ポカホンタス
和名:ポカホンタス |
英名:Pocahontas |
1837年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:グレンコー |
母:マルペッサ |
母父:ミュレー |
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競走馬としては未勝利に終わったが種牡馬の母として大成功を収め、後世に与えた影響力においてはサラブレッド史上最高の繁殖牝馬と言われる |
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競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績10戦未勝利2着3回3着1回(異説あり) |
競走馬としては振るわなかったが、母として3頭の名種牡馬と、4頭の名繁殖牝馬を産み、19世紀半ばにおける英国競馬界をリードした大繁殖牝馬。後世のサラブレッド血統界に与えた影響力は絶大で、本馬の血を引かないサラブレッドは現存していない。サラブレッド史上最も影響力がある繁殖牝馬と言われるだけでなく、牡馬を含めても最も影響力がある馬の1頭と言われるほどである。
誕生からデビュー前まで
父グレンコーと母マルペッサ、それぞれの初年度産駒として英国で誕生した。グレンコーは英2000ギニー・グッドウッドC・アスコット金杯を勝った名馬だが、僅か1世代の産駒を残して米国に輸出されていった。本馬はその1世代の中から登場した唯一にして最大の傑作である。グレンコーは米国でも8度の首位種牡馬に輝き、19世紀の米国競馬に絶大な影響を与えた大種牡馬であるが、グレンコーの重要性は英国に残してきた本馬1頭に凝縮されていると後に言われるほどだった。マルペッサは英国王ウィリアムⅣ世の所有馬で、ハンプトンコートにある英国王立牧場で繁殖入りしていた。従って、本馬の生産者はウィリアムⅣ世という事になるが、本馬が産まれた直後の1837年6月にウィリアムⅣ世が肝硬変のため71歳で死去すると、ハンプトンコートにいたウィリアムⅣ世の所有馬は全てセリに掛けられた。マルペッサと生後間もない本馬は一緒にストラドブローク卿という人物に230ギニーで購入されたが、すぐに本馬のみが62ギニーで転売された。新しく本馬の所有者となったジョン・グレートレックス氏は、ジョン・フォース調教師に本馬を預けた。本馬は体高14.3ハンドと非常に小柄だったが、均整のとれた美しい馬体の持ち主で、将来を嘱望される馬だった。
競走生活
2歳時はクリテリオンS(T6F)で、ジブラルタルとクルシフィックスの同着勝利に次ぐ3着に入った1戦のみの出走だった。
3歳時はいきなり英オークス(T12F)から始動。このレースには英1000ギニー・英2000ギニーを勝ってきたクルシフィックスも出走してきたのだが、本馬は余程素質が評価されていたのか、クルシフィックスを抑えて1番人気に支持された。しかし結果はクルシフィックスが勝ち、レース前から焦れ込んでいた本馬は4着に敗れた。その後はグッドウッドC(T21F)に出走したが、何の見せ場も無く、5歳牡馬ベッガーマンの5着に敗れた。2着は前年のケンブリッジシャーHの勝ち馬で翌年のアスコット金杯を勝つラナーコストで、3着はエアー金杯・リヴァプールセントレジャーの勝ち馬ヘットマンプラットオフだった。3歳時の成績は3戦未勝利だった。
4歳時にもグッドウッドC(T21F)に出走したが、英セントレジャーやドンカスターCに勝っていた5歳牡馬チャールズザトゥエルフス(5歳時の成績は11戦10勝と半ば無敵だった)の4着に敗退した。このグッドウッドCの後に、本馬の所有者はグレートレックス氏からウィリアム・シアボールド氏という人物に変わった。そしてシザレウィッチH(T18F)に出走したが、未勝利馬の割には厳しい斤量を課せられたせいもあってか、同世代の牝馬イリオナの着外に敗れた。引き続きケンブリッジシャーH(T8F)に出走したが、ここでも同世代の牡馬バルカンの着外に敗れた。その次に出走したレースでは2着に入ったが、結局4歳時も4戦未勝利に終わった(ただし、本馬はケンブリッジシャーHには出走していないとする資料もあり、その場合は3戦未勝利となる)。
5歳時も走っており、距離5ハロンのヒート競走で1回だけ1着となっている(ヒート競走は2回連続で1着にならなければ勝利にならないため勝ち星にはカウントされない)。この年には2戦して2回とも2着になっているが、しかし結局最後まで勝ち星を挙げられないまま、5歳時に競走馬を引退した。
本馬が競走馬として高い潜在能力を有していたのはおそらく間違いない。しかし、非常に激しい気性の持ち主で、暴走気味に大逃げを打ってゴール前で失速というレースぶりが多かったらしい。また、喘鳴症を患っており、それもまた本馬の競走実績に災いした。もっとも、未勝利に終わったのは、レベルが高い競走に多く出たせいでもあり、出走するレースのレベルを下げれば勝ち星を挙げられた可能性が高いと思われる。
血統
Glencoe | Sultan | Selim | Buzzard | Woodpecker |
Misfortune | ||||
Alexander Mare | Alexander | |||
Highflyer Mare | ||||
Bacchante | Williamson's Ditto | Sir Peter Teazle | ||
Arethusa | ||||
Mercury Mare | Mercury | |||
Herod Mare | ||||
Trampoline | Tramp | Dick Andrews | Joe Andrews | |
Highflyer Mare | ||||
Gohanna Mare | Gohanna | |||
Fraxinella | ||||
Web | Waxy | Pot-8-o's | ||
Maria | ||||
Penelope | Trumpator | |||
Prunella | ||||
Marpessa | Muley | Orville | Beningbrough | King Fergus |
Fenwick's Herod Mare | ||||
Evelina | Highflyer | |||
Termagant | ||||
Eleanor | Whiskey | Saltram | ||
Calash | ||||
Young Giantess | Diomed | |||
Giantess | ||||
Clare | Marmion | Whiskey | Saltram | |
Calash | ||||
Young Noisette | Diomed | |||
Noisette | ||||
Harpalice | Gohanna | Mercury | ||
Dundas Herod Mare | ||||
Amazon | Egremont's Driver | |||
Fractious |
父グレンコーは当馬の項を参照。
母マルペッサは2歳時にニューマーケットナーサリーSを勝ち、3歳時にはグッドウッドレーシングSに勝ち、ニューマーケット競馬場で行われた英オークス馬ベスパとのマッチレースにも勝利した活躍馬だった。しかしマルペッサやその母クレアはいずれも喘鳴症を患っていた。本馬も現役時代に喘鳴症を発症したが、それはおそらく母系から受け継いだと思われる。マルペッサは母としては本馬の半弟イーダ(父リヴァプール)【英2000ギニー・セントジェームズパレスS】も産んでいる。また、本馬の半妹ザボーディングスクールミス(父プレニポテンシャリー)の牝系子孫には、ギャロッパーライト【パリ大賞】、カウントアーサー【ジョッキークラブ金杯・マンハッタンH】、カフェプリンス【米グランドナショナル】、ミステリアス【英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・ヨークシャーオークス (英GⅠ)】、ジェイオートービン【スワップスS(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)】、スカイジャック【ハリウッド金杯(米GⅠ)】などがいる。→牝系:F3号族①
母父ムーリーは現役成績4戦2勝。無尽蔵のスタミナを有すると評された英セントレジャー馬オーヴィルと、英ダービー・英オークスを連覇した名牝エレノアの間に産まれた良血馬。競走馬としては活躍できなかったが、種牡馬としては3頭の英国クラシック競走勝ち馬を出して成功している。
競走馬引退後
5歳で競走馬を引退した本馬は、シアボールド氏がテムズ川の南岸にあるストックウェル村に所有していたストックウェルスタッドで繁殖入りした。
6歳時には初子の牡駒キャンバウレス(父キャメル)を産んだが、この子は喘鳴症を受け継いでしまっており、入着が1回あるだけの未勝利に終わった。
7歳時は不受胎のため産駒がおらず、8歳時に2番子の牡駒(父はキャメル又はムーリーモロク)を産んだが、この子も喘鳴症を受け継いでおり、名前も付けられないまま不出走に終わった。
9歳時には3番子の牝駒ドリーバーデン(父ムーリーモロク)を産んだ。ドリーバーデンは本馬の子として初めての勝利を挙げたが、結局勝ち星はその1勝のみと大きな活躍は出来なかった。ドリーバーデンは後に仏国で繁殖入りしたらしいが、繁殖牝馬としても活躍は出来なかった。
10歳時は不受胎のため産駒がおらず、11歳時には4番子の牝駒インディアナ(父ムーリーモロク)を産んだ。インディアナは競走馬としては1回も入着できないまま未勝利に終わったが、後に繁殖入りして牝系を伸ばす事になる。
ここまで本馬が産んだ子の競走成績は惨憺たるものだが、12歳時に産んだ5番子の牡駒がようやく活躍した。シアボールド氏が所有する種牡馬ザバロンとの間に産まれたこの牡駒は、生誕地の名前にちなんでストックウェルと命名された。母である本馬とは異なり非常な巨漢馬であり、逆に身体が大きすぎて周囲の人間からは不評だった。また、気性についても紳士的だったという説と、母に似て気性が激しかったという説の相反する意見が存在する(一般的には気性が激しかったという説が有力である)。しかしながらストックウェルの競走成績は素晴らしく、英2000ギニー・英セントレジャー・ニューマーケットS・グレートヨークシャーS・フォールS・グランドデュークマイケルS・ニューマーケットセントレジャーに勝つなど16戦11勝の成績を挙げ、本馬の産駒としては最初にして最高の傑作となった(詳細は当馬の項を参照)。そしてストックウェルは後に種牡馬としても大成功し、本馬の繁殖牝馬としての名声を高めた最大の功労馬ともなった。
本馬がストックウェルを産んだ年の10月にシアボールド氏が83歳で死去したため、本馬を含むシアボールド氏の所有馬は全てセリに掛けられた。そして本馬はセルーソン大佐という人物によって260ギニーで購入された。翌13歳時には6番子の牡駒ラタプラン(父ザバロン)を産んだ。ラタプランは全兄ストックウェルほどの巨体ではなかったが、成長すると体高16ハンドに達したというからやはり当時としては大柄な馬であり、母である本馬の体格とはまるで異なっていた。ラタプランもストックウェルと同じく身体構成面において周囲の人間から不評だった。力強くはあったが、動きがぎこちなくて速さを感じさせない馬だったという。しかしラタプランは主に長距離戦で活躍し、ドンカスターC・アスコットゴールドヴァーズ勝ちなど82戦42勝の好成績を残した。英ダービー・英セントレジャーにも出走しているが、前者はウエストオーストラリアンの4着、後者も史上初の英国三冠馬となったウエストオーストラリアンの3着に敗れている。ラタプランは種牡馬として成功を収めたストックウェルの全弟という事で人気種牡馬となり、兄には及ぶべくも無いが種牡馬として成功を収めることになる。
14歳時に7番子の牡駒キングトム(父ハーカウェイ)を産んだ。父親が違うためかどうかは定かではないが、キングトムはストックウェルやラタプランほど大柄な馬ではなかった。膝には不安を抱えていた上に、体力面でも問題があった。2歳時には3戦してトリエニアルSなど2勝を挙げたが、その後に故障のため長期休養入り。復帰戦は3歳時唯一の出走となった英ダービーであり、まだ十分に故障が治癒していない状態で走ったにも関わらず、アンドーヴァーの首差2着に入り、英2000ギニー馬ザハーミットに先着した。4歳時も走り1勝を上積みしたが、シザレウィッチHのレース中に故障して現役引退に追い込まれた。種牡馬入りしたキングトムは、ストックウェルほどではないにしても、ラタプランを上回るほどの成功を収めることになる(詳細は当馬の項を参照)。
15歳時には8番子の牡駒ストルード(父チャタム)を産んだが、ストルードは幼少期に負傷した影響もあって未勝利に終わった。本馬が15歳の年に前述のストックウェルが英2000ギニー・英セントレジャーを勝つ大活躍を見せたため、本馬はストックウェルの所有者だった第2代エクセター公爵ブラウンロー・セシル卿により購入され、セシル卿がニューマーケットに所有していた牧場に移動した。
16歳時は不受胎で産駒がおらず、17歳時に9番子の牝駒アヤカノラ(父バードキャッチャー)を産んだ。アヤカノラは英ホープフルS・ニューマーケットコラムSの2勝を挙げ、英1000ギニーでは3着だった。競走馬としてはまずまずの成績だったアヤカノラは、繁殖牝馬としては本馬の牝系を最も繁栄させる立役者となる。
18歳時は10番子の牡駒ザナイトオブカーズ(父ナットウィズ)を産んだ。ザナイトオブカーズは勝ち上がった程度で大きな活躍は出来なかった。種牡馬としても兄達ほどの活躍は出来なかったが、それでも英グランドナショナルを2連覇したザコロネルを出すなど、それなりの種牡馬成績を残した。
19歳時は11番子の牝駒ヒロインオブラクナウ(父ナットウィズ)を産んだ。ヒロインオブラクナウは不出走に終わったが、やはり後世に牝系を伸ばす事に成功する。
20歳時は不受胎で産駒がおらず、21歳時に12番子の牡駒ナイトオブセントパトリック(父ナイトオブセントジョージ)を産んだ。ナイトオブセントパトリックは喘鳴症を受け継いでいたが、それでもニューマーケットコラムSなど4勝を挙げた。種牡馬としても英2000ギニー馬モスレムを出すなど一定の成績を残した。
22歳時は不受胎で産駒がおらず、23歳時に13番子の牡駒オートメーション(父アンブローズ)を産んだ。オートメーションは3勝を挙げた。2歳時のアビントンマイルでは後の英2000ギニー・英ダービー馬マカロニに生涯唯一の黒星をつけており将来を嘱望されたが、3歳時に夭折してしまった。
24歳時には14番子の牝駒オーリキュラ(父アンブローズ)を産んだ。オーリキュラは競走馬として3勝を挙げたが、牝系を伸ばす事は出来なかった。
25歳時には15番子の牝駒アローカリア(父アンブローズ)を産んだ。3歳になってデビューしたアローカリアは、スタンフォードプレートで英1000ギニー馬シベリアを破る活躍を見せたが、例によって喘鳴症を患っており、競走馬としてはそれ以上の活躍は出来なかった。しかし繁殖入りして大きな成功を収めることになる。
26歳以降も本馬は繁殖生活を続けたが、さすがに不受胎続きで、もう子を産む事はなかった。30歳時の1867年にセシル卿が死去すると、その相続人の1人である第3代エクセター公爵夫人により10ギニーで購入され、バーリーパークに移り住んだ。その後はバーリーパークで余生を送り、1870年に33歳という高齢で他界した。バーリーパークには、本馬の蹄により作られた銀メッキのインク壺が残されており、そこの宝物となっているらしい。
後世に与えた影響
さて、本馬が偉大な繁殖牝馬と言われるのは、産駒の繁殖入り後の活躍ぶりと、後世に与えた影響の大きさに基づく。
最も活躍したのはストックウェルで、英国クラシック競走勝ち馬を12頭出して英首位種牡馬に7度輝き、別名“Emperor of Stallions(種牡馬の皇帝)”と呼ばれるほどの活躍を示した。
ラタプランも英ダービー馬ケトルドラムなどを出し、ストックウェルには及ばぬまでも優秀な種牡馬成績を残した。
キングトムは英国牝馬三冠馬ハンナ、英ダービー馬キングクラフトなど5頭の英国クラシック競走勝ち馬を出し、2度の英首位種牡馬になったが、何と言ってもキングトム最大の功績はセントサイモンの母父となった事であろう。
また、上記3頭には及ばないにしても、ナイトオブカーズやナイトオブセントパトリックも前述のとおり一定の成功を収めた。
また、本馬の牝系も後世に大きな影響を与えている。
インディアナの玄孫にはカスバ【仏オークス】が出て、カスバの子には20世紀初頭における仏国の伝説的名牝キジルクールガン【仏1000ギニー・仏オークス・リュパン賞・パリ大賞】が出た。さらにキジルクールガンの子にはクサール【凱旋門賞2回・リュパン賞・仏ダービー・ロワイヤルオーク賞・カドラン賞】、牝系子孫にはアッサガイ【ユナイテッドネーションズH・マンノウォーS】、カルティエ賞最優秀長距離馬2回のパーシャンパンチなどが出ている。キジルクールガンの全妹キジルソウの孫にはカンタール【凱旋門賞・仏グランクリテリウム・イスパーン賞】が出るなど、インディアナの牝系子孫は仏国の名門牝系として一世を風靡した。
アヤカノラの牝系子孫からは、ダークスター【ケンタッキーダービー】、イントレピディティ【英オークス(英GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、ポッシブリーパーフェクト【イエローリボンS(米GⅠ)・サンタアナH(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅠ)・ゲイムリーS(米GⅠ)・ラモナH(米GⅠ)・ビヴァリーDS(米GⅠ)】、日本で走ったギャロップダイナ【天皇賞秋(GⅠ)・安田記念(GⅠ)】、アーネストリー【宝塚記念(GⅠ)】、グレープブランデー【ジャパンダートダービー(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)】などが出ている。
ヒロインオブラクナウの牝系子孫からは南米における活躍馬が多く出ており、現在でも南米における名門牝系の1つとなっている。
アローカリアは本馬の後継繁殖牝馬の中で最も直子の競走成績が優れた馬であり、カメリア【英1000ギニー・英オークス】、シャマン【英2000ギニー・デューハーストプレート・ミドルパークプレート】、レヨンドール【英セントレジャー・カドラン賞・英チャンピオンS・サセックスS・セントジェームズパレスS】と3頭の英国クラシック競走の勝ち馬を産んだ。アローカリアの牝系子孫からは、昭和初期における日本の名種牡馬チャペルブラムプトン、ハロウェー(有馬記念馬スターロッチや東京優駿勝ち馬タニノハローモアなどの父)、ダンテ【英ダービー・ミドルパークS】、サヤジラオ【愛ダービー・英セントレジャー】などが出ている。
本馬の牝系子孫は21世紀になっても続いており、日本でも大競走の勝ち馬こそ少ないが多くの重賞勝ち馬が近年も出ている。しかし本馬の牝系子孫は世界的に見て圧倒的な繁栄ぶりを示しているほどではなく、本馬の繁殖牝馬としての功績は、ストックウェルとキングトムの2頭を産んだ事に尽きると言っても過言ではないだろう。とある研究によると、本馬が後世のサラブレッドに与えた影響力は、19世紀のサラブレッド中第5位(血量換算)とされている。上位の4頭であるセントサイモン、ガロピン、タッチストン、ストックウェルはいずれも1年に数十頭の産駒を残せる牡馬であることを考えると、牝馬である本馬のこの影響力は確かに凄まじい。なお、日本では本馬の事を“繁殖牝馬の皇后”と表現する場合が多いが、筆者が調べた範囲内における海外の資料にはこの呼称は見当たらない。息子のストックウェルは海外でも“Emperor of Stallions(種牡馬の皇帝)”と表現されているから、そこからの連想だろうか。しかし皇帝の母親であれば皇后ではなく皇太后ではないだろうか。余談だが、海外において“Empress of Broodmare(繁殖牝馬の女帝、又は皇后)”と呼ばれるのは、サラブレッドではなく19世紀におけるアメリカントロッターの名繁殖牝馬ミネハハの事である。また、サラブレッドにおいて牝系を経由して受け継がれるX染色体の研究において、最大の研究対象となっているのはエクリプス、セクレタリアト、本馬の3頭であり、豪州の血統研究家マリアンナ・ホーン氏の著書“X-Factor”においては詳しく触れられている。有名なセクレタリアトの超巨大な心臓は、やはり大きな心臓の持ち主だったエクリプスに由来しており、この心臓の大きさを、時代を超えて受け継がせたのは本馬が子孫にばらまいたX染色体であるらしいのだが、筆者には今ひとつぴんと来ない内容なので、ここで詳しく述べることはしない。