セイフリーケプト

和名:セイフリーケプト

英名:Safely Kept

1986年生

鹿毛

父:ホラティウス

母:セイフリーホーム

母父:ウィニングヒット

非常に地味な血統ながら米国短距離路線で活躍し、短距離王デイジュールを破ったBCスプリントなどステークス競走22勝を挙げた米国顕彰馬の1頭

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績31戦24勝2着2回3着3回

誕生からデビュー前まで

メリーランド州ダークホロウファームにおいて、デヴィッド・ヘイデン夫妻により生産・所有された。

競走生活(2歳時)

2歳6月にピムリコ競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦でデビューして、勝ったビーンズビーンズから半馬身差の2着。その2週間後に同コースで行われた未勝利戦を6馬身半差で勝ち上がった。翌7月に同じピムリコ競馬場で出走したプレイペンS(D5.5F)では、2着スラクトントゥーに7馬身半差をつけて圧勝。

この段階で既に本馬の類稀なるスピード能力は評判になっており、ヘイデン夫妻の元には本馬を売ってほしいという申し出が殺到した。結局、バリー・ワイスボード氏とジェイエフビーステーブルスにより30万ドルで購入された。

アラン・E・ゴールドバーグ調教師の管理馬となった本馬は、8月にピムリコ競馬場でスマートアングルS(D6F)に出走した。そして2着ハードヘッデッドウーマンに9馬身半差をつけて圧勝した。

その後はローレル競馬場に場所を移して、USF&GメリーランドラッシーS(D7F)に出走した。このレースには、後にBCジュヴェナイルフィリーズ・デモワゼルS・ボニーミスS・ケンタッキーオークス・エイコーンS・マザーグースS・CCAオークス・アラバマSと、ニューヨーク牝馬三冠競走全てを含むGⅠ競走8勝を挙げるオープンマインドも出走していた。しかし結果はエムエスゴールドポールという馬が勝ち、オープンマインドは4馬身半差の2着、本馬はさらに半馬身差の3着と、後の米国顕彰馬2頭は揃って敗れてしまった。オープンマインドはこの年さらに走ったが、本馬のほうはこのレースを最後に2歳時5戦3勝の成績で休養入りした。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にローレル競馬場で行われたポライトリーS(D6F)から始動して、2着ノーブレストハートに4馬身差で勝利した。その後はケンタッキーオークスやニューヨーク牝馬三冠競走には目もくれず、短距離路線をひた走る。

ケンタッキーオークス翌日にガーデンステート競馬場で出たガーデンステートパークバドワイザーBCH(GⅢ・D6F)では、2着ソーシャルプロに2馬身3/4差で勝利した。マザーグースSの3日前にベルモントパーク競馬場で出たジェニュインリスクS(GⅡ・D6F)では、前年のエイコーンS・ベッドオローゼズHの勝ち馬でCCAオークス2着・マザーグースS・トップフライトH3着のアプトスターという強敵が参戦してきたが、本馬がアプトスターを4馬身差の2着に下して完勝した。CCAオークスの翌日にはモンマスパーク競馬場でリグレットS(D6F)に出て、2着レディジェットゴーに5馬身半差をつけて勝利した。この年は前述のとおりオープンマインドがケンタッキーオークスとニューヨーク牝馬三冠競走を完全制覇したのだが、別路線で本馬も素晴らしい強さを発揮し続けた。

リグレットSから2週間後にはベルモントパーク競馬場でプライオレスS(GⅡ・D6F)に出て、2着コジンクスに3馬身3/4差で勝利した。翌8月にはサラトガ競馬場でテストS(GⅠ・D7F)に出走。3戦無敗で臨んできたファンタスティックファインドを1馬身半差の2着に破って勝利した。このレースで初めて本馬に騎乗したクレイグ・ペレット騎手が本馬の主戦となる。翌9月にはピムリコ競馬場でメリーランドディスタフH(D6F)に出て、2着インザカールに4馬身3/4差をつけて、1分10秒0のレースレコードで勝利。翌10月には同じくピムリコ競馬場でコロンビアS(D6F)に出て、2着コジンクスに4馬身半差で勝利。

そして破竹の8連勝で、ガルフストリームパーク競馬場で行われたBCスプリント(GⅠ・D6F)に挑戦した。対戦相手は、サンフェルナンドS・カーターH・マリブS・サンパスカルH・ダービートライアルS・パロスヴェルデスH・ポトレログランデH・ビングクロスビーH・デルマーBCHの勝ち馬オンザライン、ロサンゼルスH・エインシェントタイトルHの勝ち馬サムフー、トムフールS・ヴォスバーグS・フォールハイウェイトHの勝ち馬でブージャムH・NYRAマイルH2着のスイークレイ、ルイジアナダービー・NYRAマイルHの勝ち馬でブルーグラスS・アメリカンダービー2着のディスパーサル、ウィザーズSの勝ち馬でヴォスバーグS2着のワンスワイルド、ブージャムHの勝ち馬でヴォスバーグS3着のミスターニッカーソン、サバーバンH・トゥルーノースHの勝ち馬でフォアゴーH2着・メトロポリタンH3着のダンシングスプリー、前年のロサンゼルスH・ビングクロスビーH・エインシェントタイトルHの勝ち馬オリンピックプロスペクト、フィラデルフィアパークBCHなど3連勝してきたフローレスセントジェム、アイランドワールHを勝ってきたカーボランダム、シェリダンSを勝ってきたブラックタイアフェアー、前走ニアークティックHを勝ってきた前年の加国最大の競走クイーンズプレートの勝ち馬リーガルインテンションの計12頭の牡馬・騙馬であり、牝馬は本馬のみだった。オンザラインが単勝オッズ5.1倍の1番人気、サムフーが単勝オッズ5.3倍の2番人気、スイークレイが単勝オッズ6.8倍の3番人気、ディスパーサルが単勝オッズ7.7倍の4番人気、本馬が単勝オッズ7.9倍の5番人気という混戦模様だった。

レースでは本馬が好スタートから一気に先頭に立って逃げを打ったが、道中でオリンピックプロスペクトが競りかけてきたため、この2頭が後続を大きく引き離した。3番手には一時期10馬身もの差がついており、かなり縦長の展開となった。最初の2ハロン通過は21秒8、半マイル通過が44秒という、かなりの速いペースとなった。それでも本馬は四角でオリンピックプロスペクトを振り払って単独先頭に立ち、このまま逃げ切るかと思われた。しかしゴール前でさすがに脚が上がったところを、内側から差してきた単勝オッズ17.6倍の7番人気馬ダンシングスプリーにかわされて首差の2着に惜敗した(本馬から首差の3着はディスパーサルだった)。ダンシングスプリーは、テストSで本馬が2着に破ったファンタスティックファインドの1歳年上の半兄であり、妹の借りをここで返された格好になった。なお、1番人気のオンザラインは落馬競走中止、2番人気のサムフーは4位入線も進路妨害で最下位降着、3番人気のスイークレイは5着という波乱のレースとなった。これが本馬の3歳時唯一の黒星となり、この年の成績は9戦8勝となった。しかし、ダンシングスプリーを抑えてこの年のエクリプス賞最優秀短距離馬を受賞した。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動して、2着カットラシーに5馬身半差をつけて圧勝した。翌4月にはキーンランド競馬場でサラブレッドクラブオブアメリカS(GⅢ・D6F)に出て、2着ヴォルテラに3馬身半差で勝利。翌5月にはガーデンステート競馬場でガーデンステートパークバドワイザーBCS(GⅢ・D6F)に出て、2着モリーボルトに4馬身差をつけて2連覇を達成。翌6月にはベルモントパーク競馬場でジェニュインリスクS(GⅡ・D6F)に出走。前走ジョージヘンドリーHで2着に負けるまでは破竹の6連勝中だったディーヴァズデビューという馬が挑んできたが、本馬がディーヴァズデビューを3馬身差の2着に破って完勝した。

翌7月にはニューヨーク州フィンガーレークス競馬場でフィンガーレークスバドワイザーBCS(D6F)に出て、2着となった牡馬ノーザンクラッシュに2馬身1/4差で勝利した。翌8月にはピムリコ競馬場で新設競走フランクJドフランシスダッシュS(D6F)に出たが、ノーザンウルフ、グリッターマン、前年のBCスプリントで5着だったスイークレイの3頭の牡馬に屈して、勝ったノーザンウルフから6馬身1/4差の4着に敗れてしまい、デビュー以来初の着外を喫した。

翌9月に同じピムリコ競馬場で出たメリーランドディスタフH(D6F)では、自身にとって過去最高負担重量の125ポンドを課せられたが、2着エイミービーグッドに1馬身1/4差をつけて2連覇を達成。同月にメドウランズ競馬場で出たメドウランズバドワイザーBCS(GⅢ・D6F)では127ポンドを課せられたが、2着セクシースルーに首差で勝利した。

10月にはベルモントパーク競馬場でブージャムH(GⅢ・D6F)に出走。しかし、サプリングS・フォールハイウェイトHの勝ち馬カーソンシティ、前年のBCスプリント11着後にボールドルーラーS・ローズベンH・トゥルーノースHを勝っていたミスターニッカーソン、前年のBCスプリント9着後にコールタウンBCS・ウエストチェスターHを勝っていたワンスワイルドの3頭の牡馬に屈して、勝ったカーソンシティから2馬身3/4差の4着に敗退した。

BCスプリント(4歳時)

次走はブージャムHから13日後に同じベルモントパーク競馬場ダート6ハロンで施行されたBCスプリント(GⅠ・D6F)となった。対戦相手は、この年はカーターHを勝ちホイットニーHで2着していた前年の覇者ダンシングスプリー、カーソンシティ、ブージャムHで2着だったミスターニッカーソン、フランクJドフランシスダッシュS2着後にフィラデルフィアパークBCHを勝ちヴォスバーグSで3着していたグリッターマン、前年のBCスプリント8着後にコモンウェルスBCS・エクワポイズマイルHを勝っていたブラックタイアフェアーといった既対戦組の他に、ナンソープS・スプリントC・アベイドロンシャン賞・テンプルS・キングズスタンドSと5連勝中だった英国からの遠征馬デイジュール、エインシェントタイトルBCHを勝ってきたコーウィンベイ、一般競走を3連勝してきたセニョールスピーディー、トリプルベンドH・ベルエアH・アフィナミナンHの勝ち馬プロスペクターズギャンブル、日本から遠征してきた河内洋騎手が手綱を取るカウディンS・シャンペンS・リヴァリッジSの勝ち馬でベルモントフューチュリティS2着のアジュディケーティング、アイランドワールHの勝ち馬ポテンシャリティー、コモンウェルスBCH2着馬シェイカーニット、ニアークティックSを勝ってきたダルガイの計13頭の牡馬・騙馬であり、前年と同じく牝馬は本馬のみだった。

既に英国競馬史上における最強短距離馬としての名声を確立していたデイジュールが初のダート競走にも関わらず、コーウィンベイと並んで単勝オッズ3.4倍の1番人気に支持された。ダンシングスプリーが単勝オッズ5.7倍の3番人気、ミスターニッカーソンが単勝オッズ8.2倍の4番人気、カーソンシティとセニョールスピーディーのカップリングが単勝オッズ10.5倍の5番人気で、本馬は単勝オッズ13.2倍の6番人気まで評価を落としていた。

レースでは好スタートから単独で先頭を奪った本馬を、デイジュールとグリッターマンが追いかける展開となった。道中で心臓発作を起こして競走を中止したミスターニッカーソンにシェイカーニットが衝突して2頭とも命を落とす惨事があったが、それは後方で起こった事であり先行勢には直接影響無く、本馬を先頭に前を行く3頭がどんどん飛ばして縦長の展開となった。最初の2ハロン通過は21秒8、半マイル通過が44秒4という、前年とほぼ同じ速いペースとなった。最終コーナー前でグリッターマンが遅れて、内側の本馬と外側のデイジュールが2頭並んで直線を向いた。直線では後続を引き離してこの2頭の完全な一騎打ちとなり、手に汗握る攻防戦が繰り広げられた。しかしデイジュールが僅かに前に出て勝負あったかと思われた次の瞬間、ブリーダーズカップ史上に残る珍事が発生した。突如デイジュールがコース内に延びていたスタンドの影を跨ぐように飛び跳ねたのである。そのためにデイジュールは一瞬減速し、その隙に本馬がデイジュールを首差かわして先頭に立ったところがゴールだった。ゴール地点にも別のスタンドの影が延びていたが、デイジュールはこの影も飛び越えるようにゴールしており、影を障害物か何かと勘違いして飛び跳ねてしまったようである。2頭の一騎打ちはかなりの名勝負だったのだが、この一件で名勝負ではなく迷勝負だと言われるようになってしまった。

デイジュールが飛び跳ねなかったら本馬が勝ったかどうかは正直微妙であり、4歳時10戦8勝の好成績を残しながらも、この年のエクリプス賞最優秀短距離馬を逃したのはその辺に理由があったのかもしれない(ただし受賞したハウスバスターはグレード競走8勝を含む11戦9勝の成績を挙げており、本馬が軽く見られたわけではない)。なお、デイジュールから4馬身差の3着に入ったブラックタイアフェアーは翌年にBCクラシックを勝利してエクリプス賞年度代表馬を受賞している。また、前年のBCスプリントで本馬を破って勝利したダンシングスプリーは6着であり、前年の借りはここで返した。ちなみに、メリーランド州産馬がブリーダーズカップで勝利を挙げたのはこれが史上初だった。

競走生活(5歳時)

5歳時も現役を続け、5月にガーデンステート競馬場で行われたガーデンステートパークバドワイザーBCS(GⅢ・D6F)から始動。128ポンドが課せられたが、2着アビィジェーンに1馬身1/4差で勝利を収め、同競走の3連覇を達成した。6月のジェニュインリスクS(GⅡ・D6F)では斤量が122ポンドまで下がった。これなら本馬には何の問題もなく、2着ミッシーズミラージュに2馬身差をつけて勝利を収め、このレースも3連覇を果たした。同月末のアーリントンパークバドワイザーBCH(D7F)では、2着ナースドペイに7馬身半差をつけて圧勝した。

7月にはフランクJドフランシスダッシュS(D6F)に出走して、ここで前年のエクリプス賞最優秀短距離馬ハウスバスターと最初で最後の対戦となった。ハウスバスターが単勝オッズ3.4倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.5倍の2番人気と、前評判はほぼ互角だった。しかしレースはすんなりと先行したハウスバスターが勝利を収め、レース序盤は後方からの競馬となってしまった本馬は、ハウスバスターから6馬身1/4差をつけられた3着に敗れてしまった。

翌8月にはモンマスパークバドワイザーBCH(GⅢ・D8F70Y)に出走した。本馬が7ハロンより長い距離のレースを走るのはこれが初めてだった。しかしやはり距離が長かったのか、勝ったトフフィーフィーから4馬身3/4差の3着に敗れた。9月にはメリーランドディスタフH(D6F)に出走。130ポンドというかなり厳しい斤量が課せられたが、12ポンドのハンデを与えた2着インザカールの追撃を半馬身抑えて勝利を収め、同競走の3連覇を達成した。10月にはメドウランズバドワイザーBCH(GⅢ・D6F)に出走。ここでも128ポンドという厳しい斤量が課せられたが、14ポンドのハンデを与えた2着ブライトキャンドルズに2馬身差で勝利した。しかしその後に右前脚の脚首を負傷したために、BCスプリントには出ずに、5歳時7戦5勝の成績で競走馬を引退した。

競走馬としての評価

ステークス競走で22勝を挙げた本馬だが、そのうちGⅠ競走勝ちは僅か2勝であり、うち1勝はデイジュールが飛び跳ねた例のBCスプリントである。ヴォスバーグSやカーターHといった短距離のGⅠ競走には出走しておらず、単純に主な勝ち鞍だけを並べてみると歴史的名短距離馬というほどではないように見える。

しかし本馬の勝率は77.4%、入着率は93.5%、4着以下は2度しかない。一般的に能力の全盛期が短いとされる牝馬であり、なおかつ消長が激しい短距離戦において、長きに渡って一線級で活躍した実績は歴史的名短距離馬というに相応しいものである。事実2011年には米国競馬の殿堂入りを果たしている。

本馬の獲得賞金総額は219万4206ドルに達しており、短距離専門馬としては米国競馬史上初の200万ドルホースである。メリーランド州産の牝馬としては史上最多獲得賞金であり、牡馬を含めても5頭しかいないメリーランド州産馬の200万ドルホースとなっている(残りの4頭はシガー、アワッド、コンサーンブロードブラッシュ)。

血統

Horatius Proudest Roman Never Bend Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
Roman Song Roman Sir Gallahad
Buckup
Quiz Song Sun Again
Clever Song
True Charm Cohoes Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Belle of Troy Blue Larkspur
La Troienne
Majesta Bolero Eight Thirty
Stepwisely
Maia Royal Gem
Asterope
Safely Home Winning Hit Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Bases Full Ambiorix Tourbillon
Lavendula
Striking War Admiral
Baby League
Arc Lamp Stella Aurata Arctic Star Nearco
Serena
My Aid Knight of the Garter
Flying Aid
Flying Polly War Dog Bull Dog
Flying Shot
Polly Hastings Peter Hastings
Irish Polly

父ホラティウスは現役成績54戦18勝。リグスH(米GⅢ)・フォートマックヘンリーH・キャピタルシティH・ピルグリムH・リソリューションH・レッドバンクH・サセックスHなどを勝っている。地味な競走成績で種牡馬としても本馬以外にはあまり活躍馬を出していないが、長年に渡り種牡馬生活を続け、31歳で大往生している。ホラティウスの父プラウデストローマンはネヴァーベンド産駒で、日本で種牡馬として成功したブレイヴェストローマンの全兄に当たる。現役成績はホープフルS・ナショナルスタリンS勝ちなど5戦4勝。種牡馬としての成績は並だった。

母セイフリーホームは競走馬としてかなり頑健に走り続けた馬で、これといった勝ち鞍は無いが、73戦して16勝を挙げた。競走馬時代に出走したクレーミング競走において1万1500ドルでヘイデン夫妻により購入されていた。母としては本馬の半弟パートナーズヒーロー(父ダンチヒ)【ケンタッキーカップスプリントS(米GⅡ)・フェニックスBCS】などを産んでいる。母系を遡っても活躍馬の名が見当たらず、かなり目立たない牝系であるが、セイフリーホームの子孫からは本馬を含めて複数のグレード競走勝ち馬が出ている。具体的には、本馬の半姉セーフアットザプレート(父ダブルゼウス)の孫であるヴィンセレモス【サムFデーヴィスS(米GⅢ)】、本馬の半妹スライド(父スマーテン)の子であるサンティヴァ【ケンタッキージョッキークラブS(米GⅡ)】である。→牝系:F4号族④

母父ウィニングヒットはボールドルーラー産駒で、現役時代は2戦2勝で引退している。全兄がジェロームHなどを勝ったボールドアンドブレーヴという血統を評価されて種牡馬入りしたと思われる。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はケンタッキー州バーリスンファームで繁殖入りした。繁殖牝馬としては10頭の産駒を産み、うち9頭が競走馬となり、うち8頭が勝ち星を挙げている。コントラスト(父アンブライドルド)【レッドクロスS・キャンディエクレアS】、ピースチャント(父ウォーチャント)【フェニックス金杯H】の2頭がステークスウイナーとなっている。2010年に繁殖牝馬を引退し、以降はバーリスンファームで余生を送っていたが、2014年4月に老衰のため28歳で安楽死の措置が執られた。

TOP