イロコイ

和名:イロコイ

英名:Iroquois

1878年生

黒鹿

父:リーミントン

母:マギービービー

母父:オーストラリアン

米国産馬ながら1歳時に渡英して英ダービー・英セントレジャーを制し、米国産馬として初の英国クラシック競走の勝ち馬となった19世紀米国産馬の星

競走成績:2~5歳時に英米で走り通算成績26戦12勝2着4回3着3回

誕生からデビュー前まで

リーミントンを種牡馬として所有していた米国の馬産家アリスティデス・ウェルチ氏により、彼が所有するペンシルヴァニア州フィラデルフィアの近郊のエーデンハイムスタッドにおいて生産された。父リーミントンは本馬が誕生した年の5月に他界したため、本馬は父にとって最後から2番目の世代の産駒であり、父が最晩年に出した馬の1頭である。

成長しても体高15.6ハンド程度とそれほど大きな馬ではなかったが、2歳年上の全兄ハロルドがプリークネスSを勝ったという血統の良さもあり、幼少期から期待馬だった。

1歳になった本馬は、米国で最も古い煙草会社ロリラード社の創業者の曾孫であるピエール・ロリラードⅣ世氏により購入された。ロリラードⅣ世氏とウェルチ氏はかなり親しかったようで、ロリラードⅣ世氏が生産した馬がウェルチ氏の名義として走った事もしばしばあった。後の米国顕彰馬パロールもそのうちの1頭であり、ロリラードⅣ世氏はパロールを英国に派遣して、ニューマーケットH・シティ&サバーバンH・グレートメトロポリタンH・エプソム金杯を勝たせる事に成功していた。パロールがこの4競走を勝ったのは本馬が1歳の時であり、今度は自身の所有馬を英国クラシック競走に参戦させる事を企図したロリラードⅣ世氏は、英国牡馬クラシック競走全てに本馬の出走登録を行った。

そして1歳の本馬を英国に派遣(さっきから派遣と書いているが、ロリラードⅣ世氏は英国にいる事が多かったから「呼び寄せた」と書いた方が正確かも知れない)して、自身の所有馬を英国で走らせた際に管理を委ねることが多かったジェイコブ・ピンカス調教師に預けた。ピンカス師は米国メリーランド州ボルチモアの出身で、英国競馬界にストップウォッチを初めて導入した人物として知られていた。

競走生活(3歳初期まで)

2歳時に競走馬デビューして、この年は4戦して2勝を挙げた。そのうちの1勝はグッドウッド競馬場で出走したラヴァントS。もう1勝はニューマーケット競馬場で出走したチェスターフィールドS(T5F)で、後に英国を代表する強豪馬に成長するトリスタンを着外に破っている。ジュライS(T6F)では、後にこの年のリッチモンドS・ロウス記念S2回・英シャンペンS・デューハーストプレートを勝つ同世代2歳トップクラスのバルギャルに頭差の2着まで迫っており、本馬もまた同世代の有力馬の1頭として認知された。

3歳時は、英2000ギニー(T8F17Y)から始動した。しかし結果は、勝ったペレグリンに3馬身差をつけられて2着に敗退。このレースを観戦していた当時15歳のサム・ヒルドレス氏(後にケンタッキーダービー・ベルモントSの勝ち馬ゼヴの管理調教師として英ダービー馬パパイラスを破ることになる)は後になって、このときの本馬は全く本調子になかったと語っており、他の多くの人達もほぼ同意見だったらしい。当時の英国を代表する名手フレッド・アーチャー騎手も、本馬がその能力を最大限に発揮すれば同世代馬の中で一番強いと感じたようで、自分を専属騎手として任用していた第6代ファルマス子爵エブリン・ボスコーエン卿の許可を受けた上で、来るべき英ダービーでは本馬に騎乗させてほしいとロリラードⅣ世氏に申し出てきた。ロリラードⅣ世氏にとっても名手アーチャー騎手に乗ってもらえるなら願ってもない話であり、契約はたちまち成立した。

本馬は英2000ギニーから英ダービーに直行したわけではなく、前哨戦を使った。まずはペインS(T10F・現ニューマーケットS)に出走して、英2000ギニーで着外に終わっていたトリスタンを破って勝利。次走のバーウェルS(T12F)では、対戦相手がいなかったために単走で勝利した。

競走生活(3歳中期と後期)

そして迎えた英ダービー(T12F29Y)では、ペレグリンが1番人気に支持されており、アーチャー騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ6.5倍の2番人気だった。レースでは先行して押し切りを図ったペレグリンと、それをマークするように走って直線で並びかけた本馬の叩き合いとなったが、アーチャー騎手の剛腕に応えた本馬が競り勝って半馬身差で優勝。米国産馬として史上初の英国クラシック競走制覇を成し遂げた。ロリラードⅣ世氏も、米国人馬主として初めて英国クラシック競走を制覇したことになった。

引き続きセントジェームズパレスS(T8F)に出走。対戦相手は、仏国から遠征してきたグランプールドプロデュイ(後のリュパン賞)の勝ち馬レオンのみだった。レースでは本馬が馬なりのまま走って勝利した。さらにプリンスオブウェールズS(T13F)に出走。本馬の斤量は131ポンドで、他の3歳牡馬勢よりも9ポンド重い斤量が課せられた。それでも単勝オッズ2.25倍の1番人気に応えて、ジオロジストとの接戦を半馬身差で制して勝利した。

その後は英セントレジャー(T14F132Y)に向かった。ここでもアーチャー騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。そしてジオロジストを1馬身差の2着に、英オークス2着・ミドルパークプレート・デューハーストプレート・ヨークシャーオークス3着のルーシーグリッターズをさらに3/4馬身差の3着に抑えて勝利を収めた。これで仮に本馬が英2000ギニーで本調子であれば、米国産の英国三冠馬が誕生するところだったのだが、惜しい結果だった。

その後は英チャンピオンS(T10F)に出走。このレースには、前年の英ダービーを筆頭にリッチモンドS・ロウス記念S・セントジェームズパレスS・シティ&サバーバンH・エプソム金杯を勝っていた1歳年上の名馬ベンドアが前年2着の雪辱を期して出走してきた。ベンドアの主戦でもあったアーチャー騎手は、ベンドアの所有者が英国の有力馬主初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナー卿だったこともあり、ここではベンドアへの騎乗を優先。その結果として本馬はベンドアの3着に敗れてしまった。しかしニューマーケットダービー(T12F)では勝利を収めた。3歳時の成績は9戦7勝だった。

競走生活(4・5歳時)

ちょうどこの頃、本馬と同世代の米国産馬が何頭か英国で走っていた。その中の1頭であるフォックスホールは本馬と異なり英国クラシック登録が無かったが、パリ大賞・グランドデュークマイケルS・シザレウィッチH・セレクトS・ケンブリッジシャーHを勝つ活躍を見せていた。本馬とフォックスホールは対戦経験が無かったため、2頭のマッチレースが企画された。このマッチレースは3万ポンドという高額を賭けて実施される計画で段取りが進んでいたらしいのだが、実現はしなかった。その理由は、4歳になった本馬が鼻出血を発症してしまったからだった。症状は芳しくなく、4歳時には結局1度もレースに出ることなく終わってしまった。

5歳になって何とか競馬場には戻ってきたが、以前の強さは既に失われていた。それでもストックブリッジC(T6F)では、一昨年の英チャンピオンSで本馬に先着する2着だったエプソム金杯・グレートフォールSの勝ち馬スコベルを2着に破って勝利。ハードウィックS(T12F)では、一昨年の英ダービーで本馬の着外に敗れた後にパリ大賞でフォックスホールの2着して、さらにアスコットゴールドヴァーズ・ハードウィックS・エプソム金杯2回・ジュライC・ドーヴィル大賞・英チャンピオンS・アスコット金杯を勝つなど、今やすっかり英国最強馬の地位を手に入れていたトリスタンとの対戦となった。斤量は2頭とも他馬勢より12ポンド重い138ポンドのトップハンデだった。それでもレースは本馬とトリスタンの一騎打ちとなったが、トリスタンが勝利を収め、本馬は1馬身半差の2着に敗退。それでも相手が現役英国最強馬だった事などを考慮すると内容的には悪くは無かった。しかしハードウィックSの翌7月に、ロリラードⅣ世氏は本馬をこれ以上英国で走らせるのは困難と判断し、本馬を米国に帰還させた。

米国に戻ってきた本馬は引き続き走ったが、モンマスS(D12F)では3着。ピムリコS(D13F)では、名牝ミスウッドフォード、この年のベルモントS・ウィザーズS・ジェロームHの勝ち馬ジョージキニーという若き3歳馬2頭に屈して、ミスウッドフォードの3着。あまり結果を残せないまま5歳限りで競走馬を引退した。

それでも本馬やフォックスホールの英国における活躍は、今まで米国産馬を格下と思っていた英国の競馬関係者達に衝撃を与えた。地元の英国では本馬よりフォックスホールの評価のほうが上だったが、米国では栄光ある英国クラシック競走の勝ち馬という事で本馬の評価が高く、本馬は米国産の星と呼ばれるようになった。本馬の英国における活躍により、競馬に興味を抱いて競馬場に足を運ぶようになった米国の人も少なくなかったようである。

血統

Leamington Faugh-a-Ballagh Sir Hercules Whalebone Waxy
Penelope
Peri Wanderer
Thalestris
Guiccioli Bob Booty Chantcleer
Ierne
Flight Escape
Young Heroine
Pantaloon Mare Pantaloon Castrel Buzzard
Alexander Mare
Idalia Peruvian
Musidora
Daphne Laurel Blacklock
Wagtail
Maid of Honor Champion 
Etiquette
Maggie B B Australian West Australian Melbourne Humphrey Clinker
Cervantes Mare
Mowerina Touchstone
Emma
Emilia Young Emilius Emilius
Shoveler
Persian Whisker
Variety
Madeline Boston Timoleon Sir Archy
Saltram Mare
Sister to Tuckahoe Ball's Florizel
Alderman Mare
Magnolia Glencoe Sultan
Trampoline
Myrtle Mameluke
Bobadilla

リーミントンは当馬の項を参照。

母マギービービーは、ケンタッキー州選出の有名政治家ヘンリー・クレイ・シニア氏の孫ジェームズ・ブラウン・クレイ・ジュニア氏により生産されたケンタッキー州産馬。もともとは英語で鳥のカササギを意味する“マグパイ(Magpie)”と命名されていた。しかしクレイ・ジュニア氏が結婚しようとして周囲の反対にあって果たせなかった最愛の女性マーガレット・B・ベック嬢が、他の男との結婚式の数日後に20歳の若さで死去したため、彼女の名前に変更したという悲しい逸話がある。

競走馬としては2歳時にヤングアメリカSを勝つなど7戦3勝。3歳時はシークエルSを勝ち、エクセルシオールSで1歳年上のトラヴァーズS・ジェロームHの勝ち馬グレネルグの2着など、3戦1勝の成績を残した。3歳限りで競走馬を引退して、ウェルチ氏により購入されてエーデンハイムスタッドで繁殖入りしていた。

繁殖牝馬としての成績は優秀で、本馬の全兄ハロルド【プリークネスS】、半弟パニック(父アラーム)【ベルモントS・ウィザーズS】などを産んだ。なお、ハロルドも現役時代に鼻出血を発症しており、本馬の鼻出血は遺伝である可能性がある。

マギービービーは優秀な後継繁殖牝馬にも恵まれ、世界的一大牝系の祖となった。

まず、本馬の全姉ジャコネットの子に北米首位種牡馬サーディクソン【ベルモントS・トラヴァーズS・ウィザーズS】、孫にマタンザ【グランドユニオンホテルS】、パーエクセレンス【アラバマS】、曾孫にトロージャン【ベルモントフューチュリティS】、チャーターメイド【メイトロンS】、玄孫世代以降に、ローリン【ケンタッキーダービー】、フォールトレス【プリークネスS・ブルーグラスS】、イドゥン【メイトロンS・フリゼットS・マザーグースS・ガゼルH・マスケットH】、ボールドネシアン【サンタアニタダービー】、プリンセスネシアン 【ハリウッド金杯・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・ミレイディH】、サマーゲスト【CCAオークス・モンマスオークス・アラバマS・スピンスターS(米GⅠ)】、レヴィデール【CCAオークス(米GⅠ)・モンマスオークス(米GⅠ)・ラフィアンS(米GⅠ)】、クリプトクリアランス【フロリダダービー(米GⅠ)・ペガサスH(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)・ワイドナーH(米GⅠ)】、プロパーリアリティ【アーカンソーダービー(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)・フィリップHアイズリンH(米GⅠ)】、サーティスルーズ【BCスプリント(米GⅠ)】、日本の名種牡馬フレンチデピュティ、エンカウンター【AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)・コーフィールドギニー(豪GⅠ)・豪フューチュリティS(豪GⅠ)・チッピングノートンS(豪GⅠ)】、ハーランズホリデー【フロリダダービー(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)】、デヴィルメイケア【フリゼットS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】、日本で走ったアンバーシャダイ【有馬記念・天皇賞春】、イブキマイカグラ【阪神三歳S(GⅠ)】、サクラバクシンオー【スプリンターズS(GⅠ)2回】、カワカミプリンセス【優駿牝馬(GⅠ)・秋華賞(GⅠ)】、アルフレード【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)】などがいる。

次に、本馬の全妹フランチェスカの曾孫にラニャーガ【マンハッタンH・ジェロームH】、玄孫世代以降にローズモント【サンタアニタH・サンアントニオH】、ツイストマジック【ティングルクリークチェイス(英GⅠ)2回・パンチェスタウンチャンピオンチェイス(愛GⅠ)・セレブレーションチェイス(英GⅠ)・クラレンスハウスチェイス(英GⅠ)】などがいる。

次に、本馬の半妹レッドアンドブルー(父アラーム)の子にサリーマクレランド【スピナウェイS・アラバマS】、孫にブルーガール【ガゼルH】、オーディエンス【ケンタッキーオークス】、曾孫にウィスクブルーム【メトロポリタンH・ブルックリンH・サバーバンH】、ハンブルグベル【ベルモントフューチュリティS】、玄孫世代以降にクルセイダー【ベルモントS・サバーバンH2回・ジョッキークラブ金杯】、トップフライト【アーリントンラッシーS・サラトガスペシャルS・メイトロンS・ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティ・エイコーンS・CCAオークス・アラバマS】、ブルーピーター【サラトガスペシャルS・サプリングS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS】、ミドルグラウンド【ケンタッキーダービー・ベルモントS・ホープフルS】、ブルページ【加CSS】、ボールドイーグル【ワシントンDS国際S2回・メトロポリタンH・サバーバンH・ワイドナーH・ガルフストリームパークH】、シルキーサリヴァン【サンタアニタダービー】、ダンキューピッド(シーバードの父)、ヴェネチアンウェイ【ケンタッキーダービー】、ミスキャヴァンディッシュ【CCAオークス・モンマスオークス・アラバマS】、フォールアスペン【メイトロンS(米GⅠ)】、サニーズヘイロー【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・アーカンソーダービー(米GⅠ)・スーパーダービー(米GⅠ)】、コジーン【BCマイル(米GⅠ)】、名種牡馬ディキシーランドバンド、ミスオシアーナ【アーリントンワシントンラッシーS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・セリマS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)・マスケットS(米GⅠ)】、ライフズマジック【BCディスタフ(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)】、セイフリーケプト【BCスプリント(米GⅠ)・テストS(米GⅠ)】、サイクストン【伊グランクリテリウム(伊GⅠ)・伊2000ギニー(伊GⅠ)・ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)2回・伊共和国大統領賞(伊GⅠ)2回・ローマ賞(伊GⅠ)】、サブゼロ【メルボルンC(豪GⅠ)・アデレードC(豪GⅠ)・サウスオーストラリアンダービー(豪GⅠ)】、ティンバーカントリー【プリークネスS(米GⅠ)・BCジュヴェナイル(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、アンブライドルズソング【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、ニュークリアディベイト【ナンソープS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、ドバイミレニアム【ドバイワールドC(首GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)】、ジョシュアツリー【加国際S(加GⅠ)3回】、ドーンアプローチ【英2000ニー(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】、フリントシャー【パリ大賞(仏GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)・ソードダンサーS(米GⅠ)】、日本で走ったラプソデー【菊花賞】、テイエムオペラオー【皐月賞(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)2回・宝塚記念(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、ボンネビルレコード【帝王賞(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)】、ブルーメンブラット【マイルCS(GⅠ)】、レジネッタ【桜花賞(GⅠ)】、アジアエクスプレス【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)】、ディアドムス【全日本2歳優駿(GⅠ)】などが出ている。

マギービービーの半姉マッドストーン(父ストーンプローヴァー)の牝系子孫は、マッドストーンの曾孫で1903年に日本に繁殖牝馬として輸入されたチップトップが日本で一大牝系を築いており、アストラスト【帝室御賞典(札幌)】、エイ【帝室御賞典(阪神)】、タマチップ【帝室御賞典(阪神)】、ホシホマレ【優駿牝馬】、アサデンコウ【東京優駿】、アポスピード【川崎記念】、フリューファスト【東京大賞典】、スピードパーシア【東京大賞典】、ローズジャック【帝王賞】、ゴールドシチー【阪神三歳S(GⅠ)】、メリーナイス【東京優駿(GⅠ)・朝日杯三歳S(GⅠ)】、ロジータ【羽田盃・東京ダービー・東京王冠賞・東京大賞典・川崎記念】、シルクジャスティス【有馬記念(GⅠ)】、カネツフルーヴ【帝王賞(GⅠ)・川崎記念(GⅠ)】、レギュラーメンバー【ダービーグランプリ(GⅠ)・川崎記念(GⅠ)・JBCクラシック(GⅠ)】、エスポワールシチー【かしわ記念(GⅠ)3回・マイルチャンピオンシップ南部杯(GⅠ)3回・ジャパンCダート(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)・JBCスプリント(GⅠ)】などが出ている。→牝系:F4号族③

母父オーストラリアンはスペンドスリフトの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、かつて米国南北戦争で南軍の指揮官として活躍した後に、テネシー州ナッシュビルにベルミードスタッドを創設して馬産を開始していたウィリアム・ヒックス・ジャクソン将軍により2万ドルで購入され、ベルミードスタッドで種牡馬入りした。このベルミードスタッドはかつて名種牡馬ボニースコットランドを擁していた当時米国有数の名門牧場だったが、ボニースコットランドは1880年に他界していたため、ジャクソン将軍はその代わりの種牡馬を求めていたのだった。本馬は1892年の北米首位種牡馬に輝くなど種牡馬としても活躍し、ジャクソン将軍の期待に応えてみせた。本馬は種牡馬入り後も、米国産の星として大衆人気が高く、ベルミードスタッドには多くの客がやってきて、本馬の周囲で本馬を讃える歌を歌っていたという。1899年9月に腎不全のため21歳で他界し、遺体はベルミードスタッドに埋葬されたが、その埋葬場所は現在では分からなくなっている。種牡馬として成功した本馬だが、後継種牡馬には恵まれず、直系は長く続かなかった。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1889

Tammany

ウィザーズS・ジェロームH・ローレンスリアライゼーションS

1891

Senator Grady

サプリングS

1894

White Frost

ケンタッキーオークス

1895

Geisha

ガゼルH

1897

Indian Fairy

メイトロンS・ガゼルH

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