ブロードブラッシュ

和名:ブロードブラッシュ

英名:Broad Brush

1983年生

鹿毛

父:アクアク

母:ヘイパッチャー

母父:ホイストザフラッグ

競走馬としてもGⅠ競走を4勝するなど一流の競走成績を残したが種牡馬として大活躍し、米国の土着血統ヒムヤー直系の底力を見せ付けた

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績27戦14勝2着5回3着5回

誕生からデビュー前まで

米国メリーランド州で馬産を行っていたロバート・E・マイヤーホーフ氏の生産・所有馬で、リチャード・W・スモール調教師に預けられた。調教師一家に産まれたスモール師は、ベトナム戦争からの復員後に父の後を継いで調教師となり、メリーランド州を本拠地として地道に活動していた。最終的には1199勝を挙げる相当な名伯楽だが、本馬と本馬の代表産駒コンサーンの活躍が無ければその手腕にスポットライトが当たる事は無かっただろう。

競走生活(3歳初期まで)

2歳10月にメリーランド州ローレルパーク競馬場で行われたダート8ハロンの未勝利戦でデビューしたが、ザローンレンジャーの4馬身1/4差6着に敗退。翌11月にペンシルヴァニア州フィラデルフィア競馬場で出走したダート8.5ハロンの未勝利戦では、2着ホームリーホーマーに3馬身差で初勝利を挙げた。同月末には同コースで行われた一般競走に出走して、2着エイプリルキャットに頭差で勝利した。その後はローレル競馬場に戻って12月のインナーハーバーS(D8F)に出走して、2着ゴールデンオールデンに7馬身半差で圧勝した。2歳時の成績は4戦3勝だった。

翌3歳時も休まず走り、まずは1月にローレル競馬場で行われたスタードナスクラS(D7F)に出走した。ここでは、デヴィルズバッグSを勝つなど地元メリーランド州の有力馬として活躍していたリルタイラーの鼻差2着だった。2月にピムリコ競馬場で出走したジェネラルジョージS(D8.5F)では、主戦となるV・ブラッキアーレ・ジュニア騎手と初コンビを組み、2着ファストステップに1馬身1/4差で勝利。3月に出走したプリークネスSトライアルことフェデリコテシオS(GⅢ・D8.5F)では、シャルドンS・ウォルデンS・メリーランドジュヴェナイルCSS・デラウェアヴァレーHの勝ち馬でローレルフューチュリティ3着のミラクルウッドとの対戦となったが、本馬が2着フォビーフォーブスに首差で勝利した。同月にラトニア競馬場で出走したジムビームS(GⅢ・D8.5F)では、ケンタッキージョッキークラブS2着馬バチェラーボウ、前走7着のミラクルウッド、ファストステップなどが挑んできたが、本馬が2着ミラクルウッドに2馬身差で勝利した。

続いて4月のウッドメモリアル招待S(GⅠ・D9F)に出走。このレースはケンタッキーダービーの前哨戦であり、BCジュヴェナイル・デルマーフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティを勝って前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれていたタッソー、シャンペンS・ゴーサムSの勝ち馬でカウディンS・ヤングアメリカS・フロリダダービー3着のモガンボ、スペクタキュラービッドSの勝ち馬でベルモントフューチュリティS・シャンペンS・ベイショアS2着のグルーヴィといった有力馬勢が出走してきた。しかし本馬が2着モガンボに半馬身差、3着グルーヴィにはさらに首差、4着タッソーにはさらに1馬身1/4差をつけて勝利した。

競走生活(3歳中期)

前哨戦を勝ったとなれば当然次走はケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)。対戦相手は、ノーフォークS・ハリウッドフューチュリティ・フロリダダービー・サンタアニタダービーとGⅠ競走で既に4勝を挙げていた目下5連勝中のスノーチーフ、エヴァーグレーズS・フラミンゴSを連勝してきたフロリダダービー2着馬バッジャーランド、アーカンソーダービーを勝ってきたランペイジ、欧州でソラリオSを勝ち仏グランクリテリウム2着・サラマンドル賞3着などの成績を残した後に渡米してブルーグラスSで3着してきたボールドアレンジメント、カリフォルニアダービーを勝ってきたヴァーノンキャッスル、サンタカタリナSの勝ち馬でサンラファエルS2着・ハリウッドフューチュリティ・サンタアニタダービー3着のファーディナンド、アーカンソーダービー2着馬ウィートリーホール、サンタアニタダービー2着馬アイシーグルーム、レキシントンSを勝ってきたワイズタイムズ、ベイショアSの勝ち馬ザバレタ、ローレルフューチュリティの勝ち馬サザンアピール、モガンボ、グルーヴィ、ジムビームS3着後にブルーグラスSを勝ってきたバチェラーボウ、フェデリコテシオS2着後にガーデンステートSを勝ってきたフォビーフォーブスなどで、有力馬が目白押しだった。本馬はウッドメモリアル招待S勝ちなど9戦7勝の好成績だったにも関わらず16頭中7番人気の低評価。前走で負かしたモガンボ(3番人気)より評価が低かった。

スタートが切られるとテンの速さでは出走馬中1番だった翌年のエクリプス賞最優秀短距離馬グルーヴィが先頭を奪い、本馬は馬群の中団につけた。グルーヴィがかなりのハイペースで逃げたため、先行馬勢は三角に入る頃には既にスタミナが切れ始めていた。そして三角で仕掛けた本馬がボールドアレンジメントやバッジャーランドと共に外側を通って一気に先頭に立った。そのまま3頭横一線で直線に突入してきたが、そこへこの3頭の直後から来たファーディナンドが内側から突き抜けていった。最後はファーディナンドが勝ち、2馬身1/4差の2着にボールドアレンジメント、さらに3/4馬身差の3着が本馬となった。

次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、ファーディナンド、前走5着のバッジャーランド、同11着のスノーチーフ、同16着最下位のグルーヴィ、ウィザーズSを勝ってきたクリアチョイスなどが対戦相手となった。前走の好走から今回は人気になるかと思われたが、7頭立ての4番人気(1番人気がクリアチョイスとバッジャーランドのカップリングだったため5番目の人気)と相変わらず低評価だった。

ここでもグルーヴィがスタートから先頭に立ち、ブラッキアーレ・ジュニア騎手に代わってクリス・マッキャロン騎手とコンビを組んだ本馬は3番手を追走した。しかし最初のコーナーに入ったところで体勢を崩して外側に振られる場面があった。そして向こう正面に入ってすぐに、2番手につけていたスノーチーフがグルーヴィと共に加速して後続に大きな差をつけ、そのまま直線へと入っていった。本馬も三角から仕掛けたが、失速したグルーヴィはかわせても、スノーチーフにはまったく追いつけそうに無かった。そのうちに後方内側から差してきたファーディナンドにかわされて3番手に落ちた。レースは結局前走とは打って変わって伸び伸びとした走りを見せたスノーチーフが完勝。4馬身差の2着には追い込んだファーディナンドが入り、本馬はさらに6馬身半差の3着だった。前走と同じ3着でも、勝ち馬との差は3馬身差から10馬身半差と内容的にはかなり悪化していた。

そのためかベルモントSは回避し、ベルモントSの翌週に行われたオハイオダービー(GⅡ・D9F)に向かった。ケンタッキーダービーで6着だったウィートリーホール、フラミンゴS・ブルーグラスSで連続2着した後に米国三冠競走を回避してイリノイダービーを勝ってきたボルショイボーイなどが対戦相手となった。ここではゲイリー・スティーヴンス騎手とコンビを組み、2着ボルショイボーイに首差ながら勝利した。

次走のセントポールダービー(D9F)では、ケンタッキーダービーで4着だったランペイジ、同14着だったバッジャーランド、前走オハイオダービーで3着だったフォーティキングスなどが対戦相手となった。しかしここでは単勝オッズ73倍の伏兵だったチープスケート(後にアファームドHを勝ち、スーパーダービーで2着、アーリントンクラシックSで3着している)に足元を掬われて、鼻差2着に敗れた。

競走生活(3歳後期)

続くハスケル招待H(GⅠ・D9F)では、ベルモントS・ピーターパンSの勝ち馬でヤングアメリカS2着のダンチヒコネクション、ベルモントS・ドワイヤーSで連続2着してきたジョンズトレジャー、ベルモントS4着・ドワイヤーS3着のパーソナルフラッグ(名牝パーソナルエンスンの全兄で後のワイドナーH・サバーバンH勝ち馬)、ケンタッキーダービー9着後に地道に一般競走を3戦していたワイズタイムズなどが対戦相手となった。レースでは本馬とダンチヒコネクションがスタートから先頭を競り合った。その結果としてハイペースになってしまい、2頭とも直線で失速。ワイズタイムが勝利を収め、1馬身1/4差の2着にパーソナルフラッグ、さらに鼻差の3着にダンチヒコネクションが入り、本馬はダンチヒコネクションから2馬身差の5着に敗れた。

次走のトラヴァーズS(GⅠ・D10F)では、スティーヴンス騎手に代わって主戦となるアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手と初コンビを組んだ。対戦相手は、ワイズタイム、パーソナルフラッグ、ダンチヒコネクションなどだった。ここでは、3位入線のダンチヒコネクションを1馬身1/4差で抑えるも、ワイズタイムズに頭差遅れて2位入線。しかも4位入線のパーソナルフラッグに対する進路妨害を取られて4着に降着になってしまった。

次走のペガサスH(GⅡ・D9F)では、ハスケル招待H・トラヴァーズSと本馬に連勝(トラヴァーズSは3位入線の繰り上がりだが)していたダンチヒコネクションと3度目の対戦。さらには、ベルモントフューチュリティS・ドワイヤーS・ジェロームH勝ちなど8戦7勝のオジジアン、プリークネスS7着後にスワップスSを勝っていたクリアチョイス、前走アーリントンクラシックSを勝ってきたサンプシャスなども参戦してきた。結果はダンチヒコネクションが勝ち、本馬は3/4馬身差の2着、オジジアンはさらに3馬身1/4差の3着だった。

ワイズタイムズやダンチヒコネクションはその後ジョッキークラブ金杯に向かったが、本馬はそれを避けるようにペンシルヴァニアダービー(GⅡ・D9F)に向かった。ここには前走4着のサンプシャス、サラナクSの勝ち馬でアーリントンクラシックS・セクレタリアトSなど4連続2着中のグロウも参戦していた。1番人気に支持された本馬は、泥だらけの不良馬場の中で4番手につけると、向こう正面に入ったところで早くも先頭のグロウに並びかけた。そして三角に入ったところでグロウを突き放し、これで勝負あったかと思われたのだが、四角を回るところで大きく外側に膨れてしまった。その膨れ具合は半端ではなく、外埒の手前まで行ってしまった。その隙に内側を通って本馬を抜き去った他馬勢がゴールを目指していった。致命的なコースロスを犯した本馬は敗戦濃厚と思われた。ところが他馬勢から大きく離れた大外から一気に盛り返すと、見事な差し切りを決めて2着サンプシャスに1馬身1/4差をつけて勝利。「ブロードブラッシュが外側から再び来た!!ブロードブラッシュが再び来た!!」と叫んだ実況を始めとして、このレースを見ていた者全てに衝撃を与えた。

衝撃を受けたのは騎乗していたコルデロ・ジュニア騎手も同様だったようで「彼が外側の柵に突撃していったときに私は死を覚悟しました。しかし彼は予想外の勝ち方を見せました。26年間の騎手生活において、こうした著名なレースであんな勝ち方をした馬は見たことがありません。決してありません。断じてありません。絶対にありません(“never”を3回繰り返している)」とレース後に呆れたように語っている。四角で大きく外側に膨れた理由は、不良馬場に脚を取られて仕掛けどころでカーブを曲がりきれなかったものと推察されるが、直線の豪快な末脚は重馬場苦手な馬のものとも思えないから、真相は不明である。日本でも1989年の菊花賞でサクラホクトオーが四角で外埒沿いに突撃した事件があった(その原因は馬場の切れ目に驚いたためらしい)が、結局5着まで追い上げるのが精一杯だったサクラホクトオーと異なり、本馬は勝ってしまっている。このペンシルヴァニアダービーはGⅡ競走であるにも関わらず、最終的にGⅠ競走を4勝することになる本馬の代表勝ち鞍に数え上げられており、海外で本馬が語られる際には大抵このペンシルヴァニアダービーが紹介されている。

その後はメドウランズCH(GⅠ・D10F)に出走。同世代の有力馬は、トラヴァーズSで3着に繰り上がった後にウッドワードSで3着だったパーソナルフラッグがいた程度だったが、前走ジョッキークラブ金杯でダンチヒコネクションやワイズタイムズを蹴散らして勝っていたベルモントS・アメリカンダービー・ジェロームH・スーパーダービー・ドンH・ダービートライアルSの勝ち馬クレームフレーシュ、ハスケル招待H・ガルフストリームパークH・オハイオダービー・ペンシルヴァニアダービー・ペガサスH・パターソンH・ジョンBキャンベルH・マサチューセッツHの勝ち馬スキップトライアル、ブルックリンHの勝ち馬リトルミズーリなど有力古馬勢が出走してきた。しかし古馬を抑えて1番人気に支持された本馬が、2着スキップトライアルに3馬身3/4差をつけて完勝した。

2歳10月のデビューからちょうど1年間休まず走ってきた本馬は、ようやくここで短い休養に入った。3歳時の成績は14戦7勝だった。

競走生活(4歳時)

休養は僅か3か月で終わり、4歳時は米国西海岸のサンタアニタパーク競馬場に移動して、1月から始動した。サンタアニタパーク競馬場では、元々西海岸が本拠地だったスノーチーフやファーディナンドが待ち構えていた。初戦のサンフェルナンドS(GⅠ・D9F)では、前走マリブS2着のスノーチーフ(3着)、長期休養明けの前走マリブSを勝ってきたファーディナンド(4着)には先着したが、初対決となった同世代馬ヴァラエティーロード(サンフェリペH・サンラファエルSの勝ち馬だが、サンタアニタダービーで凡走したために米国三冠競走には不参加だった)に首差敗れて2着だった。

次走のチャールズHストラブS(GⅠ・D10F)でも、スノーチーフ、ファーディナンド、ヴァラエティーロードとの対戦となった。斤量はヴァラエティーロードが119ポンド、他3頭は全て125ポンドだった。結果はスノーチーフが勝ち、ファーディナンドが鼻差の2着、本馬がさらに4馬身半差の3着だった。なお、本馬から7馬身離された4着に終わったヴァラエティーロードは故障で戦線離脱した。

次走のサンタアニタH(GⅠ・D10F)でもスノーチーフ、ファーディナンドとの対戦となった。この3頭が揃って顔を合わせたのは、これが5回目で、結果的には最後となった。斤量はスノーチーフが125ポンド、ファーディナンドが124ポンド、本馬が122ポンドと設定された。レースではスノーチーフが先行し、ファーディナンドが中団を追走、本馬は後方2番手を進んだ。向こう正面でファーディナンドが上がっていき、三角手前で早くもスノーチーフに外側から並びかけていった。さらにはやはり向こう正面で仕掛けた本馬も三角から四角にかけて大外を一気に進出し、3頭殆ど差が無い状態で直線を向いた。まず内側のスノーチーフが失速し、真ん中のファーディナンドが抜け出した。しかしそこに外側から本馬が並びかけ、最後は2頭の完全な一騎打ちになった。本馬とファーディナンドは殆ど並んでゴールインしたが、本馬が鼻差で先着しており、3頭揃ったレースで初めて1着となった(スノーチーフは5着)。かなり際どい着差(判定用の写真を筆者が見た限りではその差3~4cm)だったが、鞍上のコルデロ・ジュニア騎手はゴールした瞬間にガッツポーズをしており、やはり大抵の叩き合いは騎手にとってどちらが勝ったのかすぐに分かるもののようである。本馬はこの後東海岸に戻り、ファーディナンドとスノーチーフの2頭は西海岸に残ったため、2度と対戦する事は無かった。

東海岸に戻ってきた本馬だが、休む間もなく前走から4週間後のジョンBキャンベルH(GⅢ・D10F)に出走。前走グレイラグHを勝ってきたプラウドデボネアを5馬身差の2着に、前走ドンHを勝ってきたリトルボールドジョンを3着に切り捨てる圧勝で1番人気に応えた。次走のトレントンH(GⅢ・D10F)では2着ツアードールとの差は1馬身ながら、2分00秒8のコースレコードタイで勝利した。

続いてメトロポリタンH(GⅠ・D8F)に参戦。ここでも1番人気に支持されたが、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・ウッドメモリアル招待S・サラトガスペシャルS・ベイショアS・トレモントSを勝っていた3歳馬ガルチ、ヴォスバーグS・ブージャムH・アケダクトH・アソールトH・ウエストチェスターHを勝っていた7歳馬キングズスワンとの接戦に敗れてしまい、ガルチの3/4馬身差3着に終わった。ただし本馬は110ポンドのガルチより18ポンドも重い斤量を背負っていたから、実力負けでは無かった。

次走のマサチューセッツH(GⅡ・D9F)では、本馬と同世代ながら裏街道を地道に走りジャマイカHなどを勝っていたワクォイト(本馬より8ポンド斤量が軽かった)に鼻差敗れて2着。それでもやはり実力負けでない事は明らかであり、続くサバーバンH(GⅠ・D10F)でも1番人気に支持された。レースでは、セットスタイル、ボルドーボブ(次走のブルックリンHで2着してそのまた次走のフィリップHアイズリンHでGⅠ競走勝ち馬となっている)とのゴール前の大激戦を制して、2着セットスタイルに首差、3着ボルドーボブにもさらに首差で勝利した。

その後はホイットニーH(GⅠ・D9F)に出走し、単勝オッズ3倍の1番人気に支持されたが、レムセンSの勝ち馬でカウディンS2着のジャワゴールド、メトロポリタンH勝利後に出走したベルモントSで3着だったガルチの3歳馬2頭に敗れ、勝ったジャワゴールドから3馬身差の3着に終わった。斤量は本馬の127ポンドに対して、ガルチは117ポンド、ジャワゴールドは112ポンドだった。

今までハードスケジュールに良く耐えてきた本馬だが、ここで脚首を負傷してしまい、遂に現役引退となった。4歳時の成績は9戦4勝だった。獲得賞金総額265万6793ドルは、メリーランド州産馬としては当時最高記録だった。

古馬になってからの本馬は他馬より重い斤量を背負って好走を続けており、実力はこの年の古馬勢ではトップクラスだったのは間違いない。BCクラシックでファーディナンド(BCクラシックを勝ってエクリプス賞年度代表馬に選ばれている)との再戦が見たかった(スノーチーフは本馬より前に故障引退している)のは筆者だけではないはずである。

競走馬としての特徴

最後は故障引退してしまったものの本馬は非常に健康で頑丈な馬であり、10箇所の異なる競馬場で合計14勝を挙げ、“Iron Horse(蒸気機関車)”の異名で呼ばれた。3歳時のトラヴァーズSで2位入線(4着降着)したときには、レース中に脚を負傷していたらしいが、僅か2日後には完全に治癒したという。単に頑丈なだけでなく安定して好成績を残す馬でもあり、2歳10月のデビューから4歳8月の引退まで殆ど休む間もなく走りながら、非常に高い入着率(88.9%)を誇った。その背景には、本馬の頑丈さだけでなく、管理するスモール師や担当厩務員チャールズ・ターナー氏の細やかなケアも見逃せない。

本馬自身は利発で紳士的な馬だったらしいが、少々飽きっぽくて真面目に調教に取り組まないところがあった。そのために陣営はフローアンドフラックスという名前の牝馬を本馬の調教相手として選定してみたところ、本馬とフローアンドフラックスはとても仲が良くなり、本馬は真面目に調教に取り組むようになったという。フローアンドフラックスは後に障害競走に転向してグランドナショナル(英グランドナショナルや米グランドナショナルとは別競走)をコースレコードで勝つなど活躍した後に繁殖入りして、本馬との間に子ももうけている(この子が活躍すればドラマなのだが、30戦3勝に終わっている)。

血統

Ack Ack Battle Joined Armageddon Alsab Good Goods
Winds Chant
Fighting Lady Sir Gallahad
Lady Nicotine
Ethel Walker Revoked Blue Larkspur
Gala Belle
Ethel Terry Reaping Reward
Mary Terry
Fast Turn Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Cherokee Rose Princequillo Prince Rose
Cosquilla
The Squaw Sickle
Minnewaska
Hay Patcher Hoist the Flag Tom Rolfe Ribot Tenerani
Romanella
Pocahontas Roman
How
Wavy Navy War Admiral Man o'War
Brushup
Triomphe Tourbillon
Melibee
Turn to Talent Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Hidden Talent Dark Star Royal Gem
Isolde
Dangerous Dame Nasrullah
Lady Kells

アクアクは当馬の項を参照。

母ヘイパッチャーは現役成績14戦5勝、ニューカッスルSを勝っている。日本に繁殖牝馬として輸入された本馬の半妹ボブズディレンマ(父ミスタープロスペクター)の子にトウカイワイルド【日経新春杯(GⅡ)】が、本馬の半妹レトロスペクティヴ(父イージーゴア)の子にマルオブキンタイア【ジムクラックS(英GⅡ)】が、ヘイパッチャーの半妹ウインタースパークル(父ノースジェット)の子にウイリアムズタウン【ウィザーズS(米GⅡ)】、曾孫にウォーホース【ダイアモンドS(新GⅠ)】がいる。

ヘイパッチャーの祖母ヒドゥンタレントはケンタッキーオークス馬で、ヘイパッチャーの母ターントゥタレントの半妹トゥーボールド【バーバラフリッチーH2回・ベッドオローゼズH・コロンビアナH】の子にはエクセラー【ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・加国際CSS(加GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・ハリウッドパーク招待ターフH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)】とカポウティ【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅠ)】の兄弟がいる。近親と言うには微妙に遠いが、凱旋門賞馬サキーも同じ牝系。→牝系:F21号族①

母父ホイストザフラッグはアレッジドの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームで種牡馬入りした。マイヤーホーフ氏は本馬に関して400万ドルの種牡馬シンジケート(10万ドル×40株)を組み、初年度の種付け料を1万5千ドルに設定した。競走馬としての実績からすれば当然の評価額だったが、当時の主流からはかけ離れたヒムヤー直系という米国土着のマイナー血統が嫌われたのか、種牡馬としての人気はあまり出なかった。

しかし初年度産駒28頭が全て勝ち上がった。さらに2年目産駒のショスバーグが1993年のジェロームHを制してグレード競走及びGⅠ競走初勝利を挙げた(あくまで米国内の話。実際には1992年にブラジルでリトルベビーベアがカルロステレスダロシャファリア大賞を制してグレード競走及びGⅠ競走初勝利を挙げている)。そして1994年、初年度産駒のジェイエフウィリアムスがロサンゼルスHで初年度産駒唯一のグレード競走勝ちを挙げるなど、複数のグレード競走勝ち馬が登場。そして暮れには3年目産駒のコンサーンがBCクラシックを優勝したため、この年の北米首位種牡馬に輝いた。

翌年以降も高い勝ち上がり率(産駒のうち競走馬となったのが84%で、そのうち82%、産駒全体では69%が勝ち上がっている)と高いステークスウイナー率を誇った本馬は一躍人気種牡馬となり、最盛期には種付け料10万ドルに達した。産駒のステークスウイナーは93頭に達し、うちグレード競走勝ち馬は37頭、産駒が稼ぎ出した賞金総額は7000万ドルにも達する。また、日本でもブロードアピール、ノボトゥルーの2頭が活躍し、日本ではほとんど馴染みが無かったヒムヤー直系の実力を見せてくれた。繁殖牝馬の父としても64頭以上のステークスウイナーを出している。

2004年に左前脚球節に関節炎を発症したため種牡馬を引退し、2009年5月にゲインズウェイファームにおいて老衰のため26歳で安楽死の措置が執られた。

本馬の後継種牡馬としては、代表産駒のコンサーンが全くの不振であり、インクルードが何とか頑張っているが、活躍馬に牝馬が多いのが気がかりである。ヒムヤー直系自体は、遥か昔に分岐したプローディット直系からホーリーブルが出て成功しているが、本馬の属するドミノ直系は他に残っておらず、インクルードにはもっと頑張ってほしい。日本でもノボトゥルーが種牡馬入りしているが、流行血統に群がる傾向が強い馬主や馬産家ばかりの日本ではまず成功しないだろう。むしろノボトゥルーを海外に輸出した方がドミノ直系のためになるはずである。貴重な血筋を後世に残す事に長けている南米がベストだと筆者は考える。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1989

J. F. Williams

ロサンゼルスH(米GⅢ)

1990

Broad Gains

スノーグースH(米GⅢ)

1990

Little Baby Bear

カルロステレスダロシャファリア大賞(伯GⅠ)・ゼリアゴンザガペイショデカストロ大賞(伯GⅠ)

1990

Schossberg

ジェロームH(米GⅠ)・フィリップHアイズリンH(米GⅠ)・サルヴェイターマイルH(米GⅢ)

1991

Concern

BCクラシック(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)・アーカンソーダービー(米GⅡ)・ニューオーリンズH(米GⅢ)

1991

Gail's Brush

イートンタウンH(米GⅢ)

1991

Road Rush

グレイS(加GⅢ)

1992

Broad Smile

コロンビアS(米GⅢ)

1992

Brush with Pride

レイザーバックH(米GⅢ)・エセックスH(米GⅢ)

1992

Brushing Gloom

フェアグラウンズオークス(米GⅢ)

1992

Special Broad

テンプテッドS(米GⅢ)

1993

Brushing Up

グレイラグH(米GⅢ)・スタイミーH(米GⅢ)

1994

Broad Dynamite

アスタリタS(米GⅡ)

1994

Glory in Motion

ブッシャーS(米GⅢ)

1994

Hot Brush

ジョンBキャンベルH(米GⅢ)

1994

Timely Broad

セイビンH(米GⅢ)

1994

ブロードアピール

シルクロードS(GⅢ)・根岸S(GⅢ)・かきつばた記念(GⅢ)・プロキオンS(GⅢ)・シリウスS(GⅢ)・ガーネットS(GⅢ)

1995

Merengue

アンアランデルS(米GⅢ)

1995

Star of Broadway

ボーモントS(米GⅡ)

1995

Tookin Down

ヴァイオレットH(米GⅢ)

1996

Best of Luck

ピーターパンS(米GⅡ)・スタイヴァサントH(米GⅢ)

1996

Brushed Halory

デラウェアオークス(米GⅢ)・セイビンH(米GⅢ)

1996

Magic Broad

セリマS(米GⅢ)

1996

Stellar Brush

オハイオダービー(米GⅡ)

1996

With Flair

メイプルリーフS(加GⅢ)

1996

ノボトゥルー

フェブラリーS(GⅠ)・根岸S(GⅢ)・とちぎマロニエC(GⅢ)2回・兵庫ゴールドトロフィー(GⅢ)・さきたま杯(GⅢ)

1997

Include

ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・ニューオーリンズH(米GⅡ)・マサチューセッツH(米GⅡ)

1997

Pompeii

パーソナルエンスンH(米GⅠ)・レアトリートH(米GⅢ)

1998

Mongoose

ドンH(米GⅠ)

1999

Farda Amiga

ケンタッキーオークス(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)

1999

Maybry's Boy

スペクタキュラービッドS(米GⅢ)

1999

Quest Star

米国競馬名誉の殿堂博物館S(米GⅡ)・パンアメリカンH(米GⅡ)2回

2000

Noisettes

モデスティH(米GⅢ)

2002

Silver Charades

オールアロングBCS(米GⅢ)

2003

French Beret

エドワードRブラッドリー大佐H(米GⅢ)2回

2003

Hesanoldsalt

フレッドWフーパーH(米GⅢ)

TOP