アルマームード

和名:アルマームード

英名:Almahmoud

1947年生

栗毛

父:マームード

母:アービトレイター

母父:ピースチャンス

ノーザンダンサーやヘイローの祖母として現代競馬に多大な貢献を果たし、米国競馬史上最も後世に影響力を残した繁殖牝馬の1頭とされる

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績11戦4勝3着1回

20世紀初頭のラトロワンヌと並んで、米国競馬史上最も後世に影響力を残した繁殖牝馬として知られている。

誕生からデビュー前まで

エクワポイズトップフライトなどの所有者として知られた米国の名馬主コーネリウス・ヴァンダービルト・ホイットニー氏により、米国ケンタッキー州レキシントンにおいて生産された。英ダービー馬である本馬の父マームードは、ホイットニー氏が米国に輸入して、レキシントンにある自身の牧場で繋養していた種牡馬だった。本馬の誕生日は5月18日であり、北半球産馬としては遅生まれの部類だった。本馬は1歳時にヘンリー・ナイト氏という人物に購入された。ナイト氏は自分の妻であるアルマ夫人(Alma)の名前と本馬の父マームード(Mahmoud)の名前を組み合わせて本馬を“Almahmoud”と命名した。

しかしナイト氏は自分の妻にちなんで命名した本馬をすぐに売りに出してしまった。そして1歳時のサラトガセールにおいて、T・D・ターゲット氏という人物により1万5千ドルで購入された。しかしターゲット氏がすぐに死去したため、本馬は再度売りに出され、ギリシア出身の米国の石油業者ウィリアム・ジョージ・ヘリス・シニア卿により1万5千ドルで購入された。

競走生活

そして2歳秋に競走馬としてデビュー。2歳時はモンマスパーク競馬場で出走した分割競走コリーンS(D5.5F)に勝利するなど、6戦3勝の成績を残した。

3歳時は、同年の7月に本馬の所有者ヘリス・シニア卿が63歳で死去したごたごたもあって、当初はなかなか勝ち星に恵まれなかった。結局、シニア卿が他に所有していた馬達と一括して100万ドルで購入され、本馬は再びナイト氏の所有馬となった。

その後の10月にガーデンステート競馬場で出走したヴァインランドH(D8.5F)で、前年の同競走の勝ち馬でもあったアーリントンラッシーS・アッシュランドS・モデスティH・ブラックヘレンHなどの勝ち馬ビウィッチを3着に破って、ステークス競走2勝目を挙げた。神経質な性格だったと評された本馬はかなりムラ駆けする馬でもあったようで、このレースでも単勝オッズ50倍という大穴だった。3歳時の成績は5戦1勝で、この年限りで競走馬を引退している。

血統

Mahmoud Blenheim Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Malva Charles O'Malley Desmond
Goody Two-Shoes
Wild Arum Robert le Diable
Marliacea
Mah Mahal Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Mumtaz Mahal The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Lady Josephine Sundridge
Americus Girl
Arbitrator Peace Chance Chance Shot Fair Play Hastings
Fairy Gold
Quelle Chance Ethelbert
Qu'elle est Belle
Peace Stefan the Great The Tetrarch
Perfect Peach
Memories Rabelais
Wallflower
Mother Goose  Chicle Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Lady Hamburg Hamburg
Lady Frivoles
Flying Witch Broomstick Ben Brush
Elf
Fly By Night Peter Pan
Dazzling

マームードは当馬の項を参照。

母アービトレイターは不出走馬だが、繁殖牝馬としてはなかなか優秀で、102戦19勝の成績を挙げた本馬の全兄ブラサヒブ【ウィルロジャーS】、79戦10勝の成績を挙げた本馬の半兄エアーアタック(父キャリアピジョン)【2着セレクトH】、57戦10勝の成績を挙げた本馬の半弟レフェリー(父ゴヤ)【3着スポルディングロウジェンキンスS】、30戦6勝の成績を挙げた本馬の全妹ディスピュート【テストS・2着ギャロレットH・3着ヴァイグランシーH】などを産んでいる。

アービトレイターの母マザーグースは、ベルモントフューチュリティS・ファッションSを勝って1924年の米最優秀2歳牝馬に選ばれた馬で、長らくニューヨーク牝馬三冠競走の第2戦として位置付けられていたマザーグースSにその名を残す名牝である。アービトレイターの半姉ゴズリング(父セントジャーマンズ)の牝系子孫には、1972年のエクリプス賞最優秀短距離馬シュークルート【スピンスターS・ヴェイグランシーH・フォールハイウェイトH・サンタモニカH(米GⅡ)】、ナスティーク【レディーズH(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)2回・メイトリアークS(米GⅠ)】、日本で走ったノボトゥルー【フェブラリーS(GⅠ)】などがいる。また、アービトレイターの半姉グースフレッシュ(父マッドハター)の牝系子孫には、スカイウォーカー【BCクラシック(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)】、アスクザムーン【ラフィアン招待H(米GⅠ)・パーソナルエンスン招待S(米GⅠ)】などがいる。→牝系:F2号族①

母父ピースチャンスはベルモントS勝ちなど13戦5勝2着5回。ピースチャンスの父チャンスショットもベルモントSの勝ち馬で、その父はフェアプレイである。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はナイト氏の所有のもと、米国で繁殖入りした。6歳時に初子の牝駒コスマー(父コズミックボム)を出産した。コスマーは競走馬としては2・3歳時に走り30戦9勝2着5回。繰り上がり勝利のアスタリタS・ガーデニアトライアルSとステークス競走で2勝を挙げ、ガゼルHとガーデニアSで2着、フリゼットSで3着している。

7歳時は双子を死産した。8歳時に2番子の牡駒オールババ(父バーラム)を産んだが、オールババは不出走に終わった。本馬が8歳時の1955年にナイト氏は体調を崩したため、本馬を含む所有馬の大半を売却した。本馬はニドリースタッドの所有者D・G・ワン・クリーフ氏によって5万5千ドルで購入された。クリーフ氏はさらに自身の伯母であるE・H・オーガスタス夫人に本馬を売却し、本馬はオーガスタス夫人のケズウィックステーブルズで繁殖生活を続けた。9歳時に3番子の牡駒アーミスティス(父サイテーション)を産んだが、去勢されて騙馬となるも1勝を挙げるに留まった。

10歳時に4番子の牝駒ナタルマ(父ネイティヴダンサー)を出産した。ナタルマは1歳時にカナダの名馬産家エドワード・P・テイラー氏によりサラトガセールにおいて3万5千ドルで購入された。2歳時にスピナウェイSで1位入線するも進路妨害で3着に降着となった。翌年のケンタッキーオークス直前の調教で膝の剥離骨折を発症してしまい、繁殖シーズンにぎりぎり間に合うこともあって、通算成績7戦3勝で早々に現役を引退した。

11歳時に5番子の牡駒レチノスコープ(父ヘリオスコープ)を産んだが、レチノスコープは14戦未勝利に終わった。12歳時に6番子の牡駒フォークダンサー(父ネイティヴダンサー)を産んだ。フォークダンサーは通算成績56戦10勝、スウィンフォードSを勝利したが、ベルモントSでは8着に終わるなど、一線級相手には通用しなかった。13歳時に7番子の牡駒ナッシュ(父ナシュア)を産んだ。ナッシュは43戦11勝の成績を残したが、ステークス競走の勝ちは無かった。14歳時に8番子の牝駒バブリングビューティ(父ヘイスティロード)を産んだが、バブリングビューティは2戦未勝利に終わった。

その後は関節炎や喘息を患ったこともあってしばらくまともな繁殖生活を送れず、ヒルプリンスボールドイーグルサーゲイロードトムフールといった種牡馬達と交配されるも不受胎が続いた。19歳時にようやく9番子の牡駒ラマダン(父ネイティヴダンサー)を産んだ。ラマダンは5歳まで走って26戦1勝の成績に終わったが、この段階では既に甥のノーザンダンサーが種牡馬として猛威を振るい始めていたため、血統が評価されて種牡馬入りした。しかし成功することは出来なかった。ラマダンが本馬にとって最後の子となり、その後はモンゴと2度交配されるも不受胎だった。1971年10月にケズウィックステーブルズにおいて24歳で他界した。競走馬としては神経質だったと評された本馬だが、繁殖入り後は大人しく、特にオーガスタス夫人にはよく懐いていたという。

後世に与えた影響

ここまで記載した本馬の産駒成績は、悪くはないが良くもないといった程度のものである。しかし本馬の真価は牝駒が繁殖入りした後の孫世代以降になって発揮されたと言える。

まず本馬の後継繁殖牝馬として成功したのは、初子のコスマーだった。コスマーは15頭の子を産んだが、そのうち9頭が勝ち上がった。その質も優れており、米国顕彰馬にも選ばれた4番子の牝駒トスマー【アスタリタS・フリゼットS・アーリントンクラシックS・アーリントンメイトロンH・ベルデイムS・マスケットH2回・マスケットH・バーバラフリッチーH・ジョンBキャンベルH】、5番子の牡駒マリボウ【ファウンテンオブユースS】、6番子の牡駒ファーザーズイメージ(皐月賞馬ハワイアンイメージの父)【シティーオブマイアミH】、11番子の牡駒ヘイロー【ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・タイダルH(米GⅡ)・ローレンスリアライゼーションS】と活躍馬を続出させた。コスマーは牝系子孫もかなり発展させており、孫にキャノネイド【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】、曾孫にレミグラン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)】、ステファンズオデッセイ【ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・ドワイヤーS(米GⅠ)】、ロトカ【エイコーンS(米GⅠ)】、アニュアルリユニオン【サンタアナH(米GⅠ)】、フローレスリー【メイトリアークS(米GⅠ)3回・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)2回・ラモナH(米GⅠ)3回・ビヴァリーDS(米GⅠ)】、ナディア【サンタラリ賞(仏GⅠ)】、玄孫世代以降に日本で走ったグレイスティアラ【全日本2歳優駿(GⅠ)】、レッドリヴェール【阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)】などがいる。しかしやはりコスマー最大の功績はサンデーサイレンスの父ヘイローを産んだ事だろう。

次に本馬の後継繁殖牝馬として成功したのは、4番子のナタルマだった。繁殖入りしたナタルマがニアークティックとの間に産んだ初子の牡駒がノーザンダンサーだった。ノーザンダンサーは加国産馬として史上初めてケンタッキーダービーを優勝し、他にもプリークネスS・クイーンズプレート・レムセンS・フロリダダービー・フラミンゴS・ブルーグラスSを勝つなど18戦14勝の成績を挙げ、米国顕彰馬にも選ばれた。そしてノーザンダンサーはサラブレッド史上最高と言えるほどの大種牡馬となり、世界中の血統界を自身の血脈で覆い尽くした。ナタルマはノーザンダンサーも含めて15頭の子を産み、ノーザンダンサー以外には2番子の牡駒ネイティヴヴィクター【カナディアンH】、4番子の牡駒リーガルダンサー【ジャックカーターS】、15番子の牝駒ボーンアレディ【パールネックレスS】の3頭がステークスウイナーとなった。ナタルマの牝系子孫も発展しており、孫にラプレヴォヤンテ【スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・セリマS】、曾孫に大種牡馬デインヒル【スプリントC(英GⅠ)】、マキャヴェリアン【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)】、イグジットトゥノーウェア【ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、クードジェニー【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)】、オーペン【モルニ賞(仏GⅠ)】、玄孫世代以降にバゴ【凱旋門賞(仏GⅠ)・クリテリウム国際(仏GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、マキソワ【イスパーン賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、エモリエント【アッシュランドS(米GⅠ)・アメリカンオークス(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)・ロデオドライブS(米GⅠ)】などがいる。

もう1頭、本馬の牝系子孫を伸ばしたのは8番子のバブリングビューティである。バブリングビューティの子であるアークティックターン【ガネー賞(仏GⅠ)・トーマブリョン賞(仏GⅢ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)】は、その父である20世紀欧州最強馬シーバードの後継種牡馬として、その直系を後世に伝えるために重要な役割を担った。他には、日本で走ったエイシンガイモン【関屋記念(GⅢ)2回・セントウルS(GⅢ)】がバブリングビューティの孫である。

TOP