の勝ち馬ラシアンホープ、サンクルー大賞2着後にドーヴィル大賞でも2着してきたダーリングミス、3連勝中のトーマブリョン賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬ハイトーリなど9頭だった。本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、シンダーとペースメーカー役のレイプールのカップリングが単勝オッズ2.5倍の2番人気、ザムムが単勝オッズ8.5倍の3番人気、ヴォルヴォレッタが単勝オッズ9.6倍の4番人気、エジプトバンドが単勝オッズ26倍の5番人気であり、本馬とシンダーの一騎打ちムードだった。

スタートが切られるとレイプールが先頭に立ち、シンダー、ヴォルヴォレッタなども先行。スタートでやや出遅れた本馬はいつものような最後方待機策ではなく、馬群の中団後方外側につけていた。そして先頭のシンダーから3馬身ほど後方の5番手で直線に入ってきたのだが、本馬より後方で直線に入ったエジプトバンドに大外から並ぶ間もなく差されるなど、前年に見せた凄まじい末脚の片鱗も見せる事が出来なかった。結局レースは先行したシンダーがそのまま押し切って勝ち、1馬身半差の2着にエジプトバンド、さらに3馬身差の3着にヴォルヴォレッタが入り、本馬はシンダーから7馬身差の4着と完敗した。敗因としては前年と異なり良馬場となった事、スタートで後手を踏んでしまった事などが挙げられるが、上位3頭はいずれも3歳馬であった事から、3歳馬と古馬の斤量差が影響した面が大きいだろう。もっとも、本馬自身も前年にエルコンドルパサーとの斤量差を活かして勝った側面もあるから、文句は言えない立場ではある。

次走は英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)となった。エクリプスS・英国際Sで連続2着してきたクイーンアンSの勝ち馬カラニシ、英オークスの勝ち馬でヨークシャーオークス2着のラヴディヴァイン、タタソールズ金杯2着後にダルマイヤー大賞でGⅠ競走初勝利を挙げ愛チャンピオンSで2着してきたグリークダンス、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS7着から直行してきたシーヴァ、ガネー賞・アルクール賞・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬でパリ大賞・イスパーン賞2着のインディアンデインヒル、デューハーストS・英シャンペンS・パークSの勝ち馬ディスタントミュージック、仏ダービーで本馬の4着に敗れた後にパリ大賞・ドラール賞・ラクープを勝ちジャックルマロワ賞で2着していたスリックリー、英2000ギニー・英ダービー・コロネーションC3着のボーダーアロー、ファルマスSの勝ち馬で仏1000ギニー3着のアルシャカール、グリーナムSの勝ち馬で仏グランクリテリウム2着・英2000ギニー3着のバラシアゲスト、セントジェームズパレスS・クイーンエリザベスⅡ世S3着のゴールドアカデミー、サンダウンマイル・パークSの勝ち馬でサセックスS・クイーンエリザベスⅡ世S2着のアルムシュタラク、ベレスフォードSの勝ち馬でレーシングポストトロフィー2着のレールモントフなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.91倍の1番人気、カラニシが単勝オッズ6倍の2番人気、ラヴディヴァインが単勝オッズ7倍の3番人気、グリークダンスが単勝オッズ11倍の4番人気、シーヴァが単勝オッズ15倍の5番人気となった。

スタートが切られると本馬陣営が用意したペースメーカー役のレールモントフが先頭に立ち、カラニシやラヴディヴァインはそれを追って先行。本馬は最後方からレースを進めた。しかし残り3ハロン地点で馬群に包まれてしまい、前が開くまでしばしのロスがあった。それでも残り2ハロン地点でスパートを開始すると、残り1ハロン地点で先頭のカラニシに並びかけた。この時点では本馬がそのまま突き抜けるように見えたが、ここからカラニシが粘りを発揮して本馬に抜かさせなかった。結局最後までカラニシをかわせなかった本馬は半馬身差の2着に敗退した。

その後は渡米して、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に参戦した。カラニシ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着後に渡米してマンノウォーSを勝っていたファンタスティックライト、前年のジャパンC9着後にハードウィックSの2連覇を飾っていたフルーツオブラヴの3頭の既対戦馬と、ターフクラシックS・マンハッタンH・エルリンコンHの勝ち馬でアーリントンミリオン・ハリウッドダービー2着のマンダー、仏グランクリテリウム・リュパン賞・セクレタリアトS・ローレンスリアライゼーションHの勝ち馬で愛ダービー3着のシーロ、ソードダンサー招待H・ターフクラシック招待S・ローレルターフCSの勝ち馬ジョンズコール、ユナイテッドネーションズH・ブーゲンヴィリアHの勝ち馬で加国際S2着・ETターフクラシックS3着のダウンジアイル、キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬サトルパワー、ローズオブランカスターS・セレクトS・セプテンバーS・カンバーランドロッジSの勝ち馬でレーシングポストトロフィー3着のムタマム、スターズ&ストライプスBCHの勝ち馬で前走加国際S2着のウィリアムニュース、アットマイルS・ディキシーS・香港ジョッキークラブトロフィーSの勝ち馬クワイエットリゾルヴ、ケンタッキーカップジュヴェナイルSの勝ち馬でBCジュヴェヴァイル・ユナイテッドネーションズH・ソードダンサー招待H2着のアリズアリーの初顔合わせ9頭の合計12頭が対戦相手となった。2連敗中の上に、後方からレースを進めるという米国の競馬場には不向きな走法の本馬だったが、それでも単勝オッズ4.2倍の1番人気に支持され、マンダーが単勝オッズ5.4倍の2番人気、カラニシが単勝オッズ5.6倍の3番人気、シーロが単勝オッズ7.5倍の4番人気、ジョンズコールが単勝オッズ8.6倍の5番人気と続いた。

スタートが切られると単勝オッズ56.4倍の最低人気馬アリズアリーが先頭に立ち、マンダーは5番手の好位、カラニシは馬群の中団後方、そして本馬はやはり最後方待機策を採った。しかし三角から四角にかけての勝負どころで反応が悪く、9番手で直線を向くことになった。直線ではそれなりに末脚を伸ばしたが、殆ど順位を上げる事は出来ずに、直線大外一気の豪脚で勝ったカラニシから4馬身半差の7着に敗退。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでは子ども扱いしたファンタスティックライト(5着)にも先着されてしまった。このレースを最後に、4歳時7戦4勝の成績で競走馬引退となった。

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSのレース前にパドックに向かうことを拒否した逸話に見られるように、本馬には普通の馬とは異なる奇行癖があり、陣営にとっては扱い辛い馬だったという。ハモンド師は本馬を「風変わりな天才」と評している。しかし爆発的な加速力と優れた持久力を有しており、20世紀末における欧州屈指の名馬であった事に疑いの余地は無い。

血統

Sadler's Wells Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Fairy Bridge Bold Reason Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Lalun Djeddah
Be Faithful
Special Forli Aristophanes
Trevisa
Thong Nantallah
Rough Shod
Floripedes Top Ville High Top Derring-Do Darius
Sipsey Bridge
Camenae ヴィミー
Madrilene
Sega Ville Charlottesville Prince Chevalier
Noorani
La Sega Tantieme
La Danse
Toute Cy Tennyson Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Tidra Prince Taj
Djebel Idra
Adele Toumignon ゼダーン Grey Sovereign
Vareta
Alvorada ボウプリンス
Fair Dolly

サドラーズウェルズは当馬の項を参照。

母フロリペーデは現役成績5戦2勝。リューテス賞(仏GⅢ)を勝ったほか、ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)で2着したスタミナタイプの馬だった。気性には問題があったらしく、本馬の奇行癖は母親譲りではないかと言われている。母としては、本馬の半兄ルパイラード(父サングラモア)【2着サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)】も産んでいる。また、本馬の半姉クイックスマーラ(父ハイエストオナー)の孫にはゴールドリーム【キングズスタンドS(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)】が、本馬の半姉カンブレス(父カヤージ)の子にはアゲイン【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・愛1000ギニー(愛GⅠ)・デビュータントS(愛GⅡ)】がいる。フロリペーデの半弟にはダダリシム(父ハイエストオナー)【ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)・リューテス賞(仏GⅢ)・バルブヴィル賞(仏GⅢ)】がいるほか、フロリペーデの半妹ジャバリ(父シャーリーハイツ)の孫には日本で走ったダノンシャーク【マイルCS(GⅠ)・京都金杯(GⅢ)・富士S(GⅢ)】がいる。フロリペーデの母トートシーの半弟にはディアドクター【アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)2回・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)】もいる。→牝系:F1号族③

母父トップヴィルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国クールモアスタッドで種牡馬入りし、2年目には新国ウィンザーパークスタッドでも種牡馬供用された。現役終盤に敗戦が続いた影響があってか、種牡馬入り当初の期待は現役時代の活躍ぶりと比べてやや低いものだった。本馬と時を同じくしてクールモアスタッドで種牡馬入りした2000年のカルティエ賞年度代表馬ジャイアンツコーズウェイは初年度の種付け料が10万7千ユーロ(約11万5千ドル≒1265万円)に設定されたが、本馬は3万ユーロ(約3万2千ドル≒354万円)だった。

ところが2004年にデビューした初年度産駒が大爆発。モティヴェイターがレーシングポストトロフィーで産駒のGⅠ競走初勝利を挙げると、英ダービーではモティヴェイターとウォークインザパークがワンツーフィニッシュを決めた。愛ダービーではハリケーンランとスコーピオンがワンツーフィニッシュを決めた。その後スコーピオンは英セントレジャーを勝ち、ハリケーンランは凱旋門賞を制して父が受賞できなかったカルティエ賞年度代表馬を獲得。僅か1世代の産駒だけで父サドラーズウェルズの後継種牡馬1番手と目されるようになった。2005年には仏首位種牡馬に輝き、同年には英愛種牡馬ランキングでもデインヒルに次ぐ2位(父サドラーズウェルズは3位)につけた。

その後は首位種牡馬になる事こそ無かったが、サーピーターティーズルサイリーンブランドフォードに並ぶ史上最多タイ記録となる英ダービー馬4頭輩出など、100頭を優に超えるステークスウイナー(障害競走も含む)を送り出し、1年遅れてクールモアスタッドで種牡馬入りしたガリレオと共にサドラーズウェルズの最良の後継種牡馬として活躍した。しかし4頭の英ダービー馬のうち本馬の生前に同競走を勝ったのは3頭であり、最後のキャメロットが英ダービーを勝つ2か月前の2012年3月29日、本馬は感染症に伴う急性敗血症と合併症のため16歳で他界した。2012年の種付け料は非公開だったが、前年は17万5千ユーロだったから、推定20万ユーロといったところだろうか。

ジャイアンツコーズウェイやガリレオと同様に数々の名馬を送り出した本馬だが、後継種牡馬に関して言えば他2頭に比べるとはっきり言って恵まれていない。一番健闘していると言えるのは、本馬が果たせなかった凱旋門賞2連覇を達成したトレヴを出したモティヴェイターだろうが、モティヴェイター産駒の活躍馬は牝馬や騙馬ばかりなのが気掛かりである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2002

Blue Bajan

ヘンリーⅡ世S(英GⅡ)

2002

Corre Caminos

ガネー賞(仏GⅠ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)

2002

Fulmonti

ADホリンデイルS(豪GⅡ)・チェアマンズH(豪GⅢ)

2002

Gallant Guru

サンダウンクラシック(豪GⅡ)・VRCクイーンエリザベスS(豪GⅢ)

2002

Growl

ウイニングエッジプレゼンテーションズS(豪GⅡ)・ホバートC(豪GⅢ)

2002

Hurricane Run

凱旋門賞(仏GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・タタソールズ金杯(愛GⅠ)・オカール賞(仏GⅡ)・ニエル賞(仏GⅡ)

2002

Montare

ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・コンセイユドパリ賞(仏GⅡ)2回・ロワイヤリュー賞(仏GⅡ)

2002

Motivator

英ダービー(英GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・ダンテS(英GⅡ)

2002

Scorpion

パリ大賞(仏GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)

2002

Sharvasti

アヴォンデール金杯(新GⅠ)

2002

Stagelight

UAE2000ギニー(首GⅢ)

2003

Mont Etoile

リブルスデールS(英GⅡ)

2003

Papal Bull

キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・チェスターヴァーズ(英GⅢ)・ジェフリーフリアS(英GⅢ)

2004

Anton Chekhov

オカール賞(仏GⅡ)

2004

Authorized

英ダービー(英GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・ダンテS(英GⅡ)

2004

Davidoff

ドクトルブッシュ記念(独GⅢ)

2004

Guillotine

ダトタンチンナムS(豪GⅡ)

2004

Honolulu

ドンカスターC(英GⅡ)

2004

Hurricane Fly

英チャンピオンハードル(英GⅠ)2回・愛チャンピオンハードル(愛GⅠ)5回

2004

Macarthur

ハードウィックS(英GⅡ)・オーモンドS(英GⅢ)

2004

Nom Du Jeu

AJCダービー(豪GⅠ)

2004

Speed Gifted

AJCザメトロポリタン(豪GⅠ)

2004

Wall Street

WRCソーンドンマイルH(新GⅠ)・ウィンザーパークプレート(新GⅠ)・スプリングクラシック(新GⅠ)・エミレーツS(豪GⅠ)

2005

Albisola

フロール賞(仏GⅢ)

2005

Alessandro Volta

リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ)

2005

Askar Tau

ロンズデールC(英GⅡ)・ドンカスターC(英GⅡ)・サガロS(英GⅢ)

2005

Clowance

セントサイモンS(英GⅢ)

2005

Court Canibal

エクスビュリ賞(仏GⅢ)

2005

Frozen Fire

愛ダービー(愛GⅠ)

2005

Harris Tweed

タロックS(豪GⅡ)

2005

King of Rome

ロイヤルホイップS(愛GⅡ)・メルドS(愛GⅢ)

2005

Montmartre

パリ大賞(仏GⅠ)・リス賞(仏GⅢ)

2005

Roman Emperor

AJCダービー(豪GⅠ)

2005

Tavistock

マッジウェイパーツワールドS(新GⅠ)・ワイカトドラフトスプリント(新GⅠ)・ブラメイS(豪GⅡ)

2006

Class is Class

ローズオブランカスターS(英GⅢ)

2006

Fame and Glory

クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・タタソールズ金杯(愛GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・アスコット金杯(英GⅠ)・デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ)・ロイヤルホイップS(愛GⅡ)・バリサックスS(愛GⅢ)・ムーアズブリッジS(愛GⅢ)・英チャンピオンズ長距離C(英GⅢ)

2006

Jukebox Jury

オイロパ賞(独GⅠ)・愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロイヤルロッジS(英GⅡ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・ジョッキークラブS(英GⅡ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)・ローズオブランカスターS(英GⅢ)

2006

Miss Keller

EPテイラーS(加GⅠ)・カナディアンS(加GⅡ)

2007

Berling

ミネロップ(那GⅢ)・スカンジナビアオープンチャンピオンシップ(嗹GⅢ)

2007

Gorongosa

ゴールドボウル(南GⅡ)・レーシングアソシエーションH(南GⅢ)

2007

Green Moon

メルボルンC(豪GⅠ)・VRCターンブルS(豪GⅠ)・ブラメイS(豪GⅡ)

2007

Jan Vermeer

クリテリウム国際(仏GⅠ)・ガリニュールS(愛GⅢ)

2007

Joshua Tree

加国際S(加GⅠ)3回・ロイヤルロッジS(英GⅡ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)

2007

Maria Royal

ロワイヤリュー賞(仏GⅡ)

2007

Mount Athos

ジェフリーフリアS(英GⅢ)・オーモンドS(英GⅢ)

2007

Never can Tell

シザレウィッチH

2007

Pink Symphony

ギブサンクスS(愛GⅢ)

2007

Sarah Lynx

加国際S(加GⅠ)・ポモーヌ賞(仏GⅡ)

2007

St. Nicholas Abbey

BCターフ(米GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)3回・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・ベレスフォードS(愛GⅡ)・オーモンドS(英GⅢ)

2008

Masked Marvel

英セントレジャー(英GⅠ)・バーレーントロフィー(英GⅢ)

2008

Pacifique

リューテス賞(仏GⅢ)

2008

Pour Moi

英ダービー(英GⅠ)・グレフュール賞(仏GⅡ)

2008

Recital

クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ)

2009

Camelot

英2000ギニー(英GⅠ)・英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・ムーアズブリッジS(愛GⅢ)

2009

The Offer

AJCシドニーC(豪GⅠ)・チェアマンズH(豪GⅡ)・NEマニオンC(豪GⅢ)・ベンディゴC(豪GⅢ)

2009

Wading

ロックフェルS(英GⅡ)

2009

Walzertakt

モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)

2010

Chicquita

愛オークス(愛GⅠ)

2010

Leading Light

英セントレジャー(英GⅠ)・アスコット金杯(英GⅠ)・ガリニュールS(愛GⅢ)・クイーンズヴァース(英GⅢ)・ヴィンテージクロップS(英GⅢ)・愛セントレジャートライアルS(愛GⅢ)

2010

Montclair

バルブヴィル賞(仏GⅢ)

2011

Bracelet

愛オークス(愛GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・リブルスデールS(英GⅡ)・レパーズタウン1000ギニートライアルS(愛GⅢ)

2011

Geoffrey Chaucer

ベレスフォードS(愛GⅡ)

2012

Hans Holbein

チェスターヴァーズ(英GⅢ)

2012

Ol' Man River

ベレスフォードS(愛GⅡ)

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