パロール
和名:パロール |
英名:Parole |
1873年生 |
騙 |
黒鹿 |
父:リーミントン |
母:メイドン |
母父:レキシントン |
||
テンブロックとのマッチレースを制した後に英国に渡って当時の英国最強馬アイソノミーを連破し米国馬の底力を英国民に見せ付ける |
||||
競走成績:2~12歳時に米英で走り通算成績138戦59勝2着28回3着17回 |
誕生からデビュー前まで
米国で最も古い煙草会社ロリラード社の創業者の曾孫であるピエール・ロリラードⅣ世氏により、ケンタッキー州において生産された。そして父リーミントンの所有者だったアリスティデス・ウェルチ氏の所有馬となり、ウィリアム・ブラウン調教師に預けられた。
競走生活(2~5歳時)
去勢されて騸馬となった本馬は2歳時に競走馬デビューした。モンマスパーク競馬場で出走したジュライS(D6F)を勝利すると、同じくモンマスパーク競馬場で出走したオーガストS(D6F)も勝利した。サラトガ競馬場で出走したサラトガS・ケンタッキーS(D8F)も勝利した。このケンタッキーSでは、翌年のトラヴァーズS・レディーズS・メリーランドSを勝って米最優秀3歳牝馬に選ばれるサルタナを3着に破り、1分44秒75のレースレコードを計時して勝っている。ボルチモア競馬場で出走したセントラルSでは2着だった。2歳時の成績は6戦4勝2着1回で、サンフォードS・ベルミードS・アレクサンダーSなどを勝ったヴェイグラントと並んで、後年になってこの年の米最優秀2歳牡馬騸馬に選ばれている。
3歳時は創設2年目のケンタッキーダービー(D12F)に出走。前年の第1回をウェルチ氏所有のアリスティデスが勝っており、ウェルチ氏は本馬で2連覇を目指した。しかし結果は前述のヴェイグラントが勝ち、ヤングアメリカSの勝ち馬クリードモア、ハリーヒルにも後れを取った本馬は4着に敗れた。その後はセキュールS(D14F)で、前年のジュライSで本馬の2着だったフリーブーターを2着に破って勝利。サラトガC(D18F)では、本馬の生産者ピエール・ロリラードⅣ世氏の弟ジョージ・ロリラード氏の所有馬で、前年のプリークネスS・ディキシーSを勝っていた1歳年上のトムオキルトリーとの対戦となったが、トムオキルトリーの2着に敗れた。3歳時の成績は7戦3勝2着2回だった。
本馬が本格化したのは4歳時で、ケンタッキーS・ジュライS・オーガストS(いずれも本馬が2歳時に勝ったのとは別競走である模様)を勝利した。オーガストSでは、同世代のプリークネスSの勝ち馬シャーリーを下して勝っている。さらにサラトガC(D18F)では、前年の同競走で屈した相手であるトムオキルトリーを2着に破って勝利した。
その後10月に行われたボルチモアスペシャルマッチレースに参戦。このレースに出走した馬は本馬を含めて3頭。1頭はサラトガCで本馬に屈したが、その後本馬に2回勝利していたトムオキルトリー。そしてもう1頭は本馬の1歳年上で当時8連勝中と無敵を誇っていた後の米国顕彰馬テンブロックだった。テンブロックとトムオキルトリーの2頭は当時米国で最強と考えられていた馬であり、本馬の人気は3頭中一番下だったようである。米国の上院・下院議員達がこのレースを見るためにメリーランド州までやって来たため、この日の合衆国議会は延期になるほどの盛り上がりを見せたという。レースではテンブロックがスタートから先手を奪い、本馬はトムオキルトリーと共にそれを追走する展開だった。しかし終盤になると本馬がトムオキルトリーを置き去りにしてテンブロックを猛追。最後は本馬がテンブロックを完璧に差し切り、2着テンブロックに4馬身差をつけて勝利を収めた。この年10戦9勝の成績を残したテンブロックにとっては同年唯一の敗戦だった。敗北した2頭の陣営は揃ってレース前に馬が咳をしていたと主張したが、言い訳めいていた。
翌11月には本馬とテンブロックのマッチレースがジェロームパーク競馬場において企画されたのだが、テンブロックが回避したために本馬が単走で勝利した。4歳時の本馬は12戦8勝2着3回3着1回という優れた成績を収めた。
5歳時はサラトガC(D18F)の2連覇を果たすなど10戦8勝2着1回の成績を残した。
英国遠征
本馬が5歳時の暮れ、当時英国にいた本馬の生産者ロリラードⅣ世氏は、米国調教馬で英国の競走を勝つ事を企図した。そして弟ジョージ・ロリラード氏の所有馬で本馬と同厩だった3歳馬デュークオブマジェンタを英国に向かわせた。そして本馬もデュークオブマジェンタの帯同馬の一頭として同行する事になった。本馬の所有者はロリラードⅣ世氏ではなくウェルチ氏なので、ロリラードⅣ世氏がウェルチ氏を説得したと思われるが、英国において本馬はロリラードⅣ世氏の名義で走ったとする資料もあり、リース契約かロリラードⅣ世が買い戻したかのいずれかである可能性もある。
ロリラードⅣ世氏は、プリークネスS・ウィザーズS・ベルモントS・トラヴァーズS・ケナーS・ジェロームSなど米国主要3歳競走を全て制したデュークオブマジェンタをメインに考えていたようだが、肝心のデュークオブマジェンタは英国に向かう船の中で体調を崩してしまい、米国にとんぼ返りしてしまった(そのまま競走馬に復帰することなく引退)。そのため、米国調教馬の実力を証明する役割はデュークオブマジェンタから本馬に委ねられた。
英国に到着した本馬は地元マスコミから“Yankee Mule(アメリカのラバ)”と呼ばれた。“Yankee”は英国人が米国人を蔑視する時の呼び方であり、馬ではなくラバと言われた事からも、本馬が軽く見られた事は明らかだった。もっとも、本馬があまり見栄えのしない馬だったのは事実だったようで、後に米国競馬の殿堂入りを果たすサム・ヒルドレス調教師は自身の著書「競馬の魅力」の中で、本馬について「首は細く、体毛はぼさぼさで、脚はひょろ長く何かにぶつけたように曲がっていた」と記載している。
しかし本馬は自身を嘲笑った英国人を見返すような走りを披露した。6歳4月に出走したニューマーケットH(T12F)では、前年のケンブリッジシャーHを勝って19世紀英国屈指の名馬への階段を昇り始めたばかりのアイソノミーを1馬身半差の2着に破って勝利した。その6日後にはエプソム競馬場でシティ&サバーバンH(T10F)に出走。出走頭数は前走ニューマーケットHの6頭立てから大幅に増えて18頭立てになっており、対戦相手の中にはアイソノミーの姿もあった。しかし本馬が23ポンドのハンデを与えた4歳牡馬リドットを1馬身差の2着に、同じく23ポンドのハンデを与えたロイヤルハントCの勝ち馬クレイドルを3着に抑えて勝利を収め、アイソノミーは着外に終わった。なお、アイソノミーの項に記載したように、アイソノミーの資料にはこのシティ&サバーバンHにアイソノミーが出走したという記載が無いため、本項とアイソノミーの項で矛盾が生じている事をご了承いただきたい。
その翌日には同じエプソム競馬場でグレートメトロポリタンH(T18F)に出走。既に本馬と自身の所有馬とを対戦させる気を無くしていた馬主が多く、このレースで本馬に挑んできたのは、前年の同競走で2着していたグレートヨークシャーSの勝ち馬キャッスルリーの1頭のみだった。斤量はキャッスルリーが110ポンドだったのに対して本馬は124ポンドだったが、単勝オッズ1.25倍の1番人気に支持された本馬は涼しい顔で勝利を収め、さすがの英国民も驚嘆したという。
6月にはアスコット競馬場でアスコットS(T16F)に出走したが、ここでは16ポンドのハンデを与えたシティ&サバーバンH2着馬リドット、45ポンドものハンデを与えた3歳牡馬ベイアーチャーとの接戦に屈して、勝ったリドットから半馬身差の3着に敗れた。同月にはエプソム競馬場でエプソム金杯(T12F)に出走した。このエプソム金杯は現在のコロネーションCに相当するレースであるが、本馬を恐れたのか対戦相手は2頭の3歳馬のみだった。レースでは本馬が13ポンドのハンデを与えた2着アルケミストに半馬身差で勝利した。その後はグッドウッドC(T20F)に出走して、シティ&サバーバンHで着外に敗れた後にアスコットゴールドヴァーズ・アスコット金杯を勝っていたアイソノミーと再戦。しかし今回はアイソノミーが勝利を収め、本馬は3着に敗れた。6歳時の成績は11戦5勝3着1回だった。
翌7歳時も英国で走ったが、連覇を狙ったエプソム金杯(T12F)で30ポンドのハンデを与えた3歳牝馬ファッションの1馬身差2着したのが目立つ程度で、この年に米国に戻っていった。しかし本馬は米国調教馬の底力を英国競馬関係者にまざまざと見せ付けることが出来た。本馬の成功に自信を深めたロリラードⅣ世氏は、後にウェルチ氏の生産馬で自身が所有したイロコイを英国で走らせて英ダービー・英セントレジャーを制する事になる。
帰国後
米国に戻った本馬は騸馬の宿命で休む間もなくその後も延々と走り続けた。7歳時の成績は14戦4勝2着2回3着1回だった。
8歳時には、マンハッタンH(D10F)・ウエストチェスターCを勝利。米チャンピオンS(D12F)では、ケンタッキーダービー・クラークS・タイダルS・コニーアイランドダービー・オーシャンS・ロリラードS・セキュールS・ユナイテッドステーツホテルS・ケナーSなど目下14連勝中の米国最強3歳馬ヒンドゥー、ジェロームH・ディキシーSの勝ち馬でベルモントS2着のモニターの2頭に敗れて、ヒンドゥーの3着だった。8歳時の成績は24戦12勝2着4回3着4回だった。
9歳時には、マンハッタンH(D10F)で、ヤングアメリカS・ベルミードS・オハイオダービー・グレートアメリカンスタリオンSなどの勝ち馬ブーツジャックの3着。米チャンピオンS(D12F)では、前年のディキシーSの勝ち馬でベルモントS2着のイオレの3着に入っている。しかしこの年のステークス競走の勝利は無く、以降もステークス競走を勝つことは無かった。しかし9歳時は21戦8勝2着2回3着6回の成績を残した。
10歳時は21戦7勝2着7回3着3回の成績を残した。11歳時は1戦だけして未勝利だった。
この11歳時を最後に競走馬を引退した・・・というのが一昔前まで言われていた本馬の競走経歴で、かなり長い期間に渡って、本馬の通算成績は127戦59勝2着22回3着16回であるとされていた。ところが2010年になって、米国競馬名誉の殿堂博物館の研究員により、本馬は12歳時に11戦している事が判明し、通算138戦に改められた。12歳時には勝ち星を挙げてはいないのだが、2着に6回、3着に1回入っており、2歳時から11年間も競馬で勝ち負けになる実力を保っていた事になる。しかも当時は一般的でなかった海外遠征(現在でも北米ダート路線の実力馬が欧州芝路線に打って出て結果を残す例は少ない)でも活躍している。その頑健さ、精神力は見事であると言うほかないであろう。獲得賞金総額は英国で稼いだ賞金を含めると8万2816ドルで、これは当時の北米調教馬としては最高記録である(英国における賞金を含めなければヒンドゥーの方が多くなる)。馬名は「仮釈放」という意味である。
血統
Leamington | Faugh-a-Ballagh | Sir Hercules | Whalebone | Waxy |
Penelope | ||||
Peri | Wanderer | |||
Thalestris | ||||
Guiccioli | Bob Booty | Chanticleer | ||
Ierne | ||||
Flight | Escape | |||
Young Heroine | ||||
Pantaloon Mare | Pantaloon | Castrel | Buzzard | |
Alexander mare | ||||
Idalia | Peruvian | |||
Musidora | ||||
Daphne | Laurel | Blacklock | ||
Wagtail | ||||
Maid Of Honor | Champion | |||
Etiquette | ||||
Maiden | Lexington | Boston | Timoleon | Sir Archy |
Saltram mare | ||||
Sister to Tuckahoe | Ball's Florizel | |||
Alderman Mare | ||||
Alice Carneal | Sarpedon | Emilius | ||
Icaria | ||||
Rowena | Sumpter | |||
Lady Grey | ||||
Kitty Clark | Glencoe | Sultan | Selim | |
Bacchante | ||||
Trampoline | Tramp | |||
Web | ||||
Miss Obstinate | Sumpter | Sir Archy | ||
Robin Redbreast Mare | ||||
Jenny Slamerkin | Lewis's Tiger | |||
Hannah Harris |
父リーミントンは当馬の項を参照。
母メイドンは現役成績15戦4勝、第2回トラヴァーズSを勝った名牝である。メイドンの子には本馬と同じく英国で走った全妹パポーズ【ファーストスプリングS】、やはり英国で走った全妹ポーポー【モールコームS】がいる。また、本馬の全弟ポーハッタンは競走馬としてはサラトガCで3着した程度に終わったが、種牡馬として1890年のベルモントS・ブルックリンダービーを勝ったバーリントンを出した。
メイドンの牝系子孫はかなり発展している。本馬の全妹パーフェクションの孫にはシボラ【英1000ギニー】がおり、シボラの孫にはノガラ【伊2000ギニー・伊1000ギニー】がいる。そしてノガラの子にはもはや説明不要の生涯無敗の名競走馬にして大種牡馬であるネアルコ【パリ大賞・伊グランクリテリウム・伊2000ギニー・伊ダービー・インペロ大賞(現イタリア大賞)・ミラノ大賞】、それに、ニコロデラルカ【伊2000ギニー・伊ダービー・伊グランクリテリウム・イタリア大賞・ミラノ大賞・ベルリン大賞・伊ジョッキークラブ大賞・ローマ賞】、ネルヴェサ【伊オークス】の3兄妹がいる。これ以外にパーフェクションの牝系子孫から登場した活躍馬には、生涯無敗の独国の名牝ネレイーデ【独1000ギニー・独オークス・独ダービー】、ニーデルランダー【独ダービー・ベルリン大賞・バーデン大賞】、ネカール【独2000ギニー・独ダービー】、フォルティノ【アベイドロンシャン賞】、ネボス【ベルリン大賞(独GⅠ)2回・オイロパ賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、ナジャール【イスパーン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、アイランドサンズ【英2000ギニー(英GⅠ)】、ノヴェリスト【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】などがいる。
また、パポーズの牝系子孫には、テンプテッド【アラバマS・マスケットH2回・ダイアナH2回・ベルデイムH・レディーズH】、名種牡馬エンドスウィープ、スキミング【パシフィッククラシックS(米GⅠ)2回】、ウィンス【英1000ギニー(英GⅠ)】、マーケティングミックス【ロデオドライブS(米GⅠ)・ゲイムリーS(米GⅠ)】などがいる。
メイドンの全妹ラヘンダーソンの子にはフェリダ【モンマスオークス・アラバマS・レディーズS】、アエラ【レディーズS】、ヴァンガード【プリークネスS】、曾孫にはジーンベレアウド【ベルモントS・ウィザーズS】、玄孫世代以降にはヒルズデール【ハリウッド金杯・マリブS・サンフェルナンドS・サンタアニタマチュリティS・カリフォルニアンS・アメリカンH】、ダンサーズイメージ【ウッドメモリアルS】、ハビタット【ロッキンジS・ムーランドロンシャン賞】、スワーヴダンサー【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、日本で走ったヘキラク【皐月賞】、サクセスブロッケン【ジャパンダートダービー(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)】などが、メイドンの半妹ローザクラーク(父オーストラリアン)の曾孫にはドナウ【ケンタッキーダービー】などがおり、牝系は優秀と言って良いだろう。→牝系:F4号族⑤
母父レキシントンは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した後の本馬に関する詳しい記録は残っていない。おそらく悠々自適の余生を送ったようで、他界したのは1903年の元日で、30歳という高齢だった。1984年に米国競馬の殿堂入りを果たした。