プレザントゥリ

和名:プレザントゥリ

英名:Plaisanterie

1882年生

鹿毛

父:ウェリントニア

母:ポエッテス

母父:トロカデロ

牝馬として史上唯一の“Autumn Double(シザレウィッチH・ケンブリッジシャーH)”両競走制覇を達成し、仏国調教馬でありながら19世紀英国有数の名牝の評価を得る

競走成績:2・3歳時に仏独英で走り通算成績18戦16勝2着2回

シザレウィッチHとケンブリッジシャーHについて

本馬を紹介する前に、シザレウィッチHとケンブリッジシャーHの2競走に関して触れなければならない。“The Cesarewitch Handicap(シザレウィッチH)”と“The Cambridgeshire Handicap(ケンブリッジシャーH)”は、いずれも1839年に英国ニューマーケット競馬場において創設され、2015年現在も続いている英国伝統のハンデ競走である。

日本では馴染みが薄い英国のハンデ競走だけに、このレースの価値を知っている日本の競馬関係者やファンは少ない。日本中央競馬会の職員である原田俊治氏すらも、著書「新・世界の名馬」の中で、グラディアトゥールがケンブリッジシャーHに出走して大敗した件について「どうしてこんなレースに出走させたのか当時首をかしげる向きが多く、今でも真相はよくわからないといわれている」という、英国の人が読んだらそれこそ首をかしげるのではと思えることを書いている状況である。

しかしこの2競走は通称“Autumn Double(オータム・ダブル)”と呼ばれ、当時は英国を代表する大競走であり、英国クラシック競走やアスコット金杯で勝ち負けしたような馬であってもこの2競走を秋の最大目標に掲げる場合が少なくなかった。現在ではグループ競走路線とハンデ競走路線が明確に分離されたために、グループ競走路線の一流馬がこの2競走に出てくる事はまず無いが、馬券的妙味があるために、同時期のクイーンエリザベスⅡ世Sや英チャンピオンSよりもこちらの方を重視する英国の競馬ファンも少なくないと聞く。米国のグレード制のようにハンデ競走もグループ格付けの対象となるとしたら、シザレウィッチHもケンブリッジシャーHもGⅠ競走に位置付けられる可能性が高いと思われ、現在でもこの2競走は英国ハンデ競走路線の最高峰レースである。しかしおそらく19世紀の当時は今以上に価値が高かったはずである。

ところで、この2競走の間隔は2週間しかない上に、シザレウィッチHの距離は18ハロン、ケンブリッジシャーHの距離は9ハロン(創設当初は8ハロン)と大きく異なっている。さらには先に施行される方を勝った馬が後に施行される方に出てきた場合(筆者注:当時はシザレウィッチHが先でケンブリッジシャーHが後だったが、現在は逆になっている)は斤量が大幅に増やされることになる。そういった事もあって、同一年にこの2競走を制覇した馬は史上4頭しかおらず、15頭が達成した英国三冠や、9頭が達成した英国牝馬三冠よりも、この“Autumn Double”制覇は難易度が高いと言える。そしてこの快挙を達成した4頭の中で唯一の牝馬が本馬なのである。

そのために本馬は仏国調教馬でありながらも、当時の英国の競馬関係者から、19世紀英国競馬史上有数の名牝として評価された。1886年6月に英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、本馬は牡馬を含めた全体の12位、牝馬ではヴィラーゴに次ぐ第2位にランクインしている。本馬より上位の11頭は全て英国調教馬(1位のグラディアトゥールは英国調教馬と言っても仏国色が強いけれども)であるから、本馬は当時の英国競馬関係者にとっては「史上最高の仏国調教馬」だったわけである。そのために当然この名馬列伝集にも登場してきたわけだが、走ったレースの大半が仏国なので、資料に乏しく、あまり詳しく紹介できないのが残念である。

誕生からデビュー前まで

仏国メネヴァル牧場においてドージェ伯爵により生産された。1歳9月に英国で実施されたタタソールズセールに出品され、トマス・カーター・ジュニア調教師により825フランで購入された。カーター・ジュニア師は英国の人だったが、仏国シャンティで厩舎を構えていた。本馬は、カーター・ジュニア師の友人である科学者H・ブイ氏とカーター・ジュニア師の共同所有馬となり、カーター・ジュニア師の調教を受けた。

競走生活(3歳中期まで)

2歳時にデビューすると、プルミエール賞を同着ながら勝ち、ディエップ賞も勝利した。仏グランクリテリウム(T1600m)では、牡馬ザコンドルの短頭差2着に惜敗した。しかし本馬はこの後にザコンドルと4度戦って全て打ち負かすことになる。2歳時の成績は3戦2勝だった。

3歳時は仏国クラシック路線には参戦せず(登録が無かったと思われる)、ひたすら裏路線を進んだ。まずはラセーヌ賞(T2400m)・カル賞・サンジャムス賞・フル賞と4連勝した。古馬相手のレースとなったプランスドガレ賞(T2400m)では、4歳牡馬マルタンペシュールの短頭差2着に敗れて生涯2度目の敗戦を喫したが、その後は再び連勝街道を邁進。ダプルモン賞・セドレ賞(T2200m)・シーモア賞に勝利した。シーモア賞では同年の仏1000ギニー・仏オークス馬バルベリーヌを撃破している。本馬は2歳時のディエップ賞でもバルベリーヌを破っており、本馬が仏国クラシック路線に出ていれば、バルベリーヌではなく本馬が仏1000ギニー・仏オークス馬の栄誉を手にしていたはずだった。

夏場には仏国外にも進出。8月に独国で出走したバーデン大賞(T3200m)では、単勝オッズ2倍の1番人気に応えて、ザコンドルを1馬身3/4差の2着に破って勝利した。仏国に戻った後も連勝を続け、シャンティ賞(T3200m)・ヴィルボン賞・オクトーブル賞・プランスドランジュ賞(T2400m)を勝利。プランスドランジュ賞では再度ザコンドルを2着に破って勝っている。

Autumn Double”への挑戦

10月には英国ニューマーケット競馬場に向かい、前述の“Autumn Double”に参戦。まずはシザレウィッチH(T18F)に出走した。本馬とは4度目の対戦となるザコンドルに加えて、この年のグレートメトロポリタンH・アスコットS・グッドウッドCを勝っていたオルソープ(翌年にはアスコット金杯を勝っている)、後のクイーンアレクサンドラS・アスコットSの勝ち馬ユーラシアン、ナッソーS2着馬チェアミアン、後のグレートメトロポリタンHの勝ち馬ポストスクリプト、本馬が勝ったバーデン大賞でザコンドルから頭差の3着だったブルーグラスなど21頭が対戦相手となった。斤量108ポンドのオルソープと、斤量94ポンドのユーラシアンの2頭の3歳牡馬が並んで単勝オッズ6倍の1番人気に支持され、106ポンドの本馬は単勝オッズ8倍の3番人気だった。

スタートが切られると斤量98ポンドの4歳牡馬キンスキーが先頭に立ち、主戦のR・ハートレー騎手が騎乗する本馬は馬群の中団を進んだ。そして直線に入ると「矢のように」伸びた本馬が楽々と馬群から抜け出し、2着ゼマに2馬身差、3着ポストスクリプトにはさらに4馬身差をつけて勝利した。

このシザレウィッチHにおける本馬の斤量は前述のとおり106ポンドだったが、この勝利により、2週間後のケンブリッジシャーH(T9F)では当初の予定より14ポンド重い124ポンドの斤量を背負うことになった。しかも対戦相手の層が非常に厚く、前年の英ダービー・ゴールドヴァーズ・シザレウィッチH・ニューマーケットフリーH・ジョッキークラブCとこの年のアスコット金杯・クイーンアレクサンドラSを勝っていたセントガティエン、4年前の英1000ギニー・英オークス・ヨークシャーオークス・ナッソーSの勝ち馬で古馬になってもドンカスターC・リヴァプールオータムCなどを勝ちこの年もゴールドヴァーズを勝つなど一線級で活躍していたテバイス、一昨年の同競走の勝ち馬でもあるハードウィックS・リンカンシャーHの勝ち馬ベンディゴ(後にエクリプスS・英チャンピオンSに勝利)、前月の英セントレジャーでメルトンの2着してきたアイソバー、リッチモンドSの勝ち馬でこの年の英チャンピオンS2着のデュークオブリッチモンド、この年のコロネーションS・グレートヨークシャーS2着・英オークス3着のシポリーナ、チェスターフィールドCの勝ち馬プリズム、ロイヤルハントCの勝ち馬イースタンエンペラー、前年のヨークシャーオークス馬クロシェット、前年の同競走3着馬ピサロ、本馬に対する雪辱に燃えるザコンドルやバルベリーヌなど26頭が本馬の前に立ち塞がってきた。このメンバー構成を見れば、当時のケンブリッジシャーHがいかに重要視されていたのかが理解できるだろう。さらにこの年の英2000ギニー・パリ大賞の勝ち馬パラドックスも参戦予定であり本命視されていたのだが、パラドックスの項に記載したように陣営内の不協和音が影響して回避となっていた。

136ポンドのセントガティエンが単勝オッズ3倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ11倍の2番人気、112ポンドの4歳牡馬ピサロと124ポンドのアイソバーが並んで単勝オッズ12.11倍の3番人気、134ポンドのベンディゴが単勝オッズ13.5倍の5番人気となった。

スタートが切られるとデュークオブリッチモンドが先頭に立ち、本馬はそれを見るように好位を進んだ。しばらく進んだところで本馬が「全くの馬なり」のまま先頭に立った。後方ではセントガティエン、テバイス、ベンディゴ、イースタンエンペラーなどが2着や3着を巡って首差や頭差の接戦を展開していたが、それとは無関係の走りを見せた本馬が、2着ベンディゴに2馬身差をつけて「非常に容易な」勝利を収めた。“Autumn Double”を達成したのは、1876年のローズベリー、1881年のフォックスホール以来4年ぶり史上3頭目であり、本馬以降に達成したのは1935年のコマンダーのみである。3歳時の成績は15戦14勝だった。

翌4歳時の5月に本馬の権利の半分を所有していたブイ氏が39歳の若さで急死した。ブイ氏の遺族はブイ氏が所有していた本馬の権利の半分をセリにかけた。カーター・ジュニア師は15万フランを支払って、その権利の残り半分を取得した。そして本馬はそのまま競走馬を引退して繁殖入りする事になった。

血統

Wellingtonia Chattanooga Orlando Touchstone Camel
Banter
Vulture Langar
Kite
Ayacanora Birdcatcher Sir Hercules
Guiccioli
Pocahontas Glencoe
Marpessa
Araucaria Ambrose Touchstone Camel
Banter
Annette Priam
Don Juan Mare
Pocahontas Glencoe Sultan
Trampoline
Marpessa Muley
Clare
Poetess Trocadero Monarque The Emperor Defence
Reveller Mare
Poetess Royal Oak
Ada
Antonia Epirus Langar
Olympia
The Ward of Cheap Colwick
Maid of Burghley
La Dorette The Ranger Voltigeur Voltaire
Martha Lynn
Gardham Mare Gardham
Langar Mare
Mon Etoile Fitz Gladiator Gladiator
Zarah
Hervine Master Wags
Poetess

父ウェリントニアは英国産馬だが、詳しい競走馬経歴は分からない。しかしウェリントニアの母アローカリアは、名繁殖牝馬ポカホンタスの15番子で、種牡馬の皇帝ストックウェル、ラタプラン、キングトムの名種牡馬3兄弟の半妹であり、その血統が評価されて種牡馬入りしたと思われる。種牡馬としては当初仏国でリース供用されたが、本馬が大活躍した1885年に正式に仏国に輸出された。その後も複数の活躍馬を出しており、種牡馬として成功した。

ウェリントニアの父チャタヌーガはオーランド産駒だが、これまた詳しい競走経歴は不明である。しかしチャタヌーガの母アヤカノラは、名繁殖牝馬ポカホンタスの9番子で、種牡馬の皇帝ストックウェル、ラタプラン、キングトムの名種牡馬3兄弟の半妹であり、その血統が評価されて種牡馬入りしたと思われる。

ほとんど同じ表現を用いた以上、当然お気づきの事だと思うが、ウェリントニアの母アローカリアとチャタヌーガの母アヤカノラは姉妹(アローカリアの8歳年下の半妹がアローカリア)であり、ウェリントニアは甥と叔母の間に産まれた子である。ただしチャタヌーガはウェリントニアと異なり種牡馬として成功はしなかった。

母ポエッテスⅡ(本馬の5代母も全く同名のポエッテスと言い、この後に頻繁に出てくるので、本馬の母はポエッテスⅡ、5代母はポエッテスⅠと表記する事にする)は仏国産馬で、これまた競走馬としての経歴は不明。本馬の全妹プランセスロワイヤルの牝系子孫にブシリス【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】が、全妹パンセの孫にプロファン【仏オークス・ヴェルメイユ賞】がいるが、いずれの牝系子孫もあまり発展しなかった。

ポエッテスⅡの祖母モンエトワールは仏グランクリテリウム・バーデン大賞・ランペルール大賞(現グラディアトゥール賞)を勝った名牝。モンエトワールの母エルヴィンヌも仏オークス・カドラン賞・ナシヨナル大賞(現グラディアトゥール賞)を勝った名牝。エルヴィンヌの母ポエッテスⅠは仏ダービーと仏オークスを勝った名牝。モンエトワールの半妹ニュースターの子にはテネブルース【仏1000ギニー・パリ大賞・プランスドランジュ賞・グラディアトゥール賞2回】が、モンエトワールの半妹ミネルヴの子にはセルポレット【仏オークス・オカール賞】が、エルヴィンヌの半弟にはグラディアトゥールの父となった名種牡馬モナルク【仏2000ギニー・仏ダービー・カドラン賞・グッドウッドC・アンペルール大賞(現グラディアトゥール賞)】が、ポエッテスⅠの半姉ミスアネット【カドラン賞・ロイヤル大賞(現グラディアトゥール賞)】の娘にはアネッタ【仏2000ギニー・カドラン賞】、アネッタの子にはバウンティ【仏2000ギニー・仏オークス】、セレブリティ【仏グランクリテリウム・仏ダービー】、ダームドヌール【仏オークス】がおり、本馬の牝系は当時の仏国を代表する名門である。→牝系:F19号族②

母父トロカデロは、本馬の4代母エルヴィンヌの半弟である前述のモナルク産駒で、バーデン大賞を筆頭に、アンペルール大賞(現リュパン賞)・ドーヴィル大賞・グラディアトゥール賞・ラクープ・レインボー賞2回などを勝っている。同父のグラディアトゥールと異なり種牡馬として成功しており、モナルクの後継種牡馬の1頭となった。

本馬の母ポエッテスⅡはポエッテスⅠの3×4のインブリードを有しており、かなり仏国色が強い。一方で本馬の父ウェリントニアはポカホンタスの2×3のインブリードを有している。言うなれば本馬は、英国競馬の結晶と仏国競馬の結晶が融合した結果誕生した、仏英混合の名牝というわけである。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で繁殖入りした。繁殖牝馬としてもなかなかの活躍を示した。

8歳時に産んだ牡駒チャイルドウィック(父セントサイモン)はシザレウィッチHを勝って母子制覇を果たした他に、ライムキルンSで名馬オームを2着に破って勝利した。チャイルドウィックは種牡馬としても成功しており、フォレ賞・仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞・カドラン賞・バーデン大賞・サブロン賞・イスパーン賞2回などを勝った20世紀初頭の仏国を代表する名牝ラカマルゴなどを出している。

10歳時に産んだ牡駒ラカンター(父セントサイモン)はデューハーストプレートを勝利した。

19歳時に産んだ牝駒トピアリー(父はライムキルンSでチャイルドウィックに負かされたオーム)は、英セントレジャー・エクリプスS・英チャンピオンS・セントジェームズパレスS・サセックスSを勝ったトレーサリーの母となった。

本馬の没年は不明だが、記録に残る最後の子であるトピアリーを産んだ1901年以降であるのは確かである。

本馬の牝系子孫はあまり発展していないが、トピアリーを経由して後世に伸びている。この牝系から登場した最大の大物はジャパンCにも参戦した1993年のエクリプス賞年度代表馬コタシャーン【BCターフ(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・エディリードH(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)】で、他にも日本で走ったミスタールドルフ【ダービーグランプリ】、ゴーカイ【中山グランドジャンプ(JGⅠ)2回】、ユウフヨウホウ【中山大障害(JGⅠ)】などが出ている。

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