エルナンド
和名:エルナンド |
英名:Hernando |
1990年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ニニスキ |
母:ワキリリック |
母父:ミスワキ |
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GⅠ競走勝ちは3歳時のリュパン賞・仏ダービーのみだったが古馬になっても一線級で活躍し、種牡馬としても一流馬を次々に出して成功する |
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競走成績:3~5歳時に仏愛米日で走り通算成績20戦7勝2着4回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
数々の名馬を送り出した仏国有数の馬産家スタブロス・スピロス・ニアルコス氏により生産・所有された馬で、1996年に死去する彼にとっては最晩年の傑作である。仏国フランソワ・ブータン調教師に預けられた。主戦はキャッシュ・アスムッセン騎手で、本馬の全レースに騎乗した。父ニニスキが長距離馬だった影響なのか、デビューから一貫して2000m以上のレースを使われた。
競走生活(3歳時)
3歳3月にサンクルー競馬場で行われたリエール賞(T2100m)でデビューして、後のパリ大賞勝ち馬フォートウッドの頭差2着となった。翌月にロンシャン競馬場で行われたブランジー賞(T2000m)で勝ち上がった。
2週間後にはスレーヌ賞(T2100m)に出走。ここには、シェーヌ賞で2着してきた後の英チャンピオンS勝ち馬デルニエアンペルールという実力馬の姿があった。しかし本馬が2着オキードオキーに半馬身差で勝利を収め、デルニエアンペルールは5着最下位に終わった。
さらに2週間後にはリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)に出走。レーシングポストトロフィー・チェスターヴァーズを勝って仏ダービーを目指していた3戦無敗の英国調教馬アーミジャーが単勝オッズ1.5倍の圧倒的な1番人気に支持されており、本馬が単勝オッズ4.2倍の2番人気、デルニエアンペルールが単勝オッズ5.5倍の3番人気だった。スタートからアーミジャーが先頭に立ち、本馬は3番手を追走した。そして直線に入ると残り300m地点でアーミジャーに並びかけ、叩き合いを首差で制して勝利。1歳年上の半兄ヨハンクアッツとの同競走兄弟制覇を達成した。
続く仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)ではアーミジャーが脚部不安で回避したが、オカール賞を勝ってきたダンシングブレーヴ産駒のリージェンシー、ノアイユ賞を勝ってきたフォートウッド、グレフュール賞を勝ってきたハンティングホーク(日本で活躍したホットシークレットの父)、リュパン賞で3着だったデルニエアンペルール、フォルス賞を勝ってきたサンキアンなど、なかなかのメンバーが揃った。しかしその中で本馬は単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。そして好位追走からゴール前で抜け出し、2着デルニエアンペルールに2馬身半差、3着ハンティングホークにはさらに3/4馬身差をつけて楽勝した。
次走の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)では、英ダービー馬コマンダーインチーフとの対決となった。コマンダーインチーフが単勝オッズ1.57倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ3.25倍の2番人気、3番人気以下は単勝オッズ11倍以上という一騎打ちムードだった。レースではコマンダーインチーフが3番手の好位につけて、本馬もそれをマークするように5番手につけた。直線手前でコマンダーインチーフが仕掛けると、本馬もそれを追って上がっていった。残り2ハロン地点でコマンダーインチーフが先頭に立ったところに、本馬が並びかけてきて一騎打ちとなった。しかし本馬はゴール前で後れを取り、3/4馬身差の2着に敗れた。
夏場は休養に充て、秋は凱旋門賞を目指してニエル賞(仏GⅡ・2400m)から始動。ギョームドルナノ賞を勝ってきたデルニエアンペルール、サンタラリ賞2着で仏オークス3着のダンシエンヌとの対戦となった。本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気で、ダンシエンヌが単勝オッズ4.3倍の2番人気、デルニエアンペルールが単勝オッズ4.4倍の3番人気だった。レースでは本馬陣営が用意したペースメーカー役のユドーが先頭に立ち、本馬は2番手を追走。そして直線に入ると残り400m地点で先頭に立ち、2着デルニエアンペルールに1馬身半差をつけて勝利した。
そして本番の凱旋門賞(仏GⅠ・2400m)に参戦した。この年の凱旋門賞は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・コロネーションC・エクリプスSなどを制していた欧州最強古馬のオペラハウス、英オークス・ヴェルメイユ賞・サンタラリ賞の勝ち馬イントレピディティ、愛オークス・マルレ賞の勝ち馬ウィームズバイト、英セントレジャーで2着して復調気配のアーミジャー、仏オークス馬シェマカ、伊2000ギニー・ローマ賞などを勝っていた伊国の有力馬ミシル、英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークス・英セントレジャー・サンクルー大賞を勝ち前年の凱旋門賞で2着だった前年のカルティエ賞年度代表馬ユーザーフレンドリー、英セントレジャー・グレートヴォルティジュールS勝ち馬ボブズリターン、ヨークシャーオークス・フォワ賞を勝ってきたオンリーロワイヤル、ガネー賞・モーリスドニュイユ賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞3着馬ヴェールタマンド、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでコマンダーインチーフに先着する2着だった伊ダービー馬ホワイトマズル、メルフィンク銀行賞・ミラノ大賞を勝っていた独国の有力馬プラティニ、英国際Sを勝ってきたエズードなど、当時の欧州10~12ハロンの距離における有力馬は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着後に故障で引退したコマンダーインチーフを除いてほぼ全て出揃うというオールスターだった。
その中で堂々の1番人気に支持されたのは、単勝オッズ4.7倍の本馬だった。オペラハウスとイントレピディティのカップリングが単勝オッズ4.9倍の2番人気、アーミジャーとウィームズバイトのカップリングが単勝オッズ5倍の3番人気と続いたが、本馬は彼等と異なり単独での人気であり、文句なしの本命馬だった。しかし馬群の中団でレースを進めた本馬だったが、極悪不良馬場が災いしたのか直線で伸びずに、単勝オッズ38倍の11番人気という低評価を覆して勝ったアーバンシーから13馬身半差をつけられた16着に沈んでしまった。
その後は渡米してサンタアニタパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に挑戦した。この年にサンルイレイS・サンフアンカピストラーノH・エディリードH・オークツリー招待HとGⅠ競走4勝を挙げていたコタシャーン、コタシャーンの好敵手であるハリウッドターフC・ハリウッドターフHなどの勝ち馬ビエンビエン、前年のBCターフやソードダンサー招待Hを勝っていたフレイズといった地元米国の有力馬に加えて、凱旋門賞3着のオペラハウス、同4着のイントレピディティ、同21着のウィームズバイト、英1000ギニー・EPテイラーS・英チャンピオンSなどを勝っていた名牝ハトゥーフ、前走ターフクラシックSを勝ってきたオイロパ賞勝ち馬アップルツリーといった欧州調教馬も参戦していた。コタシャーンが単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持される一方で、前走の大敗が響いて評価を落とした本馬は単勝オッズ15.8倍で14頭立ての6番人気止まりだった。米国の競馬場の特徴である平坦小回りを意識したのか本馬は4番手を追走したのだが、三角で失速して、勝ったコタシャーンから9馬身半差の10着に終わった。3歳時の成績は9戦5勝だった。
競走生活(4歳時)
BCターフ後に長期休養を余儀なくされた本馬は、4歳8月にドーヴィル競馬場で行われたゴントービロン賞(仏GⅢ・T2000m)で復帰した。ここで単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持されたのは、アンドレ・ファーブル調教師が送り込んできたサンロマン賞勝ち馬リチャードオブヨークと、後のセレクトS勝ち馬トリアリウスのカップリングで、本馬は単勝オッズ3.6倍の2番人気だった。このレースでアスムッセン騎手は後方待機策を選択し、本馬は直線殿一気の末脚を繰り出した。ゴール前では右側によれながらも、最後は全馬を差し切り、2着トリアリウスに1馬身差で勝利した。
翌月のフォワ賞(仏GⅢ・T2400m)では、ファーブル師が送り込んできたイントレピディティやリチャードオブヨークなど3頭、それに前年のBCターフでは9着に終わるもこの年にコロネーションC・サンクルー大賞を勝っていたアップルツリーといった強敵が相手となったが、本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。ここでも最後方に陣取り、直線の末脚で勝負をかけた。ところが残り300m地点で左側によれてしまい、末脚不発でリチャードオブヨークの5馬身差4着に敗れてしまった。
2度目の出走となった凱旋門賞(仏GⅠ・2400m)では、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・レーシングポストトロフィーを勝ち英ダービー・愛ダービーで2着だったキングズシアター、ユジェーヌアダム賞・ニエル賞など3連勝中のカーネギー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで2年連続2着していた武豊騎手騎乗の前年の凱旋門賞2着馬ホワイトマズル、ジャンプラ賞・パリ大賞などデビューから10戦無敗のミルコム、ヨークシャーオークスを2連覇してきた前年の凱旋門賞5着馬オンリーロワイヤル、この年のリュパン賞・仏ダービー勝ち馬セルティックアームズ、マルセルブサック賞・ヴェルメイユ賞の勝ち馬シエラマドレ、前年の凱旋門賞では17着に終わるもエクリプスSを勝ち英国際Sを2連覇してきたエズード、南米から参戦してきたサンパウロ大賞・ブラジル大賞勝ち馬マッチベター、バーデン大賞を2連覇してきた独ダービー馬ランド、リチャードオブヨーク、フォワ賞で2着だったイントレピディティ、同3着だったアップルツリーなどが対戦相手となった。キングズシアター、カーネギー、イントレピディティ、リチャードオブヨークの4頭カップリングが単勝オッズ4倍の1番人気に支持され、ホワイトマズルが単勝オッズ4.5倍の2番人気、ミルコムが単勝オッズ5.9倍の3番人気、オンリーロワイヤルが単勝オッズ7.5倍の4番人気と続き、本馬は単勝オッズ7.7倍の5番人気だった。
スタートが切られると、チェスターヴァーズ・ゴードンS勝ち馬ブロードウェイフライヤーが馬群を先導し、本馬は馬群の中団につけた。そして直線に入ると馬群を捌きながら追い込んできた。ゴール前ではカーネギーとの叩き合いとなったが、僅かに届かず短首差2着に惜敗。直線で馬群を捌く際に一瞬だけ進路が塞がれる場面があり、それさえなければ差し切っていた可能性は十分にあった。
さらに再び渡米して、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に挑戦した。この年にETマンハッタンH・アーリントンミリオン・ワシントンDC国際S勝ちなど9戦8勝2着1回の成績を挙げていた米国芝路線の最強馬パラダイスクリーク、アメリカンダービー・セクレタリアトSの勝ち馬ヴォードヴィル、愛オークス・リブルスデールSの勝ち馬ボラス、前年のBCターフ5着後にビヴァリーDS・アスタルテ賞を勝っていたハトゥーフ、前走ターフクラシック招待SでGⅠ競走初勝利を挙げて勢いに乗るティッカネン、前年のBCターフ4着後にハリウッドターフCでGⅠ競走3勝目を挙げていたフレイズ、凱旋門賞で6着だったホワイトマズル、同7着だったオンリーロワイヤル、同11着だったセルティックアームズなど実力馬が顔を揃えていた。パラダイスクリークが単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、ヴォードヴィルが単勝オッズ8.2倍の2番人気、本馬が単勝オッズ8.3倍の3番人気となった。
後方2番手でレースを進めた本馬は、三角から四角にかけて位置取りを上げようとしたが、進路が開かなかった。その隙に、最後方を走っていたティッカネンが本馬を抜き去り、一気に前方馬群に詰め寄っていった。直線入り口でかなり後方の位置取りになってしまった本馬は、ここから一気に追い込んできたが、さすがに前には届かずにティッカネンの5馬身半差6着に敗れた。
その後は来日してジャパンC(日GⅠ・T2400m)に出走。この年は地元日本からの参戦馬にGⅠ競走勝ち馬が1頭もおらず、海外馬有利とされていた。ブラジル出身の米国調教馬でオークツリー招待Sを勝ってきたサンドピットが単勝オッズ4.5倍の1番人気に押し出され、続いてBCターフで3着だったパラダイスクリークが単勝オッズ5倍の2番人気、凱旋門賞で本馬から半馬身差の3着だったアップルツリーが単勝オッズ5.3倍の3番人気、本馬が単勝オッズ8.5倍の4番人気、メルボルンCを勝ってきた豪州調教馬ジューンが単勝オッズ9.6倍の5番人気と続き、日本馬人気最上位は京都大賞典を勝ってきたマーベラスクラウンで単勝オッズ10.6倍の6番人気だった。また、仏国から米国に移籍して、カーネルFWケスターHを勝ち前走BCマイルで2着していたヨハンクアッツ(単勝オッズ40.6倍の13番人気)も参戦しており、最初で最後の兄弟対決となった。
レースではフジヤマケンザンとサンドピットが先頭争いを演じ、本馬は馬群の中団を追走した。そして直線では大外から追い込んできたが、先に抜け出したマーベラスクラウン、パラダイスクリーク、ロイスアンドロイスの3頭には届かず、勝ったマーベラスクラウンから2馬身半差の4着に敗れた(ヨハンクアッツは12着だった)。4歳時の成績は5戦1勝だった。
競走生活(5歳時)
翌年2月に本馬を管理していたブータン師が死去したが、本馬は英国ジョン・E・ハモンド厩舎に転厩して現役を続行した。
5歳時はガネー賞(仏GⅠ・T2100m)から始動した。アルクール賞を勝ってきたフリーダムクライ、凱旋門賞9着後は2戦2敗だったミルコム、前年のガネー賞勝ち馬マリルドなどを抑えて、単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。しかし生憎の不良馬場となってしまい、スタートから後方に置かれるわ、直線では左側によれるわと、本来の能力を発揮する事が出来ずに、ペルダーの6馬身差5着に敗退してしまった。
その後はしばらくレースに出ず、8月のゴントービロン賞(仏GⅢ・T2000m)で復帰した。ここにもフリーダムクライ(ガネー賞では4着)、ミルコム(同10着最下位)、マリルド(同9着)の姿があったが、本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の中団後方につけると、直線入り口6番手から末脚を伸ばし、残り200m地点で先頭に立って、2着フリーダムクライに1馬身半差で勝利した。
次走の愛チャンピオンS(愛GⅠ・T10F)では、キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬で、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでラムタラの首差2着だったペンタイア、愛ナショナルS勝ち馬で愛ダービー2着のデフィニットアーティクル、パリ大賞の勝ち馬ヴァラヌール、フリーダムクライなどとの対戦となった。ペンタイアが単勝オッズ3.25倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ3.5倍の2番人気となった。ここでは馬群の中団を追走したが、レース中盤から徐々に後退していき、そのまま直線でも伸びずに、ペンタイアの14馬身差7着と惨敗を喫してしまった。
この年は凱旋門賞には向かわず、BCターフを目指して早々に渡米した。まずはターフクラシック招待S(米GⅠ・T12F)に出走。セクレタリアトS・ETマンハッタンS・アーリントンミリオンとGⅠ競走3勝を挙げていたアワッド、この年は4戦全敗だったティッカネン、米国に移籍してシーザーズ国際Hで2着していたセルティックアームズなどが対戦相手となった。アワッドが単勝オッズ2.3倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ4.75倍の2番人気となった。レースは本馬にとって不得手の重馬場で行われた。スタートが切られると単勝オッズ18.4倍の7番人気馬タークパッサーが先頭に立ち、ティッカネンが2番手、アワッドが3番手、本馬が4番手につけた。やがてティッカネンとアワッドの2頭は後退していき、本馬が2番手に上がった状態で直線を向いた。しかし最後までタークパッサーを捕らえることが出来ずに、3/4馬身差2着に敗れた。しかし内容的には合格点だった。
そしてカリフォルニア州に移動して、サンタアニタパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に出走した。対戦相手は過去2年と比べるとやや手薄であり、この年はサンクルー大賞・フォワ賞を勝ったものの連覇を狙った凱旋門賞ではラムタラの6着に敗れたカーネギー、英ダービーでラムタラの1馬身差2着だったタムレ、前走オークツリー招待SでGⅠ競走初勝利を挙げたノーザンスパー、凱旋門賞でラムタラの1馬身差2着だったフリーダムクライ、米国競馬名誉の殿堂博物館S・ローレンスリアライゼーションHの勝ち馬フリッチ、前年の凱旋門賞8着後に伊ジョッキークラブ大賞・ミラノ大賞・メルクフィンク銀行賞を勝っていたランド、タークパッサー、前走3着のセルティックアームズ、同7着のアワッドなどが主な対戦相手だった。カーネギーとタムレのカップリングが単勝オッズ4.75倍の1番人気、ノーザンスパーが単勝オッズ4.95倍の2番人気、フリーダムクライが単勝オッズ5倍の3番人気、本馬が単勝オッズ6.2倍の4番人気、アワッドが単勝オッズ9倍の5番人気と続いていた。しかし生憎とここでも重馬場となり、馬群の中団を追走したものの勝負どころで反応が悪く、直線でよく追い上げたが、ノーザンスパーの4馬身半差5着に敗退。一応BCターフでは過去最高着順だったが、結局BCターフ制覇には縁が無かった。
引退レースとして選んだのはジャパンC(日GⅠ・T2400m)だった。前年と異なりこの年の日本馬勢は評価が高く、前年の皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念を勝っていた史上5頭目の中央競馬牡馬三冠馬ナリタブライアンが単勝オッズ3.7倍の1番人気、阪神三歳牝馬S・エリザベス女王杯など重賞9勝の最強牝馬ヒシアマゾンが単勝オッズ4.3倍の2番人気と、牡牝の日本馬両エースが上位人気を占めていた。この年もサンルイレイS・シーザーズ国際HとGⅠ競走を勝っていたサンドピットが単勝オッズ6.7倍の3番人気、宝塚記念2着馬タイキブリザードが単勝オッズ9.2倍の4番人気、BCターフで6着だったアワッドが単勝オッズ10.9倍の5番人気、同12着だったランドが単勝オッズ14.5倍の6番人気と続き、本馬は単勝オッズ15.1倍の7番人気となっていた。
スタートが切られるとタイキブリザードが先頭に立ち、本馬はナリタブライアンを見る形で馬群の中団後方を追走した。そして直線に入ると先に仕掛けたナリタブライアンを競り落として馬群の真ん中を追い込んできた。先に抜け出したランドと大外から追い込んだヒシアマゾンには及ばなかったが、ゴール前でタイキブリザードを差し切り、ランドから1馬身3/4差の3着と好走。現役最後のレースでその能力を十分に発揮した。5歳時の成績は6戦1勝だった。
本馬は堅い馬場では好走するが、湿った柔らかい馬場では凡走する傾向が強かったようで、やや重厚な血統とは裏腹に軽快なスピードの持ち主だったと思われる。
血統
Niniski | Nijinsky | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Flaming Page | Bull Page | Bull Lea | ||
Our Page | ||||
Flaring Top | Menow | |||
Flaming Top | ||||
Virginia Hills | Tom Rolfe | Ribot | Tenerani | |
Romanella | ||||
Pocahontas | Roman | |||
How | ||||
Ridin' Easy | Ridan | Nantallah | ||
Rough Shod | ||||
Easy Eight | Eight Thirty | |||
Your Game | ||||
Whakilyric | Miswaki | Mr. Prospector | Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
Hopespringseternal | Buckpasser | Tom Fool | ||
Busanda | ||||
Rose Bower | Princequillo | |||
Lea Lane | ||||
リリズム | Lyphard | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Goofed | Court Martial | |||
Barra | ||||
Pass a Glance | Buckpasser | Tom Fool | ||
Busanda | ||||
Come Hither Look | Turn-to | |||
Mumtaz |
父ニニスキはニジンスキーの直子で、現役成績は14戦6勝。愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・ジェフリーフリアS(英GⅡ)・ジョンポーターS(英GⅡ)・オーモンドS(英GⅢ)を勝った名長距離馬であった。種牡馬としても成功しているが、やはり長距離色が非常に強い。
母ワキリリックは現役成績18戦3勝。カルヴァドス賞(仏GⅢ)の勝ち馬で、他にもサラマンドル賞(仏GⅠ)でミエスクの3着、2歳時に古馬に果敢に挑戦したフォア賞(仏GⅠ)でもサラブの3着に入った実力馬。本馬の1歳上の半兄ヨハンクアッツ(父サドラーズウェルズ)【リュパン賞(仏GⅠ)・カーネルFWケスターH(米GⅡ)・2着BCマイル(米GⅠ)】も産んだ名繁殖牝馬でもある。本馬の半妹ウェルズウィスパー(父サドラーズウェルズ)の孫にアキードモフィード【香港C(香GⅠ)・香港ダービー】、半妹アプサラ(父ダルシャーン)の子にカーテンコール【ベレスフォードS(愛GⅡ)・ムーアズブリッジ(愛GⅢ)】がいる。ワキリリックの半弟にはブリカサール(父アイリッシュリヴァー)【ダフニ賞(仏GⅢ)】がいる他、ワキリリックの半妹クラッシーエリー(父アイリッシュリヴァー)の子にクラウディアス【ランプライターH(米GⅢ)】がいる。ワキリリックの母である本邦輸入繁殖牝馬リリズムの従姉弟にはパレスミュージック【英チャンピオンS(英GⅠ)・ジョンヘンリーH(米GⅠ)】がいる。→牝系:F13号族①
母父ミスワキは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はニアルコスファミリーが運営している英国ニューマーケットのランウェイズスタッドで種牡馬入りした。初年度産駒から仏ダービー馬ホールディングコートを輩出。その後も名馬スラマニを出し、名種牡馬としての地位を確立した。仕上がりは比較的早く2歳戦で勝ち上がる産駒が多いが、完成するのは3歳以降で、自身と同様に10~12ハロンの距離を得意とする産駒が多い。本馬は愛想が良く人間に懐いていたため、ランウェイズスタッドのスタッフからは非常に可愛がられていたようである。2011年の繁殖シーズン終了後に種牡馬を引退し、2013年2月に心臓発作のため23歳で他界。遺体はランウェイズスタッドにおいて前月に他界したクイーンエリザベスⅡ世S勝ち馬セルカークの隣に埋葬された。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1997 |
Holding Court |
仏ダービー(仏GⅠ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・フォルス賞(仏GⅢ) |
1998 |
Asian Heights |
セプテンバーS(英GⅢ)・オーモンドS(英GⅢ) |
1998 |
Mr. Combustible |
ジェフリーフリアS(英GⅡ)・チェスターヴァーズ(英GⅢ) |
1999 |
仏ダービー(仏GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・加国際S(加GⅠ)・ニエル賞(仏GⅡ) |
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1999 |
Tau Ceti |
プランスドランジュ賞(仏GⅢ) |
2000 |
Arvada |
ラプレヴォヤンテH(米GⅡ)・グレンズフォールズH(米GⅢ) |
2000 |
Hanami |
プリティポリーS(愛GⅡ) |
2000 |
Just Wonder |
シネマBCH(米GⅢ) |
2000 |
Samando |
ロワイヤリュー賞(仏GⅡ)・エクスビュリ賞(仏GⅢ) |
2001 |
Atlando |
サンルイオビスポH(米GⅡ)・ニッカボッカーH(米GⅢ) |
2002 |
Songerie |
レゼルヴォワ賞(仏GⅢ) |
2003 |
Herboriste |
ラプレヴォヤンテH(米GⅡ) |
2005 |
Alianthus |
オイロパマイレ(独GⅡ)・グレーフェンベルガーマイレントロフィー(独GⅡ)・デュッセルドルフ大賞(独GⅢ)2回・フォルクスワーゲンツェントルムノルトライン大賞(独GⅢ)・UVEXトロフィー(独GⅢ)・ハンブルガーマイレ(独GⅢ)・春期マイレ賞(独GⅢ) |
2005 |
Casual Conquest |
タタソールズ金杯(愛GⅠ)・デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ)・ロイヤルホイップS(愛GⅡ) |
2005 |
Indian Daffodil |
ダフニ賞(仏GⅢ) |
2005 |
Look Here |
英オークス(英GⅠ) |
2006 |
Gitano Hernando |
グッドウッドS(米GⅠ)・シンガポール航空国際C(星GⅠ)・ダイアモンドS(愛GⅢ) |
2006 |
Rainbow Peak |
伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ) |
2007 |
Akdarena |
ブルーウインドS(愛GⅢ) |
2007 |
Harris Tweed |
ジョンポーターS(英GⅢ) |
2008 |
Caravan Rolls On |
ジーロングC(豪GⅢ) |
2009 |
Mutual Regard |
エボアH |