コタシャーン

和名:コタシャーン

英名:Kotashaan

1988年生

黒鹿

父:ダルシャーン

母:オートオートリテ

母父:エロキューショニスト

仏国から米国に移籍してしばらくして開花しBCターフを勝つなど芝路線で大活躍してエクリプス賞年度代表馬に選出された幻のジャパンC馬

競走成績:2~5歳時に仏米日で走り通算成績22戦10勝2着5回3着2回

誕生からデビュー前まで

仏国の世界的ファッションブランドであるシャネルの代表者アレン・ウェルトハイマー氏とジェラール・ウェルトハイマー氏の兄弟により生産・所有された仏国産馬である。仏国における管理調教師はアンドレ・ファーブル師だったと日本の各種資料にはあるのだが、レーシングポスト紙を始めとする海外の各種資料には女性調教師クリケット・ヘッド・マーレク師だったとある。レーシングポスト紙が間違っている事は無いだろうから、最初にファーブル厩舎に所属したもののデビュー前にマーレク厩舎に転厩したのか、それとも単に日本の資料が間違っているだけなのかは筆者には分からない。

競走生活(2・3歳時)

2歳11月にサンクルー競馬場で行われたガルドフュー賞(T1600m)でデビューして、スヴェトラーナの首差2着。その2週間後にメゾンラフィット競馬場で行われたマニトゥⅢ賞(T1800m)では、主戦となるG・ギニャール騎手と共に、2着クダスに1馬身半差をつけて初勝利を挙げ、2歳時の成績は2戦1勝となった。

3歳時は4月のノアイユ賞(仏GⅡ・T2200m)から始動した。クリテリウムドサンクルー・コンデ賞など3戦無敗のピストレブルー、アイソノミー賞の勝ち馬スボティカなどが対戦相手となった。本馬は馬群の後方からレースを進めたが、直線で伸びずに、ピストレブルーの6馬身差差5着と完敗した。続くリステッド競走クルーセル賞(T2100m)では、2着ランチャーに鼻差で勝利した。次走のフォルス賞(仏GⅢ・T2000m)では単勝オッズ2.4倍の1番人気に支持され、2着ファニーベイビーに首差で勝利した。

その後は仏ダービーには向かわずにパリ大賞(仏GⅠ・T2000m)に出走した。仏ダービーを勝ったスワーヴダンサーは愛ダービーに向かったために、ピストレブルーは仏ダービー直前に判明した故障のためにそれぞれ不在であり、ノアイユ賞・オカール賞・仏ダービーと3戦連続2着だったスボティカ、ジャンプラ賞を勝ってきたシレリー、リュパン賞を勝ち仏ダービーで3着してきたクダスなどが対戦相手となった。本馬の評価は低く、単勝オッズ14.4倍で9頭立ての6番人気だった。ここでは馬群の中団につけて4番手で直線に入ってきたが、もうひとつ伸びが無く、スボティカとシレリーの2頭に敗れて、スボティカの2馬身1/4差3着に終わった。

夏場も休まず走り、ギョームドルナノ賞(仏GⅡ・T2000m)に出走。リス賞で1位入線しながらも4着降着となっていたグリティ、ユジェーヌアダム賞を勝ってきたアルカングの2頭が強敵であり、本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気、アルカングが単勝オッズ2.5倍の2番人気、グリティが単勝オッズ4倍の3番人気という3強対決となった。グリティが先行、本馬が好位、アルカングが後方という態勢でレースが進み、ゴール前ではこの3頭による大接戦となった。しかしグリティが粘り切って勝ち、短首差の2着に追い込んだアルカング、本馬はさらに短頭差の3着だった。続くラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ・T2000m)では、後の英チャンピオンS勝ち馬テルクウェルの1馬身半差2着だった。

その後、ウェルトハイマー兄弟は本馬をマーレク厩舎から米国のリチャード・E・マンデラ厩舎に転厩させたため、本馬は米国西海岸を主戦場とすることになった。このとき、馬主名義はラプレルファームに変更されている。3歳時は以降レースに出ず、この年の成績は6戦2勝となった。

競走生活(4歳時)

移籍初戦は4歳3月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝8ハロンの一般競走となった。クリス・マッキャロン騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ2.6倍の1番人気に支持された。そして後方待機策から直線で豪快に追い上げて、2着リーガルグルームに1馬身1/4差で勝利を収め、米国初戦を飾った。

次走は初のダート競走となるサンバーナーディノH(米GⅡ・D9F)だった。ここでは、サンティアゴルーロ大賞・ラウル&ラウルEチェバリエル大賞・モンテビデオ大賞と亜国のGⅠ競走を3勝した後に米国に移籍して、カーネルFWケスターH・サンアントニオHを勝っていた117ポンドのイベロが単勝オッズ2.6倍の1番人気に支持されていた。同じく117ポンドの本馬は単勝オッズ5.5倍の2番人気で、マンノウォーS・チャールズHストラブSを勝っていた115ポンドのディフェンシヴプレイ(単勝オッズ6.1倍の3番人気)や、チャールズHストラブS・ジョッキークラブ金杯・サンフェルナンドSを勝っていた118ポンドのフライングコンチネンタル(単勝オッズ16.6倍の6番人気)より評価が高かった。レースではやはり馬群の中団後方を進んだが、道中で進路が塞がる不利を受けた影響もあったのか、直線で伸びずに、勝った単勝オッズ17.6倍の7番人気馬アナザーレビューの5馬身1/4差5着に敗れた。本馬にとってこれが最初で最後のダート競走となった。

続くサンハシントH(T10F)では、ガリニュールS・セレクトSの勝ち馬ミッショナリーリッジ、後のカリフォルニアンS勝ち馬ラテンアメリカン、マーヴィンルロイH・カールトンFバークHの勝ち馬スーパーメイ、亜国のGⅠ競走グランクリテリウム大賞・ナシオナル大賞の勝ち馬ファナティックボーイなどを抑えて、単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の好位3~4番手を進む競馬を試みたのだが、直線では明らかにいつもの切れ味が無く、ミッショナリーリッジの4馬身半差4着に終わった。この後に骨折が判明したために半年間の休養に入った。

11月にハリウッドパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走で復帰した。ここで単勝オッズ2.5倍の1番人気に推されていたのは、チョイスH・ケルソHの勝ち馬で前年のBCマイル3着馬スターオブコジーンだった。本馬は単勝オッズ3.1倍の2番人気だったのだが、最後方追走から伸びを欠き、2着スーパーメイに1馬身1/4差をつけて快勝したスターオブコジーンから9馬身差をつけられて5着に完敗。4歳時の成績は4戦1勝に終わった。

競走生活(5歳前半)

5歳時は元日のサンガブリエルH(米GⅢ・T9F)から始動した。ここにもスターオブコジーンが出走しており、他にもエディリードH2着馬リュティエアンシャントゥール、米国移籍後にサイテーションHを勝っていた亜国のGⅠ競走グランクリテリウム大賞の勝ち馬レジャーキャット、セレブレーションマイルの勝ち馬ボールドルシアン、ロンポワン賞・ベイメドウズダービーの勝ち馬ビストロガーデンなどの姿があった。スターオブコジーンとジューンズリワードのカップリングが単勝オッズ2.4倍の1番人気に支持される一方で、マッキャロン騎手がボールドルシアンに騎乗したためにミッキー・ウォールズ騎手とコンビを組んだ本馬は単勝オッズ21.1倍で7番人気の低評価。そしてレースでも後方2番手から直線で少々差を縮めただけで、勝ったスターオブコジーンから6馬身3/4差をつけられた4着と完敗した。

続くサンマルコスH(米GⅡ・T10F)では、スターオブコジーンに加えて、前年のハリウッドダービーでパラダイスクリークの2着、ハリウッドターフCではフレイズの降着による繰り上がりながらも勝利を収めていたビエンビエン、前走2着のビストロガーデンなどが対戦相手となった。120ポンドのスターオブコジーンが単勝オッズ2.1倍の1番人気、同じく120ポンドのビエンビエンが単勝オッズ3.6倍の2番人気、114ポンドのビストロガーデンが単勝オッズ4.4倍の3番人気で、ビストロガーデンより重い116ポンドを背負った本馬は単勝オッズ13.8倍の5番人気だった。マッキャロン騎手がビエンビエンに騎乗したために、本馬の鞍上は初コンビとなるケント・デザーモ騎手だった。レースでは後方2番手を進むスターオブコジーンをマークするように最後方につけ、スターオブコジーンが上がっていくと連れて上がっていった。そのまま直線に入ると、スターオブコジーンと共に先行馬勢を次々に抜き去り、スターオブコジーンの1馬身差2着に入った。4ポンドのハンデこそ貰っていたが、前2走で全く敵わなかったスターオブコジーンに最後まで食い下がる好走だった。この後、デザーモ騎手は本馬の主戦として、引退まで全レースに騎乗することになる。

続くサンルイオビスポS(米GⅡ・T12F)にはスターオブコジーンの姿は無く、英セントレジャー・モーリスドニュイユ賞の勝ち馬トゥーロン、アメリカンダービー・ウィルロジャーズHの勝ち馬ザネームズジミー、前走サンマルコスHで本馬から2馬身差の2着だったカーニバルベイビー、ロングアイランドHの勝ち馬ヴィランドリーなどが主な対戦相手となった。トゥーロンが120ポンドのトップハンデながらも単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、前走の好走にも関わらず114ポンドだった本馬が単勝オッズ2.8倍の2番人気となった。レースでは最後方を走るトゥーロンの様子を伺いながら馬群の後方につけていたが、トゥーロンの手応えが無いと見ると、すかさず進出を開始して直線入り口では既に先頭。そのまま直線を独走して、2着カーニバルベイビーに7馬身差をつける圧勝で、米国移籍後の初グレード競走を獲得した。

勢いに乗る本馬はサンルイレイS(米GⅠ・T12F)に出走。ここにもスターオブコジーンの姿は無かったが、サンマルコスHで4着だったビエンビエン、ロイヤルホイップSの勝ち馬ジャハフィルなど3頭が本馬の前に立ち塞がった。定量戦のため斤量は全馬同じだったが、それでも前走の勝ち方が評価された本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。出走頭数が少なすぎるため、各馬の差はそれほど広がらなかったが、とりあえず本馬は最後方で様子を見た。そのままの態勢で四角に入ると、馬群の中からビエンビエンと本馬の2頭が抜け出し、残り2頭を大きく引き離して一騎打ちとなった。しかし本馬が着実にビエンビエンを離していき、最後は1馬身1/4差で勝利(3着ファストキュアはビエンビエンから13馬身後方)を収め、遂にGⅠ競走タイトルを手にした。

次走のサンフアンカピストラーノH(米GⅠ・T14F)では、米国東海岸へ長期遠征に出たスターオブコジーンの姿はやはり無かったが、ビエンビエンに加えて、前年のBCターフ・ソードダンサー招待Hの勝ち馬で前走のパンアメリカンHも勝ってきたフレイズ、亜国のGⅠ競走セレクシオン大賞と米国のGⅠ競走ラモナHの勝ち馬カンパーニャルデ、カーニバルベイビーが出走してきて、合計5頭による戦いとなった。121ポンドの本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気、123ポンドのフレイズがカンパーニャルデとのカップリングで単勝オッズ2.8倍の2番人気、119ポンドのビエンビエンが単勝オッズ4倍の3番人気となった。今回も少頭数だったが、その割には馬群が縦長になり、カーニバルベイビーを先頭に、ビエンビエン、カンパーニャルデ、フレイズ、本馬の順で走っていった。直線に入るとビエンビエンが抜け出し、それをフレイズが必死に追撃。さらに後方から来た本馬も含めた3頭による勝負となった。最後は本馬がビエンビエンを鼻差かわして、2分45秒0のコースレコードで勝利を収め、フレイズはビエンビエンから1馬身1/4差の3着に敗れた。

競走生活(5歳後半)

その後はしばらく休養し、8月のエディリードH(米GⅠ・T9F)で復帰した。目立つ対戦相手は、レジャーキャット、フォンテーヌブロー賞の勝ち馬レインボーコーナーくらいであり、他馬勢より6~9ポンド重い122ポンドのトップハンデを課せられた本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。休養明けでも本馬の走りはいつもと何も変わるところはなく、序盤は最後方に陣取り、三角から四角にかけて前との差を詰めていくと、直線半ばで先頭に立ち、2着レジャーキャットに3馬身差で勝利した。

続くデルマー招待H(米GⅡ・T11F)では、ジャンドショードネイ賞2着馬ルアズー、キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬ベイトン、ルイジアナダウンズHの勝ち馬スタークサウス、カンパーニャルデなどが対戦相手となったが、他馬勢より7~11ポンド重い123ポンドの本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の中団後方を進み、四角で位置取りを上げると、直線では逃げるルアズーを追撃した。しかしスローペースで逃げていたルアズーが、本馬より7ポンド軽い斤量も活かして粘り切ってしまい、鼻差2着に敗れた本馬の連勝は4で止まった。

次走のオークツリー招待S(米GⅠ・T12F)では、ルアズー、コーフィールドC・マッキノンS・メルボルンC・オーストラリアンCと豪州GⅠ競走4勝の名牝レッツイロープ、ラクープの勝ち馬ダロスの3頭のみが対戦相手となった。年によってハンデ競走だったり定量戦だったりするこのレースだが、この年は定量戦であり、斤量面の有利不利は無かった。そのために本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、ルアズーが単勝オッズ3.9倍の2番人気、レッツイロープが単勝オッズ5.3倍の3番人気となった。スタートが切られると、ルアズーがどんどん後続を引き離して大逃げを打った。前走で負けている相手だけに、本馬もうかうかとはしていられず、早い段階から他2頭を置き去りにしてルアズーを追撃した。そして向こう正面では早くもルアズーをかわして先頭に立ってしまった。後はそのまま先頭を突っ走るだけで、2着ルアズーに4馬身差をつけて完勝した。

その後は米国最強芝馬の称号を戴冠するべく、サンタアニタパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に挑んだ。この年のBCターフは、前年の覇者フレイズ、サンフアンカピストラーノ招待H2着後にハリウッドターフH・サンセットHを勝っていたビエンビエン、ルアズーといった地元米国の強豪芝馬勢に加えて、欧州からもコロネーションC・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・タタソールズ金杯などの勝ち馬でエクリプスS・ガネー賞・愛チャンピオンS2着のオペラハウス、英オークス・サンタラリ賞・ヴェルメイユ賞の勝ち馬イントレピディティ、米国遠征初戦だった前走ターフクラシック招待Sを勝っていたオイロパ賞・グレフュール賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬アップルツリー、仏ダービー・リュパン賞・ニエル賞の勝ち馬で愛ダービー2着のエルナンド、英1000ギニー・EPテイラーS・英チャンピオンS・オペラ賞・アスタルテ賞などの勝ち馬ハトゥーフ、愛オークス・マルレ賞などの勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のウィームズバイト、エヴリ大賞・モーリスドニュイユ賞の勝ち馬でマンノウォーS2着のセラン、ギョームドルナノ賞の勝ち馬で仏ダービー2着のデルニエアンプルールなどが参戦する豪華メンバーとなった。しかし単勝オッズ2.5倍の本馬が堂々の1番人気に支持され、オペラハウスとイントレピディティのカップリングが単勝オッズ5.1倍の2番人気、ビエンビエンが単勝オッズ5.3倍の3番人気、アップルツリーが単勝オッズ12.2倍の4番人気と続いた。

スタートが切られると、やはり先頭に立ったのはルアズーだった。オペラハウス、エルナンド、ビエンビエンなどが先行態勢を取り、外枠発走の本馬は中団やや後方を追走した。そして三角から四角にかけて外側を一気に上がって先行集団に取り付いた。直線では内側のビエンビエンとの叩き合いとなったが、競り落として半馬身差で優勝。これで米国最強芝馬の称号を手にした。

ジャパンC

その後本馬は来日してジャパンC(日GⅠ・T2400m)に出走した。BCターフの後に本馬は日本人馬主の相馬恵胤氏や岡田繁幸氏が結成した種牡馬シンジケートによって購入されており、ジャパンC出走後に引退してそのまま日本で種牡馬入りという計画が既に出来上がっていたのである。

出走馬は本馬の他に、地元日本からは、東京優駿・弥生賞・京都新聞杯の勝ち馬で菊花賞3着のウイニングチケット、前年の有馬記念で2着していたセントライト記念の勝ち馬レガシーワールド、菊花賞・天皇賞春・日経賞の勝ち馬で東京優駿2着のライスシャワー、前年の宝塚記念・有馬記念とこの年の阪神大賞典の勝ち馬メジロパーマー、目黒記念・ダイヤモンドSなどの勝ち馬マチカネタンホイザ、有馬記念で2年連続3着だった京都新聞杯・鳴尾記念・小倉記念の勝ち馬ナイスネイチャ、帝王賞・川崎記念などの勝ち馬ハシルショウグンが、海外からは、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞で2着していた伊ダービー馬ホワイトマズル、ローズヒルギニー・AJCダービー・コーフィールドSと豪州GⅠ競走3勝を挙げていた前年のジャパンC2着馬ナチュラリズム、コックスプレート・新ダービー・新国際Sの勝ち馬ザファントムチャンス、BCターフで2着ビエンビエンから1馬身1/4差の3着だったルアズー、凱旋門賞馬アーバンシー、伊2000ギニー・ローマ賞・伊ジョッキークラブ大賞の勝ち馬ミシル、メルフィンク銀行賞・ミラノ大賞の勝ち馬プラティニ、そして本馬との対戦成績が3戦3勝だったスターオブコジーンも、アーリントンミリオン・マンノウォーSを勝った上で参戦してきて、史上最強メンバーが揃ったと言われた前年に引けを取らない豪華メンバーが集まった。

海外馬の総大将格だった本馬が1番人気に支持されたが、過去のジャパンCで海外馬最上位の人気を集めた馬が勝ったためしが無かった(第4回でミスターシービーに次ぐ2番人気に推されたベッドタイムと、第11回でメジロマックイーンに次ぐ2番人気に推されたマジックナイトの2着が最高)という良からぬジンクスのためか、単勝オッズは5.2倍と圧倒的な人気にはならなかった。ホワイトマズルが単勝オッズ6.4倍の2番人気、スターオブコジーンが単勝オッズ8倍の3番人気、ウイニングチケットが単勝オッズ9.1倍で日本馬最上位の4番人気となった。

スタートが切られると予想どおりメジロパーマーが逃げ、レガシーワールドなどがそれを追走。本馬は例によって後方待機策を採り、スターオブコジーンが最後方を追走した。本馬は四角で外側に持ち出すと、かつての宿敵スターオブコジーンを置き去りにして直線一気に末脚を伸ばした。直線半ばまでは物凄い切れ味で追い込んできたが、ここで日本競馬史に残る大事件が起こった。本馬に騎乗していたデザーモ騎手が残り100mの標識をゴール板と誤認して追うのを止めてしまったのである。1秒ほど経過したところで勘違いに気付いたデザーモ騎手が再度追い出すも、ウイニングチケットとプラティニを辛くもかわすのが精一杯で、レガシーワールドに1馬身1/4届かず2着に終わってしまった。

デザーモ騎手には5万円(当時の為替レートで460ドル)の罰金が課されたが、これは1957年のケンタッキーダービーでギャラントマン鞍上のウィリアム・シューメーカー騎手がゴール版を誤認した事件において、シューメーカー騎手に課された2週間の騎乗停止処分に比べると軽いものだった。管理していたマンデラ師は、デザーモ騎手が最後まで馬を追わなかったために騎乗停止や罰金を受けていたことが以前にも何度かあったこともあり、さすがに不満の色を隠せなかった。このデザーモ騎手のゴール板誤認事件は、日本のみならず海外においても、本馬が紹介される場合には必ずと言って良いほど触れられる有名な事件である。

ミスが無ければ結果がどうなっていたかについては、日本の競馬ファンの間でも諸説あり、「着差からすれば、ミスが無くてもレガシーワールドが勝っていた」「追うのを止めるというのは、馬を減速させることを意味しており、あのまま追ってさらに加速していればコタシャーンが勝っていた」という意見に分かれて、現在でも論争になる事がある。1957年のケンタッキーダービーであれば着差が鼻差だけに、ミスが無ければギャラントマンが勝っていたとほぼ断言できるのだが、このレースについては筆者には判断できない。

なお、本馬はこのレース中に向こう正面で左前脚の蹄を負傷しており、痛みを堪えながらの豪脚だった。本馬はこの後味が悪いレースを最後に、5歳時10戦6勝の成績で予定どおり現役を引退した。この年のエクリプス賞における年度代表馬の選考においては、BCマイルで2連覇を果たしたルアーを僅差(全米サラブレッド競馬協会は13対7、全米競馬記者協会は65対53で本馬を、デイリーレーシングフォーム社は41対38でルアーを選出)で破り、年度代表馬のタイトルを獲得した(最優秀芝牡馬のタイトルも獲得)。

血統

Darshaan Shirley Heights Mill Reef Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
Hardiemma ハーディカヌート ハードリドン
Harvest Maid
Grand Cross Grandmaster
Blue Cross
Delsy Abdos Arbar Djebel
Astronomie
Pretty Lady Umidwar
La Moqueuse
Kelty ヴェンチア Relic
Rose O'Lynn
マリラ Marsyas
Albanilla
Haute Autorite Elocutionist Gallant Romeo Gallant Man Migoli
Majideh
Juliets Nurse Count Fleet
Nursemaid
Strictly Speaking Fleet Nasrullah Nasrullah
Happy Go Fleet
Believe Me Alibhai
Up the Hill
Premiere Danseuse Green Dancer Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Green Valley Val de Loir
Sly Pola
Opalia Cambremont Sicambre
Djebellica
Optimistic Never Say Die
Northern Hope

ダルシャーンは当馬の項を参照。

母オートオートリテは現役成績11戦2勝。近親にはステークスウイナーは何頭かいるが、GⅠ競走勝ち馬は見当たらない。母系から出ている著名馬は、オートオートリテの曾祖母オプティミスティックの半姉メイプルリーフの玄孫に当たる公営競馬の強豪ミスタールドルフ【ダービーグランプリ・白山大賞典】と、オプティミスティックの半姉で日本に繁殖牝馬として輸入されたマイトアンドメインの曾孫であるユウミロク【カブトヤマ記念(GⅢ)・2着優駿牝馬(GⅠ)】と、その子であるユウセンショウ【目黒記念(GⅡ)・ダイヤモンドS(GⅢ)2回】、ゴーカイ【中山グランドジャンプ(JGⅠ)2回・東京ハイジャンプ(JGⅡ)・東京オータムジャンプ(JGⅢ)】、ユウフヨウホウ【中山大障害(JGⅠ)】の3兄弟といったあたりである。母系を延々と遡ると、バーデン大賞・シザレウィッチH・ケンブリッジシャーHを制した19世紀仏国の名牝プレザントゥリに行き着く。→牝系:F19号族②

母父エロキューショニストは、プリークネスS・アーカンソーダービー・ホーソーンジュヴナイルS勝ちなど12戦9勝。種牡馬としては30頭のステークスウイナーを出してまずまずの成功を収めた。エロキューショニストの父ギャラントロメオは、本馬と同じくゴール板誤認事件の被害馬となってしまったギャラントマンの直子で、現役時代はヴォスバーグH勝ちなど29戦15勝。種牡馬としては41頭のステークスウイナーを出し、父の後継種牡馬として活躍した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は日本のレックススタッドで種牡馬入りした。初年度は57頭、2年目は67頭、3年目は53頭、4年目は73頭、5年目は37頭の繁殖牝馬を集めた。しかし受精率が悪く、1年目の産駒数は27頭(交配数に占める割合は約47%)、2年目は24頭(同36%)、3年目は18頭(同34%)、4年目は26頭(同36%)、5年目は6頭(同16%)だった。それでも産駒から活躍馬が出れば良かったのだが、殆ど活躍馬は出なかった。そのために種牡馬生活6年目に当たる1999年の交配数は0頭となり、翌2000年に愛国に輸出され、現在はアンドリュー・ウィリー・マーフィー氏が所有するバリーカラースタッドにおいて障害競走用種牡馬として供用されている。

現役時代の本馬は筋骨隆々の逞しい馬体を誇っており、ジャパンCのパドックで本馬の姿を目にした日本の競馬ファンは口を揃えて、他馬を圧倒する威圧感を放っていたと述懐している。そのため、実はドーピング薬物を使用していたのではないかとの疑惑もあり(実際に利尿剤のラシックスは使用していた)、受精率が低かったのは薬物の影響だという説も根強いが、決定的な証拠があるわけではなく真相は不明である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1997

マッキードリーム

播磨賞(姫路)

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