サガロ

和名:サガロ

英名:Sagaro

1971年生

栗毛

父:エスプレッソ

母:ザンバラ

母父:モスボロー

史上初のアスコット金杯3連覇を達成した、ゴール前の末脚で勝負するタイプの高速ステイヤー

競走成績:2~6歳時に仏英で走り通算成績24戦10勝2着5回3着2回

誕生からデビュー前まで

スイスのジュネーブに拠点を構えていた投資家ジェラルド・オールダム氏の馬産団体シタデルスタッド・エスタブリッシュメントにより生産された愛国産馬で、オールダム氏の所有馬として、仏国フランソワ・ブータン調教師に預けられた。主戦は基本的に英国のレスター・ピゴット騎手が務め、ピゴット騎手の都合がつかない場合には、仏国のフィリップ・パケ騎手が騎乗した。

競走生活(2・3歳時)

2歳時にデビューして、この年は3戦1勝の成績だった。

3歳時は初戦を勝ち、続いてダリュー賞(仏GⅡ・T2100m)に駒を進めた。しかしカブール賞の勝ち馬ダンカロに4馬身半差をつけられて4着に敗れた。そのダンカロが勝ったリュパン賞や、ダンカロを1馬身半差の2着に抑えてカラコレロが勝った仏ダービーには参戦せずに、裏路線に回った。そして1勝を上乗せした後に出走したエスペランス賞(仏GⅢ・T3000m)で、2着ドミコに2馬身半差をつけて快勝。

そしてパリ大賞(仏GⅠ・T3100m)に参戦した。このレースには、仏ダービーでダンカロから頭差の3着だったコンデ賞・オカール賞2着馬カマラーンに加えて、サンダウンクラシックトライアルS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬で前走の英ダービー4着のバスティノも参戦してきた。バスティノは後に英セントレジャー・コロネーションCを勝ち、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでグランディと世紀の名勝負を展開する強豪馬だったが、この距離では本馬に一日の長があったようで、ピゴット騎手が手綱を取る本馬がバスティノを2馬身差の2着に破って勝利を収めた。

夏場は休養に充て、秋は凱旋門賞を目指して、ニエル賞(仏GⅢ・T2200m)に出走。対戦相手は僅か3頭だったが、仏グランクリテリウムの勝ち馬でオブザーヴァー金杯・仏2000ギニー・リュパン賞2着のミシシッピアン、フォンテーヌブロー賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム・ベンソン&ヘッジズ金杯・サセックスS3着のマウントハーゲンがその中に含まれており、レベルとしてはなかなかだった。出走頭数が少ないためにレースは有力馬3頭がけん制し合うように進行し、直線勝負になった。本馬も直線の末脚を武器とする馬ではあったが、さすがにこの距離のレースでは本馬よりも、ミシシッピアン、次走のムーランドロンシャン賞を勝つマウントハーゲンのほうが上手だった。ミシシッピアンが勝利を収め、さらに1馬身半差の2着がマウントハーゲン、さらに短首差の3着が本馬という結果になった。

それでも次走は凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。対戦相手筆頭格は、クリテリウムデプーリッシュ・仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞・ガネー賞・イスパーン賞・アルクール賞・フォワ賞を勝ち前年の凱旋門賞で2着していたアレフランスで、他にも、ミシシッピアン、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたブシリス、同2着してきたカマラーン、ヴェルメイユ賞・ミネルヴ賞・ノネット賞の勝ち馬パウリスタ、英1000ギニー・仏オークスの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のハイクレア、前年のパリ大賞の勝ち馬で仏ダービー・ガネー賞・コロネーションC2着のテニソン、カドラン賞・アンリデラマール賞・コンセイユミュニシパル賞・ジャンプラ賞・ベルトゥー賞・バルブヴィル賞の勝ち馬レキュペール、サンタラリ賞の勝ち馬でクリテリウムデプーリッシュ・仏オークス・ヴェルメイユ賞2着のコンテスドロワール、エクリプスSの勝ち馬クードフー、グッドウッドC2回・ドンカスターCなどの勝ち馬でアスコット金杯2着のプロヴァーブ、伊ジョッキークラブ大賞・ローマ賞の勝ち馬サンブルーなどが出走してきた。アレフランスとパウリスタのカップリングが単勝オッズ1.5倍の1番人気、ミシシッピアンとブシリスのカップリングが単勝オッズ7.5倍の2番人気、本馬がペースメーカー役ヴァルドとのカップリングで単勝オッズ10.25倍の3番人気となった。レースはヴァルドが先頭を引っ張り、本馬は先行集団につけた。一方で大本命のアレフランスは例によって後方につけていたが、フォルスストレートに入ったところで突然外側をするすると上がり、瞬く間に先頭に躍り出てしまった。そして直線で逃げ込みを図るアレフランスを他馬達が追いかけるという、予想外の展開となった。本馬陣営にしてみれば、先行馬群にいながらにして脚を溜め、直線ですぐに仕掛けて一気に抜け出すのが理想的な展開だったはずだが、アレフランスに先に抜け出された上に他馬勢が本命馬アレフランスを早めに追いかけ始めたために対応できず、押し切って勝ったアレフランスから15馬身半差をつけられた11着と惨敗した。3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は7戦4勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月のバルブヴィル賞(仏GⅢ・T3100m)から始動して、前年の凱旋門賞で15着に終わっていたレキュペールと対戦した。しかしここではレキュペールが勝って同競走2連覇を飾り、本馬は頭差の2着に惜敗した。続いてカドラン賞(仏GⅠ・T4000m)に出走した。しかしベルトゥー賞・ジャンプラ賞を勝ってきた同世代馬ルバヴァールが勝利を収め、前年の凱旋門賞では16着に終わっていたブシリスが2着で、本馬はルバヴァールから1馬身3/4差の3着に敗れた。

その後は初めて英国に遠征して、アスコット金杯(英GⅠ・T20F)に参戦した。対戦相手は、ルバヴァール、前年の愛セントレジャー馬ミスティグリ、アスコットSの勝ち馬カンバルダなどだった。ルバヴァールが1番人気で、ピゴット騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ2.75倍の2番人気だったが、ここで本馬はその持てる能力を如何なく発揮。先行して直線に入ると、残り1ハロン地点で「破壊的な末脚」を繰り出し、2着ルバヴァールに4馬身差をつけて圧勝した。

仏国に戻ってきた本馬は、モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ・T2500m)に出走した。しかしここではバトルソングの着外に敗れた。次走のケルゴルレイ賞(仏GⅡ・T3000m)では、モストルーパー、パリ大賞で2着してきたシトワイアン、ダンテSの勝ち馬ホブノブといった3歳馬勢に敗れて、モストルーパーの着外に終わった。次走のドーヴィル大賞(仏GⅡ・T2700m)では、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2回・サンタラリ賞・愛オークス・ワシントンDC国際S・サンクルー大賞・ベンソン&ヘッジズ金杯2回・マンノウォーS・加国際CSS・グロット賞の勝ち馬ダリアとの対戦となった。しかしこのレースではエルエンソーサラーという3歳牡馬が52kgという軽量を活かして勝利を収め、59.5kgを課せられていたダリアは首差2着、61kgを課せられていた本馬は着外に敗れた。4歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦1勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時は前年と同じくバルブヴィル賞(仏GⅢ・T3100m)から始動した。前年のアスコット金杯でルバヴァールから3/4馬身差の3位入線しながら進路妨害で最下位に降着となった後にデスモンドSを勝っていたミスティグリ、前年のグラディアトゥール賞・ラクープを勝っていた8歳馬カンポモーロなどが挑んできた。しかし本馬がその挑戦を楽々と退け、2着ミスティグリに2馬身半差、3着カンポモーロにはさらに3/4馬身差をつけて勝利した。

その後は前年には出走しなかったジャンプラ賞(仏GⅡ・T3100m)に向かった。カンポモーロに加えて、前年のケルゴルレイ賞で本馬に先着する2着した後にロワイヤルオーク賞でも2着してこの年のエクスビュリ賞を勝ってきたシトワイアンが挑んできた。しかしここでは本馬は凡走。勝ったシトワイアンから7馬身差をつけられた4着に敗れ、前走で一蹴したカンポモーロ(3着)にも2馬身半差をつけられてしまった。しかし次走のカドラン賞(仏GⅠ・T4000m)ではパケ騎手を鞍上に立て直し、2着ケマルに3馬身差をつけて快勝。ケマルからさらに3/4馬身差の3着だったシトワイアンにも借りを返した。

そして2連覇を目指して、アスコット金杯(英GⅠ・T20F)に参戦した。ミスティグリ、前年のドンカスターC・アスコットSの勝ち馬クラッシュコース、キングエドワードⅦ世S・ヘンリーⅡ世Sの勝ち馬シーアンカーなどが主な対戦相手だったが、今回は本馬が単勝オッズ1.53倍で堂々の大本命での登場となった。このレースでは、ペースメーカー役のバートンミルズが先頭を引っ張り、本馬は好位を追走。直線に入る前にミスティグリが仕掛けて先頭で直線に入っていった。さらにクラッシュコースやシーアンカーも、ミスティグリを追いかけていったが、本馬はまだミスティグリから4馬身ほど後方の好位で控えていた。そして直線に入ったところで満を持してピゴット騎手が仕掛けると、「まるで発射台から打ち出されたミサイルのような」末脚を外側から繰り出し、残り1ハロン地点で内側の3頭を抜き去った。そして2着クラッシュコースに1馬身差、3着シーアンカーにはさらに2馬身差をつけて勝利を収め、1825年のビザーレ、1837年のタッチストン、1845年のジエンペラー、1848年のザヒーロー、1859年のフィッシャーマン、1880年のアイソノミー、1908年のザホワイトナイト、1913年のプリンスパラタイン、1929年のインヴァーシン、1932年のトリムドン、1965年のファイティングチャーリーに続く史上12頭目の同競走2連覇を達成した。前年はこの後も走ったが好結果を出せていなかったため、この年はアスコット金杯を最後に休養入りした。5歳時の成績は4戦3勝だった。

競走生活(6歳時)

6歳時も現役を続け、まずは3年連続出走となるバルブヴィル賞(仏GⅢ・T3100m)から始動した。しかしこのレースでは、1頭の難敵が登場した。それは、今まではこれと言った成績を残していなかった2歳年下のバックスキンという馬だった。レースはバックスキンが直線独走で圧勝し、本馬は2着にこそ入ったものの、勝ったバックスキンからは実に20馬身差をつけられていた。次走のジャンプラ賞(仏GⅡ・T3100m)でも、バックスキンとの対戦となった。そして今回もバックスキンが圧勝。本馬は、前年のカドラン賞3着後にケルゴルレイ賞を勝っていたシトワイアンは4馬身差の3着に完封したものの、勝ったバックスキンには4馬身差をつけられてしまった。次走のカドラン賞(仏GⅠ・T4000m)でも、バックスキン、シトワイアンとの対戦となった。今回は直線に入って残り2ハロン地点で本馬が先頭に立ち、そこへバックスキンが並びかけてくる展開となった。ここから2頭の叩き合いが始まったが、今回もバックスキンが勝利を収め、本馬は3着シトワイアンには5馬身差をつけたものの、3/4馬身差の2着に敗れた。

これでバックスキンの前に3連敗を喫した本馬だが、着差自体は確実に縮まっていた。そして迎えたアスコット金杯(英GⅠ・T20F)。ここには、バックスキン、シトワイアンに加えて、10馬身差で圧勝した一昨年の英セントレジャーを筆頭にヨークシャーC・カンバーランドロッジSを勝ちキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでポーニーズの2着していたブルーニも参戦してきた。しかし事実上は1番人気のバックスキンと、単勝オッズ3.25倍の2番人気だった本馬の一騎打ちと目されていた。レースはバックスキンが先頭に立ってペースを支配し、ピゴット騎手が手綱を取る本馬はバックスキンを見るように好位を追走した。そしてそのままの態勢で直線に入ると、逃げ込みを図るバックスキンの直後を本馬が追いかける展開となった。しばらく2頭の差は縮まらなかったが、残り1ハロン地点で本馬がバックスキンを抜き去り、一気に差を広げた。最後は2着バックスキンに5馬身差、3着シトワイアンにはさらに2馬身差、4着ブルーニにはさらに7馬身差をつけて圧勝を収め、1807年に創設された同競走史上初の3連覇を達成した。そしてこのレースを最後に競走馬を引退。6歳時の成績は4戦1勝だった。

競走馬としての評価

後の2009年にイェーツがアスコット金杯4連覇を達成してしまったため、本馬の3連覇は少し影が薄くなってしまった感は否めないし、本馬の時代は長距離競走の格が下がる一方だったから、果たしてこれがどれだけの偉業なのか、筆者にはなかなか判断できない。しかしアスコット金杯しか勝ち星が無かった6歳時には、英タイムフォーム社のレーティングにおいて、古馬勢ではトップ、全体ではアレッジドザミンストレルに次ぐ第3位の133ポンドを獲得しており、その時代を代表する強豪馬の1頭として認められていたのは確かなようである。典型的な長距離馬でありながら、ゴール前の鋭い末脚で勝負するタイプの馬であり、一般的に言うところの「高速ステイヤー」だった。

血統

Espresso Acropolis Donatello Blenheim Blandford
Malva
Delleana Clarissimus
Duccia di Buoninsegna
Aurora Hyperion Gainsborough
Selene
Rose Red Swynford
Marchetta
Babylon Bahram Blandford Swynford
Blanche
Friar's Daughter Friar Marcus
Garron Lass
Clairvoyante Clarissimus Radium
Quintessence
Doddles Teddy
Blue Girl
Zambara Mossborough Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
All Moonshine Bobsleigh Gainsborough
Toboggan
Selene Chaucer
Serenissima
Grischuna ラティフィケイション Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Solesa Solario
Mesa
Mountain Path Bobsleigh Gainsborough
Toboggan
Path of Peace Winalot
Grand Peace

父エスプレッソは現役成績30戦10勝、バーデン大賞を2連覇している。種牡馬としては当初英国で供用されていたが、活躍馬を出せなかったため、本馬が産まれる前年の繁殖シーズン終了後に独国に輸出されていった。独国は他の欧州各国よりも長距離競走の格が維持されていたというのも輸出の理由の一端にあったようであるが、しかし独国でもそれほどの成功は出来なかった。エスプレッソの父アクロポリスは、20世紀最強の長距離馬の呼び声も高いアリシドンの7歳年下の全弟。兄には及ばないがかなりの実力馬であり、グレートヴォルティジュールS・ジョンポーターS・ニューマーケットS・エイコムSを勝ち、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでヴィミーの2着、英ダービーでフィルドレイクの3着している。通算成績は12戦5勝。種牡馬としての成績は平均的だった。

母ザンバラは現役成績4戦1勝。繁殖牝馬としてはかなり優秀で、本馬の半弟スコルピオ(父サーゲイロード)【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・エヴリ大賞(仏GⅡ)・ハードウィックS(英GⅡ)・エドヴィル賞(仏GⅢ)】、半妹マリエラ(父サーゲイロード)【ローマ賞(伊GⅠ)・ロワイヤリュー賞(仏GⅢ)】も産んでいる。また、本馬の半妹アマレナ(父オリオール)の子にコリータ【レニャーノ賞(伊GⅡ)】が、マリエラの子にマックラ【オマール賞(仏GⅢ)】、曾孫にマロッタ【サンタラリ賞(仏GⅠ)】がいる。ザンバラの母グリシュナも優れた繁殖牝馬で、ザンバラの半兄シカゴ(父フィダルゴ)【伊ジョッキークラブ大賞・ローマ賞・ヘンリーⅡ世S2回・カンバーランドロッジS】、半妹タローナ(父カラバス)【クリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ)】も産んでいる。グリシュナの半兄にはソヴリンパス【ロッキンジS・クイーンエリザベスⅡ世S】もおり、完全なスタミナ牝系ではなく、配合相手の種牡馬の特徴を活かす牝系のようである。グリシュナの9代母オーバーリーチは、19世紀最強牝馬の有力候補とされるヴィラーゴの半妹である。→牝系:F4号族④

母父モスボローはバリモスの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、17万5千ポンドで英国ナショナルスタッドに購入され、同牧場で種牡馬入りした。しかしさすがに長距離色が強すぎたためか、種牡馬としては不成功に終わった。後にリンカンシャー州ライムストーンスタッドに移り住み、1986年に15歳で他界した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1979

Sagamore

ケンブリッジシャーH

1979

Super Sunrise

レッドスミスH(米GⅡ)・チェスターヴァーズ(英GⅢ)・カナディアンターフH(米GⅢ)

TOP