タッチストン
和名:タッチストン |
英名:Touchstone |
1831年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:カメル |
母:バンター |
母父:マスターヘンリー |
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当初は全く期待されていなかったが人気薄の英セントレジャーを勝利してから本領を発揮してアスコット金杯を2連覇し種牡馬としても成功して現在もその直系を残す |
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競走成績:2~6歳時に英で走り通算成績21戦16勝2着2回3着2回(公式記録のみ) |
競走成績も一流だったが、種牡馬として4度の英首位種牡馬に輝き、さらには直系子孫から19世紀後半を代表する名種牡馬達を続出させた大種牡馬で、19世紀英国において最も影響力が大きかった種牡馬だったとも評される。しかしそんな本馬も、血統や馬格の悪さに加えて、調教時の動きも悪く、人気薄で英セントレジャーを勝つ以前は無名に近い馬だった。
誕生からデビュー前まで
初代ウェストミンスター侯爵ロバート・グローヴナー卿が所有するグローヴナースタッドにおいて、母バンターの初子として誕生した。父カメルの馬名は「駱駝」という意味で、その名が示すとおり、脚が短くてずんぐりとした不格好な体つきの馬だった。ただし、脚力の強さには見るべきものがあったという。母バンターの馬名は「冗談、ひやかし」という意味(ちなみに本馬の半妹サーカズム(Sarcasm)は「皮肉」、同じく半妹のジョコース(Jocose)は「滑稽」という意味)で、血統的にも競走成績的にも馬格的にも目立たない馬だった。
そんな両親の下で産まれた本馬は、幼少期は虚弱な馬であり、成長しても母と同じ体高15.2ハンドにしかならなかった。また、何故か肋骨が19対あったという(サラブレッドの肋骨は通常18対である)。脚は太くて短く、しかも膝を完全に真っ直ぐにして走るという奇怪な走り方をしていたそうであり、走り始めた直後の加速力は極めて悪かった。唯一の取り柄は後脚の力が強いことくらいだったという。そんな本馬に買い手がつくわけもなく、無料でも要らないと言われてしまうほどだった。そのため、グローヴナー卿が自らの名義で走らせることになった。
後に初代英国三冠馬ウエストオーストラリアンなどを手掛けることになる名伯楽ジョン・スコット調教師に預けられたが、育成段階においても非常にエンジンのかかりが遅く、調教で優れた走りを見せることは出来なかった。そのため、周囲の人間からの評価は「いつまで経っても走り出さない、非常に怠惰な馬」という厳しいものだった。
競走生活(2・3歳時)
2歳時にリッチフィールド競馬場で行われたプロデュースSでデビューしたが、たまたま対戦相手が集まらなかったために単走で勝利した。10月にはホーリーウェルハント競馬場でシャンペンS(ドンカスター競馬場で行われる現GⅡ競走のシャンペンSとは別競走)に出走したが、4歳牝馬クイーンベスとシャトーマルゴーの2頭に屈して3着に敗れた。2歳時の成績は2戦1勝だった。
3歳初戦は5月にチェスター競馬場で行われたディーS(T12F)となった。ここではシャンペンSで本馬を破って勝利したクイーンベスとの再戦となったが、クイーンベスなど5頭を蹴散らして勝利した。翌日のパラタインSでも、再度クイーンベスを破って勝利した。3歳3戦目となった7月のリヴァプールセントレジャーではジェネラルシャッセの2着だったが、クイーンベスや当時の有力馬インヘリッターには先着した。
グローヴナー卿の息子である第2代ウィルトン伯爵トマス・エジャートン卿とスコット師は、本馬は英セントレジャーで好勝負できる器だと感じ、スコット師がノースヨークシャー州マルトンに所有していた訓練場に本馬を送り込んだ。しかし本馬は訓練場に向かう道中を延々と歩かされたため、途中で逃亡して行方不明になり、数時間後に船員により発見されるという一幕もあった。それが影響したのかどうかは不明だが、結局マルトンにおける調教は失敗したようで、しかも球節が肥大するという脚部不安を抱えるようになってしまっていた。
それでも陣営は諦めずに本馬を英セントレジャー(T14F132Y)に向かわせた。陣営は、過去に何度か本馬に騎乗していた名手ウィリアム・スコット騎手に騎乗依頼を出したのだが、本馬の肥大した球節を見たスコット騎手はそれを拒否して、レディデグロスという馬に騎乗した。レディデグロス以外の対戦相手は、英ダービーやセントジェームズパレスSなど6戦無敗のプレニポテンシャリーや、リヴァプールセントレジャーで本馬に勝っていたジェネラルシャッセなどで、本馬を含めて出走馬は11頭だった。プレニポテンシャリーが単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持される一方で、ジョージ・キャロウェイ騎手が騎乗することになった本馬は単勝オッズ41倍の低評価だった。ただし、プレニポテンシャリーはレース直前に「まるで馬ではなく豚である」と評されたほど異常に仕上がりが悪く、賭けていた人達が慌てて他馬に賭けるほどだった。3回ものスタートのやり直しを経てようやく始まったレースでは、ブバステスという馬が先手を取り、本馬は後方待機策を採った。体調が悪かったプレニポテンシャリーは早々に脱落。それに対して本馬は掛かり気味に先団に取り付くと瞬時に抜け出して、最後は2着ブランに4馬身差(2馬身差とする資料もある)をつけて圧勝してみせた。レース前に何者かに毒物を盛られていたとも噂されたプレニポテンシャリーは10着、本馬をふったスコット騎手が騎乗したレディデグロスも着外だった。本馬が勝利した直後のドンカスター競馬場は驚きの色に包まれていたという。
直後のドンカスターCには出走せず、代わりにウェールズにあるレクサムという都市で行われた無名の小レースに出走して勝利。次走のモスティンSでは、イントリガーとバードライムの2頭に屈して3着に敗れた(2着とする資料もある)。同日にはチーフテンSを単走で勝利し、3歳時の成績は7戦5勝となった。
競走生活(4・5歳時)
4歳時は初戦のチェスタースタンドCを単走で勝利した。次走のリヴァプールCでは、生涯唯一の着外となる6着に終わった。しかし単勝オッズ4倍で出走したドンカスターC(T18F)ではスコット騎手を鞍上に、17ポンドのハンデを与えたホーンシー(同年の英セントレジャー2着馬で翌年のグッドウッドCの勝ち馬)や、英セントレジャーで3着だった同斤量のジェネラルシャッセといった強敵相手に勝利した。この年は他にも同日に行われたヒートンパークゴールドプレート・ヒートンパーク金杯の2競走や、ドンカスター競馬場で出走した300ソヴリン競走(130ソヴリンとする資料もある)、ホーリーウェルハント競馬場で出走した無名競走にも勝利。モスティンSでは、道中で鞭を打たれそうになったのを嫌がって逸走してしまい、牝馬ユーズリーの2着に敗れた。4歳時の成績は8戦6勝だった。
5歳時にはアスコット金杯(T20F)に出走。ここでは、英セントレジャー・ドンカスターC・グッドウッドCなどを勝っていた1歳年上の強豪ロッキンガム、前年のアスコット金杯でグレンコーの2着していた一昨年の英セントレジャー2着馬ブランとの対戦となったが、本馬が2着ブランに2馬身差で優勝した。秋のドンカスターC(T18F)では、英シャンペンSの勝ち馬で後にアスコット金杯・ドンカスターC4回を勝つ2歳年下の名牝ビーズウイング(後に本馬との間に英2000ギニー馬ナニーカークや英セントレジャー馬ニューミンスターを産んでいる)、後にこの年のグッドウッドCを勝つカルー、この年の英ダービーでベイミドルトンの3着していたヴェニソンといった強敵が挑んできたが、本馬が勝利を収めて同競走の2連覇を達成。この年は他にヒートンパーク金杯も勝利して、5歳時は3戦全勝の成績を残した。
現役最後のシーズンとなった6歳時の出走はアスコット金杯(T20F)の1度切りだった。ここでは単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気に支持され、2着となった後の英首位種牡馬スレインに6馬身差、3着ロイヤルジョージにはさらに5馬身差をつける圧勝を飾り、引退の花道を飾った。
1886年6月に英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、第22位にランクインした。
血統
Camel | Whalebone | Waxy | Pot-8-o's | Eclipse |
Sportsmistress | ||||
Maria | Herod | |||
Lisette | ||||
Penelope | Trumpator | Conductor | ||
Brunette | ||||
Prunella | Highflyer | |||
Promise | ||||
Selim Mare | Selim | Buzzard | Woodpecker | |
Misfortune | ||||
Alexander Mare | Alexander | |||
Highflyer Mare | ||||
Maiden | Sir Peter Teazle | Highflyer | ||
Papillon | ||||
Phoenomenon Mare | Phoenomenon | |||
Matron | ||||
Banter | Master Henry | Orville | Beningbrough | King Fergus |
Fenwick's Herod Mare | ||||
Evelina | Highflyer | |||
Termagant | ||||
Miss Sophia | Stamford | Sir Peter Teazle | ||
Horatia | ||||
Sophia | Buzzard | |||
Huncamunca | ||||
Boadicea | Alexander | Eclipse | Marske | |
Spilletta | ||||
Grecian Princess | William's Forester | |||
Coalition Colt Mare | ||||
Brunette | Amaranthus | Old England | ||
Second Mare | ||||
Mayfly | Matchem | |||
Starling Mare |
父カメルはホエールボーン産駒。距離2マイルのポートSを2勝するなど、いくつかの勝ち星を挙げているが、主要競走の勝ち鞍はない。馬格のみならず競走成績にも特に見るべきものが無い馬だったが、本馬を出したことにより競馬史にその名を刻むことになった。本馬以外の代表産駒は、本馬の全弟でもある英セントレジャー馬ラーンスロット、アスコット金杯の勝ち馬キャラバンなどで、本馬が競走馬を引退した翌年の1838年には英首位種牡馬になっている。
母バンターは現役時代2勝を挙げた。本馬の全弟ラーンスロット【英セントレジャー・英シャンペンS】なども産んだ名繁殖牝馬である。さらにバンターの牝系子孫はかなり発展している。まず、本馬の半妹サーカズム(父テニールス)の子にはサティリスト【英セントレジャー・セントジェームズパレスS・ゴールドヴァーズ・トライアルS(現クイーンアンS)】がいる。本馬の半妹モトリー(父パンタルーン)の牝系子孫からは、カルティエ賞年度代表馬バラシア、高松宮記念の勝ち馬ファイングレインなどが出ている。本馬の全妹パスクゥイネイドの子にはザリーベル【トライアルS】、スランダー【ニューS】、牝系子孫には名種牡馬ラブレー、英2000ギニー馬テトラテーマ、アスコット金杯などの勝ち馬シェシューン、仏ダービー馬シャルロットヴィル、カルティエ賞年度代表馬リッジウッドパール、エクリプス賞最優秀短距離馬アータックス、日本で走ったアチーブスター、ゴールドレット、イソノルーブル、マヤノトップガンなどがいる。本馬の半妹ジョコース(父パンタルーン)の子にはマカロニ【英2000ギニー・英ダービー・ドンカスターC】、牝系子孫にはブラックマリア【ケンタッキーオークス・メトロポリタンH・ホイットニーS】、ポリネシアン【プリークネスS・ウィザーズS】などがいる。本馬の半妹である無名馬(父パンタルーン)の牝系子孫からは、19世紀豪州が誇る9戦無敗の名馬にして名種牡馬であるグランフラヌール【メルボルンC・AJCダービー・ヴィクトリアダービー】、チャタム【コックスプレート2回・エプソムH2回・コーフィールドS・オールエイジドS・ドンカスターマイル】、1946年の米最優秀2歳牡馬で4度の北米母父首位種牡馬に輝いたダブルジェイ【ガーデンステートS・アメリカンH】などが出ている。あと、本馬の半妹レイリー(父パンタルーン)の子にはロードオブザヴェイル【ジムクラックS】がいる。
バンターの母ボーディカは12歳時までは主に狩猟用馬として使役されており、それまでに産んだ子は1頭のみだった。グローヴナー卿の所有馬となってから本格的に繁殖生活に入り、19歳時にバンターを産んでいる。バンターの半姉エチケット(父オーヴィル)、バーサ(父ルーベンス)はいずれも牝系を発展させており、特にエチケットの牝系子孫からは所謂ファミリーナンバー14号族出身の著名馬のうち、バンターの子孫を除くほぼ大多数が輩出されている。ここにその全てを列挙するのは大変な労力なので、ここではプリティポリー1頭の名前を挙げてお茶を濁しておく。→牝系:F14号族②
母父マスターヘンリーはオーヴィル産駒。詳細な競走成績は不明だが、何度かのプレートレースで好成績を収めたようである。種牡馬としては活躍しなかった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はグローヴナー卿が所有するハートフォードシャー州ムーアパークスタッドで種牡馬入りした。後にやはりグローヴナー卿所有のチェシャー州イートンスタッドに移動している。本馬は種牡馬として大きな成功を収め、1842・43・48・55年と計4度の英首位種牡馬に輝いた。産駒は合計343頭おり、それらが計738勝をマークしている。その中には英国クラシック競走全ての勝利も含まれている。自身は明らかに仕上がりが遅い長距離馬だったが、産駒は仕上がりが早い馬も多く、短い距離でもよく走った。晩年まで現役種牡馬として活躍した本馬は、種牡馬引退後も訪問客の相手をしながら健康体を保ち続け、28歳時にも「フレッシュで申し分ない」と評されたほどだった。1861年に他界、30歳という当時としてはかなりの高齢だった。
オーランドとニューミンスターが後継種牡馬として大成功し、しかも、オーランドからはヒムヤー、ニューミンスターからはハンプトンやハイペリオン、また、イスラエルからはカーバインといった競馬史に大きな影響を与え続ける馬が続出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1839 |
Celia |
コロネーションS |
1839 |
Dil-bar |
ナッソーS |
1839 |
Lady Adela |
スチュワーズC |
1840 |
Ameer |
セントジェームズパレスS |
1840 |
Cotherstone |
英2000ギニー・英ダービー |
1841 |
英ダービー・ジュライS |
|
1843 |
Mendicant |
英1000ギニー・英オークス |
1845 |
Assault |
ニューS・英シャンペンS |
1845 |
Flatcatcher |
英2000ギニー・トライアルS |
1845 |
Loadstone |
スチュワーズC |
1845 |
英ダービー・英セントレジャー |
|
1846 |
Nunnykirk |
英2000ギニー |
1846 |
Uriel |
セントジェームズパレスS |
1847 |
Brightonia |
ヨークシャーオークス |
1847 |
Sweetheart |
ジュライS |
1847 |
The Italian |
英シャンペンS |
1847 |
William the Conqueror |
モールコームS |
1848 |
英セントレジャー |
|
1850 |
Vindex |
英シャンペンS |
1851 |
Champagne |
英シャンペンS |
1851 |
Honeysuckle |
パークヒルS |
1852 |
Clotilde |
パークヒルS・スチュワーズC |
1852 |
Lord of the Isles |
英2000ギニー |
1852 |
Paletot |
セントジェームズパレスS |
1854 |
Rosa Bonheur |
ロイヤルハントC |
1854 |
Tournament |
スチュワーズC |
1856 |
Prelude |
英シャンペンS |