クリスキン

和名:クリスキン

英名:Kris Kin

2000年生

栗毛

父:クリスエス

母:エンジェルインマイハート

母父:レインボークエスト

調教でもレース序盤でもまともに走らない超怠け者の馬でありながら英ダービーを好タイムで優勝した、努力しない天才肌の馬

競走成績:2・3歳時に英仏で走り通算成績7戦3勝3着2回

誕生からデビュー前まで

ニアルコスファミリーの米国における馬産名義フラックスマンホールディングスにより、米国ケンタッキー州において生産された。

1歳9月のキーンランドセールに出品された。本馬が出品されるセリは11日に予定されていたのだが、その2001年9月11日は米国同時多発テロ事件が発生したまさにその日であり、その影響を受けてセリは1日順延されて12日に開催された。セリ会場でも米国同時多発テロ事件の話題で持ちきりであり、平素とはかなり異なる物々しい雰囲気の中で、本馬はドバイの実業家サイード・スハイル氏の代理人としてセリに参加したブラッドストックエージェント社のチャールズ・ゴードン・ワトソン氏により27万5千ドルで購入された。

そして2歳になってから英国に送られ、サー・マイケル・スタウト調教師に預けられた。2歳になってからスタウト厩舎に来た本馬は調教開始が遅かった上に、調教の動きは甚だ悪かった。そこでスタウト師は実戦で本馬を仕上げようとしたようである。

競走生活(2歳時)

2歳10月にニューマーケット競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスで、ジョニー・ムルタ騎手を鞍上にデビューした。しかし英国エリザベス女王陛下の所有馬で本馬と同厩のデザ-トスターが単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持される一方で、調教でろくな走りを見せていなかった本馬は単勝オッズ21倍で26頭立ての9番人気の低評価。レースはキーレン・ファロン騎手を鞍上に先行したデザ-トスターが5馬身差の圧勝を飾り、スタートで出遅れた本馬は全く見せ場が無く、デザ-トスターから14馬身半差の15着と大敗した。

次走はそれから22日後にドンカスター競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスとなった。相変わらず調教の動きは悪かったらしいが、1戦叩いた効果が期待された事と対戦相手のレベル低下により、ここでは単勝オッズ6倍で12頭立ての2番人気となった。ファーガル・リンチ騎手とコンビを組んだ本馬は、ここでも出遅れてしまった。そして馬群の後方をてくてくと走っていたが、残り2ハロン地点から猛然と加速して、残り1ハロン地点では突き抜けて既に先頭に立っていた。その後は流して走り、やはり後方から追い込んできた同じ2番人気馬プレゼンターに2馬身半差をつけて勝利した。2歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は2戦1勝だった。

ディーS

3歳時は5月にチェスター競馬場で行われたディーS(英GⅢ・T10.5F)から始動した。対戦相手は、2歳後半にリステッド競走オータムSなど4連勝していたビッグバッドボブ(1999年の英ダービー馬オースの従姉妹の孫で、エリザベス女王杯を2連覇したスノーフェアリーの伯父に当たる)、2か月前の未勝利ステークスを3馬身半差で勝ち上がってきたプライヴェートチャーター(英オークスやキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSなどを勝った名牝タイムチャーターの孫に当たる)、3戦1勝のオースウェイズエスティームド(1981年の英1000ギニー馬フェアリーフットステップスの孫で、英2000ギニー・英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSなどを勝った名馬ロイヤルパレスの近親に当たる)の3頭で、本馬も比較的優れた牝系の出身だったから、血統的妙味が大きい馬4頭の対戦となった。

そうなると過去の実績と調教の動きが人気順にそのまま反映される形となり、ビッグバッドボブが単勝オッズ1.44倍という断然の1番人気で、プライヴェートチャーターが単勝オッズ6倍の2番人気、オースウェイズエスティームドが単勝オッズ6.5倍の3番人気となった。リンチ騎手が騎乗する本馬は相変わらず調教でろくな走りを見せていなかった上に、デビュー戦で完敗を喫した相手であるデザ-トスターがその後のデューハーストSで惨敗していた影響もあったのか、単勝オッズ21倍の最低人気だった。

スタートが切られると、ビッグバッドボブとオースウェイズエスティームドの2頭が先頭を引っ張り、プライヴェートチャーターが3番手で、またしても出遅れていた本馬は最後方を進んだ。やがてビッグバッドボブがオースウェイズエスティームドやプライヴェートチャーターを置き去りにして抜け出し、そのまま勝つと思われた。ところが残り1ハロン地点でスパートした本馬が驚くべき末脚を繰り出して、瞬時にしてビッグバッドボブを差し切り、2馬身差をつけて勝利した。予想外の瞬発力だったためか、鞍上のリンチ騎手は体勢を崩してしまい、ゴールを通過した後に落馬してしまったほどだった。落とされたリンチ騎手だったが、苦笑しながら所持していた鞭を観客席に放り投げて、声援に応えた。スハイル氏の競馬マネージャーを務めていたブルース・レイモンド元騎手は「こんな結果になるとは予想外でした。調教でまるで走ってくれなかったので、彼の真価を推し量る事は困難でした」と驚きのコメントを発した。

英ダービー

ディーSは英ダービーの前哨戦ではあるが、本馬がデビュー戦で惨敗を喫した後に、英ダービーに向かう可能性は無いと判断した陣営は、その後に受付が締め切られた英ダービーの第二次登録をしていなかった。そのために本馬を英ダービーに参戦させるには、第二次登録に必要な金額の10倍近い9万ポンドという巨額の追加登録料を支払う必要が生じた。陣営の中ではどうやら喧々諤々の論争が行われたようで、より安い登録料で済む仏ダービーへの登録も行われたほどだった。

しかし英ダービーの5日前になって陣営は遂に決断して9万ポンドを支払い、本馬は英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)に参戦する事が決まった。なんでも、英ダービーの2週間前に、本馬に1度も実戦で騎乗したことが無いファロン騎手が「この馬は英ダービーを勝ちます」とレイモンド氏に参戦を勧めたらしい。しかし本番2日前に脚に軽度の負傷をしたという情報が流れ、ぎりぎりまで本馬の出走は流動的だった。負傷をしたのは事実だったようだが、たいした怪我ではなかったようで、すぐに治癒させて参戦してきた。

対戦相手は、英2000ギニー・愛ナショナルSなど4戦全勝のリフューズトゥベンド、デリンズタウンスタッドダービートライアルS・ベレスフォードSの勝ち馬でバリサックスS2着のアラムシャー、レーシングポストトロフィーの勝ち馬でベレスフォードS2着・デリンズタウンスタッドダービートライアルS3着のブライアンボル、クリテリウムドサンクルーの勝ち馬でリュパン賞・バリサックスS3着のアルベルトジャコメッティ、英2000ギニー3着馬ノーズダンサー、ダンテS・フェイルデンSを連勝してきたマジストレッティ、サンダウンクラシックトライアルSを勝ってきたシールド、チェスターヴァーズを勝ってきたダッチゴールド、デリンズタウンスタッドダービートライアルS2着馬ザグレートギャツビー、リングフィールドダービートライアルS・ブルーリバンドトライアルSなど3連勝してきたフランクリンズガーデンズ、コンデ賞の勝ち馬でシェーヌ賞3着のグライコス、リングフィールドダービートライアルS2着馬レットミートライアゲイン、ダンテS3着馬ダンヒルスター、プレドミネートS2着馬ユニゴールド、バリサックスSの勝ち馬バレストリーニ、クリテリウムドサンクルー・チェスターヴァーズ2着のサマーランド、サンダウンクラシックトライアルS3着馬ストレングスンオナー、クレイヴンS2着・伊ダービー3着のランディーズレーン、ロンドン金杯を勝ってきたプリンスヌレイエフの計19頭だった。

リフューズトゥベンドが単勝オッズ3.75倍の1番人気、アラムシャーが単勝オッズ5倍の2番人気、ブライアンボルが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ファロン騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ7倍の4番人気、アルベルトジャコメッティが単勝オッズ13倍の5番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ21倍の7番人気馬ザグレートギャツビーが逃げを打ち、リフューズトゥベンドやブライアンボルなどがそれを追って先行集団を形成。相変わらずスタート後の加速が悪い本馬だったが、ファロン騎手が押して位置取りを強引に上げたため、馬群の中団に落ち着き、アラムシャーなどと共にレースを進めた。あまり人気が無かったザグレートギャツビーだが、このレースにおける手応えは抜群で、タッテナムコーナーを回って直線に入ってきても先頭を堅持し続けた。逆にザグレートギャツビーを追いかけた先行馬勢は次々に沈んでいった。一方、8番手で直線に入ってきた本馬は、残り2ハロン地点で満を持してスパート。残り1ハロン地点でも先頭のザグレートギャツビーとは2馬身ほどの差があったが、ここからさらに加速して、残り半ハロン地点でザグレートギャツビーを抜き去った。そして2着に逃げ粘ったザグレートギャツビーに1馬身差、直線入り口9番手から3着に追い上げてきたアラムシャーにはさらに短頭差をつけて優勝。勝ちタイムの2分33秒35は、1995年にラムタラが計時した2分32秒31、2001年にガリレオが計時した2分33秒27に次ぐ当時同競走史上3位の好タイムだった。

この年の英ダービーの優勝賞金は85万2600ポンドであり、追加登録料9万ポンドを支払った甲斐があった。レース後にスタウト師は「この馬は私が今まで手掛けてきた馬の中で最も怠け者です。勝ったのはファロン騎手の見事な騎乗のおかげです」と語った。

競走生活(3歳後半)

次走は愛ダービーが予定されていたが、馬場状態が堅すぎる事を理由に回避。その後はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ・T12F)に向かった。しかし相変わらず本馬は調教でろくな走りを見せず、「静物画を描く対象としてはもってこい」と評されるほどだった。

対戦相手は、本馬不在の愛ダービーを勝ってきたアラムシャー、英チャンピオンS・ドバイシーマクラシック・英国際S・プリンスオブウェールズS・ローズオブランカスターS・セレクトS・カンバーランドロッジSの勝ち馬で前年の同競走と前走エクリプスS2着のネイエフ、仏ダービー・ドバイシーマクラシック・ニエル賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞2着のスラマニ、ジャパンC・伊共和国大統領賞・ミラノ大賞・イスパーン賞・エクリプスSの勝ち馬ファルブラヴ、UAE2000ギニー・UAEダービーの勝ち馬ヴィクトリームーン、コロネーションC・ジョッキークラブS・ジョンポーターSの勝ち馬で前走ミラノ大賞2着のウォーサン、前年の英セントレジャー馬ボーリンエリック、英セントレジャー・ジョッキークラブS・プリンセスオブウェールズS2回・チェスターヴァーズ・ゴードンSの勝ち馬で愛セントレジャー2着のミレナリー、前走ミラノ大賞を勝ってきたリーダーシップ、シンガポール航空国際C・プリンスオブウェールズS・愛チャンピオンS・マクトゥームチャレンジR3の勝ち馬でエクリプスS・英国際S2着の前年のカルティエ賞最優秀古馬グランデラ、ネイエフ陣営が用意したペースメーカー役のイズディハムの計11頭だった。ネイエフが単勝オッズ4倍の1番人気、ファロン騎手が主戦として固定されることになった本馬が単勝オッズ4.5倍の2番人気、スラマニが単勝オッズ5.5倍の3番人気、アラムシャーが単勝オッズ7.5倍の4番人気、ファルブラヴが単勝オッズ13倍の5番人気となった。

スタートが切られるとイズディハムが先頭に立ち、アラムシャーが2番手、ネイエフが3番手につけた。一方の本馬は相変わらずスタート後の加速が悪く、今回はそのまま馬群の後方からレースを進めた。そして残り5ハロン地点で早くもファロン騎手が押し始め、残り3ハロン地点になってようやく本馬は渋々(?)加速を開始。しかし他馬の加速開始のほうが早かったため、直線入り口でも12頭立ての11番手という後方だった。それでも直線では着実に末脚を伸ばしてきたが、しかし英ダービーとは逆に先行抜け出しの競馬を見せたアラムシャーと、本馬と同じく後方からレースを進めながら本馬より先に位置取りを上げて直線に入っていったスラマニの2頭には及ばず、勝ったアラムシャーから5馬身半差、2着スラマニから2馬身差の3着に敗退。それでも直線一気で勝つのが難しいとされるこのレースにおいて、当時の欧州トップクラスの馬達の多くに先着して、その能力の一端を垣間見せることは出来た。

その後は凱旋門賞を目指すことになり、その前哨戦であるニエル賞(仏GⅡ・T2400m)に出走した。対戦相手は6頭いたが、強敵は3頭。クリテリウム国際・リュパン賞・仏ダービー・グレフュール賞・シェーヌ賞の勝ち馬で愛ダービー2着のダラカニ、リス賞など3連勝中のドワイエン、ユジェーヌアダム賞の勝ち馬でパリ大賞3着のルックハニーだった。ダラカニが単勝オッズ1.53倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.75倍の2番人気、ドワイエンが単勝オッズ7倍の3番人気、ルックハニーが単勝オッズ17倍の4番人気となった。

スタートが切られるとダラカニ陣営が用意したペースメーカー役のダイヤプールが先頭に立ち、本馬陣営が用意したペースメーカー役のハイアクションが2番手で、大きく離された3番手が本馬。ダラカニやドワイエンは本馬をマークするように後方を進んだ。やがてダイヤプールは失速し始めたが、それと同時に他馬が内埒沿いを走る本馬の横までやってきて、ダイヤプールと他馬に囲まれた本馬はなかなか加速を開始できなかった。本馬はエンジンがかかるのが遅い馬であるから早めに仕掛ける必要があったのだが、馬群に包まれたまま直線に入った本馬はこの段階でようやく加速を開始。しかし本馬より反応が優れているダラカニとドワイエンの2頭に瞬く間に抜き去られてしまい、勝ったダラカニから4馬身差の3着に敗退した。鞍上のファロン騎手は、地元仏国の騎手がおそらく意図的に本馬を馬群に閉じ込めた件について、怒りを堪えながら不満を述べた。スタウト師は、レース展開に恵まれなかった今回よりも本番のほうが期待できる旨を述べた。

本番の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、ダラカニ、ドワイエン、英ダービー・愛ダービー・BCターフ・レーシングポストトロフィー・愛チャンピオンS・ロイヤルホイップS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬で前年の凱旋門賞3着のハイシャパラル、サンクルー大賞2回・香港ヴァーズ・コンセイユドパリ賞・シャンティ大賞・フォワ賞の勝ち馬でドバイシーマクラシック2着のアンジュガブリエル、愛セントレジャー3連覇を達成した他にロワイヤルオーク賞も勝っていた名長距離馬ヴィニーロー、ウニオンレネン・独ダービー・バイエルン大賞と3連勝してきたダイジン、ジェフリーフリアS2回・セプテンバーSの勝ち馬ムブタケル、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS4着後にロンズデールSを勝っていたボーリンエリック、前年の凱旋門賞ではハイシャパラルのペースメーカーだったがその後目覚めて伊ジョッキークラブ大賞・タタソールズ金杯とGⅠ競走を2勝した良血馬ブラックサムベラミー、ドーヴィル大賞の勝ち馬ポリシーメイカーなど12頭が対戦相手だった。ハイシャパラルが単勝オッズ2.625倍の1番人気、ダラカニが単勝オッズ3.25倍の2番人気、ドワイエンが単勝オッズ6.5倍の3番人気、アンジュガブリエルが単勝オッズ10倍の4番人気、本馬とヴィニーローが並んで単勝オッズ12倍の5番人気となった。

レースは本馬が過去に経験したことが無い泥だらけの不良馬場で行われた。スタートが切られると、ダラカニ陣営のペースメーカー役ダイヤプールが先頭に立ち、本馬陣営が用意したペースメーカー役のファーストチャーターが2番手、ブラックサムベラミーが3番手につけた。本馬とハイシャパラルは好位につけ、ダラカニは後方を進んだ。やがてペースメーカー役の2頭は後退し、ブラックサムベラミーが先頭に上がった状態でフォルスストレートに入ってきた。そして他の有力馬勢も加速を始めたが、本馬は前走と同じく馬群の内側に閉じ込められており、徐々に位置取りが下がっていった。そして13頭立ての12番手で直線に入る羽目になってしまった。反応が悪い本馬がこんな不良馬場で仕掛けが遅れては、もはやどうする事も出来なかった。レースはダラカニが勝利を収め、本馬は45馬身差をつけられた11着と惨敗。逃げて失速したペースメーカー役2頭にしか先着できなかった。

そして陣営はこのレースの3日後に本馬の競走馬引退を発表。3歳時5戦2勝の成績で競馬場を去ることになった。

競走馬としての評価

本馬に関しては、レーシングポスト紙、英タイムフォーム社の元記者トニー・ランドール氏など、各方面が史上最弱クラスの英ダービー馬という評価を下している。しかし英ダービーやキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで本馬に先着された馬のレベルを考慮すると、本馬が史上最弱クラスの英ダービー馬という評価には首を傾げざるを得ない。

確かに凱旋門賞は見せ場が無かったが、過去にはリファレンスポイントジェネラスのように凱旋門賞で惨敗しながら高い評価を得ている英ダービー馬もおり、凱旋門賞で惨敗したから弱い英ダービー馬という事にはならない。

ただ、調教で全く走らない非常に怠け者の馬だった事は確かであり、しかもレースで別馬になるならともかく、レースでも序盤はあまり走る気が無く、鞍上が押して押してようやく仕方なく真面目に走る始めるという状況ばかりだった。その反応の鈍さは、日本で走ったヒシミラクルを想起させるものがあり、鞍上はかなり苦労したようである。

怠け者という点では競走馬として高い評価を与えられるべき馬では無いのは確かだが、逆に言えば才能だけで走って英ダービーを勝った事になる。本馬が真面目に調教に取り組み、レースでも一生懸命走るタイプの競走馬だったら、いったいどのような馬になっていただろうか。能力の底を見せなかった英ダービー馬というのが、本馬に対する筆者の評価である。

血統

Kris S. Roberto Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Bramalea Nashua Nasrullah
Segula
Rarelea Bull Lea
Bleebok
Sharp Queen Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Bridgework Occupy Bull Dog
Miss Bunting
Feale Bridge Gold Bridge
Tolerate
Angel in My Heart Rainbow Quest Blushing Groom Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
I Will Follow Herbager Vandale
Flagette
Where You Lead Raise a Native
Noblesse
Sweetly Lyphard Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Sweet And Lovely Tanerko Tantieme
La Divine
Lilya Clarion
La Fougueuse

クリスエスは当馬の項を参照。

母エンジェルインマイハートは仏国産馬。当初は仏国で走ってプシシェ賞(仏GⅢ)を勝ち、オペラ賞(仏GⅡ)・ミネルヴ賞(仏GⅢ)2着などの成績を残した後に渡米。イエローリボンS(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)・サンタアナH(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅡ)で2着したが、米国で挙げた勝ち星は一般競走の1勝のみだった。通算成績は15戦3勝2着7回。エンジェルインマイハートの半兄にコモングラウンズ(父クリス)【サラマンドル賞(仏GⅠ)】が、エンジェルインマイハートの半姉ライトニングファイア(父クリス)の子にベイルート【オールアロングS(米GⅡ)】がいる。エンジェルインマイハートの母スイートリーの半妹ゲイフランスの孫にルソー【伊ダービー(伊GⅠ)・アラルポカル(独GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)2回・ドイツ賞(独GⅠ)・エールトガス大賞(独GⅠ)】、本馬と対戦経験もあるウォーサン【コロネーションC(英GⅠ)2回・バーデン大賞(独GⅠ)2回】、牝系子孫にアヴニールセルタン【仏1000ギニー(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)】が、スイートリーの半妹シンダールの牝系子孫にウィグモアホール【ノーザンダンサーターフS(加GⅠ)2回】がいる。スイートリーの祖母リリアはムーランドロンシャン賞の勝ち馬で、その甥には凱旋門賞馬トピオがいる。→牝系:F7号族①

母父レインボークエストは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国キルデア郡デリンズタウンスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は8千ユーロに設定された。デリンズタウンスタッドにおける供用期間は僅か2シーズンで終わり、2005年には同じキルデア郡にあるモリスタウンラティンスタッドに移動。翌2006年から障害用種牡馬として供用されることになった。後の2010年11月に伊国のアグリコライマンドリ社所有の牧場に移動。そして2年後の2012年に独裁者カダフィ大佐が殺害されて内戦が一段落ついたリビアに売却された。そしてリビアの首都トリポリにあるアルシャーブスタッドで種牡馬生活を送ることになった矢先の2012年8月に、柵を飛び越えようとして失敗して首の骨を折ってしまい、12歳で他界した。本馬は種牡馬としては成功できず、所有者だったスハイル氏がドバイに建設したクリスキンホテルの名称にその名を留めている。

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