トゥソード

和名:トゥソード

英名:Toussaud

1989年生

黒鹿

父:エルグランセニョール

母:イメージオブリアリティ

母父:インリアリティ

競走馬としてもGⅠ競走を勝った名牝だったが、母として名種牡馬エンパイアメーカーなど4頭のGⅠ競走勝ち馬を産んだ大繁殖牝馬

競走成績:2~4歳時に英米で走り通算成績15戦7勝2着4回3着2回

2015年6月6日、ニューヨーク州ベルモントパーク競馬場で施行されたベルモントSをアメリカンファラオが圧勝して、37年ぶり史上12頭目の米国三冠馬に輝いた。このアメリカンファラオの父方の祖父エンパイアメーカーの母が本馬トゥソードである。勿論、アメリカンファラオの誕生は本馬の功績だけではないのだが、それを重々承知の上で書かせてもらえば、本馬の存在は単にアメリカンファラオの血統の12.5%を占めるだけのものではないと思う。エンパイアメーカーが種牡馬として成功した理由の何割かは、本馬の息子であるという良血のために優れた繁殖牝馬が集まったからであり、本馬が並みの繁殖牝馬であればアメリカンファラオの父パイオニアオブザナイルが誕生する事も無く、アメリカンファラオがこの世に生を受けることも無かった事だろう。

誕生からデビュー前まで

ダンシングブレーヴなど数々の名馬を所有したサウジアラビアのハーリド・ビン・アブドゥッラー王子の馬産団体ジュドモントファームにより生産された米国産馬である。アブドゥッラー王子の所有馬として、英国ジョン・ゴスデン調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月にニューベリー競馬場で行われた芝6ハロン8ヤードの未勝利ステークスで、ウォルター・スウィンバーン騎手を鞍上にデビュー。出走馬21頭という多頭数の中で、単勝オッズ6.5倍の1番人気に支持された。先行して残り1ハロン地点で先頭に立ったものの、単勝オッズ17倍の伏兵ハイセブンズに差されて、1馬身半差の2着に敗れた。

2歳時はこの1戦のみで終え、3歳時は6月にヤーマウス競馬場で行われた芝6ハロン3ヤードの未勝利ステークスから始動した。素質がある馬はあらかた勝ち上がっている時期であり、このレースに出走していた馬の中では本馬の素質が群を抜いていた。そのため、単勝オッズ1.53倍という断然の1番人気に支持された。ダリル・ホランド騎手が騎乗した本馬は、スタートして1ハロンほど走ったところで先頭に立ち、そのまま馬群を引っ張った。残り2ハロン地点で内埒に衝突するアクシデントがあったが、お構いなしに走り続け、2着ナギダに1馬身半差で勝利した。

次走はそれから10日後にノッティンガム競馬場で行われたグラデュエーションS(T6F)だった。このレースにはこれはという馬は他に出走しておらず、ポール・エデリー騎手騎乗の本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。レースでは過去2戦と異なり少し抑え気味に入ったが、残り2ハロン地点では既に先頭に立ち、2着に逃げ粘ったストームダヴに半馬身差をつけて勝利。着差は小さかったが、最小限の労力で確実に勝ちを拾うクレバーな走りだった。

それからさらに2週間後のクリテリオンS(英GⅢ・T7F)では、ジャージーSなど4連勝中だったプリンスファーディナンド、コヴェントリーS3着馬カステドゥといった、本馬より実績上位の馬が複数参戦しており、本馬は単勝オッズ8倍の4番人気止まりだった。4戦目にして4人目の鞍上となるパット・エデリー騎手騎乗の本馬は、道中は馬群の中団を追走。前方には馬群の壁があったが、残り1ハロン地点でその僅かな隙間を突いて一気に先頭に踊り出ると、後方から追い込んできたプリンスファーディナンドを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。

次走はリングフィールド競馬場で行われたリステッド競走シルヴァートロフィー(T7F140Y)となった。本馬が単勝オッズ3倍の1番人気に支持され、前走で本馬から1馬身差の3着だったカステドゥが単勝オッズ3.5倍の2番人気、デューハーストSでドクターデヴィアスの3着した実績があったトリアスが単勝オッズ4.5倍の3番人気となった。前走に続いてパット・エデリー騎手が騎乗した本馬は、前走とは異なり先行。残り1ハロン地点でスパートして、やはり先行していたトリアスとの一騎打ちとなった。3着カステドゥを7馬身も引き離す2頭の戦いはトリアスが制し、本馬は短頭差の2着に敗れた。ただし斤量面では牝馬である本馬のほうが牡馬であるトリアスより2ポンド重かった事には留意するべきだろう。

7月末に出走したビーズウイングS(英GⅢ・T7F)では、カステドゥ、愛国際Sで2着してきたアールオブセフトンS勝ち馬シュアシャープ、本馬と繁殖成績では互角以上と言える名牝フォールアスペンの息子である後のジュライC勝ち馬ハマスなどを抑えて、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。今回はポール・エデリー騎手とコンビを組んだ本馬は、道中は少し抑え気味に進んだ。そして残り2ハロン地点で仕掛けたのだが、本馬より3ポンド斤量が軽かったカステドゥが後方から一気に突き抜けていき、先行したシュアシャープを捕まえる事にも失敗した本馬は、勝ったカステドゥから5馬身差をつけられて3着に敗れた。

このレース後に本馬は米国ロバート・フランケル厩舎に転厩し、以降は米国で走る事になった。

米国初戦は10月のクイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ・T9F)となった。このレースには、ケンタッキーオークス馬ラヴミーラヴミーノット、デルマーオークスなど3連勝中のスイヴィ、仏国でペネロープ賞を勝ちマルレ賞で2着した後に米国に移籍してきて既に勝ち星を挙げていたトランポリ、GⅢ競走ボイリングスプリングスHを勝っていたキャプティヴミスといった馬達が出走しており、デビッド・フローレス騎手騎乗の本馬は単勝オッズ17.4倍で10頭立ての7番人気止まりだった。フローレス騎手は本馬の末脚を最大限に活かすために大胆な最後方待機策を採った。そして直線入り口でも10頭立ての8番手。ここから猛然と追い上げてきたが、さすがに全馬を差し切る事は出来ず、キャプティヴミスの1馬身半差4着に敗れた。しかし、もうワンテンポ仕掛けが早ければと思わせるような豪脚だった。3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦3勝となった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝8ハロンの一般競走から始動。主戦となるケント・デザーモ騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、亜国のGⅠ競走ホルヘデアトゥーチャ大賞とエストレージャス大賞ジュヴェナイルフィリーズを勝った後に米国に移籍してこれが初戦だったポトリデーが単勝オッズ2.9倍の2番人気となった。スタートが切られるとステークス競走出走歴無しながらも109ポンドの最軽量が評価されて単勝オッズ10.7倍の4番人気となっていたガムファーが逃げを打ち、ポトリデーは馬群の中団5番手、本馬はそれから少し後方の6番手を追走した。そのままの態勢で直線に入ると、逃げ粘るガムファー、追い詰めるポトリデー、さらに後方から豪快に伸びてきた本馬の3頭がゴール前で横一線となり、殆ど並んでゴールインした。写真判定の結果、ガムファーが逃げ切っており、ポトリデーが頭差の2着、本馬はさらに首差の3着だった。

次走のウィルシャーH(米GⅡ・T8.5F)では、一般競走を3連勝中のサンアンドシェイド、オールアロングSとサンタアニタBCHで2着していたウェディングリング、サンタアニタBCHを勝ってきたヴィジブルゴールドなどを抑えて、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。スタートが切られるとヴィジブルゴールドが逃げを打ち、本馬は無難に3~4番手を進んだ。そして3番手で直線に入ると、逃げるヴィジブルゴールドをゴール前できっちりと差し切り、3/4馬身差で勝利した。

次走のゲイムリーH(米GⅠ・T9F)では、サンタアナH・サンタバーバラH・エルエンシノS・ラカナダS・チュラヴィスタHを勝っていたエクスチェンジ、タイダルH勝ち馬でサンタバーバラH3着のリバッサー、前走3着のウェディングリングなどが対戦相手となった。実績ナンバーワンのエクスチェンジが123ポンドのトップハンデでも単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、116ポンドの本馬と117ポンドのリバッサーの同馬主同厩カップリングが単勝オッズ2.9倍の2番人気、116ポンドのウェディングリングが単勝オッズ5.8倍の3番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ6.5倍の4番人気馬ベルズスターレットが逃げを打ち、本馬は馬群の中間5番手、エクスチェンジは後方からレースを進めた。しかしエクスチェンジの手応えは非常に悪く、三角に入ると最後尾に下がってしまった。一方の本馬は3番手で直線を向くと、逃げるベルズスターレットと2番手のゴールドフリースの追撃を開始。直線半ばで鮮やかに前2頭を差し切り、2着ゴールドフリースに1馬身差をつけて勝利した。

次走のアメリカンH(米GⅡ・T9F)では、前年の同競走勝利馬マンフロムエルドラド、イングルウッドH2着馬ブレイズオブライエン、シューメーカーH・シーオーエリンH勝ち馬ジャーナリズムなどの牡馬・騙馬勢が対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持された。スタートからジャーナリズムが引っ張ったレースで、本馬は馬群の中団やや後方を追走。直線入り口でも6頭立ての5番手だったが、ここから鮮やかに差し切り、2着マンフロムエルドラドに3/4馬身差で勝利した。

短い夏休みを経て、前走から3か月後のオータムデイズH(T6.5F)で復帰した。これといった対戦相手はおらず、本馬が他馬勢より5~9ポンド重い122ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。レースではやはり馬群の中団後方を追走し、直線に入ってから先行馬勢を全て差し切り、2着ベストドレスに半馬身差で勝利した。

それから18日後に出走したサンタアニタパーク競馬場芝8ハロンの一般競走では、欧州でメシドール賞などを勝っていたアクチュールフランセなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気で、アクチュールフランセが単勝オッズ4.7倍の2番人気だった。スタートが切られると本馬と同厩(ただし馬主は異なる)のゴールドデザートという馬が先頭に立ち、本馬とアクチュールフランセは揃って3~4番手を追走した。そしてほぼ同時に仕掛けて、直線で逃げるゴールドデザートを追撃したのだが、ゴールドデザートが斜行したために本馬が不利を蒙り、1位入線のアクチュールフランセから2馬身1/4差、2位入線のゴールドデザートから1馬身3/4差の3位入線。ゴールドデザートが3着に降着となったため、繰り上がって2着となった。

それから13日後には、前走と同じサンタアニタパーク競馬場芝8ハロンで施行されたBCマイル(米GⅠ・T8F)に参戦。本馬が過去に出走してきたどのレースと比べても対戦相手の層の厚さは桁違いだった。前年のBCマイルを筆頭にゴーサムS・ETターフクラシックH・ETディキシーH・ダリルズジョイS・ケルソHを勝っていたルアー、メイトリアークS2回・ビヴァリーヒルズS2回・ラモナH2回・ビヴァリーDSとGⅠ競走7勝を挙げていたフローレスリー、ハリウッドダービー・米国競馬名誉の殿堂博物館Sを勝っていた前年のBCマイル2着馬パラダイスクリーク、愛2000ギニー馬でクイーンエリザベスⅡ世S2着のバラシア、フォレ賞・スプリントCを勝っていた欧州の韋駄天ウルフハウンド、ダイアデムS・チャレンジSを勝ってきたキャットレイル、サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世Sの勝ち馬でジャンプラ賞・パリ大賞2着のビッグストーン、仏1000ギニー・ジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞・フォレ賞と4度のGⅠ競走2着があったアスタルテ賞勝ち馬スキーパラダイス、リュパン賞・カーネルFWケスターHの勝ち馬ヨハンクアッツ、ワシントンDC国際マイルS・カナディアンターフHの勝ち馬バッカール、愛2000ギニー・エルクホーンS・バーナードバルークHなどの勝ち馬フォースターズオールスター、レキシントンS・ギャラントマンSの勝ち馬レッヒの12頭が本馬の前に立ち塞がった。2連覇を目指すルアーが単勝オッズ2.3倍の1番人気、フローレスリーが単勝オッズ4.1倍の2番人気、パラダイスクリークが単勝オッズ9.2倍の3番人気と続き、本馬は単勝オッズ12倍の6番人気だった。

スタートが切られるとルアーとスキーパラダイスが先頭争いを始め、本馬は13頭立ての12番手という後方待機策を採った。三角手前から加速を始めたが、かなりのハイペースであってもさすがに前はそう簡単に止まってくれず、直線入り口でもまだ後方から数えたほうが早い順位だった。ここから猛然と追い込んで3着争いには加わってきたが、3着フォースターズオールスターに頭差届かずに4着だった。2着スキーパラダイスに2馬身1/4差をつけて完勝したルアーからの差は4馬身差だった。

引き続きメイトリアークS(米GⅠ・T9F)に出走。ここではBCマイルで9着に沈んでいたフローレスリー、リヴァーシティーズBCS勝ち馬でラスパルマスH2着のスキンブル、EPテイラーS・モデスティHを勝ってきたヒーローズラヴなどが対戦相手となった。フローレスリーが単勝オッズ1.9倍の1番人気で、本馬とスキンブルの同馬主同厩カップリングが単勝オッズ3.2倍の2番人気となった。この年にずっと本馬に騎乗していたデザーモ騎手は同日に日本で行われたジャパンC(コタシャーンに騎乗してゴール板誤認事件を仕出かしたあのレースである)に参加したため不在であり、ここではゲイリー・スティーヴンス騎手が騎乗した。レースでは相変わらずの後方待機策を採り、直線入り口5番手から猛然とスパート。次々に他の馬達をかわしていったが、先頭のフローレスリーに首差まで迫ったところでゴールラインを通過。惜しくも2着に敗れてしまった。このレースを最後に、4歳時8戦4勝の成績で競走馬を引退した。

競走馬としての特徴

本馬は15戦して着外は2度のみだった。その2度はいずれもGⅠ競走で4着と、大敗というものではなく、かなり安定した競走成績を残している。ゴール前で計ったようにきっちりと差し切る走りを得意としており、先にも書いたが「クレバーなレースぶり」と評された。

もっとも、息子エンパイアメーカーに関して紹介した海外の資料には「エンパイアメーカーは母親から受け継いだ気性の悪さを子孫に伝えました」と記載されているから、それほど気性が良い馬ではなかったようである。

血統

El Gran Senor Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Sex Appeal Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Best in Show Traffic Judge Alibhai
Traffic Court
Stolen Hour Mr. Busher
Late Date
Image of Reality In Reality Intentionally Intent War Relic
Liz F.
My Recipe Discovery
Perlette
My Dear Girl Rough'n Tumble Free for All
Roused
Iltis War Relic
We Hail
Edee's Image Cornish Prince Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Teleran Eight Thirty
Tellaris
Ortalan Swaps Khaled
Iron Reward
Bravura Niccolo Dell'Arca
Teretania

エルグランセニョールは当馬の項を参照。

母イメージオブリアリティは現役成績26戦8勝、ミレイディH(米GⅡ)の勝ち馬。本馬の1歳年上の全姉にはナヴァラ【ヴァインランドH(米GⅢ)】がいる。イメージオブリアリティの母エディーズイメージの叔母にはカンダリータ【メイトロンS・スピナウェイS】、叔父にはヘイルザパイレーツ【ガルフストリームパークH(米GⅠ)】が、エディーズイメージの従姉妹の曾孫には、本馬の息子エンパイアメーカーと米国三冠競走を戦ったファニーサイド【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】がいる。エディーズイメージの曾祖母テレタニアは、不出走馬ながら米国で種牡馬として成功したアリバイの半妹である。→牝系:F6号族②

母父インリアリティは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のジュドモントファームで繁殖入りした。繁殖入り後の本馬は後述するように病気がちであり、産んだ子馬の世話を十分に出来ない事もしばしばあった。そのため本馬の子は体質が弱い傾向があったが、それでも以下のように次々と活躍馬を送り出した。

6歳時には初子の牡駒チェスターハウス(父ミスタープロスペクター)を産んだ。チェスターハウスは現役成績21戦6勝。当初は欧州で走ってブリガディアジェラードS(英GⅢ)を勝った後にフランケル厩舎に転厩してアーリントンミリオン(米GⅠ)を勝つという、母と似たような競走生活を送った。なお、チェスターハウスを産んだ直後に本馬はサラブレッドにとっての死の病である蹄葉炎を発症したが、いったんは回復している。

7歳時には2番子の牝駒オネストレディ(父シアトルスルー)を産んだ。オネストレディは現役成績15戦6勝、サンタモニカH(米GⅠ)・サンタイネスS(米GⅡ)・ディスタフBCH(米GⅡ)・アグリームH(米GⅡ)に勝ち、BCスプリント(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)で2着した。

8歳時には3番子の牡駒デカーチー(父ディスタントビュー)を産んだ。デカーチーは現役成績19戦6勝、フランクEキルローマイルH(米GⅡ)・タンフォランH(米GⅢ)を勝ち、エディリードH(米GⅠ)で2着した。

9歳時には4番子の牡駒シヴィライゼーション(父ゴーンウエスト)を産んだが、シヴィライゼーションは3戦未勝利に終わった。

10歳時には5番子の牡駒チセリング(父ウッドマン)を産んだ。チセリングは現役成績10戦3勝、セクレタリアトS(米GⅠ)・レキシントンS(米GⅢ)に勝利した。

そして11歳時に産んだ6番子の牡駒が冒頭のエンパイアメーカー(父アンブライドルド)である。エンパイアメーカーがフランケル師の管理下でデビューした時点において、本馬の子ども達4頭が既にグレード競走勝ち馬となっていたから、当然エンパイアメーカーに掛かる期待も大きかった。そしてエンパイアメーカーは実際にその期待に違わない活躍を見せ、ベルモントS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅠ)を勝ち、ケンタッキーダービー(米GⅠ)でファニーサイドの2着するなど8戦4勝の成績を残した(詳細は当馬の項を参照)。なお、エンパイアメーカーが2歳時の2002年に本馬はケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれている。

12歳時には疝痛の手術を受けた影響もあって産駒がおらず、13歳時に7番子の牝駒トレランス(父シーキングザゴールド)を産んだが、トレランスは3戦1勝に終わった。

14歳時に8番子の牝駒ティンゲ(父キングマンボ)を産んだが、ティンゲは不出走に終わった。

15歳時に9番子の牝駒メスメリック(父エーピーインディ)を産んだが、メスメリックも不出走に終わった。

16歳時は産駒がおらず、17歳時に10番子の牝駒ゲートウェイ(父エーピーインディ)を産んだが、ゲートウェイも不出走に終わった。

18歳時の2007年は産駒がおらず、同年に蹄葉炎を再発したため12月をもって正式に繁殖牝馬を引退。その後はジュドモントファームで療養生活を送っていたが、2009年1月に症状が悪化したために20歳で安楽死の措置が執られた。

本馬は10頭の子を産み、そのうち6頭が勝ち上がり、5頭がグレード競走勝ち馬となり、4頭がGⅠ競走勝ち馬となった。特筆すべきなのは、グレード競走勝ち馬5頭の父が全て異なることである。どんな種牡馬が相手でも活躍馬を出すという、まさしく繁殖牝馬の鑑だった。健康問題さえ無ければもっと凄い繁殖成績を収めた可能性もあり、その点は惜しまれる。

後世に与えた影響

本馬が産んだ牡駒5頭は全て種牡馬入りしている。そのうちジュドモントファームで種牡馬入りしたエンパイアメーカーは血統的な評価が高かったために初年度から毎年のように100頭を超える繁殖牝馬を集めたが、当馬の項に記載したように当初の種牡馬成績がジュドモントファームの期待を下回った(初年度産駒からGⅠ競走勝ち馬が4頭出ているのだが、それでも期待以下だったわけである)等の理由により、2010年に日本に売却されてしまった。その後の2012年にエンパイアメーカーは北米首位種牡馬になってしまい、米国の馬産家達は天を仰いだが後の祭りであった。もっとも、その分だけパイオニアオブザナイルを始めとするエンパイアメーカー産駒の種牡馬達に期待がかかり、そしてアメリカンファラオが誕生したわけだから、塞翁が馬といったところだろうか。なお、アメリカンファラオの米国三冠達成を受けて、エンパイアメーカーは米国に買い戻される事が決まったそうである。

他の牡駒4頭のうち、チェスターハウスは2003年に8歳の若さで母より先に他界したが、種牡馬としてジャストアゲームS・サンタモニカH・ウッドバインマイルS・メイトリアークSとGⅠ競走4勝のヴェンチュラや、メトロポリタンH勝ち馬ディヴァインパークなど18頭のステークスウイナーを出して成功した。他の3頭は今のところ種牡馬として目立った活躍は見せていない。チセリングは南アフリカで種牡馬入りする計画があったが、寄生虫に起因する神経疾患のため頓挫しており、その後の情報は無い。

本馬の牝系子孫はまだそれほどの発展を見せていないが、オネストレディが母としてファーストディフェンス【フォアゴーS(米GⅠ)・ジャイプールS(米GⅢ)】を産んでいる。

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