インヴァソール
和名:インヴァソール |
英名:Invasor |
2002年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:キャンディストライプス |
母:クェンドム |
母父:インタープレート |
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ウルグアイ三冠馬に輝いた後に米国に移籍し、BCクラシック・ドバイワールドCなどGⅠ競走を6連勝してエクリプス賞年度代表馬・米国顕彰馬に選出される |
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競走成績:2~4歳時に宇首米で走り通算成績12戦11勝 |
誕生からデビュー前まで
亜国の首都ブエノスアイレス近郊のクラウザン牧場(後にサンタイネス牧場と改名)で誕生した。2歳のときに、馬を買うためにウルグアイから亜国を訪れていたパブロ・エルナンデス氏、フアン・ルイス氏、ルイス・アルベルト・ヴィオバド氏の3兄弟に見出された。3兄弟は本馬を1万8千ドルで購入したいと申し出たが、クラウザン牧場の代表者サンドロ・ミゼロッキ氏は2万5千ドルを提示した。交渉の結果、2万ドルで取引が成立し、ウルグアイに移動した本馬はアニバル・サン・マルティン調教師に預けられた。
競走生活(宇国時代)
3歳2月にマロナス国立競馬場(ウルグアイの首都モンテビデオ郊外にあり、ウルグアイ三冠競走全戦が行われるウルグアイを代表する競馬場)で行われたダート1100mの未勝利戦で、ウルグアイを代表する名手グスタヴォ・デュアルテ騎手を鞍上にデビュー。1番人気に応えて6馬身3/4差で圧勝した。しかしその後に右後脚の種子骨を骨折したため、04/05シーズンはこの1戦のみで休養入りした。
05/06シーズンは8月のエンサーヨ賞(D1500m)から始動して、2馬身半差で勝利した。次走は9月に行われたウルグアイ三冠競走第1戦のウルグアイ2000ギニー(D1600m:正式名称はポージャ・デ・ポトリーリョス大賞)となった。単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持されると、泥だらけの不良馬場の中を快走し、後の亜共和国大賞勝ち馬ポトリフラッシュを5馬身3/4差の2着に下して圧勝した。
次走は10月に行われたウルグアイ三冠競走第2戦のジョッキークラブ大賞(D2000m)となった。単勝オッズ1.25倍という圧倒的な1番人気に支持されると、2着ポトリフラッシュに3馬身半差をつけて優勝した。
続いて11月に行われたウルグアイ三冠競走最終戦のウルグアイダービー(D2500m、正式名称はナシオナル大賞)に出走。ここでは単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。そして直線インコースからあっさり抜け出すと、過去2戦でいずれも本馬の2着だったポトリフラッシュを6馬身半差の2着に退けて優勝し、1994年のパーシファル以来11年ぶり史上21頭目のウルグアイ三冠馬となった。
この時点で本馬は、翌年1月に行われるウルグアイ最強馬決定戦のホセペドロラミレス大賞の大本命と目された。しかし三冠達成後に、ドバイのシェイク・ハムダン殿下が本馬の購入を陣営に打診してきた。3兄弟のうち特にヴィオバド氏は本馬を手放したくなかったらしいが、ハムダン殿下が140万ドルという巨額のトレードマネーを提示したこともあり、結局取引は成立した。
本馬はハムダン殿下が率いるシャドウェルステーブルの所有馬となり、米国キアラン・マクローリン調教師の管理馬となった。なお、05/06シーズンの宇年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出されている。
競走生活(2006年)
ウルグアイから米国フロリダ州へ空輸された本馬は、マクローリン師の調教を受けた後、ドバイへ移動して3月のUAEダービー(首GⅡ・D1800m)に出走した。このレースには、チリのGⅠ競走タンテオデポトリジョス賞勝ちなど9戦7勝のシンパティコブリボン、ゴドルフィンの所属馬で2戦2勝のディスクリートキャット、亜国のGⅠ競走ポージャデポトリジョス大賞やUAE2000ギニーなど6戦全勝のゴールドフォーセール、日本から参戦したオープン特別ヒヤシンスS勝ち馬フラムドパシオン、3年後のドバイワールドC勝ち馬ウェルアームドなどが出走しており、同競走史上でも屈指の好メンバーが顔を揃えていた。無敗のウルグアイ三冠馬といっても、ウルグアイ競馬自体が国際的にそれほど評価は高くなく(ウルグアイは国際セリ名簿基準委員会の格付けでは当時パート2国)、英国ブックメーカーのオッズではフラムドパシオンと並んで単勝オッズ17倍の4番人気止まりだった。リチャード・ヒルズ騎手が騎乗した本馬は馬群の中団につけて、残り1000m地点からのロングスパートをかけたが、道中で進路が塞がる不利を受けた影響もあり、勝ったディスクリートキャットから7馬身差の4着と初黒星を喫してしまい、3着フラムドパシオンにも首差先着を許した。
米国に戻って出走した5月のピムリコスペシャルH(米GⅠ・D9.5F)では、ベンアリSを勝ってきたワンデリンボーイ、名牝セレナズソングの息子であるガルフストリームパークH勝ち馬ハーリントン、エクセルシオールBCH勝ち馬ウェストバージニアなどが対戦相手となり、ラモン・ドミンゲス騎手騎乗の本馬は単勝オッズ7.7倍で5頭立て4番人気の評価だった。レースは少頭数だけに出走馬が一団となって進み、本馬は逃げるワンデリンボーイを見る形で2番手を追走した。直線入り口でもまだ馬群が一団の状態だったが、本馬が内側から抜け出し、逃げ粘るワンデリンボーイを1馬身1/4差の2着に下して勝利した。
次走のサバーバンH(米GⅠ・D10F)では、主戦となる当時18歳のフェルナンド・ハラ騎手と初コンビを組んだ。加国最大の競走クイーンズプレートの勝ち馬ワイルドデザート、オプショナルクレーミング競走を3連勝してきたラトール、2年前のBCジュヴェナイル勝ち馬でドバイワールドCでも2着していたウィルコ、メドウランズカップBCS勝ち馬タップデイなどが対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持された。レースでは3番手を追走し、四角途中で外側から仕掛けて直線入り口では先頭。そして後続を引き離していき、2着ワイルドデザートに4馬身1/4差をつけて完勝した。
次走のホイットニーH(米GⅠ・D9F)では、トラヴァーズS・レーンズエンドS・ジムダンディSなどの勝ち馬で前年のBCクラシック2着馬フラワーアレイ、ペンシルヴァニアダービー・コモンウェルスBCSなどの勝ち馬サンキング、ワンデリンボーイ、ウェストバージニアなどが対戦相手となった。フラワーアレイが単勝オッズ2.5倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ2.75倍の2番人気だった。本馬は馬群の中団内側を追走していたが、三角で仕掛けると、先行するワンデリンボーイやプレミアムタップに並びかけていった。直線入り口では本馬を含む4頭が横一線となったが、ここから本馬が抜け出した。そこへ大外からサンキングが追い込んできて本馬との一騎打ちとなったが、最後までサンキングに抜かさせる事はなく、鼻差で勝利した。
その後はジョッキークラブ金杯を叩いてBCクラシックに向かう予定だったが、熱発のためジョッキークラブ金杯は回避することになり、BCクラシックに直行することになった。
チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCクラシック(米GⅠ・D10F)では、圧勝に次ぐ圧勝でウィザーズS・プリークネスS・ジムダンディS・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯など6連勝中の3歳牡馬バーナーディニ、サンタアニタH・チャールズウィッテンガム記念H・ハリウッド金杯・パシフィッククラシックSなど7連勝中の米国西海岸の雄ラヴァマン、愛国の名伯楽エイダン・オブライエン調教師が送り込んできた英2000ギニー・クイーンエリザベスⅡ世S・愛フェニックスS・愛ナショナルSとGⅠ競走4勝のジョージワシントン、英チャンピオンS・ドバイデューティーフリー・エクリプスSなどを勝っていた欧州10ハロン路線の雄デビッドジュニア、サンキング、アーカンソーダービーなどの勝ち馬で翌年にエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれるローヤーロン、前年のケンタッキーダービー馬でこの年はサンディエゴHを勝っていたジャコモ、サンタアニタダービー・ハリウッドフューチュリティ・ノーフォークS・サンラファエルS・サンタカタリナSの勝ち馬ブラザーデレク、ホイットニーHで本馬の5着に敗れた後に出走したウッドワードSで大穴を開けて勝利したプレミアムタップ、BCクラシックに5年連続参戦となるスティーヴンフォスターH・レーンズエンドS・ワシントンパークH2回・ケンタッキーCクラシックH・ホーソーン金杯の勝ち馬パーフェクトドリフト、ホイットニーHで7着だったフラワーアレイ、サラトガBCH・ワシントンパークHの勝ち馬でジョッキークラブ金杯2着のスアーヴと、バラエティ豊かな面子が顔を揃えた。バーナーディニが単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持され、ラヴァマンが単勝オッズ7.1倍の2番人気、本馬が単勝オッズ7.7倍の3番人気となった。
スタートが切られるとブラザーデレクが先頭に立ち、ローヤーロンやラヴァマンがそれを追撃。バーナーディニは5番手の好位につけ、本馬は馬群の中団を追走した。三角でバーナーディニが仕掛けて上がっていったのを見計らったハラ騎手は四角で外側からまくって仕掛けた。そして直線では内側の先行馬達を次々とかわしていき、先頭に立っていたバーナーディニを最後に差し切って1馬身差で優勝した。
この勝利が決め手となり、この年のエクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬牡馬に選出された。南米産馬がエクリプス賞年度代表馬に選出されたのは史上初の快挙であった。2006年の成績は5戦4勝だった。
競走生活(2007年)
翌2007年は2月のドンH(米GⅠ・D9F)から始動した。ペガサスH・ディスカヴァリーH・クラークH・クイーンズカウンティHなどの勝ち馬で前年のドバイワールドC3着馬マグナグラデュエイト、ハルズホープHを勝ってきたシャテインなどが対戦相手となったが、他馬より5~11ポンド多いトップハンデを背負った本馬が単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された。最内枠発走の本馬は馬群の後方を追走し、四角でインを突いて上がろうとしたが、失速した逃げ馬に進路を塞がれる不利を受けた。それでも直線に入るとインコースの隙間を突いて抜け出し、2着ヒーズアンオールドソルトに2馬身差で勝利した。
そして1年ぶりにドバイへ渡り、ドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)に出走した。対戦相手は、本馬を破った前年のUAEダービーを筆頭にジェロームBCH・シガーマイルHなど6戦全勝のディスクリートキャット、BCクラシックで本馬から3馬身半差の3着だったプレミアムタップ、川崎記念を6馬身差で圧勝して臨んできた日本調教馬ヴァーミリアン、前年の安田記念を勝った香港調教馬ブリッシュラック、亜ジョッキークラブ大賞・亜ナシオナル大賞の勝ち馬フォーティリックス、マクトゥームチャレンジR2を勝ってきたキャンディデートの6頭だった。前年のUAEダービーではあまり人気が無かった本馬だが、米国最強馬に上り詰めていた今回は英国ブックメーカーのオッズで単勝2.25倍の1番人気に支持されていた。単勝オッズ2.375倍で僅差の2番人気にディスクリートキャット、単勝オッズ8倍の3番人気がプレミアムタップで、他馬は単勝オッズ19~41倍の人気薄だった。
スタートからプレミアムタップが先頭に立ったが、本馬もそれをマークするように2番手を追走。そのままの状態で直線に入ると、本馬とプレミアムタップの長い叩き合いが始まった。後続を大きく引き離す2頭の一騎打ちは、ゴール前100m地点で本馬が前に出て、最後はプレミアムタップに1馬身3/4差をつける事で決着した。勝ちタイム1分59秒97は、2000年にドバイミレニアムが計時した1分59秒5に迫る、同レース史上2番目に速いものだった。3着ブリッシュラックはプレミアムタップからさらに8馬身後方、ヴァーミリアンはさらに5馬身1/4差の4着、ディスクリートキャットは殿負けだった。
その後は地元ニューヨーク州に戻り、サバーバンHの連覇に向けて調整が行われていたが、ベルモントパーク競馬場における調教中に、かつて骨折した右後脚を再び骨折してしまい、6月に現役引退が発表された。
なお、本馬はピムリコスペシャルHからドバイワールドCまで6連続GⅠ競走出走6連勝を達成しているが、これはエクリプス賞年度代表馬としては当時最多記録だった(現在の記録はゼニヤッタの9連勝)。
本馬はウルグアイを去った後も、ウルグアイの国民的英雄である事に変わりは無く、本馬が出走したレースは常にウルグアイ国内でテレビとラジオの同時中継が行われた。本馬のレースを見ているウルグアイ国民の様子はあたかも、サッカーのワールドカップにおいてウルグアイ代表が決勝を戦っているのを見ているかのようだったという。デュアルテ騎手は本馬を自分が乗った最良の馬と評価した。
日本において本馬が紹介される時は、同じ無敗の三冠馬という事で、ほぼ同時期に走ったディープインパクトに喩えられることがある。確かに本馬はディープインパクトと同じく後方からレースを進める事も多かったが、先行して抜け出すレースも得意であり、そのスマートなレースぶりはどちらかと言えば同じ無敗の三冠馬でもシンボリルドルフに近いような気もする。
血統
Candy Stripes | Blushing Groom | Red God | Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | ||||
Spring Run | Menow | |||
Boola Brook | ||||
Runaway Bride | Wild Risk | Rialto | ||
Wild Violet | ||||
Aimee | Tudor Minstrel | |||
Emali | ||||
バブルカンパニー | Lyphard | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Goofed | Court Martial | |||
Barra | ||||
Prodice | Prominer | Beau Sabreur | ||
Snob Hill | ||||
Euridice | Tabriz | |||
Euroclydon | ||||
Quendom | Interprete | Farnesio | Good Manners | Nashua |
Fun House | ||||
La Farnesina | Cardanil | |||
La Dogana | ||||
Inaccesible | Liloy | Bold Bidder | ||
Locust Time | ||||
Iliada | Pronto | |||
Ibixona | ||||
Queen of Victory | Cipayo | Lacydon | Alycidon | |
Lackaday | ||||
Tsarina | Tamerlane | |||
Secret Marriage | ||||
Twitch Crown | Crown Thy Good | Hoist the Flag | ||
Society Column | ||||
Twins | Atlas | |||
Umbella |
父キャンディストライプスはブラッシンググルーム直子の米国産馬で、クリテリウムドサンクルー勝ち馬インティミストや天皇賞馬バブルガムフェローの半兄に当たる。3・4歳時に仏で走り通算成績は6戦2勝2着1回。仏2000ギニー(仏GⅠ)で2着の実績があるが、グループ競走勝ちは無かった。競走成績は冴えなかったが、亜国で種牡馬入りすると活躍馬を次々と送り出して大成功し、1995/96シーズンの亜首位種牡馬にも輝いた。本馬を筆頭に、ルロワデザニモーやディファレントなど南米産馬でありながら後に米国で活躍した産駒も多かったため、キャンディストライプス自身も後に米国でも種牡馬供用された。しかし米国産馬からはそれほどの活躍馬を出すことは無く、2006年に疝痛のため24歳で他界している。
母クェンドムは亜国産の不出走馬。クェンドムの1歳年上の全姉にレイナヴィクトリオサ【エリセオラミレス大賞(亜GⅠ)】がいる。クェンドムの4代母アンベラは、20世紀初頭の歴史的名牝プリティポリーの後継繁殖牝馬の1頭ポリーフリンダースから5代目に当たる英国産馬で、亜国に繁殖牝馬として輸入され、プリティポリーの牝系を南米で大きく発展させる事に成功。そのため本馬の近親には南米における活躍馬が数多く出ている。クェンドムと彼女の一族は現在もサンタイネス牧場で繁殖生活を送っているという。→牝系:F14号族①
母父インタープレートは亜国で走り通算成績8戦6勝、亜2000ギニー(亜GⅠ)などを制している。種牡馬としても成功しており、亜種牡馬ランキング10位以内に入ること8回の成績を残した。この系統は亜国で発展したもので、遡るとジョッキークラブ大賞(亜GⅠ)の勝ち馬で種牡馬としても成功したファルネシオ、1979/80シーズンの亜首位種牡馬に輝いた米国産馬グッドマナーズを経て、ナシュアへと辿りつくことができる。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州シャドウェルファームで種牡馬入りした。種付け料は2万ドルに設定された。2013年に米国競馬の殿堂入りを果たした。しかし種牡馬としては活躍馬を殆ど出すことが出来ず、2015年にウルグアイに戻ってクアトロピエドラス牧場で繋養されている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
2009 |
Ausus |
モデスティH(米GⅢ) |