レイズアネイティヴ
和名:レイズアネイティヴ |
英名:Raise a Native |
1961年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ネイティヴダンサー |
母:レイズユー |
母父:ケースエース |
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現役時代4戦全勝で早々に引退したが種牡馬として大成功し、ミスタープロスペクターやアリダー達を経由して自身の血で米国競馬界を埋め尽くす |
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競走成績:2歳時に米で走り通算成績4戦4勝 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州ハッピーヒルファームにおいて、コートライト・ウェザリル氏と妻のエラ・A・ワイドナー・ウェザリル夫人(米国競馬史に大きな足跡を残したワイドナー一族の出だった)の夫婦により生産された。まだ生後間もない当歳時に2万2千ドルでE・H・オーガスタス夫人という人物に購買された。さらに1歳時には3万9千ドルで転売され、ルイス・エドワード・ウルフソン氏の所有馬となった。ウルフソン氏はウォール街で金融業者(別の言い方をすれば乗っ取り屋)として活躍した人物で、1960年にフロリダ州においてハーバーヴューファームを設立して馬産も開始していた。ウルフソン氏は本馬の孫に当たる米国三冠馬アファームドの生産・所有者となる人物でもあった。
2歳時にハーバーヴューファームにやって来た本馬は、かつて米国三冠馬サイテーションの宿敵ヌーアを手掛けたバーレイ・パルケ調教師に預けられた。成長後の体高は16ハンドであり、当時の標準とほぼ同程度だった。しかし、その腰から後脚にかけての筋肉の発達度は異常なまでだったと評されている。
競走生活
2歳時にフロリダ州ハイアリアパーク競馬場で行われた未勝利戦でデビューして勝利。その後の5月初めには、アケダクト競馬場ダート5ハロンの一般競走に出走し、57秒8のコースレコードを計時して勝利した。5月末に同コースで行われたジュヴェナイルS(D5F)では、前走と同タイムの57秒8というコースレコードタイで走破して、2着アルファベットに8馬身差をつけて圧勝した。7月にはグレートアメリカンS(D5.5F)に出走。後のサプリングS・ウィザーズS勝ち馬ミスターブリック、後のカウディンS勝ち馬チーフテンなどが対戦相手となったが、本馬がアケダクト競馬場ダート5.5ハロンのコースレコードとなる1分02秒6を樹立して完勝した。しかしサンフォードSに向けた調教中に、前脚の腱を痛めたため、2歳半ばにして早々に現役引退となってしまった。この年に距離6ハロン以上のレースには一度も出ていないにも関わらず、2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)では同世代馬の中で最も高い評価を受け、ガーデンステートS勝ち馬ハリートゥマーケットと並んで米最優秀2歳牡馬に選出された(正確には、ターフ&スポーツダイジェスト紙が本馬を、全米サラブレッド競馬協会とデイリーレーシングフォーム紙がハリートゥマーケットを選出している)。
本馬のレースぶりに関しては、チャールズ・ハットン氏が著書「アメリカン・レーシング・マニュアル1963年版」の中で以下のように記している。「それは信じられないほど速い2歳牡馬でした。ウルフソン氏が3万9千ドルで買った馬は4回レースに出ました。ひとたびスタートを知らせるベルが鳴ると、彼の眼中には他の馬はいませんでした。他馬を遠くに置き去りにして走り、そして楽勝するだけでした。コースレコードも2回樹立しました。」
血統
Native Dancer | Polynesian | Unbreakable | Sickle | Phalaris |
Selene | ||||
Blue Glass | Prince Palatine | |||
Hour Glass | ||||
Black Polly | Polymelian | Polymelus | ||
Pasquita | ||||
Black Queen | Pompey | |||
Black Maria | ||||
Geisha | Discovery | Display | Fair Play | |
Cicuta | ||||
Ariadne | Light Brigade | |||
Adrienne | ||||
Miyako | John P. Grier | Whisk Broom | ||
Wonder | ||||
La Chica | Sweep | |||
La Grisette | ||||
Raise You | Case Ace | Teddy | Ajax | Flying Fox |
Amie | ||||
Rondeau | Bay Ronald | |||
Doremi | ||||
Sweetheart | Ultimus | Commando | ||
Running Stream | ||||
Humanity | Voter | |||
Red Cross | ||||
Lady Glory | American Flag | Man o'War | Fair Play | |
Mahubah | ||||
Lady Comfey | Roi Herode | |||
Snoot | ||||
Beloved | Whisk Broom | Broomstick | ||
Audience | ||||
Bill and Coo | Helmet | |||
Padula |
父ネイティヴダンサーは当馬の項を参照。
母レイズユーは現役成績24戦5勝、コリーンS・ニュージャージーフューチュリティS・ポリードルモンドSを勝っている。繁殖牝馬としては名前が分かっている限り14頭の子を産み、うち12頭が競走馬となり、11頭が勝ち上がった。ステークスウイナーは本馬と、本馬の半兄キングメーカー(父プリンスキロ)【ニューオーリンズH・グレイラグH・ホイットニーH・エクセルシオールH】の2頭である。なお、キングメーカーは騙馬だったので種牡馬にはなっていない。本馬の6歳年上の半姉クイーンズフル(父プリンスキロ)の牝系子孫にはウルトラファンタジー【スプリンターズS(日GⅠ)】が、本馬の3歳年上の全姉マイシスターケイトの玄孫にはマリブミント【プリンセスルーニーH(米GⅠ)】が、本馬の1歳年上の全姉エーシズスウィンギングの子にはワンオンジアイル【サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)】とカパルアバタフライ【モデスティH(米GⅢ)】が、本馬の4歳年下の全妹トーストオブザタウンの玄孫には日本で走ったエイシンキャメロン【デイリー杯三歳S(GⅡ)・アーリントンC(GⅡ)】がいる。牝系はブルーラークスパーやエインシャントタイトルと同じだが、いずれも近親とは言えず、本馬自身の牝系は取り立てて優秀というわけではない。→牝系:F8号族①
母父ケースエースはテディ産駒で、現役成績9戦6勝。2歳時にアーリントンフューチュリティSを勝ち、3歳時にイリノイダービーを勝っている。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、所有者ウルフソン氏がフロリダ州に所有するハーバーヴューファームで種牡馬入りし、3歳時から種牡馬活動を開始した。初年度産駒のエクスクルシヴネイティヴが、サンフォードS・アーリントンクラシックSを制する活躍を見せた。そのために本馬は注目され、エクスクルシヴネイティヴが3歳時の1968年にスペンドスリフトファームに購入され、ケンタッキー州で種牡馬生活を続けた。その翌年1969年には、2年目産駒のマジェスティックプリンスが史上初めて無敗のままケンタッキーダービー・プリークネスSを勝利する活躍を見せ、一躍人気種牡馬となった。その後も、6年目産駒のミスタープロスペクター、11年目産駒のアリダーなど、合計74頭のステークスウイナーを出した。繁殖牝馬の父としてはさらに優秀で、実に180頭ものステークスウイナーを出している。1988年7月に脊柱の病気が悪化したために27歳で安楽死の措置が執られた。
後世に与えた影響
本馬の後継種牡馬として特に成功したのは、ミスタープロスペクター、アリダーの2頭であるが、特にミスタープロスペクターの直系は米国のみならず世界中に広がり絶大な繁栄を見せている。本馬の死を報じたニューヨーク・タイムズ紙は「過去20年の米国サラブレッド競馬界において最も影響力があった種牡馬」と評した。事実、本馬の直系子孫から登場したケンタッキーダービー馬は2015年の勝ち馬アメリカンファラオまでで18頭おり、ボールドルーラー直系の10頭や、ノーザンダンサー直系の4頭(ノーザンダンサー自身を含めると5頭)より圧倒的に多い。
あまりにも本馬の血を引く馬が多くなったために、地元米国では「速度という点では優秀だが健全性に問題があるレイズアネイティヴの血が蔓延したために、米国のサラブレッドはどんどん脆弱になっている」「レイズアネイティヴの血を引く馬同士を掛け合わせて馬を生産するのは、紛れもない犯罪である」などという論調を展開する血統評論家もいるようである。2008年のケンタッキーダービーで2着と健闘した直後に両前脚を骨折して予後不良となった牝馬エイトベルズは本馬の直系であり、しかも本馬の4×5×5の多重クロスを有していたため、その死の直後には特にそういった意見が噴出したようである。それはさしずめ、日本でサンデーサイレンスの血が蔓延したから故障する競走馬が増えたという論調を張るのと同様であるが、筆者がアンブライドルズソングの項に記載したとおり、サラブレッド自体が健康を犠牲にしてスピードを優先した結果誕生した品種であるため、より高度な馬産を突き詰めていけば虚弱な馬が増えるのは避けられない事であり、誰かを非難するのはお門違いである(そんな暇があれば調教技術や治療技術の向上を促すべきであろう)。ましてその責任を本馬に負わせるなどは論外であろう。もちろん米国の競馬関係者誰もがそんな視野狭窄な人間というわけではなく、本馬に責任があるとする上記論調に厳しく反論する人も少なくはなかった。
なお本馬は2歳時に故障のため引退したため、それが虚弱な馬であるという印象につながっているようだが、前出のハットン氏は「アメリカン・レーシング・マニュアル1963年版」の中において、「レイズアネイティヴが腱を痛めたのは彼固有の体質の弱さが原因ではなく、馬場の窪みに脚を踏み込むという事故の結果でした。彼を管理したパルケ調教師も、決してレイズアネイティヴの脚は弱くありませんでしたと証言しています」と明記している。米国の血統評論家達は机上の空論であれこれ言うよりも先に、こういった米国競馬史に関する古典を読んで勉強したほうが良いのではないだろうか。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1965 |
American Native |
デラウェアバレーH |
1965 |
Exclusive Native |
アーリントンクラシックS・サンフォードS |
1966 |
ケンタッキーダービー・プリークネスS・サンタアニタダービー・サンヴィンセントS・サンハシントS |
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1966 |
Native Partner |
マスケットH |
1967 |
Native Royalty |
カーターH・ゴーサムS・ミシガンマイル&ワンエイスH |
1968 |
Marshua's Dancer |
セレクトH |
1968 |
Son Ange |
グランプリS |
1969 |
Crowned Prince |
デューハーストS(英GⅠ)・英シャンペンS(英GⅡ) |
1970 |
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1970 |
Where You Lead |
モイグレアスタッドS・ムシドラS(英GⅢ) |
1971 |
Bundler |
フリゼットS(米GⅠ) |
1971 |
Princely Native |
マリブS(米GⅡ)・セレクトH(米GⅢ)・ポーモノクH(米GⅢ) |
1971 |
Raise a Cup |
ドーバーS(米GⅢ)・ユースフルS(米GⅢ)・トレモントS(米GⅢ) |
1971 |
Raisela |
ヘンプステッドH(米GⅡ)・アスタリタS(米GⅢ) |
1971 |
Wage Raise |
ワールズプレイグラウンドS(米GⅢ) |
1972 |
Gallina |
リブルスデールS(英GⅡ) |
1972 |
Laomedonte |
イタリア大賞(伊GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・伊セントレジャー(伊GⅡ) |
1972 |
Mirthful Flirt |
ゴールデンロッドS(米GⅢ) |
1972 |
Native Guest |
エルドラドH(米GⅢ) |
1972 |
Raise a Baby |
ミネルヴ賞(仏GⅢ) |
1972 |
Raise a Lady |
アランベール賞(仏GⅢ) |
1973 |
Desiree |
サンタバーバラH(米GⅠ) |
1975 |
サプリングS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・フラミンゴS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・アーリントンクラシックS(米GⅡ)・ホイットニーH(米GⅡ)・ナッソーカウンティH(米GⅢ) |
|
1975 |
Twilight Hour |
フィユドレール賞(仏GⅢ) |
1976 |
Handsomeness |
サンカルロスH(米GⅡ) |
1977 |
Raise a Man |
サンフェリペS(米GⅡ)・マリブS(米GⅡ)・サンヴィンセントS(米GⅢ) |
1980 |
Highland Park |
ブリーダーズフューチュリティS(米GⅡ)・ファウンテンオブユースS(米GⅡ)・アクサーベンジュヴェナイルS(米GⅢ)・ケンタッキージョッキークラブS(米GⅢ) |
1982 |
Rapide Pied |
クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ) |
1983 |
Clear Choice |
スワップスS(米GⅠ)・ウィザーズS(米GⅡ) |
1985 |
Raise a Memory |
トーマブリョン賞(仏GⅢ) |
1987 |
ニフティニース |
関屋記念(GⅢ)・セントウルS(GⅢ) |