ホエールボーン

和名:ホエールボーン

英名:Whalebone

1807年生

黒鹿

父:ワクシー

母:ペネローペ

母父:トランペッター

曽祖父エクリプスに続いて現代における主流血脈の分岐点となった小柄で超良血の英ダービー馬

競走成績:3~6歳時に英で走り通算成績26戦19勝2着3回3着2回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国ニューマーケットのユーストンホールスタッドにおいて、同牧場の所有者だった第3代グラフトン公爵アウグストゥス・ヘンリー・フィッツロイ卿により生産・所有された。父ワクシー、母ペネローペは、いずれもフィッツロイ卿の所有馬としてユーストンホールスタッドに繋養されており、母ペネローペにとっては2番子に当たる。完璧とまで評されたほどバランスが取れた好馬体を有した父ワクシーとは異なり、本馬は体高15.2ハンドと背が低い馬だった。また、脚の膝関節から下部がとても短かったという。本馬を担当した厩務員は「膝から上はかつて見た馬の中で一番長かったのですが、膝から下はかつて見た馬の中で一番短かったです」と語っているほどである。それでも競走馬となった本馬は、父ワクシーなどを手掛けた名伯楽ロバート・ロブソン調教師に預けられた。ロブソン師は管理馬を2歳戦に出走させる事を避ける主義の人物で、本馬のデビューも3歳になってからだった。

競走生活(3・4歳時)

3歳5月にニューマーケット競馬場で行われたニューマーケットS(T8F)でデビューした。このレースではトレジャーと1着同着となり、決勝戦で勝利した。翌6月には英ダービー(T12F)に参戦し、キャリア1戦ながら単勝オッズ3.5倍(3倍とする資料もある)の1番人気に支持された。レースではスタートから先頭に立つと、そのまま一度も後続馬に抜かれることなく優勝し、馬主のフィッツロイ卿に前年のワクシーポープ(本馬と同じワクシー産駒で、かつ、母ペネローペの弟に当たる)に続く英ダービー制覇をプレゼントした。10月にニューマーケット競馬場で行われたサブスクリプションSでは対戦相手に予定されていたヌンシオという馬の陣営が罰金を払って回避したため、本馬が単走で勝利した。同月末にはトレジャーとのマッチレースに出走したが、相手より7ポンド重い斤量が影響したのか敗れた。しかしその数日後には8ポンドのハンデを貰ったサーマリネルとのマッチレースに出走して勝利。その数日後にはソーンとのマッチレースに出走してこれも勝利した。その後もネイヴオブクラブスやフロリヴァルとのマッチレースに勝利した。3歳時の成績は8戦7勝だった。

4歳時は5月に行われたグロスターとのマッチレースに勝利。この月に所有者のフィッツロイ卿が75歳で死去したため、本馬は彼の息子である第4代グラフトン公爵ジョージ・ヘンリー・フィッツロイ卿の所有馬となった。8月のポートホルメSでは牝馬バロッサと牡馬ボルターに敗れて3着だった。9月のニューマーケットトライアルSでもフロリヴァルに敗れて2着(3着とする資料もある)に終わった。しかしその数日後のキングズプレートには勝利した。10月に行われたエレブスとのマッチレースにも勝利した。しかしチェヴァリーSでは着外に敗れた。11月に行われたタンブラーとのマッチレースには勝利した。4歳時の成績は7戦4勝だった。

競走生活(5~7歳時)

5歳時はボルターとのマッチレースから始動したが敗れた。4月には賞金100ギニーのキングズプレートを勝利した。300ギニースウィープSでは、1歳年下の英2000ギニー馬トロフォニウスとインバリッドという2頭の牡馬に敗れた。7月には50ポンドレースに勝利したが、次走のハンデ戦は敗れた。9月にノーザンプトン金杯を勝利した翌月に、本馬はロバート・ラドブロック氏という人物に700ギニーで購入された。同月末には2歳馬ターナーとのマッチレースに勝利。続いて出走した2歳年上の英ダービー馬パンとのマッチレースも勝利した。5歳時の成績は8戦5勝だった。

6歳時も現役を続け、ギルフォード競馬場で行われたキングズプレート、ルイス競馬場で行われたキングズプレートを勝ち、8月にレディーズプレートを勝ってこの年3戦全勝とした。

翌7歳時には「本馬の事を嫌いになった(と資料には記載されている)」ラドブロック氏により、510ギニーで第3代エグレモント伯爵ジョージ・オブライエン・ウィンダム卿に売却された。ウィンダム卿は小柄な本馬を種牡馬としては不適格と考え、競走馬生活を続けさせようとした。しかし本馬は、いきなり立ち上がったり、蹄をカスタネットのように打ち鳴らしたりするなど、人が騎乗するには危険な癖が出始めたため、ウィンダム卿は本馬の現役続行を諦めて種牡馬入りさせる事にした。馬名は鯨の骨、ではなく「鯨の髭」という意味である。

血統

Waxy Pot-8-o's Eclipse Marske Squirt
Hutton's Blacklegs Mare
Spilletta Regulus
Mother Western
Sportsmistress Sportsman Cade
Silvertail
Golden Locks Oroonoko
Crab Mare
Maria Herod Tartar Croft's Partner
Meliora
Cypron Blaze
Salome
Lisette Snap Snip
Sister to Slipby
Miss Windsor Godolphin Arabian
Young Belgrade Mare
Penelope Trumpator Conductor Matchem Cade
Partner Mare
Snap Mare Snap
Diana
Brunette Squirrel Traveller
Grey Bloody Buttocks
Dove Matchless
Starling Ancaster Mare
Prunella Highflyer Herod Tartar
Cypron
Rachel Blank
Regulus Mare
Promise Snap Snip
Sister to Slipby
Julia Blank
Partner Mare

ワクシーは当馬の項を参照。

母ペネローペはニューマーケットオートランズS2回・ジョッキークラブプレート・ニューマーケットキングズプレート・イプスウィッチキングズプレートなど18勝を挙げた。英ダービーと英オークスを制した名牝エレノアの同期で、エレノアにも数回勝利しており、かなりの名牝だった。繁殖牝馬としても非常に優秀で、記録的な数の活躍馬が出ている世界的名牝系の祖となった本馬の全妹ウェブ、ウェブには遠く及ばないが今世紀まで牝系を伸ばしている全妹ウィルフル、ウェブにはさすがに及ばないがやはり世界的名牝系の祖となった全妹ワイアー、種牡馬としても後世に大きな影響を与えた全弟ウィスカー【英ダービー】、半妹ウィズギグ(父ルーベンス)【英1000ギニー】、ウェブやウィルフルには及ばないがやはり世界的名牝系の祖となった半妹ワルツ(父エレクトン)などを産んでいる。なお、ペネローペは26歳で他界するまでに13頭の産駒を残したが、本馬ホエールボーン(Whalebone)、ウェブ(Web)、ウィルフル(Wilful)、ワイアー(Wire)、ウィスカー(Whisker)、ウィズギグ(Whizgig)、ワルツ(Waltz)など全てイニシャルがWで始まる名前が付けられている(厳密には初子のワクシーメア(Waxy Mare)はワクシーの牝駒という意味なので本当は無名馬だが)。

ペネローペの母プルネラも非常に優秀な繁殖牝馬で、ペネローペを産んだ後にも、ペネローペの半妹で繁殖牝馬としても大活躍したパラソル(父ポテイトウズ)【ジョッキークラブプレート】、半妹ペリース(父ウィスキー)【英オークス】、9度の愛首位種牡馬に輝いた半弟ワクシーポープ(父ワクシー)【英ダービー】、他にも繁殖牝馬として成功した牝馬を何頭も産んだ。

本馬が属する牝系は現在のサラブレッド界における最大勢力となっている所謂ファミリーナンバー1号族であり星の数ほどの活躍馬がいるため、その詳細は別ページの牝系図を参照してもらうとして、本項では本馬の近親(5親等以内。本馬の姉妹の曾孫と、母ペネローペの姉妹の孫まで)に絞って名前を挙げてみる。まず、ウェブの子にミドルトン【英ダービー】、孫にコブウェブ【英1000ギニー・英オークス】、シャーロットウェスト【英1000ギニー】、リドルズワース【英2000ギニー】、グレンコー【英2000ギニー・アスコット金杯】、曾孫にザプリンセス【英オークス】、イブラヒム【英2000ギニー】、ベイミドルトン【英2000ギニー・英ダービー】、アクメット【英2000ギニー】、クレメンティナ【英1000ギニー】がいる。ワイアーの孫にはプッシー【英オークス】がいる。ウィズギグの子にはオキシゲン【英オークス】、曾孫にはサンジェルマン【仏2000ギニー・仏ダービー】、ジュヴァンス【仏ダービー・仏オークス】がいる。

次に、本馬の母ペネローペの姉妹の子や孫達に移る。ペネローペの半妹パラソルの子に名種牡馬パルチザン、ピンダリー【英2000ギニー】、パスティーユ【英2000ギニー・英オークス】がいる。ペネローペの半妹プレッジ(父ワクシー)の子にタイリーシアス【英ダービー】がいる。ペネローペの全妹ポーンの子にプロブレム【英1000ギニー】、孫にダーヴァイス【英2000ギニー】がいる。ペネローペの半妹ポープジョーン(父ワクシー)の子にトンティン【英1000ギニー】、ターコマン【英2000ギニー】、ターコイズ【英オークス】がいる。ペネローペの半妹プルーデンス(父ワクシー)の子にロウェナ【英1000ギニー】、レジナルド【英2000ギニー】がいる。

これだけ挙げてもプルネラの牝系子孫から出た馬のほんのごく一部に過ぎないから、プルネラは世界史上最高の繁殖牝馬と言えるのかもしれない。→牝系:F1号族①

母父トランペッターはマッチェム産駒コンダクターの息子で、プリンスズS・クレルモンS・クラレットSを勝ち、他にも主にニューマーケット競馬場を中心に多くのマッチレースを制している。孫である本馬と同様にあまり大きい馬ではなかったようである。種牡馬としては1803年の英首位種牡馬になるなど活躍し、直子ソーサラーを経てマッチェム系を後世に伝える原動力になった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ウィンダム卿所有のもと、英国サセックス州ペットワースハウススタッドで種牡馬生活を開始した。初期の種付け料は11ギニーと低かったが、本馬の産駒が活躍を始めると種付け料は上昇し、最終的には20ギニーまで上昇した。1826・27年には英首位種牡馬に輝いている。本馬の晩年は元々弱かった蹄の状態が悪化し、慢性の脚部不安に悩まされ、常に脚は熱を帯びた状態だったという。1831年2月、種付け中に血管破裂を起こして翌日に24歳で他界した。ウィンダム卿は自身の肖像画を描いてもらった際に、自分が左手を乗せたテーブルの上に本馬の銅像を置いて絵の中に一緒に収まり、本馬に対する感謝の意思を示した。

後世に与えた影響

本馬は英国クラシック競走の勝ち馬を複数輩出しているが、本馬の血を後世に伝えたのはそれ以外の牡駒達である。キャメルはタッチストンを出し、タッチストンからはオーランドを経るヒムヤー系と、ニューミンスターを経るハーミット系とハンプトン系が登場した。また、サーヘラクレスバードキャッチャーを出し、バードキャッチャーからはザバロンベンドアを経るファラリス系とテディ系が登場し、ほかにもブランドフォード系が登場している。また、現在は途絶えているが、ディフェンスは仏国のモナルク系に、ウェイヴァリーはボニースコットランドを経て米国のベンブラッシュ系へとサイアーラインを伸ばした。この結果、本馬の血は世界中のサラブレッドを覆いつくす事になった。本馬は、ポテイトウズキングファーガスを出した曽祖父エクリプスに次いで史上2例目の、現代まで残るサラブレッド主流血脈の分岐点を形成した馬であり、その意味では祖父ポテイトウズや父ワクシーよりも、根幹種牡馬たり得る点で偉大な馬であるとも言える。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1817

Caroline

英オークス・ジュライS

1822

Chateau Margaux

アスコット金杯

1822

Stumps

グッドウッドC

1823

Lap Dog

英ダービー

1824

Tom Thumb

ジュライS

1826

Sir Hercules

1827

Cetus

アスコット金杯

1828

Spaniel

英ダービー

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