アニマルキングダム

和名:アニマルキングダム

英名:Animal Kingdom

2008年生

栗毛

父:ルロワデザニモー

母:ダリシア

母父:アカテナンゴ

父は伯国産馬で母は独国産馬という血統もユニークながら競走成績もユニークな史上2頭目のケンタッキーダービー・ドバイワールドCのデュアル優勝馬

競走成績:2~5歳時に米首英で走り通算成績12戦5勝2着5回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州デナリスタッド(名牝セレナズソングが繁殖生活を送っている場所)において、チーム・バロール国際により生産された。1歳9月のキーンランドセールに出品され、生産グループであるチーム・バロール国際のメンバーだったバリー・アーウィン氏により10万ドルで購入された。旧チーム・バロール国際はこの際にいったん解散し、アーウィン氏が新たなチーム・バロール国際を創設して代表者に就任し、本馬の所有者となった。

アーウィン氏は本馬の父であるブラジル産馬ルロワデザニモーと、母である独国産馬ダリシアを米国に連れてきた張本人で、この2頭の交配計画を立てたのも彼だった。旧チーム・バロール国際のメンバー達がダリシアの交配相手として当初考えていたのはキングマンボだったのだが、キングマンボの体調に問題が生じたために予定が狂い、その代役としてアーウィン氏がルロワデザニモーを推薦したのだという。しかしルロワデザニモーは大種牡馬キングマンボの代役としてはあまりにも見劣りしたため、旧チーム・バロール国際のメンバー達はあまり気が進まなかったらしい。

競走生活(3歳初期まで)

アーウィン氏は購入した本馬をフロリダ州オカラのトレーニングセンターで働いていたランディ・ブラッドショー氏という人物の元に送り、本馬の適性を見定めてもらった。米国の名伯楽ダレル・ウェイン・ルーカス調教師の助手をしていたブラッドショー氏は、本馬の走法は芝やオールウェザーに向いていると判断。

その結果として本馬はシカゴを拠点としていたウェイン・カタラーノ調教師に預けられ、2歳9月に地元アーリントンパーク競馬場で行われたオールウェザー8.5ハロンの未勝利戦(本当は芝で施行される予定だったが、雨天で馬場状態が極度に悪化したためにオールウェザーに変更されていた)でデビューした。ジュニア・アルヴァラード騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ3.6倍で10頭立ての1番人気に支持された。レースでは出遅れ気味のスタートから道中は最後方を追走。三角で馬群の中に突っ込むと、他馬を捌きながら位置取りを上げ、4番手で直線に入ってきた。そして末脚を伸ばしたが、後方待機策から外側をまくって直線入り口で先頭に立っていた単勝オッズ3.8倍の3番人気馬ウィルコックスイン(後にBCマイルで本馬と2度目の対決をする事になる)に届かず2馬身3/4差の2着に敗れた。

次走は10月にキーンランド競馬場で行われたオールウェザー9ハロンの未勝利戦だった。ロビー・アルバラード騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ1.7倍で12頭立ての1番人気に支持された。3番人気馬でも単勝オッズ3.8倍だった前走と異なり、今回は2番人気馬が単勝オッズ9.2倍であり、本馬が抜けた人気となった。スタートが切られると4番人気馬ボナルーが逃げを打ち、本馬は今回先頭に並びかけるように2番手を進んだ。そのままの態勢で直線に入るとボナルーをかわして先頭に立ち、そのまま押し切って2着ボナルーに3馬身1/4差で勝利した。2歳時は2戦1勝の成績で休養入りした。

本馬が3歳になってしばらく経った頃、アーウィン氏はチーム・バロール国際が所有していた馬を全て1人の調教師に任せることを考えていた。アーウィン氏の脳裏にあったのは、H・グラハム・モーション調教師だった。英国ケンブリッジ出身のモーション師は16歳のときに家族と一緒に米国に移住。20歳の頃に米国メリーランド州で調教師として開業していた。モーション師は米国流ではなく欧州流の育成を行っており、米国競馬界において蔓延していた薬物使用に対しては徹底抗戦の姿勢を見せていた。彼は本馬が2歳時の2010年における米国獲得賞金ランキングトップ20の調教師のうち、1度も薬物違反が無かった2人のうちの1人だった(逆に言えば残りの18人は薬物違反があったという事になる。日本では考えられない事態である)。アーウィン氏が所有馬全てをモーション師に任せようと考えたのは、モーション師のこうした姿勢が気に入ったからであった。

いったんフロリダ州にいたブラッドショー氏の元に戻り、改めてモーション厩舎に転厩した本馬は、3月初めにガルフストリームパーク競馬場で行われた芝8ハロンのオプショナルクレーミング競走で復帰した(本馬は売却の対象外)。ラジヴ・マラージ騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ3.8倍で11頭立ての2番人気に推された。スタートが切られると単勝オッズ3.3倍の1番人気馬ポウハタンカウンティが即座に先頭に立ったが、本馬はスタートに失敗してしまい、ポウハタンカウンティをマークして先行する事は出来ず、5番手の好位を追走した。そして直線入り口で2番手まで上がってくると、逃げるポウハタンカウンティを猛追。しかし頭差届かずに2着に敗れた。

次走はターフウェイパーク競馬場で3月下旬に行われたスパイラルS(米GⅢ・AW9F)だった。主な対戦相手は、ゴールドラッシュS・カリフォルニアダービーなどを勝っていたポジティブレスポンス、GⅢ競走デルタダウンズジャックポットSで2着があったディサイシヴモーメントといった辺りだった。ポジティブレスポンスが単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、アラン・ガルシア騎手騎乗の本馬が単勝オッズ4倍の2番人気、ディサイシヴモーメントが単勝オッズ7.4倍の3番人気となった。スタートが切られるとポジティブレスポンスが先頭に立ち、ディサイシヴモーメントがそれを追って先行。今回もあまりスタートが良くなかった本馬は最後方からの競馬となった。しかし道中で着実に位置取りを上げていき、四角で先行集団に取り付くと、直線入り口では先頭に立っていた。この段階で既にポジティブレスポンスは馬群に沈んでおり、本馬と共に先頭に立ったのはディサイシヴモーメントだった。そして直線では本馬がディサイシヴモーメントを少しずつ引き離していき、最後は2馬身3/4差をつけて勝利した。

競走生活(米国三冠競走)

その後は6週間後のケンタッキーダービー(米GⅠ・D10F)に向かった。今まで本馬が芝やオールウェザーで走ってきたのは、ブラッドショー氏が芝に適性ありと判断したためだったが、3歳になった本馬は体高16.1ハンドの力強い馬に変身を遂げていた。本馬陣営は今の本馬ならダート競走でも走れると判断して参戦させたそうである。

本馬、本馬と同じくスパイラルSから直行してきたディサイシヴモーメント、スパイラルSで本馬から6馬身差の3着した後にブルーグラスSで2着してきたツインスパイアードのスパイラルS上位3頭と、フロリダダービー・ホーリーブルSの勝ち馬ダイアルドイン、ルイジアナダービーを勝ってきたパンツオンファイア、ルイジアナダービー・アーカンソーダービーで2着のネーロ、リズンスターS勝ち馬でナシュアS・レムセンS2着のムーチョマッチョマン、サンタアニタダービーを勝ってきたミッドナイトインタールード、サンランドダービーを勝ってきたトゥワイスジアピール、ファウンテンオブユースS・ウィズアンティシペーションSの勝ち馬でBCジュヴェナイルターフ2着のソルダット、アーカンソーダービー・サウスウエストSの勝ち馬アーチアーチアーチ、UAEダービーで2着してきたマスターオブハウンズ、ゴーサムS勝ち馬でホープフルS2着のステイサースティ、フロリダダービーで2着してきたシャックルフォード、ブルーグラスSを勝ってきたブリリアントスピード、タンパベイダービー勝ち馬ウォッチミーゴー、ケンタッキージョッキークラブS勝ち馬でブリーダーズフューチュリティ・リズンスターS2着のサンティヴァ、キャッシュコールフューチュリティ・ジェネラスS勝ち馬でサンタアニタダービー2着のコンマトゥザトップ、レキシントンSを勝ってきたダービーキトゥン、以上19頭による戦いとなった。

この年のケンタッキーダービーは実績馬が前哨戦で惨敗していたり、前哨戦勝ち馬が人気薄の勝利だったり、有力馬が直前で回避したりという状況が相次いでおり、中心馬不在の稀に見る大混戦だった。そんな中でデビューから4戦3勝2着1回のダイアルドインが単勝オッズ6.2倍の1番人気に押し出され、パンツオンファイアが単勝オッズ9.1倍の2番人気、ネーロが単勝オッズ9.5倍の3番人気、ムーチョマッチョマンが単勝オッズ10.3倍の4番人気と続いた。一方、スパイラルSからの臨戦組は揃って人気薄であり、本馬が単勝オッズ21.9倍の11番人気、ディサイシヴモーメントが単勝オッズ40.3倍の19番人気(最低人気)、ツインスパイアードが単勝オッズ33.9倍の14番人気だった。

当初、本馬に騎乗する予定だったのは本馬を初勝利に導いたアルバラード騎手になる予定だった。しかし彼はレース3日前に別の馬に顔面を蹴られて負傷して、本馬に乗れなくなってしまった。その代役として本馬に騎乗したのはジョン・ヴェラスケス騎手だった。彼は前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬アンクルモーの主戦騎手であり、当初は人気の一角だったアンクルモーでこのレースに臨むはずだった。しかしアンクルモーがレース直前に胃腸炎を発症して回避となったため、彼は手が空いてしまった。ヴェラスケス騎手の代理人をしていたエンジェル・コルデロ・ジュニア元騎手は、アルバラード騎手の負傷により本馬の鞍上が空席になった事を聞きつけると、本馬陣営に接触。こうして本馬とヴェラスケス騎手の急造コンビが誕生したのだった。ヴェラスケス騎手は既に4000勝以上を挙げていた米国屈指の名手だったが、ケンタッキーダービーには過去12回挑戦して未勝利だった。

スタートが切られるとシャックルフォードが先頭に立ち、コンマトゥザトップが2番手、その直後の先行集団にパンツオンファイア、ネーロなどがつけ、本馬は馬群の中団やや後方、1番人気のダイアルドインはスタートで後手を踏んで最後方からの競馬になっていた。シャックルフォードが刻んだペースは最初の2ハロンが23秒24、半マイル通過が48秒63で、良馬場のケンタッキーダービーとしてはゆったりとした流れだった。その流れを見切ったヴェラスケス騎手は向こう正面から本馬を加速させた。そして大外から先行集団に取り付いた状態で三角と四角を回ってきた。まずはシャックルフォードが先頭で直線に入り、続いてネーロ、ムーチョマッチョマン、本馬の順番で直線を向いてきた。そして外側をぐいぐいと伸びてきた本馬が残り1ハロン地点で先頭に立った。さらに本馬は後続との差を着実に広げていき、2着ネーロに2馬身3/4差、3着ムーチョマッチョマンにはさらに首差をつけて優勝。ヴェラスケス騎手に悲願のケンタッキーダービー初制覇をもたらした。

本馬のラスト4ハロンは47秒2であり、これはケンタッキーダービー史上2番目に速いものだった(史上1位はセクレタリアトの46秒4)。また、本馬はダート競走初出走でケンタッキーダービーを制覇した事になったが、これは137回目を数えた同競走史上初めての事だった。デビュー5戦目での同競走勝利は1918年のエクスターミネーター以来であり、デビュー4戦目で勝利した2008年のビッグブラウンに次いで近年2番目に少ない経歴だった。また、前走から6週間空けて同競走を勝ったのは1956年のニードルズ以来55年ぶりであり、何から何まで異例尽くめのケンタッキーダービー制覇だった。

モーション師にとってもケンタッキーダービー初勝利だったが、彼はチャーチルダウンズ競馬場で管理馬を走らせた事があまり無かったために、勝ち馬表彰式場に向かう道が分からなくなってしまい、4着馬シャックルフォードを管理していたデール・ロマンズ調教師に導かれて表彰式場に降りてきた。

次走は勿論プリークネスS(米GⅠ・D9.5F)となった。対戦相手は、ムーチョマッチョマン、シャックルフォード、前走8着のダイアルドイン、同16着のミッドナイトインタールード、アーカンソーダービー3着馬ダンスシティ、ベストパルS・サンヴィンセントS2着のスウェイアウェイ、イロコイS勝ち馬でケンタッキージョッキークラブS・サンランドダービー・ジェロームS2着のアストロロジー、ハッチソンS・ジャージーショアS勝ち馬フラッシュポイントなどだった。そのまま主戦を務めることになったヴェラスケス騎手騎乗の本馬が単勝オッズ3.3倍の1番人気に支持され、ダイアルドインが単勝オッズ5.4倍の2番人気、ムーチョマッチョマンが単勝オッズ6.2倍の3番人気、ダンスシティが単勝オッズ12.5倍の4番人気となった。

スタートが切られるとフラッシュポイントが先頭に立ち、それに単勝オッズ13.6倍の6番人気止まりだったシャックルフォードが絡んで先頭争いを展開。ミッドナイトインタールード、アストロロジー、ダンスシティなどが少し離れた先行集団を形成。本馬とダイアルドインは2頭揃ってスタートで後手を踏み、本馬が14頭立ての13番手、ダイアルドインが最後方からの競馬となった。フラッシュポイントが刻んだペースは最初の2ハロンが22秒69、半マイル通過が46秒87と、ケンタッキーダービーより速かった。そのためにペースが落ち着く場面が無く、後方に居た本馬はなかなか位置取りを上げられなかった。ようやく進出を開始したのは三角に入ってからで、馬群の外側を駆け上がると、6~7番手で直線に入ってきた。そしてシャックルフォード、アストロロジー、ダンスシティといった前方の馬達の追撃を開始した。本馬の末脚の前に他馬は次々に追い抜かれていったが、シャックルフォードだけが粘りに粘っていた。結局最後まで粘り切ったシャックルフォードが勝利を収め、本馬はゴール前の猛追及ばず半馬身差の2着に敗れてしまった(本馬から1馬身1/4差の3着に単勝オッズ16.5倍の8番人気馬アストロロジーが入った)。

これで米国三冠馬の権利を失った本馬だが、それでもベルモントS(米GⅠ・D12F)に向かった。対戦相手は、シャックルフォード、前走6着のムーチョマッチョマン、ケンタッキーダービー2着から直行してきたネーロ、同5着から直行してきたマスターオブハウンズ、同6着から直行してきたサンティヴァ、同7着から直行してきたブリリアントスピード、同12着から直行してきたステイサースティ、レキシントンS2着・ピーターパンS3着のプライムカット、フェデリコテシオSで2着してきたルーラーオンアイスなどだった。本馬が単勝オッズ3.6倍の1番人気に支持され、ネーロが単勝オッズ5.9倍の2番人気、マスターオブハウンズが単勝オッズ7倍の3番人気、シャックルフォードが単勝オッズ7.3倍の4番人気となった。

過去2戦とは異なり泥だらけの不良馬場の中でスタートが切られると、シャックルフォードが先頭に立ち、ルーラーオンアイスが2番手、ステイサースティが3番手につけ、さらにサンティヴァ、ネーロ、ムーチョマッチョマンなどが続いた。一方の本馬は前走と違って綺麗にスタートを切ったのだが、その直後に右隣枠のムーチョマッチョマンが左側によれて本馬に接触(ただしムーチョマッチョマンの斜行はさらに右隣枠にいた単勝オッズ31.5倍の最低人気馬イズントヒーパーフェクトに押されたのが原因であり、ムーチョマッチョマンも被害馬である)。その拍子にヴェラスケス騎手は体勢を大きく崩し、彼の左足は鐙から外れてしまった。ヴェラスケス騎手が体勢を立て直すまでに1ハロンほどの距離を要したため当然のようにスタートダッシュは出来ず、しばらくは他馬から大きく離された最後方に置き去りにされる羽目になった。三角に入るところまではそのままの位置取りだったが、ここでようやく加速すると馬群の外側を一気に駆け上がり、直線入り口では先行集団を捕らえるところまで押し上げてきた。しかしこのような競馬で勝ち負けになるほど甘くは無く、直線に入っても伸びず、勝ち馬から9馬身1/4差の6着に敗退。勝ったのは2番手から抜け出した単勝オッズ25.75倍の10番人気馬ルーラーオンアイスで、2着に単勝オッズ17.2倍の8番人気馬ステイサースティ、3着に単勝オッズ11.9倍の6番人気馬ブリリアントスピードが入るという波乱の結果となった。

本馬に接触したムーチョマッチョマンは本馬から15馬身差の6着、その直接的原因を作ったイズントヒーパーフェクトは12着最下位に終わっていた(イズントヒーパーフェクト鞍上の騎手はスタート直後の斜行を咎められて7日間の騎乗停止処分を受けた。その騎手とは本馬の3歳初戦で騎乗したマラージ騎手であったから、本馬陣営と何かのトラブルがあったマラージ騎手が意図的に本馬を妨害しようとしたのではないかと噂されたが、真相は不明である)。

本馬の敗因はスタート直後の不利だけではなく、道中で落鉄していた事も原因だった(その落鉄自体がムーチョマッチョマンと接触した際に起きたものであると推察されている)。そしてレース後の検査で、左後脚の砲骨に亀裂骨折と剥離骨折を発症している事が判明。本馬はペンシルヴァニア大学のニューボルトンセンター(かつてプリークネスSで故障したケンタッキーダービー馬バーバロが手術を受けた場所である)に搬送され、患部に2本のボルトを埋め込む手術が施された。バーバロの時と異なり致命的な故障ではなく、手術は無事に成功したが、3歳シーズンの後半を棒に振ることになった。

3歳時の成績は5戦2勝で、GⅠ競走勝ちはケンタッキーダービーのみだったが、同世代の3歳牡馬には他に顕著な活躍を見せた馬がいなかった事もあり、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬を受賞した(BCダートマイル・キングズビショップSとGⅠ競走を2勝したケイレブズポッセが次点だった)。

競走生活(4歳時)

ドバイワールドCを目指して4歳時も現役を続行。2月にガルフストリームパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンのオプショナルクレーミング競走で復帰した(勿論、本馬は売却の対象外)。これといった対戦相手はおらず、ヴェラスケス騎手騎乗の本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持された。レースは6頭立てであり、各馬がそれほど離れずに概ね一団となって進んだ。スタートが良くなかった本馬は最後方からの競馬だったが、先頭からの差は3~4馬身程度であり、いつでも先頭に取り付ける態勢だった。そして三角から位置取りを上げると直線入り口で先頭に立ち、そのまま押し切って2着モニュメントヒルに2馬身差で勝利。弱敵相手のレースではあったが、とりあえず復帰初戦を勝利で飾った。

そして3月末のドバイワールドCに向けた調整が開始されたが、その矢先に歩様が乱れたために精密検査を実施したところ、左後脚の骨折を発症している事が判明した。前年と同じ脚なので誤解されやすいが、故障箇所も内容も前年とは違っており、前年の故障の再発ではなかった(箇所は脚の付け根の骨盤に近い辺りで、内容は疲労骨折だった)。故障はひびが入っていた程度であり、前年ほど重度ではなく手術の必要も無かったが、当然ドバイワールドC出走は白紙となり、長期休養入りした。

復帰したのはそれから8か月後、サンタアニタパーク競馬場で行われたブリーダーズカップだった。ケンタッキーダービー馬なのであるからブリーダーズカップに出るとすればBCクラシックか、少し格を下げてBCスプリントかBCダートマイル辺りになるのが常識的なのだが、陣営が選択したのはBCマイル(米GⅠ・T8F)だった。BCマイル参戦を決定したのはアーウィン氏であるが、その理由はアーウィン氏の説明を聞いても筆者にはよく分からなかった。当然、チーム・バロール国際のメンバー達の中からは異論も出たそうである。

対戦相手は、クラークH・ウッドバインマイルS・シャドウェルターフマイルSとGⅠ競走3勝を挙げ、着々と米国競馬史上最強の芝マイラーとしての地位を築きつつあったワイズダン、ムーランドロンシャン賞・ジャックルマロワ賞・クイーンエリザベスⅡ世SとGⅠ競走3勝、他にGⅠ競走でフランケルの2着が3度あったエクセレブレーション、モーリスドギース賞2回・ムーランドロンシャン賞を勝っていたムーンライトクラウド、デルマーマイルH・アロヨセコマイルを連勝してきたオビアスリー、サーボーフォートS・アーケイディアS勝ち馬ミスターコモンズ、シューメーカーマイルS・ストラブS・サンガブリエルS・オークツリーマイルS・サイテーションHの勝ち馬ジェラニモ、ラウル&ラウルEチェバリエル大賞・エストレージャス大賞ジュヴェナイル・ドスミルギネアス大賞・亜ジョッキークラブ大賞と亜国のGⅠ競走を4勝した後に米国に移籍してシューメーカーマイルSで2着していたサジェスティヴボーイ、シャドウェルターフマイルSで2着してきたアメリカンダービー・ホーソーンダービー勝ち馬ウィルコックスイン(本馬のデビュー戦の勝利馬でもある)の8頭だった。ワイズダンが単勝オッズ2.8倍の1番人気、エクセレブレーションが単勝オッズ3倍の2番人気、ムーンライトクラウドが単勝オッズ6.8倍の3番人気、オビアスリーが単勝オッズ7.2倍の4番人気で、故障休養明けの上に芝のグレード競走で走った経験が無かった本馬は単勝オッズ11倍の5番人気だった。

ヴェラスケス騎手はワイズダンの主戦でもあり、ここでは当然ワイズダンを選択したため、本馬にはラファエル・ベハラーノ騎手が騎乗した。スタートが切られるとオビアスリーが先頭に立ち、サジェスティヴボーイ、ワイズダン、エクセレブレーションなども先行。本馬は馬群の中団後方を追走した。レースは各馬の位置取りがそれほど変わらないまま進み、そのまま四角を回って直線に入ってきた。本馬の位置取りは直線入り口でもまだ6番手だった上に、内側を突いたために直線突入直後に進路が塞がる場面まであったが、それでも残り半ハロン地点から馬群の間を割って猛然と追い込んできた。直線入り口2番手から抜け出して勝ったワイズダンには1馬身半届かずに2着に敗れたが、臨戦過程等を考慮すると十分賞賛に値する走りであり、実際に本馬の走りは大きな話題になった。この好走は本馬の種牡馬価値にも多大な貢献を果たしたらしく、アーウィン氏がBCマイル参戦を決めたのはこの辺りに理由があったのかもしれない。

競走生活(5歳時)

4歳時を2戦1勝で終えた本馬は、5歳時も現役を続行した。4歳暮れに本馬の所有権の過半数が豪州アロースタッドにより購入され、5歳9月から豪州で種牡馬入りする事、それまでにドバイワールドCと英国のロイヤルアスコット開催に挑戦する計画がある事が発表されていた。

まずは最初の目標であるドバイワールドCを目指して、前哨戦として2月のガルフストリームパークターフH(米GⅠ・T9F)に出走した。ここには、前年にマンノウォーS・ソードダンサー招待S・ターフクラシック招待SとGⅠ競走3勝を挙げるもBCターフで2着に負けたためにエクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬牡馬・最優秀芝牡馬の3タイトルを全てワイズダンに譲る羽目になったポイントオブエントリーという強敵の姿があった。ヴェラスケス騎手はポイントオブエントリーの主戦でもあり、ここでも本馬には乗ってくれなかったため、本馬はジョエル・ロザリオ騎手とコンビを組んだ。常識的にはポイントオブエントリーが1番人気になって然るべきだが、2ポンドのハンデを貰った本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、ポイントオブエントリーが単勝オッズ3.1倍の2番人気、ハリウッドダービーなど5連勝中のアンブライドルドコマンドが単勝オッズ4.9倍の3番人気、クリテリウム国際2着馬サルトが単勝オッズ8.6倍の4番人気となった。

スタートが切られるとサルトが先頭に立ち、ポイントオブエントリーは2番手、本馬は6頭立ての5番手を進んだ。そして向こう正面で早くも加速するとポイントオブエントリーの横まで上がってきた。そのまま本馬とポイントオブエントリーの2頭が抜け出し、直線では叩き合いとなった。本馬がいったん前に出る場面もあったが、最後はポイントオブエントリーが差し返して勝利を収め、本馬は1馬身1/4差の2着に敗れた。それでも前哨戦としては無難な結果だった。

前年は故障のためドバイに向かう事すらも出来なかったが、この年は無事にドバイ入りした本馬は、いよいよドバイワールドC(首GⅠ・AW2000m)の日を迎えた。マクトゥームチャレンジR2・マクトゥームチャレンジR3を連勝してきたローマ賞勝ち馬ハンターズライト、BCレディーズクラシック2回・アラバマS・ベルデイム招待Sなどを勝っていた現役米国最強古馬牝馬ロイヤルデルタ、ドバイミーティングの前哨戦バージナハールを2連覇してきたゴドルフィンマイル勝ち馬アフリカンストーリー、ガネー賞・ノアイユ賞・アルクール賞の勝ち馬で仏ダービー・パリ大賞2着のプラントゥール、ブリーダーズフューチュリティ・ブルーグラスS・パシフィッククラシックSの勝ち馬でケンタッキーダービー3着のデュラハン、マクトゥームチャレンジR3で2着してきたカシアノ、パリ大賞・サンクルー大賞・ベルリン大賞の勝ち馬メオンドル、マクトゥームチャレンジR3勝ち馬で前年のドバイワールドC2着のカッポーニ、愛ダービー・セクレタリアトSの勝ち馬で英ダービー・ターフクラシック招待S2着のトレジャービーチ、前年の香港ヴァーズ・ヨークシャーCの勝ち馬でメルボルンC・コロネーションC2着の実績もあったレッドカドー、ソヴリンS・ダイオメドS勝ち馬でクイーンアンS3着のサイドグランスの計11頭が対戦相手となった(日本馬の参戦は無かった)。ハンターズライトが単勝オッズ3.5倍の1番人気、ロイヤルデルタが単勝オッズ4倍の2番人気、本馬が単勝オッズ6.5倍の3番人気となった。本馬は前走に引き続いてロザリオ騎手とのコンビだった。

スタートが切られると紅一点のロイヤルデルタが先頭に立ち、ハンターズライト、メオンドル、トレジャービーチ、サイドグランスなども先行。一方の本馬は例によって後方を追走・・・ではなく、スタートから積極的に進出すると、最初のコーナーを回り終わったところではロイヤルデルタの直後2番手にいた。後方待機策を採る事が多かった本馬が先行策を採ったのは、初勝利を挙げた未勝利戦以来2度目の事だった。しかし本馬とロザリオ騎手の呼吸は合っており、しっかりと折り合っていた。そして四角でロイヤルデルタが失速すると入れ代わるように先頭を奪い、そのまま直線に入ってきた。そしてすぐに後続馬を突き放して独走態勢に入った。後方馬群からは唯1頭、レッドカドーが追いかけてきたが、これも本馬の影を踏むことは出来なかった。最後は2着レッドカドーに2馬身差、3着プラントゥールにはさらに4馬身3/4差をつけて優勝した。

これはドバイワールドCがオールウェザーに変更された2010年以降では初めてとなる米国調教馬による勝利だった。また、ケンタッキーダービー馬が5歳時にGⅠ競走を勝利したのも史上初の出来事であった。ケンタッキーダービー馬がドバイワールドCを勝ったのは、シルバーチャームに次いで史上2頭目だった。

このレース後に本馬の所有権の一部がダーレースタッドに購入され、本馬はチーム・バロール国際、アロースタッド、ダーレースタッドの共同所有馬となった。

その後は英国に向かい、クイーンアンS(英GⅠ・T8F)に参戦した。ケンタッキーダービー馬がアスコット競馬場で走るのは、1929年のアスコット金杯で2着したレイカウント、1936年のアスコット金杯でやはり2着したオマハ以来77年ぶり史上3頭目だった。そんなわけで非常に注目を集めた本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持され、マルセルブサック賞・ロートシルト賞の勝ち馬でファルマスS・サンチャリオットS2着のイルーシヴケイトと、愛国の名伯楽エイダン・オブライエン師が満を持して送り出してきたクールモアの期待馬デクレレーションオブウォーが並んで単勝オッズ8.5倍の2番人気、ロッキンジSで3着してきたアルジャマーハーが単勝オッズ9倍の4番人気となった。

本馬の鞍上はロザリオ騎手ではなくヴェラスケス騎手だった。それはヴェラスケス騎手が既にロイヤルアスコット開催で勝ち星を挙げていた経験を買われたものだったという。久々にヴェラスケス騎手とのコンビとなった本馬だったのだが、スタート前からかなり焦れ込んでいた。そしてレースでも完全に折り合いを欠いており、呼吸が完璧だったドバイワールドCとは正反対だった。結局、馬群の中団からそのまま後退していき、勝ったデクレレーションオブウォーから11馬身半差の11着と惨敗。アーウィン氏は、レース前パドックでイルーシヴケイトを見て欲情したのが敗因であると語っている。もっとも、英国に来た本馬は気候が合わなかったのか体調が優れず、調教自体が不十分だったそうである。

このレースを最後に5歳時3戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Leroidesanimaux Candy Stripes Blushing Groom Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
バブルカンパニー Lyphard Northern Dancer
Goofed
Prodice Prominer
Euridice
Dissemble Ahonoora Lorenzaccio Klairon
Phoenissa
Helen Nichols Martial
Quaker Girl
Kerali High Line ハイハット
Time Call
Sookera Roberto
Irule
ダリシア Acatenango Surumu Literat Birkhahn
Lis
Surama Reliance
Suncourt
Aggravate Aggressor Combat
Phaetonia
Raven Locks Mr. Jinks
Gentlemen's Relish
Dynamis ダンシングブレーヴ Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmec
Diasprina Aspros Sparkler
Antwerpen
Dorle Rheffic
Diu

父ルロワデザニモーはブラジル産馬で、2歳時はブラジルで走っていたが、ブラジルでは3戦1勝という冴えない成績だった。3歳になると、米国ストーンウォールファームの代理人として動いていたアーウィン氏により購入されて米国に移籍。移籍初戦は敗北したが、その後はイングルウッドH(米GⅢ)・モーヴィックH(米GⅢ)・サイテーションH(米GⅠ)・フランクEキルローマイルH(米GⅠ)・フォースターデイヴH(米GⅡ)・アットマイル(加GⅠ)など破竹の8連勝。そして迎えたBCマイル(米GⅠ)では1番人気に支持されたが、アーティーシラーの2着に敗れてそのまま引退。米国での成績は10戦8勝で、2005年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に選出されている。ルロワデザニモーがダート競走を走ったのはブラジルにおけるデビュー戦のみで、結果は着外だった。

競走馬引退後は米国で種牡馬入りしていたが、本馬がドバイワールドCを制した2013年に英国に移動している。もっとも、種牡馬としてはそれほど成功しているわけではない。ちなみにルロワデザニモー(Le roi des animaux)とは仏語で「動物の王」という意味であり、本馬の名前がこれに由来するのはほぼ間違いないだろう。ルロワデザニモーの父キャンディストライプスはインヴァソールの項を参照。

母ダリシアは独国産馬で、現役成績は24戦3勝。アーウィン氏により独国産の牝馬としては史上最高の公式取引額となる40万ユーロで購入された馬だった。現役当初は独国や仏国で走り、バーデン貯蓄銀行賞(独GⅢ)では前年の独年度代表馬ソルジャーホロウを2着に破って勝ち、ヘッセンポカル(独GⅢ)で3着している。4歳後半に米国に移籍したが、米国では未勝利のまま引退。競走馬引退後はそのまま米国で繁殖入りしていたが、初子である本馬を産んだ翌年2009年に社台グループに購入されて日本に輸入された。日本ではネオユニヴァース、ハーツクライ、ディープインパクト、ステイゴールドといった社台グループが誇る名種牡馬達との間に産駒をもうけているが、今のところ特筆できる活躍をした産駒は出ていない。

ダリシアの母デュナミスは愛国産馬で、日本に輸入されたダンシングブレーヴが欧州に残してきた5世代の産駒のうち4世代目に当たる。しかし競走馬としては18戦未勝利に終わってしまった。ダリシアの全姉ダーウィニアの子にダヴェロン【ボールストンスパS(米GⅡ)・ボーゲイS(米GⅢ)】が、デュナミスの半妹にはディアカダ(父カドゥージェネルー)【独1000ギニー(独GⅡ)】がいる。デュナミスの曾祖母ディウは独オークス馬で、母系は英国からハンガリーを経て独国土着の血統となったものである。→牝系:F1号族⑥

母父アカテナンゴは当馬の項を参照。

本馬の血統構成は、ブラジル出身のエクリプス賞最優秀芝牡馬×1980年代独国最強馬×その1980年代独国最強馬が出走した凱旋門賞を勝った1980年代欧州最強馬×独国の土着牝系であり、どこをどう見ても芝向きであってダート向きとは思えないものである。しかもかなり国際色豊かな血統であり、本馬は現役成績だけでなく血統構成も実にユニークなケンタッキーダービー馬である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は予定どおり豪州アロースタッドで種牡馬入りした。また、ダーレーグループが所有するケンタッキー州ジョナベルファームでもシャトル供用されている。

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