クイーンメアリー

和名:クイーンメアリー

英名:Queen Mary

1843年生

鹿毛

父:グラディエイター

母:プレニポテンシャリーメア

母父:プレニポテンシャリー

現役成績1戦未勝利ながら多くの子を産み活躍馬も続出させ世界的名牝系の祖となった19世紀半ばの名繁殖牝馬

競走成績:2歳時に英で走り通算成績1戦未勝利

19世紀英国における根幹繁殖牝馬の一頭で、直子の競走成績のみならず後世に対する影響力においても超一流である。

誕生から競走馬引退まで

英国血統書(ジェネラルスタッドブック)には本馬はデニス氏という人物により生産されたと記載されている。2歳時にチェスターで競走馬としてデビューしたがレース中に故障して敗戦し、本馬の競走馬としてのキャリアはこれだけである。

血統

Gladiator Partisan Walton Sir Peter Teazle Highflyer
Papillon
Arethusa Dungannon
Prophet Mare
Parasol Pot-8-o's Eclipse
Sportsmistress
Prunella Highflyer
Promise
Pauline Moses Seymour Delpini
Bay Javelin
Gohanna Mare Gohanna
Grey Skim
Quadrille Selim Buzzard
Alexander Mare
Canary Bird Sorcerer
Canary
Plenipotentiary Mare  Plenipotentiary Emilius Orville Beningbrough
Evelina
Emily Stamford
Whiskey Mare
Harriet Pericles Evander
Precipitate Mare 
Selim Mare Selim
Pipylina
Myrrha Whalebone Waxy Pot-8-o's
Maria
Penelope Trumpator
Prunella
Gift Young Gohanna  Gohanna
Grey Skim
Sir Peter Teazle Mare Sir Peter Teazle
Trumpator Mare

父グラディエイターは競走馬としては大成しなかったが、種牡馬としては後継種牡馬スウィートミート(英2000ギニー・英ダービーの勝ち馬マカロニの父)を出した。グラディエイターは19世紀最強馬とも言われる英国三冠馬グラディアトゥールの母父でもある。グラディエイターから系統を遡ると、パルチザンを経てウォルトンに行きつく。

母プレニポテンシャリーメアはプレニポテンシャリーの娘という意味の無名馬で、競走馬になることなく2歳時に繁殖入りして翌3歳時に産んだ初子が本馬である。本馬以外には特筆できるような産駒は残していない。→牝系:F10号族①

母父プレニポテンシャリーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

1戦のみで競走馬を引退する事になった本馬を、デニス氏はウィリアム・イアンソン氏に本馬を譲渡した。イアンソン氏は英国ヨークシャー州ミドルハムの農家の出身だった。当時のミドルハムは馬産が盛んな地域だったために、彼も競馬に携わる仕事を志すようになった。そしてドーソン一族の元で修行して調教師として独立し、自身もヨークシャー州モールトンにおいて馬産や馬の所有を行っていた。

3歳時から繁殖入りした本馬は、翌4歳時に初子の牝駒ハリコットを産んだ。ハリコットの父はマンゴーかレイナーコストのいずれかと記載されているが、マンゴーと交配したが受胎しなかったため、レイナーコストと交配されたとあるため、レイナーコストが父であるらしい。

5歳時はマンゴーとの間に2番子の牝駒を産んだが、幼少期に他界したため、名前は付けられていない。

6歳時は3番子の牝駒ブラクシー(父モストゥルーパー)を産んだ。

7歳時は初の牡駒となる4番子のバルロウニー(父アナンデール)を産んだ。

バルロウニーを産んだ後、本馬はイアンソン氏により40ポンドという安値でスコットランドの農民に売却された。それは、前年2歳になっていた初子のハリコットが小柄で活躍できそうになかったためとされている。イアンソン氏は当初ハリコットを乗馬として使役していたが、やがてハリコットが優秀なスピードを見せるようになったため、ハリコットは3歳時に競走馬としてデビューした。その結果、ハリコットは3歳時に17戦10勝の成績を挙げ、最終的には6歳まで走ってリンカンシャーH・マンチェスターC・スターリング金杯を勝ち、ザフライングダッチマンHではヴォルティジュールの2着に入るなど、40戦17勝の成績を残す活躍馬となった。ハリコットが活躍したため、本馬を安く売却した事を後悔したイアンソン氏は本馬の行方を追い求めた。最初に本馬を購入した農民は既に本馬を転売していたが、やがて発見された本馬をイアンソン氏は100ポンドで買い戻し、本馬は1年でイアンソン氏の元に戻る事になった。

なお、ハリコットもイアンソン氏の元で繁殖牝馬となり、後にストックウェルとの間に産んだ牝駒コーラーオウが英セントレジャー優勝など86戦44勝という母を上回る大活躍を示した。コーラーオウの牝系子孫からは、ペローラ【英オークス】、ポエスリン【英グランドナショナル2回】、ライトタック【英2000ギニー・愛2000ギニー・ミドルパークS】、北米首位種牡馬クリスエス、日本で走ったワンダーパヒューム【桜花賞(GⅠ)】などが出ている。また、ハリコットがオーランドとの間に産んだ牝駒スカーレットランナーの牝系子孫からは、パヴォット【ベルモントS・サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS・ジョッキークラブ金杯】、エクスクルシヴネイティヴ【アーリントンクラシックS】、リヴァーマン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)】、デピュティミニスター【ローレルフューチュリティ(米GⅠ)・ヤングアメリカS(米GⅠ)】、インターコ【サンタアニタH(米GⅠ)・サンフェルナンドS(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)・センチュリーH(米GⅠ)】、ゴーアンドゴー【ベルモントS(米GⅠ)】、ヴェルサイユトリーティ【テストS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】、カリズマティック【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)】、ロックオブジブラルタル【英2000ギニー(英GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、リフューズトゥベンド【英2000ギニー(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、日本で走ったアズマキング【帝王賞・東京大賞典】、ゴールドティアラ【マイルCS南部杯(GⅠ)】、ショウワモダン【安田記念(GⅠ)】など多数の活躍馬が出ている。しかしハリコット自身の最大の功績は、ケトルドラムとの間に牝駒レディーラングデンを産んだ事であろう。レディーラングデンは母としてグッドウッドCやドンカスターCを制したハンプトン、英ダービー馬サーベヴィズを産み、特にハンプトンは種牡馬としても活躍して後世に大きな影響を与えた。

本馬の3番子ブラクシーも小柄な馬だったが、姉ほどではないにしても、現役時代にスターリングSを勝つという活躍を見せた。そしてブラクシーも繁殖牝馬として成功した。ブラクシーの直子の成績には特筆すべきものは無いが、ストックウェルとの間に産んだ牝駒バーニスは米国に輸入されてオーガスト・ベルモント・シニア氏の元で繁殖牝馬として活躍し、ピースチャンス【ベルモントS】、日本で走ったスティルインラブ【桜花賞(GⅠ)・優駿牝馬(GⅠ)・秋華賞(GⅠ)】、ローブデコルテ【優駿牝馬(GⅠ)】などの牝系先祖となった。また、バーニスの全妹スリフトはトリスタン【アスコット金杯・ジュライC・英チャンピオンS2回】の母になっただけでなく、牝系子孫から、ポセイドン【メルボルンC・AJCダービー・コーフィールドC2回・ヴィクトリアダービー・マッキノンS・ローソンS・AJCプレート】、ジョージスミス【ケンタッキーダービー】、ロイヤルセレナーデ【ナンソープS2回・ハリウッド金杯】、アグレッサー【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS】、ホーリックス【ジャパンC(日GⅠ)・TVニュージーランドS(新GⅠ)2回・DBドラフトクラシック(新GⅠ)2回・マッキノンS(豪GⅠ)】、リファレンスポイント【英ダービー(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)】、ドロッセルマイヤー【ベルモントS(米GⅠ)・BCクラシック(米GⅠ)】、日本で走ったニューフォード【菊花賞・天皇賞秋】、ハクショウ【東京優駿・朝日杯三歳S】などを登場させた。ブラクシーがヤングメルボルンとの間に産んだ牝駒メリノの牝系子孫には、ラロッシュ【英オークス・ヨークシャーオークス】、米国の名障害競走馬ツスカリー、日本で走ったホマレボシ【有馬記念】、ベロナ【優駿牝馬】、メジロボサツ【朝日杯三歳S】、ヒダロマン【ビクトリアC】、フレッシュボイス【安田記念(GⅠ)】、メジロファラオ【中山グランドジャンプ(JGⅠ)】、メジロドーベル【阪神三歳牝馬S(GⅠ)・優駿牝馬(GⅠ)・秋華賞(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)2回】、モーリス【安田記念(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)・香港マイル(香GⅠ)・チャンピオンズマイル(香GⅠ)】などがいる。

本馬の4番子バルロウニーも、ドンカスターS・ポンテクラフト金杯・スコットランドセントレジャー・ケルソSを勝つ活躍を見せた。バルロウニーは後に米国に種牡馬として輸出されて一定の成功を収めた。

さて、イアンソン氏に買い戻された8歳の本馬は、イアンソン氏所有の牧場に移る道中で5番子の牡駒ビーフアンドグリーンズ(父ファーネレイ)を産んだ。しかしビーフアンドグリーンズについては名前や血統以外に記録が残っていない。

9歳時は6番子の牝駒ブルーミングヘザー(父メルボルン)を産んだ。ブルーミングヘザーは英オークスで2着している。ブルーミングヘザーの牝系子孫からは、バトルシップ【米グランドナショナル・英グランドナショナル】、クリスタルパレス【仏ダービー(仏GⅠ)】、日本で走ったマイネルキッツ【天皇賞春(GⅠ)】、ビッグアーサー【高松宮記念(GⅠ)】などが出ている。

10歳時は7番子の牡駒ボニースコットランド(父イアーゴー)を産んだ。ボニースコットランドは独立した項目があるので、ここでは概要のみ述べる。2歳時には故障のため不出走だったが3歳時には4戦してドンカスターS・リヴァプールセントレジャーに勝ち、英セントレジャーで2着した。しかし故障のため3歳限りで競走馬を引退。その後は英国で種牡馬入りしたが人気が出なかったために僅か1年で米国に輸出された。米国輸出当初はそれほど注目されていなかったが、着実に活躍馬を出して見直され、当時米国で最高の馬産牧場の一つだったベルミードスタッドに購入された。ベルミードスタッドにおいてボニースコットランドはさらに活躍馬を出し、1880・82年の北米首位種牡馬に輝き、後世にも大きな影響力を残した。

11歳時は8番子の牝駒ブリンクボニー(父メルボルン)を産んだ。ブリンクボニーにも独立した項目があるので、やはり概要のみ述べる。本馬の産駒は体格が小さい傾向が強かったが、ブリンクボニーは特に小さかったという。しかしブリンクボニーは19世紀屈指の名牝と呼べる活躍を見せた。まずは2歳時に11戦してジムクラックSなど8勝をマークした。3歳時は英ダービーと英オークスを連覇してみせるなど、7戦5勝の成績を残した。敗戦は英1000ギニーと英セントレジャーで、いずれも牝馬インペリュースに敗れている。しかし英セントレジャーの敗戦は騎手の八百長であった疑いがあり、その2日後のパークヒルSでは同コースで行われた英セントレジャーにおけるインペリュースの勝ちタイムより速いタイムで勝利した。4歳時に2戦して1勝を挙げて通算成績20戦14勝で引退。そして母となったブリンクボニーは英ダービーと英セントレジャーを勝ったブレアアソール、プリンスブウェールズSを勝ったブレッドアルバンを産んだ。特にブレアアソールは種牡馬としても大成功した(詳細は当馬の項を参照)。また、ブリンクボニーの牝系子孫からは、ベイヤード【英セントレジャー・アスコット金杯・デューハーストS・ミドルパークS・エクリプスS・英チャンピオンS】、レンベルグ【英ダービー・デューハーストS・ミドルパークS・エクリプスS・英チャンピオンS2回・コロネーションC】、マイディア【英オークス・デューハーストS・英チャンピオンS】、ピカルーン【ミドルパークS・英チャンピオンS】、日本で走ったヒカルメイジ【東京優駿】、コマツヒカリ【東京優駿】などが出ている。

本馬の12歳時は前年にタッチストンと交配されたが珍しく不受胎だったため産駒はいない。

13歳時は9番子の牡駒バルナムーン(父アナンデール)を産んだ。バルナムーンは活躍しなかった。

14歳時は10番子の牝駒バブアットザボウスター(父アナンデール)を産んだ。バブアットザボウスターは母として独国・伊国・豪州で何頭かの活躍馬を産んでいるが、牝系子孫はあまり発展しなかった。

15歳時は11番子の牡駒ボニーフィールド(父ウエストオーストラリアン)を産んだ。ボニーフィールドは活躍しなかった。

16歳時は12番子の牝駒ボニーブレストノット(父ヴォルティジュール)を産んだ。ボニーブレストノットも繁殖牝馬となったが、特筆できる成績は残さなかった。

17歳時は13番子の牝駒ボニーベル(父ヴォルティジュール)を産んだ。ボニーベルも繁殖牝馬となり、ボークラーク【ミドルパークプレート】など17頭の子を産んだ。ボークラークは後に種牡馬としても活躍している。ボニーベルの牝系子孫からは、オーウェル【英2000ギニー・ミドルパークS】、オーエンテューダー【英ダービー・アスコット金杯】、カドゥージェネルー【ジュライC(英GⅠ)・スプリントCS(英GⅠ)】、日本で走ったハイレコード【菊花賞】、リュウゲキ【朝日杯三歳S】、カルストンライトオ【スプリンターズS(GⅠ)】などが出ている。

18歳時は産駒がおらず、19歳時に14番子の牡駒ブルーミーロー(父ストックウェル)を産んだ。ブルーミーローはかなり気性に問題がある馬だったらしいが、それでもチェスターフィールドCを勝つなど水準以上の競走成績を残した。種牡馬としては牝駒ドールティアーシートが英ダービー馬メリーハンプトン(マンノウォーの祖母の父)を産んだ事により後世に影響を残した。

20歳時は15番子の牡駒バーティー(父ニューミンスター)を産んだ。バーティーは活躍しなかった。

21歳時は16番子の牡駒ブリンクフーリー(父ラタプラン)を産んだ。ブリンクフーリーは、ジムクラックS・クイーンアレクサンドラS・アスコットゴールドヴァーズを勝利した。種牡馬となったブリンクフーリーは早世したが、牡駒のウィズダムが後継種牡馬として複数の英国クラシック競走の勝ち馬を出してかなりの成功を収めている。

22歳時は産駒はおらず、23歳時に17番子の牝駒バーサ(父ヤングメルボルン)を産んだ。バーサは競走馬としても繁殖牝馬としても活躍しなかった。

24歳から26歳までは高齢のためか産駒はいなかったが、27歳時に18番子の牝駒ボニードゥーン(父ラピッドローン)を産んだ。ボニードゥーンがハーミットとの間に産んだ娘ベラドンナと、ガロピンとの間に産んだ娘ボニーギャルは共に米国に輸入されて優秀な繁殖牝馬となった。特にボニーギャルの孫ブラックトニーは種牡馬として>ブラックゴールドブラックヘレンバイムレックという3頭の米国顕彰馬を出す活躍を見せた。また、ボニードゥーンの孫ウォータークレスも米国で種牡馬として成功した。ボニードゥーンの牝系子孫からは他にも、ベルデイム【カーターH・アラバマS・ガゼルH・サバーバンH】、ベルギーの名種牡馬プリンスローズ【仏共和国大統領賞】、エアボーン【英ダービー・英セントレジャー】、アークティックプリンス【英ダービー】、加国の名種牡馬ヴァイスリージェントラインゴールド【凱旋門賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)】、ハイエストオナー【イスパーン賞(仏GⅠ)】、チロル【英2000ギニー(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)】、チェロキーローズ【モーリスドギース賞(仏GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、ホーリング【エクリプスS(英GⅠ)2回・英国際S(英GⅠ)2回・イスパーン賞(仏GⅠ)】、エリシオ【凱旋門賞(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)】、アルカセット【ジャパンC(日GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、リップヴァンウィンクル【サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】、アフリカンストーリー【ドバイワールドC(首GⅠ)・マクトゥームチャレンジR3(首GⅠ)】など、非常に多くの活躍馬が出ている。

ボニードゥーンが本馬の最後の産駒となり、本馬は2年後の1872年に29歳で他界した。本馬の産駒は全体的に優秀なスタミナを有しており、それが特に牝駒を通じて伝わっているようである。本馬の牝系子孫から登場した著名馬は上述のとおり数多くおり、まさに根幹繁殖牝馬と呼ぶに相応しい一頭である。

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