サーヘラクレス

和名:サーヘラクレス

英名:Sir Hercules

1826年生

青毛

父:ホエールボーン

母:ペリ

母父:ワンダラー

競走馬時代から種牡馬時代を通じて愛国と英国間を行き来して暮らし、大種牡馬バードキャッチャーの父として後世にその名を残す

競走成績:2~5歳時に愛英で走り通算成績7戦5勝3着1回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国アルスターにおいてラング氏という人物により生産された。成長しても体高15.2ハンド程度で、それほど大きい馬ではなかったようであるが、コンパクトにまとまった馬体の持ち主であった。また、青毛の黒い馬体に白い斑点があるという特徴的な毛色の持ち主でもあった。この特徴は産駒バードキャッチャーを通じて後世に伝わった事からバードキャッチャー班、又は直系のベンドアやその子孫達に特に顕著に現れた事からベンドア班と呼ばれている。本馬は愛国の第2代ラングフォード男爵ヘラクレス・ラングフォード・ローリー卿により購入され、(おそらく彼の名前にちなんで)サーヘラクレスと命名された。

競走生活

ローリー卿の地元愛国で2歳時にデビューした本馬は、まずはカラー競馬場で行われた5頭立てのスウィープSを走って勝利。次走となったマウントイーグルとの100ソヴリンマッチレースにも勝利して、その後英国に移動した。

3歳になった本馬は春先のヨーク競馬場に姿を現し、距離2マイルの20ソヴリンスウィープSに出走すると、ネザービーなど5頭の他馬を蹴散らして勝利した。秋には19頭立ての英セントレジャー(T14F132Y)に出走したが、ここでは単勝オッズ4.5倍の1番人気に応えて勝ったラウトン、半馬身差の2着だったヴォルテアー(直後のドンカスターCを勝利。名馬ヴォルティジュールの父でもある)に後れを取って3着に敗れた。このレースで本馬に騎乗したパトリック・コノリー騎手は、レース前の本馬はあまり元気が無く、勝ち負けに絡むのは難しいと思っていたが、予想以上に勇敢な走りを見せたとして本馬を讃えた。次走の30ソヴリンスウィープSでは、後にチャンピオンS(現GⅠ競走の英チャンピオンSとは別競走)やリンカーン金杯を勝つフォーティチュード、リッチモンドS(これも現GⅡ競走のリッチモンドSとは別競走)の勝ち馬ゾディアックを破って勝利した。

4歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたクラレットS(T16F9Y)に出走し、馬なりのまま他馬3頭を一蹴して勝利を収めたが、この年の出走はこの1戦のみだったようである。

5歳時はリヴァプールズスタンドCに出走したが、ウォルトン(英首位種牡馬に輝いたウォルトンの息子で、父とは同名の別馬)の着外に敗退。これが現役最後のレースとなった。

なお、本馬の競走成績を8戦7勝とし、英セントレジャーが生涯唯一の敗戦としている資料が多いが、それらの資料では本馬の出走レースの内訳において具体性に欠けるため本項では採用していない。

本馬はスピードも兼備した優秀な長距離馬であったようだが、英国クラシック競走などの大レース制覇には縁が無かったため、現役時代の評価は強い馬ではあるが名馬とは言い難いという程度のものだったと思われる。本馬の気性については明確な記録が無いが、犬と戯れている絵画が残されている事から、気性が激しい馬ではなかったようである。

血統

Whalebone Waxy Pot-8-o's Eclipse Marske
Spilletta
Sportsmistress Sportsman
Golden Locks
Maria Herod Tartar
Cypron
Lisette Snap
Miss Windsor
Penelope Trumpator Conductor Matchem
Snap Mare
Brunette Squirrel
Dove
Prunella Highflyer Herod
Rachel
Promise Snap
Julia
Peri Wanderer Gohanna Mercury Eclipse
Tartar Mare
Dundas Herod Mare Herod
Maiden
Catherine Woodpecker Herod
Miss Ramsden
Camilla Trentham
Coquette
Thalestris Alexander Eclipse Marske
Spilletta
Grecian Princess William's Forester 
Coalition Colt Mare
Rival Sir Peter Teazle Highflyer
Papillon
Hornet Drone
Manilla

ホエールボーンは当馬の項を参照。

母ペリはどうやら不出走馬のようである。本馬を産んだのは4歳の時なので、3歳時には既に繁殖入りしていた。後に本馬共々タタソールズ社のセリに出品された際に、当時の英国王ジョージⅤ世に購入されて王室の所有馬となった。その後にタッチストンとの間に本馬の半妹ディルバー【ナッソーS】を産んでいるが、牝系子孫を発展させる事は出来なかった。ペリの母ザレストリスは初子を産んだ後も競走馬として走った記録があるようである。ザレストリスの祖母ホーネットの半兄には1790年の英セントレジャー馬アンビデクスターがいる他、ホーネットの半姉ミスジュディの子には1797年の英セントレジャー馬ラウンジャー、玄孫世代以降には名馬テディントン【英ダービー・アスコット金杯】などが、ホーネットの半姉コハイレスの曾孫には名種牡馬ブラックロックと1822年の英セントレジャー馬セオドアがおり、当時としては比較的優れた牝系だった。→牝系:F2号族④

母父ワンダラーはニューマーケット競馬場を中心に走って一定の活躍を見せた競走馬だった。ワンダラーの父ゴハンナは48戦26勝の成績を残した名馬。ゴハンナの父マーキュリーはエクリプス産駒で、キングズプレートでは第1回英ダービー優勝馬ダイオメドを破っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、最後のレースを走った同年の5歳時からローリー卿が所有する愛国サマーヒルの牧場で種牡馬入りした。翌6歳時には、愛国の政治家だった第2代ロスモア男爵ワーナー・ウィリアム・ウェステンラ卿が愛国カラーに新設したロスモアロッジに移動した。本馬が種牡馬入りした当初、種付け料は10ポンドという広告が英国で出されたが、本馬に注目する英国の馬産家はおらず、初年度産駒は活躍しなかった(ただし2年目産駒からバードキャッチャーが登場している)。7歳時にはローリー卿の他の所有馬全てと一緒に英国に移され、タタソールズ社のセリに出された。ここで本馬は750ギニーで取引されて米国に渡る事になったが、取引成立が秋であり、米国に渡るには時期が遅くなってしまったため、本馬はミドルセックス州イーストアクトンの馬産家H・O・ウェザービー氏に再販されて英国に残る事になった。

ウェザービー氏の元で本馬は、タタソールズ社の創設者リチャード・タタソール氏の孫で著名な競馬作家及び建築家でもあったジョージ・タタソールズ氏が所有するドーリーウォールファームで2年間種牡馬生活を送った後、9歳時にイーストアクトンに移り住んだ。11歳時にはストヴィン氏という人物が所有するバーミンガム州スモールヒースファームにリースされたが、翌年にはイーストアクトンに戻ってくるなど、各地を転々とした。この12歳の頃の種付け料は30ポンドだった記録があり、以前より値上がりしている事から、種牡馬としての評価は上昇していたようである。それから間もなくしてウェザービー氏が死去すると、本馬は後に初代ハーバート・オブ・リー男爵となる英国の政治家シドニー・ハーバート氏によって購入された。ハーバート氏は英国だけでなく愛国に膨大な広さの土地を所有しており、本馬は英国と愛国を行き来しながら種牡馬生活を続けた。本馬の産駒が本格的に活躍を開始し、複数の英国クラシック競走の勝ち馬が登場したのはこの後である。

本馬が18~19歳の頃にハーバート氏が牧場を解散すると、本馬はフィリップス氏という人物に購入され、英国ウォルヴァーハンプトンにあったブッシュベリースタッドで種牡馬生活を続けた。フィリップス氏に購入された頃の本馬はかなり体調が悪かったらしいが、フィリップス氏が細心の注意を払って本馬の体調管理に努めたため、本馬の体調はやがて回復した。本馬は老齢になっても一定の種牡馬成績を残してフィリップス氏の恩義に報いた後、1855年に30歳という高齢で他界した。本馬の産駒は平地と障害の両方で活躍した。本馬の後継種牡馬として成功したのはバードキャッチャーとフォーアバラーの兄弟である。フォーアバラーは米国の名種牡馬リーミントンの父となった。そしてバードキャッチャーの直系子孫は凄まじく繁栄し、現在のサラブレッド界における中心勢力となっている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1833

Birdcatcher

1834

Cruiskeen

シザレウィッチH

1836

Hyllus

グッドウッドC

1836

The Corsair

英2000ギニー

1838

Discount

英グランドナショナル

1838

Coronation

英ダービー・アスコットダービー

1841

Faugh-a-Ballagh

英セントレジャー・シザレウィッチH

1842

Maynooth

ジョッキークラブプレート

1845

Hagley

ロイヤルハントC

1845

The Moor

トライアルS

1846

Landgrave

ケンブリッジシャーH

1849

Knight of the Shire

ケンブリッジシャーH

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