ジェネラス
和名:ジェネラス |
英名:Generous |
1988年生 |
牡 |
栗毛 |
父:カーリアン |
母:ドフザダービー |
母父:マスターダービー |
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英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを全て圧勝して1990年代欧州屈指の名馬の称号を得る |
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競走成績:2・3歳時に英仏愛で走り通算成績11戦6勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
愛国バロンズタウンスタッドの生産馬である。幼少期の本馬は馬格こそ優れていたが、本馬を診察した獣医は「体質が弱い」と評価した。それは本当に体質が弱かったからではなく、昔から尾花栗毛の馬は体質が弱いという迷信が欧州に存在していたためである。この迷信は大なり小なり本馬の現役時代に付きまとう事になる。1歳時に8万ギニーでハミッシュ・アレクサンダー氏というピンフッカー(当歳馬や1歳馬をセリで購入し、育成により馬の価値を高めてから転売する業者)に購入された。翌2歳時のゴフズセールにおいて20万ドルでサウジアラビアの王族サルマン殿下に転売され、英国ポール・コール調教師に預けられた。
幼少期の本馬を診た獣医の見立ては誤っており、本馬はとても健康な馬だった。しかも「爆弾が爆発しても平気でいられる」と評されたほど気性も素直だった。馬名の“Generous”は「寛大な」という意味だが、名前だけでなく性格も寛大であり、稀に見る知的で穏やかな馬だったと評されている(その性格にちなんでジェネラスと命名されたのかは不明)。
競走生活(2歳前半)
デビューは後の英ダービー馬としては例外的に早く使われ始めた事で知られるミルリーフよりもさらに2週間早く、2歳5月にアスコット競馬場で行われたガーターS(T5F)だった。本馬を含めて出走馬は6頭いたが、そのうち4頭は既に勝ち上がっており、残りの1頭(後のダイオメドSの勝ち馬シルヴァホンダ)も既に1戦していたため、初出走馬は本馬のみだった。それもあって本馬の評価はあまり高くなく、単勝オッズ7倍で3番人気止まりだった。しかし主戦となるリチャード・クイン騎手を鞍上に先行して残り1ハロン地点で先頭に立つと、2着レアニモーヌアージュに半馬身差で勝ち上がった。クイン騎手は見せ鞭こそ使ったが、鞭を打つ必要は無かったらしく、本馬は本能的に何をするべきなのかを知っていたのだと評されている。
6月のコヴェントリーS(英GⅢ・T6F)では、クイン騎手の落馬負傷により、ウィリー・カーソン騎手とこのレース限定のコンビを組んだ。ここで単勝オッズ3倍の1番人気に支持されていたのは、3連勝中の有力馬マックスインプ(後にリッチモンドS・愛フェニックスSを勝っている)であり、本馬は単勝オッズ9倍の4番人気だった。レースでは逃げるマックスインプを積極的に追いかけたが、最後まで追いつけずに2馬身差の2着に敗れた。しかしレース後にカーソン騎手は本馬陣営に対して「あなた方は後のGⅠ競走勝ち馬を持っています」と伝え、本馬の将来性を予言した。
8月のヴィンテージS(英GⅢ・T7F)では、カーソン騎手が騎乗するムカダーマという馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ3倍の2番人気となった。今回はスタートから先頭を走ったが、この日は非常に暑かったために、それで体力を消耗してしまった本馬はゴール前で失速して、勝ったムカダーマから4馬身半差の3着に敗退した。
ヴィンテージSの17日後には仏国に遠征して、モルニ賞(仏GⅠ・T1200m)に出走した。ここには、カブール賞など3戦無敗のヘクタープロテクター、ノーフォークSの勝ち馬ラインエンゲージド、ボワ賞の勝ち馬ザパーフェクトライフ、ロベールパパン賞2着馬ディヴァインダンス、後の仏2000ギニー2着馬アクトゥールフランセーズ、後のエクリプス賞の勝ち馬クラックレジメント、後のサンドランガン賞の勝ち馬ワンスインマイライフなどが出走しており、かなり強力なメンバー構成となった。本馬は仏国への移動中に睡眠不足に陥ったためにレース前から調子が悪く、馬場が堅すぎた影響もあってか、スタートから先頭を走るもレース中盤で早々に失速して、勝ったヘクタープロテクターから13馬身差をつけられた10着に大敗した。
競走生活(2歳後半)
帰国した本馬は、モルニ賞から1か月後にサンダウンパーク競馬場で行われたリファレンスポイントS(T8F)という小規模ステークス競走に出走した。対戦相手は3頭しかおらず、本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。体調は回復していたようで、稲妻のような好スタートを切りながらも他馬を先に行かせて最後方に下げると、残り1ハロン地点で先頭に立ち、そのまま2着ラハダリに1馬身半差で勝利した。
その後は愛国で行われる高額賞金競走カルティエミリオンに向かうか、有力馬が集結するデューハーストSに挑戦するかで陣営は熟考したが、仏国遠征で体調を崩した経緯から愛国への移動は本馬に不適と考えられた事や、本馬の能力を改めて見極めたいという考えから、デューハーストS(英GⅠ・T7F)のほうに出走することになった。主な対戦相手は、ジュライSで2着マックスインプを7馬身ちぎり、前走のジムクラックSも4馬身差で完勝していた3戦無敗のムジタヒド、グループ競走出走は無かったが同じく3戦無敗のアンジズ、エイコムSを勝ってきたセデアー、英シャンペンSの勝ち馬ボグトロッターなどだった。ムジタヒドが単勝オッズ1.8倍の1番人気、アンジズが単勝オッズ5倍の2番人気、セデアーが単勝オッズ7.5倍の3番人気、ボグトロッターが単勝オッズ9倍の4番人気となった。その一方で、本馬は単勝オッズ51倍で8頭立ての7番人気とまったく評価されていなかった。
レースではボグトロッターが果敢に先頭を飛ばし、ムジタヒドもそれを追って先行。本馬はボグトロッターから6馬身ほど離れた後方待機策を採った。ムジタヒドが伸びを欠く中で、ボグトロッターが快調にゴールを目指し、このまま勝つと思われた。しかし残り1ハロン地点でボグトロッターに3馬身差まで詰め寄っていた本馬が、ここから豪脚を繰り出し、ボグトロッターを差し切って3/4馬身で優勝。115年間に及ぶ同レース史上最大の波乱の立役者となった。
2歳時の成績は6戦3勝となった。しかしこの年の欧州2歳戦線においては、モルニ賞・サラマンドル賞・仏グランクリテリウムなど6戦全勝のヘクタープロテクターなど有力馬が多くいたこともあり、この時点では本馬の評価はまだそれほど高くならなかった。国際クラシフィケーションでは119ポンド、英タイムフォーム社のレーティングでは115ポンドで、共に2歳馬トップのヘクタープロテクターからは7ポンド下の評価だった。英2000ギニーの前売りオッズでも34~51倍と、あまり支持されていなかった。
競走生活(3歳前半)
3歳時は後脚で前脚の蹄を蹴って負傷した影響などもあって調整が遅れ、英2000ギニー(英GⅠ・T8F)がシーズン初戦となった。クレイヴンSを勝ってきたマルジュ、同2着のデザートサン、同3着のホクサイ、ヨーロピアンフリーHを完勝してきたミスティコ、グリーナムSを勝ってきたボグトロッター、ヴィンテージS勝利後にレーシングポストトロフィー・グリーナムSで2着していたムカダーマ、ミドルパークSの勝ち馬でサラマンドル賞・ジェベル賞2着のリシウス、クリテリウムドメゾンラフィット・ジェベル賞を勝ってきたガンジス、ロイヤルロッジSの勝ち馬ムジャージフなど粒揃いのメンバー構成となった。名牝サルサビルの1歳年下の半弟マルジュが単勝オッズ2.5倍の1番人気、ミスティコが単勝オッズ7.5倍の2番人気、デザートサンが単勝オッズ8倍の3番人気、本馬が単勝オッズ12倍の4番人気となった。スタートが切られるとミスティコが先頭に立ち、本馬もガンジスなどと共に先行態勢を取った。残り3ハロン地点まではそのままミスティコに食らい付いていたのだが、その後は付いていけなくなり、徐々にミスティコに離されていった。結局はミスティコがリシウスの追い込みを頭差凌いで勝ち、2着リシウスから6馬身差の3着にガンジス、本馬はさらに2馬身半差の4着に終わった。
サルマン殿下の主張により、次走の英ダービーから本馬の主戦はアラン・ムンロ騎手が務めることになった。ムンロ騎手はマックスインプを管理していたビル・オゴーマン厩舎の主戦であり、かつてコヴェントリーSでマックスインプが本馬を負かしたときにも騎乗していた。ムンロ騎手は、名手レスター・ピゴット騎手が英ダービーを勝ったときの映像を見たり、ピゴット騎手の父親アーネスト・キース・ピゴット元調教師から助言を受けたりして、英ダービーに向けた勉強に励んだ(この英ダービーにはピゴット騎手も参戦していることを考えると、ピゴット元調教師は随分と気前が良かったものである。この辺りがフェアなスポーツマンシップというものなのだろうか)。一方の本馬もトミー・ジェニングス調教助手と共に順調に調整を積んでいた。
そして迎えた英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)では、仏2000ギニーを勝ってきた8戦無敗のヘクタープロテクター、リングフィールドダービートライアルSを圧勝してきたコラプト、チェスターヴァーズを勝ってきたトゥーロン、ダンテSを5馬身差で勝ってきたエンヴァイロンメントフレンド、サンダウンクラシックトライアルS・伊ダービーを勝ってきたヘイルシャム、ミスティコ、前走11着のマルジュ、同13着のムジャージフ、英2000ギニー8着後にジャンプラ賞で4着してきたホクサイ(ピゴット騎手騎乗)、愛2000ギニーで2着してきたテトラークSの勝ち馬スターオブグダニスク、ディーSを勝ってきたフンドラ、英シャンペンS2着馬アロカトの12頭が対戦相手となった。コラプトとトゥーロンが並んで単勝オッズ5倍の1番人気、ミスティコが単勝オッズ6倍の3番人気、スタミナ面が疑問視されたヘクタープロテクターが単勝オッズ7倍の4番人気、本馬とエンヴァイロンメントフレンドが並んで単勝オッズ10倍の5番人気と続いていた。しかし初の12ハロン戦となったこのレースで遂に本馬の本領が発揮されたのである。
レースでは逃げるミスティコを3番手で追走。そしてタッテナムコーナーを回るとすぐに先頭に立った。直後にヘクタープロテクターが並びかけようとしてきたが先に失速して脱落。一方の本馬は伸び伸びとした走りを披露し続け、直線半ばでは既に勝負を決めてしまった。そのまま2着マルジュに5馬身差、3着スターオブグダニスクにはさらに7馬身差をつけて、英ダービー史上でも屈指の強さで圧勝。欧州競馬界に本馬の名が轟いた瞬間だった。
次走の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)では、出走馬が英ダービーの半分以下になり、僅か6頭立てのレースとなった。対戦相手のうち、前走で本馬に12馬身ちぎられたスターオブグダニスク、たいした実績が無かったノルディックアドマイヤラー、バリーズランの計3頭は本馬の敵ではなく、本馬に対抗できそうなのは残りの2頭、ガリニュールSを4馬身差で圧勝してきたスポーツワールド、そして前走の仏ダービーを4馬身差で圧勝してきたグレフュール賞の勝ち馬スワーヴダンサーのみだった。本馬が単勝オッズ2倍の1番人気、スワーヴダンサーが単勝オッズ3.25倍の2番人気、スポーツワールドが単勝オッズ4.33倍の3番人気で、スターオブグダニスクは単勝オッズ13倍の4番人気だった。
スタートが切られると、ペースメーカー役として出てきたらしいバリーズランとノルディックアドマイヤラーの2頭が先頭を引っ張り、本馬は3番手、末脚自慢のスワーヴダンサーは後方からレースを進めた。そして直線に入って先頭に立った本馬に後方からスワーヴダンサーが襲い掛かり、今にも追いつかれるような状況となった。しかしここから本馬が粘りを見せてスワーヴダンサーに抜かさせず、ゴール前では逆に突き放して、2着スワーヴダンサーに3馬身差をつけて完勝。1988年のカヤージ以来3年ぶり史上11頭目となる英ダービー・愛ダービーのダブル制覇を成し遂げた。
競走生活(3歳後半)
1981年のシャーガー以来10年ぶり史上6頭目となる英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの3競走制覇“High Summer Treble”を目指して参戦したキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、キングエドワードⅦ世Sを6馬身差で圧勝してきたサドラーズホール、前年の仏ダービー・ダンテSの勝ち馬でこの年もイスパーン賞を勝ちエクリプスSで3着していたサングラモア、ジョンポーターS・ジョッキークラブS・ハードウィックS・プリンセスオブウェールズSと勝ちまくってきたロックホッパー、次走の英国際Sを勝ってこの年のカルティエ賞最優秀古馬に選ばれるテリモン、プリンセスオブウェールズSの勝ち馬で英セントレジャー2着のサピエンスなどとの対戦となった。英ダービーで本馬の11着に敗れたエンヴァイロンメントフレンドがエクリプスSで古馬勢を撃破して勝利していたこともあり、古馬よりも3歳馬が優勢と判断され、本馬が単勝オッズ1.67倍の圧倒的1番人気に支持され、単勝オッズ7倍の2番人気にも同じ3歳馬サドラーズホールが推された。
レースではサドラーズホールが作り出すハイペースの中、4番手の好位を追走。三角から四角にかけて前との差を縮めると、残り2ハロン地点で一気に抜け出した。ゴール前ではムンロ騎手が後方を振り返りながら流す余裕さえ見せて、2着サングラモアに同競走史上最大の7馬身差(それまでの最高は1971年の勝ち馬ミルリーフの6馬身差)をつけて圧勝。このレースにおける国際クラシフィケーションの評価は137ポンドで、90年代欧州においては屈指の高評価となった。
秋にはぶっつけ本番で凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。愛チャンピオンSを勝ってきたスワーヴダンサー、クリテリウムドサンクルー・ノアイユ賞・オカール賞の勝ち馬でニエル賞2着のピストレブルー、ミラノ大賞やドーヴィル大賞など3連勝してきた前年の英セントレジャー馬スナージ、英ダービーでは本馬の9着に沈んだが英セントレジャーを勝ってきたトゥーロン、前年の英ダービー馬で英国際S2着のクエストフォーフェイム、ヴェルメイユ賞・マルレ賞などの勝ち馬で仏オークス2着のマジックナイト、イタリア大賞を勝ってきたピジョンヴォワヤジュール、英国際S・英チャンピオンS・コロネーションC・愛1000ギニーを勝っていた女傑インザグルーヴ、英オークスの勝ち馬で愛オークス・ヨークシャーオークス2着のジェットスキーレディ、マルレ賞の勝ち馬ミスアレッジド、米国から遠征してきたソードダンサーH2連覇・ハイアリアターフカップH・ボーリンググリーンHとGⅠ競走4勝のエルセニョールなど有力馬が勢揃いした。本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、スワーヴダンサーが単勝オッズ4.7倍の2番人気、ピストレブルーが単勝オッズ7.8倍の3番人気となった。
スタートが切られると人気薄のアートブルーが先頭に立ち、本馬はアートブルーが作り出すハイペースの中を先行した。そしてそのまま直線に入ってきたのだが、ここから全く伸びずに馬群に沈み、勝ったスワーヴダンサーから9馬身1/4差の8着に大敗。レース後に体調を崩したため、次走に予定していた英チャンピオンSは回避して、そのまま3歳時5戦3勝の成績で競走馬を引退した。
競走馬としての評価
この年から創設された欧州の年度表彰カルティエ賞において、最優秀3歳牡馬のタイトルはスワーヴダンサーの頭上に輝いた(年度代表馬は2歳馬アラジ)が、国際クラシフィケーションでは136ポンドのスワーヴダンサーより1ポンド高い137ポンド、英タイムフォーム社のレーティングでも136ポンドのスワーヴダンサーより3ポンド高い139の評価が与えられた。この2つの数値はいずれも1990年代では全世代を通して最高の評価(国際クラシフィケーションでは1997年のパントレセレブルと並ぶ1位タイ。英タイムフォーム社のレーティングでは単独1位)であり、本馬は公式に1990年代欧州最強馬として認められている事になる。
血統
Caerleon | Nijinsky | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Flaming Page | Bull Page | Bull Lea | ||
Our Page | ||||
Flaring Top | Menow | |||
Flaming Top | ||||
Foreseer | Round Table | Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | ||||
Knight's Daughter | Sir Cosmo | |||
Feola | ||||
Regal Gleam | Hail to Reason | Turn-to | ||
Nothirdchance | ||||
Miz Carol | Stymie | |||
No Fiddling | ||||
Doff the Derby | Master Derby | ダストコマンダー | Bold Commander | Bold Ruler |
High Voltage | ||||
Dust Storm | Windy City | |||
Challure | ||||
Madam Jerry | Royal Coinage | Eight Thirty | ||
Canina | ||||
Our Kretchen | Crafty Admiral | |||
Adjournment | ||||
Margarethen | Tulyar | Tehran | Bois Roussel | |
Stafaralla | ||||
Neocracy | Nearco | |||
Harina | ||||
Russ-Marie | Nasrullah | Nearco | ||
Mumtaz Begum | ||||
Marguery | Sir Gallahad | |||
Marguerite |
父カーリアンは当馬の項を参照。
母ドフザダービーは不出走馬だが、繁殖牝馬としては非常に優秀で、本馬の半姉ウエディングブーケ(父キングスレイク)【パークS(愛GⅢ)・モンロヴィアH(米GⅢ)】、外国産馬として日本で走った半弟オースミタイクーン(父ラストタイクーン)【マイラーズC(GⅡ)・セントウルS(GⅢ)】、半妹ストロベリーローン(父サドラーズウェルズ)【2着愛1000ギニー(愛GⅠ)】、半妹イマジン(父サドラーズウェルズ)【愛1000ギニー(愛GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・パークS(愛GⅢ)】と活躍馬を続出させた。ウエディングブーケの孫にムーンライトクラウド【モーリスドギース賞(仏GⅠ)3回・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】が、日本に繁殖牝馬として輸入された本馬の半妹マチカネベニザクラ(父ロイヤルアカデミー)の子にマチカネオーラ【中京記念(GⅢ)】が、日本に競走馬として輸入された本馬の半妹シンコウエルメス(父サドラーズウェルズ)の孫にディーマジェスティ【皐月賞(GⅠ)・共同通信杯(GⅢ)】が、イマジンの子にホレーショネルソン【ジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)】、キティマッチャム【ロックフェルS(英GⅡ)】、ヴァイカウントネルソン【アルファヒディフォート(首GⅡ)】がいる。
ドフザダービーの母マルガレッテンは現役成績64戦16勝、ビヴァリーH2回・マーゲートH・モデスティH・インディアンメイドHを勝った頑健な馬だった。その頑健さはドフザダービーの半姉トリリオン(父ヘイルトゥリーズン)【ガネー賞(仏GⅠ)・ドラール賞2回(仏GⅡ)・アルクール賞(仏GⅡ)・ミネルヴ賞(仏GⅢ)・ロワイヤリュー賞(仏GⅢ)・フォワ賞(仏GⅢ)】を経て、娘のトリプティク【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)2回・マッチメイカー国際S(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】に受け継がれた。ドフザダービーの半姉プリ(父ヴェイグリーノーブル)の孫にジュヴェニア【マルセルブサック賞(仏GⅠ)】、曾孫にブリッシュラック【安田記念(日GⅠ)・チャンピオンズマイル(香GⅠ)】が、トリリオンの曾孫にタマリスク【スプリントC(英GⅠ)】、トレブル【サンタラリ賞(仏GⅠ)】、アモラマ【デルマーオークス(米GⅠ)・ジョンCメイビーH(米GⅠ)】、タウキート【ザメトロポリタン(豪GⅠ)・コーフィールドC(豪GⅠ)】、玄孫にトレヴ【凱旋門賞(仏GⅠ)2回・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)2回・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、日本で走ったフリオーソ【全日本2歳優駿(GⅠ)・ジャパンダートダービー(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)2回・川崎記念(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)】が、ドフザダービーの半姉ヘイルマギー(父ヘイルトゥリーズン)の子にサボナ【カリフォルニアンS(米GⅠ)】、孫にマンダリーノ【パリ大障害・モーリスジロワ賞】、曾孫にランドシーア【仏2000ギニー(仏GⅠ)・キーンランドターフマイルS(米GⅠ)】がいるなど、近親には世界各国で活躍馬が登場している名牝系である。→牝系:F4号族④
母父マスターダービーは現役成績33戦16勝。プリークネスS(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・ルイジアナダービー(米GⅡ)・ドラグーンS(米GⅢ)・キンダーガルテンS(米GⅢ)・ニューオーリンズH(米GⅢ)・オークローンH(米GⅢ)などを勝っている。その父ダストコマンダーは、ケンタッキーダービー・ブルーグラスS勝ちなど42戦8勝。引退後3年間米国で供用された後に日本に輸入された。米国に残してきたマスターダービーの活躍で日本でも期待されたが活躍馬を出せずに6年後に米国に戻った。その後になって日本における代表産駒の皐月賞馬アズマハンターが登場している。ダストコマンダーの父ボールドコマンダーはボールドルーラー直子で、チェサピークS勝ちなど41戦7勝の中級競走馬だった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はサルマン殿下が所有する英国バンステッドマナースタッドで種牡馬入りした。1995年に日本中央競馬会により12億円で購入され、翌1996年から日本軽種馬協会静内種馬場で種牡馬供用された。日本でも多くの活躍馬を出しているカーリアンの代表産駒という事で期待は大きく、初年度は77頭、2年目は80頭、3年目は91頭、4年目の1999年は83頭、5年目の2000年は78頭の繁殖牝馬を集めた。1999年と2000年には新国グレンモーガンスタッドやウェストバリースタッドにシャトルされている。欧州繋養時代の産駒からはGⅠ競走の勝ち馬を含む複数の活躍馬が出たが、日本においては活躍馬がそれほど出なかった。そのために6年目の2001年の交配数は30頭まで減少し、同年に正式に新国に輸出された。しかし新国における産駒成績も振るわなかったため、2002年には英国サンドリースタッドに移り、その後さらに愛国スカーヴァハウススタッドに移動した。
日本においては、輸出後にエリモハリアーを始めとする複数の重賞勝ち馬が出たが、GⅠ競走戦線で活躍する産駒は出なかった。全日本種牡馬ランキングは、アイチャンルック、ミラージェネスなどが地方競馬で活躍した2004年の44位が最高だった(地方競馬種牡馬ランキングは同年の16位が最高)。欧州供用時代に出したステークスウイナーは29頭であるが、自身を彷彿とさせるような産駒は最後まで出なかった。2013年1月にスカーヴァハウススタッドにおいて25歳で他界した(死因は不明だが老衰と思われる)。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1993 |
Germano |
ゴードンリチャーズS(英GⅢ) |
1993 |
Radevore |
ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・フォルス賞(仏GⅢ) |
1994 |
Fahris |
セレクトS(英GⅢ) |
1994 |
Tenuous |
プシシェ賞(仏GⅢ) |
1994 |
Windsor Castle |
クイーンズヴァーズ(英GⅢ) |
1994 |
Worldly Ways |
シネマH(米GⅢ)・オールアメリカンH(米GⅢ) |
1995 |
Bahr |
リブルスデールS(英GⅡ)・ムシドラS(英GⅢ) |
1995 |
Blueprint |
ジョッキークラブS(英GⅡ)・サンルイレイH(米GⅡ)・サンセットH(米GⅡ) |
1995 |
Capri |
シャンティ大賞(仏GⅡ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ) |
1995 |
Courteous |
ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ) |
1995 |
Generous Rosi |
ゴードンリチャーズS(英GⅢ)・ターフウェイパークフォールCSS(米GⅢ) |
1995 |
Lisieux Rose |
ブランドフォードS(愛GⅡ)・オーキッドH(米GⅡ)・シープスヘッドベイH(米GⅡ) |
1995 |
Teapot Row |
ロイヤルロッジS(英GⅡ) |
1996 |
Catella |
エールトガス大賞(独GⅠ)・ヘニンガートロフィ(独GⅡ)・ゲルリング賞(独GⅡ)・ドイツヘロルト賞(独GⅢ)・ヘッセンポカル(独GⅢ) |
1996 |
Spendent |
リス賞(仏GⅢ) |
1997 |
ヤマノジェネラス |
瑞穂賞(旭川) |
2000 |
エリモハリアー |
函館記念(GⅢ)3回 |
2000 |
カズノキング |
肥後菊賞(KG3) |
2001 |
アイチャンルック |
ロジータ記念(南関GⅡ) |
2001 |
プリンセスラン |
九州ジュニアチャンピオン(KG1)・ルプランタン賞(KG3) |
2001 |
ロイヤルアタック |
北日本新聞杯(金沢) |
2002 |
Fast Future |
ローンストンC(豪GⅢ) |
2002 |
ミラージェネス |
ライデンリーダー記念(SPⅠ)・駿蹄賞(SPⅠ)・ジュニアクラウン(SPⅡ)・新緑賞(SPⅡ)・園田クイーンセレクション(園田)・サラクイーンC(SPⅢ) |
2004 |
Mystic Lips |
独オークス(独GⅠ) |
2004 |
Tullaroan |
マナワツC(新GⅢ) |