カーレッド

和名:カーレッド

英名:Khaled

1943年生

鹿毛

父:ハイペリオン

母:エクレア

母父:エスナーク

当初は英国で走りいったんは種牡馬入りするも米国で競走馬として復帰した後に本格的な種牡馬活動に入りハイペリオンの血を米国に広めた名馬スワップスの父

競走成績:2~5歳時に英米で走り通算成績12戦6勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

名馬産家として知られたアガ・カーンⅢ世殿下、及びその息子アリ・カーン王子の両名によって生産・所有された英国産馬である。父ハイペリオンも小柄な馬であったが、本馬は父以上に体格が小さい馬であった。しかしバランスが取れた馬体の持ち主でもあった。短くて真っ直ぐな下肢の力は強靭で、その走り方は母の祖父ザテトラークを髣髴とさせるものだったという。ただし芦毛馬だったザテトラークと異なり、本馬は全身全てが茶色の毛に覆われた典型的な鹿毛馬であり、白い部分は一箇所も無かった。フランク・バターズ調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳時にアストリーS(T5F)でデビューして勝利した。次走のコヴェントリーS(T5F)では単勝オッズ10倍の評価だったが、ここでも勝利を収めた。続いてミドルパークS(T6F)に出走。ここではデューハーストSを勝ってきた後の英1000ギニー馬ハイペリカムとのハイペリオン産駒対決となった。そして本馬が2着ハイペリカムに3/4馬身差で勝利した。2歳時は3戦全勝の成績を残したが、2歳フリーハンデでは同世代第6位であり、それほど高評価を受けてはいなかった。

3歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたコラムプロデュースSから始動して勝利。そして英2000ギニー(T8F)へと駒を進めたが、単勝オッズ29倍の伏兵ハッピーナイトに足を掬われて4馬身差の2着に敗れた。次走は第二次世界大戦の影響により7年ぶりのエプソム競馬場開催となった英ダービー(T12F10Y)だった。大戦終結後初めての英ダービーとあって、エプソム競馬場には時の英国王ジョージⅥ世夫妻を始めとする50万人の大観衆が詰め掛けていた。しかし不良馬場で行われたレースで本馬は全く実力を発揮できず、単勝オッズ51倍の人気薄を覆して勝利したエアボーンの着外に敗れ去った。

次走はセントジェームズパレスS(T8F)となった。アスコット競馬場で行われるこのレースは英ダービーと異なり大戦中の代替競走が無く、5年ぶりの開催だった。そして本馬は同父のアルディスランプを2馬身差の2着に破って勝利した。続いてエクリプスS(T10F)に出走。このレースは本来サンダウンパーク競馬場で施行されるのだが、この年はアスコット競馬場で代替開催された。古馬混合戦だったがこの年に中心となったのは3歳馬であり、ジムクラックS・クレイヴンSを勝っていた英ダービー2着馬ガルフストリーム、チェスターヴァーズを勝っていたエドワードテューダーという同じハイペリオン産駒2頭が強敵だった、結果はこの2頭より重いトップハンデが影響したのか、2頭のいずれにも屈して、ガルフストリームの3着に敗れた。この後の活躍も期待された本馬だが、この時期には明らかな喘鳴症の症状が見られるようになっていた(“Thoroughbred Heritage”の文章を読む限りでは、英2000ギニーの頃には既に兆候があったようである)。結局それが原因となって3歳時5戦2勝の成績でいったん競走馬引退となった。

種牡馬入り後に渡米して競走馬に復帰する

翌4歳時にアガ・カーンⅢ世殿下所有のもと、愛国で種牡馬入りした。しかしこの年のうちに米国カリフォルニア州の馬産家兼馬主であるレックス・C・エルスワース氏(本馬の代表産駒スワップスの生産・所有者となる)により16万ドルで購入されて渡米した。なお、エルスワース氏は本馬の購入資金をデンバー銀行から借りて調達している。そのため資金を早めに回収する必要があったエルスワース氏は本馬を種牡馬としてだけでなく競走馬としても使うつもりであり、5歳1月にカリフォルニア州で現役競走馬として復帰させた。そしてサンタアニタパーク競馬場で行われた一般競走で勝ち星を挙げた。その後に同年の繁殖シーズンが始まると種牡馬活動を行い、繁殖シーズンが終わると競走馬生活に戻っていった。しかし本馬は米国で競走馬としてはあまり活躍できず、5歳時4戦1勝の成績で競走馬生活に完全にピリオドを打ち、6歳時から種牡馬生活に専念することになった。

血統

Hyperion Gainsborough Bayardo Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Galicia Galopin
Isoletta
Rosedrop St. Frusquin St. Simon
Isabel
Rosaline Trenton
Rosalys
Selene Chaucer St. Simon Galopin
St. Angela
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Serenissima Minoru Cyllene
Mother Siegel
Gondolette Loved One
Dongola
Eclair Ethnarch The Tetrarch Roi Herode Le Samaritain
Roxelane
Vahren Bona Vista
Castania
Karenza William the Third St. Simon
Gravity
Cassinia Carbine
Scene
Black Ray Black Jester Polymelus Cyllene
Maid Marian
Absurdity Melton
Paradoxical
Lady Brilliant Sundridge Amphion
Sierra
Our Lassie Ayrshire
Yours

ハイペリオンは当馬の項を参照。

母エクレアは現役時代にファルマスSなどに勝ち、ヨークシャーオークスでは2着に入って1933年の英最優秀3歳牝馬に選ばれた活躍馬だった。繁殖牝馬として5頭の子を産んだ後にハイペリオンと交配されて受胎した状態で、当時の所有者マーシャル・フィールド氏によりニューマーケットで行われた繁殖牝馬セールに出品され、アガ・カーンⅢ世殿下により購入された。そしてその翌年に産み落としたのが本馬である。エクレアの曾祖母アワーラッシーは英オークス馬。

エクレアの牝系子孫はかなり発展しており、本馬の半姉ヴィセンツィア(父サンソヴィーノ)の牝系子孫にはカレントホープ【フラミンゴS(米GⅠ)】などが、本馬の半姉セラエノ(父フェアウェイ)の孫にはアイアンペグ【サバーバンH】が、本馬の半姉レディエレクトラ(父フェアウェイ)の牝系子孫にはラザンザラ【サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)】が、そして本馬の半妹エマリ(父ウミッドウォー)の牝系子孫には大種牡馬ブラッシンググルーム【仏2000ギニー(仏GⅠ)・ロベールパパン賞(仏GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)】、アルワウーシュ【伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・カールトンFバークH(米GⅠ)】、シャワンダ【愛オークス(愛GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、シャレータ【ヨークシャーオークス(英GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、そして日本でお馴染みのアグネスデジタル【マイルCS(GⅠ)・マイルCS南部杯(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・香港C(香GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)・安田記念(GⅠ)】やキングカメハメハ【東京優駿(GⅠ)・NHKマイルC(GⅠ)】など活躍馬がずらりと並ぶ。

エクレアの半姉イースタンライト(父アレンビー)の曾孫には天皇賞秋や有馬記念などを勝ったリュウフォーレルがいるし、エクレアの半妹サンルミエール(父サンソヴィーノ)の牝系子孫には1990年のエクリプス賞最優秀芝牡馬イッツオールグリークトゥミー【ハリウッドダービー(米GⅠ)・ハリウッドターフCS(米GⅠ)】、2011年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬ハンセン【BCジュヴェナイル(米GⅠ)】が、エクレアの半妹ドーンレイ(父エスナーク)の牝系子孫には米国の歴史的名牝レディーズシークレット【BCディスタフ(米GⅠ)・マスケットS(米GⅠ)2回・ラフィアンH(米GⅠ)2回・ベルデイムS(米GⅠ)2回・ラカナダS(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)】や日本の短距離女王ビリーヴ【スプリンターズS(GⅠ)・高松宮記念(GⅠ)】がいる。そしてエクレアの半妹インフラレッド(父エスナーク)の牝系子孫はこれまた活躍馬のオンパレード状態で、主だったところを挙げるだけでも、ミルリーフ【英ダービー(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・デューハーストS】、ウォロー【英2000ギニー(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)】、ゴールドリヴァー【凱旋門賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・カドラン賞(仏GⅠ)】、アレクサンダーゴールドラン【オペラ賞(仏GⅠ)・香港C(香GⅠ)・プリティポリーS(愛GⅠ)2回・ナッソーS(英GⅠ)】、フィンシャルベオ【英1000ギニー(英GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・愛1000ギニー(愛GⅠ)】、ゴルディコヴァ【BCマイル(米GⅠ)3回・ロートシルト賞(仏GⅠ)4回・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ファルマスS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)2回・クイーンアンS(英GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、日本で走ったダイナコスモス【皐月賞(GⅠ)】、フジキセキ【朝日杯三歳S(GⅠ)】、シャドウゲイト【シンガポール航空国際C(星GⅠ)】、ニホンピロアワーズ【ジャパンCダート(GⅠ)】などがいる。→牝系:F22号族①

母父エスナークは芦毛の快速馬ザテトラークが残した数少ない産駒の1頭で、現役成績は17戦4勝。勝ち鞍はスカボローS・オータムH・エンパイアS・デュークオヴケンブリッジS。種牡馬としてはエクレアが代表産駒という程度の成績だった。

競走馬引退後

競走馬を完全に引退した本馬は、引き続きエルスワース氏がカリフォルニア州に所有するチノランチ牧場で種牡馬生活を続けた。本馬が愛国に残してきた産駒は僅か1世代だった事もあってあまり活躍しなかった。しかし米国における産駒は早い段階から結果を出した。競走馬と二足の草鞋を履いていた1年目の産駒から、デルマーフューチュリティ勝ち馬ビッグノイズなどを輩出。2年目産駒からもハリウッドラッシーSやハリウッドオークスなどを勝ったフリートカールなどを輩出。フリートカールの活躍により、1952年の北米2歳首位種牡馬に輝いた。3年目産駒からもハリウッドラッシーS勝ち馬コーラスカールやデルマーダービー勝ち馬ムールシェルといった活躍馬を輩出した。そして4年目産駒から出た米国の歴史的名馬スワップスの大活躍により、本馬の種牡馬としての名声は決定的となった。

その後は繁殖牝馬の質量ともに向上し、本馬もその期待に応えて活躍馬を送り続けた。惜しくも北米首位種牡馬にはなれなかった(スワップスが米年度代表馬に輝いた1956年の2位が最高。ちなみにこの年の1位は本馬と同じくアガ・カーンⅢ世殿下の生産・所有馬で、スワップスの好敵手ナシュアの父でもあったナスルーラ)が、最終的には61頭のステークスウイナー(ステークスウイナー率は11.6%)を出し、カリフォルニア州繋養種牡馬としては史上有数の成功を収めた。その功績を称えて、1990年に本馬の名を冠したカーレッドSがハリウッドパーク競馬場において創設された(カリフォルニア州産馬限定競走として行われていたが、2009年を最後に廃止されている)。1968年に25歳で他界した。

後継種牡馬としてはスワップスに加えて、サンタアニタHなどを制した米国西海岸の強豪ヒルライズ(ケンタッキーダービーでノーザンダンサーと激戦を演じた事で知られる)を出したヒラリーなどが活躍して一定の繁栄を示したが、現在直系はかなり衰退している。一方で母系に目を向けると、第1回BCクラシック優勝馬にして種牡馬としても成功したワイルドアゲインを母の父として輩出している。また、日本のメジロ牧場により輸入された牝駒アマゾンウォリアーが同牧場の基礎繁殖牝馬の1頭として活躍し、直子にメジロイーグル、子孫に牝馬三冠馬メジロラモーヌ、メジロアルダン、メジロランバダ、フィールドルージュなどを輩出した。もう1つ忘れてはならないのは、ヒラリーの娘エーデルワイスがサンデーサイレンスの曾祖母だという点である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1949

Big Noise

デルマーフューチュリティ

1949

Goose Khal

サンディエゴH・デルマーH

1950

Correspondent

ハリウッド金杯・ブルーグラスS

1950

Fleet Khal

ハリウッドラッシーS・ヴァニティH・ハリウッドオークス・ハネムーンH

1950

Karim

ロサンゼルスH

1951

Chorus Khal

ハリウッドラッシーS

1951

Musselshell

デルマーダービー

1952

Hillary

ラホヤH

1952

Swaps

ケンタッキーダービー・ハリウッド金杯・サンタアニタダービー・アメリカンダービー・カリフォルニアンS・アメリカンH・サンセットH・サンヴィンセントS・ウィルロジャーズS・ウェスターナーS・アーゴノートH・イングルウッドH・ワシントンパークH

1953

Annie-Lu-San

ヴァニティH2回

1953

Candy Dish

ハリウッドオークス

1953

Terrang

サンタアニタH・サンタアニタダービー・サンヴィンセントS・ウィルロジャーズS・サンアントニオH・アーゴノートH・サンパスカルH・サンバーナーディノH2回

1954

Ballet Khal

ラスフローレスH

1955

A Glitter

CCAオークス・モンマスオークス・モデスティH

1955

Midnight Date

ハリウッドオークス

1955

The Shoe

シネマH・デルマーダービー

1956

Khalita

ハリウッドラッシーS・デルマーデビュータントS・デモワゼルS

1956

Linmold

サンタアニタH

1956

Sybil Brand

ハリウッドオークス

1957

Divine Comedy

サラナクH・ローマーH

1957

Eagle Admiral

ファウンテンオブユースS

1957

Flow Line

サンフェリペS・ウィルロジャーズS

1957

New Policy

シネマH・サンパスカルH・サンバーナーディノH・サンディエゴH

1957

Physician

サンタアニタH・サンアントニオH

1958

Bushel-n-Peck

シネマH・ハネムーンH

1958

Light Talk

アーカンソーダービー

1959

Wallet Lifter

ウィルロジャーズS

1960

Delhi Maid

ハリウッドオークス

1960

Going Abroad

マンハッタンH・ミシガンマイルH・ホーソーン金杯

1960

Honey Bunny

ハリウッドラッシーS

1960

Valiant Man

ニューオーリンズH

1961

Take Over

ワシントンパークH

1966

Royal Dynasty

アーケイディアH

1967

Corn Off the Cob

ファウンテンオブユースS・アーリントンクラシックS

1967

Saracen Sword

ガリニュールS

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