スマーティジョーンズ
和名:スマーティジョーンズ |
英名:Smarty Jones |
2001年生 |
牡 |
栗毛 |
父:イルーシヴクオリティ |
母:アイルゲットアロング |
母父:スマイル |
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頭蓋骨骨折の重傷から立ち直りケンタッキーダービー・プリークネスSを無敗で制覇するが米国三冠馬には僅かに届かず |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績9戦8勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
米国ペンシルヴァニア州チェスター郡フェアソーネファームにおいて、同牧場の所有者ロイ・チャップマン氏とパトリシア夫人により生産された。チャップマン夫妻は、元々は自動車販売業者であり、1980年代終わりから馬産も開始していた。本馬が誕生した2月28日は、パトリシア夫人の母ミリー・ジョーンズ・マクネア夫人の誕生日でもあった。マクネア夫人は気が強くて知ったかぶりをする性格の女性だったらしく、“Smarty Jones(自惚れ屋のジョーンズ)”という愛称で呼ばれていた。母親を敬愛していたパトリシア夫人は、母の愛称をそのまま本馬に付けた。本馬もマクネア夫人と同様に強固な意思の持ち主であり、性別や種族は違っても、性格は似ていたという。
フェアソーネファーム名義の競走馬となり、チャップマン夫妻の友人だったニュージャージー州在住のロバート・“ボビー”カマック調教師に預けられる予定だった本馬だが、本馬が産まれた年の12月に、そのカマック師が妻のメアリーアン夫人共々、メアリーアン夫人の連れ子だった36歳のウェイド・ラッセルなる男によって射殺されるという事件が勃発した(ラッセルは懲役28年の判決を受けたが、後に精神病院に送られているところを見ると、どうやら精神疾患だったようである)。
この事件に衝撃を受けたチャップマン氏は、ちょうど肺気腫を患うなど健康を害していた(本馬の現役中は酸素呼吸補助器を装着して車椅子に座ってレースを観戦。本馬が競走馬を引退した1年半後に79歳で死去)こともあって、フェアソーネファームを解散して大半の所有馬を手放してしまった。しかし本馬を含めて2頭のみは辛うじて手元に残した。フェアソーネファームの所有馬を売却するセリにおいて、本馬を買いたそうにしていた参加者は複数いたらしいが、結局売らなかったのは、おそらくパトリシア夫人の母親にちなんで命名された本馬に愛着があったからであろう。
1歳になった本馬はフロリダ州オカラにあるブライドルウッドファームに派遣されて、競走馬になるための訓練を積んだ。2歳になった本馬は、カマック師の友人だったフィラデルフィア在住のジョン・サーヴィス師に預けられ、チャップマン夫妻のサムデイファーム名義で走ることになった。騎手や騎乗依頼仲介者、ウェストバージニア州競馬の事務局長などをしていた父親の影響で競馬界に身を投じたサーヴィス師は、管理馬のジョスルで2000年のCCAオークスとアラバマSを勝っていたが、20年に及ぶ調教師生活において、目立つ管理馬はジョスルのみであり、決して名高い調教師ではなかった。
2歳7月にサーヴィス師が本馬にスタート練習を施していたとき、本馬はスターティングゲートに頭部を打ち付けてしまい、鼻から血を流して昏倒した。この様子を目の当たりにしたサーヴィス師は「この馬は自殺した」と感じたというが、頭をぶつけた本当の理由は不明である。サーヴィス師は本馬が死んだと思ったが、本馬が少し意識を回復したため、獣医師のダン・ハンフ博士に治療を依頼した。ハンフ博士は、ひとまず止血を行った。打撲した患部がやがて腫れ始めたので、ハンフ博士と調教助手のモーリン・ドネリー氏は徹夜で本馬の治療に当たった。翌日になると、本馬はニュージャージー州の動物病院に搬送された。診断は頭蓋骨骨折であり、特に左目周辺の損傷が激しかったため、眼球を摘出しなければならないかもしれないと宣告された。しかし本馬は3週間の入院と1か月の放牧によりほぼ完全に回復し、競走馬としてのデビューに漕ぎ着けた。ただし失明こそ免れたものの、左目の視力はかなり低下してしまっていたようである。スタート練習中に負傷した本馬だったが、練習の成果が出たのか、スタートが得意な馬になっていた。
競走生活(2歳時)
2歳11月にペンシルヴァニア州フィラデルフィア競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビュー。鞍上はスチュアート・エリオット騎手が務めた。加国トロント出身のエリオット騎手は、やはり騎手だった父親の影響を受けて16歳で騎手となっていた。エリオット騎手は20年以上の騎手生活において、既に3300勝以上を挙げていたのだが、その大半がフィラデルフィア競馬場におけるものだったため、全国的な知名度は低かった。単勝オッズ2.1倍で8頭立ての1番人気に支持された本馬は、2番手追走から道中で早めに先頭に立ってそのままゴールまで独走し、2着となった単勝オッズ12.5倍の4番人気馬デピュティラミーに7馬身3/4差をつけて圧勝した。
13日後に出走したペンシルヴァニアナーサリーS(D7F)では、単勝オッズ1.7倍で11頭立ての1番人気に支持された。そしてスタートから先頭をひた走ると、三角から四角にかけて後続との差を広げて、後続馬に6~7馬身ほどの差をつけて直線に入ってきた。直線ではさらにその差を広げて、2番手追走からそのまま2着となった単勝オッズ9.2倍の3番人気馬ソルティパンチに15馬身差をつけて大圧勝した。
この圧勝ぶりを目の当たりにしたサーヴィス師は「これは凄い馬です。どんなレースへ行っても勝負になるでしょう」とチャップマン氏に伝えた。するとチャップマン氏は「それなら私はケンタッキーダービーへ行きたいです」と応じ、本馬の目標はこの時点で決定された。
エリオット騎手は、当初はフィラデルフィア競馬場だけで本馬に騎乗する予定だったが、結局はその後本馬の主戦として固定され、全競走に騎乗することになる。
競走生活(3歳初期)
2歳時を2戦2勝で終えた本馬は、3歳時は1月初頭にアケダクト競馬場で行われたカウントフリートS(D8F70Y)から始動した。ここでは単勝オッズ1.4倍で7頭立ての1番人気に支持された。今回は逃げる単勝オッズ29.25倍の最低人気馬リスキートリックを見るように3番手を追走。そして直線に入ったところでリスキートリックをかわして先頭に立つと、2着に粘ったリスキートリックに5馬身差をつけて勝利した。
次走は2月末にオークローンパーク競馬場で行われたサウスウエストS(D8F)となった。マウンテンヴァレーSを勝ってきたプロプラドという馬の姿もあったが、本馬が単勝オッズ1.5倍で9頭立ての1番人気に支持された。今回も2番手追走から直線手前で先頭に立ち、そのまま押し切ろうとしたが、本馬をマークするように走っていた単勝オッズ10.5倍の4番人気馬トゥーダウンオートマティックという馬に叩き合いに持ち込まれた。しかしトゥーダウンオートマティックより10ポンド斤量が重い本馬がハンデ差を跳ね除けて競り勝ち、3/4馬身差で勝利した。
オークローンパーク競馬場はこの年に同競馬場で施行されるレベルS・アーカンソーダービーを両方勝った馬がケンタッキーダービーも制した場合は500万ドルのボーナスを出すと表明していたため、上記2競走を経てケンタッキーダービーを目指す事になった。
まずは3月のレベルS(D8.5F)に出走した。本馬が今までに出走してきたレースにはこれといった馬が他にいなかったのだが、このレースには、後にピーターパンS・ジムダンディS・シガーマイルHなどを勝つパージ、ケンタッキーカップジュヴェナイルSの勝ち馬ミスタージェスターという実力馬達が出走してきた(前走3着のプロプラドも出走していた)。4戦無敗とは言っても、これといった実力馬と戦った経験が無かった本馬は、122ポンドのトップハンデだった事も影響して、単勝オッズ4.5倍の3番人気に留まった。117ポンドのパージが単勝オッズ3倍の1番人気、119ポンドのミスタージェスターが単勝オッズ3.4倍の2番人気だった。レースはスタートからパージを先頭に、本馬、ミスタージェスターと有力馬3頭が先行争いを演じる展開となった。しかし四角でパージをかわして先頭に立った本馬が、そのままパージを3馬身1/4差の2着に退けて完勝した。
翌4月のアーカンソーダービー(GⅡ・D9F)がグレード競走初出走となった。パージ、ルイジアナダービー2着馬ボレゴ、ルコントS2着馬シャドウランドなど、ケンタッキーダービーを目指す強豪馬達が相手となった。前走のレース内容が買われた本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、本馬より斤量が4ポンド軽いボレゴが単勝オッズ4.3倍の2番人気、やはり本馬より斤量が4ポンド軽いパージが単勝オッズ6.8倍の3番人気となった。レースは初めて経験する重馬場となったが、本馬には関係なかったようで、逃げるパージを2番手で追走すると、三角で先頭に立って押し切る横綱相撲で、2着ボレゴに1馬身半差をつけて勝利した。
ケンタッキーダービー
そして予定どおりケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)に駒を進めることになった。対戦相手は、ハリウッドフューチュリティ・ハリウッドプレビューSの勝ち馬でサンラファエルS・ブルーグラスS2着のライオンハート、ウッドメモリアルS・ローレルフューチュリティの勝ち馬タピット、ブルーグラスS・ケンタッキージョッキークラブS・イロコイSの勝ち馬ザクリフスエッジ、シャムSの勝ち馬でレムセンS・ウッドメモリアルS2着のマスターデヴィッド、サンヴィンセントS・サンラファエルSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のインペリアリズム、ボレゴ、フロリダダービーの勝ち馬フレンズレイク、シャンペンSの勝ち馬バードストーン、サンタアニタダービー・ジェネラスSの勝ち馬キャッスルデール、ナシュアS・レムセンS・ファウンテンオブユースSの勝ち馬リードザフットノーツ、BCジュヴェナイル・デルマーフューチュリティ2着のミニスターエリック、イリノイダービーの勝ち馬ポラーズヴィジョン、バッシュフォードマナーS・ハッチソンS・タンパベイダービーの勝ち馬でブルーグラスS3着のライムハウス、人気薄ながらBCジュヴェナイルを勝って前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれたアクションディスデイ、レキシントンSの勝ち馬クイントンズゴールドラッシュ、レベルS3着後にアーカンソーダービーでも3着してきたプロプラド、イリノイダービー2着・レキシントンS3着のソングオブザソードの17頭であり、前哨戦好走組の大半が参戦していた。
しかし単勝オッズ5.1倍の1番人気に支持されたのは6戦全勝の本馬であり、ライオンハートが単勝オッズ6.4倍の2番人気、タピットが単勝オッズ7.4倍の3番人気、ザクリフスエッジが単勝オッズ9.2倍の4番人気、マスターデヴィッドが単勝オッズ11.6倍の5番人気となった。
なお、本馬がデビュー前の事故で視力を落としていたのは前述したが、この年のケンタッキーダービーには本馬以外にも視力が悪い馬が出走していた。それは単勝オッズ25倍の13番人気馬ポラーズヴィジョンであり、本馬とは逆に右目が見えなかった。そのために同じく右目が不自由だったシービスケットの主戦騎手レッド・ポラード(Red Pollard)騎手にちなんで“Pollard's Vision”と命名されたのである。ちなみにポラーズヴィジョンの娘でその名もブラインドラック(Blind Luck)は2010年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選ばれる活躍を見せるが、この辺りの話は本馬には無関係なのでそろそろ切り上げることにする。
さて、レースは不良馬場で行われたが、前走アーカンソーダービーで重馬場を克服していた本馬には特に不安は無かった。スタートが切られるとライオンハートが逃げを打ち、本馬、クイントンズゴールドラッシュ、ポラーズヴィジョンなどが2番手集団を形成した。三角に入る手前でクイントンズゴールドラッシュとポラーズヴィジョンの2頭が馬群に沈んでいき、単独2番手となった本馬が四角でライオンハートを捕らえにかかった。そして直線を向くと、3番手以下の馬は全て圏外に去り、逃げ粘るライオンハートと本馬の一騎打ちで勝敗が決することになった。2頭の叩き合いはしばらく続いたが、残り1ハロン地点で本馬が前に出て、最後は2着ライオンハートに2馬身3/4差をつけて優勝した。
ペンシルヴァニア州産馬のケンタッキーダービー制覇は、1992年のリルイーティー以来12年ぶり史上2頭目だった。サーヴィス師、エリオット騎手ともにケンタッキーダービーは初出走での勝利であったが、調教師と騎手の双方が初出走勝利だったのは1979年の優勝馬スペクタキュラービッド(管理調教師はグローバー・デルプ師で、鞍上はロニー・フランクリン騎手)以来25年ぶりだった。また、デビューから無敗でケンタッキーダービーを制したのは、1977年のシアトルスルー以来27年ぶりだった。また、加国出身の騎手がケンタッキーダービーを勝ったのは、1973年にセクレタリアトで勝利したロン・ターコット騎手以来31年ぶりだった。そしてオークローンパーク競馬場から陣営に対してボーナス500万ドルが支給された。
プリークネスS
ケンタッキーダービー制覇という目標を達成した本馬は、そのまま米国三冠路線を進んだ。次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、ライオンハート、前走3着のインペリアリズム、同10着のボレゴ、同11着のソングオブザソードというケンタッキーダービーからの臨戦組4頭に加えて、サンタアニタダービー2位入線(インペリアリズムの進路を妨害して3着に降着)のロックハードテン、ウッドメモリアルS・ゴーサムS3着馬エディントン、ダービートライアルSの勝ち馬サーシャックルトン、ミラクルウッドS・プライヴェートタームズS・フェレリコテシオSとノングレードのステークス競走3勝を含む5連勝中のウォーターキャノン、レーンズエンドS3着馬リトルマシューマンの5頭が参戦してきて、本馬を含めて10頭による争いとなった。
しかし当然のように本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。このレースで本馬に賭けられたお金は5900万ドルに達し、これは同競走史上最高額だった。ライオンハートが単勝オッズ5.9倍の2番人気、インペリアリズムが単勝オッズ7.6倍の3番人気、ロックハードテンが単勝オッズ7.9倍の4番人気、ボレゴが単勝オッズ13.8倍の5番人気と続いていた。
好スタートを切った本馬は、ライオンハートを先に行かせて道中は2番手を追走。三角に入ったところで後続馬を置き去りにして一気にスパートした。本馬が加速したのに気付いたライオンハートも加速して、2頭が並んで三角を回ってきた。しかし四角途中で本馬がライオンハートを引き離し、単騎で直線を向くと、その後もどんどん加速。後方ではロックハードテンがライオンハートをかわして2番手に上がってきたが、それでも本馬との差は開く一方だった。最後は2着ロックハードテンに同競走史上最大となる11馬身半差をつけて大圧勝した。
プリークネスSの圧勝劇で本馬の人気は沸騰。セクレタリアトの再来だとする声も上がり、チャップマン夫妻の元には、本馬の種牡馬権利を4~5千万ドルで売ってほしいという申し出が相次いだ。また、老年になって夢を叶えたチャップマン夫妻は、北米中の競馬ファンから敬愛を受けるようになり、夫妻の元には実に数十万通ものファンレターが送られてきたという。
ベルモントS
そして迎えたベルモントS(GⅠ・D12F)では、ベルモントパーク競馬場の観客動員記録を更新する12万139人もの観衆が詰め掛けた(それまでの最多記録はウォーエンブレムが米国三冠達成に挑んだ2002年の10万3222人)。当日のテレビ視聴率も過去10数年間では最高となった。ベルモントSで本馬に投じられたお金は、プリークネスSの2倍に達した。主な対戦相手は、ロックハードテン、前走3着のエディントン、アーカンソーダービーで本馬の5着に敗れた後にピーターパンSを勝ってきたパージ、ケンタッキーダービー12着後に出走したピーターパンSで3着だったマスターデヴィッド、ケンタッキーダービー8着から直行してきたバードストーンなど既に本馬とは勝負付けが済んだ馬ばかりであり、本馬と初対戦となる馬にも実績馬はいなかった。
1978年のアファームド以来26年ぶり史上12頭目の米国三冠馬となるのが殆ど確実視されていた本馬が単勝オッズ1.35倍の1番人気に支持され、ロックハードテンが単勝オッズ7.7倍の2番人気、パージが単勝オッズ10.6倍の3番人気、エディントンが単勝オッズ15.2倍の4番人気、マスターデヴィッドが単勝オッズ25.5倍の5番人気となった。
今回も好スタートを切った本馬は、今度はパージやロックハードテンを先に行かせて3番手を追走。しかしケンタッキーダービーやプリークネスSで半ば本馬のペースメーカー状態となっていたライオンハートが不在だったため、半マイル通過が48秒6というスローペースとなった。抑え切れないように向こう正面で本馬は先頭に立ってしまい、2番手に下がったロックハードテン、本馬を徹底的にマークしていたバードストーンやエディントンの圧力を後方から受けながら走ることになった。それでも先頭を維持したまま三角を回って四角に入り、そしてそのまま直線を向いた。直線途中までは快調にゴールを目指していたが、残り1ハロン地点で脚色が少し衰えたところに、後方から単勝オッズ37倍の7番人気馬バードストーンが襲い掛かってきた。そしてゴール前で差されて1馬身差の2着に敗退。米国三冠の夢は絶たれた。
本馬が敗れた瞬間にベルモントパーク競馬場を包んだ静寂は、同日に死去したロナルド・レーガン元大統領の訃報が流れた瞬間を上回る沈黙度だったという。鞍上が早めに先頭に立たせすぎた事が敗因であるとして、エリオット騎手を非難する論調が相次いだ。しかし、エリオット騎手は本馬を抑えようとしているのが映像で明確に映し出されており、エリオット騎手の騎乗ミスではなく、本馬の勝ち気な性格が敗因だと感じた陣営は、エリオット騎手を一切非難しなかった。また、自分の馬を勝たせるためではなく本馬を負けさせるための騎乗をした騎手が何人かいた(具体的には本馬を先頭に押し出したロックハードテンなどの騎手を指しているのだろう)として、他馬の騎手を非難する論調まであったが、有力馬に楽なレースをさせないように自分の馬を操るのも一つの戦法であるから、非難されるような事でもないだろう。現在では、気性だけでなく血統背景からしても12ハロンという距離が長すぎたのだろうとする意見が一般的になっている。
その後はBCクラシックに目標を切り替え、ひとまず休養に入ったが、休養中の8月に四肢の管骨に慢性的な挫傷を発症したために、3歳時7戦6勝の成績で競走馬を引退。結局ベルモントSが最後のレースとなった。この点において、1969年に米国三冠馬の栄誉を逃したマジェスティックプリンス(両馬ともに無敗で迎えたベルモントSで2着に敗れてそのまま故障で引退)と比較する論調が出た。
この年のエクリプス賞年度代表馬の座は逃した(BCクラシックを圧勝したゴーストザッパーが受賞)が、最優秀3歳牡馬を受賞した。また、この年にインターネット検索大手のグーグルにおいて検索された回数が多い言葉トップ5の中に本馬の名前がランクインした。
血統
Elusive Quality | Gone West | Mr. Prospector | Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
Secrettame | Secretariat | Bold Ruler | ||
Somethingroyal | ||||
Tamerett | Tim Tam | |||
Mixed Marriage | ||||
Touch of Greatness | Hero's Honor | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Glowing Tribute | Graustark | |||
Admiring | ||||
Ivory Wand | Sir Ivor | Sir Gaylord | ||
Attica | ||||
Natashka | Dedicate | |||
Natasha | ||||
I'll Get Along | Smile | In Reality | Intentionally | Intent |
My Recipe | ||||
My Dear Girl | Rough'n Tumble | |||
Iltis | ||||
Sunny Smile | Boldnesian | Bold Ruler | ||
Alanesian | ||||
Sunny Sal | Sunrise County | |||
San Salvador | ||||
Dont Worry Bout Me | Foolish Pleasure | What a Pleasure | Bold Ruler | |
Grey Flight | ||||
Fool-Me-Not | Tom Fool | |||
Cuadrilla | ||||
Stolen Base | Herbager | Vandale | ||
Flagette | ||||
Bases Full | Ambiorix | |||
Striking |
父イルーシヴクオリティは当馬の項を参照。
母アイルゲットアロングは、本馬を預かる前に殺されてしまったカマック師が、チャップマン夫妻のために1歳時のキーンランド9月セールにおいて4万ドルで購入した馬である。競走馬としては39戦12勝で、ウイリアムパーカーS・アルマノースHに勝ち、27万ドル以上を稼ぎ出した。母としては本馬の半妹スマーティエンペラーレス(父ホーリーローマンエンペラー)【ライトニングシティS】を産んでいる。アイルゲットアロングの半弟にはカウボーイコップ(父シルヴァーデピュティ)【ハランデイルH(米GⅢ)・グレーヴセンドH(米GⅢ)】がいる他、アイルゲットアロングの母ドントウォーリーボウトミーの半姉には日本に繁殖牝馬として輸入されたバジー【デラウェアH(米GⅠ)】がいる。バジーの子にはジーノ【シャーリージョーンズH(米GⅢ)・サラブレッドクラブオブアメリカS(米GⅢ)】、曾孫には2005年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬フォルクローレ【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)】がいる。ドントウォーリーボウトミーの曾祖母ストライキングは米国の歴史的名牝ブッシャーの全妹で、根幹繁殖牝馬ラトロワンヌの孫という超良血馬。→牝系:F1号族②
母父スマイルはインリアリティの直子で、BCスプリント(米GⅠ)を筆頭に、アーリントンクラシックS(米GⅠ)・フェアマウントダービー(米GⅢ)・エクワポイズマイルH(米GⅢ)勝ちなど27戦14勝の成績を残した快速馬で、1986年にはエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれている。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームで種牡馬入りした。本馬には、この2年前に他界したシアトルスルーが使用していた馬房(スリーチムニーズファームがナンチュラストックファームという名称だった19世紀には、レキシントンやグレンコーが種牡馬生活を送り、テンブロックやロングフェローが産まれた馬房でもあった)があてがわれた。
初年度の種付け料は10万ドルと高額に設定されたが、それでも110頭の繁殖牝馬(その中には日本から来たダンスパートナーもいた)を集めるなど、大きく期待された。しかし当初の種牡馬成績は期待を大きく下回った。勝ち上がり率やステークスウイナー率は決して悪くない(初年度産駒に限定すると、勝ち上がり率は59%で、ステークスウイナー率は6%である)のだが、自身を髣髴とさせる大物になかなか恵まれなかった。
年を追うごとに交配される牝馬の質は下がり続け、2011年からはパトリシア未亡人の住居に近いペンシルヴァニア州ゴーストリッジファームに移動。この頃にようやく産駒がある程度の活躍を見せ始めた事もあり、翌2012年にはウルグアイでシャトル供用された。現在はペンシルヴァニア州に戻ってノースビュースタリオンステーションで供用されている。2013年にはセントラルインテリジェンスがトリプルベンドHを制して、産駒のGⅠ競走初勝利を挙げた(ただし騙馬なので後継種牡馬にはなれない)。2015年の種付け料は4千ドルとなっている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
2006 |
Gilded Gem |
ラスフローレスS(米GⅢ) |
2006 |
ケイアイガーベラ |
プロキオンS(GⅢ)・カペラS(GⅢ) |
2007 |
Backtalk |
サンフォードS(米GⅡ)・バッシュフォードマナーS(米GⅢ) |
2007 |
Sunrise Smarty |
フォールハイウェイトH(米GⅢ) |
2008 |
Centralinteligence |
トリプルベンドH(米GⅠ) |
2008 |
Rogue Romance |
バーボンS(米GⅢ) |
2009 |
Cary Street |
ラスベガスマラソンS(米GⅡ)・グリーンウッドCS(米GⅢ) |
2009 |
Nikkis Smartypants |
ロイヤルノースS(加GⅢ) |
2009 |
Old Time Hockey |
ラホヤH(米GⅡ) |