ヘイロー

和名:ヘイロー

英名:Halo

1969年生

黒鹿

父:ヘイルトゥリーズン

母:コスマー

母父:コズミックボム

厩務員に虐待されたために肉食獣のような凶暴な馬と化したが、その性格だけでなく卓越した競走能力を子孫に伝えたサンデーサイレンスの父

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績31戦9勝2着8回3着5回

誕生からデビュー前まで

ブリーダーズカップの創設者として有名な米国競馬界の大物ジョン・R・ゲインズ氏により、彼が所有していた米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームにおいて生産された。1歳時のキーンランド7月セールに出品され、この年の欧州競馬界で猛威を振るっていた名馬ニジンスキーの所有者でもあった宝石・貴金属業者のチャールズ・W・エンゲルハード・ジュニア氏により10万ドルで落札された。

翌1971年にエンゲルハード・ジュニア氏が54歳で死去したため、本馬はエンゲルハード・ジュニア氏が設立していたクラッグウッドステーブル(エンゲルハード・ジュニア氏のジェーン未亡人が夫の後を受け継いで管理した)名義となり、マッケンジー・ミラー調教師に預けられた。

ミラー師は米国の名門カルメットファームで調教助手として修行を積み、1949年に28歳で開業した。当初は1956年の米最優秀2歳牝馬リーラを手掛けたのが目立つ程度だったが、エンゲルハード・ジュニア氏に手腕を認められて米国における彼の専属調教師となってから開花し、1966年の米最優秀芝牡馬アッサガイや1969年の米最優秀芝牡馬ハワイなどを手掛けていた。エンゲルハード・ジュニア氏の死後はポール・メロン氏やエドワード・プランケット・テイラー氏といった超大物馬主の所有馬も任されるようになり、1987年には米国競馬の殿堂入りを果たす名伯楽となった。

競走生活(2~4歳時)

以下に本馬の競走成績について記載するが、本馬の競走成績を詳細に掲載した資料を見つけられなかったので、概要のみの記載となる。2歳時は2戦1勝の成績だった。

3歳時はダートの一般競走で3連勝を飾るが、ステークス競走ではなかなか勝ち切れなかった。5月にガーデンステート競馬場で出走したジャージーダービー(D9F)では、スマイリングジャックの3着。7月にモンマスパーク競馬場で出走したランプライターH(D8.5F)では、レオナルドリチャーズSを勝ってきたフロアーショウの2着(グランプリS・ラウンドテーブルHの勝ち馬で、後にミシガンマイル&ワンエイスH・カーターH・フォールハイウェイトHを勝ち、アメリカンダービー・モンマス招待H・エクセルシオールHで2着するキングズビショップが3着)。同月にアケダクト競馬場で出走したドワイヤーH(D10F)では、1か月前のベルモントSでリヴァリッジの2着していた後のマンハッタンHの勝ち馬ルリタニア(ジャパンC2着馬フロストキングの父)と、同じくベルモントSで3着していたクラウディドーンの2頭に敗れて、クラウディドーンの3着。8月にサラトガ競馬場で出走したジムダンディS(D9F)では、後にメトロポリタンH・ガヴァナーS・ユナイテッドネーションズH・ボードウォークH・トボガンH・バーナードバルークHを勝ちトラヴァーズS・ジェロームH・エイモリーLハスケルH・マンノウォーSで2着するテンタム、ウッドメモリアルS・オハイオダービーの2着馬で、後にジェロームH・エイモリーLハスケルH・サバーバンH・ローマーH・セミノールH・クイーンズカウンティH・ジョンBキャンベルH・トレントンHを勝ち、ブルックリンH・サバーバンH・ワイドナーHで2着するトゥルーナイトの2頭に敗れて、テンタムの3着だった。なお、米国三冠競走には一度も参戦していない。

秋になるとミラー師の判断により、ダート競走だけでなく芝競走も走った。3回目の芝出走となったローレンスリアライゼーションS(T12F)では、アラバマS3着馬ベッツィビーグッド(香港国際Cを勝ったミッドナイトベットの祖母)を2着に、ルリタニアを3着に破って勝利した。11月にはローレルパーク競馬場でダート競走のヴォーターズH(D8F)にも勝利している。3歳時の成績は17戦5勝2着3回3着4回だった。

しかし4歳時は、6月にモンマスパーク競馬場で出走した分割競走オーシャンポートH(GⅢ・T8.5F)で、ジョンBキャンベルH2着馬レキシントンパーク、後のサルヴェイターマイルHの勝ち馬プリンスオブトゥルースの2頭に続く3着になったのが目立つ程度で、5戦未勝利2着3回3着1回の成績に終わった。

その後、本馬はアーヴィング・アレン氏(有名な映画プロデューサーで、製作・監督を務めた「マッターホーンへの挑戦」で第20回アカデミー賞短編実写映画賞二巻を受賞している)により60万ドルで購入され、彼が英国に所有していた牧場で種牡馬入りする事になった。しかし本馬は“Cribber(錯癖がある馬)”である事が判明した。錯癖(さくへき)は何かの物を自分の歯で咥えて空気を(呼吸器系ではなく消化器系に)飲み込む癖であり、消化器疾患の原因となったり、悪いときには疝痛を起こしたりして致命傷に至るという、馬の悪癖の1つである。この癖がある馬は英国では敬遠される傾向があり、本馬の元に集まる繁殖牝馬はいなかった。そのため種牡馬生活を開始できなかった本馬は米国に戻り、5歳時も現役を続行することになった。

競走生活(5歳時)

予定外の現役続行だったが、結果的にこの5歳時が本馬の競走馬としての最盛期となった。7月にアケダクト競馬場で出走したタイダルS(GⅡ・T9.5F)では、リグスHの勝ち馬ノーザンフライング、リグスH3着馬アイリッシュストロングホールド、マンハッタンH・ブーゲンヴィリアHの勝ち馬シェルターベイなどを蹴散らして勝利した。8月にサラトガ競馬場で出走したバーナードバルークH(GⅢ・T9F)では、ミシガンマイル&ワンエイスH・ホーソーンダービー・クラークHの勝ち馬でアメリカンダービー2着のゴールデンドンの2着と健闘。

そして同月末にアトランティックシティ競馬場で出走したユナイテッドネーションズH(GⅠ・T9.5F)では、ホルヘ・ベラスケス騎手とコンビを組み、レナードリチャーズS・ベルモントレキシントンH・マンハッタンH・パンアメリカンS・ブーゲンヴィリアH・ディキシーHとGⅡ競走を6勝してハリウッド招待Hで3着していたロンドンカンパニーを2着に、バーナードバルークHで3着だったスカントリングを3着に破って勝ち、GⅠ競走勝ち馬となった。5歳時の成績は7戦3勝2着2回だった。

本馬は6歳時まで走ったと海外の資料に書かれているが、6歳時は1戦もしておらず、しかも6歳時には既に種牡馬活動を開始しているから、6歳時の最初まで競走馬登録が残っていただけだったようである。本馬はGⅠ競走勝ち馬ではあるが、競走馬としては一流半といったところだったと評されている。

血統

Hail to Reason Turn-to Royal Charger Nearco Pharos
Nogara
Sun Princess Solario
Mumtaz Begum
Source Sucree Admiral Drake Craig an Eran
Plucky Liege
Lavendula  Pharos
Sweet Lavender
Nothirdchance Blue Swords Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
Flaming Swords  Man o'War
Exalted
Galla Colors Sir Gallahad Teddy
Plucky Liege
Rouge et Noir St. Germans
Baton Rouge
Cosmah Cosmic Bomb Pharamond Phalaris Polymelus
Bromus
Selene Chaucer
Serenissima
Banish Fear Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
Herodiade Over There
Herodias
Almahmoud Mahmoud Blenheim Blandford
Malva
Mah Mahal Gainsborough
Mumtaz Mahal
Arbitrator Peace Chance Chance Shot
Peace
Mother Goose  Chicle
Flying Witch

ヘイルトゥリーズンは当馬の項を参照。

母コスマーは米で走り現役成績30戦9勝2着5回3着2回。アスタリタS・ガーデニアトライアルSを勝ち、ガーデニアS・ページェントS・カゼルHで2着、フリゼットSで3着している。コスマーの母は世界的名牝系の祖アルマームードで、大種牡馬ノーザンダンサーは本馬の従兄弟に当たる。コスマーは繁殖牝馬としても非常に優秀な成績を収めており、米国顕彰馬に選ばれた本馬の半姉トスマー(父ティムタム)【アーリントンクラシックS・マーメイドS・アスタリタS・フリゼットS・ミスウッドフォードS・コロニアルH2回・リバティーベルH・アーリントンメイトロンH・ベルデイムS・マスケットH2回・クエーカーシティH・ジャージーベルH・バーバラフリッチーH・ジョンBキャンベルH】、半兄マリボー(父リボー)【ファウンテンオブユースS】、半兄ファーザーズイメージ(父スワップス)【シティオブマイアミH】などを産み、1974年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれた。なお、ファーザーズイメージは日本に種牡馬として輸入され、皐月賞馬ハワイアンイメージなどを出している。

本馬の半姉コスミアー(父オリンピア)の曾孫には日本で走ったサンライフテイオー【スーパーダートダービー】、玄孫にはエイシンロンバード【武蔵野S(GⅢ)】が、本馬の半姉フラミンゴウェイ(父サードブラザー)の玄孫には2013年の中央競馬最優秀2歳牝馬レッドリヴェール【阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)・札幌2歳S(GⅢ)】が、本馬の半姉ロイヤルマッチ(父ターントゥ)の玄孫には日本で走ったグレイスティアラ【全日本2歳優駿(GⅠ)・兵庫チャンピオンシップ(GⅡ)・エーデルワイス賞(GⅢ)】が、本馬の半姉パーフェクタ(父スワップス)の孫にはレミグラン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)】が、本馬の半姉クイーンスクリー(父リボー)の子にはキャノネイド【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・グレートアメリカンS(米GⅢ)・ケンタッキージョッキークラブS(米GⅢ)】、サークルホーム【ケンタッキージョッキークラブS(米GⅢ)・ヘリテージS(米GⅢ)】、孫にはスティーヴンズオデッセイ【ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・ドワイヤーS(米GⅠ)】、ロトカ【エイコーンS(米GⅠ)】、曾孫に日本で走ったマンボツイスト【平安S(GⅢ)・名古屋大賞典(GⅢ)・マーチS(GⅢ)】、エリモマキシム【新潟ジャンプS(JGⅢ)】、玄孫世代以降にバルモント【ミドルパークS(英GⅠ)】、エスケンデレヤ【ウッドメモリアルS(英GⅠ)】、セントラルインテリジェンス【トリプルベンドH(米GⅠ)】が、本馬の全姉ラヴオブラーニングの孫にはアニュアルレユニオン【サンタアナH(米GⅠ)】が、本馬の半妹ラダームデュラック(父ラウンドテーブル)の子にレイクコモ【アングルシーS(愛GⅢ)】、シングルコンバット【アングルシーS(愛GⅢ)】、孫に米国顕彰馬フローレスリー【メイトリアークS(米GⅠ)3回・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)2回・ラモナH(米GⅠ)3回・ビヴァリーDS(米GⅠ)】、ナディア【サンタラリ賞(仏GⅠ)】、曾孫に日本で走ったローマンエンパイア【京成杯(GⅢ)】、コンゴウリキシオー【金鯱賞(GⅡ)・マイラーズC(GⅡ)・きさらぎ賞(GⅢ)・かきつばた記念(GⅢ)】がいるなど、近親には活躍馬が多数いる。→牝系:F2号族①

母父コズミックボムは現役成績27戦11勝。主に2・3歳時に活躍し、アーリントンフューチュリティS・カウディンS・トレントンH・ディスカヴァリーH・ドレクセルH・ローレンスリアライゼーションS・ローマーHなどを勝っている。種牡馬としては成功していないが、本馬の母父となった事で後世に大きな影響を残した。コズミックボムの父ファラモンドは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、加国の名馬産家エドワード・プランケット・テイラー氏に購入され、テイラー氏が所有するウインドフィールズファームの米国メリーランド支場で種牡馬入りした。初年度産駒から名牝グローリアスソングを輩出するなど活躍し、1983年にはケンタッキーダービー馬サニーズヘイロー、エクリプス賞最優秀2歳牡馬デヴィルズバッグなどの活躍で北米首位種牡馬に輝いた。翌1984年にテキサス州の石油業者トム・ティザム氏を中心とした3600万ドル(当時の為替レートで約84億円)という巨額のシンジケートが組まれ、この年からアーサー・ハンコックⅢ世氏が所有するケンタッキー州ストーンファームで種牡馬供用された。1989年にはエクリプス賞年度代表馬サンデーサイレンスの活躍で2度目の北米首位種牡馬を獲得した。産駒のステークスウイナーは62頭である。

その気性難は人間に虐待されたため?

なお、本馬の気性は恐ろしいほどに激しく、まるで肉食獣のようだと言われた。常に不機嫌であり、ストーンファームで本馬の世話をしていた厩務員は頻繁に本馬から攻撃を受けていた。ある日、厩務員の腕を咥えた本馬は「まるでぬいぐるみのように」厩務員を振り回して地面に叩き付けたとか、別の日にはやはり地面に押し倒した厩務員の腹を目掛けて攻撃を仕掛け、危うくその厩務員を殺す寸前までいったが、止めを刺す前に気が済んだのかそれ以上の攻撃は控えたといった話が伝わっている。後者の話は、「運命に噛みついた馬・サンデーサイレンス物語」においてアーサー・ハンコックⅢ世氏の証言と共に紹介されているから日本でも有名であるが、海外の資料においても必ずと言ってよいほど本馬の“Evil(邪悪)”又は“Psychotic(精神異常)”な性質について触れられている。そのため、本馬が外に出される際には必ず口輪が雁字搦めに装着されており、人間に危害を加えないようにされていた。その状態の本馬を写した写真を筆者は見た事があるのだが、ここまでしないといけないくらい危険な馬なのかと思うと確かに怖いと感じたものだった。厩務員殺害未遂事件の他にも、鳥を捕まえて水桶に叩き込んで溺れさせたとか、猫を捕まえて殺そうとしたなどの逸話も海外の資料には載っており、「人獣問わずヘイローに近づくことは死を意味する」とまで書かれてしまっている。

父のヘイルトゥリーズンはとても知的で従順な馬だったらしいから、本馬のこの気性はいったいどこから来たものだろうか。そう思って海外の資料をいろいろ調べてみると、「after some research seemed to stem from being handled by an abusive groom with a rake during his racing career.」という文章を発見した。日本語に訳すと「彼は競走馬経歴中に、性質が悪い厩務員によって熊手で叩かれながら扱われており、それが、彼が厩務員に抵抗するようになった理由のようです」である。要するに厩務員からの虐待を受けながら競走馬生活を送っていたわけであり、それが事実ならば本馬を気性難にしてしまった原因は人間にあり、本馬は加害者ではなく被害者であったという事になる。筆者は大学の卒論のテーマが児童虐待の連鎖であったのだが、親に虐待されて育った子どもは自分が親になるとやはり虐待しがちであるというのは完全に立証されている。それは人間だけでなく馬にも当てはまる事なのかもしれない。もし本馬の担当厩務員がまともな人間だったら本馬の気性はもっと穏やかだったかも知れないし、そうすると息子のサンデーサイレンスももっと大人しい馬になった、かもしれない。本馬は1997年に種牡馬を引退した後もストーンファームで余生を送り、2000年に31歳で大往生した。前述のとおり錯癖という長生きのためには非常に悪影響を及ぼす癖を持っていた本馬だが、その寿命はかなり長いものだった。

後世に与えた影響

代表産駒サンデーサイレンスが種牡馬として日本で記録的大成功を収めたほか、デヴィルズバッグからはタイキシャトルが、グッバイヘイローからはキングヘイローが出るなど、本馬が日本に与えた影響力は計り知れないものがある。また、サザンヘイローも南米で種牡馬として成功した。本馬は繁殖牝馬の父としてもなかなか優秀で、ラーイマキャヴェリアン、プリークネスS勝ち馬パインブラフ、モルニ賞・サラマンドル賞の勝ち馬クードジェニ、シングスピールなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1976

Glorious Song

ラカナダS(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・トップフライトH(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)・ミシガンマイル&ワンエイスH(米GⅡ)・サンタマリアH(米GⅡ)・ドミニオンデイH(加GⅢ)2回

1976

Misty Gallore

ヘンプステッドH(米GⅡ)・バーバラフリッチーH(米GⅢ)・ディスタフH(米GⅢ)・ベッドオローゼズH(米GⅢ)・ロングルックH(米GⅢ)

1976

Solar

レイルウェイS(愛GⅢ)

1978

Rainbow Connection

デモワゼルS(米GⅡ)

1978

St. Brendan

リグスH(米GⅢ)

1980

Sunny's Halo

ケンタッキーダービー(米GⅠ)・アーカンソーダービー(米GⅠ)・スーパーダービー(米GⅠ)

1981

Devil's Bag

シャンペンS(米GⅠ)・ローレルフューチュリティ(米GⅠ)・カウディンS(米GⅡ)

1981

Solar Halo

フィレンツェH(米GⅡ)

1982

Coup de Folie

オマール賞(仏GⅢ)

1982

Don't Say Halo

シネマH(米GⅡ)

1983

Cool Halo

キングエドワード金杯(加GⅢ)

1983

Southern Halo

1984

Present Value

ミシガンマイル&ワンエイスH(米GⅡ)・ナショナルジョッキークラブH(米GⅢ)・エクワポイズマイル(米GⅢ)・カンタベリーCH(米GⅢ)・ハロルドCラムザーシニアH(米GⅢ)・グッドウッドH(米GⅢ)

1985

Goodbye Halo

デモワゼルS(米GⅠ)・ハリウッドスターレットS(米GⅠ)・ラスヴァージネスS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・ラカナダS(米GⅠ)・チュラヴィスタH(米GⅡ)・サンタイネスS(米GⅢ)・エルエンシノS(米GⅢ)

1985

Lively One

スワップスS(米GⅠ)・グッドウッドH(米GⅡ)・サンディエゴH(米GⅢ)・カブリロH(米GⅢ)

1985

Tilt my Halo

加オークス

1986

Sunday Silence

ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・BCクラシック(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)・スーパーダービー(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)・サンフェリペS(米GⅡ)

1987

Jolie's Halo

ドンH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・フィリップHアイズリンH(米GⅠ)・アップルトンH(米GⅢ)

1987

Silvered

ファンタジーS(米GⅡ)・ゴールデンハーヴェストH(米GⅢ)

1988

Radiant Ring

マッチメイカーS(米GⅡ)

1988

Subordinated Debt

ウィザーズS(米GⅡ)

1989

Saint Ballado

アーリントンクラシックS(米GⅡ)・シェリダンS(米GⅢ)

1990

Traverse City

インターボローH(米GⅢ)

1991

Halo's Image

トロピカルパークH(米GⅢ)・ブラワードH(米GⅢ)

1991

Three Angels

レゼルヴォワ賞(仏GⅢ)

1991

メローフルーツ

札幌三歳S(GⅢ)

1995

Quidnaskra

ギャロレットH(米GⅢ)

1997

David Copperfield

シネマH(米GⅢ)・ベイメドウズBCH(米GⅢ)

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