ラブレー
和名:ラブレー |
英名:Rabelais |
1900年生 |
牡 |
栗毛 |
父:セントサイモン |
母:サティリカル |
母父:サタイエティ |
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競走馬としてはあまり振るわなかったが仏国で種牡馬として成功し、直系子孫に名馬リボーを登場させて父セントサイモンの直系が現在に残る立役者となる |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績11戦6勝2着2回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
英国コットンハウススタッドにおいて、ジョン・アーサー・ジェームズ氏により生産された。ジェームズ氏は当時のウェールズ皇太子(本馬が2歳時に即位して英国王エドワードⅦ世となった)の競馬仲間だった。また、彼の妻メアリー・ベネチア夫人(後の英国王ジョージⅥ世の后で英国エリザベスⅡ世女王陛下の母であるエリザベス王太后の名付け親となった人物)の父は英国の政治家ジョージ・キャベンディッシュ・ベンティンク氏で、彼は本馬の父セントサイモンの所有者だった第6代ポートランド公爵ウィリアム・キャベンディッシュ・ベンティンク卿の一族であった。本馬はジェームズ氏の所有馬として、エドワードⅦ世の専属調教師でもあったリチャード・マーシュ師に預けられた。
競走生活
2歳4月にサンダウンパーク競馬場で行われたサンダウンパークスタッドSでダニエル・マハー騎手を鞍上にデビューし、後の英オークス馬アワーラッシーの2着に入った。次走は6月にアスコット競馬場で行われたトリエニアルS(T5F)となり、6馬身差で勝ち上がった。翌月にはサンダウンパーク競馬場でナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)に出走して勝利。続いてグッドウッド競馬場でプリンスオブウェールズSに出て、英1000ギニー馬チェランドリーの娘で後のチェヴァリーパークS勝ち馬スカイスクレイパーを1馬身差の2着に退けて勝利した。9月にはニューマーケット競馬場でバッキンガムSに出走してこれも楽勝した。2歳時の成績は5戦4勝だった。
3歳時は英2000ギニー(T8F)から始動したが、コヴェントリーS・英シャンペンS・デューハーストプレートを勝っていた1番人気馬ロックサンド、ミドルパークプレートを勝っていた3番人気馬フロットサムに後れを取り、ロックサンドの3着に敗退。続いてニューマーケットS(T10F)に出走したが、フロットサムの2着に敗れた。その後は英ダービー(T12F)に参戦したが、後に英セントレジャーを制して英国三冠馬となるロックサンド、仏グランクリテリウム・仏2000ギニーを勝ってきたヴィニシウス、フロットサムの3頭に屈して4着に終わった。その後はアスコット競馬場に向かい、トリエニアルSに出走して勝利。しかしリヴァプール競馬場で出たセントジョージSでは着外に敗れた。7月には古馬相手のグッドウッドC(T21F)に出走して、ここでは優勝。これが現役最後のレースとなり、3歳時の成績は6戦2勝となった。
馬名はルネサンス期仏国の作家フランソワ・ラブレー(代表作は「パンタグリュエル物語」と「ガルガンチュワ物語」)に由来する。
血統
St. Simon | Galopin | Vedette | Voltigeur | Voltaire |
Martha Lynn | ||||
Mrs. Ridgway | Birdcatcher | |||
Nan Darrell | ||||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | Bay Middleton | ||
Barbelle | ||||
Merope | Voltaire | |||
Juniper Mare | ||||
St. Angela | King Tom | Harkaway | Economist | |
Fanny Dawson | ||||
Pocahontas | Glencoe | |||
Marpessa | ||||
Adeline | Ion | Cain | ||
Margaret | ||||
Little Fairy | Hornsea | |||
Lacerta | ||||
Satirical | Satiety | Isonomy | Sterling | Oxford |
Whisper | ||||
Isola Bella | Stockwell | |||
Isoline | ||||
Wifey | Cremorne | Parmesan | ||
Rigolboche | ||||
Lady Mary | Orlando | |||
Splitvote | ||||
Chaff | Wild Oats | Wild Dayrell | Ion | |
Ellen Middleton | ||||
The Golden Horn | Harkaway | |||
Little Red Rover Mare | ||||
Celerrima | Stockwell | The Baron | ||
Pocahontas | ||||
Slander | Pantaloon | |||
Pasquinade |
父セントサイモンは当馬の項を参照。
母サティリカルは現役時代に英国で走り6勝を挙げた活躍馬だった。サティリカルの4代母パスキネードは19世紀英国を代表する名競走馬・名種牡馬として大活躍したタッチストンの全妹だったが、サティリカルの近親からは当時活躍馬があまり出ておらず、それほど優秀な牝系とは言えなかった。
本馬の全妹シモネの牝系子孫からは、グローリアスデヴォン【ヨークシャーオークス・パークヒルS】、凱旋門賞馬ササフラの父として知られるシェシューン【アスコット金杯・サンクルー大賞・バーデン大賞】、シャルロットヴィル【仏ダービー・リュパン賞・パリ大賞】、ベイトアン【リュパン賞・ワシントンDC国際S・ガネー賞】、リッジウッドパール【BCマイル(米GⅠ)・愛1000ギニー(愛GⅠ)・コロネーションS(英GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、日本で走ったアチーブスター【桜花賞・ビクトリアC】などが出ており、現在も残っている。
また、サティリカルの半妹ヴィトゥラ(父セントサーフ)の牝系子孫には、日本で走ったライデンオー【阪神三歳S】、トサキング【中山大障害秋】などが、サティリカルの半妹チャフィンチ(父セントサーフ)の子にはフォーサイト【キングススタンドプレート2回】、牝系子孫には、スウィンク【パリ大賞(仏GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)】、グランドキャニオン【ノーフォークS(米GⅠ)・ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)】、ジャネット【ラモナH(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】、シャンパンドーロ【エイコーンS(米GⅠ)・テストS(米GⅠ)】、ルーラーオンアイス【ベルモントS(米GⅠ)】、日本で走ったマヤノトップガン【菊花賞(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)】などがいる。→牝系:F14号族②
母父サタイエティはアイソノミー産駒で、現役時代はウインザーキャッスルSを勝った程度で、種牡馬としても成功はしなかった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬に対して、ジェームズ氏は種牡馬としての価値を見出せなかった。そのために本馬は4歳時の1904年にロシアに売られる事になった(当時のロシア皇帝ニコライⅡ世は、エドワードⅦ世の妻アレクサンドラ皇后の甥であり、エドワードⅦ世はニコライⅡ世を非常に可愛がっていた)。しかしこの年に日露戦争が勃発すると、日英同盟を締結していた都合上、エドワードⅦ世はロシアを支援できなくなった。その影響で本馬の商談についても無かった事になった。その代わりに仏国モンフォール牧場に700ギニー(又は3500ドルとも)で売却された本馬は、1905年から仏国で種牡馬生活を開始した。
本馬の母国英国ではセントサイモンの血の氾濫による「セントサイモンの悲劇」が起こり始めていたが、本馬は仏国に売られた事により、その影響を免れる事が出来た。そして本馬は長年に渡り多くの活躍馬を送り出した。1909年には仏2000ギニーやパリ大賞などを勝った初年度産駒ヴェルダンの活躍により仏首位種牡馬を獲得。1914年には仏国調教馬ダーバーが遠征先の英国で英ダービーを優勝した。なお、ダーバーの母系には当時のジャージー規則でサラブレッドと認められない血が入っており、ダーバーの英ダービー優勝は後のジャージー規則廃止にも一役買っている(後にダーバーが母父として出したトウルビヨンの活躍等によりジャージー規則は完全にとどめを刺されている)。1919年に2度目の仏首位種牡馬に輝いた本馬は、1926年にも凱旋門賞・リュパン賞・ロワイヤルオーク賞を勝ったビリビの活躍等で3度目の仏首位種牡馬に輝いた。
28歳となった1928年まで現役種牡馬として活躍していたが、受精率が低下した事を理由に種牡馬を引退、ではなく11月にアルフォール獣医科大学に送られた。そこで本馬はなんと受精率向上の手術を受けさせられた。本馬の手術を執刀したセルジュ・ボロノフ教授は、当時死刑囚の遺体や猿から採取した睾丸を人間に移植して鬱病治療や精力向上を行っていた著名人だった(当時は世界的にこうした研究治療が真面目に行われていた。しかし現在はこのような研究治療が行われているという話は聞かない)。手術を終えた本馬は、外見上若返ったようにも見えたが、術後2日後に肺出血を起こして他界した。
本馬の後継種牡馬は、ビリビが仏ダービー・ロワイヤルオーク賞・パリ大賞・凱旋門賞に優勝したルパシャを出して1941年の仏首位種牡馬に輝いたが、ルパシャは種牡馬として失敗してこのサイアーラインは伸びなかった。本馬のサイアーラインを伸ばしたのは、リアルトと、競走馬としては一流とは言えなかったアヴルサックの2頭だった。リアルトはワイルドリスクを出し、一時期大きく繁栄したが、現在は衰退している。伊国で種牡馬入りしたアヴルサックの直系からはリボーが出現し、このサイアーラインが現在でも残っている。セントサイモンの直系で現在でも一定の勢力を有しているのは、本馬からリボーを経由するラインのみである。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1906 |
Loris |
ヴァントー賞 |
1906 |
Verdun |
仏2000ギニー・パリ大賞・仏共和国大統領賞・ユジェーヌアダム賞 |
1907 |
Long Set |
ドンカスターC・ケンブリッジシャーH・ロイヤルハントC |
1907 |
Rire aux Larmes |
バーデン大賞・ラクープ |
1907 |
Vellica |
仏1000ギニー |
1908 |
Lord Loris |
パリ大障害 |
1909 |
Romagny |
サンロマン賞 |
1910 |
La Ribaude |
クリテリウムドサンクルー |
1910 |
Rabble |
ギシュ賞 |
1911 |
Durbar |
英ダービー・ノアイユ賞 |
1912 |
Haki |
ドンカスターC |
1914 |
Naturalist |
マンハッタンH2回・カーターH・トボガンH・エクセルシオールH |
1915 |
Mont Saint Eloi |
ボイアール賞 |
1915 |
Radames |
仏共和国大統領賞 |
1916 |
Fausta |
フロール賞 |
1917 |
Boscobel |
ダリュー賞・ギシュ賞 |
1917 |
Pendennis |
仏2000ギニー・ノアイユ賞 |
1918 |
Net |
ダフニ賞 |
1919 |
Ramus |
仏ダービー・コンデ賞・クリテリウムドメゾンラフィット・エドヴィル賞 |
1919 |
Shocking |
ロワイヨモン賞 |
1920 |
Fiasque |
ペネロープ賞 |
1920 |
Grand Guignol |
ノアイユ賞・リス賞 |
1921 |
Lotus Lily |
フィユドレール賞・ドラール賞 |
1921 |
Nethou |
グレフュール賞 |
1922 |
Tomy |
ビエナル賞・グラディアトゥール賞 |
1923 |
Biribi |
凱旋門賞・リュパン賞・ロワイヤルオーク賞・サブロン賞・ノアイユ賞 |
1923 |
Gitane |
ロワイヤリュー賞 |
1923 |
Rialto |
イスパーン賞・ドラール賞・フォルス賞 |
1924 |
Dickens |
クインシー賞 |
1924 |
Fenimore Cooper |
クリテリウムドメゾンラフィット・ノアイユ賞 |
1925 |
Roahouga |
仏1000ギニー・クロエ賞 |